相武山 妙法院のブログです。
6月下旬の猛暑から一転、7月中旬には戻り梅雨、そして各地で線状降水帯による水害と、誰もが天候の不順を覚えないわけにはまいりません。しかし、7月初旬からの蝉の声は途切れることはなく全国で月遅れのお盆を迎えます。
猛暑の夏、月遅れのお盆は我が国の風物詩ですが、お盆は仏教行事が1500年の歴史を経て文化となり習俗となって国民に定着しているものです。横浜や東京など明治から新暦で営む地域もありますが、全国的にはお盆といえば月遅れの8月に営む家庭が多いものです。
お盆そのものは仏教行事の一環ですが、一般的には夏の休暇や帰省などに利用する方が多く季節の言葉ともいえます。もちろん、菩提寺やお墓にお参りしたり、仏壇を調えてご先祖や有縁の精霊を自宅に迎える家庭も少なくありませんあい、家庭ではきっとお盆のいわれや家族・親族・友人などの近況も語られることでしょう。
同じお盆でも亡くなった方の初の新盆(にいぼん)を迎えるご家庭では特別な感慨を覚えることでしょう。昨年の夏までは言葉を交わしていた親しい方が今年はもういらっしゃらないのですから。
「お盆にはお家に還ってくる。お盆は家族と一緒に過ごしたいだろう・・・」という故人への想いが、お墓に迎えに行ったり、盆棚や盆飾りを作ったり、家族や親族、友人を食事に招いたり、迎え火や送り火というお盆の風情に表れています。
新盆は自宅で営まれるのが常ですが、時に事情によって妙法院で営む方もいらっしゃいます。妙法院では毎年前年の6月からその年の5月までに逝去された方々に、「新盆を迎えるにあたって」とのしおりを入れて新盆のご案内をしています。
その一端を紹介します。
「【新盆の迎え方】大切な家族である故人の御霊を自宅に迎えて、初めて倶に一時を過ごすのが新盆です。一般的には御本尊を祀る仏壇の近くに『盆だな(精霊だな)』を飾り、季節の野菜やくだもの、供養の料理等をお供えします。準備が調いましたら僧侶をお迎えし、故人と先祖のために読経・唱題をお勤め頂きます。お参りを希望されるご親族や友人には、僧侶来宅の時間などを予めお伝えします。時間外にお参り頂く方のためには、お線香やお焼香を準備しておき、お持ち頂いた供物などは盆だなの前にお供えします。」
というものです。
お盆は時代や宗派、地域や家庭によって異なりがあり一様ではありませんから、そんなに神経質になる必要はありません。故人への想いが大切なのです。とはいえ仏事はわからないことが多いと思いますので、不明な点があれば遠慮なく妙法院までお尋ねください。
今年も新盆のお参りを迎えます。当山で新盆を迎える方は旧知の方が大半、すべての方々が何らかのご縁があります。昨年の夏には熊木美代子さん、竹越敏弘さんがご逝去。共に約40年に渡るご縁を頂いていました。秋には関根サダさんからのご縁となる野中寿子さんがご逝去。
年末から春にかけては当山開創以来の法友である下條優理子さん、樺山明子さん、三浦ふじさんがご逝去。川崎の下條さんは昭和56年秋頃、樺山さんと三浦さんは昭和55年秋からのご縁です。それぞれ当山開創当時から共に信行に励んできた私にとっては大切な同志です。40年以上のご厚誼を頂戴していますから思い出は語り尽くせないほどあります。お一人おひとり個性豊かで真面目で明るく朗らかな方々でした。おもしろいエピソードも豊富にありますので機会があれば紹介したいと思っています。
幸いなことにご家族の方々が信仰を継承されており、今月は新盆のお参りにうかがう予定になっています。
新盆では故人が大切にしていた日蓮大聖人の教えに則り、法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、在りし日を偲びつつ追善御回向を申し上げます。
相武山 山主
2022年08月01日
もどり梅雨のような天候が続いた7月13日、15日、16日の三日にわたって新暦の盂蘭盆会を執り行いました。妙法院では新暦の7月にお盆の供養をされる方と月遅れの8月にお盆の供養をされる方が居られます。したがって7月と8月の二度法要を執り行うことになります。以前は7月に参詣される方が多かったのですが近年は8月にシフトしているようです。
13日(水)は宗祖の報恩講とご一緒に追善の供養を営みました。15日(金)には法要に先立ち三師塔にて御報恩の読経・唱題を申し上げ、続いて永代供養墓久遠廟と樹木葬墓地での供養会を執り行いました。時折強い雨が降るなか午後1時から盂蘭盆会を奉修。
法要では参詣者の唱題の裡に住職が下種三宝尊への献膳。続いて塔婆が建立された精霊壇でも献膳。その後、法華経要品読誦、寿量品では参詣者が順次精霊壇に進み懇ろにお焼香。唱題を勤めて住職により先祖有縁精霊への御回向がなされました。
法要後の法話では始めに盂蘭盆会のいわれについて「盂蘭盆会は飛鳥の時代、推古天皇(西暦606年)十四年七月十五日斎会を設けたのが初めてとされる。当初は朝廷や貴族、有力者たちによって営まれていた仏教行事。江戸時代に檀家制度などによって庶民にも広まり今日では日本の習俗、伝統となっている。盂蘭盆の由来は目連尊者がその母青提女を餓鬼の世界から救う物語。慳貪の科によって餓鬼の世界に堕した青提女の姿を通して、我々凡夫が欲望に振り回され苦海に誘われることを誡めている仏教行事。また、関東などでは新暦7月15日に盂蘭盆会を執り行っているが、全国的には月遅れの8月15日が多く、旧暦で行う地域もある」と解説。
続いて7月は日蓮大聖人が立正安国論を時の為政者に建白された月であることから安国論の前段と末文を拝読。
「立正安国論に示された宗祖の仏教観は大乗仏教の精華たる法華経の具現化にある。それは釈尊の原始仏教やその後の上座部仏教にみられるように、特定の限られた人々が己の煩悩を断尽して専ら覚りを追求し、六道輪廻を解脱することをめざす自利の仏教ではなく、仏教の基本思想を修めながら現実世界の矛盾や不条理を超克して、自他共に仏国土の建設に努める大乗の仏教。また、日蓮大聖人の仏法は厭離穢土・欣求浄土を希求する浄土教のように娑婆世界を厭うのではなく、さまざまな障害のために仏道修行をおさめることが難しい現世であるからこそ、分に応じた仏道を修めて法華経への信仰を決定し、現世では刹那の成道に安らぎ、来世は法華経の説かれる霊鷲山に往詣する功徳を積む教えである」と述べ、仏道修行の一環として盂蘭盆会に参詣することもたしかな功徳であると法話を結びました。
今年の新暦のお盆はコロナ禍の第7波が押し寄せたことと、戻り梅雨による連日の降雨もあって例年よりも参詣者の少ない静かなお盆でした。
相武山 山主
2022年07月28日
12月12日(日)S吉樹莉ちゃん(7才)がご家族と七五三祝いに参詣されました。一昨年7才だったお姉さんの樹菜ちゃんは、おばあちゃんの逝去などでお祝いができなかったために樹莉ちゃんと一緒にお参り。
七五三祝い参りは幼子の成長を祝いこれからの無事を願う古来からの儀式です。現代は子どもが無事に成育することが難しかった時代とは異なりますが、幼子の健やかな成長を願う親心は変わることはありません。
おめでとうございます。
相武山 山主
2021年12月30日
昨年春からのコロナ禍のために寺院行事は大きく制約を受け、年中行事をはじめ各法要行事に大きな影響を蒙っています。緊急事態宣言の発出による影響はもちろんのこと、感染予防の基本は三密ですから、密接、密集、密閉のすべてに該当する法華の道場では活動を自粛せざるを得ない状況が今に続いています。
自粛は寺院の法要行事ばかりでなく檀信徒の方々の仏事法要にも及びました。コロナ禍の吹き荒れた昨年は、家族親族が集まることを遠慮されて、御供養やお供物をお届けになり、参詣者がいないという法事が数件ありました。今までも高齢や体調不良などで参詣者不在の法事はありましたが、今回のようにコロナ禍によるものとは趣がかなり違います。
法事は仏教信仰の篤い家庭、儀礼を大切にされる家庭では至極当然に営まれてきました。また、近年旅立たれた家族のおられる方や先祖への想いが在る方にとっても自然なことといえるでしょう。しかし、仏教や信仰と無縁であったり、法事をしたことのない家庭で過ごされた方にとっては思いつかないものかも知れません。
ゆかりある故人のための法事は仏教の一つの儀礼ですが、仏教信仰から芽生える知恩・報恩、追善供養という思いばかりではなく、故人との縁から家族の絆を確認したり、故人との思い出から自分自身を見つめたり、さまざまな人情が行き交うものです。また、家族親族がゆかりある故人のために集い、旧交を温め合うことにも人生の一つの意味があると思います。
当山で営まれる法事は富士日興門流の化義作法に則ったもので法式はすべて同様ですが、各法事がまったく同じということではありません。というよりも法事は営まれる施主と臨席される方々によってそれぞれ異なるものです。それは霊山に旅立たれた故人とご家族の関係、旅立たれてからの時間の経過とご家族の在りようによって法事の雰囲気がちがうことからもわかります。そこには時のながれと家族と一人ひとりの人生が投影されているように思えます。
2月6日(土)、H家(横須賀市)の第13回忌法要が当山で営まれました。Hさんのお母さまは当山開創当時からのご信徒で強盛な法華の信仰者でした。Hさんとはお母さまからのご縁となります。今から16年ほど前、羽沢の妙法院にご夫妻で突然お見えになり、お母さまから「悩んだり、迷ったり、困ったら、ご住職のところへ」と言われていたので来られたということでした。
それ以前にもお父様の法事などでお顔は拝見していたのですが、親しく言葉を交わすことはあまりありませんでした。来院の理由は奥様がかなり厳しい病であると診断されたので、病気の平癒をご本尊様に祈念してほしいということと、どのように気持ちを立て直して病気に向き合えば良いかというお尋ねでした。
その日のご夫妻は、病気についても明るく話される奥様と、すっかり落ち込み意気消沈しているご主人でまさに対照的。お二人のその姿を今でも鮮明に覚えています。ご主人の憔悴している姿の理由は「うちのやつがいないと私はだめなんですよ・・・」という一言で合点がいきました。
夫婦や親子、家族や親族のことは当事者同士でなければその関係はよくわからないものです。時に無責任に他の家庭のことをあれこれと詮索したり、一方的知見で勝手なことをいう方を見聞しますが、実に失礼なことであり不見識ではないかと私は思っています。
しかし、Hさんの言葉と態度、奥様の子どもを見守るかのような優しい眼差しから、このご夫婦は深い愛情で結ばれていることが自然に伝わってきました。お話をうかがいながら病気のことは病気のこととしてご夫妻の睦まじさに心打たれたことを記憶しています。
私からは、「仏教では現実を直視して目をそらさずに自らの課題に向き合うことが大切と教えている。誰もが生老病死を免れることはできず、自分だけが病を得たのではないことを認識しなければならない。病の床に伏しても一人ひとり状況がちがう、それは心の持ちようが異なるからで、病に伏しても御仏の救いと導きを信じて仏道に心を寄せ、仏法を生きるエネルギーとして希望をもって日々生活してほしい。心新たに法華経を読誦し南無妙法蓮華経のお題目を唱えて仏道の功徳を積みましょう」とお伝えしました。
結びに「得たものがあれば失うものがあり、失えば得たものが必ずあるのが真実ですから、病をよく見つめて、失ったもの、得たものをよく考え、一日一日を大切に過ごしてください」と申し上げ、その後、ご夫妻と一緒に勤行・唱題をつとめて奥様の当病平癒の御祈念を申し上げました。
残念ながら3年後に奥様は霊山に旅立たれました。愛情が深いということは悲しみも深いということですから、Hさんのことがとても心配でしたが、深い悲しみにもかかわらずHさんはご家族と倶に真心こめて葬儀を営まれ、その後、折々の年忌法要も丁寧に営まれています。もちろん、春秋の彼岸会や盂蘭盆会の供養も欠かされることはありません。
第13回忌法要は逝去されてからまる12年の歳月が流れたということになります。乳飲み子も健やかに成長しました。少年は青年となり、3人の子どもさんもそれぞれ立派に家庭を築かれています。Hさんは数年前に大病を患われましたが、仏天のご加護と霊山の奥様の見守りを得て無事に回復され元気に生活して居られます。
奥様もきっと完爾として笑みを浮かべておられることでしょう。
当山では毎月1件~3件の法事が執り行われます。それぞれのご家庭のありようで法事も異なり、お一人での法事もあれば20名以上のにぎやかな法事もあります。いずれも現世に生きる者と御仏の世界に身を置く者が、仏法を中心に心を通わせ想いを馳せる機会となっています。
相武山 山主
2021年02月28日
日本では仏教伝来のいにしえから故人や先祖のために追善供養として法事が営まれてきました。しかし、釈尊が仏教を創始されたインドでは先祖崇拝や故人への追善供養という意識はみられません。釈尊の入滅後仏教が北方インドからアジア全域に伝播し、やがてシルクロードを経て中国にも受容されましたが、中国では在来の道教や儒教の影響をうけた格義仏教となりました。その中国仏教は韓国経由で我が国に伝えられ、日本では土着の祖先崇拝が仏教と融合し、伝来当初より故人や祖先のための追善法要が営まれるようになったのです。
【檀家制度・・・】
飛鳥の昔から徳川の時代まで仏教は国の権力者から地方の有力者まで篤い帰依を受け、彼らの精神的支柱でもありました。したがって冠婚葬祭などの儀式も仏教の教えや作法の影響を強く受けたといっても過言ではありません。今では想像もつかないでしょうが天皇家の葬儀も明治以前までは長く仏教式で執り行われていたのです。
さらに徳川幕藩体制のもとキリシタン禁教令がしかれ、檀家制度によって庶民もすべて仏教徒であることを強制されました。檀家制度は徳川幕府の後ろ盾によって仏教教団や寺院に権威や権力をもたらしましたが、仏教本来の自由闊達であった教学や布教に大きな制約をもたらし、今日にいたるまでその弊害がみられるのは残念です。
また、檀家制度は家父長制にも通じるシステム。戦後、基本的人権や民主主義を尊重する我が国では、夫婦や親子、家族や親族の在りようなども歴史的変化を遂げつつあります。各自の思想や信条、信教の自由も憲法で保障されていますから、曖昧模糊とした檀家制度への認識も見直しが迫られているように思えます。
私の口癖ですが『何事にもプラスとマイナスがあります』。檀家制度にもさまざまな負の問題はありますが、仏教の教えや儀礼を護り伝えて人心を涵養し、人徳を増すよう導いてきたというプラス面もありました。また、地域に根ざしたまじめな寺院の多くは迷い悩む人々の心のよりどころともなってきたのです。さらに檀家さんが菩提寺を精神的にも経済的にも支えることによって仏教を護り、日本の伝統や文化を伝えてきたことも事実です。
さて、檀家制度によってすべての国民が仏教寺院に所属することになりましたから、人々の生活全般に仏教の教えや儀礼が影響を及ぼし、やがて文化・伝統、習俗・風習となって今日まで伝えられているものも少なくありません。先祖や故精霊への追善供養を営む法事もその一つです。
前のブログでもふれましたが多くの人にとって人生は艱難辛苦に満ちたもの、その人生を全うした故人の尊厳に想いをはせ、縁者として来世の安楽と福徳を祈る厳粛な儀式が葬儀。心の想いはかたちに顕されることによって伝えられるもので、言葉や態度、振る舞いなどが問われるゆえんです。
故人への想いが問われる葬儀も一部では簡便化されたり不要とされる時代となっています。このような世相については仏教者からの説明や案内、さらに適切な対応がなされていないという指摘もあります。私たち仏教寺院は誰もが気軽に相談できるお寺を心がけ、縁者の方々が負担とならない葬儀を執り行えるように努めなければならないと自戒するところです。
【追善の法要】
日本の仏教徒の多くは葬儀の後に追善供養の法事を営みます。追善供養とは故精霊のために仏事を執り行い、仏道修行の功徳善根を故精霊に回向する供養のことです。葬儀直後には七七日忌(四十九日忌)法要。その後、百ケ日忌、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌と続きます。当山でもお正月にその年度の年回忌表をお渡していますが、法事を営むか否かは縁者と各家庭の想い次第でありそれぞれの都合によりますから、できるときもあればできないときがあるのも自然です。
当山では毎月法事があるわけではありませんが、墓所などの開眼を含めて年間に20件~40件ほどの法事を執り行います。コロナ禍の今年は法事も少し趣を異にしていました。今までも『高齢や体調不良のために参詣できないのでお寺の方で御供養してほしい・・・』という依頼はありましたが、今年は『無理して参詣できないわけではありませんが、コロナ禍のなか家族や親族にも心配をかけたくないのでお寺の方で供養して頂けませんか・・・』というお申し出が数件あったことです。まさにコロナ禍が檀信徒皆さまの法事にも影響しました。
もちろんこのような時局下ですが、今月も感染予防を徹底し参列者を限定した追善法要が営まれました。金子家が第一周忌、小出家が四十九日忌、青野家が二十三回忌と二十七回忌、菊地家が有縁精霊への供養、豊島家が墓所開眼法要などです。法事のあり方も自身の置かれている環境や時局によって変化することはやむを得ないことです。大切なことは縁の深い人への想いであり仏道の功徳を回向しようという志だと思います。
よく日本の仏教は葬式仏教と揶揄されますが、当山では葬儀や法事などの機会を通じて仏教のおしえの一端なりともお伝えしたいと願っています。そのため、追善の法要は故精霊への回向が主眼なのですが、仏教をお伝えする佳い機会と考え拙い話ではありますが、御回向の後、10分前後の法話を必ずさせて頂き仏縁を深めて頂くよう努めています。
相武山 山主
2020年10月27日
朝から夕刻まで3つの行事が重なった13日の夜、小出さんの奥様からご主人が逝去されたとの報せをうけました。小出さんは88歳という高齢でもあり、ここ数年は不調なご様子でお寺にお参りされることもできませんでした。自宅で奥様の献身的な介護のもと穏やかに過ごしておられたようです。
今月初旬から入院されており、奥様は医師から『万全を尽くしてはいますが、高齢の上に体調も不良ですから心の準備をしておいてください』と伝えられていました。私も逝去される数日前に奥様から状況の報告を受けるとともに葬儀についてのご相談をうけました。
奥様からは『葬儀の執行はもちろんご住職にお願いするのですが、菩提寺の妙法院を式場として葬儀をしてほしい。葬儀の準備や段取りもよくわからないので具体的に教えてほしい』という申し出がありました。葬儀をしきるということは人生の中でもそうあることではありませんから、葬儀についてわからないことが多いというのは当然のことです。
また、昔のように親や祖父母、親族や地域の方のサポートを得ることが難しい現代社会。さらに、葬儀に関する情報が氾濫していますから、どのように情報を理解して判断したら良いのか迷うのは当たり前のことだと思います。その上で、大切な夫の旅立ちに際し、後々悔いのないようにきちんと送ってあげたいという奥様の気持ちがよく伝わってきました。
横浜は人口が多いので逝去から荼毘にふす(火葬)まで平均4日~5日ほどかかります。真夏や真冬、火葬場の工事などがあればさらに待つ場合も珍しくはありません。小出さんは14日に枕経をつとめ、18日(金)にお通夜、19日(土)に葬儀告別式を当山の客殿で執り行いました。棺の中でやすまれる小出さんの静かで穏やかなお顔を拝見し、安心して霊山への旅路を御仏大聖人様に祈念申し上げた次第です。
式は奥様とご家族の希望で家族葬のかたちでした。お二人の息子さんご家族が真心込めて祈りをささげられ、ご冥福を祈って厳かに執り行われました。また、葬儀の執行には3社の見積を検討しましたのでご家族も納得されての葬儀となりました。
当山には尊敬すべき信仰心をお持ちの方が大勢おられますが小出さんご夫妻もそのお二人。ご夫妻は開創当初からの御信徒で私も約40年のご厚誼を頂いています。初めてご夫妻とお会いしたのは保土ケ谷の正信寮で私がまだ29歳の頃でした。ご夫妻は法華経と日蓮大聖人の教えに篤い志をお持ちであるばかりか、水の流れるような信心が変わることのない方でした。岸根町や羽沢町の時代、法華講の中心メンバーとして活躍された姿を今に忘れることはできません。
約40年もの間、ご夫妻は毎月1日の御経日に小出家と岡村家の塔婆を建立供養され、13日の宗祖御講への参詣も欠かすことはありませんでした。継続は力ともいわれますが40年という時間は尊敬すべき歳月だと私は敬意を払っています。ここ数年、ご主人は参詣できないものの奥様はご主人の分まで変わらずにご参詣。ご主人は『お寺にお参りに行きたいな・・・。ご住職のお説法も聞きたいな・・・』と、奥様に残念そうに語っておられたことを葬儀の折にうかがいました。
小出さんは長い間一緒に仏道に励んだ同志ですから、枕経から初七日忌に至るまで読経・唱題申し上げる度に、在りし日のすがたが自然に想い起こされました。ご信心の篤い方でしたからまちがいなく法華経と日蓮大聖人のお待ちになる霊鷲山に向かわれたことでしょう。
小出さん霊山でまたお会いしましょう。
相武山 山主
2020年09月30日
15年ほど前に静岡県伊東市に転居された樺山さんのご夫妻は、近年、娘さんの敦子さんとご一緒に正月三日の初勤行会に参詣されていますが、今年はいつもご一緒の奥様が体調の不良でお見えにならなかったのが残念でした。しかし、ご主人は遠路にもかかわらず、敦子さんとご一緒にお参りになりました。
樺山さんの御一家は当山草創のご信徒で、開創当時40歳過ぎたばかりの聡明で正義感の強いご主人と、明るく信仰心の篤い奥さんは、講中の要としてよく当山を支えて下さいました。樺山さんは今年喜寿を迎えられるということですから、歳月のながれの早さを感じています。ご主人には当山法華講の初代講頭をお務め頂き、奥様には初期の講中会計と手書きの「正信寮だより」の発刊にご尽力頂きました。お二人ともにお住まいの戸塚から東京の会社まで通勤という忙しい生活でしたが、仏さまの道を大切に思われるご信心からご活躍頂きました。
お正月に奥様は参詣できませんでしたが、事前に不参のお電話を頂き併せて御会式に参詣された友人の浅井さんが、ご受戒と御本尊下附を希望されている旨のご連絡を頂きました。浅井さんとは昨年の11月、御会式の砌りに初めてお会いしましたが、樺山さんから日蓮大聖人の教え、富士日興門流の話を聞いて、当山の信徒として仏法を学びたいと希望して居られました。当日再度お気持ちを確認して、仏道への誓いである御授戒を行い御形木本尊を授与しました。
さまざまなご縁をきっかけに仏さまの道に発心(ほっしん)する人は多いのですが、初志を貫徹して仏道を歩み続ける人はそう多いわけではありません。日蓮大聖人が「受くるは易(やす)く 持(たも)つは難(かた)し さる間 成仏は持(たも)つにあり」と誡(いまし)めておられるように、信仰を継続(けいぞく)して仏道を成すことは至難(しなん)といえるでしょう。浅井さんには人生を真に豊かにする「仏道」と巡り合ったのですから、「生涯かけて仏道を歩み続け、まことの幸いを得て頂くこと」を私も御祈念申し上げました。
それにしても宗開両祖への信仰を継続されて50年の歳月を経た樺山さんご夫妻、齢を重ねられても正法弘通の精神はいささかも揺るいではいません。より良い人生のためには仏教は不可欠という信念のもと、ご縁があれば法華経と日蓮大聖人の教えを積極的に伝えておられるようです。仏弟子にとって「心に思うこと、言葉に出すこと」は大事なことですが、「振る舞う・実践する」ことはさらに重要な姿勢ですから、ご夫妻の教えを護り伝える実践には敬意を表するばかりです。
15日には練馬区の内堀さん夫妻と長女の眞那ちゃん、それに重吉さんご夫妻がお出でになりました。体調のすぐれぬ重吉さんの奥さんはお正月にもお参りできないほどでしたが、体調も良く天候にも恵まれて久しぶりのお参りとなりました。この日は昨年秋に内堀家に授かった長女眞那ちゃんの初参りとご主人の御受戒でした。内堀瑠美さんは重吉さん夫妻の次女で、幼い頃からご両親の信仰を承継する信仰心の篤い方です。当山とは小学生の頃からのご縁となります。瑠美さんは内堀さんと結婚されてから東京に転居されましたが、折々には当山に参詣し大聖人様への信仰を大切にして居られます。
此の度は待望の子どもを授かり、御本尊様に報恩感謝のご報告と眞那ちゃんの健やかな成長を祈念しての初参りでした。また、ご主人はいつも瑠美さんとご一緒にお参りされていますが、未だ仏道を歩む誓いを立てていなかったことから、今回眞那ちゃんの初参りと一緒に、日蓮大聖人の仏法を受持する決意をされ、授戒をうけることになった次第です。
瑠美さんは「赤ちゃん本当に可愛い、こんなに可愛いとは思わなかった、本当にしあわせ、主人に感謝、両親に感謝・・・」と繰り返していましたが、嬉しそうな顔の表情からは言葉以上に子どもを授かった喜びが伝わってくるようでした。もちろん、同行された重吉さん夫妻も三番目の孫に目を細めていました。皆んなで御本尊様に心からの勤行・唱題を申し上げ、眞那ちゃんの健やかな成長を祈念し、ご主人の仏道精進を祈りました。人生はけっして平坦な道ではありませんから、御一家皆さまにはこれからもご信心を大切に、仏法を燈明と掲げて意義有る人生を歩んで頂きたいと願っています。
どうぞ新たな誓いを大切に。
相武山 山主
2016年01月28日
晴天に恵まれた26日(土)は大掃除でした。歳末の忙しい時期にもかかわらず、辻本さん、竹越さん、奥田さん、久保さん、芦川さん夫妻、落合さん夫妻、中澤さん、森さん、熊木さん、新倉さんご兄弟にご協力を頂きました。本堂の回廊、玄関、三師塔、久遠廟、境内から参道、公道の雨水枡まで、1時間半ほどをかけてすっかり浄められました。これで気持ちよく新年を迎えることができます。皆さんありがとうございました。
仏道には修学と修行が求められますが、修行の一環ともいえる年中のさまざまな法会や行事への参詣・参加は、あくまでも本人の自主性に委ねられています。一部の宗教団体に見られるような、強制や脅迫まがいの言動は仏道の修行とよべるものではありません。当山の法要や諸行事についても案内とお勧めはしますが強制するようなものではなく、一人ひとりの信心に基づいて参加頂いています。ときに参加者の目処がつかずに混乱することはありますが、自主的判断であれば愚痴や不平や不満によって尊い信心が毀損することはありませんので、これからも当山の諸活動には自主的判断で参加頂きたいと思っています。
さて、葬儀や法事などの仏事は仏教寺院にとって大切な法務ですが、ときに理解のない方から「葬式仏教」といわれて、一方的に嘲笑されたり批判を蒙ることがあります。しかし、仏道では知恩・法恩を説き三世の営みを信じますから、葬儀や法事は人の道に通じるものであり、人徳を積むことになると教えられています。当山でも営む規模にこだわらず法事を大切にしています。今年もふり返ってみれば多くの方の法事をお勤めいたしました。檀信徒の方々とは信仰の時間を共有したこともあって、法要の砌りには供養される故人の人柄や面影が浮かんでまいります。ブログの都合もあってすべてを紹介することはできませんが、ゆかりのある方にはお伝えしたい人柄などを簡略に述べたいと思います。
去る11月15日には白濱不二枝さんの13回忌の法要が隆一郎さんを施主に営まれ、子どもさん、お孫さん、ひ孫さんまで集まりにぎやかに執り行われました。白濱さんが当山に所属されたのは平成7年のことですから生前約8年間のご交誼を頂きました。白濱さんは信仰心が篤く法華経や御書にもよく親しまれ、日蓮大聖人の教えをまじめに求められていました。3年ほど続いた「富士門流の信仰と化儀(興風談所・池田令道著)」をテキストとした勉強会には子どもさんと一緒に欠かさず参加され、熱心にメモを取られていたことを覚えています。子どもさんやその家族のことをとても気にかけておられ心の優しい方でしたが、人生の荒波を乗り越えてきた強さもお持ちでした。法要後の墓参では不二枝さんの穏やかな笑顔が浮かんできました。
11月22日には飯田一哉さんの7回忌法要が妹の直子さんを施主に営まれました。お母様は体調の都合で、弟さんは仕事の都合で残念ながらお参りはできませんでしたが、一哉さんの会社関係の方約10ほどが参列されました。一哉さんは平成7年にお母様が当山に所属されたことを機縁として一緒に信行に励むことになった方です。当時一哉さんはアメリカに出張しており、当初はあまり顔を合わせることはありませんでしたが、帰国されてからはよく当山の行事にご参加頂きました。諸行事では自ら率先して準備に協力され、会場や駐車場の整理にも尽力頂きました。30代半ばの若い一哉さんが信心深かったのはお母様の影響によるものです。お母様は深く大聖人様への信仰をお持ちでしたから、一哉さんもその意思を大切にしておられました。自身も信仰を大事にされ現在の新寺院の建設にも大いに貢献された方です。惜しいことに一哉さんは50歳という若さで霊山に旅立たれました。オートバイとサーフィンが好きで、まじめで温厚篤実なご性格でしたから、会社の同僚の方々にも愛されたのでしょう。普段からも一哉さんの墓前には同僚の方がお参りになり供物やお花、お香が供えられています。法要後の墓参では一哉さんの少しはにかんだ優しい笑顔が浮かんできました。
11月28日(土)には下條久雄さんの7回忌法要が奥様を施主に営まれました。下條さんの奥様は当山開創の頃からのご信徒で、ご一緒に信行に励んで約35年にもなります。はじめは覚醒運動に賛同された日本舞踊の先生の引き合わせでしたが、やがて川崎区の下條さんのお宅で「宅御講」を開催させて頂くことになり、芦川さんのお宅に移るまで長く会場をご提供頂きました。明るく屈託のない下條さんの人柄もあって、宅御講には数人のご信徒が参集。御書講義の後はいつも和やかな笑い声で包まれていました。ご主人は積極的に信仰されるわけではありませんでしたが、奥様の信仰を温かく理解されバックアップして頂きました。そのご主人とは毎年夏のお経参りの時にゆっくりとお話する機会を頂きました。私にとっては人生の先輩ですから、子どもの頃の話や戦争当時のこと、そして事業を起こして苦労されたことなど、興味深く示唆に富む話を穏やかに話してくださいました。また、息子さんの浩さんと娘さんの和子さんのことになると楽しそうに語られ、授かった子どもさんへの深い愛情が伝わってきたことを覚えています。会話の途中では時々奥様のちゃちゃが入りますが、それもスパイスの一つで私には楽しいお経参りの時間でした。法要後の墓参では下條さんの和やかで誠実な笑顔が浮かんできました。
人生はさまざまな出会い満ちており、出会いによって人生が決まるといっても過言ではありません。それぞれの出会いを取るか捨てるか、活かすかころすかは自身の判断です。法事の砌りにうかぶ皆さまの面影は私に出会いの尊さを教えているかのように思えます。
明後日はもう新年を迎えます。このブログも今年最後のものとなりました。気がつけばブログも通算200回のアップです。一年間お読み頂きありがとうございました。
相武山 山主
2015年12月30日
秋らしい澄んだ青空が広がる10月13日、宗祖祥月のご報恩講の前に福井家の墓石の開眼法要が当山で執り行われました。(開眼法要とは建立された新たな墓石を前に、建立の所願を祈念申し上げる法要です)。福井さんは3年前まで当山でご一緒に信行精進しておられましたが、ご夫妻で奥様の故郷徳島に転居されました。ご主人は京都のご出身、奥さんは徳島のご出身です。
徳島に転居されたご夫妻が当山に墓所を求められたのは、真摯な信心を生きがいとされるご夫妻が、常に法華経とお題目の流れる当山を「終の棲家」と決められたことであり、ご主人の両親のご遺骨を分骨して供養したいという願い、さらには妙法院に墓所があれば横須賀と横浜で生活する子供さんたちやお孫さんたちも、妙法へのご縁をたしかに結ぶことができるのではないかという希望によります。さわやかな開眼法要には遠路にもかかわらずご家族がそろって参列されました。
学業や仕事の習得に追われ、自分探しや家庭を築き始める若い時には、信仰にふれることも難しいといえましょう。また、身体も健康で夢や希望に向かっている頃には、自分自身を見つめ、仏さまの道を学ぶことや信行に努めることにも関心は及びにくいものです。しかし、厳しい人生の課題と向き合わなければならない時、より良く生きる道を求め始めた時、家族や親族・友人などへの祈りが必要と思えた時、これから起きるであろう人生のさまざまな局面に、仏教の叡智と信仰を持つことは大変心強いことです。そのためにも仏縁を結ぶことが大切です。
仏縁を結ぶことなく仏教の叡智と信仰を得ることはできません。仏道の尊さとすばらしさを信受できた信仰者であっても、他者に仏道の尊さと信仰のすばらしさを伝えることは容易ではないでしょう。たとえ我が子であったとしても同様です。否、親子や家族の方が信仰を伝えるのは難しいかもしれません。したがって、仏教を恭い法燈の相続を求めて、家族の幸いを願うならば、慈悲の心に立脚したいろいろな工夫と努力が必要となります。
法燈の相続を願って執り行われた開眼法要、福井さんご夫妻の真摯な思いは必ず成就するであろうことを私は静かに信じています。
相武山 山主
2015年10月31日
今年も残すところ2ヶ月ほどとなってきましたから、少しずつ冬の準備を始めなければなりません。四季の移ろいは愉しいものですが、反面煩わしさがあるのも事実。しかし、仏教では「心の持ち方一つですべての景色は変わる」と教えていますから、やがて来たる寒さの季節も楽しめるように心の準備をしたいものです。
さて、この夏から秋にかけて、泉区の高橋さん、平塚市の郡司さん、緑区の板倉さんのご家庭では新たに仏壇やお厨子を調えられました。信仰歴の長い高橋さん郡司さんは古くなった仏壇を新調され、3年ほど前に仏縁を結ばれた板倉さんはお厨子を新調されました。仏壇やお厨子を新調するということは、仏法を敬いその教えを大切にしたいと願う信仰心の現れに他なりません。それぞれのご信心がご本尊様を荘厳申し上げ、仏道のたしかな功徳を積まれました。
仏法を顕現した御本尊様を篤(あつ)く恭(うやま)う志は、さまざまな仏縁が心の奥底にある仏性に響き、仏道に心を発(おこ)すことが源となっています。その発心(ほっしん)を持続して生涯にわたって仏道を紡(つむ)いでゆくのが仏法の信仰者です。人生も平坦ではないように仏道もけっして平坦なものではありません。法華経では正法は「難信難解」(仏さまの覚られた世界は信じがたく、理解しがたい)と説かれますが、煩悩にまみれて生きる私たち凡夫には、清浄で気高い仏さまの世界は容易には信解(しんげ)し難いものです。
しかし、仏さまはあらゆる仏力をもって衆生を教化し救済しようと願っていますから、私たちはささやかな仏縁でも疎かにしないで、過去・現在・未来の三世にわたる真実の安らぎを求めてゆくことが大切です。求め続けることの大切さを世間では「継続は力」と教え、日蓮大聖人は『受くるは易く、持(たも)つは難(かた)し、さる間、成仏は持(たも)つにあり』と述べ、誰もが発心することはできるが、その発心を大切に育てて、仏道の目的である成仏をめざそうとするなら、日々の信行の積み重ねが大事であることを教えています。
仏道の目的である成仏とは「仏に成る」ということですが、この成仏という言葉にはさまざまな意味が込められています。たとえば「己れと向き合い、真実の自己を確立する」ということもいえるでしょうし、「仏さまの教えを深く敬い、実践修行して仏さまの心にふれる」ともいえるでしょう。いずれにせよ仏の教えに生きようと願う心の営みです。
仏壇やお厨子を新調するということはその志がかたちに現れたものであり、『よく荘厳されました。功徳を積まれましたね』と喜ばれる行いです。一般的に荘厳は「そうごん」とよまれますが、仏教では「しょうごん」とよみます。その意味は御本尊様を美しくおごそかに飾り恭うということです。仏道には「信は荘厳から」という言葉がありますが、それは寺院や道場の伽藍はもちろん、御宝前の立派な装飾にふれて信仰心が啓発されるという意味です。本来仏法を恭う心によってご本尊様を荘厳申し上げるのですが、その荘厳というかたちが、さらに信仰心を深めたり、新たに仏縁を結ばせるきっかけになるのです。心はかたちを求め、かたちは心を発し調えることになり相互に影響を与えあうのです。
御本尊安置のお仏壇を新調するばかりでなく、折々に仏壇を清掃することも荘厳といえます。また、仏さまにお水や仏飯、お供物を供えるのは供養ですが荘厳ともなります。お灯明やお香をお供えすることも荘厳心の現れです。華美を求めたり、見栄で競うのではなく、仏法を恭い大切に思う素直な信仰心から自然にわき上がるものが荘厳心といえましょう。
人は誰もが「自分が価値のあると思うことに、時間もお金も労力も、そして精神力も費やすもの」です。信仰心が薄くなっている現代日本では、仏道を学んだり、信行に努めたりする方は少数派かもしれませんが、永遠の真理を説き、人間として歩むべき道を指し示す仏道は、最も優れた価値があるといえましょう。何なるものに価値を見出すかに、その人の見識と人間性が現れるのですから、仏法という尊い教えを信ずることができた方々には、よりいっそう仏道の功徳を積んで頂きたいと願っています。
相武山 山主
2015年10月30日