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相武山 妙法寺 ブログ

生活のすべてが仏道

日曜法話会の第二部、仏教に親しむでは「生活のすべてが仏道 ー法華経の教えー」がテーマ。
はじめに日本の仏教について「インド思想と中国思想の融合された中国仏教が基本。日本古来の自然崇拝、祖先信仰などと融合。飛鳥時代に伝来した当初から大乗仏教が主流。大乗仏教を日本的に発展させた仏教」と解説。

続いてその歴史は「小乗仏教(上座部仏教)を兼学。八宗兼学(南都六宗に天台宗と真言宗)。四宗兼学(円密禅戒)もしくは(天台、密教、念仏、禅)。貴族仏教から庶民仏教への展開。専修仏教(浄土宗、禅宗、法華宗)へ」と展開したことを説明。

その上で、法華経の教え『分別功徳品第十七』
「如来の滅後に、もしこの経を聞いて、毀呰せずして随喜の心を起こさば、まさに知るべし。すでに深信解の相と為すなり。いかにいわんや、これを読誦し、受持せん者をや。この人は、すなわちこれ如来を頂戴したてまつるなり。」
《現代語訳》
「如来が入滅した後に、もしも、この経典を聞いて傷つけたりそしったりすることなく、心から喜びを感ずるならば、心して知れ。すでにこれこそ深い信解の姿である。ましてや、経典を読誦し、受持する者の功徳はなおさらである。この人は、すなわちこれ如来を頂いている人である」を紹介。

次に日蓮大聖人の『災難対治抄』
「止観に云く『若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり』。弘決に云く『礼楽前に駆せて真道後に啓く』」。
《現代語訳》
天台大師の摩訶止観には「もし深く世間の道理を知ればそのままにして仏法の教えである」とあり、妙楽大師の止観弘決には「かの礼楽の思想が先駆けとなったので、真の教えである仏教が後に弘まった」を紹介。
続いて『観心本尊抄』
「天台云く『雨の猛きを見て竜の大なるを知り、花の盛んなるを見て池の深きを知る』等云云。妙楽云く『智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る』等云云。天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得べきか」。
《現代語訳》
天台大師の法華文句には「『雨が激しく降るのを見て、それを降らす竜の大きさを知り、蓮華の花が盛んに咲くのを見て、その池の深さを知ることができる』と述べ、妙楽大師は文句記に『智恵ある人は物事の起こる由来を知り、蛇だけが蛇の道を知っている』と記している。天が晴れれば大地が明るくなる道理と同じように、法華経の教えを深く知る者は、天変地夭などの世間の出来事の意味を知り得るのだろう」を紹介。

さらに『檀越某御返事』
「法華経を十二時に行ぜさせ給ふにては候らめ。あなかしこあなかしこ、御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』とは此れなり」。
《現代語訳》
「これまで通り、変わらずに出仕されることこそが、法華経を昼夜に修行なさることになると存じます。くれぐれも、主君に仕えることが、そのまま法華経の実践であるとお思いなされよ。天台大師の『あらゆる世間の生活と産業は、みな仏法の真実と相違しない』というお言葉は、そういう意味である」を紹介。

日蓮大聖人の教えの結びは『白米一俵御書』
「まことのみちは世間の事法にて候。金光明経には『若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり』ととかれ、涅槃経には『一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず』と仰せられて候も、妙楽大師法華経の第六の巻の『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』の経文に引き合はせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深心の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。
法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし、草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。心すなはち大地、大地則ち草木なり。
爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず、月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此れをもってしろしめせ。白米は白米にはあらず。すなはち命なり」。

《現代語訳》
「真実の仏の道というものは、世間の事法の中にこそあります。たとえば、金光明経には『もし深く世間の道理を知れば、そのままにして仏法の教えである』と説かれ、涅槃経には『世間に流布するすべての外道の経典はみな仏の教えであって、決して外道の考えそのものではない』と説かれていますが、妙楽大師はこの二つの経文と、法華経の第六巻の『世間のすべての家業や生業はみな実相と違背しない』という経文とを比較して、前の金光明経と涅槃経の二経は、一見すると深い心の教えのようであるが、法華経と比較した場合はまだ及ばない浅い教えなので、世間の法を仏法に事寄せて教えている。

一方、法華経はそうではなく、そのまま世間の法が仏法の全体であると教えている、と解釈されているのです。法華経以前の諸経では『すべての法は心から生じる。よって、心は大地のようなものであり、その上に生える草木はすべての法のようなものである』と教えます。片や法華経はそうではなく、『心はそのまま大地であり、大地はそのまま草木である』と教えます。また、法華経以前の諸経では『心の澄むのは月のようであり、心の清らかなことは花のようである』と教えますが、法華経はそうではなく、『月こそが心であり、花こそが心である』という教えなのです。以上のことから推し量られよ。このたび供養された白米はただの白米ではなく、命そのものです」を紹介。

大乗仏教の精華「法華経」では仏法信仰者の生活のすべてが仏道であると説かれ、日蓮大聖人は遺文御書に法華経の信仰者は現実生活の一つひとつが仏道の修行であると明示していることをお伝えして4月度の法話会は終了。
来月の日曜法話会は5月14日の開催。皆さまの参加をお待ちしています。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年04月28日

芽吹きと初舞台

木々が一斉に芽吹き瑞々しい新緑に境内がおおわれた4月16日、24名のご参加を頂いて4月度の日曜法話会を開催。ご信徒と一般の方はそれぞれ半数ほどでした。今月は初めてという方は居られませんでしたが、法話会の趣旨と第一部の世相の解説から、プロローグとして日本仏教の歴史的な展開や現代の仏教学などを略述してスタート。

第一部世相のテーマは「芽吹きと初舞台 ー時を意識して志を立てるー」。春は芽吹きのとき、四季のある日本では春を迎えると自然環境が一変。すでに皆さんご承知のように、3月までの冬枯れから一斉に花々が開きはじめ木々が芽吹く情景から、桜の花が散り葉桜になる頃、新緑の世界が広がる現状を共感します。
また、芽吹きは大地の躍動を伝えています。人間も自然界の一部、自然の営みは我々の心身にも大きな影響を与えます。心と身体は互いに影響し合っていること。心と身体、両面の健康が大切であり、心身のしくみとそのはたらきを学びその調和(バランス)に配慮することが肝要であることを説明しました。

《時を意識する》
何ごとも「今は自分にとっていかなる時であるか」を知ることが大切。幼少年期、青年期、壮年期、熟年期、老年期・・・。より良い人生のためには、時代やその環境をよく識る必要があります。私たちは「今何をなすべきか」を考えて人生を歩まねばなりません。失敗などからは学ぶことも多く、再チャレンジは可能ですが、時(タイミング)をはずせば得ること成すことが難しいことを知ることも大事です。
日蓮大聖人の報恩抄「春は花さき秋は菓なる、夏はあたたかに冬はつめたし。時のしからしむるに有らずや。」《現代語訳》「春には花が咲き、秋には実が結び、夏は暖かく、冬は冷たい。これらはそれぞれの時節がなせる営みというものではないか」のお言葉をお伝えしました。

《新年度を迎える》
日本の新年度は4月1日。
「年度」は暦年とは異なる区分で定めた期間のこと。年度の期間で一般的なのは「4月1日 ~ 翌年3月31日」を1年間とした区切り方。国や地方自治体の会計年度はこの区分を採用。官公庁などが予算に沿って業務を行う期間は「会計年度」、学校の学年の切り替わりは「学校年度」と説明。会計年度が4月1日になったのは1886年(明治19年)からのこと。(アメリカでは政府や公共機関は10月から始まり翌年9月で終わる)

年度の変遷については、江戸時代の寺子屋や藩校、明治初期の学校では入学時期や進学時期について特定の決まりはなく、明治になって西洋式の教育制度が導入され一斉入学一斉進級を採用したこと。ドイツやイギリスの教育制度を参考にしたため入学時期は9月。4月入学になったのは国の「会計年度」に合わせたことによります。
学校は政府から運営資金を調達するため。また、軍隊の士官学校の入学時期が4月となったため。士官学校の入学時期が4月に変更となると、9月始まりだった一般の学校は「優秀な若者が士官学校に先取りされてしまうかもしれない」と考え、こぞって4月始まりへと変わったといわれ、大正時代の頃には学校年度は完全に4月始まりになったことを説明。

入社年度も学校年度が4月となったことで卒業が3月。企業への入社も4月となりました。世界では9月始まりが主流。入社の時期などはまちまちであることをお伝えしました。
(世界でも日本のように新年度を4月開始とする国は珍しく、グローバルスタンダードに合わせて我が国でも学校年度を9月とすることが検討されています)。

《初舞台に立つ》
どのような舞台(学校、会社、地域、サークル、グループ、初体験・ ・・)でも初舞台に立つときは皆少なからず緊張感と高揚感が在ります。性格が一人ひとり異なるため緊張感にも強弱はありますが、振り返ってみれば幼子が幼稚園や小学校に入園、入学する時はもちろん、受験を経ての中学、高校、大学への入学。「新規入社、初体験、初対面、転居、地域コミュニティ、趣味・・・」と初舞台で緊張しない人は稀でしょう。高齢者となっても初舞台に臨むことがありますから、そのような人には温かく接して応援して上げたいものです。

不安と恐れを越えるために「未知のことや未体験のことに不安や恐れがあるのは当然。失敗や間違いは誰にでもあること、失敗を極端に怖れない。少しの勇気を出すこと。周囲は温かく励ますこと。反省は大切だがいやなことは忘れることも必要、引きづらない。」という思考に向かうことが大切です。

心は調えられますし鍛えることも可能です。自らの心身を調えるために宗教や信仰を求める方も少なくありませんし、仏道で勤行や祈りが勧められる理由もそこにあります。また、真摯な人生には一つも無駄なことはありません。間違いや失敗は人生につきもので誰もが経験することで、成功よりも過ちや失敗によって気づくことの方が多いものです。まじめな心で取り組んだ行動は時間を越えて己の心身を利益することになり、成功体験は驕りや傲慢さに通じやすいものであることをお伝えしました。

結びに「芽生えと初舞台の時季」にあたり、「時を意識して志を立てよう。あるがままを認めて自他倶の幸いを祈るのが大乗仏教菩薩道の教え。初舞台に立つ人々は自分を信じて少しの勇気を出し、それらの人々にふれたら家族ではなくても大いに応援しよう」と所見を述べました。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年04月27日

4月度の御経日とペット慰霊法要

当山では毎月「一日」に「御経日」を執り行っています。一日はその月のスタートとなる日ですから、信仰の有無を問わず月ごとのけじめを大切にする方にとっては意識する日といえるかもしれません。「今、この瞬間が大事」と意識することは大切なことですが、また、時間にけじめをつけるということも同じように大切なことだと思います。昨日が今日になっただけのことかもしれませんが、週や月、季節や年が変わったことを意識して、自身の有限性となすべきことを確認することになるからです。
仏教では事物事象のすべては因縁縁起によると説き、諸行は無常と観ますから、あらゆる事物事象は変化してやまないと考えます。したがって、いつ何がどのように変化しても不思議ではないとして、善悪、遇不遇、好悪、幸不幸、健病、等々、今の現状を「当たり前」などと考えることはなく、恵まれていることには感謝をして、恵まれていないことにはやがて善い変化が起きるように心のバランスをとることを教えています。

我が国の仏教寺院の多くでは「一日参り」が行われていますが、参詣の僧俗は月の初めに自身と家族、さらには社会の安寧を祈り、お参りする寺院の護持伝承を願って居られのでしょう。法華経の行者である日蓮大聖人も新年を迎える心得の大切さを説かれていますから、当然、月の変わり目も大切にしていたのではないでしょうか。日蓮法華宗の寺院でも毎月一日に月例の行事が行われているゆえんです。
法華宗日興門流では大石寺の開基檀那である南条時光殿の御命日が5月1日であることから、門下の寺院ではそのご報恩の意義も込めて一日に「御経日」が執り行われています。法華経と日蓮大聖人の教えを信仰する僧俗は知恩・報恩を旨としていますから、一日には大過去帳記載の永代供養の追善がなされ、有縁精霊や先祖精霊への塔婆などが建立され回向がなされます。

当山でもご信心の篤い方々が参詣になり、仏祖三宝尊へご報恩申し上げると倶にその月の仏道精進を誓願しておりますが、まことに仏法護持の上から実に尊いことと思います。
御経日では、法華経要品読誦、焼香、唱題と如法に勤められ、法要後には御書を拝読して法話がなされます。御書は妙風新聞の「御心を拝して」を拝読。一昨年よりは執事の興厳房が法話を担当しています。4月は都合で私が「新尼御前御返事」を拝読。宗祖のふるさと房州のご縁ふかいご信徒への手紙から、宗祖のふるさとへの想いとご両親への追慕の情、そしてご教導の振る舞いについてお伝えしました。

御経日の後は恒例のペット墓「慈愛」慰霊供養法要。
今年の慰霊法要は天候に恵まれ、名残のサクラを見上げながらの法要でした。御経日の法要で建立回向されたペット諸霊の塔婆はペット墓の横に供えられ、参詣者一同、自我偈を読誦、南無妙法蓮華経の唱題。読経中には参詣者が墓前に進みお線香をお供え、埋葬ペット諸霊に追善の供養をいたしました。
ペットへの概念は近年大きく変化し、昔のように畜生、家畜、番犬などという表現は不適切となっています。皆さん生活を共にした家族の一員としての認識ですから「うちの子」とよばれるような存在ということです。当然、慰霊追善の塔婆の書き方も不適切な表現は変化しています。
すべての生命を尊重する大乗仏教、その精華である法華経を信仰する私たちはペットの有無かかわらず、より多くの方々とともに動物愛護の精神を大切にしたいと願う慰霊法要でした。

相武山 山主

2023年04月26日

思うにならぬを愉しむ

日本の春はやはりサクラでしょうか。全国のいたるところに名所と呼ばれる場所があり、身近な川辺や里山、寺社や住宅にまでサクラが花開き、それぞれ春を愛でる人々が集い、早朝に照り輝く頃から陽の落ちた夜ザクラまでその風情を楽しんでいます。

今春のサクラ(ソメイヨシノ)の開花はかなり早く、温暖化への懸念を抱かせますが、里山のような環境にいるとサクラばかりでなく植物全体の開花が年々早まっている気がします。地球温暖化の警鐘が鳴らされて久しく、自然科学者など有識者ばかりでなく、各国、各地域で現状と未来に対しての思索と検討がなされています。最終的にはこの地球に生命を頂戴した一人ひとりの認識と対応が問われていることになると思いますが、事態を憂うる人は、自分にできるささやかなところから行動を起こしているようです。

私たちの日本仏教では「恩を知り、恩に報いる」ことが説かれています。私たちは多くの人々から有形無形の支えや助力を受けている存在であり、また、天地自然の霊妙な運行の恵みを享受して人生を歩んでいます。当然、温暖化にも注意を配りその改善に努める役割があるのです。より多くの方がサクラを愛でると倶にその開花の早さから温暖化への想いを深めてほしいと願う春です。

妙法院と市民の森のサクラはお彼岸の前半までは順調に開花して行きました。しかし、彼岸の後半から数日は雨天に寒さが加わり、すっきりとした青空の花見とはならず、今一気分が乗りません。やはり天気の影響は大きいなと改めて感じた次第。その反面、4月に入るまで長く風情を楽しむことができたことと、自分の勝手な気分ばかりが先行してものを見ていることにふと気がついて、雨にうたれるサクラをじっとみていると、そこには氷雨とサクラというアンバランスに捉えられがちな光景にも意味があるように思えて、曰く言いがたい感慨を覚えました。

さて、何ごとにもいえることですが、ものごとはすべて表と裏、陰と陽、正と負、得と失、利と害、勝と負、遅と早、喜と怒、苦と楽、若と老、健と病、成功と失敗、など、およそ相反する二つの表現によって一つのすがた(相)が示されます。一つの相には二つの相反するものが内在しているのですが、私たちは単純に一つの相しか認識しないことが多いので本当の相を見失いがちです。

内在しているものの存在に気がつけば、相反するように見えるものは実は一つの存在の両面であることがわかります。そしてそれらは固定されたものではなく、限定された時空における一側面であることを知るのです。

前述の今春のサクラのように、雨天や冷気によって思うような花見ができなければ花を長く愉しむことができますが、春陽が続いて花見を満喫すれば花が舞うのは早いものです。どちらが正解とか好みの問題というのではなく、所詮、天気は思うにまかせぬのですから、自然の摂理のあるがままを愉しむことがおもしろいのではないかと思うのです。

誰もが思うようにならなければ、おもしろくなく不愉快にもなって、落胆したり希望を失ったりするものですが、相反するものが一つの相を示しているだけであり、それも限定された時空によるものと知れば、それほど失意に陥ることはありません。失敗をしてこそ成功の喜びがあり、苦労を味わってこそまことの悦びを得ることができるのです。病に冒されてこそ健康に感謝することができ、死をみつめることによって人生の貴重さがわかります。人生では失ってこそ得るものがあると思うのです。
氷雨に濡れるサクラを見ながら「思うにならぬを愉しむ」ような心のゆとりは、人生の妙味ではないかと思った次第です。

相武山 山主

2023年04月01日

春のお彼岸を奉修

3月14日、気象庁は東京の今年のサクラ(ソミヨシノ)の開花を発表。昨年より6日、平年よりも10日ほど早い開花で、1953年に統計を取り始めてから、2020年、2021年と並んで最も早いということでした。
ちなみに、東京のサクラの開花は1990年までの30年間の平年値では「3月29日」、2020年までの30年間の平年値では「3月24日」と、5日も早くなっています。これも温暖化の影響でしょうか。

横浜は東京よりも2~3日遅れで開花。18日の春のお彼岸の入りにはあちらこちらで開花が見られました。当山には本堂前と西側の雑木林に三本のサクラがありますが同様の開花でした。
お彼岸の前半は天気に恵まれ、参詣のご信徒には三分咲きから四分咲き程度の当山のサクラと、15年ほど前に植樹した境内の西に広がる追分市民の森のサクラの遠景を楽しんで頂きました。今年のお彼岸は19日からの前半が天気に恵まれ、後半からは雨天、曇天でした。

横浜はお彼岸まで温かい日が続いていたのですが、お彼岸の入りになる18日はあいにくの雨でした。当山では春秋の彼岸の入りには永代供養墓の樹木葬墓地と久遠廟で追善法要を営んでいます。しかしこのところ、なぜか雨天でのお参りが多いように思えます。当日は執事の興厳師が樹木葬墓地と久遠廟に参詣。お塔婆を建て香華を供えて法華経の要品読誦、南無妙法蓮華経のお題目を唱えて、埋葬の諸精霊に追善御回向を申し上げました。

今年の春の彼岸会(法要)は19日の日曜日と21日のお中日に執り行いました。コロナ禍のために参詣が少ない法要が続いていましたが、この3月13日にはマスクの着用も個人の判断となり、5月からは感染症も5類となるようで、昨年、一昨年に比べると参詣者も少し増えてきました。
法要は献膳、読経、焼香、唱題と如法に奉修。参詣者は厳かに読経がながれる中、お塔婆が建立されている精霊壇に進み、ご先祖、有縁精霊に追善のお焼香をささげました。

法要後の法話は「窪尼御前御返事」を拝読。
参詣者には事前に御書と現代語訳のプリントを配布済みですので、私の拝読を眼で追って頂きました。御書の内容は3月の宗祖の月例御講で丁寧に説明しましたので、此処ではそのポイントとお彼岸のいわれについての法話となりました。

お彼岸のいわれについては仏縁の長い方はすでにご存じのことですが、お寺には常に初信の方が居られるので、お彼岸の意義については折々にお伝えしています。お彼岸はそもそも仏道修行という意味です。私たち未熟で煩悩に覆われた凡夫の住む苦悩の絶え間ない世界を此岸(此の岸)として、仏さまの居られる清く安らかな世界を彼岸(彼の岸)と呼ぶところにそのゆえんがあります。両岸を隔てる川は激しく逆巻く煩悩の川であり、此の煩悩の川を渡ることを仏道修行に見立てているのです。

「彼岸」とは得がたい仏縁を結び、その教えに導かれて仏道に精進(四諦、八正道、六波羅蜜・・・)することを意味しているのですが、その修行は厳格で特別なものばかりでなく、「菩提寺への参詣、自宅仏壇の清掃、仏壇へのお供え、わずかな読経・唱題、先祖有縁精霊のお塔婆を建てる、墓所に詣でて清掃し香華を手向ける・・・」と、仏道にかなうささやかな行いはすべて煩悩の川をわたる善行となるのです。

法話では「彼岸」は仏教用語ながら、インドや中国では見られない日本仏教独自の行事であること。日本の仏教はインドの仏教思想を中国的に受容展開した中国仏教に、日本古来の自然崇拝や祖先信仰が融合したものであり、インドや中国などの仏教とは異なりがあることをお伝えしました。
続いて、拝読御書のポイントして、対告衆となる窪尼のご家族の絆とそのご信心。仏さまに砂の餅を戯れに供えたことが善縁となり、後に阿育大王として果報を得た徳勝童子の功徳。さらに、仏さまは法華経より生ずる「法前仏後」の教えから、法華経を受持して仏道を成就することが大切であることをお伝えしました。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年03月30日

忘れてはならぬこと

3月度の日曜法話会は3月12日の開催。
世相のテーマは「忘れてはならぬこと」、『東日本大震災から12年』でした。
はじめに「仏教は現実直視であり神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物、事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。大乗仏教の精華『法華経』では諸法は実相と説いている。起こる事象はすべて学びの対象である」ことから、法話会では世相を仏教の視点から述べていることを説明。

テーマを「忘れてはならぬこと」として、3月11日が東日本大震災から12年となることから、原子力発電所事故を中心に所見をお伝えしました。
誰もが知る概要ですが未曾有の大災害として「2011年(平成23年)3月11日14時46分頃、M9.0の東日本大震災が発生。東北地方から関東におよぶ12都道府県で地震と火災、大津波によって甚大な被害。死者行方不明者22,212名。社会、経済、生活に甚大な被害。深刻な原子力発電所事故が発生」を解説。

また、「大災害は自然災害と人的災害の両面におよんだ。人類は災害から多くのことを学んできた。復旧、復興の問題点も時間と倶に露わになったこと」も補足説明。
さらに、今年が仏教的には物故者の13回忌法要が営まれることから、連日、メディアではさまざまな視点(鎮魂の日、被災状況の記録と記憶、被災者の苦悩と心理、地域や社会、行政や経済、復旧と復興、自然災害か人的災害か、未来への展望・・・)からの報道を紹介しました。

今回の法話会のメインテーマとなる「原子力発電所事故」について、概要から現況まで限られた時間ではありましたがNHKなどの資料を参考に説明。
学ぶべきこととして「原発事故の深刻さを忘れてはならない。地球(宇宙)も一つの生命体。そのはたらきは人智を超えている。自然災害は享受せざるを得ないが人災は避けなければならない。近視眼的な解決ばかりに走らない。災禍を学びにする覚悟と智慧が大切。予想される災禍(首都直下型地震、東南海トラフ地震、富士山の噴火等々)に備えよう。」をお伝えしました。

二部の「仏教に親しむ」では春のお彼岸の前なので「お彼岸のいわれ」について。
お彼岸「春分・秋分を中日として,その前後おのおの3日にわたる1週間を〈お彼岸〉と称し,この期間に寺院では彼岸会という法会を行い,信者は寺に参詣し,説法を聴聞,また墓参などをする。このような習俗はインド,中国にもみられず日本にしかない。」を紹介。その歴史は「日本後紀」から大同元年(806)三月を初見とすることを説明。
お彼岸は仏道にふれて功徳を修めるときであることをお伝えしました。
今号では紙面の都合で簡略な報道となりました。
《詳細はウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年03月29日

樹木葬墓地のさくら

昨年、樹木葬墓地の奥に陽光桜の苗木を植えました。弟子の純興師に頂いたものですが、2月下旬にはつぼみがふくらんできたので開花を楽しみにしていたら、3月8日頃、ピンクの可愛らしい花が咲きました。お彼岸までもてばお参りの方々がきっと喜ばれるだろうなと思っていました。盛りは過ぎましたがお此岸の中日までは無事に咲いていてくれました。樹木葬墓地にやすんで居られる諸精霊もさぞ喜ばれていると思います。明年は樹勢もつよくなって、もう少し立派なかたちとなるでしょうから、やすまれている方々にも参詣の方々にも倶に喜んで頂けることを期待しています。

相武山 山主

2023年03月27日

一切皆苦の教え

2月の法話会「災禍を生きる」の二部「仏教に親しむ」では『一切皆苦 現実を認識する』について述べました。一部「世相に想う」では『災禍を生きる』とのテーマで2月6日に発生したトルコ・シリアの大地震を中心に、「人生ではさまざまな災禍に遭遇する」ことを解説。人生は現実をしっかりと認識して歩まねばならないことをお伝えしました。

はじめに仏教では「一切皆苦」が説かれていることを紹介。
釈尊の悟られた仏教の基本思想である「四法印」(諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静)を概説しました。法印とは仏教の旗印のことであり、仏教と称するためにはこの四つの真理が説かれていなければなりません。また、この四つの真理は個別に在るものではなく、相互に連関し合うものです。

すなわち、「諸行(あらゆる存在)は常に変化して止まないものであり、諸法(あらゆる存在)はさまざまな因縁がより集まって相を顕したものであって、存在そのものに不変の実態があるわけではない。あらゆる存在は無常であり、無我であることによって、思うようにはならない。そのために煩悩に覆われた凡夫は人生に苦悩を覚える。しかし、苦悩の源が煩悩にあることに気がつき、発心し志を立てて仏道を歩むならば、やがて煩悩を克服して静謐な涅槃の安らぎが得られる」という内容であることを解説。

人生において常に夢や希望を持つことは大切なことですが、人生と社会の現実をしっかりと見つめる時、真理に基づく「一切皆苦」という認識をもつことも大切であることを理解しなければなりません。仏教では生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦を加えて「四苦八苦」が説かれていることを説明しました。

大乗仏教の精華である法華経には「譬喩品第三」に
『三界に安きことなし。なお火宅のごとし。衆苦は充満して、はなはだ 怖畏すべし。常に生・老と病・死の憂患あり。かくのごとき等の火は、 熾然として息まず。如来はすでに三界の火宅を離れて、寂然として閑居し、林野に安処せり』
「随喜功徳品第十八」に
『世は皆、牢固ならざること、水沫泡焔のごとし。汝等、ことごとくまさに疾く厭離の心を生ずべし』と説かれていることを紹介。

日蓮聖人の言葉として
重須殿女房御返事」に
『抑、地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候』とあり、
「四条金吾殿御消息」に
『日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか。娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に、日蓮が命をとどめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか。神力品に云く「若於林中 若於園中 若山谷曠野 是中乃至而般涅槃」とは是れか』と述べられていることをお伝えしました。

むすびに「学ぶべきこと」として
『現実を認識することは人生をあゆむ智慧。現実を理解できないことが不安と恐れを生む。地球(宇宙)も一つの生命体、そのはたらきは人智を超えている。人生は災禍に遭遇することが多いと認識する。人生は一切皆苦、思うようにはならないということを識る。災禍と倶に生きなければならないのが人生と覚悟する。健康をはじめ、当たり前に存在するものなどは一つもない。すべての存在は有り難いと知り感謝の心で穏やかに人生をあゆむ。災禍を学びにする覚悟と智慧が大切。予想される災禍に備えはできているか?他者と倶に生きる菩薩道の実践(思いから具体的行動へ)を心がけよう』と所感をお伝えして2月度の法話会を終了しました。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください。》

相武山 山主

2023年03月26日

春のお彼岸と仏塔供養

弥生三月を迎えます。境内雑木林の河津桜が満開となって青空に映え、足下では蕗のとうが次々に顔を出しています。寒さも緩んでもう春の訪れです。コロナ禍の3年、世界中が大きな影響をうけ私たちも緊張の日々が続きましたが、ようやく感染が落ち着き、各種のイベントも再開されはじめました。今月13日からは我が国でも「マスクの着用は個々の判断」となります。もちろん油断はできませんが一つの転換点を迎えたようです。コロナ禍からも多くのことを学びました。思いも新たに次のステージに立ちたいものです。
日本の仏教では三月は春のお彼岸。この時季にはソメイヨシノの開花に世相は華やぎますが、心静かに故人をしのび、ご先祖有縁精霊に思いをいたし、自身をみつめる仏教徒もいます。すっかり日本の伝統行事、習俗となっている春秋のお彼岸ですが、実は仏教徒が修行をおさめて積んだ功徳を縁者に回向する大切な行事です。

彼岸とは文字どおり彼の岸のことであり仏教用語の一つです。語源はサンスクリット語(古代インド語)でパーラミター(波羅蜜多)のこと。パーラミターとは「完成する」、「成就する」などの意味がありますが、煩悩による苦悩にあえぐこの世界を此岸として、苦悩から解放された仏の世界に至ることを意味する言葉です。漢訳では「到彼岸」とされます。煩悩の世界である「此岸」から悟りの世界「彼岸」に到着するためには、川を渡る仏道修行が求められ、その修行がすなわちお彼岸のいわれです。
お彼岸は日本独自のものといわれ、その歴史は聖徳太子の飛鳥の時代までさかのぼるといわれています。平安時代には朝廷の年中行事となり、源氏物語や蜻蛉日記にも登場しています。
仏教信仰が薄くなってきた現代ですが、お彼岸には故人やご先祖の供養のために菩提寺に参詣したり、仏壇に供物を供えたり、お墓参りをする人は少なくありません。読経や唱題、供物をそなえること、香華をささげること、菩提寺や墓所に足を運ぶことなど、そのすべては広義において仏道の修行といえるでしょう。

《仏塔の供養》
当山では彼岸会に塔婆を建てて追善供養される方が多数居られます。故人や先祖の供養のためになるとの信仰から建立しておられるのですが、教学的にも法華経と仏塔はゆかりが深いものです。塔婆はインドのサンスクリット語の「ストゥーパ」の訳で仏塔を表しています。その原型といわれているのは、釈尊が入滅の地クシナガラで荼毘に付された後に遺骨を納めたストゥーパ(仏舎利塔)で、さまざまな形に変化しながら仏教を信奉するアジア各地に伝わりました。
仏塔は仏徳を賛嘆するために土や石や木でつくられ、インドではアショーカ王の石塔が有名ですが、中国や日本では三重塔や五重塔、多宝塔、宝篋印塔や五輪塔がつくられました。

中国ではストゥーパに「卒塔婆」という漢字があてられましたが、卒塔婆と塔婆に違いはありません。インドから中国、そして日本に伝来した卒塔婆は時代とともに少しずつ変化してシンプルになり簡素化が進みました。やがて、現在のように木の板に五輪(地・水・火・風・空)を刻むようになったのです。同時に仏徳賛嘆から故人や先祖への供養のためにも塔婆が建立されるようになりました。塔婆を建てて供養することが仏道の善行とされ、故人の命日や法事、春秋の彼岸やお盆などで建立されているのです。
大乗仏教では仏塔への信仰がよく説かれていますが、ことに法華経では方便品や神力品など数章にわたって説かれ、見宝塔品第十一には多宝如来の大宝塔が出現しています。法華経信仰者に塔婆供養の実践者が多いゆえんです。

《われはこれ塔建つるもの》
法華経の信仰者として著名な宮沢賢治は法華経の一文一句を人生の燈としました。彼が病の中で書いた『疾中より』という詩群には「手は熱く足はなゆれど われはこれ塔建つるもの 滑り来し時間の軸の をちこちに美ゆくも成りて 燦々と暗をてらせる その塔のすがたかしこし」という詩があります。「病気になって身体は衰えたが、自分は塔を建てる者だ。塔が光を放って闇を照らす姿は尊い」というのです。
もちろん、病魔に冒されているのですから、この詩群にはもだえ苦しむ賢治の正直な心中も吐露されていますが、哲学者で宮沢賢治の研究者である谷川徹三は「病臥中の詩は暗い気分が支配的なのに、これは例外中の例外の自己肯定の詩」と述べています。
前述したように法華経と仏塔信仰は深い関係性をもっていますが、この宮沢賢治の言葉からは「法華経の信仰者は塔を建てる者であれ」との生死を超えた法華信仰の志と情熱が伝わってきます。

生老病死の四苦をはじめ人生は苦悩に満ちているといっても過言ではありませんが、「すべてをあるがままに受容して自らの尊厳を求めて生きる」という法華経の教えは大きな光明となります。日蓮大聖人は信仰の篤い佐渡の檀越阿仏房に「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房・・・七宝を以てかざりたる宝塔なり」と述べたと伝わります。春のお彼岸、追善の仏塔を建立すると倶に自身も仏塔たらんとささやかな信行を磨きたいものです。

相武山 山主

2023年03月01日

災禍を生きる

当山の雑木林には2本の河津さくらがあり、例年他のサクラに先駆けて2月中旬から咲き始めます。今年は少し遅い感じでしたが19日の日曜法話会にはピンクの可愛い花が開きました。19日は午前11時から2月度の日曜法話会。あいにく小雨が舞うような天候でしたが、約30名ほどの方が参加聴聞され久しぶりに本堂がにぎやかな感じでした。

今月のテーマは2月6日に発生したトルコ・シリア大地震をうけて「災禍を生きる」仏教の基本思想である一切皆苦にふれながら現実を認識する大切さを述べました。初めて参加の方も居られましたから、レジメの上段に示している法話会の趣旨をお伝えし、続いて世相を仏教的視点(大乗仏教)から所見を述べる理由を説明しました。配布した資料は法話内容のレジメとトルコ・シリア大地震の地図と被災状況の画像、さらに参考として地震のメカニズムである「日本列島のプレート状況」です。

初めに人生ではさまざまな災禍に遭遇することから、人生は「災禍を生きる」ことといえることをお伝えしました。そもそも災禍ですが「災も禍も共にわざわいのこと」です。天災や事故によって受けるわざわい。思いがけない災難。災害のことで、「災は自然によるもの、禍は人の世の不幸を意味するもの」といわれています。ちなみに3年前からの新型コロナウイルス感染拡大による災禍は「コロナ禍・・・」と説明。
中国の『戦国策』には「聖人の事を制するや、禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」と述べ、「ふりかかってきた災難の見方を変え、幸福への糸口にするのが徳の高い人の振る舞いである」とあります。戦国策とは、周の安王 (前 402即位) から秦の始皇帝にいたるまでの約 250年間における戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に分類し編集した書物(全33篇)のこと。ここには避けられぬ災禍への心構えが説かれています。

《トルコ・シリア大地震》
「2023年2月6日(月)4:17トルコ南東部(シリアとの国境付近)でM7.5の大地震が発生。同日13:24にも近くでM7.5の大地震が連続発生。トルコとシリアの両国で甚大な被害。18日現在、両国の死者数は45,000人以上と報道されているが被害の実態は不明」というトルコ・シリア大地震の概要を説明。
次にトルコとシリア両国をめぐる地域社会状況は実に複雑であり、「民族、宗教、文化、歴史等に起因するさまざまな問題。ながく続くシリアの内戦。イスラム原理主義者ISの活動。国を持たない最大の民族クルド人(2500万人~3000万人)問題・・・など」混乱の渦中にある地域であることを解説。

『予備知識として』
トルコ共和国(通称トルコ)が、「東ヨーロッパと西アジアにまたがる国。古代ギリシャ、ペルシャ帝国、古代ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国との文化的な結びつきがある。国土面積 783,600 km²。人口:8478万 (2021年)。西アジアに位置するアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパに位置するバルカン半島東南端の東トラキア地方を領有する共和制国家。首都はアナトリア中央部のアンカラ。アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる。
北は黒海とマルマラ海、西と南は地中海(西はエーゲ海)に面する。陸上国境は、西でブルガリア、ギリシャと、東でジョージア(グルジア)、アルメニア、アゼルバイジャン、イラン、イラク、シリアと接する。国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)と最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブールは、古代からヒッタイト、フリュギア、リディア、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)など様々な民族・文明が栄えた地。」
と説明。その歴史についても略述しました(ここでは割愛)。

《世界有数の地震国と最新情報》
今回の大地震について
「トルコ周辺には複数のプレート(岩盤)が存在し、それぞれの活動によって平時から地下に複雑な力が加わっている。纐纈(こうけつ)一起・慶応大特任教授(応用地震学)によると、6日に発生したマグニチュード(M)7・8の地震はトルコの国土の大半がのったアナトリアプレートと、その南東側にあるアラビアプレートの境界部の東アナトリア断層で発生したと考えられる」を紹介。

最新情報としては時事通信社による
「トルコ地震の死者4.5万人超に=発生11日後に3人救出」
『トルコのソイル内相は17日、同国南部で6日に起きた大地震による死者が3万9600人以上になったと明らかにした。アナトリア通信が伝えた。隣国シリアと合わせた犠牲者数は4万5000人を超えた。トルコでは地震発生から11日たった17日も、倒壊した建物のがれきに閉じ込められた人の捜索が続いた。地元メディアによると、南部ハタイ県では新たに男性の生存者が278時間ぶりに発見され、この日だけで3人が救出された。』を紹介。

また、TBS NEWS DIG Powered by JNNによる「トルコ・シリア地震 死者4万5000人超今も救出続く」
『トルコとシリアを襲った大地震による死者は、合わせて4万5000人を超えました。
発生から12日目となりますが、今も救助される人が出ています。地元メディアによりますと17日、トルコ南部のハタイ県で45歳の男性が地震発生からおよそ278時間ぶりに救出されました。発生から12日目となりますが、今も救助される人が後を絶ちません。
懸命な救助活動が続く一方、両国で死者は増え続け、トルコでは3万9000人を上回り、シリアでは5800人以上となっていて、合わせて4万5000人を超えました。トルコ政府は17日、地震によって倒壊したか、今後、倒壊するおそれがあり、緊急に撤去すべき建物が8万4000以上あると発表しました。
警察当局は倒壊した建物の中には耐震基準に達していないものが少なくなかったとみて責任追及を進めていて、これまでに83人を逮捕しています。』を紹介。今回の大震災被害ではこの地域の建物の耐震が脆弱で、人的災害として厳しく指摘されていることもお伝えしました。

《東日本大震災から12年》
2011年(平成23年)3月11日14時46分頃に発生したM9.0の東日本大震災から今年は12年。日本仏教では第13回忌の追善法要が営まれます。この大地震では東北地方を中心に12都道府県で地震と火災、大津波によって2万2312名の死者・行方不明者が出ました。
未だ生々しい記憶ですが、すでに「首都直下型地震。東南海トラフ地震。富士山の噴火。・・・」と次の大地震や噴火などの自然災害が予想され、専門家ばかりでなく行政からも注意喚起がなされていることを紹介。

《災禍は疫病・戦禍・犯罪におよぶ》
続いて災禍は自然災害ばかりでなく、疫病の流行や戦争、事故や犯罪など人的災害、環境破壊などからももたらされることを説明。
『コロナ禍』
「コロナ禍は3年におよび、その感染禍によって世界中に多数の死傷者が出た。大小に関わらず経済的損失を多くの人が蒙った。社会環境などにも変化をもたらした。家族や就業、生活環境に影響を受けた人も少なくない。」ことを略述。
『悲惨な戦禍』
ロシア軍ウクライナ侵攻から1年
「昨年2月24日、ロシア軍がウクライナに武力侵攻して1年。ウクライナでは深刻な戦争被害(多数の死傷者と多くの難民)。停戦が見えない壮絶な戦争。ロシア・プーチン大統領の強欲な野望。ウクライナは徹底抗戦を標榜・・・」を略述。
『突然の人的事故や凶悪犯罪』
「人生に絶対に安全などということはなく、いつ・どこで・どのような事故に遭遇するかはわからない。身近な家庭などでも思いも掛けない事故が起きる。」
凶悪な犯罪に巻き込まれることもある。
直近の強盗殺人事件「暗躍する犯罪集団と闇バイト」から「フィリピンを拠点とするニセ電話詐欺事件で、窃盗容疑で逮捕状が出ていた渡辺優樹容疑者(38)ら4人全員が強制送還。今後。詐欺や広域強盗事件の捜査が本格化する」を紹介。
「いつの世もさまざまな理由による犯罪が発生している。犯罪者の心理は容易には理解できない。誰もが犯罪者になる可能性と誰もが被害者になる可能性がある・・・。」と説明。日本は安心安全の国といわれているが果たしてそうだろうか?

現代日本は礼儀正しく穏やかな国民性、道徳心と見識の高さなどから極めて治安が良い国となっているが、今後は予断を許さない・・・。精神の寛容を怠り、利己主義が蔓延すれば、いつ危険な国となるかはわからない」と述べました。
以上のような現実から、人生は「災禍を生きる」という覚悟をもって歩まねばならないとの所見をお伝えしました。
※法話会の詳細は相武山だよりのウェブ動画を御覧下さい。

相武山 山主

2023年02月27日