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相武山 妙法寺 ブログ

誓願を立てて人生をあゆむ

令和6年あけましておめでとうございます。
年頭に皆さまのご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

初春に菩提寺の御宝前に参詣して自らの誓願を供える方は多いと存じます。事情により参詣できない方でもご自宅の御本尊様にお参りして誓願をお立てになることでしょう。我が国では信仰の有無にかかわらず、年の初めを大切にもてなし、国民の大多数が寺社に詣でます。そこでは私たち法華の信仰者同様、各人各様の誓願がなされているのではと想像できます。

誓願は自らの人生そのもの。新年に限らず、誓いや願いを立てることは自身の目的が明確となり、人生をあゆむ方向性が定まりますから大切なことです。また、誓願を興すことは若者や壮年に限定されたものではありません。老いの境地に入ろうと病や障害とともに生きなければならない状態にあったとしても必要なものといえます。それは誓願が自らの人生を牽引してくれるからです。

仏の道ではその第一歩が発心。仏の教えに心を発すことです。仏道はその発心を継続してこそ成就されるものです。発心とはことばを換えれば立志(志を立てる)ともいえるでしょう。志を立てなければ道を歩き始めることはできませんからとても大事なことです。立志・発心の時には必ず誓願が立てられ、その誓願を常に意識し継続してこそ道が成ると仏教では説かれています。立志の大切な所以です。

私たち日蓮の門弟の鏡は法華経と日蓮大聖人の教えです。
宗祖は佐渡流罪の直後に開目抄を著されています。そこにはご自身の覚悟と誓願が明確に示されています。
『開目抄』
「詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。 -中略- 善に付け悪につけ、法華経をすつるは地獄の業なるべし。本願を立つ。-中略- 種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ゐじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」と。
現代語訳では
「詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。-中略- 善に付け悪につけ、法華経をすつるは地獄の業なるべし。本願を立つ。-中略- 種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ゐじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」と仰せです。

末法下種の導師である宗祖の堅固な覚悟と広大な慈悲の誓願に比すことはできませんが、私たち門弟も仏法を燈明として宗祖に習い、令和6年も己の誓願を立て、その誓願に向かって精進し悔いのない一年といたしましょう。

 

2024年01月01日

新年を迎えるために

《歳末大掃除と世話人会》
令和5年も残すところ1週間となった12月24日(日)午前10時より歳末の大掃除を行いました。境内の内外では「境内の伐採した樹木の片付け、三師塔の拭き清め、参道の清掃、側道と雨水マスの枯れ葉とり」等々。堂宇では玄関、受付、ロビーなどの掃除と窓拭き、本堂内外の窓も浄めました。客殿のトイレは22日に安西さんがお出でになり事前清掃済み。約二時間ほどの大掃除ですっかり境内と堂宇が浄められ、新年を清々しく迎える準備が調いました。

清掃後は正月に参詣される方々へのお供物などの下準備にも協力頂きました。また、久しぶりに世話人会も開催。令和6年度の年間行事予定を検討し、懸案であった13日の御講と日曜御講の調整も行いました。13日は日蓮大聖人の御命日、門下の寺院ではこの日に御報恩の法要を執り行うのを常としていますが、近年、ご信徒が参詣しやすい日曜日に移行している寺院も多くなりました。

妙法院では13日の御講と日曜日の法要を工夫してきましたが、行事と法要の繁多を調整することも必要と考えるに至り、令和6年よりは毎月13日の午前6時30分、住職の朝勤行にて御命日の報恩を申し上げ、ご信徒の参詣は第二日曜日の午後1時の「日曜御講」を優先して頂くこととしました。
都合によって第二日曜日が第三日曜日に変更される場合もありますので、各月の行事予定表をご確認願います。お正月にお渡しする年間行事予定表にも説明いたしましたのでお目通しください。
歳末ご多忙の中、ご協力頂いた熊木さん、久保さん、奥田さん、柴さん、落合さん(2)、小原さん、阿部さん、重吉さん、森さん、新倉さん、ありがとうございました。

《初詣の準備》
新年の幕開けも間近となり当山でも連日迎春の準備に追われています。30日(土)午前10時からは新春の御宝前に供えるお重ねの餅つき、お屠蘇の容器詰め、祝い昆布の袋つめを行い、相武山だよりの年間ファイルやカレンダー、お供物や行事予定表など参詣者へのお供物の準備をしました。寺内だけでは一日仕事になってしまいますが、小原さん、熊木さん、阿部さん、安西さんのご協力で2時間ほどでスムースに終了しました。
その後は玄関前の門松つくり。開創以来新年を迎える門松は私の手作りで飾ってきましたが、近年は興厳房が主役となり阿部さんや熊木さんなどの協力を得て設えています。今年も鹿島の願生寺様からたくさんの若松を頂戴して、新春を寿ぐ立派な門松を飾ることができました。
令和6年の新春、檀信徒有縁の皆さまのご参詣をお待ちしています。

相武山 山主

2023年12月30日

おさめの御講を奉修

法華経を讃むと雖も還りて法華の心を死す
12月10日(日)午前11時から「令和5年・おさめの御講」を奉修しました。参詣者唱題の裡に仏祖三宝尊への献膳、続いて法華経要品の読誦、献香、唱題と如法に厳修。日蓮大聖人への御報恩を申し上げました。

法要後の法話では妙密上人御消息
「諸宗の元祖等法華経を読み奉れば、各々其の弟子等は我が師は法華経の心を得給へりと思へり。然れども詮を論ずれば、慈恩大師は深密経・唯識論を師として法華経を読み、嘉祥大師は般若経・中論を師として法華経をよむ。杜順・法蔵等は華厳経・十住毘婆沙論を師として法華経をよみ、善無畏・金剛智・不空等は大日経を師として法華経をよむ。
此等の人々は各法華経をよめりと思へども、未だ一句一偈もよめる人にはあらず。詮を論ずれば、伝教大師ことはりて云く「法華経を讃むと雖も還りて法華の心を死す」云云。
例せば外道は仏経をよめども外道と同じ。蝙蝠が昼を夜と見るが如し。又赤き面の者は白き鏡も赤しと思ひ、太刀に顔をうつせるもの円かなる面をほそながしと思ふに似たり。
今日蓮は然らず。已今当の経文を深くまぼり、一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む。
麻の中の蓬、墨うてる木の自体は正直ならざれども、自然に直ぐなるが如し。経のままに唱ふればまがれる心なし。当に知るべし、仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか。」を拝読。

11月15日、創価学会第3代会長であった池田大作氏が逝去。富士日興門流(日蓮正宗)にゆかりのある人物であり、社会的にも大きな影響力をもった方でした。その評価は各界各人各様であろうと思いますし、今後もさまざまに検証がなされることでしょう。法華宗日興門流の信仰を護持伝承する妙法院として、また、池田氏は門流で興起した正信覚醒運動の直接的対象者でしたから、逝去の報に接して私見を簡略に述べる必要性を覚えた次第です。

拝読した御書は真偽未決でありますが、池田氏への私の見解のポイントが示されています。すなわち、「伝教大師ことはりて云く『法華経を讃むと雖も還りて法華の心を死す』」に極まります。この法華秀句の御文の前段には、「各宗派の元祖等が法華経を読むが、それは自身がすでに得心している教義の上に法華経を位置づけ理解しているものであって、法華経を一句一偈をも真実に読んだ人とはいえない」とあります。
そのため伝教大師は法華秀句に「法華経を讃めていながら還って法華経の心を殺している」「例えば外道は仏教の経典を読んでもその理解は外道のままであり」と指摘したのです。

その上で、宗祖は「日蓮はそうではありません。『已に説かれた経と今説く経とこれから説くべき経の中で法華経は最第一である』という経文に基づき、法華経の肝心たる題目を自分も唱え、人にも勧めているのです。
麻の中で育つ蓬や墨を打った木等は、それ自体は必ずしも真っ直ぐではなくても、周りに引き寄せられ真っ直ぐになるように、法華経の題目を唱えれば心が曲がることはありません。果たして仏の御心が自分の身に入らなければ題目の五字は唱えられないものかどうか、よくよく知ることが肝心です。」とご教示です。

池田氏が創価学会を日本最大級の宗教組織としたことは事実ですが、彼の確かな言動からは一貫した思想や信条をうかがうことはできません。そこにはあらゆる思想や哲学を寄せ集めて利用し、その中心には彼の野望や創価学会特有の価値観の存在を知ることができます。彼は法華経や日蓮大聖人の教えを表面上語ってはいましたが、実に一貫性のない偏頗なもので、その語る言葉は時流を意識した功利的なもの。言行の一致しないすがたは歴史が証明しているところです。

彼は法華経や日蓮大聖人の教えを自身のため、教団組織のために利用したに過ぎず、それらを利用して己の野心を追求したというのが事実なのです。まさに「法華経を讃むと雖も還りて法華の心を死す」ものであり、伝教大師や日蓮大聖人の弾呵するところです。
私たちは宗祖が示された「已今当の経文を深くまぼり、一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む。麻の中の蓬、墨うてる木の自体は正直ならざれども、自然に直ぐなるが如し。経のままに唱ふればまがれる心なし」との正直な心で法華経を修めた人生を歩んでまいりましょう。
おさめ御講の後には4年ぶりに年末懇親会を愉しみました。
(詳細は相武山だよりのウェブ動画を御覧ください)

相武山 山主

2023年12月28日

初冬の鎌倉を散策

12月2日(土)、穏やかな冬晴れのもと、有志の方々と古都鎌倉の散策を楽しみました。当山では近年、12月の初めに鎌倉の歴史と文化に詳しい酒井俊克さんにご案内頂き、日蓮大聖人ゆかりの鎌倉を歩いています。今年は手術明けの私の体調を考慮頂いたのでしょうか、日蓮大聖人が草庵を結ばれたと伝わる松葉が谷の旧跡を巡る平坦で穏やかな散策コースでした。

参加者は9時半に鎌倉駅西口に集合。初冬らしい澄み切った青空でしたが、思いのほか寒くはなく、散策日和のなか八幡宮参道の段葛へ。ここで酒井さんより散策コースに着いての説明をうけました。その後、小町大路を抜けて蛭子神社へ、ここは歴史の古い神社でこの地域は宗祖にゆかりのある地との解説。続いて北に歩みをとり、いつの頃か定かではないものの「日蓮辻説法の地」と伝わる場所に向かいます。伝説の地はすっかり整備され、その南側には新たに「鎌倉日蓮堂」なるものが新築されていました。私は50年ほど前から幾度も訪ねている伝説の地ですが、宗祖の遺徳顕彰のその変遷には驚きます。

その後、小町大路を下って琴弾橋へ、その名称の由来をうかがい、滑川をわたって大町方面へ。小町大路の東側の道を南下すると間もなく比企が谷の地に至ります。日蓮宗本山の妙本寺山門では比企一族のいわれと宗祖と大学三郎のご縁についての説明があり、その後、小道を南下。桟敷の尼のぼた餅伝説の常永寺の前を通り、八雲神社を過ぎて北条政子ゆかりの安養寺へ。安養寺の西裏手から一路宗祖ゆかりの松葉が谷旧跡へ、旧跡の伝説を伝える寺院は「妙法寺、安国論寺、長勝寺」の三ケ寺。
入場料を払って各寺院の境内に入り(長勝寺は無料)、酒井さんより丁寧な説明をうけました。断定はできないものの宗祖はこの地域に草案を結ばれ、一切衆生救済のため法華弘通に精励しておられたことがわかります。在りし日の宗祖を親しくお偲びする一時でした。

その後、浜門流の古跡実相寺、伊豆御流罪伝説の妙長寺、辻の薬師堂、辻説法伝説の本興寺を巡り小町大路から鎌倉駅へ。旧跡巡りの途中では鎌倉の地勢や古道、橋や井戸などについて解説をうけました。
散策の時間は例年より少し短く約3時間、芦川さんの歩数計では15,000歩だったそうです。日蓮大聖人への思慕を深める散策。参加の皆さまと一緒に私も完歩することができ有り難く感謝しています。

相武山 山主

2023年12月27日

思い込みに気づく(上)

~正しい認識を求めることが大切~

令和5年最後の日曜法話会は11月19日(日)午前11時の開催。
今回のテーマは奥が深いものです。解説の時間もかかのではないかと思い、法話会の趣旨は仏教の基本的姿勢をお伝えして本題に入りました。

テーマである「思い込みに気づく」ということは、「それは思い込みでは?」と考えてみる必要性があることを指摘しています。思い込みの定義は「合理的な根拠がなく、あるいはしばしば誤った根拠に基づいて、それと自覚せずに断定・確信・前提としている心の働き」といえます。したがって、思い込みに気づくということは、言葉を換えれば「正しい認識を求めること」になります。
また、あらゆる事物事象は変化して止まない存在ですから、その変化を認識できないということは、仏教的には八正道の第一「正見」を求めないすがたであり、迷いの世界に陥ることに通じていることを説明。

はじめに10月に始まった「イスラエルとパレスチナの戦争」や「日本経済の停滞と凋落」などから、私たちが無意識に「思い込み」に陥っていることがあることを指摘しました。
《イスラエルとパレスチナの悲惨な戦争》
10月7日、イスラム武装組織ハマスによるイスラエル攻撃から43日。
戦争の現状は悲惨で深刻。
「人命を救済する病院にもイスラエル軍が攻撃。その理由はイスラム組織ハマスの軍事拠点であるということ。病院は機能停止状態に陥っている。また、ガザ地区で安全な場所などどこにもない。イスラエルはハマスの組織完全排除をねらう。イスラエル側の死者は約1,400人。ガザ地区パレスチナ側の死者は12,000人以上。イスラエルとアラブ諸国の緊張が高まっている」ことを説明。

世界各国の姿勢は、「ハマスのイスラエル攻撃(市民殺害、人質拘束)を批判し、イスラエルの自衛と人質解放、軍事拠点の侵攻を支持する欧米などの国々。イスラエルの侵攻を批難し、パレスチナ擁護を支持し、戦闘停止を主張するアラブなどの国々。中立的立場から戦闘停止をうったえる国々。」という3者が存在しています。
イスラエル支持者とパレスチナ支持者には互いに思い込みが存在しており、それぞれの立場と考えから主張が展開されています。それは歴史的・地政的な見解であり、民族・宗教・文化的な見解と多岐にわたるものです。イスラエル支持派は「イスラエルのユダヤ人は明確な国土を持つことなく、長く流浪と厳しい迫害の歴史を余儀なくされてきた。」と主張し、パレスチナ支持派は「パレスチナ人は第2次大戦後、突然、自国にイスラエル国家が建設されて甚大な被害を被り、その後もイスラエルから迫害を受けている。」と主張していることを説明。

《日本経済の停滞と凋落》
日本の経済力と国力の現実を冷静に理解する時、国民の多くが思い込みに陥っていることに気がつくでしょうと以下を説明。
日本は果たして世界の先進国か?
(GDP国民総生産から・・・)
アジアの経済大国か?
(一人あたりGDPから・・・)
アジアの国々からの留学生や技能実習生の希望者?
(魅力的とはみられていない・・・)

★日本経済新聞(2023年10月24日)の報道を紹介。
『日本のGDPはドイツに抜かれ世界4位に(IMF予測)』 。
日本のGDPは長期的に低迷を続けている=ロイター
日本のドル換算での名目GDP(国内総生産)が2023年にドイツを下回って4位に転落する見通しであることが国際通貨基金(IMF)の予測で分かった。足元の円安やドイツの高インフレによる影響も大きいが、長期的な日本経済の低迷も反映している。

23年は日本が前年比0.2%減の4兆2308億ドル(約633兆円相当)、ドイツは8.4%増の4兆4298億ドルとなる見込みだ。1位の米国は5.8%増の26兆9496億ドル、2位の中国は1.0%減の17兆7009億ドルだった。
2000年の時点では日本の経済規模は今より大きい4兆9683億ドルで世界2位だった。00年初の円相場は1ドル=105円程度。当時のGDPはドイツの2.5倍、中国の4.1倍だった。10年に日本を抜いて2位の座についた中国は、23年には日本の4.2倍となる見込みだ。
第一生命経済研究所の熊野英生氏は「足元では金融政策の差により円の対ドル相場が下落していることが影響しているものの、長期的には日本の成長力の低下が背景にある」と指摘する。

『1人当たりの名目GDP』
それぞれの00年からの名目GDPの伸びを自国通貨建てに直すと、中国が12.6倍と突出する一方で日本は1.1倍にとどまる。伸びはドイツの1.9倍や米国の2.6倍を大幅に下回る。物価変動を除いた実質GDPでみても日本の伸びは1.2倍と米独よりやや低い。
1人当たりの名目GDPでは、日本は23年に3万3949ドルとIMFのデータがある190の国・地域のうち34位となる見込みだ。1位はルクセンブルクの13万5605ドル。日本は英国やフランス、イタリアなどより低く、35位の韓国(3万3147ドル)に肉薄されている。

2000年時点で、日本の1人当たり名目GDPは同187カ国・地域のうちでルクセンブルクに次ぐ2位の3万9172ドルだった。23年と00年を比べると日本の1人当たりGDPは13.3%減っており、日本経済の低迷を映す。
内閣府は2001年3月の月例経済報告の中で、日本が緩やかなデフレにあると初めて認定した。家計が貯蓄を優先したり、企業が新たな設備投資を抑制したりして経済全体にマイナスの影響を与えると警鐘を鳴らした。日本は生産年齢人口(15〜64歳)も95年から減り続けている。
熊野氏は「持続的な賃上げと、企業の稼ぐ力を高めるための生産性向上が急務だ」と指摘している。

以上のことから、我が国が経済大国でありアジアの大国という認識は、戦後の荒廃からめざましい高度経済成長を成し遂げ、世界第2位の経済大国となった昭和の時代の思い込みであることを説明。日本経済の停滞と凋落を冷静に理解することの大切さをお伝えしました。(つづく)
(詳細は相武山だよりのウェブ動画を御覧ください)

相武山 山主

2023年12月25日

秋季法門研修会を開催

11月12日(日)午後2時30分より秋季法門研修会を開催。
日目上人会に引き続いての研修会には12名が参加聴講されました。妙法院では春夏秋冬の四季それぞれに法門研修会を開催しています。そこでは1時間半から2時間ほど、法華宗日興門流の教えと信仰について学びます。それは法要や行事での法話では時間の都合上学び合うことが難しい御法門を、時間の余裕を持ってじっくりと学び、法華経と日蓮大聖人の教えをより正しく理解しようという願いによるものです。

今回の秋季研修会では『寺泊御書』を中心にした法門研修。御書システムの解題をもとに約50分ほど、龍ノ口法難から佐渡流罪にいたる日蓮大聖人の足跡をふまえ、その教義展開について解説。
この御書は佐渡にわたるために寺泊の地にて船待ちされていた宗祖が檀越の土木殿に宛てた書状。その内容は法華弘通による法難は法華経や涅槃経に説かれるとおりであり、もとより覚悟の上との心境を述べられています。

はじめに『涅槃経』に説かれる「贖命重宝」の法門について。
天台大師・妙楽大師の釈に依れば「命」とは『法華経』のことで「重宝」とは爾前経及び『涅槃経』のことであり、大事な『法華経』という命を助けるために重宝たる爾前経によって贖うという、『法華経』の絶対優位を示す法門であることが解説。また、天台大師こそ釈尊一代の教相を正しく判釈された唯一の人師であり、諸宗の学者は自義の誤りに執していることを指摘。殊に真言宗及び華厳宗は本師釈尊並びにその説教を相対化し、『大日経』は『法華経』に勝れるなどと邪義をたてていると強く批判されています。

次に「或る人、難じて云く」と、宗祖へ向けられる批判について。
宗祖への批判は「弘教の在り方」について、『勧持品』の深位の菩薩を気取って麁き義を用いるのは、分不相応なことで大難に値うのは自業自得であるとの難。「教相ばかりを強調し、成仏論たる観門が示されない」ということであるが、日蓮は法華経勧持品を身で読んでいるのであり、法華経が優れていることを知りながらどうして説相どおりに弘通しないのかと批判されています。
さらに、勧持品・不軽品の色読の大切さを強調され、勧持品と不軽品の教えは通底しており、法難を受けながらも法華弘通に励む日蓮はその両品を色読する者であり、日蓮は不軽菩薩であり、また勧持品の八十万億那由陀の菩薩の代官であるとの気概が示されています。

御書システムの解題では、「本状は短い書状でありながら、『開目抄』に繋がる重要な法義が集約されているとともに、後『観心本尊抄』によって開示された、当時の宗祖の法義的課題等が示されている点で重要な御書である」と述べられていることを紹介。

解題に基づいての解説の後は、参加者全員が寺泊御書の現代語訳をリレー式に拝読。原文ほどではないにせよ、難しい仏教用語や固有名詞などに手こずりながら、皆さんゆっくりと味わい深く読まれていました。不慣れな音読ですから、読めない字があったり、間違ったりと、少し苦労したかもしれませんが「御書に親しむ」の実践です。きっと大聖人さまの御照覧にあずかったものと存じます。
その後の質疑応答では「四箇の格言」などについて解説。夕暮れの時間が近づく午後4時、1時間30分の秋季法門研修会は終了。

相武山 山主

2023年12月23日

かぶ御講を奉修

11月15日は日興門流第三祖日目上人の祥月の御命日忌。
当山では12日(日)午後1時から御報恩の法要を執り行いました。日目上人会は略して目師会と称され、また、かぶ御講ともよばれています。当山でも御宝前に目師会ゆかりの蕪をお供えし、参詣の檀信徒の皆さまと倶に、法華経要品を読誦、献香、唱題と如法におつとめし御報恩申し上げました。

法要後の法話は「日目上人の御一代について」。御書システムの辞書を参考にその御生涯を解説。ご誕生から出自、修学から出家のいわれ、日興上人、日蓮大聖人との師弟のあゆみ、求法と弘通の御生涯をお伝えしました。ことに遺された申状に見られるように為政者への諫暁は数度に及ぶといわれ、生涯を法華弘通にささげられたことを門流末弟は銘記しなければなりません。

日目上人は建武の新政という時局の展開を迎え、高齢と体調の不良にもかかわらず京都をめざされましたが、美濃国垂井の地で御遷化されました。大石寺門流には「広宣流布の暁には日目上人が再誕される」という言い伝えがあり、稚児の小僧を大切にするという教えもありますが、それは目師の法華弘通の功績を称えた伝承でしょうか。
また、法話の結びには、天奏のお供をされた日尊上人(京都・要法寺開山)、日郷上人(保田・妙本寺開山)は後に門流の発展に大きな足跡を遺された方であることも紹介しました。

相武山 山主

2023年11月25日

平和を祈ろう(下)

ー 平和な社会は一人ひとりの心から ー

中東での深刻で悲惨な戦争の現状と遠因などについての解説に続いては「戦争と平和の基礎知識」。
★平和とは?
「戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま。心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。」のことです。《デジタル大辞泉》
「平和とは戦争や暴力がなく、社会が安定している状態のこと。国際関係においては戦争が発生していない状態を意味している。元来、戦争は宣戦布告に始まり平和(講和)条約をもって終了する。これにより平和が到来するとされてきた。国際連合憲章の下では、一般に、自衛権や安全保障理事会の決定に基づくもの以外の武力行使は禁止されており、伝統的な意味での戦争は認められなくなっている」ことを説明。

★戦争はなぜ起きるのか?
「戦争が起こる原因は多岐にわたる。一般的には政治的な問題や経済的な問題が引き金となることが多い。また、民族や宗教、領土などの問題も戦争の原因となることがある」ことを説明。

★戦争を防ぐために
「政治的な問題や経済的な問題を解決することが必要。また、教育や文化交流などの手段を通じて、人々の理解を深めることも重要。さらに、国際社会が協力して、平和を維持するための枠組みを作り上げることも必要。これらの取り組みが進むことで戦争を防ぐことができる」ことを説明。

★戦争を停止し平和をもたらすために(一般的な指摘)
戦争は人々の生命、財産、文化、環境などに深刻な影響を与える。平和をもたらすためには以下が必要となる。
『寛容さと理解』人々はお互いを尊重し、寛容である必要がある。異なる文化や価値観を理解し、受け入れることが重要。
『教育』平和についての教育は、人々が平和的な方法で問題を解決するためのスキルを身につけることができる。
『紛争解決』紛争解決の方法を学び、紛争を平和的に解決することが必要。
『国際協力』国際社会は、平和を維持するために協力する必要がある。国際機関やNGOなどが、平和維持活動や人道支援活動などを行っている。
『貧困削減』貧困は紛争の原因の一つであり、貧困削減は平和につながると考えられる。
『武器管理』武器管理は、武器の不正流通や違法使用を防止するために重要。
以上、平和をもたらすためには、寛容さと理解、教育、紛争解決、国際協力、貧困削減、武器管理などが必要であり、さらに人々が平和のために積極的に行動し、努力することが必要であることを解説しました。

小結としての「学ぶべきこと」については、『戦争やテロの根本原因を識ることが大切。人類の歴史は戦争の歴史ともいえる。侵略戦争やテロは人や組織や国家などの欲望の追求によって発る。欲望追求と怒りのためには暴力的行動も辞さず大きな犠牲も躊躇しないという愚かな思考が戦争を招来。他者の存在と主張をまったく尊重しないという歪んだ姿勢が問題。平和と共存を求めてきた人類の歴史を理解できない愚かさ。三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)に翻弄される人々や組織、国家の有り様が戦争の原因。戦争を回避し平和を構築するためには、一人ひとりの心に「平和を希求する意識」が確立されなければならない。』
とお伝えしました。

《平和を祈ろう》
テーマの「平和を祈ろう」について、「戦争は三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)から生まれることを知る。平和は各自が意識し、その維持に努めないと脅かされる。平和を常に意識し言動によって表現する。祈りは心のはたらきだが、その実践が大切(仏神を信ずる人はその対象に、対象がない方も森羅三千の法界に)。平和な社会は一人ひとりの心の持ち方によって維持される。」ことを述べて第一部「世相」を終了。

《仏教に親しむ》
第一部の予定時間がかなり超過してしまいましたので、第二部「仏教に親しむ」では日蓮大聖人の立正安国論のお言葉を紹介するばかりとなりました。大乗仏教、ことに法華経の教えは現実世界での具体的な苦悩からの救済を願い、自分と他者が倶に救われることを願う仏教であることを日蓮聖人の言葉からお伝えしました。
『立正安国論』には
「倩微管を傾け聊か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是れを以て魔来たり鬼来たり災起こり難起こる。言はずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。」とご教示。
続いて
「帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈に驚かざらんや豈に騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。 汝須く一身の安堵を思はば先づ四表の静謐を祈るべきものか。」とご教示です。これらのお言葉から平和を維持できなければ自身の安寧も保たれないことがわかります。

レジメでは他に『白米一俵御書』『曾谷殿御返事』『減劫御書』『諸経与法華経難易事』を現代語訳つきで紹介しましたので、帰宅されてからじっくりと拝読されることをお勧めしました。
前の大戦以来、我が国は長く平和を享受してきましたから、平和ボケとまでいわれることがありますが、実はそんなに安全安心な環境ではありません。冷静に見渡せば戦争状態を維持している北朝鮮、北方領土をめぐるロシアとの緊張、尖閣諸島の領有を主張して領海侵犯を重ねる中国、また、竹島問題でも韓国と争いがあります。近隣諸国との関係は厳しいものがあるのです。さらに台湾問題や南シナ海での中国と東南アジアとの領海争いは危険水域にあるといっても過言ではないでしょう。
不安を煽るつもりはありませんが油断は大敵、努力なしに平和は維持されないことを理解しなければなりません。

10月度の日曜法話会では、未だ止まぬロシア軍のウクライナ侵略戦争、そこに中東、パレスチナの武装組織ハマスとイスラエルの戦争が勃発という事態を直視し、時に当たり参加聴聞の皆さまと一緒に「平和」について考えた次第です。所詮、戦争は個人や組織、国家の三毒から発り、平和は他者への尊重と慈悲心によって維持されることを学び、平和を希求する仏教徒としては、これからも油断なく平和を祈り、その輪を広げることに努めて行く想いを新たにしました。

相武山 山主

 

2023年11月22日

平和を祈ろう(上)

ー 平和な社会は一人ひとりの心から ー

10月度の日曜法話会は14日・15日に奉修した御会式の関係から月末の29日(日)に開催。中東(世界の火薬庫といわれる)で10月7日、パレスチナの武装組織ハマスによるイスラエル攻撃から、パレスチナのガザ地区で双方が激しい戦争に突入。その悲惨な状況はリアルタイムで連日世界中に報じられていることから、法話会のテーマは率直に「平和を祈ろう ー平和な社会は一人ひとりの心からー」としました。

《長期化するウクライナ戦争》
はじめに、昨年2月からのロシア軍のウクライナ侵攻とその現状について解説。長く続く戦争にはつい慣れが生じてしまいそうになるのが人情ですが、それは実に愚かなこと。戦争の起こりをよく知って、その現状から眼をそらすことなく平和への祈りと願いをもち、各自ができるだけの支援を心がけなければならないと思うのです。
2022年2月からの戦争は1年8ヶ月に及び、その「甚大な戦争被害、深刻な死傷者、家族の喪失、インフラと経済の破壊、国土の荒廃」は眼を覆うばかり。ウクライナはロシア軍を国外に追い出そうと死力を尽くして反攻していますが終戦の出口は未だ見えません。

2023年10月28日時点で、「ウクライナでは少なくとも1万1000人の民間人が死亡と推定(国連人権高等弁務官事務所)。ウクライナから国外へ避難した人は約800万人を超える(同国連難民高等弁務官事務所)。ウクライナの経済的損失はこの時点で約1兆ドルに上ると推定(世界銀行)。」と報じられています。
ロシア軍の侵攻はウクライナだけでなく、世界中に大きな被害をもたらしていて、エネルギー価格や食料価格の上昇など世界経済への影響は深刻です。

ロシア軍とウクライナ軍の戦死者の数は両国ともに未公表ですが、ロシア軍の戦死者はウクライナ軍の発表で27万7660人、米政府の推定で18万9500人~22万3000人、米政策研究機関「戦略国際問題研究所」の推定で最大約7万人。戦略国際問題研究所の推定では、ロシア軍の戦死者が第2次世界大戦後に関わった全ての軍事作戦の合計戦死者数を超えたとしていますから驚くばかりです。他方、ウクライナ軍の戦死者の数は約12万人、米政府の推定で7万人~12万人といわれています。戦闘で命を失う兵士の数は平時には想像もつかないほどの数であり、その死を悼み悲しむ家族・親族は数え切れません。

2023年10月28日現在、ウクライナ国内には「完全に生命の安全を保障される場所はない」といわれています。ロシアとウクライナは双方ともに戦争を停止したい思いはあるのでしょうが、引くに引けない状況のようです。戦闘の長期化については「両軍とも戦争で勝利するために、引き続き戦闘を続ける意欲がある。戦争の長期化によって、両軍とも戦争に慣れ、戦闘を続ける能力を高めている。」といわれていることを説明。世界に大きな影響を与えているロシアのウクライナ侵略戦争の終結が難しいことをお伝えしました。

《止まぬ戦火》
中東パレスチナのガザ地区で武装組織ハマスとイスラエルの激しい戦闘が始まりました。きっかけは武装勢力ハマスがイスラエルの国境を越えてイスラエルを急襲。多くのイスラエル人を殺傷し、さらに多数の人質を取ったことによります。そのためイスラエルは容赦なくガザ地区に侵攻、パレスチナ人を大量に殺戮して報復し、徹底的にハマスを壊滅する作戦を展開しています。

その経緯について以下「朝日デジタル」の報道から解説。
『パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスは7日、イスラエルに対する大規模攻撃を始めた。大量のロケット弾発射に加え、数十人の戦闘員がイスラエル領内に侵入し、民間人らを襲撃している。ガザ地区はイスラエル軍が封鎖しており、この規模の「侵入」は極めて異例だ。
ー略ー
商都テルアビブやエルサレムを含む広い地域で空襲警報が鳴り響くなか、ハマスは声明を発表し、「敵が説明責任を果たさずに侵略を続ける時期は終わった」として、攻撃に踏み切ったと述べた。米紙ニューヨーク・タイムズは、この日はユダヤ教の祭日で、攻撃は「前触れなく始まった」と報じた。また、ガザからの攻撃としては「ここ数年で最大規模」とした。
イスラエル軍は、報復としてガザ地区を空爆した。カタールの衛星放送局アルジャジーラが報じたガザ市内からの映像では、街の複数箇所で黒煙が立ち上っている。イスラエルの報復攻撃によるものとみられる。
イスラエルと、ハマスをはじめとしたパレスチナ武装勢力の間では、これまでも軍事衝突が繰り返されてきた。21年5月には両者の大規模な衝突が11日間続き、双方で270人以上が死亡した。
一方、昨年末にはイスラエルで史上最右翼と評されるネタニヤフ政権が誕生。パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の併合を訴える極右政党が政権入りして以降、より強硬な対パレスチナ政策をとってきた。AFP通信によると、イスラエル治安部隊による「対テロ作戦」やパレスチナ側の襲撃で、今年に入り、少なくともパレスチナ人247人が死亡、イスラエル側でも32人以上が死亡。昨年以降例年以上の犠牲者が出ており、イスラエルとパレスチナの緊張は高まっていた。(エルサレム=高久潤、カイロ=武石英史郎)

次に、紛争の原因を知らなければその解決について論じることはできませんから、「なぜイスラエルとパレスチナの紛争が絶え間ないのか?」について、以下、『朝日新聞デジタル「そもそも解説」』から「紛争の歴史」について略述しました。
★イスラエルとパレスチナは、なぜ対立しているのか?
イスラエルは1948年に建国。欧州などで迫害されたユダヤ人が、祖先の土地に国をつくる運動を始め、移住した場所がパレスチナだった。建国に伴い、パレスチナ人(アラブ人)は故郷を追われた。
反発するパレスチナ人をアラブ諸国も支援し、イスラエルとの戦争が繰り返された。パレスチナ民衆によるインティファーダ(対イスラエル蜂起でも、双方に多数の犠牲者が出た。

★今回のハマスの攻撃が第4次中東戦争と重ねられている理由?
第4次中東戦争は73年10月6日、エジプトとシリアによる奇襲で始まった。イスラエルはユダヤ教の祭日中で、不意打ちにあって劣勢を強いられた。反撃に転じて約1カ月で停戦に持ちこんだが、緒戦で辛酸をなめた記憶はイスラエル国民の間で語りつがれている。
今回の攻撃は、50年前とほぼ同時期の祭日に起き、イスラエルが兆候を察知できていなかった点で通じる部分がある。ただ、占領したパレスチナを監視下に置きながら「奇襲」を受けたことは衝撃をもって受け止められている。

★両者が和平を試みたことはあったのか?
1993年、イスラエル政府とパレスチナ解放機構(PLO)は、仲介したノルウェーの首都オスロでの協議を経て、米ワシントンのホワイトハウスで「オスロ合意」に調印した。イスラエルと、独立したパレスチナ国家が共存する「2国家解決」を目指すという方向性が打ち出された。
ただ、パレスチナ人が住んでいた土地にユダヤ人が力ずくで住宅などを建設してしまう入植の問題や、双方が首都と主張する聖地エルサレムの帰属など、難しい課題は「将来の交渉」に委ねられた。

★交渉に進展は?
双方による襲撃事件や軍事衝突が後を絶たず、破綻してしまった。パレスチナ自治区は、パレスチナ自治政府が治めるヨルダン川西岸地区と、ハマスが実効支配するガザ地区に分裂。ハマスはイスラエルの存在を不正とし、自治政府の主流派ファタハとは一線を画して武装闘争を重視する。イスラエルは2007年にガザを封鎖した。米国が仲介する和平交渉も14年から中断している。
近年は、パレスチナを支援してきたアラブ諸国とイスラエルの関係改善が進んでいた。パレスチナ問題が置き去りにされ、ハマスは不満をつのらせていたとみられる。
(エルサレム=高久潤)
以上の解説を通してパレスチナとイスラエルの紛争の原因と現状を正しく知り、世界の人々が叡智と勇気を持って戦争終結と平和の維持に努めることが大切であることをお伝えしました。(つづく)

相武山 山主

2023年11月20日

病によりて道心は起こり候(中)

~道心はいずこから~

太古の昔、人類はさまざまな意味で弱くもろい存在でしたから、自然に自らを支え育む存在に敬意を払い、怖れ敬って来ました。それが宗教の原型といってもよいでしょう。その後の人類の歩みにも宗教は功罪両面にわたって大きな足跡を残して現在に至っています。他方、現代では文化文明の発展や科学の進歩、政治システムや生活スタイルの変遷、宗教教団の堕落や魅力の欠如などによって、宗教が軽視されたり疎んぜられることも多くなってきました。

我が国は歴史や文化の上から大乗仏教ゆかりの国です。しかし、仏事や儀式、習俗や慣習となってさまざまな仏教由来の文化や思想は存在していますが、人々の日々の生活に溶け込んでいるとは言い難い様相です。したがって、仏教徒という自覚をもち、信仰生活を大切にしている方は少数派といっても過言ではありません。
また、冠婚葬祭やクリスマスなどの姿を見ても、仏教やキリスト教を中心とした宗教や信仰を用いることはあっても、その時だけ、形だけというのが実態で、その教えや信仰を肯定して敬うようなことは少なく、逆にカルト宗教や新興宗教などの愚かな言動やトラブルを見て、宗教そのものを忌避したり偏見を抱くことの方が多いように思えるのは残念な世相です。このような姿は宗教本来の崇高で尊い世界を伝え切れていない私たち日本の仏教信仰者の無力さを示してもいます。発憤して精進を重ねて行きたいものです。

《支え育んでいる存在を識る》
私たちは誰一人、「自分だけで生きている」ということはいえませんし在り得ません。自分という存在は両親の生命を継いだものであり、人生を歩むためには、数え切れないほどの人々のお世話になっています。また、天地自然の恵みと運行に支えられ育まれている存在なのです。
人間は自らの限界や有限性を識ることによって初めて生命や人生、社会や自然に謙虚な心を持つことができます。他方、何でも思い通りにできる、やれると考えている人、それが幸せだと思いこんでいる人、我が身の言動や振る舞いを反省しないような人が謙虚な心を持つことは難しいものです。
謙虚の押し売りをするつもりはありませんし、謙虚な生き方を貫くことで傲岸不遜な方などから軽んじられることがあるかもしれませんが、それでも冷静に人生や社会、環境や自然の営みに眼をこらせば謙虚にならざるを得ないのが事実です。また、謙虚な心は穏やかな人生、楽しい人生、たしかな人生、そして生死を超えた世界への安らぎももたらしてくれます。

前述のように人類の誕生と倶に原始的な宗教性は存在していたようですが、人類が歴史を積み重ねるうちに世界中に多くの宗教が誕生し展開され今日に至っています。宗教にはそれぞれに教えや価値観がありますが、通底しているのは「自分自身を支え育んでいる存在がある」という認識ではないでしょうか。その存在をキリスト教やイスラム教などでは神と称して敬愛し、仏教では法(ダルマ)もしくは仏・菩薩と称して尊崇します。その他の宗教でも同様に信仰の対象として敬っています。
「自分の力だけで生きている。己の智慧才覚で生きている。頼るべき確かなものなどない。信仰など心の弱い人がするものだ・・・」などと傲慢な心には仏神への信仰などが芽生えようがありません。

しかし、誰もが生老病死は免れませんし、自然災害や人的災害、事故や戦乱もいつ我が身に降りかかって来るかもわかりません。現実に被らなければ実感として考えられないというのは当然ですがやはり想像力が大切です。善につけ悪につけ、想像力は人生の智慧であり大きな力となるものです。
想像力の最たるものは自分自身を支え育んでいる存在を識ることではないでしょうか。私たちが人としての生命を頂戴したのには両親の存在があります。また、その両親にも両親がいて、遡れば人類の誕生や地球の誕生、宇宙の誕生までたどることができます。さらにその生命の誕生と維持継続には無量無辺のはかることのできないものが存在しています。宗教はその根本的存在を指し示している教えといえるでしょう。

前に述べた、仏法(仏の覚られたダルマ)や仏・菩薩、キリスト教やイスラム教などの神は、眼で見てわかる、ふれてみてわかるというものではなく、信じなければ観ることも感じることもできない存在です。これは仏像などを崇拝する仏教よりもキリスト教やイスラム教などの方が顕著といえるでしょう。
昔から俗に困った時などには「南無三(三宝尊、仏宝・法宝・僧宝に帰依します)」と唱えたり、「助けてください仏さま、神さま」と闇雲に言葉が出ることがあります。その姿に顕れているように、私たちが謙虚になり、信仰心を発す時は困った時や自分の有限性に気づいた時が多いものです。稀に信仰心や向学心から仏教に目覚める方を見かけることはありますが、一般的には悩みや苦しみを契機として、貧困や病気、事故や災害などに直面して信仰心を発すことが多いように思います。それはとても自然なことで、日蓮大聖人の「病によりて道心は起こり候」とのご教示の本意もそこにあると思うのです。

また、仏道への志(道心)は今世と来世、二世に安らぎと悦びをもたらすものです。道心のように謙虚で敬虔な心がなければ、人生や世相を「苦楽、喜怒、悲喜、好悪、利害、得失、損得、功罪、吉凶、栄枯、盛衰、明暗、晴雨、可否、強弱、・・・」などと対立的に観るばかりで、対比するものの根源にある絶対一元の世界の豊かさとおもしろさに気づくことはできません。
日蓮大聖人の『立正安国論』には「汝、信仰の寸心を改めて実乗の一善に帰せよ・・・」という言葉がありますが、どのような事態も心の持ち方一つで大きく様変わりするものです。あらゆる事物事象は変化して止まないのですから、けっして一時の事態を断定して落ちこむことのないように注意したいものです。私たち仏教徒は自身の有限性と諸行の無常を謙虚にみつめ、我慢・傲慢の心を調えて道心を起こし、日々の生活に仏法(仏の覚られた心身を支え育む存在)の智慧と功徳を味わって行きましょう。

相武山 山主

2023年10月28日