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相武山 妙法寺 ブログ

厳かに令和二年度御会式を奉修

24日・25日の両日は当山の御会式。弘安五年(1282)十月十三日の日蓮大聖人ご入滅を期して奉修される御会式は日蓮門下僧俗にとって最も重要な法要です。富士日興門流では日蓮大聖人は末法の法華経の行者であり末法の仏さまと拝信。その滅・不滅、常住此説法を寿ぎます。例年、信徒の皆さまと真心込めて厳粛かつ賑やかに執り行っていますが、コロナ禍で世相が大きく変化しつつあるように、今年の当山の御会式も例年とはちがうかたちとなりました。

御会式のご宝前を荘厳するお花つくりは9月から信徒有志の協力で始められ、今月の1日、11日、13日に竹ひごに巻き付けて完成。堂宇の大掃除は17日(土)午前10時から。あいにくの雨天でしたが数名のご信徒と本堂や客殿、受付やロビーの窓を拭き、トイレの清掃などを行いました。また、22日(木)は10時から餅つき。今年も小原さんのご協力と興厳房のサポートでかさね餅と竿餅が無事につき上げられご宝前にお供えされました。御会式の準備は毎年のこととはいえかなりの手間と時間がかかります。しかし、手間暇と心労を向けるところに信仰の価値があるのですからささやかな悦びです。


今年の御会式は24日(土)午前11時からのご宝前お飾り、午後からの御逮夜法要、翌25日(日)の御正当法要。また、密を避けて法要時間外の自由参詣と、信徒の皆さまには4回に分けての参詣をご案内。例年は御逮夜と御正当の法要において信徒と臨席僧侶によって申状が奉読されますが、今年は執事の興厳房による日有上人の申状と私の立正安国論の奉読としました。また、時間短縮を考慮し講演もとりやめて住職からの挨拶で終了。
24日と25日は8月末以来の週末連日の晴天。気象予報で報じられるくらいですから、しばらく週末の天気には恵まれていなかったことがわかります。さわやかな清風が法華の境内を流れる中、厳かな御会式を奉修することができました。

自由参詣を選択された約10世帯の方々は三々五々家族でのご参詣。荘厳された本堂に進み大聖人さまへの御報恩を申し上げました。また、高齢や体調の不良、都合によって参詣できないご信徒十数名からも手紙や御供養をお届け頂きその貴い志を御会式のご宝前にお供えいたしました。
感染予防にしっかりと配慮し3回に分けた法要にはそれぞれ15名、20名、35名の信徒が参詣。献膳、要品読誦、日有上人申状・立正安国論の奉読、自我偈の訓読、そして南無妙法蓮華経の唱題と如法に奉修。最後に講中世話人によるお花くずしにて参詣者にはお供物が振る舞われました。


御会式が終わると一気に秋が深まり新年への始動となります。新型コロナウイルスの感染に負けることなく、法華の寺としてのお務めをしっかりと果たして行こうと誓願申し上げた御会式でした。

相武山 山主

2020年10月30日

秋のお彼岸

「寒さ暑さも彼岸まで」との言葉どおり、秋の彼岸を境に秋風がわたってきました。今年の秋の彼岸は19日(土)が入りで22日がお中日でした。コロナ禍の中での彼岸会ですから当山も三密注意、マスク着用、消毒奨励という感染予防の徹底で臨みました。

19日(土)は11時から久遠廟での彼岸供養。11時30分からは樹木葬墓地での彼岸供養を勤めました。それぞれ香華を供え、納骨埋葬諸精霊のために塔婆を建立。法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経の唱題。懇ろに追善御回向を申し上げました。

当山の墓地や永代供養墓、樹木葬をご利用の皆さまはとても情愛の細やかな方が多く、7月&8月のお盆にも連日お参りになっていました。8月のお盆からまだ一月しか経っていませんが、秋の彼岸中、朝から夕方までまさに三々五々という風情でお参りになり、境内には終日お香のかおりが漂っていました。

今年の彼岸法要は20日(日)21日(月)22日(火)と三日にわたって執り行いました。20日は少し参詣者が多く心配しましたが全体的にバランス良くお参りを頂きました。今回の法要には弟子の坂上純興師にも臨席頂いたので寺務もスムースに運びました。法要はご宝前と塔婆が立ち並ぶ精霊壇に供物をそなえ、献膳・読経・焼香・唱題と如法に奉修いたしました。

法要後には3日間ともに『単衣抄』を拝読。
「信徒より単衣一領を供養されたことに対しての宗祖の返書。内容は建長五年の立教開宗以来、建治元年に至るまで、法華経の行者日蓮に対する数々の難について述べ、それらは如来の金言の実証であるという確信が語られている。続いて、身延の山において衣食に厳しい生活を送っているところに、単衣帷子を頂戴したことへの感謝を述べ、帷子を着て『法華経』を読誦する功徳はすばらしく、単衣帷子を供養された夫婦にとっては今生の祈りとなり、臨終来世の功徳となる」と述べられていることを中心に法話を申し上げました。

法要後、参詣者は各自建立回向されたお塔婆を持って墓所に向かわれ、ご先祖精霊に香華を手向けていました。
穏やかな秋の彼岸の風情もお中日まで。その後は台風の接近や秋雨前線の影響でしばらくすっきりしない雨模様でした。

相武山 山主

2020年09月30日

龍ノ口法難会

12日(土)と13日(日)の両日、龍ノ口法難会を執り行いました。13日は午前中の日曜法話会に引き続いての法要。参詣の皆さまと献膳・読経・焼香・唱題と如法に御報恩申し上げた次第です。
仏教寺院ではその年中行事をみれば、およそその寺院の教えと信仰が理解できるようになっています。当山でも年中行事を丁寧にたどると日蓮法華宗、富士日興門流の教えと信仰の概要が理解でき、1月から12月までの年間行事にすべて参詣すれば日蓮大聖人の御事跡もよくわかります。年中行事への参詣が大切といわれるゆえんです。

この春以来、コロナ禍もあって当山でも行事や法要への参詣は自粛をお願いしてきましたが、7月からは三密を避け感染防止に注意して少しずつ参詣頂いています。皆さまバランス良くお参り頂き、本堂内も密になることはなく、全員マスク着用で静かに読経・唱題を勤めていますので、油断はできませんが当面はこのスタイルでやむを得ないかなと思っています。

時局柄やむを得ないことですが、人間は文字通り、他者との関わりや交わりによってさまざまな活力が生まれますから、仏道においても信仰の道場である寺院に僧俗が集い、倶に信行に励むことによって信仰心も磨かれます。それが、「みんなで一緒にお参りができない、学び合えない、啓発しあえない・・・」となる現況は実に残念でなりません。
しかし、法華経では諸法は実相(あらゆる存在の姿に偽りはない)と説かれていますから、私はこのコロナ禍によって私たちの寺院や信仰のあり方についても再考がうながされているのではないかと考えています。
振り返ってみれば仏教寺院のあり方や活動も歴史の波に大きく影響されてきました。もちろん真理を説く宗教として時代の変化に左右されない普遍性は堅持されますが、時代によって変化したものも少なくありません。いつの時代もどの分野においても存続してきたということは、存在意義が認められ当事者の知恵と工夫と努力がなされてきたことに他ならないのです。

徳川の時代、庶民統治の一環として檀家制度が利用され全国には多数の寺院が建立されました。しかし、その後、明治時代の廃仏毀釈の嵐や戦後の都市化の波に洗われ、檀家制度意識もすっかり弱くなり、全国に約7万7千存在するという寺院も、今や住職がいない無住のお寺や修理もできずに維持が困難なお寺が3割以上もあるというのですから、深刻な危機を迎えているといっても過言ではありません。
仏教の教えや信仰はいかにすばらしくてもその護持伝承は容易なことでありませんから、私たち仏教徒の覚悟と精進が今問われていると思うのです。

【宗祖の心意気】
法要後の法話は『四条吾殿御消息』を拝読。真偽未決の御書ではありますが宗祖の心意気が伝わるような御書です。
「度々の御音信申しつくしがたく候。さてもさても去ぬる十二日の難のとき、貴辺たつのくち(龍口)までつれさせ給ひ、しかのみならず腹を切らんと仰せられし事こそ、不思議とも申すばかりなけれ。
日蓮過去に妻子所領眷属等の故に身命を捨てし所いくそばくかありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。成仏のためならざれば、捨てし海河も仏土にもあらざるか。
今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におとるべしや。
其の故はすでに法華経の故なるがゆへなり。経に云く「十方仏土中 唯有一乗法」。此の意なるべきか。此の経文に一乗法と説き給ふは法華経の事なり。十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり。除仏方便説と見えたり。若し然らば、日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか。
娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に、日蓮が命をとどめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」
以上。

御書システム(興風談所)の解題には
「本状は龍ノ口法難の九日後、依智本間邸にて四条金吾に宛てた書状である。冒頭龍ノ口法難の際、宗祖が頸を切られたならば腹を切ると述べたことを、感慨を以って語られている。これは後弘安三年十月八日の 番号384「四条金吾殿御返事」(『定本』2巻1800頁。真筆は無いが大石寺六世日時『三師伝』に引文される)に「殿は馬の口に付て足歩赤足(かちはだし)にて泣悲み給、事実にならは腹きらんとの気色なりしをば、いつの世か思忘るべき。」とあるのと符合する。
更に『方便品』の「十方仏土中唯有一乗法」との経文の如くならば、頸の座に据えられた相模国片瀬龍ノ口こそ寂光土であること、又霊山にては四条金吾こそ『法華経』の故に腹を切ろうとした法華経の行者であると釈尊に申し上げること、そして月天子は光り物として頸の座に、明星天子は本間邸に下り日蓮に見参し、残る日天子の加護がいかばかりか楽しみである等と述べられている」とあることを紹介。

宗祖が法華経と合一された龍ノ口を寂光土とよばれたように、「私たち門下僧俗も自らの仏道修行の地を寂光土といえるよう信行に努めること。職場であれ、学校であれ、家庭であれ、社会であれ、一方的に環境が悪いと愚痴をいうのではなく、艱難辛苦を覚えながらも人生の大切な局面と心得て、汗を流して努力し、道を切り拓いてゆくことはすばらしく、その世界も輝く」とお伝えしました。

相武山 山主

 

2020年09月28日

悦び身に余れり

日蓮門下にとって9月といえば宗祖の「龍ノ口の法難」が自然に想起されます。龍ノ口法難とは文永8年9月12日、日蓮大聖人が相模国片瀬龍ノ口(現在の藤沢市片瀬)において、時の為政者により斬首という厳しい処罰を蒙った事件のことで、法難とは仏法弘通のために受けた迫害や苦難を意味しています。

日蓮大聖人は真摯な仏法研鑽の上から、大乗仏教の精華である法華経こそ末法の荒凡夫を成仏へと導く教法であると覚悟され、その弘通に人生のすべてをささげられました。しかし、国民の安寧を祈り立正安国論を著して為政者に奏上し、法華最勝・妙法題目専修の信念から他宗他門を批判しましたから、時の権力者やその一門、念仏宗や禅宗など諸宗の僧侶、その檀信徒から生涯にわたって批難迫害を受けることになったのです。

法華経には「一切衆生の差別なき成仏を説く法華経を信受し弘通する者は、理解されない者から批難され迫害される」と説かれています。「すべての人々の平等の成仏と本仏の久遠を説く法華経こそ教主釈尊の真実の教えである」と覚悟された日蓮大聖人は、建長5年の立教開宗より池上でのご入滅まで、法華弘通による衆生救済を誓願実践され、さまざまな困難や迫害を超克されて法華経の行者としての生涯を歩まれました。

仏教は釈尊の開創以来、広範な国や地域や民族にわたって伝播し、それぞれの自然環境や習俗、歴史や文化や伝統などの影響を強く受けながらさまざまな変遷を遂げました。したがって仏教としてゆるがせにできない基本的思想は共通しているものの、その時代や国や地域、民族などによって違いがあり現代に至っていますから一様ということにはなりません。

西暦6世紀、インド創唱の仏教が約1000年の時と数千キロの距離を経て我が国に渡来しましたが、日本では小乗仏教と大乗仏教、仏像と菩薩像を同時に受容しました。小乗仏教の諸学派は仏教の基礎として学ばれましたが、私たち凡夫の仏道成就は大乗仏教に求められたのです。
その理由としては「小乗仏教では資質と環境に恵まれた極一部の比丘・比丘尼にしか仏道の修行・修学ができない。釈尊のように煩悩を断尽して完全な覚りを得ることができないと考えた比丘・比丘尼は阿羅漢にとどまる。自分の覚りがすべてに優先し、他者の救済には思いが至らない。仏教が一部の限られた比丘・比丘尼の占有であることが果たして釈尊の本意であろうか。自分だけの覚りと安心を求めるのではなく、より多くの人々と倶に救われる仏道(大乗仏教)こそ釈尊の本意ではないのか」ということによるものです。

差別なくすべての人々に成仏という救済の道が開かれていると説くのが大乗仏教の精華である法華経です。宗祖はその法華経の文々句々を御仏の言葉であり神髄であるとして受容され弘通に励まれました。
その結果、龍ノ口での法難を招くことになったのですが、命に及ぶ法難はもとより覚悟の宗祖ですから、『下山御消息』には「信心をも増長せんと退転なくはげみし程に、案にたがはず、去ぬる文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。外には遠流と聞こへしかども内には頸を切ると定まりぬ。余又兼ねて此の事を推せし故に弟子に向かひて云く、我が願既に遂げぬ。悦び身に余れり」と述懐されています。

ここでは「貴重な人生、得がたき仏縁、会いがたき法華経」と覚知された宗祖が、有限の人生のなかで永遠の真理である南無妙法蓮華経と凡夫の我が身が合一できた悦びが語られています。龍ノ口法難は宗祖にとって最大の宗教的クライマックスといっても過言ではなく、この法難の後、佐渡での流罪から身延山でのご法門の開顕へと教えと信仰が表白されて行きます。
私たちは煩悩を断尽できない不完全で未熟な存在であり、宗祖のような覚悟は定まりませんが、人生は「生・老・病・死を免れない限りあるもの」であることを熟考し、自らの信仰・信念を不断に磨いて悔いの少ない人生を歩みたいものです。
日蓮門下僧俗にとって龍ノ口法難会は真に意義深い御報恩法要なのです。

相武山 山主

2020年09月27日

8月のお盆

コロナ禍の上に猛暑が続き、今年の「8月お盆」はいろいろと厳しい環境でのお参りとなりました。今年は例年よりも早い10日頃から墓苑へのお参り、永代供養墓久遠廟や樹木葬墓地にお参りされる方の姿が見受けられました。
本当に三々五々といった感じで、お盆明けの16日まで朝の8時頃から夕方の4時頃まで家族ずれで自由にお参りされていました。皆さん強い日差しのもと、マスクをされてのお参りですからしんどそうにも見えましたが、汗をぬぐいながら墓前に香華をささげて静かに祈る姿はまさにお盆のお参り。
供養をお受けになるご先祖や故精霊もきっと悦んで居られることでしょう。

檀信徒皆さま参集のお盆法要は三密に配慮しての執行。今年は13日の宗祖御報恩講、15日の戦没者法要、16日の月遅れ盂蘭盆法要と3回に分けてのお盆供養といたしました。それぞれに10名~20名ほどのご参詣でしたが、如法(にょほう)に献膳・読経・焼香・唱題とお勤めし、願い出の御塔婆を建立して懇ろにご回向を申し上げました。

【法要後の法話】
一生成仏抄
「都(すべ)て一代八万の聖教、三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず。然(しか)れば仏教を習ふといへども、心性(しんしょう)を観(かん)ぜざれば全く生死(しょうじ)を離るる事なきなり。若(も)し心外に道を求めて万行万善を修せんは、譬(たと)へば貧窮(びんぐ)の人、日夜に隣の財(たから)を計(かぞ)へたれども、半銭の得分もなきが如し。
然れば天台の釈の中には『若し心を観ぜざれば重罪滅せず』とて、若し心を観ぜざれば、無量の苦行となると判ぜり。故にかくの如きの人をば仏法を学して外道(げどう)となると恥ずかしめられたり。ー 略 ー
又衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土(じょうど)と云(い)ひ穢土(えど)と云ふも土に二つの隔(へだ)てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生(しゅじょう)と云ふも仏と云ふも亦(また)此の如し。迷ふ時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬へば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明(むみょう)の迷心(めいしん)は磨かざる鏡なり。是(こ)れを磨かば必ず法性(ほっしょう)真如(しんにょ)の明鏡と成るべし。深く信心を発(おこ)して、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是れをみがくとは云ふなり」を拝読。

日蓮大聖人の遺された御書(御遺文)は相当数にのぼりますが、真筆(しんぴつ)が遺されていたり直弟子の写しがあるものなど、たしかに宗祖の筆と認められる御書と、明らかに後人の筆とされる偽撰(ぎせん)御書、さらに真偽(しんぎ)未決(みけつ)として研究途上の御書に三分類されます。
日蓮教学の論文では真蹟御書を中心にしなければその主張はほとんど評価されませんが、宗祖の教えに大きく違えていなければ真偽未決御書や偽撰書も信仰の手引きとして用いられることもあります。

盂蘭盆会で拝読した上記の一生成仏抄は偽撰とされている御書ですが、信仰の手引きとして解説いたしました。
初めのポイント
「仏教を習ふといへども、心性(しんしょう)を観(かん)ぜざれば全く生死(しょうじ)を離るる事なきなり」。
仏教の教えを学んだとしても自らの心をしっかりと見つめることができなければ、生死(仏教では迷い悩み苦しみのこと)から離脱することはできません。
次のポイント
「浄土(じょうど)と云(い)ひ穢土(えど)と云ふも土に二つの隔(へだ)てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生(しゅじょう)と云ふも仏と云ふも亦(また)此の如し」。
諸仏菩薩の住む浄土も煩悩にむしばまれた衆生が住む穢土も、けっして別々の世界ではなく、私たちの心の善悪の営みによって浄土にも穢土にもなるのです。また、迷うときは衆生であり、その衆生も深く仏法を受持すれば仏となるのです。衆生と仏についても全く別々の存在ではなく迷悟の異なりによるのです。
結びに
「一念無明(むみょう)の迷心(めいしん)は磨かざる鏡なり。是(こ)れを磨かば必ず法性(ほっしょう)真如(しんにょ)の明鏡と成るべし。深く信心を発(おこ)して、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是れをみがくとは云ふなり」
自らの心にあらゆるものの真実を映し出すためには、南無妙法蓮華経のお題目を唱えて心を常に磨くことの大切さをお伝えしました。

参詣の方々には盂蘭盆御書(真蹟)の冒頭部分をプリントしてお渡ししました。手元にプリントがあればいつでも御書にふれて日蓮大聖人の教えにまみえることができるからです。

ご参詣ご苦労様でした。

 

相武山 山主

 

2020年08月28日

護持と伝承の大切さ

今年の梅雨は長く感じましたが、8月1日「関東地方も梅雨が明けた模様」と気象庁が報じると、その後は全国で猛暑が続きました。8月の猛暑日の記録も更新されるというほどですから、酷暑の夏といっても過言ではなく、熱中症で倒れる方も少なくなかったようです。その上、コロナ禍による常時マスク着用を余儀なくされていますから、体感的には限界に近い暑さのように感じました。

当山では毎月1日は「お経日」。私たちにとっては、月の初日に菩提寺に参詣し法華経と日蓮大聖人の教えを燈として一月の精進をお誓いする月例法要です。
1日のお経日は13日の御講(日蓮大聖人御報恩講)と倶にご信心の篤い檀信徒が大切にしています。毎月お参りをされる方は現在十数名でしょうか。およそ40年近く続けている方も居られます。

今月は8月のお経日に合わせて御虫払法要を執り行いました。例年4月28日の立宗会と倶に執り行っている大切な法要ですが、今年はコロナ禍のために延期としていたものです。御虫払法要は妙法院所蔵の曼陀羅本尊などのお風入れと虫払いを行う法要。ご宝物を護り伝えることは仏弟子の務めであり、日蓮法華宗の教えと信仰を認識する法要となります。3日前からご宝物を内陣にご奉掲。午後1時からの法要は本堂の三方を開け放ち三密に注意して奉修しました。

コロナ禍の状況下ですが8名の信徒が参詣。仏祖三宝尊に香華をささげ、厳かに法華経要品を読誦、自我偈を訓読申し上げました。太鼓に合わせての唱題のなか、参詣者は内陣に進み、合掌してご宝物を内拝。如法に御報恩申し上げ、仏法の護持に努めることを誓願いたしました。

法要後には御奉掲の曼荼羅本尊と御影画像の説明。次に「現代に日蓮大聖人の仏法と日興上人の信仰を継承できたのは先師先達の護法の志によるものであり、私たちも仏道における護持と伝承の大切さを認識して精進しよう」とお伝えしました。

法華経の結経である『観普賢菩薩行法経』には
「この大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来(にょらい)を出生(しゅっしょう)する種なり。この経を持(たも)つ者は、すなわち仏身(ぶっしん)を持(たも)ち、すなわち仏事を行ずるなり。まさに知るべし。この人はすなわちこれ諸仏の使わす所なり。諸仏世尊(せそん)の衣に覆われ、諸仏如来の真実の法の子なり。汝は大乗を行じて法種(ほうしゅ)を断(た)たざれ」と説かれています。

この経文は法華経信仰者へのメッセージ。ここでは「法華経は御仏を出生する法種であり、法華経を信受する者は大乗を行じて法種を断つことがないように」と教えられています。この経文を繰り返し拝読して仏法護持の使命を感得したいものです。
先月の26日に続いてこの日も午後2時20分から櫻井さんの畑でブルーベリー狩りを楽しみました。

相武山 山主

2020年08月27日

虫の音に秋の訪れ

夏も盛りと当山周囲では色とりどりのアゲハチョウが乱舞していましたが、このところトンボがよく目にとまります。アゲハチョウが舞うすがたも、気持ちよくトンボが飛んでいるすがたも画像でお伝えしたいのですが、カメラワークの技量に乏しい身には叶いません。申し訳なく思います。それでも緑豊かな里山の下川井に蝶が舞い蜻蛉が遊ぶ姿をご想像ください。一服の清涼剤になること請け合いです。さまざまな生き物とふれあうことができれば、きっと自らも自然の一部であることに気がつくことでしょう。自然とふれあうことは間違いなく心を豊かにしてくれます。

この夏も当山を囲む追分と矢指の市民の森には林間コースの散歩道が設けられ、多くの方々が杉木立の緑陰とわたる涼風を愉しんでおられました。この涼風はエアコンの整備ができない当山の本堂にも吹いてくれますから実に感謝・感謝・感謝です。当山の南側に広がる追分市民の森のお花畑では先日からヒマワリも咲き始めました。このヒマワリは八重のヒマワリで、青空と杉林をバックに夏だよ~とさけんでいるかのようです。蝉時雨の中でヒマワリを楽しんでいても、夜には虫の音が少しずつ大きくなってきていますから、秋ももうそこまで来ているのでしょう。

13日は月例の宗祖ご報恩講、15日は戦没者の追善法要と月遅れのお盆の法要、17日はお盆明けでしたが、日曜法話会に引き続いて追善の法要を営みました。当山としては7月にお盆の法要を執り行っていますが、月遅れで営まれる方々も多く、この期間は朝早くから夕方までお参りの方が自由にお見えです。墓所を掃除され、香華をたむけ、読経とお題目の声が境内に流れ、お盆らしい風情です。普段特別に仏教や信仰を意識しない人でも、生と死という人生の命題を考えることがない人でも、我が国ではお盆にはお寺や墓所にお参りされる方が多いものです。墓所には家族、親族、友人の方々がお参りされていましたから、当然のことお顔やお名前を知らない方もおられますが、墓所が当山にあるからこそお参り頂き、本堂や三師塔にも手を合わせる姿は有り難いと存じています。三師塔や永代供養墓「久遠廟」にも終日お線香が供えられていました。また、当山では先祖や精霊の追善のためにはお塔婆を建立して供養するのを常としていますので、法要後にはそれぞれ建立されたお塔婆を墓所に持参されていました。

それぞれ法会の後の法話では日蓮大聖人の崇峻天皇御書『人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。百二十まで持ちて名をくた(腐)して死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。中務三郎左衛門尉は主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心ね(根)もよかりけりよかりけりと、鎌倉の人々の口にうたはれ給へ。穴賢穴賢。蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし』を拝読。
御書を頂いた四条金吾殿は宗祖御在世の代表的なご信徒で、鎌倉での日蓮門下の中心であった方です。その四条殿に与えられた宗祖の教えは、「人生の貴重さとはかなさを知り、与えられた人生の尊さに思いをいたすこと。いたずらな日々を送ることなく、一日でも意義深く感動を覚えるような生き方を心がけよう。名を上げるとは功名ではなく、命の営みのすばらしさに気がつくような生き方のこと。社会のため、仏法のため、家族や地域のためにも貢献を惜しまず、その人柄を慕われるような生き方を求めて行こう。人生にとって経済力は大切であるが、その経済力よりも健康であることが大切、さらには経済力や健康よりも心の持ち方が大切。身は貧しくても心は豊かに、身は病んでも心は健やかに。仏道に縁を結んだ仏弟子は信行に励んで心の宝を積んで行こう」というものです。拝読すればするほど奥行きを感じる宗祖のお言葉であることをお伝えしました。

8月15日は終戦の日、当山では開創以来欠かすことなくこの日には「戦没者追善法要」を執り行ってきました。追善法要では前の大戦において、戦陣に散った方々ばかりでなく、戦時下のために命を失った民間の人々、さらには戦争に反対して命を失った人まで、国の内外をとうことなく、犠牲となれらたすべての方々への供養を申し上げました。法要後の法話では前述の崇峻天皇御書の教えに続いて、「この時期にこそ、戦争と平和、国家と個人、民主主義と人権、国と国との関係等々を皆んなでまじめに考えましょう」と申し上げました。

8月17日(日)は今年8回目の日曜法話会でした。お盆の休み開けでそれぞれにご都合もあったのでしょう、参加者はいつもより少なめでしたが、かなりの暑さのなか、皆さんとご一緒に学びの時を持ちました。初めて聴聞されたご婦人のお二人はお家がお隣同士で、誘い合わせてお出でになったということでした。主催者としてはいろいろな方が関心を持ってご参加頂くことは、大変有り難くモチベーションもあがりますので、感謝・感謝です。

今月のテーマは「終活に思う」ということで、今話題の「より良く人生の最後を迎えるための終活」に関してのお話をするつもりでしたが、世相として「69年目の終戦記念日を迎えて」を取り上げ、その解説と意見を述べていましたら、タイムオーバーとなってしまいました。レジュメに示した「①太平洋戦争に至る歴史を検証しよう。②国家と個人の関係をじっくりと考えよう。③戦後日本の歩みとすがたについて。④もし日本が戦争に負けなかったらと考えてみよう」の4点についてお話をしたのですが、事前知識の必要性と内容が奥深いため、ついつい長くなってしまいました。

参加者の皆さんにはじっくりとお聞き頂き有り難く思った次第です。来月はお話しできなかった「終活に思う」をテーマとして、9月21日(日)午前11時より法話会を開催いたします。

より多くの方々参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2014年08月24日

猛暑お見舞い申し上げます

暑中見舞いから残暑見舞いへと時候のことばが移りましたが、梅雨明けからかなり厳しい暑さが全国的に続いています。檀信徒並びに友の会の皆様もあまりの暑さにウンザリという状態ではないでしょうか。

猛暑お見舞い申し上げます。

その昔、30度を超えると異常な暑さと思っていましたが、近年は30度を超えるのは当たり前になり、気がつけば35度を超える猛暑日にも慣られされてきたような気がします。地球の温暖化がひたひたと現実となってきたのでしょうか。雲一つ無い青空から照りつける陽射しに、蝉の音が重なると暑さもひとしおです。境内や堂内の清掃、草取りや枝はらいの作務にもついつい「暑い暑い・・・」と愚癡が出て、作務がなかなかはかどりません。環境の変化一つに振り回される怠惰な己れにもあきれてしまいます。

当山では毎月一日にお経日(おきょうび)を執り行っています。一日(ついたち)参りともいわれるこのお経日は、十三日の宗祖御講と共に法華衆の大切な月例行事となっています。お経日は月の初めに菩提寺の御宝前に参詣して、前月の仏さまのご加護に感謝をささげ、来る月への誓願を立て、ご先祖有縁精霊への追善回向を申し上げる法会(ほうえ)です。信仰の篤い方はこの両日を自身の信仰の証として参詣に努められていますが、もちろん仕事や所用もありますから思うようにはまいりませんし、誰もが生身の存在ですから参詣しようと思ってもできない場合があるのも当然です。それでも当山では50代から80代の方々が、敬虔な信仰心に導かれて参詣を続けておられ、その信行の姿勢はまことに尊く、きっと仏祖三宝尊様の御照覧にあずかっていることでしょう。だれが見ていなくても仏さまはご覧になっているということであります。

「善行も悪行も御仏の知るところ」と信じることが仏道の基本。経典には「信は道の元(みなもと)功徳の母」と説かれていますが、邪(よこしま)な誘惑をはらって悪行を止め、勇気を出して善行に努めることは、御仏(みほとけ)の慈眼(じげん)を信ずることからはじまり、その意識を持続した者が仏道を成し遂げ、三世の安らぎを得られるというのは仏教の常談です。

しかし、現代はこの「信じる」ということが最も難しいことといえるかも知れません。というのも、古の人たちに比べれば現代に生きる私たちは、智慧はともかく知識は格段に広がり、情報も取得しやすくなり、根拠に乏しい自信にもかかわらず「わからないことはない」というような傲慢さも抱きがちです。また他方、いかがわしい信仰や、占いやまじないやカルト的なものも横行していますから、信ずることへのためらいが生じるのも当然。さらには、オレオレ詐欺や利欲のために平気で人を騙すような事件も多く、「まずは疑え」というような風潮があることも事実だからです。

なにごとにおいても考えもしないで無条件で信じるなどということはあり得ませんし、どのようなものでもその真偽を見極めることは大切なことです。ことにあたって慎重な姿勢は身を守る基本でもあります。そこをふまえつつ、人生は信ずることによって拓かれてゆくことを知ることが大切だと思うのです。「自分自身を、自らの人生を、明日を、家族を、友人を、人々の良心を、天地自然の運行を、来世を、そして御仏の存在とその教えを、・・・・・」。

ご縁によって結んだ御仏の道も信じなければ歩むことができません。また、信じる心を生涯かけて磨き上げ、豊かにして行くことが仏道の功徳でもあります。御仏とその教えを信ずることによって、「御仏からの誡(いまし)めと励まし」を享受(きょうじゅ)することもできます。信仰の道もけっして平坦ではありません。浅きから深きへ、低きから高きへと向かうにつれ、いろいろな迷いや問題が生じて、己れ自身の信仰の度合いが試されることもあります。宗祖が弟子檀越に「信の決定(けつじょう)」を求められたゆえんでもあります。

照りつける真夏の陽射しのなか、汗を流しながらお経日(一日参り)に参詣された皆様。法要後には回廊で皆さんとご一緒に冷茶とスイカを頂き、そのご信心に敬意を表しながら信じるということについて少し考えてみました。

相武山 山主

 

2014年08月09日

7月の盂蘭盆会

横浜や東京などでは7月にお盆の法要が執り行われます。月遅れで8月にされる方もおられますから、当山では7月と8月の2回、盂蘭盆法要を営むことになります。去る13日(日)は午前11時の日曜法話会に続いて午後1時より月例の宗祖ご報恩講を執り行い、併せて盂蘭盆の法要も行いました。

今年7回目となる日曜法話のテーマは「仏事の意義」でした。お寺で執り行われる仏事と個人や家庭で執り行われる仏事、それぞれのかたちと内容についての法話です。さまざまな仏事にふれることはもちろん、自ら仏事を営むこともある人生、その意義が理解されてこそ、仏事に臨む悦びや愉しみが得られ、心をこめて執り行うこともできるというものです。知っているようでよくわかっていない仏事についてのお話でした。テーマに入る前の「今月の世相」では野々村元兵庫県会議員の政務調査費などの不正事件をとりあげ、「号泣会見など笑える事件との一面もあるが、古今東西、すべての人々の思考や行動には品性や品格といわれるものが現れている。どのような人生を歩んできたのか、どのような人生を歩んでいるのか、それらはその人の品性・品格として現れ、その人となりを明らかにする。野々村元議員を他山の石として、自らの品格を高めて行きたい」と意見を申し上げた。

テーマの仏事の意義については、「仏事とは仏教の儀式や行事や作法のこと。寺院の荘厳やお給仕、執り行われる日々の勤行や年中行事と法会を中心に、個人や家庭での仏壇の飾り方やお給仕とその作法、朝夕のお勤めや法事や葬儀式、そして初参りや七五三参り等に及ぶ。寺院は教えを護り伝えるために、信仰者は教えを確認しそこに自らの信仰を明らかにするために仏事が作(な)されている。心はかたちを求め、かたちは心を調えるという相乗作用により、荘厳や儀式作法のすべてに仏教の教えと、信仰者の思いが込められている。仏事は仏さまの道を敬い教えを現わすものである」と解説いたしました。最後に仏事でありながら、すでに我が国の習俗とも伝統とも文化ともなっている「お盆」のいわれを、日蓮大聖人の盂蘭盆御書を拝読して説明。仏事の意義を理解して仏の道を大切にされることをお勧めしました。

50分ほどの昼食タイムをはさんで午後1時からは宗祖ご報恩講と盂蘭盆会を執り行いました。はじめに御宝前にて仏祖三宝尊への献膳を申し上げ、参詣者の申し込まれたお塔婆が建立されている精霊壇にもお膳を供えて供養の志をささげました。その後、参詣の方々と読経・焼香・唱題とお勤めをいたし、宗祖への御報恩を申し上げると倶に、盂蘭盆会にあたってご先祖と有縁精霊への追善供養を申し上げました。

法要後の法話では、初心者の方々も居られることから盂蘭盆御書を拝読し、お盆のいわれを説明し、「目連尊者の親を思う心と慈悲心、青提女の貪ぼりとエゴイズムを他者のものとせず、自身に引き当てて考えることこそ、お盆の意義を深めることになる」と申し上げました。

法話の後には、各自建立ご回向されたお塔婆をもって墓所に向かわれました。当山の墓苑に墓所をお持ちの方も塔婆を建立し香華を手向けておられました。ご先祖や有縁精霊に追善供養の思いを捧げられた皆さまの志に敬意を表する次第です。
相武山 山主

 

2014年07月20日

雨の中に集う

このところ、パソコンとブログアップのシステムの不具合で前回も今回もアップがおくれてしまいました。楽しみにして居られる方から「どうされましたか?」という心配のお声を頂き申し訳なく思っております。来週からはスムースにアップできるよう現在努力しているところです。今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて、当相武山では現在結縁(結縁)のかたちから三者三様の方々とご縁を結ばせて頂いています。まず、法華経と日蓮大聖人の教えを信受し、当山の護持(ごじ)を大切に思われて護持会費を納められ、護り手となって居られる「檀徒(だんと)」の方々、檀徒という意識はお持ちではないけれども、自宅にご本尊を安置して日蓮大聖人の教えを信行され、毎月1,000円の講費を納められている「信徒」の方々、さらにさまざまな機縁から当山とご縁を結ばれ、ご自分のスタイルで自由にご交誼を頂いている「友の会」の方々となります。当山としてはそれぞれが自身のお考えのもとに結縁されている「かたち」なので、これからもその意思を尊重してまいります。

信仰はもとより自らと仏神の関係ですから、他者より強制されたり、組織化されなければならないというものではなく、最終的には極めて個人的なもので、内なる心の世界が尊重されるべきものです。もちろん自分勝手の我流のままで良いということではありませんから、信ずる仏神の教えを尊重することが第一義となることは当然です。その基本を踏まえた上で、私たちは自らの意思によって信仰のかたちを選択することになります。

仏教では釈尊の在世から僧伽(そうぎゃ・サンガ)とよばれる僧団が構成されていました。その意図するところは、仏弟子(僧俗にわたる)の修行と仏法を護り伝えることにあります。仏さまへの道も本来は個人の発心から精進によって成し遂げられるものですが、仏道の成就のために古来、釈尊によって僧伽の大切な役割が説かれ、仏・法・僧の三宝の一つとして尊重されてきたのです。これが今日の仏教各教団の原型となっています。

末法の法華経の行者である日蓮大聖人は、法華経の文底に秘された南無妙法蓮華経こそ仏法の根本であり、機根の低い愚かな末法の衆生を救済する教えであると覚知され、その護持と弘通のために弟子・檀越(だんのつ)を教化育成されました。宗祖在世にすでに教団としての姿をみることができますが、その教団は法華経を信行するグループ(講中)として「法華講」もしくは「法華講衆」と呼ばれていました。現在は一部の門下の呼称とされているようですが、およそ日蓮門下は宗祖在世や上代では、広く「日蓮党」とか「法華宗」とか「法華衆」と同様に「法華講衆」とよばれていたようです。

当山は宗祖の嫡流を自任された富士日興上人の末流を伝持することを願う法華の寺院ですから、開創間もない昭和58年に法華講を結成しました。その願いはサンガの存在とひとしく「法華経信仰の修行とその教えを護り伝えること」にありました。それから31年、檀信徒の方々を中心に志のある方々が参画されて講中活動を推進してきました。年中の行事や主要法会はもちろん、世話人会を中心として日頃の信仰活動の担い手として、当山の護持と発展にも大きな貢献を果たしてきました。

その妙法院法華講の総会が梅雨空のもと、6/22(日)午後1時から開催されました。はじめに法華経読誦と唱題、懇ろに法華講へのご加護を仏祖三宝尊に感謝申し上げると倶に、これからの講中の興隆を祈念申し上げました。

総会の司会進行は副講頭として世話人会をまとめて頂いている小原さん。はじめに講頭の新倉さんが挨拶、新倉さんは北海道札幌市で開催された全国大会の模様について報告した後、日頃の講中活動についての理解を求め、皆んなで信行に励んで菩提寺を護り、法華講としての使命を果たして行こうとうったえられました。

続いて会計係の松本さんが昨年度の法華講活動費(相武山だよりや妙風新聞購読経費、複合機の維持や通信費など講中活動の経費)の収支会計について丁寧に報告され、その結びに会計係の交代を伝えられました。松本さんは十数年にわたって会計係を担当、公私ともに忙しい中、毎月一日のお経日や13日の御講など月例の行事にはいつも参詣され、参列の講員さんからの講費を預かり、講中活動のさまざまな会計を調整処理してこられました。講中皆んながお世話になりました。これからは松浦さん、金澤さん、阿部さんが会計を担当して頂くことになり、松本さんより参加者に紹介されました。参加者からは松本さんに拍手が送られ、長いお務めへの感謝が伝えられました。次に老川文枝さんが会計監査の報告。会計の正当なことを報告され、講中活動のためには講費の納入は大切なことなので、皆さんのご協力をお願いしたいとのべられました。

続いて東海正信連合会からの報告では、連合会副幹事長の熊木さんから、静岡・神奈川の同志が研鑽し合う連合会の意義と、春の大会、初夏の研修会の活動が報告され、理解と協力がうったえられました。次に昨年入講された草ヶ谷さんが信仰所感を発表。幼い頃からご両親の信仰を受け継ぎ、今日に至るまでの足跡をふまえて、限りある人生で日蓮大聖人の教えに巡り会ったことに深く感謝の思いを抱いていること、これからもその教えをまじめに求め、学んで行きたいとの想いを素直に語られました。

執事挨拶では興厳房が「法燈相続」の大切さについて語りました。「宗教心や信仰心が薄くなりがちな現代、仏法の教えや心得、作法を伝えていくことは難しいものです。仏法の尊さを信ずる一人ひとりが努力して行きましょう。妙法院に結縁した子供たちがお寺に親しみをもてるよう、わらべ会の集いや青少年の集いを充実してゆきたい」とうったえ挨拶としました。

最後に私から「妙法院の歩みをふりかえって、宗開三祖の教えを護り伝えることの大切さ、そのために妙法院にも法華講という信仰組織を設けていることを説明。次で現在妙法院に結縁して頂いている方々には『檀徒・信徒・友の会』と三者三様の姿があることを解説。その上で講中活動の現状はけっして活発とはいえないものの、心有る方々が自主的に参画しており、強制や押しつけが無いのは健全な姿といえる。仏道を踏み外している教団などでは、悪しき権威主義のもと、ノルマや押しつけを強(し)いる姿がみられる。妙法院は今後とも結縁された方々一人ひとりの意思を尊重しつつ、互いに啓発しあい協力し合って仏法の護持に努めて行きたい」とお話を申し上げました。

組織的な活動は難しい時代を迎えているようですが、活動の趣旨を明確にして、強制されない自主的な法華講をめざしてまいりますので、より多くの方々のご理解とご協力をお願いいたします。

相武山 山主

2014年07月13日