相武山 妙法院のブログ

相武山 妙法院のブログです。

相武山 妙法院

  • HOME
  • 相武山 妙法院
  • お知らせ&行事案内
  • 道の心得
  • 法話会
  • 墓苑・永代供養墓
  • 自然に親しむ
  • 交通のご案内
  • ブログ
  • サイトマップ

045-442-7688

  • ご相談について

〒241-0806 横浜市旭区下川井町1590-1

相武山 妙法寺 ブログ

春季法門研修会を開催

18日(日)午後1時からは春季法門研修会を開催。研修会には15名の信徒が参加聴講されました。はじめに参加者一同にて法門研鑽を祈念して勤行・唱題。その後、講義。
今回の研修会では日蓮大聖人御生誕800年を記念して正信会から発刊された「妙法蓮華経要品・現代語訳版」の拝読がテーマ。

研修会の開催にあたっては参加者一同にて『行学二道の御聖訓』を奉唱。行学二道の御聖訓というのは「諸法実相抄」の一節で、「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」との御文。この御書は真蹟遺文ではありませんが、仏道における信・行・学の大切さを述べたもので、日蓮門下の修行・修学の姿勢を自覚するために意味のあるお言葉です。

講義では妙法蓮華経要文を現代語訳で読み進めるために、「インドにおける仏典の成立、初期仏教から大乗仏教ヘの歴史、仏典の東漸と漢訳の歴史、鳩摩羅什と妙法蓮華経、天台法華思想と日蓮大聖人の仏法」について簡略に解説。

続いて、『月水御書』「法華経はいずれの品も左記に申しつるように愚かならねども、事に二十八品の中に優れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。去れば恒の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。又別に書き出だしてもあそばし候べく候。余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。寿量品・方便品をよみ候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」を拝読。
月水御書は大学三郎の女房にあてた御書と伝わりますが真偽未決の御書です。参考として御書システムの月水御書の解題から、宗祖が常の御所作(勤行)では方便品・寿量品を読誦することを教示されていたことをお伝えしました。

その後、方便品現代語訳「その時、世尊はゆったりとおごそかに冥想状態を解かれて、舎利弗に次のように告げられました。」から、増上慢の四衆五千人が退座する「彼らは座から退き、世尊もまた黙ったままで、それを制止されませんでした」までを丁寧に拝読。法華経迹門の要となる方便品の前段を親しく学びました。
拝読の続きは夏季法門研修会に行うことをご案内して2時間30分の研修会を終了。

相武山 山主

2021年04月30日

今を生きる(下)

前に述べたように今を生きるためには過去との比較が欠かせませんから、「この時代、この社会、この地域、この環境・・・・・・」について参加者の皆さんと考えてみました。

過去の時代(昭和や大正・明治、さらには江戸時代や戦国時代、鎌倉時代や平安時代~)とは違う現代。想像できない未来とも違う現代。今は令和の時代。日本という国生活する地域、日本の自然環境。世界中の国や地域とのつながりと影響。地球と宇宙のいとなみにも影響されます。
生活のスタイルや社会のシステムも「今」のもの。過去の時代とはちがいます。昭和の時代と比較してみるとよくわかります。「住宅、電気、水道、トイレ、電話、ガス、電気製品、洋服、食事、お菓子、商業施設、車、・・・和風から洋風へ、学校の教育内容、新旧の産業の興廃、企業の興廃、病院やクリニック、医療や治療など・・・」。
「家父長制、夫婦関係、親子関係、師弟関係など。結婚式や葬儀などの儀式行事。礼儀や言葉遣など文化や習俗。社会のグローバル化(社会的・経済的に国や地域を超えて世界規模でその結びつきが深まること」等々。
少し振り返ってみればその変化には驚くばかり。意識するとしないとにかかわらずほとんどの人が変化を受容して今日に至っています。

次に「今を生きるため」には、自分自身の今を知らなければなりません。自分ことといえば多くの人がわかっていると思いこみがちですが、実はそうでもありません。自分自身を見つめ知ることはかなり難しいことなのです。
自分自身を見つめ、己れを知ることが大切として「年齢、体調、性格、これまでの歩み、育った環境、修学や就職、職種や経験、人生の歩みと置かれている環境は一人ひとりちがう・・・」ことなどについて説明。その上で、今の自分にできること、できないことを理解して心豊かに生活することをお勧めしました。

変化してやまない今を生きるとして「時代は日々刻々変化していることを知る。人は誰もが生・老・病・死をまぬがれない。仏教では四劫が説かれている(成劫・住劫・壊劫・空劫のこと。仏教では世界が成立し、変化・破滅を経て、空の状態に帰するまでを四つの期間に分ける)。真理である変化をおそれない心を涵養する」ことをお伝えしました。

変化についても「変えるべきもの、変えた方が良いもの、変えない方が良いもの、変え てはいけないものがある」ことを解説。「今までの考えやかたちを変えることには不安を伴うことが多い。変容(変化を受け入れる)にはできるだけ正確な情報と知識が必要。コロナ禍によって失ったもの、コロナ禍によって得たものを知る。「今」コロナ禍での人生を歩むということは、それ以前との変化を認めて新たな人生を歩むということ。置かれた環境を愚痴ることなく認め、一歩でも前を向いて与えられた人生を歩むことが大切。人生は出会いと選択であり、人生はすべてが学びである。」と所見を述べました。

変化をおそれずに生きる「諸行は無常&縁起として在る」では
釈尊と弟子の問答『相応部 サンユッタ・ニカーヤ』から、
「大徳よこの世の色には、ほんの少しでも、なんぞ常恒・永住にして、いささかも変易することのないものはないでありましょうか」
「比丘よ、この世の色には、常恒・永住にして、変易することのない ものはまったく存しない」

「比丘よ、もしこの爪の上の土ほどのものであっても、常恒・永住に して、変易することのないものが存するならば、わたしの説く清浄の 行によってよく苦を滅尽することはできないであろう。
しかし、比丘よ、この世にはこの土ほどのものといえども、常恒・永 住にして変易することのないものは存しない。故にわたくしの説くこ の清浄な行によって、よく苦を滅尽することができるのである」

「比丘たちよ、色は無常である。色を生起せしめる因も縁も無常であ る、比丘たちよ、無常なる因と縁によって生起せる色がどうして常恒 なることがあり得ようか」

『雑阿含経 サンユッタ・ニカーヤ』から
「縁起の法は我が所作にあらず、亦余人の作にもあらず、然も彼の如来、世に出ずるも、未だ世に出でざるも法異常住なり。彼の如来は自らこの法を覚って等正覚を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発し顕示す。謂わゆる此れ有るが故に彼有り、此れ起こるが故に彼れ起こる」を紹介。

「諸行無常とはあらゆる存在が変化してやまないという真理。あらゆる事物事象は縁起によって成り立っている。釈尊の覚られた真理は縁起を基本としている。縁起であるがゆえに不変・絶対なるものは存在しない。」であり、諸行無常が仏教の基本思想であり縁起は真理であることをお伝えしました。

学ぶべき日蓮聖人の言葉では以下を紹介しました。
「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」 『可延定業御書』

「夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ひて後に他事を習ふべし」 『妙法尼御前御返事』

「流罪の事痛く歎かせ給ふべからず。勧持品に云く、不軽品に云く。命限り有り惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり」 『富木入道殿御返事』

「一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給ふべからず」 『四条金吾殿御返事』

今回のテーマ「今を生きる」から
「現実をしっかりと理解しよう。己れ自身を見つめよう。過去にとらわれず、未来をいたずらにおそれない。貴重な命であることを知り、また、その命が有限であることを知る。今日一日の命のいとなみを大切にしよう。学ぶことを愉しもう。臨終のそのときまで自分自身が成長することを願う」ことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年04月29日

今を生きる(上)

本年、第4回目となる日曜法話会は4月18日(日)午前11時の開催。今月のテーマは「今を生きる『諸行は無常、仏教は変化をおそれない』」でした。
初めて参加された方もおられましたから、当山の日曜法話会は「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解して頂きたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」を主旨として開催していることを述べ、仏教寺院の存在意義は冠婚葬祭のためばかりでなく「仏教を学び伝える、僧侶と信徒が修行・修学し仏道への信仰を磨く、心を浄め癒やしと安らぎを得る、伝統や文化などを護り伝える」ことにあることをお伝えしました。

法話会のテーマで「世相」を取り上げていることについて「仏教は現実を直視する立場。仏教は神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。起こる事象はすべて学びの対象。眼前の事物・事象を自分はどのように観ているかを認識し、どのように自らの人生に活かすかが大切」であることをお伝えしました。

今月のテーマは「今を生きる」。過去のしがらみなどによって目が曇ったり、知ることのできない未来に翻弄されることなく、今この時を真剣に、そして誠実に生きることが大切であるという仏教的視点の一つの表現です。

「今」を思索する時には、その今がどのような今であるかという現状の認識が不可欠。それは今の現状を的確に認識できているか否かで判断が大きく左右されるからです。その的確な認識のためには過去などとの比較が効果的となります。というのも物事は比較することによってかなり整理することができるからです。
そのためにも自分自身が生きているこの時代、この社会、この環境などを過ぎた時代と比較しなければなりません。できるだけ的確な認識に立った上で、諸行(あらゆる存在)は無常(常ではない)という仏教の真理を理解し、変化してやまない現実を怖れることなく、永久(とわ)に通じる一日一日であることを自覚して大切に歩むことが、「今を生きる」仏教徒の姿勢だと思うのです。

法話は「今を考える」ことからスタート。昨年春から世界中が翻弄されている「コロナ禍による変化」を振り返ってみました。認知症になっているわけではありませんが、たった1年前のことでもすっかり忘れていることが多いものです。
まずは「コロナ禍の現状。」
「コロナ第4波か? 欧米諸国に比すると感染者数も死亡者も少ない日本。しかし、東アジアでは感染者が多い日本。2度の緊急事態宣言と新たな『蔓延防止等重点措置』の実施。」「見通し不明のワクチン接種と専門家の第4波憂慮発言。病床の逼迫や医療崩壊への危惧もささやかれる。我が国のコロナ対策の歩みを検証しなければ悪夢は繰り返す。」と所見を述べました。

次に「コロナ禍の歩み、思い起こしてみよう」
★ 新型コロナウイルス感染症報道
(2020年1月下旬、中国武漢を発生源とする感染症が発症と報道。
★ 1月23日、中国政府が武漢市を事実上封鎖
★ 1月28日、日本人初感染公表
(武漢市への渡航歴のないバス運転手の男性。武漢から来たツアー客を乗せて、東京・大阪間を往復。翌29日にはこのバスに同乗していた女性バスガイドの感染も確認。この頃からマスクや体温計、除菌剤などを中心に衛生用品が店頭から消える。)
★ 武漢からのチャーター便帰国
(1月29日、中国・武漢市などに滞在していた日本人がチャーター機で帰国。2月17日までに計5便が派遣。中国人配偶者や子どもを含む800人超が帰国した。)
★ ダイヤモンド・プリンセス(DP)号の集団感染
《クルーズ船「(DP)号」(乗客2666人、乗員1045人)。DP号は1月20日に横浜港を出発。鹿児島、香港、ベトナム、台湾、沖縄に立ち寄り2月3日に横浜に帰港。その途中、1月25日に香港で下船した乗客が新型コロナウイルスに感染していたことが2月1日に判明。日本政府はDP号からの下船を認めず、5日から洋上で2週間の検疫を行った。陽性者は神奈川県をはじめとする医療機関に搬送され、入院措置がとられた。その間、船内の感染症対策の不十分さが指摘された。2週間の健康観察期間を経て下船した乗客が陽性診断される事例が問題となった。最終的にDP号での感染者は計712人(うち死者は13人)》
★ クラスターの発生
(2月14日、前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性が1月に開かれた屋形船での新年会に参加。都は「約100人が濃厚接触者にあたる」として検査を進め、初のクラスターとして報道された。この後、病院や高齢者施などでのクラスター発生が報じられた。)
★ 小中高等学校の休校
(3月2日から春休みまで臨時休校。)
★ 各種イベントの自粛と中止。
★ 緊急事態宣言発出
(4月7日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を発出、4月16日に対象を全国に拡大。)
★ その後については割愛。

以上、昨年1月下旬から初めての緊急事態宣言発出まで3ヶ月ほどの足取りをたどってみました。未知のウイルスによる不安と恐怖と混乱は我が国を覆い尽くしたことがわかります。それから1年という時間が経過しましたが、期待のワクチン接種も全く見通しがたたず、感染拡大が再度広がり3度目の緊急事態宣言さえ予想される現状についてお伝えしました。

続いて私が率直に疑問に思うこと・・・。
当然のことながら政治や行政も努力していることはわかっています。さらに医療従事者や介護従事者などのご苦労にも敬意を表します。しかし、腑に落ちないことやなぜ・どうしてと疑問に思うこともあります。
ポイントを絞って「パンデミックから1年4ヶ月。疑問に思うこと、なぜできない」として、「病床の逼迫と医療崩壊の解消。法律やシステムの不備があっても知恵をしぼって実行してほしい。平時と緊急時の対応は異なっていても良いのではないか? なぜワクチンの確保と接種が遅れているのか? なぜ日本でワクチンが創れないのか? 失敗や責任は忌避したいのが人情、しかし、有権者から選出されたた政治家には緊急事態との認識と覚悟が必要ではないのか? 日本ははたして先進国だろうか?・・・・・」と私見を述べました。

次にコロナ禍による大きな変化。
★ コロナの感染予防を中心とした生活と社会
日常の家庭生活、学校や会社、各種イベントや大会、宗教や文化、人的交流、儀式や行事、飲食など社会生活の在り方が大きく変化。
★ 感染の予防を中心とした生活
三密(密集、密接、密閉)を避ける生活スタイル。日々衛生管理を意識する生活。
★ リモートワーク&リモート学習
自宅での仕事や学習。
★ リモート会議
対面での会議ではなく、PCやタブレットなどを利用しての会議。
★ イベントや各種大会開催
人生の節目となる大切な行事でも中止となる。感染予防を徹底しての開催。スポーツ観戦などでは規模の縮小や内容の変更。
★ 職種によってコロナ禍の影響が異なる。
★ コロナ禍による経済的な被害は深刻。
★ 儀式や行事の変化
コロナ禍によって儀式や行事のかたちが変化することもある。
以上誰もが実感した社会の変化をお伝えしました。
(つづく)

相武山 山主

 

2021年04月28日

慰霊の供養をつとめて

妙法院には墓苑事務所の奥にペット墓「慈愛」が設けられています。ソメイヨシノの樹下にあるペット墓にはすでに20霊以上のペットが共同埋葬され、例年4月1日には慰霊供養を行っています。
今年も4月1日午後1時からの御経日に引き続いて、名残のサクラの下で香華を供え、ご信徒と倶に法華経要品読誦、南無妙法蓮華経の唱題を修して慰霊供養をいたしました。

ペットという言葉からのイメージは犬や猫が中心で、飼育愛玩している動物というのが一般的な理解だと思います。ペットの存在を認めて可愛がる方も多く、その輪も世界に広がっていますが、他方、本能的に受容できない方や、体質的に合わない方もいます。また、好ましくない経験などから忌避される方がいるのも事実です。ペットへの理解や対応、選択は個人のまったくの自由ですが、大切なことは自分と異なる認識や好みがあり、その事実を認め他者を尊重するという姿勢ではないかと思います。

ペットへの我が国の意識は欧米の影響もあって近年大きく変わってきているように思えます。ペットという表現が我が国で一般化したのは1980〜1990年代といわれており、そう長い歴史ではありません。そもそもペット(pet)とは日本では愛玩動物以外の意味で使われることは少ないようですが、英語では人間に対して使われる意味も含まれているようです。「愛玩(あいがん)動物、ペット、お気に入り、いいやつ、かわいい人、いい子、すてきなもの、あこがれのもの、(子供っぽい)不機嫌、すねること」などと解釈されるようです。

さて、一概にはいえませんが、我が国ではかつて飼育する犬や猫などを畜生と蔑視することがあったり、人間のしもべのように扱うことも珍しくはありませんでした。しかし、今ではペットを飼う家庭では「ペットは家族の一員」という認識がほとんど。多くの方が家族の一員として名前をつけ、他者には「うちの子」などと紹介しています。まさに家族そのものです。

ペットへの認識や定義については種々意見もあることと思いますが、
『ブリタニカ国際大百科事典』には
「愛玩動物のこと。大切にかわいがるために飼育されている動物をいう。かわいらしく愛嬌のある容姿,きれいな鳴き声,飼い主に従順な性格などがペットの条件としてあげられる。昔からおもに哺乳類,鳥類,魚類が飼われてきたが,近年はワニ,トカゲ,ヘビなどの爬虫類も人気を集めるようになり,両生類や昆虫類を含めて幅広くペットになりうる。そのなかで最も一般的なのはイヌ,ネコで,危険を察知したり狩猟の助けをしたり,ネズミをとるなど家畜としての役割を兼ねていたものが,長い歴史のなかで遺伝的に改良され,まったくの愛玩用になってしまった品種も少なくない。」とあります。

ペットはことばも通じないのに、なぜか家族と同じように強い絆を感じる存在です。そこから現代では「コンパニオン・アニマル(伴侶動物)」とも呼ばれるようにもなっています。したがってペットへの表現や対応もかなり慎重さが求められ、我々僧職がペット供養を希望されても従前のように「如是畜生」などという表現は憚られるようになり、施主(供養を願われる方)の気持ちを推し量った供養のかたちに変化を余儀なくされています。実際当山では個別にペット慰霊のための塔婆を依頼されたときには、かつてのように「○○号・如是畜生頓生菩提」ではなく、「慰霊追善供養」と書いて供養しています。

愛らしいペットの存在は飼育愛玩される方によって(飼育という表現が不適当と指摘されそうですが)それぞれ異なると思いますが、およそ癒やしや安らぎの対象であり、家族のコミュニケーションの対象となり、飼い主家族の生きがいにも通じる大きな存在となっています。ときに自宅などを猫屋敷や犬屋敷として、動物を虐待し周囲の人々に迷惑をかけるような人もいますが、ほとんどのペット愛好家はペットを家族の一員として人生のよすがとしているようです。

しかし、ペットも人間同様、「生・老・病・死」をまぬがれません。愛情が深ければ深いほど悲しみも深いものです。病気になってはうろたえながら治療し、老いてはできるだけの介護をします。寿命を迎えれば悲しみに襲われながら手厚く弔いたいと願う方が多いようで、情愛や人情が薄くなってきたといわれる現代に逆行するような温もりのある姿を多く見受けます。そこからはペットの置かれている位置が昔と様変わりしていることがわかります。ペットが可愛いという無条件的価値は当然として、核家族化や少子化、孤独や孤立生活など人間社会の環境変化がペットの存在価値を向上させているように思えます。

家族の一員であるペットを失うと飼い主家族の精神的ショックは大きく、だれもが「ペットロス」といわれるような経験を覚えます。そのショックが軽ければ問題ありませんが、中には悲しみが重症化して心の病や身体的な病気を患ってしまう人もいますから注意しなければなりません。ペットロス症候群等は、人と動物との間に「深い絆」が存在するから起こる病です。
亡くなったペットも愛してくれた飼い主家族が悲しみから立ち上がれず、心身に支障を来たすような姿をみればきっと悲しむことでしょう。諸行は無常との真理に想いを馳せ、生前の存在に感謝して冥界の安寧を祈り、自身の心のバランスをとることが大切です。

大乗仏教ではあらゆる存在の成仏が説かれていますからペットも当然その対象です。法華信仰の家族と倶に生活したペットは、法華経に説かれるように信仰の功徳によって仏さまのお側で安らいでいることでしょう。私たち家族もジョン、ボブ、タロー、を仏さまの世界に送りました。恒例となった慰霊の供養をつとめながら在りし日の可愛い姿を偲び、ペットについて種々思いを巡らした慰霊供養法要でした。

相武山 山主

2021年04月27日

御生誕八百年記念法要

今年は日蓮大聖人御生誕800年の佳節。コロナ禍という緊急事態ですが日蓮門下ではそれぞれに御報恩のまことをささげました。当山では旧暦の2月16日にあたる3月28日(日)午後1時から記念法要を奉修。

当日は朝方から小雨模様、法要の前後は曇天でしたが境内のソメイヨシノは満開。昨年末の境内整備によって本堂前から市民の森のサクラも一望できました。800年前の宗祖のご誕生もこのような花の時季であったのでしょう。まるでサクラが御生誕を祝福しているように思えました。

思いのほか参詣者が多く椅子を増設することになりましたが法要は定刻に開始。はじめに私から法要について、寿量品読経のおりに御報恩のため全員で沈香を献香申し上げ、自我偈は訓読することを案内いたしました。その後、献膳、読経、献香、唱題と如法に厳修。参詣者一同で御生誕八百年を慶祝申し上げました。

法要後の慶祝の法話では初めに法華経分別功徳品第十七
「如来の滅後に、もしこの経を聞いて、毀呰せずして随喜の心を起こさば、まさに知るべし。すでに深信解の相と為すなり。いかにいわんや、これを読誦し、受持せん者をや。この人は、すなわちこれ如来を頂戴したてまつるなり」を拝読。

宗祖の御生誕八百年を機縁に末弟としてさらなる仏道精進を誓い、慶祝記念に正信会より発刊された「妙法蓮華経要品 現代語訳付」を紹介。南無妙法蓮華経のお題目を秘めた法華経に親しむことの大切さを述べ、4月の春季法門研修会などで丁寧に内容を解説して行くことをお伝えしました。
また、コロナ禍で菩提寺に参詣ができず、宗祖の教えや信仰を学ぶ機会が難しいこと、高齢や病のため参詣できない檀信徒が多いことなどから、ウエブやDVDで御講や日曜法話会の内容を配信することを検討していることを報告。すでに3月の御講と法話会は収録済みで希望者に配信して試聴頂いていることをお伝えしました。

その後、法華経読誦やお題目を唱える意味をわかりやすく解説し、日本仏教史を概観しながら日蓮大聖人の仏法について「鎮護国家・権力者のための仏教から庶民救済の仏教へ。煩悩断尽の覚りの仏教から下根下機救済の仏教へ。原始仏教・小乗仏教から大乗仏教へ。大乗仏教の精華である法華経から文底の南無妙法蓮華経のお題目へ。深い信心の決定を願う成仏。現実社会で力強く生きるためのお題目。」であることを述べました。
結びに参詣者の皆さまと共々に御生誕八百年を慶祝できたことに感謝を申し上げました。

相武山 山主

2021年03月31日

春のお彼岸

今年の春のお彼岸は17日が彼岸の入りで20日がお中日23日が彼岸の明け。東京ではサクラの開花が進んでいるようでしたが、当山の周囲ではまだほころび始めたばかりという風情でした。コロナ禍のお彼岸ですから参詣案内も遠慮気味となり、例年よりも静かなお彼岸となりましたが、参詣できなくても郵便にて供養を願い出られる方々も多く、檀信徒皆さまの篤いご信心にふれることになりました。

法要は三密を避けて、17日(水)と20日(土)と21日(日)の3回にわたって執行。20日と21日は法要の前、午前11時から樹木葬墓地と永代供養墓久遠廟にて、香華を供え塔婆を建立して追善の読経・唱題。参詣者はわずかでしたが真心の御回向を申し上げました。
17日と20日は穏やかな日和の中での法要でしたが、21日は一転、参詣者はかなりの豪雨に濡れながらお出でになりました。ご先祖と有縁精霊は雨天にもかかわらずお彼岸の供養に参詣された方々の思いにさぞかし感謝しておられることでしょう。彼岸法要では如法に献膳、読経、焼香、唱題を勤め、日興門流先師への御報恩、妙法院檀信徒有縁精霊と願出の塔婆供養への御回向を懇ろに申し上げました。

法要後の法話は『上野殿御返事』より「日は西よりいづとも大海の潮はみちひずとも仏の御言はあやまりなしとかや。 ー 略 ー 故親父は武士なりしかどもあながちに法華経を尊み給ひしかば、臨終正念なりけるよしうけ給はりき。其の親の跡をつがせ給ひて又此の経を御信用あれば、故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん。あはれいきてをはせばいかにうれしかるべき。此の経を持つ人々は他人なれども同じ霊山へまいりあはせ給ふなり。いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば、同じところに生まれさせ給ふべし」を拝読。

日蓮大聖人はこの御書で、上野殿父子の絆の深さと法華信仰継承の尊いすがたを賞賛され、法華信仰者は等しく霊山往詣するのであり、同信父子は必ず巡り会い悦び合うことになることを述べ、法華信仰が現当二世の功徳を積むことを教えています。
また、諸行は無常と語る仏教者としての立場に拘泥することなく、幼くして父親を失った上野殿の心中に思いを寄せ、親子の情愛の深さと人情のありようを認められています。そこには覚りのみに執着しないぬくもりのある大乗仏教の精神が説かれていることをお伝えしました。

相武山 山主

2021年03月31日

東日本大震災に想う

3月14日(日)は今年3回目の法話会。テーマは「東日本大震災に想う」でした。いまだ緊急事態宣言の延長下でしたが30名近くの方に参加聴聞頂きました。簡略に法話会の趣旨を説明すると倶に、10年前の第1回法話会が平成23年4月であったことを回顧してテーマに入りました。

はじめに東日本大震災を振り返り「10年の節目にしっかりと災害を検証し想いを深めることが大切」として「何ごとも正確な情報とその適切な分析が重要。複合災害(大地震、大津波、原子力発電所の事故など)であったことを認識すること。この大災害から何を学んだか?一人ひとりが考えること。これから発生するであろう自然災害にどのように向き合うか、一人ひとりが考え行動しなければならない。」と所見を述べました。

考えるべきこととしては「大地震と大津波の脅威」「大川小学校の悲劇と責任の検証」「災害は現在進行形、深刻な原子力発電所の事故」の3点を提示。
大地震と大津波では「2011年(平成23年)3月11日(金) 14時46分、東北地方太平洋沖を震源地とする大地震。地震、大津波、火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万2000人余の死者(震災関連死を含む)・行方不明者が発生した。明治以降の日本の地震被害としては明治三陸地震(死者・行方不明者2万1959人)を超えて関東大震災(死者・行方不明者推定10万5000人)に次ぐ2番目の規模の被害。

次に石巻市立大川小学校の悲劇と責任の検証
「東日本大震災に伴う津波が本震発生後約50分、15時36分頃、新北上川(追波川)を遡上。この結果、河口から約4kmにある大川小学校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と教職員13名中、10名が死亡。その他、学校に避難してきた地域住民や保護者のほか、スクールバスの運転手も死亡。学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては第二次世界大戦後最悪の惨事」である概要を説明。

地震後の学校の対応について「裏山への避難中止」「避難場所を巡っての議論」「校長不在による避難判断の問題」「「集団パニック状態かそれに近い状態だった」ことなどを解説。数年前に私は現地に慰霊にお参りしましたが、そのときの体験と心情もお伝えしました。

続いて災害は現在進行形として「原子力発電所の深刻な事故」について。
事故の概要「地震発生当時、福島第一原子力発電所では1 – 3号機が運転中。4 – 6号機は定期検査中。1 – 3号機の各原子炉は地震で自動停止。地震による停電で外部電源を失った。地震の約50分後、遡上高14 m – 15 m の津波が襲来。、非常用ディーゼル発電機が海水により故障。さらに電気設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷するか、または流出したため、全電源喪失に陥った。
このため、ポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や使用済み核燃料プールへの注水が不可能となり核燃料の冷却ができなくなった。
1・2・3号機ともに、核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起き、溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開いたか、または制御棒挿入部の穴およびシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が圧力容器の外側にある原子炉格納容器に漏れ出した(メルトスルー)。
1 – 3号機ともメルトダウンの影響で、水素が大量発生。原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素ガスが充満。3月12日午後3時36分に1号機、14日11時1分に3号機、15日午前6時10分に4号機がガス爆発。原子炉建屋、タービン建屋および周辺施設が大破。大気中や土壌、海洋、地下水へ大量の放射性物質が放出。複数の原子炉(1,2,3号機)が連鎖的に炉心溶融、複数の原子炉建屋(1,3,4号機)の水素爆発が発生。大量に放射性物質を放出した史上例のない原発事故。」を説明。

原発廃炉への想像を超える長い道のりは災害が現在も進行中であることを示していることを述べ、「国民全員が原子力発電所事故の深刻さを認識しなければならない。偽りのアンダーコントロール発言。廃炉への行程が見通せず、いつ何が起こるかわからない危険な現状。地球規模の災害(自然・人的)を引き起こした責任。廃炉へのスピードアップと原子力発電からの速やかな撤退を真剣に検討するべき」との所見をお伝えしました。

被災者の癒やしと救済について
被災から立ち上がるために「癒やされることのない悲哀を理解。祈りは力、犠牲者への真心からの追悼。全国民からの物心両面からの継続的な支援。被災者は祈りと覚悟から立ち上がる。犠牲者への慰霊が生きる力になっている。祈りにはカタチも必要。よみがえらせたい現当二世を救済する仏教への信仰」について所見を述べました。

目前に迫っている自然災害については「首都直下型地震。東南海の巨大地震。富士山の噴火。気候温暖化をはじめ地球規模の災害。宇宙空間の変動等々」一人ひとりが災害発生への心の備えと具体的準備が必要であることをお伝えしました。

結びに日蓮大聖人の立正安国論から「自然災害や疫病の流行に警鐘を鳴らした日蓮。庶民の現実的苦悩を共有した大乗仏教者日蓮。災厄の起源を仏典に求めた日蓮。現代科学の知見が日蓮にあったならどのように語ったであろうか。科学と人間の心の調和をとることが大切。」と所見を述べました。

学ぶべきこととして「東日本大震災から学ぶことは数えきれない。一人ひとりが自身のこととして考え思案することが大切。やがて発生する自然災害を想像し日頃から用意と準備を怠らない。平穏な日々の生活がいかに貴重なものであるかをかみしめる。精神を涵養する信仰や祈りに想いをめぐらす。」をお伝えして3月度の法話会を終了。
4月の日曜法話会は18日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年03月30日

慰霊と鎮魂の祈りをかたちに

3月11日は未曾有の大災害となった東日本大震災の発生から10年。本年3月1日現在、死者、行方不明者、震災関連死は合わせて約22,000名といわれています。先月の下旬頃からメディアでは大震災発生10年について手厚く報道。さまざまな視点から災害と被災者の実相を報じています。
自然の猛威による悲惨な大災害を思い起こし、慰霊と復興への思いを新たにしたり、これから発生するであろう自然災害への備えとして、被災体験者のことばを真摯に視聴された方も多かったことでしょう。
この日、被災地は朝から静かな慰霊と鎮魂の一日。東京の国立劇場ではコロナ禍にもかかわらず、被災者と国の代表者によって追悼式が執り行われました。地震発生時刻の14:46には全国各地で多くの国民が哀悼の意を表して黙祷を捧げました。当山でも物故者精霊の塔婆を建立して御回向を申し上げた次第です。

心の思いはかたちに顕れるもの。
かけがえのない家族を突然に失う悲哀はどのようなものとも比較することのできない深い悲しみ。被災者は衣・食・住のすべてに困窮を来しましたが、その苦しみや悩みも大切な家族を喪失した悲哀を越えることなどありません。被災当時から今まで絶え間ない慰霊と鎮魂の祈りが続くゆえんです。
どのようにすれば犠牲者への慰霊となるのか、どのように犠牲者の鎮魂を祈れば良いのか、等々、心の中の思いは祈りとなりますが、祈りはやがてかたち(礼儀・作法)を求めることになります。

宗教性を持ちたくないのであれば、黙祷が一般的であり、合掌や献花などのかたちもあります。しかし、宗教性を帯びても良いというのであれば、宗教にはすべてそれぞれに祈りのかたち(礼儀・作法)がありますから、そのかたちにそって心のなかの祈りを顕すことができます。今回の大震災では多くの人々が自らの慰霊と鎮魂の祈りを先祖伝来の仏教的なかたちをもって顕していました。
多くの被災者の方が犠牲者のために、仏壇を調え、墓地を整備するばかりでなく、朝夕の祈りや読経と回向の儀礼を僧侶から学んだということです。祈りは犠牲者のためばかりではありません。深く傷ついた自らが悲しみと慨嘆から立ち上がることにも通じているのです。祈りは安らぎをもたらし、祈りはかたちを求めます。
私は憂・悲・苦・悩のときにはもちろんのこと、喜悦や感謝のときにもご本尊様に数珠をかけ端座合掌。法華経要品を読誦し南無妙法蓮華経のお題目をお唱えします。祈りを行儀に顕すことができることは信仰の大きな功徳と考えていますので、被災地の方々が慰霊と鎮魂の祈りをかたちに顕されていることに敬意を表しています。

相武山 山主

2021年03月29日

想いを馳せて(ある法事から)

昨年春からのコロナ禍のために寺院行事は大きく制約を受け、年中行事をはじめ各法要行事に大きな影響を蒙っています。緊急事態宣言の発出による影響はもちろんのこと、感染予防の基本は三密ですから、密接、密集、密閉のすべてに該当する法華の道場では活動を自粛せざるを得ない状況が今に続いています。
自粛は寺院の法要行事ばかりでなく檀信徒の方々の仏事法要にも及びました。コロナ禍の吹き荒れた昨年は、家族親族が集まることを遠慮されて、御供養やお供物をお届けになり、参詣者がいないという法事が数件ありました。今までも高齢や体調不良などで参詣者不在の法事はありましたが、今回のようにコロナ禍によるものとは趣がかなり違います。

法事は仏教信仰の篤い家庭、儀礼を大切にされる家庭では至極当然に営まれてきました。また、近年旅立たれた家族のおられる方や先祖への想いが在る方にとっても自然なことといえるでしょう。しかし、仏教や信仰と無縁であったり、法事をしたことのない家庭で過ごされた方にとっては思いつかないものかも知れません。

ゆかりある故人のための法事は仏教の一つの儀礼ですが、仏教信仰から芽生える知恩・報恩、追善供養という思いばかりではなく、故人との縁から家族の絆を確認したり、故人との思い出から自分自身を見つめたり、さまざまな人情が行き交うものです。また、家族親族がゆかりある故人のために集い、旧交を温め合うことにも人生の一つの意味があると思います。

当山で営まれる法事は富士日興門流の化義作法に則ったもので法式はすべて同様ですが、各法事がまったく同じということではありません。というよりも法事は営まれる施主と臨席される方々によってそれぞれ異なるものです。それは霊山に旅立たれた故人とご家族の関係、旅立たれてからの時間の経過とご家族の在りようによって法事の雰囲気がちがうことからもわかります。そこには時のながれと家族と一人ひとりの人生が投影されているように思えます。

2月6日(土)、本多家(横須賀市)の第13回忌法要が当山で営まれました。本多さんのお母さまは当山開創当時からのご信徒で強盛な法華の信仰者でした。本多さんとはお母さまからのご縁となります。今から16年ほど前、羽沢の妙法院にご夫妻で突然お見えになり、お母さまから「悩んだり、迷ったり、困ったら、ご住職のところへ」と言われていたので来られたということでした。

それ以前にもお父様の法事などでお顔は拝見していたのですが、親しく言葉を交わすことはあまりありませんでした。来院の理由は奥様がかなり厳しい病であると診断されたので、病気の平癒をご本尊様に祈念してほしいということと、どのように気持ちを立て直して病気に向き合えば良いかというお尋ねでした。

その日のご夫妻は、病気についても明るく話される奥様と、すっかり落ち込み意気消沈しているご主人でまさに対照的。お二人のその姿を今でも鮮明に覚えています。ご主人の憔悴している姿の理由は「うちのやつがいないと私はだめなんですよ・・・」という一言で合点がいきました。
夫婦や親子、家族や親族のことは当事者同士でなければその関係はよくわからないものです。時に無責任に他の家庭のことをあれこれと詮索したり、一方的知見で勝手なことをいう方を見聞しますが、実に失礼なことであり不見識ではないかと私は思っています。

しかし、本多さんの言葉と態度、奥様の子どもを見守るかのような優しい眼差しから、このご夫婦は深い愛情で結ばれていることが自然に伝わってきました。お話をうかがいながら病気のことは病気のこととしてご夫妻の睦まじさに心打たれたことを記憶しています。

私からは、「仏教では現実を直視して目をそらさずに自らの課題に向き合うことが大切と教えている。誰もが生老病死を免れることはできず、自分だけが病を得たのではないことを認識しなければならない。病の床に伏しても一人ひとり状況がちがう、それは心の持ちようが異なるからで、病に伏しても御仏の救いと導きを信じて仏道に心を寄せ、仏法を生きるエネルギーとして希望をもって日々生活してほしい。心新たに法華経を読誦し南無妙法蓮華経のお題目を唱えて仏道の功徳を積みましょう」とお伝えしました。
結びに「得たものがあれば失うものがあり、失えば得たものが必ずあるのが真実ですから、病をよく見つめて、失ったもの、得たものをよく考え、一日一日を大切に過ごしてください」と申し上げ、その後、ご夫妻と一緒に勤行・唱題をつとめて奥様の当病平癒の御祈念を申し上げました。

残念ながら3年後に奥様は霊山に旅立たれました。愛情が深いということは悲しみも深いということですから、本多さんのことがとても心配でしたが、深い悲しみにもかかわらず本多さんはご家族と倶に真心こめて葬儀を営まれ、その後、折々の年忌法要も丁寧に営まれています。もちろん、春秋の彼岸会や盂蘭盆会の供養も欠かされることはありません。

第13回忌法要は逝去されてからまる12年の歳月が流れたということになります。乳飲み子も健やかに成長しました。少年は青年となり、3人の子どもさんもそれぞれ立派に家庭を築かれています。本多さんは数年前に大病を患われましたが、仏天のご加護と霊山の奥様の見守りを得て無事に回復され元気に生活して居られます。
奥様もきっと完爾として笑みを浮かべておられることでしょう。

当山では毎月1件~3件の法事が執り行われます。それぞれのご家庭のありようで法事も異なり、お一人での法事もあれば20名以上のにぎやかな法事もあります。いずれも現世に生きる者と御仏の世界に身を置く者が、仏法を中心に心を通わせ想いを馳せる機会となっています。

相武山 山主

2021年02月28日

ジェンダー意識の変革を

14日(日)は2月度の日曜法話会。初めての参加という方もおられましたが、コロナ禍の緊急事態宣言下ですから参加者も15名ほどでした。今月のテーマは「仏教の平等思想 ージェンダー意識の変革についてー 」でした。オリンピック組織委員会会長だった森喜朗氏の女性蔑視発言の世相に着目。男女間の社会的文化的差別の認識を考える「ジェンダー」について皆さんと一緒に考えてみました。

 

【基本的人権とジェンダー問題】
テーマのきっかけは月初の森喜朗氏の女性蔑視発言です。憲法にうたわれているように我が国では誰もが平等に基本的人権が保証されています。しかし、男女という性差は歴史的変遷を経て文化・伝統・習俗・常識などさまざまな差別として存在しているのが事実です。わかりやすい表現としては「男らしく・・・。女らしく・・・」とか「男は外で仕事・・・、女は家で家事と子育て・・・」というものです。

もちろん当事者同士がそのような状態を納得して選択している場合はまさに他人の余計なお世話ですが、現代では「男は・・・、女は・・・」と発言し、その認識が当然であり常識であるとして主張することは差別主義者としての批判を受けることになります。性差は性差として認め、どのように生きるかはその人本人の自由なのです。ここは人権の基本中の基本です。

男女を性差によって差別することは基本的人権にも反する行為であり、適切ではないと多くの人は認識していますが、意識されず無意識に性差によって社会的差別をしている場合が少なくありません。なぜかといえば我が国では長く続いた封建的身分制度や家柄意識、家父長制や本家・分家意識など、歴史的・文化的な営みの中で、知らず知らずのうちにジェンダー差別にもつながる認識や感覚が存在しているからです。その無意識の認識や感覚がまちがっていると気がついたときには、かなり意識して修正をはからなければ変革はできませんし勇気もいることです。

我が国は太平洋戦争の敗戦によって基本的人権をうたう民主主義国家となりましたが、敗戦によって享受した民主主義ですから、国民一人ひとりが民主主義の重要さに気づいて求めたものでもなく、独裁的権力者と対決して勝ち得たものでもありません。ここが民衆主義意識が低いと感じるゆえんです。

我が国のジェンダー問題もここに起因しているかもしれませんが、1986年4月、「男女雇用機会均等法」が施行されました。この法律は職場での男女平等を確保し、女性が差別を受けずに、家庭と仕事が両立できるよう作られたものです。その後、1997年と2007年に改正されその充実がはかられています。この法律の成立施行にみられるようにジェンダー平等はより良い生活を求める時代の要請なのです。

 

【森氏の発言から】
法話では森前オリンピック組織委員会会長の女性蔑視発言から、「日本のジェンダー意識の変革が求められていること」「仏教と平等思想について」所見を述べました。
はじめに情報の整理です。情報にはその正確さが求められます。情報の取捨選択を誤れば当然のことながら判断もまちがってしまいます。ことに膨大な情報が氾濫するほど流されている現代ですから情報の正確さと整理は不可欠です。

2月3日(水)森氏が日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」と発言。この発言が公表され女性蔑視発言であり、オリンピック精神にも反すると国の内外から厳しい批判を受けました。その後、2月4日~2月11日に「森会長が辞任の方向で調整」と複数メディアが報じるところまでを時系列で整理。

その間の森氏やIOCの言動を伝えると倶に、「抗議署名キャンペーンに1日で5万人以上の賛同が集まる」、「国際人権団体の『ヒューマン・ライツ・ウォッチ』が森氏の発言を受けて『日本の性差別に金メダル』と非難声明」、「各国の駐日大使館も「DontBeSilent (沈黙するのはやめよう)」というハッシュタグで、男女平等への支持と連帯を表明した」、「最高位スポンサーのトヨタが『遺憾』のコメント」などの言動を紹介しました。

最後にオリンピックに大きな影響を持つアメリカNBCの公式サイトに掲載されたパシフィック大学のジュールズ・ボイコフ教授の意見を紹介。
「大坂なおみが、適切に、『本当に無知』と呼んだ森氏の発言は日本における、より広い問題の一部だ。この国は、ジェンダーギャップ指数の調査で153か国中121位にランクされた」と指摘。そのうえで、「森氏は世界が見えるようにカーテンを開け放っただけだ。性差別発言のために、誰かが職を失うに値する時があるとすれば、それは今だ」「森氏が退任すべき時は過ぎている」と。

 

【差別を考える】
森氏の発言から次は「差別」について考えてみました。少ししっかり調べてみると差別は理解しているようでよく理解できていないものであることがわかります。デジタル大辞泉によれば差別とは「あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。取り扱いに差をつけること」とあります。

社会学的にはどのように解説されているかを日本大百科全書(ニッポニカ)[社会学者鈴木次郎氏述]から紹介しました。鈴木氏は「差別の定義」「差別とは何か」「差別の形態と構造」の3節に分けて丁寧に解説されています。学術的表現が展開していますから少し難しい気もしますが、繰り返し読めばよく理解できます。差別の意味とその弊害を知ることはとても大切なことです。
解説の後に私は森氏の発言は池に投げられた小石であり、今後の展開はその波紋であるから、意識の底に沈んでいる無意識の差別を知ることと、日本のジェンダーギャップを直視することの大切さをお伝えしました。

 

【仏教の平等思想】
原始仏典の『スッタニパータ』には
「生まれによって『バラモン』となるのではない。生まれによって『バラモンならざる者』となるのではない。行為によって『バラモン』なのである。行為によって『バラモンならざる者』なのである。
行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭人となるのである。行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。」と説かれています。

仏教は創始者の釈尊自らがヒンドゥー教の差別主義(カーストとカルマ)を否定したことが原点です。釈尊は古来からのヒンドゥー教のカースト制度を否定し、神の支配からの脱却、ダルマ(妙法)の獲得による解脱と救済の道を説かれたのです。
その悟りの中心は縁起の理法(此あれば彼あり、彼あれば此あり)であり、あらゆる存在が他者との関連性にあることを説くものでした。仏教2500年の歴史や展開の上では差別的と指摘されることもあったようですが、縁起の理法こそが仏教の基本ですから差別を認めることはありません。仏教では性差を認めながらも各自の行為(おこない)をより重視する立場なのです。

学ぶべきこととして「森氏の発言から我が国のジェンダー問題をみんなで学ぶ機会とする。・差別の誤りを認識して違いを認め合う。・互いに尊重し合える社会の構築を願う。・人間は未熟であり未完成な存在、時代の変化によって気づかされることもある。・過ちをただすことに躊躇しない」。と所見をお伝えして2月度の法話会は終了。
3月度の法話会は14日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年02月27日