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相武山 妙法寺 ブログ

続・平等の思想

戻り梅雨も明け、猛暑の再来となった7月24日(日)、午前11時から7月度の日曜法話会を開催しました。
今月のテーマは「続・平等の思想」ー平等という視点から見える世界ー。『安倍元首相の暗殺、追悼と検証』でした。

レジメと参考資料として「安倍氏襲撃の新聞報道」「山上容疑者の手紙」「統一教会について」を配布。
はじめに当山の日曜法話会の趣旨を述べ、「世相に想う」では仏教が現実直視という立場であり、世相をないがしろにすることなく学びの機会としていることをお伝えしました。

はじめに安倍元首相暗殺事件の概要について。
「令和4年7月8日(金)午前11時31分頃、奈良市内の近畿日本鉄道大和西大寺駅付近で演説中の安倍晋三元首相が銃殺された。
参議院選挙の応援演説中の安倍元首相にマスクとメガネを掛けた山上徹也容疑者(41)が背後から手製の銃を持って近づき、約7メートルから1発目、さらに接近して3秒後、約5メートルから2発目を発砲。2発目が安倍元首相の致命傷となった。」ことを説明。
白昼万人注視の中で元首相が演説中に暴漢に襲撃され死亡したのです。

事件の概要を知ると「平和ボケか、油断か」と警備の有り様に疑問と不信を覚えます。誰もが「要人の警護は一体どうなっているのか?なぜ守れなかったのか?」と思ったことでしょう。警備関係者の猛省と問題の究明が早急に求められます。
安倍氏は医療関係者の懸命な努力にもかかわらず17時3分に死亡が確認。67歳の生涯でした。

次に「襲撃の動機」について。
犯行現場で取り押さえられ逮捕された山上徹也容疑者は「母親が宗教法人『世界平和統一家庭連合』(旧統一教会)に入って生活が苦しくなったことでこの宗教法人を恨む気持ちがあり、安倍元首相がこの宗教法人とつながりがあると思って狙った」という趣旨の供述をしていることを説明。
ここで参考資料として提供した「山上容疑者の手紙」を読み上げて、犯行直前の容疑者の心中を紹介しました。

続いて戦前からの内閣総理大臣経験者の暗殺事件は伊藤博文から斎藤実までの7件。また、西園寺公望や若槻禮次郎など数件の暗殺未遂事件を解説。戦後の総理経験者の暗殺は安倍氏がはじめて。戦後他殺された国会議員は安倍氏で5名。私は幼い頃の日本社会党の浅沼稲次郎が右翼の少年に刺殺された事件を鮮明に覚えているので、その事件についても紹介しました。

《テロと暗殺について》
参議院選挙渦中での襲撃事件のため「民主主義への挑戦・・・」と表現する人々も多いが、容疑者の供述によれば一般的な政治思想的なテロではなく、カルト教団「旧統一教会」への怨恨による犯行のようです。
日本大百科全書によればテロリズムとは「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」とされています。

したがって、今回の事件は社会に不安や恐怖を与えたが、報道によると容疑者の動機は「宗教的・金銭的・家庭的問題による個人的な怨念を晴らそう」としたものとみなされ、海外メディアでは今回の事件をこぞって暗殺『assassination(アサシネーション』という表現で報道していることを紹介。

《カルト集団とカルト教団》
今回の暗殺事件はカルト教団として知られる「旧統一教会への怨念」からの犯行と伝えられていますが未だ断定はできません。また、旧統一教会と安倍氏の関係、旧統一教会と自民党との関係もまだよくわかっていません。国民の一人としては時間を掛けてしっかりと事件の全容解明をしてほしいと願っています。

政治と宗教の関係は古今東西密接なつながりがあることは歴史の示すとおり。現代でも宗教団体が政治家を利用したり、政治家が宗教団体に支援を要請することは珍しことではありません。今回の事件も政治と宗教の根の深さと複雑さを教えているといっても過言ではなく、闇はかなり深いように思えます。

旧統一教会は印鑑や壺などを高額で売りつける霊感商法や驚くような高額献金を要求することで悪名が高かったのですが、彼らばかりでなくカルト集団やカルト教団が広く我が国にも跋扈しているというのは驚きです。オウム真理教で懲りたはずなのにカルトの餌食となる人は跡を絶たず、マインドコントロールされて人生や家庭が崩壊しても構わないというのですから嘆かわしいことです。

■カルト集団について
「偽装勧誘や強制による勧誘、団体内部での暴力や性的虐待、構成委員に対する経済的な収奪、組織的な詐欺商法などそして刑事事件となるような犯罪行為に及んだ集団、及んでいる集団こそ教育機関が対策を講ずべきカルトとなる。 このような活動を行う団体は何も宗教団体に限らない。」と解説。

■カルト教団
「過激で異端的な新興宗教集団をさす。英語圏では正統的キリスト教を「教会」church、その分派を「セクト」sectとよぶのに対し、異端的または異教的小集団を「カルト」とよぶ。ただしヨーロッパでは、カルトの同義語はセクトである。
カルトに分類される宗教集団は、現代では世界中に多数存在し、アメリカでは2000以上ある。カルトが世界的に社会問題となっているのは、強制的な勧誘によって入信させたり、多額の寄付金を強要したりして人権を侵害し、さまざまな反社会的行動をする教団が少なくないからである。反社会的宗教集団としてのカルトには、いくつか共通の特徴がある。

その特徴とは、第一に導師やグルとよばれたり、自ら救世主を名のるカリスマ的教祖をもつこと。第二にマインドコントロールといわれる心理操作のさまざまなテクニックを用いて入信させること。それは洗脳の一種で、信徒は自覚のないまま、主義、考え方、世界観を根本的に変えてしまう。第三に外部世界から隔離された場所で共同生活を営み、閉鎖的集団を形成し、そこからしばしば反社会的行動に走る。第四に神秘的、魔術的な儀礼を実践し、教義は異端的、シンクレティズム(宗教的折衷主義)的である。」ことを解説。

カルトの実態として
1969年にアメリカでチャールズ・マンソン率いるファミリーと名のる小集団が女優のシャロン・テートを殺した「シャロン・テート事件」。
1978年に南アメリカのガイアナの密林で、信徒900人以上が集団自殺する「人民寺院事件」。
1993年にはアメリカで「ブランチ・デビディアン」というカルトの信徒が建物に立てこもり、FBIと銃撃戦を繰り広げ、70人が集団自殺を遂げた事件。
日本では1986年(昭和61)に「真理の友教会」の女性信徒7人が、教祖の死を追って集団自殺を遂げる事件。
1995年(平成7)3月にはオウム真理教(2000年アレフ、2003年アーレフ、2008年Aleph(アレフ)に改称)の信徒による「地下鉄サリン事件」。を紹介。

インターネットの『知恵蔵』では
「過激な新興宗教団体。全米で2000以上あり、「救世主」を名乗る教祖を頂いた熱狂的信者の閉鎖的集団、という性格が強い。マインド・コントロールによる信者獲得、教祖への絶対服従などで、様々な社会問題、家庭問題を引き起こす。」との指摘を紹介。

■統一教会とは
今回の事件を引き起こした原因とされる旧統一教会については、詳しく説明するつもりでしたが、法話会の時間内では読み進めることができなくなったため、参考資料として配付した「世界平和統一家庭連合」を自宅でお読み頂くようお願いしました。
カルト教団の問題はとても深刻です。
個人や家庭の崩壊、社会の混乱をもたらします。ヨガで人を集め、いかさまの神秘主義を吹聴して、多くの人を惑わしたオウム真理教の事件をけっして忘れてはならないとお伝えしました。

安倍氏ヘの追悼については「追悼することと業績を検証考察することは矛盾しない。非業の死を哀悼しつつ、その政治の功罪を検証することが真の追悼。安倍氏の政治的功罪や影響は感情を離れて冷静に検証する。何ごともコインの裏表。すべてに正と負、プラスとマイナスが存在する」。
国葬については「決定が拙速に過ぎないか?しっかりと検討された決定なのか?法的根拠に則っているか?追悼の押しつけと強制は民主主義なじまない。現代に一人の政治家を英雄視したり神聖視したりするのは疑問」との私見を述べました。

結びに学ぶべきこととして
「安倍氏暗殺という世相に潜む個人と社会の問題を直視する(社会の中でさまざまな苦悩にあえぐ人々を皆で救済するべき、その道を切り拓く必要性、いつでも誰でも駆け込めるシステムを設置)。安倍氏の政治的功罪をしっかりと検証する(安倍氏の政治を肯定するか否定するかという二者択一ではなく、認めるべき功績は冷静に評価し、悪しき政策や言動は適切に批判する)。追悼の押しつけや強制は権威主義への道であり、民主主義と平等の思想にはなじまない。公人としての政治家、私人としての個人、一定の差別はあるが、平等の思想を忘れてはならない(安倍氏の死、赤木さんの死、今このときに考えるべき)。カルト教団への警戒を怠らない。宗教や信仰、スピリチュアルについて、正しい知識を学ぶ(怪しいところには近づかない)。平等の思想はカリスマや権威主義、呪術や神秘主義を否定し、不変の道理へと導く仏教の智慧。平等の思想を涵養して人間性を高め安らかな人生を歩もう」とお伝えして法話会は終了。

相武山 山主

2022年07月29日

歴史を通しての検証

参議院選挙の終盤7月8日(金)、白昼奈良市で安倍元首相が暴漢によって殺害されるという凶行が発生しました。選挙演説中の蛮行という政治テロに日本中が驚愕。世界中から安全安心の国と思われている我が国での政治テロは世界中に衝撃を与えました。ことに長く日本の政治に影響力を持っていた安倍氏の急逝は国の内外に大きな波紋を広げています。
容疑者の山上徹也(41)は現場で即刻逮捕。事件の背景と動機については容疑者の供述からカルト教団として名高い「旧統一教会」への怨恨であり、安倍氏がその教団の関連団体に賛意を示すなどの言動から短絡的に結びつけての凶行と報じられています。もちろん容疑者が犯行に及ぶまでの精神的経緯は複雑でしょうから、今後の厳正な動機と行動の究明がまたれます。

「如何なる場合でも暴力を振るってはいけない」とは異論のない世界の常識。しかし、個人による暴力事件は家庭でも地域でも社会でも世界中の至る所で常に発生しています。凶悪なテロ事件も世界中で頻発。さらに強権独裁国家による巧妙な人権抑圧の暴力も横行。極めつけはロシア軍によるウクライナへの一方的な侵略と残虐な支配。国家暴力が我々の眼前で今この時猛威を振るっているのです。

現代では誰もが「暴力は許されない」と主張しますが、視点によっては人類の歴史は暴力の歴史ともいえるでしょう。人間の本能に備わる資質ですから、個人でも組織でも社会でも具体的に意識して常に確認し誡めなければ吹き出してしまうのが暴力。程度の差はあっても基本的に人権が尊重され、かたちは異なっていても民主主義が認知される現代。それでも油断すればたちどころに鎌首をもたげてくるのが暴力です。ことに仏教徒は絶対の平等と非暴力を掲げているのですから暴力に対しては敏感でなければなりません。

今回の蛮行は安倍氏が突然凶弾に倒れるという実に衝撃的な事件。主義主張はちがっていてもその非業の死を悼まぬ人はいないでしょう。しかし、哀悼の意をささげることと、安倍氏の政治家としての功罪を検討することなく評価することはまったく別の問題だと思います。安倍氏の政策と言動については賛同し支持する人々も多いようですが、他方、批判する人々もけっして少なくないのが現実です。

中曽根康弘元首相はその自伝『自省録―歴史法廷の被告として―』に、「政治家は歴史法廷の被告である」と述べていますがけだし名言だと思います。この言葉は自身に向けての自戒であり、後輩政治家たちへの箴言だといわれています。やはり政治家の評価は歴史を通して検証されなければならないと思います。

総理在任期間が最長という安倍氏だけに、偉人視したり英雄視する発言も少なくありません。また、岸田政権は検討する余裕も与えず法的根拠が乏しいといわれる国葬を発表しました。感情に流されやすく同調意識が強いといわれる国民性は問題を混乱させやすいものです。私たち仏教徒は非暴力の旗をしっかりと掲げつつ、安倍氏に哀悼の意を持つが故にその歩みも正しく検証して行きたいものです。

相武山 山主

2022年07月27日

四表の静謐を祈る(下)

【断じて許されないこと】
独立した国はもちろんのこと、一人ひとりの尊厳と自由を奪って、他者を強制的に支配することは許されないことです。人類が長い時間をかけてたどり着いたのが、完璧なシステムではないかもしれませんが「基本的人権の尊重であり、個人の自由と民主主義の尊重」といえます。今回の蛮行はそれらのすべてを破壊した行為であるばかりか、暴力を持って自らの欲望を達成しようとするもので断じて許されません。

現代は個人も国も独立した存在として尊重される時代をめざしています。歴史上展開された奴隷社会や封建社会、帝国主義や覇権主義などはすでに否定されているのですが、「ロシアの夢、中華の夢・・・」という言葉が頭をもたげている現実は警戒しなければなりません。今、その一つが眼前で展開され、無惨にも人命が奪われ、戦火に怯え、逃げ惑う人々が悲嘆の涙を流しているのです。

争いは常に我欲(己の欲望)から生じ、他者を支配しようとして始まります。「如何なる理由があれ他者を支配することは許されない」ことを私たちは互いに確認し、共通認識としてその価値を共有しなければなりません。これは国家や民族、国や地域だけでなく、宗教や思想、人間同士の在り方にもいえることです。「違いは違いとして認め合い、互いを尊重する」ことによって争いは回避することができるのです。今回の侵略もロシアがウクライナを支配しようとしなければ発生しなかったのです。個人と個人の争いも相手を自分の思うようにしようとしなければ争いにまではなりません。どのような関係であれ他者を支配しようとするときに争いが起こることを皆が知識すべきです。

【ウクライナに想う】
私の学生時代、ウクライナは独立国ではなくソ連の一部でしたから、ウクライナはソ連を知識する一環としてのものでした。イメージは「ヨーロッパの穀倉、ソ連でも豊かな地域、東西交通の要衝にあり歴史と文化のある地域・・・」というものでした。その国旗は青い空と大地を染める小麦や国の花であるひまわりをイメージしていると聞いたことがあります。

若い頃、イタリア映画(1970年公開)の「ひまわり」を観ました。第二次世界大戦下のイタリアが舞台。そのあらすじは『ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)がナポリの海岸で恋におち結婚。その後、アントニオはソ連の最前線に送られ行方不明となる。ジョバンナは何年経っても戻らない夫だが生存を信じて疑わない。終戦後、アントニオを探しにジョバンナは単身ソ連へ。しかし、広大なひまわり畑の果てに彼女を待っていたのは、美しいロシア人女性マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)と結婚し、子供にも恵まれて幸せに暮らすアントニオの姿。すべてを察したジョバンナは愕然としながら1人イタリアへ帰る。空虚な想いにおかされたジョバンナは・・・・・・』というもの。

名優と呼ばれたソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの演技はとても秀逸でしたが、タイトルにもなったひまわりがいちめんに映し出される場面も印象的でした。また、ヘンリーマンシーニの哀愁を帯びた楽曲がすばらしく私は今でもよく聞いています。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側の映画でした。この映画のひまわりの撮影地はウクライナの首都キエフ(キーフ)から南へ500キロほど離れたへルソン州ということです。
「ひまわり」は人間の複雑な情愛をテーマに戦争に翻弄される人々の人生とそのむごさを考えさせる映画でしたが、今、その撮影地が無惨にも戦争の舞台になってしまいました。一日でも早い平和を望むばかりです。

【四表の静謐を祈る】
日蓮大聖人は立正安国論に「国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はば先づ四表の静謐を祈るべきものか。」と説かれています。うち重なる内乱や元寇など当時の世相をふまえて、宗祖が率直に庶民の生活を見つめていることがわかります。その上で「我が身の安堵は世界の泰平による」ことを教えています。

今回のロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻は、世界中の叡智と祈りを集めて速やかに収束しなければなりません。また、この悲劇を繰り返さないためにも今後事態をしっかりと検証することが求められます。そして、現代に生きる私たちはウクライナの悲劇を我が身に引き寄せ、戦争と平和について深く自問自答しなければならないと考えます。一刻も早く戦火が止みウクライナに平和がもたらされることを祈り、ささやかでも自分にできる反戦平和の行動を倶に実践いたしましょう。

相武山 山主

2022年02月28日

四表の静謐を祈る (上)

深い悲しみと強い憤り

私は去る2月25日からウクライナの戦火が速やかに収束することを朝夕御本尊に祈念しています。また、戦禍の犠牲となられた人々、物心両面に甚大な被害を蒙られた人々、恐怖と不安におびえる人々、すべての方々に安らぎがもたらされるよう祈りを捧げています。私は何らの力もない一凡僧ですが大乗仏教信仰の上から祈りには力があると堅く信じていますので、心をこめて法華経要品の読誦、南無妙法蓮華経の唱題につとめる日々です。一切衆生の安寧を願う日蓮大聖人の教えを信仰する当山檀信徒の方々も同じ想いではないでしょうか。

【ロシア軍がウクライナに侵攻】
振り返れば昨秋よりロシアのウクライナ侵攻は予想されていました。昨年来ウクライナの近郊にはロシアの大軍が終結しており、隣国ベラルーシとも合同軍事演習を開始していたからです。アメリカも昨秋からロシア軍がウクライナに侵攻するまで的確な情報を世界に発信して、ロシアによる侵略行為や戦争を回避するために世界の国々に注意を喚起してきました。

しかし、残念なことに2月24日、プーチン大統領の「特別軍事作戦」という命令によってロシア軍がウクライナに軍事侵攻。21世紀の現代、前世紀の二度にわたる世界大戦の悲惨さから、各国の政治リーダーの誰もが戦争の愚かさを知悉しているものと思っていましたから愕然としました。とはいえ、第二次大戦後も今日まで世界各地での紛争は枚挙に暇がなく、さらには大規模なテロも少なくはありませんでしたから、つくづく人間のエゴと強欲、愚かさには驚愕するばかりです。

通信機器やそのシステムが格段に向上した現代。戦争もリアルタイムで報じられます。自宅に居ながらにしてテレビやネットから、ロシアの戦車や軍事車両の進軍とその砲撃、ミサイルなどの爆撃を目の当たりにすることは複雑な思いです。しかし、戦場と化したウクライナでは自らの国土と国民、自由と独立を守ろうと覚悟したゼレンスキー大統領のスピーチがウクライナ国民の士気を鼓舞しています。大統領の命をかけた演説や家族の無事を祈りながら戦地に向かう人々の姿に、単純で感情的な私は胸がぐっと熱くなりました。

他方、ロシアの軍事侵攻はウクライナの軍事施設ばかりでなく、首都キエフや第二の都市ハリコフなどを中心に民間施設にも及んでいますから、ウクライナ国民は戦場となってしまった住宅から避難する他ありません。幼い子どもの手を引き、老いた祖父母を労りながら、着の身着のままで避難する人々の嘆きとやつれた姿に接するとき、胸がしめつけられ目頭が熱くなるばかりです。世界中の心ある人々もこの現状に深い悲しみと強い憤りを禁じ得ないでしょう。

【傍観者であってはならない】
『自由と民主主義、ウクライナの独立と尊厳』を強く主張し、徹底抗戦をうったえるゼレンスキー大統領の対ロシア政策や軍事対策にも、『犠牲者を少しでも少なくするためにはロシアに妥協するべきだ』などという意見や論評があります。それらの意見にも当然一理はありますが、そのいずれかを決めるのはウクライナの国民です。『自由と民主主義、国や地域の独立と尊厳は尊重されるべき』との価値観を共有する者は、連帯して彼らを力の及ぶ限りしっかりと支援しなければならないと思うのです。

私たちはけっして傍観者であってはならず、愚かな蛮行を強く批難する声を上げ、遠国であってもウクライナの国民のために、戦争の収束と平和への祈りをささげ、支援の実行に努めて行きたいものです。

世界には専制独裁の国家はけっして少なくありません。また、現実に内戦状況の国や地域もあり、さらに戦火を交えるのではないかと心配される国や地域もかなり存在しています。前の大戦以来ほとんど戦争の影を感じることがなかった我が国は恵まれた環境にあるといえますが、そのような我が国でもロシアとの北方領土問題、中国との尖閣諸島問題、韓国との竹島問題をかかえています。
また、資源が乏しく海外との交易で経済を回している我が国にとってシーレーンの安全確保は重要事項です。そのシーレーンも中国の海洋進出によって東シナ海や南シナ海など不安定な状況となっているのが現実です。

さらに独裁専制の北朝鮮は人民の疲弊を顧みることなく軍備拡張に走り、いつ暴走するかわかりません。共産党独裁専制の中国は台湾への武力支配を隠そうとはしていませんし、その国内でもチベット地域や新疆ウイグル地域などでの人権侵害は深刻です。東南アジア諸国でもミャンマーでのクーデターや専制国家での人権と自由の問題は隠せません。

私たちは幸いにも比較的安全で安心できる国で生活していますが、人権や自由、平等と民主主義という価値観を否定する国家や体制も少なくないのですから、それらの大切さを常に確認しうったえて行くことを忘れてはならないと思うのです。泰平にあって未明の危機を忘れずです。

侵略したロシアでも各地で反戦デモが起こり、数千人が治安組織によって拘束されたと伝えられています。しかし、多くのロシア国民はプーチン大統領による「ディスインフォメーション(人を欺き、混乱させるための偽情報)」によってコントロールされているようです。諜報機関の手法を縦横無尽にしかも躊躇なく駆使する彼によって支配されるロシアには、現在のところ残念ながら健全な民主主義も真の自由も存在していないように思えます。プーチン大統領の狂気を即時に停止できるのはロシア国民ですから覚醒してほしいものです。

【ロシアとプーチン大統領】
軍事侵攻を命じたプーチン大統領は20年という長期にわたりロシアに君臨。民主主義とは名ばかりの専制独裁政治を敷いています。彼を批判する者は陰に陽に排除されていることは識者の常識といっても過言ではないでしょう。もちろん、彼の国でも彼やその政治を批判する者は一部存在しますが、生命の危険にさらされたり家族や親族に害が及ぶこともあって、人権や自由が保証されている民主主義国家とはいえません。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の意図はメディアで各方面から分析されていますが、一言で表現すれば「どのようなかたちであれウクライナをロシアの支配下に置く」ということだと思います。

現在のロシアはソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が崩壊して誕生した新生ロシア。共産党による一党独裁であったソ連邦はゴルバチョフ書記長の進めたペレストロイカ(改革)によって1991年12月に崩壊。民主化されたロシアはエリツィン大統領を選出し、さまざまな意味で困難な歩みを続けました。1999年、健康を損ねたエリツィン大統領から後継指名されたのがプーチン氏。

彼はあらゆる手段を用いて権力の維持に腐心し、世界の大国としてのロシアにこだわってきました。今回の侵攻も2014年のクリミヤ併合からウクライナ東部の親ロシア地域の独立活動を利用し、用意周到に計画を練り実行されたものです。冷徹で計算高く目的のためなら残虐行為もいとわないい性格として知られるプーチン大統領ですが、今回は核の使用まで口の端に上げていますからその狂気が心配です。やはり独裁者の存在を許すことは危険であることを実証しています。

相武山 山主

2022年02月28日

三毒を見つめて

2月20日(日)は2月度の日曜法話会。仏教に親しむのテーマは「三毒をみつめて ー己の心を涵養し穏やかに生きるー」でした。1月の法話会同様、はじめて参加された方もおられましたので、当山の日曜法話会の趣旨について「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」と述べ、仏教寺院の役割についても説明。法話会が「世相に想う」と「仏教に親しむ」の2部構成であることもお伝えしました。

「世相に想う」については『仏教は現実直視であること。神秘主義や不思議世界には遊ばない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。大乗仏教の精華である法華経では諸法は実相と説かれている』ことなどから『起こる事象はすべて学びの対象であり、眼前の事物・事象を自分がどのように観ているかを認識し、自らの人生に活かそうとしているかが問われている』と述べました。

【世相に想う】
今月の世相に想うのテーマは「北京オリンピックとウクライナ危機 ー 平和の祭典と戦争の危機 ー」でした。2月4日からの冬季オリンピック北京大会はこの日が最終日。大会前のボイコット騒動について、中国の人権問題や一方的な海洋進出などを理由に欧米の一部の国が政府関係者の出席を見送ったこと等を紹介。

ネガティブな話題の次は「アスリートの活躍」のお話。『資質に恵まれたアスリートが技量を磨き上げて大会に参加している。近年はメンタルトレーニングも強化されている。スポーツは勝ち負けが明確に判定される厳しい世界。勝っても負けてもすばらしい感動が残るのがスポーツ。人生のすべてを大会に集中させるアスリートのすがたは観る者を感動させる。アスリートは自己と他者との真剣勝負。試合後のアスリートの語ることばに深く感動する。新しくフレッシュな選手の登場と熟練ベテラン選手との世代交代。大会にふれた誰もがアスリートから元気をもらったのでは。』等々所感を述べました。
問題も・・・としては『納得できない判定もある。不信と不安のドーピング問題。大会の政治利用など・・・』についても言及しました。

続いて「ロシア軍がウクライナに侵攻か」では、ロシア軍の動き「2021年秋頃からロシア軍がウクライナ国境地域に大規模展開。すでに2014年ロシアはウクライナ領のクリミヤ半島を併合した。ロシアの現状と思惑・・・。ウクライナのEU、NATO加入を阻止したいロシア」について解説。

次に世界各国が戦争回避に動いていることを紹介。『世界中の政治経済活動に大きな影を落としている。世界のあらゆる活動は私たちの生活(衣食住)にも影響している。今回の騒動も個人や国のエゴが表面化したもの。戦争に勝者はいない。残酷で悲惨な事態を回避するためみんなで世界の平和を祈ろう』と所感をお伝えしました。

【仏教に親しむ】
第2部の仏教に親しむのテーマは「三毒をみつめて ー己れの心を涵養し穏やかに生きるー」でした。はじめに「仏教の目的は苦悩からの解脱」であることを解説。釈尊の成道伝『ウダーナ(原始仏典)』から
「実に世尊は、仏眼で世間を見渡すと、衆生が貪欲によっても生じ、瞋恚によっても生じ、愚痴によっても生じる多くの苦悩によって悩まされ、多くの熱悩によって焼かれているのを見た」。
「比丘たちよ、常に自らの心を観察すべきである。すなわち、この心は長い間貪欲によって、瞋恚によって、愚痴によって汚されていると。比丘たちよ、心が汚れているから、衆生は汚れる。心が浄まるから、衆生は浄まる」。を紹介。

苦悩の源は三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)にあり、仏教では常に自らの心を観察して心の汚れを浄め、解脱の安らぎを得ることが目的であることを述べました。

【三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)】
次に「煩悩」は仏教で説く衆生の身心を煩わし悩ます精神作用の総称であり、この煩悩の基本的なものとして、「三毒」「三垢」「三不善根」といわれる貪(執着)・瞋(憎悪)・痴(無知)があることを解説。

三毒とは人間のもつ根元的な3つの欲望のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の思うようにならぬことに怒りを覚える瞋恚,ものごとに的確な理科と判断が下せずに迷い惑う愚痴のことです。仏教では煩悩のゆえに業が展開し,煩悩と業とが原因となって生(苦的生存)が結果するという生死輪廻の因果が説かれます。

「貪欲」は『欲しいものなどに対して執着する心のこと。貪欲は煩悩の中でもあらゆる苦しみにつながる根源的なもの。むさぼる対象は衣食住から学歴や就職、地位や名誉、恋愛や人情などの精神世界まで人生の万般に及ぶ。欲するものへの執着が強ければ強いほど得られぬ苦悩は辛く深い』。

「瞋恚」は『思うようにならぬことに怒りを覚えること。いかりの対象は家族や親族、友人や知人などの人間関係はもちろん、自身の置かれている環境や社会のシステム、さらには自分自身に向かうこともある。この怒りは自分の思うようにならないことによって生ずる。いかりは強いエネルギーを発し、時には自他共に破壊してしまうこともある(健康を害する)。自分の思い通りにならない事へのいかり、他者への妬みや憎しみの心をコントロールするための「アンガーマネジメント」も存在』。

「愚痴」は『真理を知らず、物事の理非の区別がつかないこと。ものごとの真理を学ぶことも認めることもなく、感情のコントロールもできずに愚かしい生き方をすること。生老病死という人生の変遷が理解できなかったり、環境や社会のありようや動きを理解できずに迷惑すること(諸行無常が理解できないなど)』。
と三毒について解説。

誰もが心に三毒を内在しており、その有り様をみつめて、制御することが安らぎへの道となることから『あらゆる物事に強く執着する心を捨離することができれば苦しみから解放される。仏教では「思い通りにならない事を苦しみ」という。人生は思うようにはならないことが多いのでさまざまな苦悩を味わう。仏教で説く「諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静」を理解できれば三毒を乗り越えることができる」とお伝えしました。

この後のスッタニパータの引文で法話会の時間はタイムオーバーとなり、次回に続編をお話しすることになりました。

相武山 山主

 

2022年02月27日

12年目を迎えた日曜法話会

平成23年(2011)3月から開始した妙法院の日曜法話会も今年で12年目を迎えました。第1回目の法話会は東日本大震災発生直後の混乱の中での開催。その後、コロナ禍のために3ヶ月休会することはありましたが、毎年1月から11月まで開催を継続してきました。
法話会は「世相に想う」と「仏教に親しむ」の二部構成。折々の世相を大乗仏教的な視点から解説すると倶に、仏教に関するテーマを掲げて仏教と信仰についての所見をのべてきました。

法話会は「仏教に親しんで頂き、仏教と信仰を正しく理解して頂きたい」と願っての開催。一般に解放している法話会ですが、当山のホームページと年に一度のタウンニュース(保土ケ谷区、旭区、瀬谷区、大和市)でのささやかな広報ですからさほどの広がりはありませんが、少ないときは約15名ほど多くて約30名ほどの方が参加されます。参加者の内訳は檀信徒の方と一般の方が半々といったところです。

澄み渡る冬の青空が寒さを感じさせる23日は今年初めての日曜法話会。今回のテーマは「仏縁(善縁)にふれる『法華経は小善成仏』」。この日初参加という方も居られたので趣旨の説明から。
妙法院の法話会は『仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。大乗仏教の精華である法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい』が趣旨。法話会では『継続が肝要、仏教のおしえを地道に積み重ねて人生に活かしてほしい。仏道は求める姿勢が基本、生涯探究心を大切に。お寺の役割(僧俗修行の場、信仰を磨く場、仏教を学ぶ場、心を浄め癒す場、仏教や伝統や文化を護り伝える役割等々)を知って頂きたい』と申し上げました。

続いて法話会は世相を仏教の視点から観る「世相に想う」と仏教の教えと信仰を学ぶ「仏教に親しむ」の2部構成であることを解説。
なぜ世相か?では『釈尊の創始された仏教は現実直視が基本。神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。大乗仏教の精華『法華経』では諸法は実相と説く。起こる事象はすべて学びの対象。眼前の事物・事象を自分がどのように観ているかを認識し、自らの人生に活かすことが肝要』とお伝えしました。

【クリニック襲撃放火事件】
世相に想うのテーマは「地獄の心が引き起こす凶行」。
昨年末、大阪市北区で発生したクリニック襲撃放火事件を取り上げました。始めに事件の概要「12月17日、午前10時20分頃。大阪市北区曽根崎新地「堂島北ビル」(JR大阪駅から200mほど)の4階から出火。4階には心療内科『西梅田こころとからだのクリニック』の医師とスタッフ、患者26人が居た。火災の原因は放火。30分ほどで鎮火。27人が病院に搬送。うち25人が死亡。放火の容疑者も年末に死亡。死因はすべて一酸化炭素中毒(有毒ガス)。」を説明。

次に犯行の模様について「谷本盛雄容疑者(当時61)がクリニックの出入り口付近で持参のガソリンに火を付けた。院内の防犯カメラには、谷本容疑者が逃げ惑う患者らの前に立ち塞がって体当たりし、自ら炎の中に飛び込む姿も映されていた。多量のガソリンのほか、ナイフや催涙スプレーも持参していたことが判明」と解説。

また、襲撃された「西梅田こころとからだのクリニック」について『クリニックの院長は発達障害の診療で有名な西沢弘太郎氏(49)。クリニックはうつ病や発達障害に苦しむ人たちをサポートしていた。ビジネス街にあるため中高年の患者が多かった。午前中に診療があるのは火曜と金曜日だけ、働く人たちのために午後は夜10時まで開院していた』とメディアからの情報をお伝えしました。

その後、クリニックに通院していた田中俊也さんの声『決して上から目線でアドバイスせず謙虚で、とても丁寧に診療してくださる先生です。トラブルを起こすような人ではありません。なんで放火などされたのか……。私は旅行業界に勤めていたのですが、3年ほど前にパワハラを受けうつ病を発症。ずっと真っ暗闇の中を生きているような重症でした。先生は、そんな私の話を一所懸命聞いてくれ後、こう言ってくださいました。『休んでください。ゆっくりしてください』と。何もヤル気にならんない自分を情けないと思い、悩んでいた私は、その言葉にどれほど助けられたことか……。
私は『リワークプログラム』にも参加しましたが、同じように悩んでいる人が大勢いることを知って、気持ちが和らぎました。ムリに自分を奮い立たさなくてもエエのやな、とい
うことがわかった。本当に救われた。今の自分があるのは先生のおかげです。』を紹介。
クリニックと西沢医師の人柄をお伝えしました。

谷本容疑者については
「クリニックとの間にトラブルは見つかっていない。動機は不明」警察の捜査によれば「事件前の数年にわたって、交友関係のあった人物は見つからなかった。容疑者のスマートフォンには電話帳の登録は1件もなく、通話していたのはガス会社や電話会社のみで、交友関係を示す通話履歴はなかった。
また、事件の前、税金の滞納が理由で所有する住宅を一時期差し押さえられていた。口座の残高もゼロになり経済的に困窮していた。警察は谷本容疑者が社会から孤立する中で、多くの人を巻き添えにみずからも死のうとして事件を起こしたとみて捜査し、今後、書類送検する方針」とのNHKの報道を紹介。

今回に類似する近年の事件として「2019年7月、京都アニメーション放火事件」(京都市伏見区、アニメーション製作会社が襲撃放火され35名が死亡)。「2008年6月8日、秋葉原通り魔事件」(東京 秋葉原の歩行者天国にトラックが突っ込み通行人がはねられた。さらに次々に通行人がナイフで刺され7人が死亡、10人が重軽傷を負った)を解説。
私たち人間の心には愚劣で凶暴な性質が存在することを説明しました。

【地獄の心が引き起こす凶行(心の奥に潜む闇)】
以下、凶悪な事件から私たちの心の中に潜む地獄の心について仏教的視点からの私見をお伝えしました。
ここでは地獄を「深刻な悩みや苦しみ、辛い試練が繰り返し続く状態や境遇のこと」としましたが、デジタル大辞泉では、仏教・キリスト教・イスラム教・状態や境遇・火山・奈落・私娼の7項目にわたって解説されていることを紹介。ブリタニカ国際大百科事典と百科事典マイペディアによる地獄の説明も紹介しました。

次に大乗仏教では「十界(人間が備えている十の仏教的世界)」が説かれていることを解説。「十界(じっかい)とは迷いと悟りの世界を 10種の領域に分けたもの。すなわち,地獄界,餓鬼界,畜生界,阿修羅界,人間界,天上界という6種の迷いの世界と,声聞界,縁覚界,菩薩界,仏界という4種の悟りの世界との総称」(ブリタニカ国際大百科事典)。

世界大百科事典には「仏教の世界観の一つ。精神的な生き方を,迷いより悟りへの10層に分け,最下の地獄より餓鬼,畜生,修羅,人間,天上,声聞,縁覚,菩薩,仏へと上昇するもの。はじめの六つが凡夫,後の四つが聖者の世界で,凡夫はそれらの六つを輪廻転生するから,六道,または六趣とよぶ。また最後の仏界以外は,なお迷いを免れないから,十界にそれぞれ十界の権実があるとして,十界互具を説くことがあり,天台の一念三千説の根拠となる。十界修行【柳田 聖山】」と解説されていることを紹介。

仏教では地獄を悪業(あくごう)の因縁によって堕ちる苦しみの世界といいますが、燃え盛る煩悩によって苦悩にあえぐ精神世界とも観るのです。地獄とは良識や理性、教養や人徳のかけらもなく、三毒(貪とん・瞋じん・癡ち)に支配された迷妄の世界ということができます。このような地獄の心がすべての人々に内在していると大乗仏教では説かれています。

私たちに内在する性質は縁によって導き出されますから、仏教では善き縁を大切にて悪しき縁からは離別することを教えています。大阪の凶悪事件も一人の人間の地獄の心が引き起こしたものです。容疑者はさまざま因縁によって地獄のような極悪の心を増長して凶行に及んだのでしょう。実に悲しいことです。犠牲となられた方々のご冥福を祈り凶行が繰り返されないことを祈るばかりです。

世相から学ぶべきこととして「すべての人間に十界の心が備わっている。人間は誰もが善心も悪心も備えている。人間は善行も悪行も行える。人間は善人にも悪人にもなる。善悪の行為はいずれも外縁によって導き出される。煩悩の源は三毒(貪り、瞋恚、愚痴)であることを知識する。人生の安らぎと幸いを得るためには善縁を求めること。」をお伝えしました。

相武山 山主

2022年01月29日

小事つもりて大事となる(下)

世相に続いてテーマの「小事が大切《小事つもりて大事となる》」のお話。物ごとは結果ばかりに注目されやすいものですが、その経緯が大切なことは改めていうまでもありません。その経緯を小事と観ることについての私の所見です。

小事というのは取るにたらない事柄、ささいな事柄ということで、一般的には「小事もいいかげんにすると大事になるから、疎 かにしてはいけない」という意味で用いられますが、ここではささやかなことを大切に積み重ねてこそ、大きな安らぎを得ることができることを解説。

はじめに日蓮大聖人のことば『衆生心身御書〔C1・建治三年頃〕』より、「つゆ(露)つもりて河となる、河つもりて大海となる、塵つもりて山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事つもりて大事となる」を拝読。
宗祖は法華経の行者として法難重畳、波瀾万丈のダイナミックな人生であったがために、ややもすると豪快なご性格と想像されがちですが、「小事つもりて大事となる」と、ものごとの本質を語っていることを紹介。小さなことでも疎かにすることなく、佳い習慣を大切にしてこそより心豊かな人生が歩めることを宗祖のお言葉から解説。

此処では鎌倉仏教の最後に登場して今日まで日本仏教界に大きな影響を与えた宗祖についても略述。平安時代前期仏教の二大潮流である天台宗と真言宗の存在にふれながら、平安末期には浄土教や禅宗が大きく台頭してきた史実を紹介。その上で、大乗仏教の精華を法華経に見いだされ、天台教学の上に独自の御法門を建立された意義を説明。その宗祖が小事を大切されたことを述べました。

私たちにとって大切にすべき小事とは「常日頃の心のはたらきであり、言葉の使い方や立ち居振る舞いであり、臨終のその時まで人間としての成長を諦めないこと。愚痴や不平や不満を離れて応分の瑞々しい人生をあゆむこと」と所見を述べ、また「家族、親族、友人、仲間、隣人、そして社会や自然にまでも想いをいたし、それぞれにささやかな心遣いを忘れることなく、細やかな配慮と小さな実践の継続が、やがては豊かさや安らぎ、悦びに通じている」ことをお伝えしました。

人生において小事を大切にすることは古今東西変わらぬことですから名言は数多くありますが、中国の古諺とガンジーの言葉を紹介しました。
『漢書』からは「少を聚めて多を成し、小を積みて巨に致す」。
『張華「励志詩」』からは「高きは下きを以て基とし、洪は繊に由りて起こる」。
『林逋「省心録」』からは「足らざるを知る者は学を好み、下問を恥ずる者は自ら満す」。
『陶淵明「雑詩」』からは「古人寸陰を惜しむ、此れを念えば人をして懼れしむ」。
『曹操「短歌行」』からは「山高きを厭わず、海深きを厭わず」。

ガンジーの言葉
「重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。」
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」

むすびには日蓮大聖人の『撰時抄』
「衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱へ伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」を紹介。

仏道において一足飛びはありません。どのように資質や環境に恵まれたとしても、一歩一歩着実にあゆみを積み重ねることが求められます。また、その道には疎かにしても良いという小事はありません。眼前の課題にはすべて意味があるとの心得が大切なのです。
これは仏道だけに限りません。法華経では仏道は人生そのものと教えていますから、人生においても小事が大事に至る道であることをお伝えして今年最後の日曜法話会は終了。

今年も無事に1月より11回の日曜法話会を開催することができました。コロナ禍の世相にもかかわらず、参加聴聞頂いた皆さま方々には厚く御礼申し上げます。明年も1月23日(日)から毎月1度の開催を予定しています。
皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2021年12月29日

小事つもりて大事となる(上)

今年最後の日曜法話会は11月14日でした。今回の法話会に初参加という方はおられませんでしたが、はじめに法話会の趣旨について「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」との念いで開催していることを述べ、「仏道は求める姿勢が基本であり生涯探究心を大切にすること。仏道は継続しての学びとその教えを人生に活かすことが大切」であることをお伝えしました。

続いて仏教寺院の役割について「寺院は仏教を護り伝える道場。僧侶と信徒の修行・修学の場。僧俗が信仰心を磨く場。心を浄め癒やす場。文化や歴史や伝統習俗を伝える存在・・・」であることを解説。妙法院は法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝える法華の道場であり、社会に開かれた仏教寺院として前向きに活動していることをお伝えしました。

11月の法話会のテーマは「小事が大事。《小事つもりて大事となる》」。
テーマについて語る前には「世相について」。身近な世相の話題について仏教的視点からの所見を述べています。仏教は現実直視という姿勢であり、あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではなく、起こる事象はすべて学びの対象と考えるからです。

世相の話題は「「2021年衆議院選挙 雑感」でした。
去る10月31日に行われた衆議院選挙についての私見です。まず、当たり前のことながら衆議院選挙の基礎知識。衆議院議員の定数は465人(小選挙区289人、比例代表176人)。小選挙区は当選者1名。比例代表は政党の得票数に比例して選出。多くの人が疑問に思っていることに、小選挙区と比例代表への重複立候補が可能で、小選挙区で落選した候補者が比例区で復活当選するという事態が起こることがあります。
所詮、政治家自らが選挙制度を作っているのですから、より良い選挙制度というよりもそれぞれの利害得失が反映された選挙制度であることがわかります。やはり第三者による合理的な選挙システムが必要だと思います。

選挙の結果はすでに報道されているとおり。自民公明の与党が安定多数を得、野党は維新と国民が増加、立民と共産は減。私は選挙権を得てから一度も投票しなかったことはありませんが、我が国では選挙についての理解が低い方も多く、投票率の低さは常に話題になっていることを説明。

国民一人ひとりが主権者である民主主義国家では、選挙は政治を選択する大きな権利であり、その選択と投票は義務とさえいえるものです。政治は生活に直結しているものですが、その実感に乏しく認識が薄いことは民主主義にとって実に残念なことです。
時に『選びたい候補者や政党がない』という声も聞きますが、自分自身が直接立候補しない限りベストな人や政党はないのですから、そこはベターな選択、少しでも理解できる人物と政策を選ぶしかないと思うのです。棄権するということも一つの意思表示だと言われますが、一つでも二つでも私たちの生活に直結する政治が良くなる方向に意思表示する方が賢明との所見を述べました。

選挙の大切さをお伝えするために総務省のホームページから「選挙は国民の権利と義務」より《選挙の意義》を取り上げ、「『選挙』は、私たち一人ひとりのために。」「私たちは、家族や地域、学校や職場など、さまざまな場でくらしています。私たちの生活や社会をよくするためには、私たちの意見を反映させてくれる、代表者が必要であり、その代表者を決めるのが『選挙』なのです」を紹介。

そこで解説されている「みんなの代表、多数決、身近な選挙、憲法と選挙、選挙と政治、政治と国民」というポイントを読み上げて紹介し、民主主義にとっていかに選挙が大切であるかを一緒に学びました。
選挙の基礎的認識の啓蒙に続き、2021年総選挙の実施と結果について、日経新聞から二つのコラムを参照しながら以下のように私見を述べました。

①として「考える時間を与えない選挙」だったということ。9月3日、コロナ対策の不手際や様々な政権批判に対してほとんど説明しない対応などで、世論調査で不人気であった菅総理大臣が突然自民党総裁選挙不出馬を表明。
菅氏の退陣表明によって自民党政権が長期化してきた理由の一つに挙げられる「疑似政権交代イメージ」の総裁選挙が実施。総裁選は岸田氏が勝利。国会で総理に選出された岸田氏は任期満了間近にもかかわらず直ちに解散を宣言し総選挙となった。菅氏の不人気に油断していた野党も慌てたようだが、国民も過去の安倍・菅政権に対する冷静な検証をする時間が無かったと思う。
②として「投票率が低い」。今回の投票率は55.93%。国民の4分の1ほどの得票で政権が決まることになった。「投票しない国民に問題があるのは当然として、これで果たして民意は反映されているのか?政権は支持されたのか?」という指摘も至当である。
③として「政策の争点が見えにくい」。与野党倶にイメージ選挙の様相で具体的な政策が提示されたようには思えなかった。「本当に国民の日常生活を見て政策を練っているのだろうか?国際的な視野から日本の問題点を考えているのだろうか?ポピュリズムに流されていないか?」との疑問が湧いた。素人ながら政権選挙ならば政権の大綱を示し直近の課題と対策を具体的に提示して支持を求めるべきだと思う。
内政外交ともに厳しい現状である。「過去の検証と総括がなされないところに健全な未来はない」といわれている。選挙では与野党ともに未来について発言したが、安倍・菅政権の検証がなされ、その功罪が具体的に問われたのか?甚だ疑問。
④として「各政党の選挙協力は?」選挙では各政党の選挙協力が話題になった。与党は従来からの自民公明の選挙協力。野党は全国で野党統一候補としての選挙協力を行った。与党は従来からの効果を発揮したようだが、野党の結果は微妙なものとなって選挙協力の是非が検証されることになった。
⑤として「選挙は民主主義国家の主権者としての義務」。日頃から政治は自身の生活に直結するものとして関心を持ち、政治に対して自らの意見を持つように努めるべき。選挙では投票所に足を運び、政治への自らの意思を表明する。一人ひとりの投票は小事に思えるかもしれないが大事に至る行為。
以上5点について世相への所見をお伝えしました。

相武山 山主

2021年12月28日

オリンピック雑感

法話会の日は東京2020オリンピックの閉幕日でしたので、「はじめに」ではオリンピックの開催についても簡略に私見をお伝えしました。

【オリンピックの開催?】
オリンピックは4年に一度開催されるスポーツと平和の祭典。スポーツを通して人間育成と世界平和をうったえるのがその目的です。毎回アスリートの素晴らしい競技と演技に魅了され感動と生きる勇気を頂きます。私もスポーツ観戦を愉しみにしている一人ですから、世界のトップアスリートが集い躍動するオリンピックは大きな楽しみです。

東京は2度目の開催。昭和39年(1964)の開催は中学生だった私の記憶にも鮮明に残っています。戦後の復興から高度成長期の真ただ中での開催は、太平洋戦争に敗戦し荒れ野原となった我が国の奇跡的復興を象徴するかのような大会でした。
今回の大会は当初未曾有の大災害であった東日本大震災から復興を意義つける「復興の五輪」でしたが、コロナのパンデミックに見舞われると「コロナに打ち勝った証の五輪」となり、1年延長しての大会は「多様性と調和の五輪」に変遷していました。テーマがうつり変わるというだけでもいかに困難な開催であったかがわかります。

【各自の意見を尊重】
昨年来、コロナ禍の現状をふまえて国の内外から開催への賛否両論の意見が交わされました。我が国では「自分自身の意見を持つことや発表することは大切なこと」と子供の頃から教えられますが、他方、横並びでないと不安になったり、他者からの同調圧力もかなり強かったり、出る杭は打たれるということもありますから、思考をまとめて自身の意見を持ち、発するという教育が適切になされていないようにも思えます。

「一人ひとりに思いや考えにちがいがあるのは当然。互いの思考や意見の違いを認め合ってその表現を尊重する」ということは基本的人権に通じるものであり、一人ひとりの存在が尊重されている証ですから大切にされなければならないと思うのです。
ある程度の年齢に至ると常識や良識は自然に身につくという考えもありますが、他者の意見を尊重するということは大切なことなので教育の一環としてしっかり教えてほしいと願っています。

【レッテル貼りのような批判】
というのも意見をたたかわせて議論することや他者の言動を批判すること自体に問題はないのですが、時折、一方的にレッテルを貼って他者の意見を封じるような言動にふれることがあるからです。

今回のオリンピック開催についての賛否についてもおかしな批判を読みました。それは安倍前首相が月刊誌『Hanada』における対談で、東京五輪を政治利用する野党に向けた発言というなかで、「極めて政治的な意図を感じざるを得ませんね。彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか。共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました」という表現です。
共産党や朝日新聞への個人的意見は自由ですが、「歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています」という表現は首肯できません。オリンピックの開催に疑問を持ったり反対している人は、反日という立場で意見を述べているのではなく、コロナ禍によるパンデミックにもかかわらず、熟考しないで開催を強行して本当に良いのかと疑問を呈しているだけです。

他者の意見まで忖度できませんが、私は世界を襲ったパンデミックの渦中で、何故危険をおかしてまで開催するのかということに疑問をもちました。国民が不安を覚える感染拡大のなか、何のために、誰のために、オリンピックを開催するのかが理解できないだけのことです。そういう人は多いのではないでしょうか。
また、右だから左だからなどと単純な色分けは大いに迷惑です。現代は政党政治ですから人物よりも政党の政策が選択の中心となるのはやむを得ませんが、我が国では支持政党をもつよりもその時々の政策や人物を選択している国民の方が多いのではないでしょうか。前首相が自説を語るのは結構ですが国権を担った人物なのですから、稚拙なレッテル貼りのような批判は若い有権者の見識に有益ではないので、言動には十分な配慮を願いたいものです。

【たしかな検証を】
開催への疑問や反対の意見の多くは、コロナ禍によるパンデミックなのになぜオリンピックを開催する必要があるのか?本当に安全安心の大会が開けるのだろうか?というものです。
開催前の世論調査では疑問~反対の意見は6割~7割ほどもありましたが、アスリートの活躍が連日報道されると、自然にその声も静かになりました。閉幕後の世論調査では開催して良かったという声の方が多くなりそうです。人心は移ろいやすいものです。開催推進派の人からは「反対していたのにアスリートの活躍を楽しむのは不謹慎、自己矛盾」という批判もありました。
私は開催是非の意見は意見として、開催決定後にコロナ禍の拡大防止と大会の安全を祈ること、アスリートの活躍を称えること、関係者の無事と労苦に感謝することは矛盾しないと思っていますが如何でしょうか。

まだパラリンピックが開催中ですが、東京2020大会についてはしっかりと検証してほしいと思います。「忘れやすい国民性」などと流されてしまっては困ります。パンデミックの中での大会は歴史上かつてないことだったのですから、今後のためにも確かな検証を求めたいと思うのです。

相武山 山主

2021年08月28日

午前中の時間が乱れます

5月頃からでしょうか、午前中の私の時間が少し乱れています。もしかするとそれは私ばかりではないかもしれません。そうです、アメリカ、メジャーリーグで大活躍の大谷翔平選手のプレーがBSで放映されるからです。大谷選手がさまざまな話題を提供しながらメジャーリーグに渡って4年目となりました。

大谷選手はリアル二刀流としてピッチャーとバッターの二役をこなす近年稀な存在で、野球の神様といわれるベーブルースと比較されてもいます。今年は開幕から好調でバッターとしてはホームランなど長打を連発、ピッチャーとしても好成績をおさめています。さらに快足を飛ばしてのヒットや盗塁も見事で、今年のメジャーリーグの話題をさらって注目度はナンバーワンといったところです。

 オールスターゲームにも選出され、その前日のホームランダービーにも日本人として初参加。ホームランダービーでは初戦で敗退しましたが、オールスターゲームではピッチャーとしての非凡な才能を示しました。今年前半の大活躍で疲労が心配されましたが、オールスターゲーム以降も活躍は続いています。

大谷選手は成績もすばらしいのですが、それ以上にその人柄が多くの人々に愛されています。まず、野球が好きでたまらないという根っからの野球小僧であり、野球を敬愛する素直な言動が人々を魅了しているのです。さらにグランド内外での振る舞いには品性の良さを感じます。メジャーリーガーとしての驕りもなく、マナーの良さが際だっているのです。そのような品性は一朝一夕に身につくものではありませんから、幼い頃から意識して養成してきたものではないでしょうか。それは大谷選手が高校生時代に作ったといわれる通称「大谷まんだら」を見ればわかります。

大谷選手はプレーのすべてに屈託のない笑顔が印象的で、応援しているうちにこちらも元気をもらっています。リアル二刀流は心身共に大きな負荷がかかることは容易に理解できますから、無理をすることなくバランスをとりながらプレーを愉しんでほしいと思います。私の午前中の時間が乱れるのは、ただ単に私の修養が調っていないだけのことです。これからも大谷選手の活躍を祈っています。

相武山 山主

2021年07月29日