相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

仏教東漸の道を訪ねて(中)

今回の中国西域シルクロード探訪のメインは6月27日の炳霊寺石窟と28日の麦積山石窟の見学でした。両遺跡とも中国甘粛省の黄土高原に在ります。前日26日、私たちは列車で敦煌から蘭州へ中国西域を東に向かって移動しましたが、この地域は古来、河西回廊(かせいかいろう)と呼ばれていました。河西とは中国甘粛省(かんしゅくしょう)の黄河から西,祁連(きれん)山脈の北側にそった狭長な地域のことで、ゴビ(砂礫地帯)の中にオアシスが点在しシルクロードの東端を形成しています。漢の武帝はここを占拠していた匈奴を撃退し,東西貿易路を確保。紀元前1世紀の頃、酒泉,張掖,敦煌,武威の河西4郡が設置されていました。

27日は天気予報のとおりに雨でしたが本降りではなく穏やかな雨でした。蘭州市中心街から劉家峡(りゅうかきょう)ダムまで朝の混雑もあってバスで約2時間の行程でした。劉家峡ダムは蘭州市の南西にある黄河上流部の峡谷につくられたダムで中国有数の大型ダムです。このダムから炳霊寺石窟まで人造湖「炳霊湖」をモーターボートで向かいます。所要時間は約1時間。その昔は陸路で徒歩や馬、車などでかなりの時間をかけて炳霊寺石窟に向かったそうです。

ダムにはいくつかの河から水が流れ込んでいます。ガイドさんが『黄河本流の上流はもともと青い色をしていますが、ダム湖には、洮河、黄河、大夏河の3つの川が注ぎ込みます。出発してすぐに黄色い水の洮河と、青い黄河が合流しますから見ていてください』と説明してくれました。そのとおり水面の変化に驚きましたが、また、ボートのスピードがかなりの速さで少し怖いくらいでした。

炳霊峡に入ると周囲の岸には屹立した岩山が迫ってきました。かねて見てみたいと思っていた「黄河石林」です。造山活動で岩が林立しているといえば中国の桂林が有名ですが、炳霊寺石窟に近づくにつれ石林が林立している黄河石林もみごとなものでした。ボートから下船して小雨の中、炳霊寺の門をくぐります。

ここ数日雨が続いているらしく私たち以外の観光客はほとんどいません。貸し切り状態での見学となりました。炳霊の名はチベット語の「十万仏」に由来しています。全長2キロにわたる石窟は、十六国時代の西秦(385~431)から隋、唐、明、清時代まで造営されたといわれています。険しい峡谷にあってイスラム教徒による破壊や外国人探検家による持ち出しを逃れたため、貴重な仏像が多く残されている石窟です。私たちは小雨の静寂のなかじっくりと仏教信仰の歴史を学びました。

ボート乗り場隣接の水上レストランでランチを頂いてから劉家峡ダムへ。劉家峡ダムからはバスで蘭州駅へ。中国の発展を如実に示すような蘭州駅で小憩し高速鉄道で天水へ。天水は大都会ではなく落ち着いた都市でした。夕食後は興厳房と少し街を散策。部屋に戻って炳霊寺の観想を語り、明日の麦積山石窟の予習をしてやすみました。

28日は曇り空でしたがやがて晴天という天気予報で期待もふくらみながらホテルを出発。天水市の南東、秦嶺山脈の西端にある麦積山までは45キロ、約1時間20分ほどの行程。駐車場からはカートでの移動です。交河故城や敦煌莫高窟でもそうでしたが、これからは駐車場からカートでの移動が一般的になりそうです。この日は観光客も多く、カートを降りても少し混雑していました。降車場からは徒歩で麦積山に向かいますが一歩一歩歩みを進めるとみごとな石窟群が眼前に広がってきます。

麦積山とは麦藁(むぎわら)を積み重ねたような山容に由来しますが、『高僧伝』中にもみえ、420年ごろにはすでに300人もの僧が常住していたことが知られています。北魏(386~534)時代に開かれた石窟や仏龕(がん)が多く、その後、西魏、北周、隋、唐、宋と造営が続けられた石窟です。山の南面の中央に崩壊した箇所があり、これを境にして東崖と西崖に二分されます。現存の石窟と摩崖(まがい)仏は東西で194を数え、窟内には仏像や壁画、天井画が残っていますが、桟道を上ったり移動したりするのはかなりの労力を必要とします。しんどいなと思いながらもこれが最後かもしれないと想い、息を切らせながらの仏教遺跡探訪となりました。

麦積山では限られた時間でしたが1500年におよぶ中国での仏教信仰を学ぶことができ、とても深い感動を得ることができました。観光客には歴史の探訪かも知れませんが、仏教徒である私たちにとっては時間を越えて先達の信仰の息吹にふれるすばらしい時空でした。心の中で歴史のながれを追いながら麦積山石窟を名残惜しく後にしました。その後、バスで天水南駅にもどり、天水南駅から高速鉄道で西安北駅まで移動。いよいよ「仏教東漸の道を訪ねて」も最終日を迎えます。(つづく)

相武山 山主

2019年09月29日

旅への想い

8月のブログでシルクロードの旅についてお伝えしましたら、数人の方から『旅がお好きなんですか?』というお尋ねを頂きました。すぐに『そうなんです。不器用なのであまり凝るような趣味はありませんが、私にとって旅は人生の大きな楽しみです』とお答えしました。

私は子どもの頃から地理や歴史や人物に関心があり、父親がゆるすかぎり彼方此方に連れて行ってもらいました。知らない世界にふれるのはとても新鮮で感動することが多く、物心がついてから今日まで、機会があれば積極的に知らない地域を歩くようにしています。とはいえ旅には時間や経費、タイミングや健康が必要不可欠ですから思うようにはまいりません。それでも『現地に立ちたい、五感で知りたい』という意欲を常にもっています。

旅は良いことばかりではないという見方もあるようですが、私にとっては失敗や間違いも旅のスパイスですから後悔などほとんどありません。『本で読んだ、テレビや映像で観た』という限定的な感覚ではなく、五官を通じて実体験で知ることがすばらしいと思えるからです。旅には「企画の愉しみ、現地に遊ぶ愉しみ、帰ってきてから回顧の愉しみ」があり、私は一度で3回の愉しみと思っています。

私にとって、「旅すること」は人生の関心事であり自身の糧となるものです。『そんな暇があるなら修学と修行、法務や信徒教化に努めろ』という正論も聞こえてきますが、想像をめぐらして視野を広げ、地勢や歴史、文化や習俗、人種や宗教、各地の生活などを学ぶことは有益なことと信じています。また学んだことは法話などを通じて少しでもご縁のある方々に還元して行きたいと思っています。

相武山 山主

2019年09月27日

令和元年 秋のお彼岸

9月23日の中日を中心に秋のお彼岸を執り行いました。夏のお盆からあまり間がありませんからお参りの方もそう多くはないのかなと思っていましたが、20日の彼岸の入りから26日までお墓参りの方々が墓苑に三々五々にお参りされていました。お墓や供養のかたちは価値観の多様性に伴って変化しているようですが、皆さんなごやかなお顔で香華をささげておられ、ありがたいことと思っています。22日と23日の両日には天候不順のなか法要を執り行い、参詣者と一緒にご先祖有縁精霊への追善御回向を申し上げました。

法要後の法話では「忘持経事」を拝読。忘持経事はお母様の遺骨を身延山の大聖人様のもとに納められ、供養のまことを尽くされた富木入道に宛てられたお手紙ですが、お参りされた富木入道が経典を忘れて帰られたので経典を弟子が届ける時に認められた書簡。
親子の縁の深さと仏道の救いの在り方を『我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬へば種子と菓子と身と影との如し。教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道、吉占師子・青提女・目尊者は同時の成仏なり。是の如く観ずる時無始の業障忽ちに消え、心性の妙蓮忽ちに開き給ふ』と説かれていることをお伝えし、令和元年秋の彼岸会の法話としました。

相武山 山主

2019年09月26日

訃報 阿部日顕師逝去

秋の彼岸の入りとなる9月20日午前、「大石寺67世阿部日顕師が東京都世田谷区の大石寺出張所で午前7時半頃に逝去した」との報せを受けました。96年の生涯でした。阿部師は昭和54年7月22日、日蓮正宗第66世法主日達上人急逝の間隙を縫い血脈相承を偽証してその跡を襲いました。緊急重役会議において『昨年4月15日、日達上人より血脈相承について甚深の御指南を受けていた』と発表。「日顕」と名乗って大石寺67世に就いたのです。

その後、平成17年12月、早瀬日如師に譲座するまで大石寺貫主、日蓮正宗法主、日蓮正宗管長の座にありました。阿部師は当座直後から血脈相承の偽証が疑われ、宗内僧俗から詐称して法主に就任したという厳しい指摘にさらされました。それは阿部師は総監の職にありましたが、日号を名乗れる能化でもなければ、次の法主となる学頭でもなく、当時の宗制宗規にまったく則っていなかったためです。実に強引な法主詐称でした。

私たち正信会は阿部師に相承に関して質しましたが、阿部師は血脈相承を否定する輩として、一方的に正信会僧侶を擯斥し信徒を破門にするという対処で応えてきました。やむを得ず、正信会寺院住職は自らの地位保全と阿部師の地位不存在の訴訟を起こすことになったのです。約8年の歳月を経て平成5年には最高裁によって双方却下という判決が確定。この訴訟で阿部師は自らの相承の事実を証明することができませんでした。また、彼はその渦中で池田創価学会と感情的不和を起こし、ついに平成3年11月には創価学会を破門としました。

彼は約28年間、法主の座にありましたが相承の偽証と法主の詐称を糊塗するために、ことさらに法主の血脈を絶対化し、大石寺と戒壇本尊の管領を己の権力と権威の拠り所としました。そのため、大石寺門流における宗開両祖の教えと信仰は危殆に瀕することになりました。ここに創価学会の謗法問題を機縁として興起した正信覚醒運動が現在も継続されているゆえんがあります。

法華経の結経、観普賢菩薩行法経には「一切の業障の海は、皆妄想より生ず。もし懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思え。衆罪は霜露のごとし。恵日がよく消除す。この故にまさに至心に六情根を懺悔すべし」と説かれています。
すでに御仏大聖人の御前に身を置くことになった阿部師には、世俗の名聞名利という飾はすっかり取り払われ、如何なる人生であったかを省みることになります。第一に問われるのは仏道に対する彼自身の信仰であり、次に問われるのは宗開両祖の末弟としての彼の行学です。俗的権威も権力も及ばぬ法界でまじめに反省懺悔されることを望んでやみません。

正信覚醒運動こそ富士日興門流の教えと信仰を護持するものと確信する私たちは、これからも阿部師の私見を根幹とする現代日蓮正宗の教学と信仰を正して行きますが、阿部師やその与党を憎悪することはまったくありません。不軽菩薩が正法に迷う謗法の僧俗の邪義を正しながら、その仏性が開かれることを願った振る舞いを日蓮大聖人は踏襲すると仰せです。私たちはその志こそ法華経の精神と信受し、これからも阿部師を反面教師として丁寧な法義の研鑽と信行増進に努めたてゆきたいと願っています。阿部師が御仏大聖人の慈悲につつまれ、真摯に懺悔滅罪し、仏法を深く信受して仏性が開かれることを心から祈ります。
合掌

相武山 山主

2019年09月26日

猛烈な暴風雨

台風15号が関東もしくは東海に上陸するのではという予報は1週間程前から出ていました。しかも暴風域は小型ながらかなり強い台風ということです。8日(日)の横浜は朝から曇り空が広がっていましたが、時折青空も見えていました。しかし、突然一転しての豪雨、その繰り返しという珍しい気象状況でした。台風接近の影響とは想像ができましたが、夜までは意外に静かな展開。メディアからは交通機関が早めに停止されることや、翌日の交通機関の運行停止が報じられていました。

いつものように台風に備えて境内の片付けをし、本堂の畳を上げ、寺務所や庫裡などの雨戸を閉めて、大きな被害が出ないことを祈って床につきました。
午前2時過ぎ、あまりに強い風の音に目が覚めて外を見ると猛烈な風が吹き荒れていました。横浜では近年まれに見る暴風雨であり、私も経験したことのない暴風でした。雨戸をしめた箇所にはそう不安はありませんでしたが、雨戸のない窓は強風にきしんでいましたから、万が一にはという危険も感じました。

相模湾から三浦半島を通過して東京湾を進み千葉に上陸したのが3時半頃でしょうか。横浜では4時半を過ぎた頃から風の勢いが収まってきたことがわかりました。5時過ぎ薄明るくなってきた頃、眠気が襲ってきたので小憩。7時半頃に起きて境内を見に行くとアルミの長椅子2本が吹っ飛び、天水鉢の雨どい化粧飾りが引きちぎられ、三師塔を囲う結界が倒れ、鯉を飼育している池の浄水ポンプの屋根も吹き飛んでいました。境内一面には樹木の枝が散乱していました。外構のサッシにもあちこちに風害。駐車場の看板も倒れました。眼を境内から隣接の市民の森に向けると、サワラや杉が数本幹が割れて倒れており、暴風のすさまじさを感じました。

神奈川県の最大瞬間風速は41.5メートル、これも記録的な風速ですが、千葉県では57メートルを記録したといいますから、どれだけの被害になるのか想像もつきませんでした。千葉県の被害は停電が最大90万戸、復旧には2週間以上かかり、多くの県民が生活に困窮をきたすことになりました。現代はすべてのものが電気を利用して動くようなシステムになっていますから、大本の電源を喪失してしまえば生活ができなくなってしまうということです。未だ暑さが残る時季ですから停電による被害は人命に及び深刻なものとなりました。

暴風は住宅も直撃しましたから、雨露をしのぐのも大変な住宅が少なくありませんでした。その後の降雨に住宅が水浸しになった映像をみるとお見舞いのことばもありません。また、実りの秋を迎えていた農作物の被害は甚大でした。行政もさらに力を入れて支援することと思いますので、被害に遭った方々にお見舞いを申し上げるとともに速やかな復旧復興をお祈りしています。

私たちは自然と共に生きる存在ですから、自然の豊かな恵みに感謝し、同時に自然の厳しさを注意を払わなければならないことを痛感しました。

相武山 山主

2019年09月25日

龍ノ口法難会

9月8日(日)日曜法話会に引き続いて午後1時から龍ノ口法難会を執り行いました。この法難は宗祖の御生涯において最も大きな法難であり、宗祖の御法門と信仰にとって意義深い法難です。日蓮門下の僧俗ならば誰もがその尊容をイメージできるでしょうが、大切なことは奇跡的な現象よりもその意義に想いを馳せることではないかと思います。

御宝前に供物をお供えし、参詣の皆さまと真心込めて読経・唱題し、懇ろに御報恩申し上げました。

法話では妙法比丘尼御返事『国主より御勘気二度なり。第二度は外には遠流と聞こへしかども内には頸を切るべしとて、鎌倉竜口と申す処に、九月十二日の丑の時に頸の座に引きすへられて候ひき。いかがして候ひけん、月の如くにをはせし物江の島より飛び出でて使ひの頭へかかり候ひしかば、使ひおそれてきらず。とかうせし程に子細どもあまたありて其の夜の頸はのがれぬ。
又佐渡の国にてきらんとせし程に、日蓮が申せしが如く鎌倉にどしうち始まりぬ。使ひはしり下りて頸をきらず。結句はゆるされぬ。今は此の山に独りすみ候。佐渡の国にありし時は、里より遥かにへだたれる野と山との中間につかはら(塚原)と申す御三昧所あり。彼処(かしこ)に一間四面の堂あり。そら(空)はいたま(板間)あわず、四壁はやぶれたり。雨はそと(外)の如し、雪は内に積もる。仏はおはせず。筵(むしろ)畳(たたみ)は一枚もなし。然れども我が根本より持ちまいらせて候教主釈尊を立てまいらせ、法華経を手ににぎり、蓑をき笠をさして居たりしかども、人もみえず、食もあたへずして四箇年なり。彼の蘇武が胡国にとめられて十九年が間、蓑をき雪を食としてありしが如し』を拝読。

龍ノ口法難の模様とその意義について詳しく解説。末法の衆生が成仏への道を得ることは、煩悩を断尽して真理を悟ることではなく、久遠の仏の深い慈悲心を信じ、己の愚かさを認めて専修の信仰を徹底することによって得られることをお伝えしました。

相武山 山主

2019年09月24日

人間は不完全で未完成な存在

9月度の日曜法話会は台風の接近が心配される8日(日)でした。曇り時々雨、時に晴れ間という不安定な天候のなか、20名ほどの方々に参加聴聞いただきました。

第一部「世相」のテーマは「人間は不完全で未完成な存在」でした。生き仏や現代の大聖者を絶対と信仰するような方は別として、常識のある方なら誰もがよくご承知のフレーズです。私も普段から自覚し誡めている言葉の一つです。はじめに9月5日に起きた京浜急行神奈川新町駅付近の踏切事故の概要を説明。続いてまだ原因が判明していない事故であることをことわりながら、報道されている関係者や物流関係者の発言や情報からに運転手の心象風景を想像し、人間の存在と認識について考えてみました。

学ぶべきこととして『「諸行は無常」いつ何が起きるかわからない世界に私たちは生きているという自覚が大切。より良い人生を歩むためには、自己と外界の有り様を冷静にみつめることが不可欠。人間は不完全で未完成な存在であることを忘れない。どのような事態になってもパニックにならない精神を涵養することが大事。さらに、無事故であること、平々凡々の生活に日々感謝の思いを忘れないこと』をお伝えしました。

法話会のメインテーマは「鎌倉仏教、日蓮と法華宗(2)」。先月は鎌倉時代略年表を参照に、日蓮大聖人の活躍した時代について学びました。今回は『日蓮の生涯』。ドラマチックに語られる日蓮の生涯を史実にそって学びました。その一生の歩みから聖人の真実の姿と教えが理解されることを望みます。次回は「日蓮の教え」についてポイントをしぼって学ぶ予定です。これからも皆さまと一緒に日本の仏教を学んでゆきたいと思います。
10月の法話会は6日(日)の予定でしたが、都合により20日(日)午前11時から開催いたします。皆さまの参加聴聞をお待ちしています。
なお、今年の日曜法話会も残すところ2回となりました。

相武山 山主

2019年09月23日

連合会の夏期研修会

8月の24・25の両日、熱海市の松風苑を会場に東海正信連合会の夏期研修会が開催されました。静岡・神奈川両県の僧俗がつどい1泊2日での開催です。僧俗60余名が参集。当山からも8名の信徒と興厳房と私が参加し、皆さんとご一緒に法門を研修しました。

開会式では幹事長の熊木真治氏が「信仰は求道心と継続が大事である。定例となったこの研修会を皆で愉しみましょう」と挨拶。続いて荻原昭謙師(應身寺住職)の発声のもと、参加者全員で行学二道の御聖訓を唱和。続いて坂口興妙師(本妙院執事)による日程と諸注意の説明。

第1時限目は江頭仙道師(妙興院住職)による「御書講義」。師は『是日尼御書』を拝読しその内容を丁寧に解説。さらに御在世には多くの檀越が、宗祖への恋慕渇仰の心を深めながら信行に励まれていた姿を紹介した。第2時限目は松田盈尊師(妙覚院執事)が「補任式の化儀と作法について」と題してのお話。補任式についてその意義と化儀・作法について、所作や発声などを詳解してその意義を述べました。

第3時限目は荻原宗謙師(應身寺執事)が「仏説・盂蘭盆経について」と題して講義。師は経典の歴史を簡単に説明し、宗祖の認められた『盂蘭盆御書』に沿って分かり易く盂蘭盆経の内容について解説しました。第4時限目は江戸大道師(法円寺住職)が「御書にみる御供養の品々」と題して講義。宗祖への御供養の品々を紹介。御消息の背景を提示しながら解説されました。
2日目は8時半より1時限目。永山郁道師(妙報院住職)より「化儀について」と題しての講義。日有上人の化儀抄をテキストに一つひとつの化儀について詳細に説明されました。

第2時限目は私が「続六老僧について」と題して講義。はじめに『富士門流の源流を尋ね求めるためにも、歴史を真摯に検証する努力、我田引水に陥ることなく公平な姿勢で研鑚に取り組む姿勢が大切』と述べ、前回に続いて六老僧について学ぶのは『現代に日蓮門下と名乗る末弟の源流を求めるならば宗祖の定置された六老僧に至り、六老僧について正しく学ぶことは富士門流の教えと信仰を理解するために重要なこと』と説明。六老僧定置の意義と各門流について解説しました。

続いての全体懇談会では、修学の心構えや日常の化儀や仏前作法について様々な意見が出され活発な懇談会となりました。閉会式では連合会副幹事長の梅原慶一氏が挨拶。次いで奥興正師(本妙院住職)より指導教師挨拶。参加者は『来年もお会いしましょう」』と声を掛け合い、有意義な研修会は幕を閉じ散会しました。(詳細は妙風新聞をご覧ください)

相武山 山主

2019年09月20日

仏教東漸の道を訪ねて(上)

6月22日から9日間の旅程で中国の西域を訪ねました。仏教がインドから中央アジアを経て中国に入ってきた仏教東漸の道です。一昨年の秋、10年ぶりに中国に渡り、法友14名と天台大師の御事跡である天台山と玉泉寺を訪ねる研修をしましたが、その帰路『シルクロードも訪ねたい・・・・・』という声が上がり、その後、プランを練って準備をしてきたものです。

今回の探訪は旅行会社が企画した一般ツアーではなく私たちのオリジナルツアーです。私の関心は「炳霊寺と麦積山」でしたが、私と久保さん以外は皆初めてのシルクロード探訪でしたので、炳霊寺と麦積山をメインにすえて、定番のトルファン、敦煌、西安の観光を入れた企画となりました。中国は広い国ですから今までの経験では観光地の移動にかなりの時間がとられます。そこで、今回は国内便を利用したり、できたばかりの中国新幹線、在来の鉄道などを利用して移動の時間を短くするようBS観光の範さんと一緒に工夫しました。

旅程は羽田から北京へ、北京から新疆ウイグル自治区の省都ウルムチへ。ウルムチからトルファンは専用バスで高速道路を利用。トルファンからは中国新幹線で敦煌へ、敦煌から蘭州には一日かけて黄土高原を在来の列車で移動。蘭州(炳霊寺)から天水(麦積山)、天水から西安は新幹線で移動。西安から北京は国内便、北京から羽田に帰国という旅程でした。都合で3名の方が参加できなくなりましたが、法友8名で仏教伝来の道を意義深く歩きました。

前回の天台山研修で10年ぶりに訪ねて中国の発展に驚いたのですが、今回の西域探訪も25年前の中国に比すれば驚愕に値するものでした。そのおもしろい変化についても述べたいのですが、このブログでは今回のながれとポイントだけのご紹介です。

私たちは早朝7時半に羽田空港国際線に集合し北京に向かいました。北京空港はオリンピックの開催で広大な施設となっていましたが、さらに拡張が進められているようです。その北京から国内線に乗り換えて新疆ウイグル自治区の省都ウルムチへ。羽田から北京よりも北京~ウルムチの方が遠く感じました。

2日目はウルムチの自治区博物館の見学からのスタート。新疆ウイグル自治区の文物を広く収集紹介する博物館では「ローランの美女」など、貴重な資料が展示されており、丁寧に見学すればかなりの時間がかかります。私たちはトルファンに向かわなければならないので1時間20分ほどで退館。
中国ではセキュリティチェックが厳格ですが、ウイグル族が多数を占める新疆ウイグル自治区でのセキュリティチェックはさらに厳しく、ウルムチからトルファンへの移動では、高速道路に検問所があって数回パスポートチェックがあり、トルファン見学の時間が制約を受けました。

トルファンに着いたのは15時過ぎ。遅いランチもそこそこに駆け足で交河故城、ベゼクリク千仏洞、高昌故城など著名な観光地に立ちましたが、残念ながらショートカットでの見学でした。古の城郭都市を今に伝えるのが交河故城。高昌故城は仏教信仰の厚い高昌国の都で玄奘三蔵も立ち寄って講義をしたと伝える講堂を見学。火焔山からほど近くムルトク河の断崖にある仏教石窟がベゼクリク千仏洞。5世紀の高昌国の時代から14世紀の元の時代まで開削された仏教遺跡です。イスラム教徒による破壊やヨーロッパの探検隊による蛮行でかなり傷んでいますが、ウイグルの人々が仏教を厚く信仰していたことがよくわかる遺跡でした。めったに雨の降らないトルファン地域ですが、私たちは珍しく小雨に出会い、交河故城では砂塵の洗礼も受けました。西域なので日暮れが遅く何とか旧跡のポイントを回ることができたトルファンでした。

3日目はウイグル族のブドウ農家見学からスタート。ぶどう棚の下で、おいしい干しぶどうと特産のハミウリでおもてなしを頂きました。ブドウもハミウリも共に味が良くお土産に最適と少々求めました。次に「カレーズ」というトルファン特有の水利施設を見学してトルファン北駅から新幹線に乗車。最新の駅舎から真新しい車両に乗り込み、車窓から新疆ウイグルの風景を見ながらのランチタイム。3時間40分ほどで新幹線柳園南駅に到着。その昔、まる1日かかって敦煌からトルファンに移動したことからみれば夢のようです。柳園南駅から敦煌までは専用バスでの移動。道路事情が悪くて2時間40分ほどゆられました。夕食後、まだ明るい夜市に出かけて興厳房と散策を楽しみました。ここでも町並みや建物、人々の姿の大きな変化に驚きです。

4日目は参加者の皆んなが楽しみにしていた敦煌莫高窟の見学です。近年、敦煌観光はあまりの人気に規制が厳しくなっている様子。見学できる石窟も制限され入場者も1日6000人が上限ということでした。現地に行く前に近年新設されたメディアセンターにて、敦煌の歴史と地勢、莫高窟の解説を映像で学び、センターから莫高窟までは所定のバスで移動。敦煌莫高窟は鳴沙山東側の断崖に開削された石窟群で、前秦時代の366年から14世紀の元の時代まで掘り続けられた世界的価値の高い仏教遺跡です。莫高窟選任ガイドの案内ではじめに莫高窟の名を世界に伝えた「蔵経洞」を見学。続いて北魏時代から盛唐時代までの彫像や壁画などが遺る8つの石窟を見学。各石窟からは仏教を讃歎する当時の信仰者の思いが伝わってきました。この日もかなりの見学者が訪れていましたが、オリジナルツアーの強みでしょうか、莫高窟を象徴する大仏殿前までスムースに見学することができました。

ランチタイムの後は敦煌博物館を見学。屋外はかなり気温が高かったのですが、博物館は空調も効いており、1時間半ほど敦煌の歴史と文化を学ぶ機会を得ました。小憩の後は鳴沙山と月牙泉を訪ねました。時間の都合でラクダに乗る観光は諦めましたが、数人の方と一緒に鳴沙山に上りました。私は今まで2回上ったことがありますが、今回は流れる細かい砂と上りづらい道に悪戦苦闘してしまい、興厳房の心配そうな顔が印象的でした。それでもいつものように意地をはって上りきり、砂山の頂きからオアシス都市敦煌の眺望を楽しみました。自らの年齢と体力を自覚する旅ともなりました。

5日目は敦煌から蘭州までの列車移動です。朝8時過ぎには敦煌駅に到着、添乗案内の範さんは超ベテランですから時間にはとても慎重。何が起きても対応できるように時間には常に余裕を持って行動します。9時12分敦煌始発の列車でも油断はありません。私たちは立派な寝台列車で炳霊寺見学のために蘭州までの乗車。夜の11時頃に蘭州到着ですから時間があり過ぎるかなと思っていましたが、コンパートメントになっているので、みんなで近況や昨日までの見学について愉しく談笑する時間がとれました。近年、日本では食堂車をみることができなくなりましたが、この日は食堂車で昼食と夕食を頂きました。中国の列車は広軌なのであまり揺れず、ゆっくり食事を頂くことができます。
車窓からは黄土高原、河西回廊という中国らしい風景がながれ、嘉峪関・酒泉・張液・武威という歴史的都市を通過して甘粛省の省都蘭州には深夜の到着。明日の炳霊寺見学を楽しみに就寝。(つづく)

相武山 山主

2019年08月29日

戦没者追善法要

8月15日、恒例の戦没者追善法要を執り行いました。この法要は当山開創以来大切にしてきた法要です。太平洋戦争に至る道やその渦中で、国内外の戦場や空襲で、300万人以上の国民の尊い生命が失われました。中には戦争に反対して命を失った人もいます。眼をアジアに転じれば日本人以上に多くの人々が戦争によって貴重な生命を奪われました。本当に悲惨で辛く苦しい戦争でした。

15日は終戦記念日といわれていますが、敗戦記念日ともいえるでしょうし、日本に占領されたアジアの国々にとっては解放記念日ともなります。戦争の理由や責任については今もすっきりしていない面がありますが、軍部独裁や権力者の横暴、現人神信仰や神国日本思想などによって戦争への道をひた走り、国が破れ多くの国民が死傷し、地獄や餓鬼や修羅のような生活に陥ったのは事実です。

無条件降伏を受諾したことによって、我が国は国民主権による民主主義国家となりましたが、一人ひとりの国民が基本的人権や民主主義を求めて得たものではありませんから、今に基本的人権や民主主義が理解できていない世相を見ることがあることは残念です。いずれにせよ、数百万の国民の生命と財産を奪い取った戦争を直視すること、甚大な損害と迷惑をかけたアジア諸国に反省と謝罪をすることを忘れてはいけないと思います。また、それらの犠牲の上に民主主義や自由、社会生活を享受していることも自覚しなければならないと思うのです。

私は終戦記念日こそ犠牲となられたすべての人々の冥福を祈り、戦争と平和、民主主義と自由を真摯に考える機会にしなければならないと考え、8月15日の戦没者追善法要を営んでいます。当日は時折小雨が降る天候でしたが、心配していたほどの風雨ではなく、参詣者の方々とこころ静かに祈りをささげることができました。

相武山 山主

 

2019年08月27日