相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

伊豆御流罪法難会

16日(日)午後1時より伊豆御流罪法難会を執り行いました。法会には午前の日曜法話会から引き続いて参詣された方が多く、ランチを摂って小憩してからのご参詣。まじめな同信の皆さまと倶に如法に読経・唱題をつとめて伊豆御流罪への御報恩を申し上げました。

この法難は日蓮大聖人が弘長元年(1261)5月12日から同3年(1263)2月22日まで伊豆の伊東(静岡県伊東市)に流罪された法難のことです。宗祖は前年の文応元年(1260)7月に『立正安国論』を前執権・北条時頼に奏上。結果的に為政者への批判とされ、世情を騒がせる者として弾圧の対象となりました。

 

もちろん、建長5年(1253)の立教開宗以来、宗祖の法然浄土教批判は一貫したものでしたから、念仏信仰者からは常に怨嫉攻撃される対象でした。文応元年(1260)8月には松葉谷の庵室を襲撃(松葉谷法難)されています。
その時には安房から下総などに避難したと考えられますが、法華弘通のために鎌倉にもどったところ、権力者一族の讒訴によって捕縛され、伊東八郎左衛門の預かりとして伊東に配流されたのです。

法要に続いての法話では伊豆御流罪の伝説が説かれる「船守弥三郎許御書」を拝読。御書システムより御流罪の背景と状況。さらに「船守弥三郎許御書」の解題からその真偽と内容を解説。拝読御書から「船守弥三郎夫妻に寄せる宗祖の想いと、地頭である伊東氏の病気平癒祈願など」について所見を述べ、いずこにあっても、どのような環境におかれても、仏法を受持し自らの志を信じられた宗祖は、ふれあう善悪すべての人々を仏縁とされたことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年05月31日

仏法の護持と弘通を誓願

ゴールデンウイークがはじまる4月29日(木)午前11時より立教開宗会と御虫払法要を執り行いました。コロナ禍での法要ですから参詣者は25名ほどでした。立宗会は建長5年4月28日の宗祖の立教開宗を御報恩申し上げる法要であり、御虫払法要は当山に所蔵している御宝物のお風入れ虫払いを行う法要です。近年、当山では二つの大切な法要を同日に奉修しています。

【御宝物を解説】
三日ほど前から本堂内陣に所蔵御本尊と宗開両祖の御影画を奉掲。今年は始まる前に私から御奉掲の御宝物について30分ほど解説をいたしました。九幅の曼荼羅本尊は江戸末期から明治にかけてのものが大半です。中央御厨子に安置の御本尊は天保10年の曼荼羅。天保の改革や大塩平八郎の乱の頃の御染筆になります。元治元年の二幅の御本尊は幕末の池田屋事件や禁門の変、長州と四カ国戦争の頃の御染筆。明治7年の御本尊は明治維新の動乱期、佐賀の乱から西南戦争に至る頃の御染筆です。

宗祖、弘安4年4月の御図顕、僧日春授与の御形木本尊。中山法華経寺浄光院所蔵の重要文化財「水鏡の御影画」の複製についても解説して紹介。宗祖の御影については宗祖滅後より弟子が画像に描き木像に造立した事実をお伝えし、日興門流では宗祖滅後の三宝を明らかにするため、宗祖と日興上人の両御影を曼陀羅本尊の左右に安置してきた歴史を紹介しました。

【私集最要文注法華経】
また、昨年求めることができた「私集最要文注法華経」の複製を長机にて披露。
この注法華経については『図録 日蓮聖人の世界』から、
「『注法華経』の存在は日蓮聖人遷化の際、高弟の日興がその葬送の様子や聖人の遺言等を記録した「宗祖御遷化記録」に確認することができる。「御遺言に云く、仏は〈釈迦立像〉墓所の傍らに立て置くべし云々。経は〈私集最要文、注法花経と名づく〉同じく墓所寺に籠め置き、六人香花当番の時之れを披見すべし。自余の聖教は沙汰の限りに非ず云々。御遺言に任せ、記するところ件の如し」
右の記述によれば、「注法華経」は他の聖教とは異なり、公の物として聖人の墓所に保管し輪番の者たちがそれを研鑽せよというのが聖人のご意志であった。それは「私集最要文、注法花経と名づく」とみずから記されているように、これがぼう大な聖人の取材ノートであり、それゆえ聖 人の思想の土台ともいうべき最要文集であったからに他ならない。

 

さてこの『注法華経』は、通称『春日版』と呼ばれる法華三部経十巻(法華経・無量義経・普賢経)の表裏に、聖人がおびただしい経釈の要文を注記されたもので、正本は現在静岡県三島市の妙法華寺に所蔵されている。立正安国会が昭和三十年刊行した『私集最要文 注法華経』十巻は、正本を忠実に再現複製したもので、全容をそのまま伝えている。」
との解説をお伝えしました。

解説の後、法要開始。香華供物をお供えした御宝前に、法華経要品を読誦、自我偈を訓読して懇ろに南無妙法蓮華経の唱題。唱題の裡に参詣者は内陣に進み御宝物を親しく内拝。参詣僧俗は倶に立教開宗への御報恩と御虫払法要にあたって仏法護持弘通の精進を誓願いたしました。
法要後の挨拶では、「現代に私たちが法華経や日蓮大聖人の教えを信行できるということは、その教えと信仰を時代の荒波にもまれながらも護り伝えてきた僧俗が存在したからであり、そのような先師先達の志と求道心に敬意を表するとともに、現代は自分たちが合力して仏法の護持弘通という崇高な使命を遂行して行こう」と申し上げました。

相武山 山主

2021年05月28日

春季法門研修会を開催

18日(日)午後1時からは春季法門研修会を開催。研修会には15名の信徒が参加聴講されました。はじめに参加者一同にて法門研鑽を祈念して勤行・唱題。その後、講義。
今回の研修会では日蓮大聖人御生誕800年を記念して正信会から発刊された「妙法蓮華経要品・現代語訳版」の拝読がテーマ。

研修会の開催にあたっては参加者一同にて『行学二道の御聖訓』を奉唱。行学二道の御聖訓というのは「諸法実相抄」の一節で、「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」との御文。この御書は真蹟遺文ではありませんが、仏道における信・行・学の大切さを述べたもので、日蓮門下の修行・修学の姿勢を自覚するために意味のあるお言葉です。
講義では妙法蓮華経要文を現代語訳で読み進めるために、「インドにおける仏典の成立、初期仏教から大乗仏教ヘの歴史、仏典の東漸と漢訳の歴史、鳩摩羅什と妙法蓮華経、天台法華思想と日蓮大聖人の仏法」について簡略に解説。

続いて、『月水御書』「法華経はいずれの品も左記に申しつるように愚かならねども、事に二十八品の中に優れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。去れば恒の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。又別に書き出だしてもあそばし候べく候。余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。寿量品・方便品をよみ候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」を拝読。

月水御書は大学三郎の女房にあてた御書と伝わりますが真偽未決の御書です。参考として御書システムの月水御書の解題から、宗祖が常の御所作(勤行)では方便品・寿量品を読誦することを教示されていたことをお伝えしました。
その後、方便品現代語訳「その時、世尊はゆったりとおごそかに冥想状態を解かれて、舎利弗に次のように告げられました。」から、増上慢の四衆五千人が退座する「彼らは座から退き、世尊もまた黙ったままで、それを制止されませんでした」までを丁寧に拝読。法華経迹門の要となる方便品の前段を親しく学びました。
拝読の続きは夏季法門研修会に行うことをご案内して2時間30分の研修会を終了。

相武山 山主

2021年04月30日

慰霊の供養をつとめて

妙法院には墓苑事務所の奥にペット墓「慈愛」が設けられています。ソメイヨシノの樹下にあるペット墓にはすでに20霊以上のペットが共同埋葬され、例年4月1日には慰霊供養を行っています。
今年も4月1日午後1時からの御経日に引き続いて、名残のサクラの下で香華を供え、ご信徒と倶に法華経要品読誦、南無妙法蓮華経の唱題を修して慰霊供養をいたしました。

ペットという言葉からのイメージは犬や猫が中心で、飼育愛玩している動物というのが一般的な理解だと思います。ペットの存在を認めて可愛がる方も多く、その輪も世界に広がっていますが、他方、本能的に受容できない方や、体質的に合わない方もいます。また、好ましくない経験などから忌避される方がいるのも事実です。ペットへの理解や対応、選択は個人のまったくの自由ですが、大切なことは自分と異なる認識や好みがあり、その事実を認め他者を尊重するという姿勢ではないかと思います。
ペットへの我が国の意識は欧米の影響もあって近年大きく変わってきているように思えます。ペットという表現が我が国で一般化したのは1980〜1990年代といわれており、そう長い歴史ではありません。そもそもペット(pet)とは日本では愛玩動物以外の意味で使われることは少ないようですが、英語では人間に対して使われる意味も含まれているようです。「愛玩動物、ペット、お気に入り、いいやつ、かわいい人、いい子、すてきなもの、あこがれのもの、(子供っぽい)不機嫌、すねること」などと解釈されるようです。

さて、一概にはいえませんが、我が国ではかつて飼育する犬や猫などを畜生と蔑視することがあったり、人間のしもべのように扱うことも珍しくはありませんでした。しかし、今ではペットを飼う家庭では「ペットは家族の一員」という認識がほとんど。多くの方が家族の一員として名前をつけ、他者には「うちの子」などと紹介しています。まさに家族そのものです。

ペットへの認識や定義については種々意見もあることと思いますが、
『ブリタニカ国際大百科事典』には
「愛玩動物のこと。大切にかわいがるために飼育されている動物をいう。かわいらしく愛嬌のある容姿,きれいな鳴き声,飼い主に従順な性格などがペットの条件としてあげられる。昔からおもに哺乳類,鳥類,魚類が飼われてきたが,近年はワニ,トカゲ,ヘビなどの爬虫類も人気を集めるようになり,両生類や昆虫類を含めて幅広くペットになりうる。そのなかで最も一般的なのはイヌ,ネコで,危険を察知したり狩猟の助けをしたり,ネズミをとるなど家畜としての役割を兼ねていたものが,長い歴史のなかで遺伝的に改良され,まったくの愛玩用になってしまった品種も少なくない。」とあります。

ペットはことばも通じないのに、なぜか家族と同じように強い絆を感じる存在です。そこから現代では「コンパニオン・アニマル(伴侶動物)」とも呼ばれるようにもなっています。したがってペットへの表現や対応もかなり慎重さが求められ、我々僧職がペット供養を希望されても従前のように「如是畜生」などという表現は憚られるようになり、施主(供養を願われる方)の気持ちを推し量った供養のかたちに変化を余儀なくされています。実際当山では個別にペット慰霊のための塔婆を依頼されたときには、かつてのように「○○号・如是畜生頓生菩提」ではなく、「慰霊追善供養」と書いて供養しています。

愛らしいペットの存在は飼育愛玩される方によって(飼育という表現が不適当と指摘されそうですが)それぞれ異なると思いますが、およそ癒やしや安らぎの対象であり、家族のコミュニケーションの対象となり、飼い主家族の生きがいにも通じる大きな存在となっています。ときに自宅などを猫屋敷や犬屋敷として、動物を虐待し周囲の人々に迷惑をかけるような人もいますが、ほとんどのペット愛好家はペットを家族の一員として人生のよすがとしているようです。

しかし、ペットも人間同様、「生・老・病・死」をまぬがれません。愛情が深ければ深いほど悲しみも深いものです。病気になってはうろたえながら治療し、老いてはできるだけの介護をします。寿命を迎えれば悲しみに襲われながら手厚く弔いたいと願う方が多いようで、情愛や人情が薄くなってきたといわれる現代に逆行するような温もりのある姿を多く見受けます。そこからはペットの置かれている位置が昔と様変わりしていることがわかります。ペットが可愛いという無条件的価値は当然として、核家族化や少子化、孤独や孤立生活など人間社会の環境変化がペットの存在価値を向上させているように思えます。
家族の一員であるペットを失うと飼い主家族の精神的ショックは大きく、だれもが「ペットロス」といわれるような経験を覚えます。そのショックが軽ければ問題ありませんが、中には悲しみが重症化して心の病や身体的な病気を患ってしまう人もいますから注意しなければなりません。ペットロス症候群等は人と動物との間に「深い絆」が存在するから起こる病です。

亡くなったペットも愛してくれた飼い主家族が悲しみから立ち上がれず、心身に支障を来たすような姿をみればきっと悲しむことでしょう。諸行は無常との真理に想いを馳せ、生前の存在に感謝して冥界の安寧を祈り、自身の心のバランスをとることが大切です。

大乗仏教ではあらゆる存在の成仏が説かれていますからペットも当然その対象です。法華信仰の家族と倶に生活したペットは、法華経に説かれるように信仰の功徳によって仏さまのお側で安らいでいることでしょう。私たち家族もジョン、ボブ、タロー、を仏さまの世界に送りました。恒例となった慰霊の供養をつとめながら在りし日の可愛い姿を偲び、ペットについて種々思いを巡らした慰霊供養法要でした。

相武山 山主

2021年04月27日

御生誕八百年記念法要

今年は日蓮大聖人御生誕800年の佳節。コロナ禍という緊急事態ですが日蓮門下ではそれぞれに御報恩のまことをささげました。当山では旧暦の2月16日にあたる3月28日(日)午後1時から記念法要を奉修。
当日は朝方から小雨模様、法要の前後は曇天でしたが境内のソメイヨシノは満開。昨年末の境内整備によって本堂前から市民の森のサクラも一望できました。800年前の宗祖のご誕生もこのような花の時季であったのでしょう。まるでサクラが御生誕を祝福しているように思えました。

思いのほか参詣者が多く椅子を増設することになりましたが法要は定刻に開始。はじめに私から法要について、寿量品読経のおりに御報恩のため全員で沈香を献香申し上げ、自我偈は訓読することを案内いたしました。その後、献膳、読経、献香、唱題と如法に厳修。参詣者一同で御生誕八百年を慶祝申し上げました。

法要後の慶祝の法話では初めに法華経分別功徳品第十七
「如来の滅後に、もしこの経を聞いて、毀呰せずして随喜の心を起こさば、まさに知るべし。すでに深信解の相と為すなり。いかにいわんや、これを読誦し、受持せん者をや。この人は、すなわちこれ如来を頂戴したてまつるなり」を拝読。
宗祖の御生誕八百年を機縁に末弟としてさらなる仏道精進を誓い、慶祝記念に正信会より発刊された「妙法蓮華経要品 現代語訳付」を紹介。南無妙法蓮華経のお題目を秘めた法華経に親しむことの大切さを述べ、4月の春季法門研修会などで丁寧に内容を解説して行くことをお伝えしました。

また、コロナ禍で菩提寺に参詣ができず、宗祖の教えや信仰を学ぶ機会が難しいこと、高齢や病のため参詣できない檀信徒が多いことなどから、ウエブやDVDで御講や日曜法話会の内容を配信することを検討していることを報告。すでに3月の御講と法話会は収録済みで希望者に配信して試聴頂いていることをお伝えしました。

その後、法華経読誦やお題目を唱える意味をわかりやすく解説し、日本仏教史を概観しながら日蓮大聖人の仏法について「鎮護国家・権力者のための仏教から庶民救済の仏教へ。煩悩断尽の覚りの仏教から下根下機救済の仏教へ。原始仏教・小乗仏教から大乗仏教へ。大乗仏教の精華である法華経から文底の南無妙法蓮華経のお題目へ。深い信心の決定を願う成仏。現実社会で力強く生きるためのお題目。」であることを述べました。
結びに参詣者の皆さまと共々に御生誕八百年を慶祝できたことに感謝を申し上げました。

相武山 山主

2021年03月31日

春のお彼岸

今年の春のお彼岸は17日が彼岸の入りで20日がお中日23日が彼岸の明け。東京ではサクラの開花が進んでいるようでしたが、当山の周囲ではまだほころび始めたばかりという風情でした。コロナ禍のお彼岸ですから参詣案内も遠慮気味となり、例年よりも静かなお彼岸となりましたが、参詣できなくても郵便にて供養を願い出られる方々も多く、檀信徒皆さまの篤いご信心にふれることになりました。

法要は三密を避けて、17日(水)と20日(土)と21日(日)の3回にわたって執行。20日と21日は法要の前、午前11時から樹木葬墓地と永代供養墓久遠廟にて、香華を供え塔婆を建立して追善の読経・唱題。参詣者はわずかでしたが真心の御回向を申し上げました。
17日と20日は穏やかな日和の中での法要でしたが、21日は一転、参詣者はかなりの豪雨に濡れながらお出でになりました。ご先祖と有縁精霊は雨天にもかかわらずお彼岸の供養に参詣された方々の思いにさぞかし感謝しておられることでしょう。彼岸法要では如法に献膳、読経、焼香、唱題を勤め、日興門流先師への御報恩、妙法院檀信徒有縁精霊と願出の塔婆供養への御回向を懇ろに申し上げました。

法要後の法話は『上野殿御返事』より「日は西よりいづとも大海の潮はみちひずとも仏の御言はあやまりなしとかや。 ー 略 ー 故親父は武士なりしかどもあながちに法華経を尊み給ひしかば、臨終正念なりけるよしうけ給はりき。其の親の跡をつがせ給ひて又此の経を御信用あれば、故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん。あはれいきてをはせばいかにうれしかるべき。此の経を持つ人々は他人なれども同じ霊山へまいりあはせ給ふなり。いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば、同じところに生まれさせ給ふべし」を拝読。

日蓮大聖人はこの御書で、上野殿父子の絆の深さと法華信仰継承の尊いすがたを賞賛され、法華信仰者は等しく霊山往詣するのであり、同信父子は必ず巡り会い悦び合うことになることを述べ、法華信仰が現当二世の功徳を積むことを教えています。
また、諸行は無常と語る仏教者としての立場に拘泥することなく、幼くして父親を失った上野殿の心中に思いを寄せ、親子の情愛の深さと人情のありようを認められています。そこには覚りのみに執着しないぬくもりのある大乗仏教の精神が説かれていることをお伝えしました。

相武山 山主

2021年03月31日

厳かに令和二年度御会式を奉修

24日・25日の両日は当山の御会式。弘安五年(1282)十月十三日の日蓮大聖人ご入滅を期して奉修される御会式は日蓮門下僧俗にとって最も重要な法要です。富士日興門流では日蓮大聖人は末法の法華経の行者であり末法の仏さまと拝信。その滅・不滅、常住此説法を寿ぎます。例年、信徒の皆さまと真心込めて厳粛かつ賑やかに執り行っていますが、コロナ禍で世相が大きく変化しつつあるように、今年の当山の御会式も例年とはちがうかたちとなりました。

御会式のご宝前を荘厳するお花つくりは9月から信徒有志の協力で始められ、今月の1日、11日、13日に竹ひごに巻き付けて完成。堂宇の大掃除は17日(土)午前10時から。あいにくの雨天でしたが数名のご信徒と本堂や客殿、受付やロビーの窓を拭き、トイレの清掃などを行いました。また、22日(木)は10時から餅つき。今年も小原さんのご協力と興厳房のサポートでかさね餅と竿餅が無事につき上げられご宝前にお供えされました。御会式の準備は毎年のこととはいえかなりの手間と時間がかかります。しかし、手間暇と心労を向けるところに信仰の価値があるのですからささやかな悦びです。


今年の御会式は24日(土)午前11時からのご宝前お飾り、午後からの御逮夜法要、翌25日(日)の御正当法要。また、密を避けて法要時間外の自由参詣と、信徒の皆さまには4回に分けての参詣をご案内。例年は御逮夜と御正当の法要において信徒と臨席僧侶によって申状が奉読されますが、今年は執事の興厳房による日有上人の申状と私の立正安国論の奉読としました。また、時間短縮を考慮し講演もとりやめて住職からの挨拶で終了。
24日と25日は8月末以来の週末連日の晴天。気象予報で報じられるくらいですから、しばらく週末の天気には恵まれていなかったことがわかります。さわやかな清風が法華の境内を流れる中、厳かな御会式を奉修することができました。

自由参詣を選択された約10世帯の方々は三々五々家族でのご参詣。荘厳された本堂に進み大聖人さまへの御報恩を申し上げました。また、高齢や体調の不良、都合によって参詣できないご信徒十数名からも手紙や御供養をお届け頂きその貴い志を御会式のご宝前にお供えいたしました。
感染予防にしっかりと配慮し3回に分けた法要にはそれぞれ15名、20名、35名の信徒が参詣。献膳、要品読誦、日有上人申状・立正安国論の奉読、自我偈の訓読、そして南無妙法蓮華経の唱題と如法に奉修。最後に講中世話人によるお花くずしにて参詣者にはお供物が振る舞われました。


御会式が終わると一気に秋が深まり新年への始動となります。新型コロナウイルスの感染に負けることなく、法華の寺としてのお務めをしっかりと果たして行こうと誓願申し上げた御会式でした。

相武山 山主

2020年10月30日

秋のお彼岸

「寒さ暑さも彼岸まで」との言葉どおり、秋の彼岸を境に秋風がわたってきました。今年の秋の彼岸は19日(土)が入りで22日がお中日でした。コロナ禍の中での彼岸会ですから当山も三密注意、マスク着用、消毒奨励という感染予防の徹底で臨みました。

19日(土)は11時から久遠廟での彼岸供養。11時30分からは樹木葬墓地での彼岸供養を勤めました。それぞれ香華を供え、納骨埋葬諸精霊のために塔婆を建立。法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経の唱題。懇ろに追善御回向を申し上げました。

当山の墓地や永代供養墓、樹木葬をご利用の皆さまはとても情愛の細やかな方が多く、7月&8月のお盆にも連日お参りになっていました。8月のお盆からまだ一月しか経っていませんが、秋の彼岸中、朝から夕方までまさに三々五々という風情でお参りになり、境内には終日お香のかおりが漂っていました。

今年の彼岸法要は20日(日)21日(月)22日(火)と三日にわたって執り行いました。20日は少し参詣者が多く心配しましたが全体的にバランス良くお参りを頂きました。今回の法要には弟子の坂上純興師にも臨席頂いたので寺務もスムースに運びました。法要はご宝前と塔婆が立ち並ぶ精霊壇に供物をそなえ、献膳・読経・焼香・唱題と如法に奉修いたしました。

法要後には3日間ともに『単衣抄』を拝読。
「信徒より単衣一領を供養されたことに対しての宗祖の返書。内容は建長五年の立教開宗以来、建治元年に至るまで、法華経の行者日蓮に対する数々の難について述べ、それらは如来の金言の実証であるという確信が語られている。続いて、身延の山において衣食に厳しい生活を送っているところに、単衣帷子を頂戴したことへの感謝を述べ、帷子を着て『法華経』を読誦する功徳はすばらしく、単衣帷子を供養された夫婦にとっては今生の祈りとなり、臨終来世の功徳となる」と述べられていることを中心に法話を申し上げました。

法要後、参詣者は各自建立回向されたお塔婆を持って墓所に向かわれ、ご先祖精霊に香華を手向けていました。
穏やかな秋の彼岸の風情もお中日まで。その後は台風の接近や秋雨前線の影響でしばらくすっきりしない雨模様でした。

相武山 山主

2020年09月30日

龍ノ口法難会

12日(土)と13日(日)の両日、龍ノ口法難会を執り行いました。13日は午前中の日曜法話会に引き続いての法要。参詣の皆さまと献膳・読経・焼香・唱題と如法に御報恩申し上げた次第です。
仏教寺院ではその年中行事をみれば、およそその寺院の教えと信仰が理解できるようになっています。当山でも年中行事を丁寧にたどると日蓮法華宗、富士日興門流の教えと信仰の概要が理解でき、1月から12月までの年間行事にすべて参詣すれば日蓮大聖人の御事跡もよくわかります。年中行事への参詣が大切といわれるゆえんです。

この春以来、コロナ禍もあって当山でも行事や法要への参詣は自粛をお願いしてきましたが、7月からは三密を避け感染防止に注意して少しずつ参詣頂いています。皆さまバランス良くお参り頂き、本堂内も密になることはなく、全員マスク着用で静かに読経・唱題を勤めていますので、油断はできませんが当面はこのスタイルでやむを得ないかなと思っています。

時局柄やむを得ないことですが、人間は文字通り、他者との関わりや交わりによってさまざまな活力が生まれますから、仏道においても信仰の道場である寺院に僧俗が集い、倶に信行に励むことによって信仰心も磨かれます。それが、「みんなで一緒にお参りができない、学び合えない、啓発しあえない・・・」となる現況は実に残念でなりません。
しかし、法華経では諸法は実相(あらゆる存在の姿に偽りはない)と説かれていますから、私はこのコロナ禍によって私たちの寺院や信仰のあり方についても再考がうながされているのではないかと考えています。
振り返ってみれば仏教寺院のあり方や活動も歴史の波に大きく影響されてきました。もちろん真理を説く宗教として時代の変化に左右されない普遍性は堅持されますが、時代によって変化したものも少なくありません。いつの時代もどの分野においても存続してきたということは、存在意義が認められ当事者の知恵と工夫と努力がなされてきたことに他ならないのです。

徳川の時代、庶民統治の一環として檀家制度が利用され全国には多数の寺院が建立されました。しかし、その後、明治時代の廃仏毀釈の嵐や戦後の都市化の波に洗われ、檀家制度意識もすっかり弱くなり、全国に約7万7千存在するという寺院も、今や住職がいない無住のお寺や修理もできずに維持が困難なお寺が3割以上もあるというのですから、深刻な危機を迎えているといっても過言ではありません。
仏教の教えや信仰はいかにすばらしくてもその護持伝承は容易なことでありませんから、私たち仏教徒の覚悟と精進が今問われていると思うのです。

【宗祖の心意気】
法要後の法話は『四条吾殿御消息』を拝読。真偽未決の御書ではありますが宗祖の心意気が伝わるような御書です。
「度々の御音信申しつくしがたく候。さてもさても去ぬる十二日の難のとき、貴辺たつのくち(龍口)までつれさせ給ひ、しかのみならず腹を切らんと仰せられし事こそ、不思議とも申すばかりなけれ。
日蓮過去に妻子所領眷属等の故に身命を捨てし所いくそばくかありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。成仏のためならざれば、捨てし海河も仏土にもあらざるか。
今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におとるべしや。
其の故はすでに法華経の故なるがゆへなり。経に云く「十方仏土中 唯有一乗法」。此の意なるべきか。此の経文に一乗法と説き給ふは法華経の事なり。十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり。除仏方便説と見えたり。若し然らば、日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか。
娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に、日蓮が命をとどめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」
以上。

御書システム(興風談所)の解題には
「本状は龍ノ口法難の九日後、依智本間邸にて四条金吾に宛てた書状である。冒頭龍ノ口法難の際、宗祖が頸を切られたならば腹を切ると述べたことを、感慨を以って語られている。これは後弘安三年十月八日の 番号384「四条金吾殿御返事」(『定本』2巻1800頁。真筆は無いが大石寺六世日時『三師伝』に引文される)に「殿は馬の口に付て足歩赤足(かちはだし)にて泣悲み給、事実にならは腹きらんとの気色なりしをば、いつの世か思忘るべき。」とあるのと符合する。
更に『方便品』の「十方仏土中唯有一乗法」との経文の如くならば、頸の座に据えられた相模国片瀬龍ノ口こそ寂光土であること、又霊山にては四条金吾こそ『法華経』の故に腹を切ろうとした法華経の行者であると釈尊に申し上げること、そして月天子は光り物として頸の座に、明星天子は本間邸に下り日蓮に見参し、残る日天子の加護がいかばかりか楽しみである等と述べられている」とあることを紹介。

宗祖が法華経と合一された龍ノ口を寂光土とよばれたように、「私たち門下僧俗も自らの仏道修行の地を寂光土といえるよう信行に努めること。職場であれ、学校であれ、家庭であれ、社会であれ、一方的に環境が悪いと愚痴をいうのではなく、艱難辛苦を覚えながらも人生の大切な局面と心得て、汗を流して努力し、道を切り拓いてゆくことはすばらしく、その世界も輝く」とお伝えしました。

相武山 山主

 

2020年09月28日

悦び身に余れり

日蓮門下にとって9月といえば宗祖の「龍ノ口の法難」が自然に想起されます。龍ノ口法難とは文永8年9月12日、日蓮大聖人が相模国片瀬龍ノ口(現在の藤沢市片瀬)において、時の為政者により斬首という厳しい処罰を蒙った事件のことで、法難とは仏法弘通のために受けた迫害や苦難を意味しています。

日蓮大聖人は真摯な仏法研鑽の上から、大乗仏教の精華である法華経こそ末法の荒凡夫を成仏へと導く教法であると覚悟され、その弘通に人生のすべてをささげられました。しかし、国民の安寧を祈り立正安国論を著して為政者に奏上し、法華最勝・妙法題目専修の信念から他宗他門を批判しましたから、時の権力者やその一門、念仏宗や禅宗など諸宗の僧侶、その檀信徒から生涯にわたって批難迫害を受けることになったのです。

法華経には「一切衆生の差別なき成仏を説く法華経を信受し弘通する者は、理解されない者から批難され迫害される」と説かれています。「すべての人々の平等の成仏と本仏の久遠を説く法華経こそ教主釈尊の真実の教えである」と覚悟された日蓮大聖人は、建長5年の立教開宗より池上でのご入滅まで、法華弘通による衆生救済を誓願実践され、さまざまな困難や迫害を超克されて法華経の行者としての生涯を歩まれました。

仏教は釈尊の開創以来、広範な国や地域や民族にわたって伝播し、それぞれの自然環境や習俗、歴史や文化や伝統などの影響を強く受けながらさまざまな変遷を遂げました。したがって仏教としてゆるがせにできない基本的思想は共通しているものの、その時代や国や地域、民族などによって違いがあり現代に至っていますから一様ということにはなりません。

西暦6世紀、インド創唱の仏教が約1000年の時と数千キロの距離を経て我が国に渡来しましたが、日本では小乗仏教と大乗仏教、仏像と菩薩像を同時に受容しました。小乗仏教の諸学派は仏教の基礎として学ばれましたが、私たち凡夫の仏道成就は大乗仏教に求められたのです。
その理由としては「小乗仏教では資質と環境に恵まれた極一部の比丘・比丘尼にしか仏道の修行・修学ができない。釈尊のように煩悩を断尽して完全な覚りを得ることができないと考えた比丘・比丘尼は阿羅漢にとどまる。自分の覚りがすべてに優先し、他者の救済には思いが至らない。仏教が一部の限られた比丘・比丘尼の占有であることが果たして釈尊の本意であろうか。自分だけの覚りと安心を求めるのではなく、より多くの人々と倶に救われる仏道(大乗仏教)こそ釈尊の本意ではないのか」ということによるものです。

差別なくすべての人々に成仏という救済の道が開かれていると説くのが大乗仏教の精華である法華経です。宗祖はその法華経の文々句々を御仏の言葉であり神髄であるとして受容され弘通に励まれました。
その結果、龍ノ口での法難を招くことになったのですが、命に及ぶ法難はもとより覚悟の宗祖ですから、『下山御消息』には「信心をも増長せんと退転なくはげみし程に、案にたがはず、去ぬる文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。外には遠流と聞こへしかども内には頸を切ると定まりぬ。余又兼ねて此の事を推せし故に弟子に向かひて云く、我が願既に遂げぬ。悦び身に余れり」と述懐されています。

ここでは「貴重な人生、得がたき仏縁、会いがたき法華経」と覚知された宗祖が、有限の人生のなかで永遠の真理である南無妙法蓮華経と凡夫の我が身が合一できた悦びが語られています。龍ノ口法難は宗祖にとって最大の宗教的クライマックスといっても過言ではなく、この法難の後、佐渡での流罪から身延山でのご法門の開顕へと教えと信仰が表白されて行きます。
私たちは煩悩を断尽できない不完全で未熟な存在であり、宗祖のような覚悟は定まりませんが、人生は「生・老・病・死を免れない限りあるもの」であることを熟考し、自らの信仰・信念を不断に磨いて悔いの少ない人生を歩みたいものです。
日蓮門下僧俗にとって龍ノ口法難会は真に意義深い御報恩法要なのです。

相武山 山主

2020年09月27日