相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

新暦の盂蘭盆会

もどり梅雨のような天候が続いた7月13日、15日、16日の三日にわたって新暦の盂蘭盆会を執り行いました。妙法院では新暦の7月にお盆の供養をされる方と月遅れの8月にお盆の供養をされる方が居られます。したがって7月と8月の二度法要を執り行うことになります。以前は7月に参詣される方が多かったのですが近年は8月にシフトしているようです。

13日(水)は宗祖の報恩講とご一緒に追善の供養を営みました。15日(金)には法要に先立ち三師塔にて御報恩の読経・唱題を申し上げ、続いて永代供養墓久遠廟と樹木葬墓地での供養会を執り行いました。時折強い雨が降るなか午後1時から盂蘭盆会を奉修。
法要では参詣者の唱題の裡に住職が下種三宝尊への献膳。続いて塔婆が建立された精霊壇でも献膳。その後、法華経要品読誦、寿量品では参詣者が順次精霊壇に進み懇ろにお焼香。唱題を勤めて住職により先祖有縁精霊への御回向がなされました。

法要後の法話では始めに盂蘭盆会のいわれについて「盂蘭盆会は飛鳥の時代、推古天皇(西暦606年)十四年七月十五日斎会を設けたのが初めてとされる。当初は朝廷や貴族、有力者たちによって営まれていた仏教行事。江戸時代に檀家制度などによって庶民にも広まり今日では日本の習俗、伝統となっている。盂蘭盆の由来は目連尊者がその母青提女を餓鬼の世界から救う物語。慳貪の科によって餓鬼の世界に堕した青提女の姿を通して、我々凡夫が欲望に振り回され苦海に誘われることを誡めている仏教行事。また、関東などでは新暦7月15日に盂蘭盆会を執り行っているが、全国的には月遅れの8月15日が多く、旧暦で行う地域もある」と解説。

続いて7月は日蓮大聖人が立正安国論を時の為政者に建白された月であることから安国論の前段と末文を拝読。
「立正安国論に示された宗祖の仏教観は大乗仏教の精華たる法華経の具現化にある。それは釈尊の原始仏教やその後の上座部仏教にみられるように、特定の限られた人々が己の煩悩を断尽して専ら覚りを追求し、六道輪廻を解脱することをめざす自利の仏教ではなく、仏教の基本思想を修めながら現実世界の矛盾や不条理を超克して、自他共に仏国土の建設に努める大乗の仏教。また、日蓮大聖人の仏法は厭離穢土・欣求浄土を希求する浄土教のように娑婆世界を厭うのではなく、さまざまな障害のために仏道修行をおさめることが難しい現世であるからこそ、分に応じた仏道を修めて法華経への信仰を決定し、現世では刹那の成道に安らぎ、来世は法華経の説かれる霊鷲山に往詣する功徳を積む教えである」と述べ、仏道修行の一環として盂蘭盆会に参詣することもたしかな功徳であると法話を結びました。

今年の新暦のお盆はコロナ禍の第7波が押し寄せたことと、戻り梅雨による連日の降雨もあって例年よりも参詣者の少ない静かなお盆でした。

相武山 山主

2022年07月28日

御誕生会を奉修

2月13日(日)午後1時、しとしとと冷たい雨が降る中、日蓮大聖人の御誕生会を執り行いました。宗祖のご誕生は2月16日と伝えられていますから3日ほど早いのですが、2月は行事が重なりますので繰り上げさせて頂き、月例御講と併せて奉修いたしました。


御宝前に赤飯の御膳をお供えし、参詣者の唱題裡に献膳を申し上げ、法華経要品を読誦、献香、南無妙法蓮華経の唱題と懇ろに宗祖のご誕生を報恩申し上げた次第です。

法要後の法話では佐渡御書「日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず。不軽品に云く「其罪畢已」等云云。不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし。何に況や日蓮今生には貧窮下賤の者と生まれ、旃陀羅が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸して赤白二渧とせり、其の中に識神をやどす。濁水に月のうつれるが如し。糞嚢に金をつつめるなるべし。
ー 略 ー 此の経文を見ん者自身をはづべし。今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは、是れ仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり」を拝読。

誕生会なので宗祖の出自について他宗の祖師との違いを述べ、人間の価値は出自や家柄、資質や知識、学歴や地位、肩書きや資産などで判断されるものではなく、その人がどのような志をもち、どのような人生を歩んだかで判断されるべきという仏教的視点をお伝えしました。

また、宗祖はご誕生前年の承久の乱について常に言及されていたことから、誰もが生を受けた時代や環境に影響を受けることを解説。さらに宗祖の遺された御書を拝読するにあたってはその真偽と背景を学ぶことの重要さを述べ、「御書システムの解題」の活用をお勧めしました。

開催中の冬季オリンピック北京大会にもふれ、アスリートの言葉が多くの人々の琴線に触れることについて、『資質に恵まれたアスリートがさらに演技を磨き上げて競技した直後に語る言葉であるから。そこには偽りのない、飾ることのない本音の言葉であるから』と所見をお伝えしました。

昨年はコロナ禍のために御生誕800年を思うように慶祝できずに残念でしたが、私は遇不遇、幸不幸、苦楽などあらゆる事象にはきっと何らかの意味があると考えていますから、宗祖御生誕800年の佳節をコロナ禍によって願うように慶祝できなかったことにも、きっと何らかの意味があるのではないかと思っています。

思うようにならぬことを否定的に捉えるのではなく、法華弘通による法難を仏法の悦びと捉えた宗祖の御振舞いを鏡として、自らを信じ、仏法の道理を信じ、より力強く意義深い人生をあゆむ力に変えて行くことが大切だと思うのです。そのためにも南無妙法蓮華経のお題目を心をこめて唱え信仰を深めて行きたいものです。

相武山 山主

 

2022年02月26日

興師会(せり御講)を奉修

2月7日は法華宗日興門流の門祖白蓮阿闍梨日興上人の御命日。当山は昭和56年(1981)2月7日の開創ですので当山の開創記念日でもあります。
コロナ禍も三年目に入りましたが、未だまん延防止等重点措置が講じられる状態で世相が落ち着くことはありません。妙法院の行事や法要も自粛下ですので静かな状況が続いています。そのような時局ですが、2月7日には数名の御信徒と倶に興師会(芹御講)を奉修いたしました。

御宝前には日興上人が好まれたと伝えられる清々しい芹をお供えし、真心こめて読経・献香・唱題と如法に奉修。上人への御報恩を申し上げ、妙法院開創以来の歩みを振り返りました。法要後には私より日蓮大聖人がご入滅にあたり六老僧を選定されたこと、なかでも法華宗日興門流の門祖としての日興上人のお給仕と法華弘通について解説し挨拶としました。

その後、執事の興厳房が日興上人の御生涯をレジメに沿って丁寧に解説。ことに「日興上人の出会いと選択」について、さまざまな人生の出会いを法華信仰に活かし、「日蓮が弟子」という揺るぎない信仰に照らして選択された人生であったことを語っていました。参詣者も日興上人への理解を深めることができたのではないでしょうか。
コロナ禍が収束して御信徒の皆さんと一緒に、賑やかに日興上人への報恩会を執り行いたいと感じた静かな興師会でした。

相武山 山主

2022年02月25日

除災招福を祈って

節分は立春の前日の行事。立春が旧暦の新年ですからその大晦日にあたり、新年を迎える前の邪気を祓い、一年の無病息災を祈るものです。中国由来の除災招福の行事として現在は日本の習俗となっています。
当山でも2月3日に節分会を執り行いました。一般的には鬼を災厄に見立て、「豆(魔滅)をまいて鬼を追い払う」というイメージですが、本来、仏教行事というよりも日本の習俗として親しまれているもので、当山では厄年などを意識して心身の健康に注意をはらう行事としています。

当日は午後1時から御宝前に福豆をお供えし、法華経要品を読誦・南無妙法蓮華経の唱題とお勤めして疫病の退散、衆生の安寧を祈願。さらに災厄祈願を申し出られた方々と参詣者の方々の現当二世にわたるご健勝を祈念いたしました。
寿量品長行では私が「福は内」と念じて御宝前に福豆をまき、興厳房が本堂から客殿、ロビーから寺務所、客殿に福豆をまいて除災招福を祈りました。

法要後は節分のいわれを参詣者にお伝えして福豆を振る舞いました。今年は新型コロナも三年目ですから疫病の退散を強く祈念した次第です。

相武山 山主

 

2022年02月25日

令和4年の初御講

毎月13日は日蓮大聖人の命日忌御講(御報恩講)。日蓮門下では1月の御講は年の初めであることから「初御講」として大切に営んでいます。現在はコロナ禍のために寺院の行事や法要も感染防止が第一。自粛というかたちを余儀なくされていますが、コロナ禍が収束したならば毎月の信行の要としての御講を啓蒙したいと考えています。

初御講では唱題の裡に仏祖三宝尊への献膳、法華経要品読誦、献香、唱題と如法にお勤めいたしました。化義や行儀は心の想いをかたちに顕したもの。献膳、読経、献香、唱題、そのすべてが末法の法華経の行者日蓮大聖人への御報恩となります。
ときに『いつも同じことを・・・』と思う方も居られるかもしれませんが、変える必要がなければ、常に変わらずに行うことによってうったえているものがあるのです。仏の教えを護り伝えることが仏教寺院の最も大切な責務ですから、儀式や行事にこめられた教えと意義をくみとって頂ければ有り難いことです。

法会に続いては法話。御講での法話は日蓮大聖人の遺された御書を拝読。御書から日蓮大聖人の教えをお伝えしています。1月の初御講では初勤行会で拝読した重須殿女房御返事をさらにふみこんで解説して信行の糧として頂いています。

はじめに御書の拝読について『同じ御書を拝読しても自らの仏教理解、信仰の浅深、自身の置かれている環境などによって、教えの受け止め方や理解は異なる。丁寧に拝読して宗祖の御心にふれ、教えと振る舞いを己の人生に活かすことが大切。慢心を排して一抄、一抄丁寧に拝読したい』とお伝えしました。

拝読御書の内容については
『仏教では因果の教えが基本的に説かれている。私たち凡夫は因果についてタイムラグを覚えるが、法華経では蓮が花と実を同時につけることから因果倶時を教えている。凡夫はまつげの近きと虚空の遠くを見ることができないとは、己自身の存在と有り様、宇宙の存在と有り様を理解することの難しさが説かれている。私たちは事物事象の認識として、地獄と仏、善と悪、迷いと悟り、浄と穢、黒と白、貴と卑、高と低、浅と深等々、対比し二元的に捉えやすいが、法華経では汚泥の中から清らかな蓮が花開くように不思議を認識することの大切さが説かれている。大乗仏教の根本思想がこめられた法華経を受持して確かな人生を歩もう』と述べました。

日蓮大聖人は『南無妙法蓮華経のお題目に仏法のすべてが納められている。事の一念三千たる南無妙法蓮華経のお題目を唱えることによって自らの生きる力が導き出される。人生に生起するさまざまな苦悩や迷惑、悲哀や不安、不条理や理不尽などを唱題によって克服し、己の人生の意義を覚知しなければならない。南無妙法蓮華経のお題目の力用(りきゆう)を深く信じて功徳を積むこと』をご教示とお伝えしました。

結びに日興門流の再興を願う正信会では今年一年「学ぼう法門、語ろう信心」を活動方針としていることから『仏教や法華経にはより良い人生を歩むための貴重な智慧が説かれている。仏教の叡智は広く深く難解なために近寄りがたく感じるかもしれないが、大乗仏教の教えは人生を切り拓く智慧であり力である。法華経を尊崇するばかりでなく一つでも二つでもその教えを自らの人生に活かして行こう』と述べました。

初御講では時間の制限もあることから、自宅で学ぶことができるように、重須殿女房御返事の「解題、重須殿と女房のいわれ、現代語訳」をプリントして参詣者に配布しました。
毎月13日は日蓮大聖人の御講。菩提寺への参詣を心がけ参詣できなくても自宅の御本尊さまに御報恩を申し上げましょう。

相武山 山主

2022年01月28日

雪と春の七草

最近の天気予報はときに外れる場合もありますが昔に比べれば格段に向上しています。1月6日(金)はかなり前から関東地方も積雪との予報。気象庁の予報は見事に的中。横浜でも朝から雪が舞い始め夕刻にはうっすらと雪化粧となりました。
雪化粧などといえるのも雪国のような深刻な対応と被害がないために語れる言葉。雪国で生活する人々にとって積雪は愛情と憎悪の入り交じった複雑な感情の対象でありましょう。

私は北国で生を受け雪国での生活も経験しているので、日頃降雪も少ない関東や東海などで雪が舞い始めるとどうか事故がないようにと祈らずには居られません。雪が降ると些いなことでも交通事故や転倒事故が起こるからです。時には命にも及びますから雪に油断は禁物。細心の注意を払っていても事故になることがあります。まして能天気にいつもと変わらぬ行動しか取れなければ危険極まりなく、他者にも大きな迷惑をかけることになってしまいます。

当山では例年1月7日に御経日を執り行っています。年頭に参詣できない方やゆっくり初参りしたいとお考えの方も居られるからです。この日も名残の雪の中を十名ほどの方がご参詣。皆さまと一緒に門流先師先達への御報恩、当山檀信徒有縁精霊への追善御回向を懇ろに申し上げました。

法会後の法話は重須殿女房御返事を拝読。『この御書は晩年の宗祖が初春を寿ぎ法華経に志を供えられたご婦人に、法華経と宗祖の教えをわかりやすく示された御書。平易に法華経の根本的教えが語られている。拝読する私たちの心の持ち方や理解の仕方で、いくらでも広く深く仏教のおしえを展開することは可能。法華経のおしえは人生に必ず役立つものであるから一つ一つの教えを疎かにしないで学んで行こう』とお伝えしました。

この日は春の七草の日。我が国では春の七草を入れた「七草粥」を頂く風習があります。年末年始のおせちなどで疲れた胃や身体をいたわり、七草粥を食べて邪気を払い一年の無病息災を願うものです。


昨年はコロナ禍で御経日の後に七草粥をお出しすることはできませんでしたが、ここ数年は私が七草粥をつくって参詣者の皆さんに振る舞っていました。今年は興厳房が初のチャレンジ。
興厳房も気合いが入っていたのか、とても良い仕上がりで参詣の皆さまに喜んで召し上がって頂きました。

相武山 山主

2022年01月28日

続・コロナ禍のお正月

令和4年の年明けは一年前のような新型コロナ感染拡大とは異なり、オミクロン株の感染は伝えられるものの静かな環境で迎えることができました。無事であることは本当にありがたいことだと実感した次第。例年当山のお正月初勤行会(はつごんぎょうえ)には檀信徒の方々が家族ずれで約250人ほどが参詣。御本尊様に初春のご挨拶を申し上げ、自身の誓願を祈念して新年のスタートを切られます。

初勤行会や初詣では一年に一度しかお会いできない方も居られますから、久しぶりのお顔を拝見するのも私の大きな愉しみ。子どもさんなどは1年お会いしないとすっかり大きくなられて見違えるほどです。また、短い時間ですが近況をうかがうのも愉しみにしています。
しかし、昨年はコロナ禍の最中でのお正月。三ヶ日の初勤行会も例年の半数ほどのご参詣でした。今年は昨年秋からの小康状態が続いていましたから昨年よりは多くの方が参詣されました。

【元朝勤行会】
一日は午前零時から元朝勤行会を奉修。冬らしい冷気が境内を包む中、令和3年から令和4年への年明けを参詣の檀信徒の皆さんとご一緒に法華経への祈りで迎えました。コロナ禍も考慮して丁寧な五座の勤行はお勤めできませんでしたが、皆さまと倶に厳粛な心で御本尊様に勤行・唱題を申し上げました。

勤行後は恒例の重須殿女房御返事を拝読。『新たな年を迎えたのですから、旧年の出来事は己の心に納め、法華経の御宝前に立てた誓願を一年間意識し、令和4年も悔いのない一年といたしましょう。何かと忙しい人生ですが日蓮大聖人の門弟としての自覚のもと、常に宗祖の遺された御書に親しみ、信仰を深めて自らの貴重な人生を磨き上げてまいりましょう』と年頭のご挨拶を申し上げました。

【初勤行会】
雪国の皆さんには申し訳ないほど今年も関東のお正月は雲一つない澄み渡る青空が広がりました。穏やかな風光でまさに初詣びより。当山ではご案内のように1日~3日まで一日2回、初勤行会を執り行いました。

昨年同様コロナ禍を意識し、法華経要品は方便品と寿量品自我偈を読誦、宗祖御証得の南無妙法蓮華経の唱題も時間を短くしての初勤行会です。参詣者の皆さまと倶どもに疫病の退散と社会の平安を祈念申し上げ、参詣者各位の信行増進、謗法罪障消滅、心願満足、家内安全、一切無障礙を御祈念申し上げました。

勤行の後には重須殿女房御返事を拝読。
参詣者の皆さまにもプリントをお渡しし例年どおりご一緒に黙読頂きました。
拝読後は『重須殿女房御返事のいわれ。年の初めを慶祝され、ものごとの源や基本、根本や大道を大切にされる日蓮大聖人の教え。初春に法華経の御宝前に参詣される功徳。法華経では一切衆生の心に十の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)が具備していると説かれている。自らに内在する性分を導き出すものは外縁であるから、善縁を大切にして悪縁からは離別することが人生の肝要。法華経では地獄と仏も自らの心に在ると教える。幸や不幸、苦や楽、悦や悲、遇や不遇、を定めるのは己自身。小事は積もりて大事となる。悔いのない一年は一日一日を大切にすること・・・』を述べ、結びに倶どもに仏道を学び修めましょうと初春のご挨拶を申し上げました。

今年もコロナ禍を考慮してお屠蘇と祝い昆布は容器にて皆さまにお渡しし、ご家庭で愉しんで頂くこととしました。一日も早い疫病の退散を皆さまと倶に祈念申し上げた初勤行会でした。
檀信徒並びに法縁の皆さまには今年もよろしくお願い申し上げます。

相武山 山主

2022年01月27日

新年を迎えるために

12月26日(日)は午前10時から歳末の大掃除。
すっかり冬枯れの風情となった当山では初冬の寒気を覚える中、三師塔を中心とした境内、バス通りからの参道、玄関からロビー、客殿、そしてトイレ等、檀信徒有志の方々によって歳末の大掃除を行いました。誰もが忙しい歳末ですが菩提寺の迎春にご協力を頂きました。

1時間半ほどの大掃除の後は新春初参詣への案内(ご案内、年中行事表、1月~2月行事予定表)封入作業。さらに新春参詣者へのお供物やカレンダーの準備にもご協力いただきました。これらの作業も私と興厳房の二人で対応すれば半日かかってしまいますが、多くの手があると瞬く間に済んでしまいます。有り難い限りです。

ご協力頂いた落合さん、森さん、久保さん、奥田さん、辻本さん、小原さん、安西さん、熊木さん、阿部さん、ありがとうございました。前日には瀬谷区の柴さんがお見えになり、『明日は参加できないので・・・』とおっしゃて1時間半ほどお一人で境内を清掃されました。皆さまの温かい想いに感謝しています。

30日の御前中、初春の御宝前にお供えする重ね餅を小原さんと興厳房がつくりました。自前のお重ねは一昨年からのことですが、小原さんのご指導よろしく興厳房も腕をあげているようです。また、川崎の阿部さんには参詣者へのお屠蘇や祝い昆布の準備、門松づくりにご協力頂きました。併せて御礼を申し上げます。

いつものように迎春の準備にバタバタと追われて余裕のない妙法院から今年最後のブログアップです。今年も檀信徒皆さま有縁の皆さまには陰に陽にお世話になり、無事に法燈をお護りできましたことに心より感謝を申し上げます。

相武山 山主

2021年12月31日

おさめ御講を奉修

12月12日(日)と13日の両日、今年最後の日蓮大聖人御報恩講(おさめ御講)を執り行いました。今年もコロナ禍に翻弄された不安定な世相でしたが、妙法院はまじめで篤いご信心の檀信徒有志によって支えられ、法華の法燈をともし続けることができました。

おさめ御講は参詣僧俗倶に心を合わせて、如法に仏祖三宝尊への献膳、読経、献香、唱題を申し上げ御報恩の志をささげました。
法要後は持妙尼御前御返事「月氏に阿育大王と申す王をはしき。一閻浮提四分の一をたなごころ(掌)ににぎり、竜王をしたがへて雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ給ひき。始めは悪王なりしかども、後には仏法に帰し、六万人の僧を日々に供養し、八万四千の石の塔をたて給ふ」から結びの「まことの鬼神ならば法華経の行者をなやまして、かうべをわらんとをもふ鬼神の候べきか。又、釈迦仏・法華経の御そら事の候べきかと、ふかくをぼしめし候へ」までを拝読。

はじめに御書システムの「解題」について。
解題というのは当該御書についての解説。その御書が真筆(宗祖のお筆)なのか、真偽未決(宗祖の真撰か偽撰か判定不明)なのか、偽撰書なのかを学問的に解説。さらに真筆の所在や上代の高弟等の書写について。真撰であるなら、いつどこで誰に授与された御書であるのか。なにゆえに真偽未決、偽書とされるのか等を解説。その上で当該御書の内容を概説している。日蓮大聖人の遺された御書を理解するためには最適な解説といえるものです。

御書拝読の注意点を述べた後、対告衆である持妙尼からの御供養について。インドで仏教に帰依し厚く守護されたアショーカ王と徳勝童子のいわれを説明。法華経と仏の関係について仏は法華経から生じた存在であるとの宗祖のご教示を解説。その上で、火の信心と水の信心について説明し、宗祖は持妙尼の水の流れるような信心を愛でられたこと。また、人生の困難や苦悩に臨んでは「自身の信仰が試されている」と解釈しなければならないという宗祖の教えをお伝えしました。

その後、是非味読してほしい法華経要文を紹介。
結びに「今年は宗祖の御生誕800年、妙法院開創40周年という佳節の年でしたが、コロナ禍のために佳節らしい事業をなすことができず残念。明年には企画を練り直して取り組みたい。妙法院の法華衆は一人ひとりが日蓮仏法の担い手であるという自覚に立って、日々の信仰を大切に信行を深めて行こう」と述べておさめ御講の法話を終了。
参詣の皆さまと共々に今年一年の仏祖三宝尊への報恩感謝を申し上げました。

相武山 山主

2021年12月30日

かぶ御講を奉修

11月15日は日興門流第三祖日目上人の祥月の御命日。今年は前日の14日(日)午後1時から御報恩の法会を執り行いました。今年も緑区の落合さんご夫妻が手作りの蕪を御宝前にお供えされました。青々とした葉に見事な丸い蕪です。門流では日目上人会を「かぶ御講」と称して親しんできました。目師が蕪を好まれていたためか、この時季に収穫される美味なかぶに目師のご恩徳を偲んだものなのかは定かではありませんが、上人に親しみこめての呼び名であることはたしかなことです。法会では参詣のご信徒と倶に読経・唱題、御報恩を申し上げました。

法要後は正信会のホームページに掲載されている「日目上人伝」を紹介。
「新田卿阿闍梨日目上人が誕生されたのは、文応元年(1260)のことです。時あたかも日蓮大聖人が『立正安国論』を鎌倉幕府に献上され、鎌倉で大いに活躍されていた時期でした。さまざまな因縁によって、日目上人はその献上の年に誕生されたのです。
日目上人は伊豆国仁田郡畠郷(現在の静岡県田方郡函南町畑毛)にて、父を奥州三迫新田太郎重房の嫡子・重綱、母を南条兵衛七郎の娘・蓮阿尼とし、その五男として生誕され、幼名を虎王丸と名付けられました。

最古の伝記である大石寺6世・日時上人の『日目上人御伝土代』によると、父方の新田氏、母方の南条氏は、ともに「御家人」とよばれる武士の家系でした。母の蓮阿尼は、後に大石寺の開基檀越となる南条時光の姉です。また、兄の頼綱は、後に富士門流(日興門流)最古の寺院である本源寺(宮城県登米郡)を寄進し、その次男は後に大石寺4世・日道上人となられます。」との【ご誕生】から解説。

【初等教育】【日興上人との出会い】【身延山へ登る】【耳引き法門】【伊勢法印との問答】【大聖人の葬送の儀】【輪番制の崩壊と身延離山】【奥州での布教】【大石寺における講学】【最後の天奏と御遷化】と日目上人の御生涯を参詣者と倶に学びました。
「日目上人は、同年の元弘3年(1333)11月、天奏のため日尊師・日郷師を伴い京都へ向けて旅立たれました。しかし、京都へ向われた日目上人一行ですが、11月15日、日目上人は途上の美濃国垂井(岐阜県垂井町)において74歳でもって御遷化されました」とお伝えしました。

日興門流の信仰を深める上において日目上人の御事跡をたずねることはとても大切なことです。法会ではこれからも皆さんと一緒に上人の護法と弘通の志を継承して行くことを誓願しました。

相武山 山主

2021年11月30日