相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

サクラに時ならぬ雪

科学の発展と共に天気予報の正確さが増している現代、その予報どおり29日(日)の横浜は朝から小雪が舞い始め、横浜のチベットのような当山では次第に激しくなり、みるみるうちにすっかり雪化粧してしまいました。この冬はまれに見る暖冬で、冬を感じる前に春が来てしまったと思っていましたから季節の急変に驚いています。

このようなところにも地球温暖化の影響が出ているのでしょうか。そういえば子どもの頃からの感覚では、花が咲くのには順番があったように思っていましたが、近年、春の花樹や野花の開花の順序が微妙にずれているような気がします。また、花が咲くのと新緑が萌え出すのがダブるようになり、季節の移ろいが変化しているのではと心配にもなります。

例年より早く17日の春の彼岸の入りに開花した本堂前のソメイヨシノは、この週末の28日、29日に満開を迎えるばかりでした。当山の対面にある追分市民の森、南側斜面のサクラは当山のサクラよりも早くほころび始め、今が盛りといったところです。当山の墓苑からは波打つようなソメイヨシノの姿を楽しむことができます。市民の森を散策されている方々からも『きれいだね~ はるだね~』という声があがっています。ウエイヴするように植樹されたサクラは、約14年ほど前の平成18年頃に植えられたものです。これからも長く森を散策する方に愛でられることでしょう。当山の墓苑からもみごとな眺望で有り難いかぎりです。

頭上のサクラは盛りをむかえ、足下を見れば可憐なタンポポやスミレ、レンギョウやヤマブキまで咲き誇っていますから、春を楽しみながらご参詣くださいとお勧めしたいところですが、世上は新型コロナウイルス感染防止対策一色で、外出自粛要請も出されていますから、無責任にお勧めはできません。全世界的な感染防止をめざさなければならない事態ですから、一人ひとりが自らのできる防止策を講じて、できるだけ速やかな感染の終息を祈りましょう。

相武山 山主

2020年03月29日

クラスター三条件に配慮

新型コロナウイルス感染防止のために三つの注意事項が出されています。クラスター(感染集団)への防止対策ですが、「換気の悪い密閉した空間、多人数の密集した集会、密接な距離での会話や発声」です。
寺院で執り行われる法要はこの三つの条件をすべて揃えているといえるでしょう。したがって厳密に対応しようと考えれば、寺院での法要や行事はすべて中止しなければならないと思います。そこで当山では3月の行事案内にて『法要は寺院で粛々と執り行いますが、参詣は無理をされないように』とのご案内をしました。

従前から高齢や体調不良で参詣できない方からは追善供養の希望が郵便で寄せられていましたが、今年は新型コロナウイルス感染防止のため、参詣を迷われていた方々からも郵便に切り替えての供養がなされました。どのようなかたちであれ、ご先祖有縁精霊への追善の想いは尊いものであり、霊山にやすまれている諸精霊もきっと喜ばれていることでしょう。

例年ですと春のお彼岸は花樹や野花の開花に誘われてにぎやかになるのですが、今年はとても静かな風情でした。当山墓苑への参詣は朝から夕方まで常に自由ですので、17日の入りから23日の明けまで三々五々ご家族や有縁の方々がお参りされました。それぞれ自由な時間に本堂の御本尊様に参詣。事前に申し込まれていた御塔婆が建立されている精霊壇にてお焼香。その後、御塔婆を墓所に持参されてのお参りです。また、一般の方々も各自墓所を浄めてから香華を手向けられて合掌。永代供養墓久遠廟にも有縁の方々が次々に真心こめてお彼岸の供養をささげておられました。

20日と22日の両日に執り行った春季彼岸法要では、参詣の檀信徒の皆さまとともに、献膳、読経、焼香、唱題と如法に奉修申し上げました。もちろん、換気に配慮し、参詣者の方は距離を開けて着席、読経・唱題の声も抑え気味の法要です。
法要後には妙心尼御前御返事を拝読。
この御書は身延の日蓮大聖人に御供養をお届けになった妙心尼に対し、夫高橋六郎入道の病気について激励された御返事。
宗祖が高橋六郎入道の病について、『御仏は並ぶ者なき名医で有り、また、妙法蓮華経は不死の良薬である旨を述べ、「人の死ぬることは病によらず」「病あれば死ぬべしという事不定なり」と励まされていること。さらに諸行無常を身近に覚える鎌倉の時代、病と死について率直に述べられると共に、仏法という永遠の救済を深く信じて病と向き合うことの大切さを教えている』ことをお伝えしました。

次下の「病は仏の御はからいか」「病ある人 仏になるべきよし説かれて候」「病によりて道心はをこり候か」との御文はとても重要なご教示です。
『病を御仏のはからいと思えるのは、人間の能力や人生への限界を知ることによって、まことの人生の有り様を考える機縁となること。病や悩みや苦しみを覚える人こそ、自身におごることなく仏への道を歩むことができること。病など諸行が無常であることを自覚して、仏道に対して謙虚な心を持つことができるようになり、やがては永遠なる幸いの道(仏道)を求めることができる』ことをお伝えして彼岸会の法話としました。

相武山 山主

2020年03月27日

未知との遭遇

3月の日曜法話会は15日の予定でした。新型コロナウイルス感染防止のため、イベント・集会自粛要請中でしたが、『参加者はそう多くはない、換気に留意し、席を離して対応』と判断して開催。参加者は18名でした。

法話会、世相のテーマは「未知との遭遇」。このテーマの未知とは未だ正体の明らかではない「新型コロナウイルスとその感染拡大について」ですが、仏教的な視点からは「人生は常に未知との遭遇である」ことを意識してほしいと願ってのネーミングです。というのも、仏教の基本として説かれる「諸行は無常、あらゆるものは変化して止まない」に照らしてみれば、私たちの肉体も精神も日々変化していますし、周囲の環境や諸事象も常に変化しているのです。厳密に見つめてみればまったく同じ状態にある事物は一つもないことがわかるでしょう。

子どもがある日突然大人になるわけでもなく、高齢者が突然に老いたわけでもありません。一日一日の成長、一日一日の老化、その変化が現状をもたらしているのです。眼前の事物事象のすべては流動性の中に存在するものであり、私たちが判断している現状はその一端を切った断面であると表現することができます。そう考えれば実は毎日が未知との遭遇といえるでしょう。ただ私たちが意識していないだけ、意識できていないだけのことです。
難しいことはひとまず置いて、そのような仏教的視点をベースに今回の法話会では所見を述べました。

新型のコロナウイルスの発生とその感染というテーマは2月も取り上げましたが、発生源といわれる中国から近隣のアジア諸国への感染が拡大。さらにイランやヨーロッパやアメリカでも爆発的に感染が広がり、WHOもパンデミック宣言を出すに至り、我が国でもさらに深刻な状況が予想されていること、また、何ごとも比較検討しなければその是非・優劣はわからないことから、隣国台湾の対策を紹介して比較してみることにした次第です。

はじめにパンデミックが感染症の全国的・世界的な大流行を意味すること。次にペストやチフス、コレラやスペイン風邪、近年のサーズやマーズなど世界的パンデミックの歴史について概要を説明しました。WHOは3月11日にようやくパンデミックを宣言しましたが、私はもちろんまったくの門外漢ですが、その危険性を熟知しているはずのWHOの対応は、1月に遡る感染流行時からすでに後手後手と感じていました。中国に配慮しているのか、危険性をあおることを危惧しているのか、よくわかりませんが対策への疑問をお伝えしました。

続いて、新型コロナウイルスは感染力が強く、国や地域によっては致死率も高く、有効薬がなければ長期化の恐れがあること、感染の爆発的拡大によっては医療崩壊の危険もあることを紹介。また、すでに経済的・社会的に影響が出ていますが、今後より深刻な事態が予想されるので、政府行政は適切な対策を迅速に講じなければならないことを求めました。

次に2月頃から一部メディアやネットの報道で気になっていたのは台湾の感染症対策でしたので、ジャーナリストの西岡省二氏がアメリカのNBCテレビ(電子版)の記事をもとに3月12日に発信した内容を紹介しました。
『まず、昨年末から1月末にかけての迅速で適切な対策が講じられたこと。次に対策の厳格さによって水際対策が功を奏したこと。マスクなどの供給適正化を実行し社会的混乱を回避したこと。政府はメディアを活用して感染状況を適切に広報し、併せて手洗いやマスク着用など感染防止の具体的な周知に努めたこと。

台湾の対策が的を射ており、人心と社会の大きな混乱を回避できているのは、2003年のサーズ感染拡大によって犠牲者を出したことの教訓から、アメリカの疾病対策センター(CDC)を参考にした防疫の司令塔機関「国家衛生センター(NHCC)」を設置したこと。また、常時、中国との緊張関係にあり、非常事態について政府と国民双方に高い意識が共有されていたのではないか。』と記事を要約してお伝えしました。
さらに参加者の皆さんにはより実態を知って頂きたく、参考資料として「プレジデントオンライン」を提供しました。

最後に学ぶべきこととして、『眼前に起きていることは事実という認識が大切。人生は常に未知との遭遇(諸行は無常であるがゆえに)。諸行無常の日々は毎日が「プチ未知との遭遇」。眼前の未知との遭遇から何を学ぶのかが問われている。グローバリゼーションの現実。国や地域、人種や宗教を越えて地球は一つであるという現実を教えるパンデミック。各国や各地域の対策を比較検討して未来への糧とする。悲観と楽観に偏らず、慎重さと柔軟さのバランスを崩さないように注意する。今回のパンデミックから、より多くの人が学びを得ることが大切。学んだことを人生に活かそう。』との所見を述べて3月度の法話会を結びました。

相武山 山主

2020年03月25日

明るくなった参道

相鉄線三ツ境駅から当山への参詣には北口から若葉台行きのバスに乗って来られる方が多いと思います。矢指町のバス停から妙法院に上る階段までは3分~4分ほどですが、見上げる階段が結構急で一段ごとの高さがたかいことから難儀に思う方も居られることでしょう。

この参道の北西側は「追分市民の森」で杉やサワラが植樹されています。杉やサワラが密集していることもあって、薄暗い上に雑草が階段や参道まで生い茂り、かねてあまり環境の良い道ではないと案じていました。この道は当山の墓苑新設時に妙法院が整備して横浜市に寄付したものですが、横浜市も積極的に管理するわけではありませんし、隣接する市民の森も整備が十分に行き届いているわけではありませんから、境内の整備清掃の折りに適宜きれいにする程度しか打つ手がありませんでした。

2月下旬から突然この市民の森の樹木伐採が始まり、参道となる階段と道がぱっと明るくなり青空がのぞくようになりました。近年の台風や強風で倒木が多かったことや森の整備の必要性があったのでしょうか。理由はよくわかりませんがバスで当山にお出でになる方々にとっては気持ちの良いことでしょう。

境内南西の雑木林では長く河津ザクラが咲いていましたが、今は大きく枝を伸ばしたソメイヨシノが三分咲き、コデマリが春の陽射しを浴びています。間もなくシャクナゲが大きな赤い花を咲かせることでしょう。眼の前の自然の営みをみつめていると、一切の事物事象が妙法のはたらきによって生かされていることが実感できます。少しでも良い環境の維持に努めて行きましょう。

相武山 山主

2020年03月23日

御誕生会と三つの大事

16日(日)日曜法話会に引き続き宗祖誕生会を執り行いました。お祝いの赤飯で献膳を調え、参詣の皆さまと倶に献膳、読経、唱題と如法に奉修。その後、報恩抄を拝読。末法の法華経の行者である宗祖のご誕生には深い意義があることを述べ、以下、日蓮大聖人の教えの根本となる三つの大事についてお伝えしました。

報恩抄には
『問うて云く、天台伝教の弘通し給はざる正法ありや。答ふ、有り。求めて云く、何物ぞや。答へて云く、三つあり、末法のために仏留め置き給ふ。迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云く、其の形貌 如何。答へて云く、一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂 宝塔の内の釈迦・多宝・外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。
此の事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず。日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱ふるなり。例せば風に随ひて波の大小あり、薪によて火の高下あり、池に随ひて蓮の大小あり、雨の大小は竜による、根ふかければ枝しげし、源遠ければ流れながしというこれなり。周の代の七百年は文王の礼孝による。秦の世ほどもなし、始皇の左道なり。
日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超え、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是れはひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。春は花さき秋は菓なる、夏はあたたかに冬はつめたし。時のしからしむるに有らずや。』
とあります。

すなわち、法華本門の南無妙法蓮華経こそ久遠の妙法であると覚知された宗祖は、仏道を成ずる戒定慧の三学にならって、一切衆生の成仏を顕す法華本門の妙法曼荼羅を本尊(定)とし、この曼荼羅本尊に仏法のすべてがそなわると深く信じ(戒)、法華本門のお題目を心口意の三業にわたって唱える(慧)ことこそ、末法の成道への信行であると教えられたのです。この法華本門の本尊、法華本門の戒壇、法華本門の題目が日蓮大聖人の遺された三つの大事であります。

以上をお伝えして誕生会(たんじょうえ)の法話としました。
明年は宗祖ご誕生800年を迎えます。

相武山 山主

 

 

 

2020年02月29日

一花開いて春を知る

2月の日曜法話会は16日(日)、雨の中での開催でした。午後からは日蓮大聖人のご誕生会(たんじょうえ)のため、一般の方よりも信徒の方が多く参加聴聞されました。世相のテーマは「諸行は無常」ー新型コロナウイルスの感染流行ーでした。

中国湖北省から発生したといわれる新型コロナウイルスの感染流行がテーマ。始めに医療検索サイト「メディカルノート」から2月初旬の「概要、原因、症状、検査診断、治療」などのデータを紹介。専門的知識はまったくありませんが、まだまだその正体もつかめず、検査や治療にも苦慮している状態であることを解説。

その上で、「あらゆる事物事象は移り変わるもの、変化を受容しながら普遍の真理を知ることが大切」「人生、いつ、どこで、何が起こるかわからないという認識の重要」「課題には目を逸らすことなく前向きに取り組むことが大切」をお伝えしました。

ポイントとしては「一葉落ちて天下の秋を知る」「一花開いて春を知る」との言葉から、わずかな前兆を見てその後に起こる大事を察知することの大切さを述べ、中国武漢市でいち早く新型ウイルスの発生に気づき警鐘を鳴らしながら、警察による不当な扱いを受けた上に、2月7日、新型コロナウイルスの肺炎によって逝去した李文亮医師の病死について解説しました。

我が国の政府の対応や情報発信は乱暴で丁寧ではないとみえることから、法話会では新型コロナウイルス感染流行の動向全般についてつたない所見を述べ、本当に国民の安全と安心が護られる態勢をとってほしいと望みました。

世相が長くなってしまいましたが、その後、昨秋から積み残しの「鎌倉仏教、日蓮と法華宗(3)」についても、そのポイントをお伝えしました。しかし、駆け足でしたので来月15日の法話会で再度丁寧に学び直したいと思います。

相武山 山主

 

2020年02月29日

日本人の「仏壇離れ」

今月初旬、「日本人の仏壇離れ」という記事をネットで目にしました。そこでは、「最近は仏壇を置く家が少なくなったといわれています」とことわり、手土産を仏壇に供える行為についての意見が展開されていました。

『祖父母や父母から「いただきものは、先に神棚や仏壇にお供えしてからいただく」と教えられた人もいれば、「持参する側としては、中身も確認せずいきなり仏壇にお供えというのはちょっと抵抗あり」という意見もあります』ということでした。その上、『確かに、仏壇にお供物をしたからといって、実際にご本尊やご先祖が食べるわけでもないし、水がないからといって喉が渇いたと訴えるわけでもありません。文化の違い、考え方の違いと言ってしまえばそれまでですが、いただいたものをそのまま仏壇へお供えするという行為、現代人はどのように捉えているのでしょうか』と疑問を呈しています。

頂戴した手土産を仏壇に供えることへの意見ですが、ここでは弔問に訪れた時のことではなく、一般的な訪問での一コマという設定のようです。昭和の時代に教育をうけてきた私たちの世代では当たり前のことで、信仰はなくても仏壇があれば、「まずご先祖様に・・・」という姿が一般的でした。まして、仏教を信仰する私たちは「まず、御本尊様にお供えしご報告・・・」というかたちになります。今現在も私などはその姿勢に変わりはありません。

時代の変遷によって意見や価値観、ライフスタイルが大きく変化するのは世の常ですが、「変えた方が良いこと、変えて良いこと、変えなければいけないこと、変えてはいけないこと」があると思います。思想信条の自由が保障されている現代では、当然、その判断は個々の見識によるものです。
したがって、頂きものを仏壇に供えることは頂いた方の意思であり、その姿を見て持参した方が肯定的に捉えることも否定的に捉えることも自由です。これは誰もが理解していることですが、ネットで取り上げられたのは時代によって価値観が変わることの一つのテーマとみられたのかもしれません。

現代は価値観の多様性がうたわれ強調される時代ですから、まずは自分自身が「なぜそのように考え、なぜそのように行動するのか」という問いに答をもつべきだという意見かもしれません。しかし、言葉や理屈で説明できなくても「親や友達など信頼する人から教えられたから。そのようにすると良いと思えるから。心地よいから。」でも良いのではないでしょうか。

一般的に「仏壇は位牌をまつるもの」と誤解されている向きもありますが、そもそも仏壇は仏教信徒が信仰する菩提寺の御宝前をシンプルにまとめて自宅に再現したものです。信仰の証としての御本尊を安置し、仏具を調えて朝夕信行をささげる尊い信仰の空間なのです。もちろん、そこはご先祖を敬い供養する世界ともなっていますが、基本は仏法の御本尊をお祀りする世界です。

仏さまとその教えによって人生を支えられ護られていると信じる仏教者は、自らは仏さまと倶にあると信じていますから、自らに頂戴した頂き物をまず仏さまにご披露して報告申し上げ、家族を見守っておられるご先祖にも報告しているのです。そこには自分自身が仏法によって支えられ、ご先祖の命を受け継いで存在していることが無意識に表現されているのです。

相武山 山主

 

 

2020年02月28日

慢性渋滞が緩和するかも・・・

当山(妙法院)は横浜市を南北に貫く保土ヶ谷バイパスと、横浜市北部を東西に走る中原街道の交差する下川井インターに隣接しています。東名高速の横浜町田インターまでも車で5分とかかりませんから、交通利便性が高いといえます。利便性が高いのは有り難いのですが、何ごともコインの表と裏、プラスはマイナス、マイナスはプラスで、道路の渋滞に悩まされています。

交通量日本一といわれる保土ヶ谷バイパスは一日中渋滞のおそれがあり、事故などが発生すれば通過時間が読めません。ことに当山近接の下川井インターでは、朝の6時半頃から8時過ぎまでは身動きがとれないほどで、朝の行動には注意を要します。この混雑は首都高速「横浜北西線」が完成しないと緩和しないだろうと考えていましたが、その新線がようやく来月に開通することになりました。

ネットでは『保土ヶ谷バイパスは、横浜新道や横浜横須賀道路、首都高K3狩場線と、東名高速の横浜町田ICを連絡する道路です。横浜市街地と東名だけでなく、東京都心部と東名を結ぶルートの迂回路としても機能しており、2015年度の国土交通省「道路交通センサス(全国道路交通情勢調査)」では、横浜市旭区内で平日昼間12時間あたりの通過台数が10万8571台と、全国1位の交通量を記録しています。渋滞区間としても全国屈指の道路ではありますが、2020年3月には大きく変化するかもしれません。東名の横浜青葉ICと横浜市街地を結ぶ首都高「横浜北西線」が開通することで、保土ヶ谷バイパスの交通がそちらに分散され、渋滞の緩和が見込まれています。』という情報がながれています。

当山参詣の皆さまには保土ケ谷バイパスなど近隣道路の渋滞でご苦労をおかけしていますが、来月の首都高速「横浜北西線」の開通で少しは渋滞が緩和されるのではないかと期待しています。

相武山 山主

2020年02月27日

興師会(せり御講)に思う

2月7日は日興門流の開祖日興上人の祥月のご命日忌。当山では一週間前の1日(土)のお経日に併せて興師会(せり御講)を執り行いました。例月1日のお経日は御信心の篤い信徒が10名から15名ほど参詣されますが、この日は土曜日で興師会を併せての御経日となったためか、いつもより多くのご信徒が参詣されました。日興上人が好まれたと伝えられる清々しい芹を御宝前にお供えし、参詣の皆さまと倶に法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経の唱題と如法に御報恩申し上げました。法要後には私より興師会の意義についてお話を申し上げ、続いて興厳房が妙風新聞の「御心を拝して」を拝読して法話をさせて頂きました。

弘安五年(1282)日蓮大聖人はご入滅にあたり六人の高弟を定められ滅後の弘通を遺命されました。弁阿闍梨日昭、大国阿闍梨日朗、白蓮阿闍梨日興、佐渡公日向、伊予公日頂、蓮華阿闍梨日持の六老僧です。現代に日蓮大聖人の教えと信仰を護持伝承する教団は、伝統のある教団から新興宗教的教団までさまざまに存在しますが、源流をたどればすべてこの六老僧に帰着するといって過言ではありません。

同じく日蓮大聖人より教えを受けたにもかかわらず、その滅後に教義の理解と展開の在りように差異が生じてしまったことは残念ですが、他面、個々の資質や環境によって教えの受用が異なったことはやむを得ないことかもしれません。宗教の世界では「帰依した信仰こそが正しい」と信じて人生の燈明としますから安易な妥協などできませんが、もとより人は一人ひとり資質や能力、気性や感性、自然環境や人的環境まで同じという人はいませんから、差異が生じることは一面自然であるといえるでしょう。
視点をちがう分野に広げて、学問や芸術、文化や伝統の世界を観ても理解できることです。大切なことは自らが主張するように他者にも主張があるということであり、どのような合理性をもって自らの意志を確立しているかということではないでしょうか。

私たちはそれぞれの機縁によって日興上人の教えと信仰を受持していますから、日興門流の末弟であり、その教宣の地となった富士にちなんで古来自他共に富士門流と称してきました。法華経と日蓮大聖人への信仰を持つ僧俗は現在一般的には日蓮宗と呼ばれることが多いのですが、この名称が広く認知されるようになったのは、本末制度や檀家制度などによって徳川幕府の宗教政策の一環にとりこまれた江戸時代からいえるでしょう。
日蓮大聖人は自ら「日蓮宗」などと名乗ることはなく、「法華宗」と名乗っておられましたから、門下上代は各門流は法華宗と名乗り、法華宗○○門流と称していたようです。ただし、法華宗といいますと天台法華宗も存在していますから、天台宗との違いを示すため日蓮法華宗と称したり、日蓮党と呼ばれることもあったようです。

さて、日蓮門下諸門流には当然各々の教えと信仰があります。しかし他宗同様、宗教や信仰への意識がうすい檀信徒の方々は『昔からの菩提寺だから・・・』ということで、その信仰の内容を問うことはあまりないようです。これは実にもったいないことです。宗教や信仰、ことに仏教は冠婚葬祭やひとときの気休めのためだけにあるのではありません。迷い悩む人生の燈明となり、日々の精神を磨き調え、真実の自己の確立に大きく寄与するものなのです。したがって、何らかの機縁によって法華経や日蓮大聖人の教えにふれたならば、やはりその内容を少しでも学び功徳を積んでほしいと思うのです。

せり御講(興師会)は当山開創の佳日。法会では他門流のことはともかく、私たちは日興門流の末弟であることを自覚して、これからも真摯にその教えと信仰を探求して行きたいと誓願しました。

相武山 山主

2020年02月26日

初春を寿ぐ

当山の法話会では毎回レジュメを作成し、そのレジュメに沿ってお話をしています。参加できなかった方が後日レジュメを求める場合もあり、信行研鑽の資料ともなっています。
去る19日に開催した今年度第1回法話会のテーマは「初春を寿(ことほ)ぐ」でした。サブテーマは「基本を大切に大道をあゆむ」。始めに初春を寿ぐ意味について所見を述べ、続いて日蓮大聖人の御書(御遺文)を紹介して解説。その後、昨秋からの世相を取り上げ、基本を見失った残念な人々と、基本を大切にされ敬愛されている人としてペシャワール会の中村哲医師を紹介しました。

はじめに『日本人の多くは初春を寿ぐ伝統と習慣を持つ』と指摘。
『旧年に感謝して心あらたに新年を迎える。・元朝には仏神への感謝と祈りのために寺社に参詣する。・勝地とされる場所に行き心を調えて新年のスタートを切る。・新年の誓いや願いを立てて自覚を新たにする。・仕事や学業、家事や世事に追われる日々と一線を画して、静かに自身の「来し方、行く末」を思慮する』すがたを紹介。

次に「初春を寿ぐ日蓮大聖人」
◆ 『重須殿女房御返事』 御書(日蓮遺文)
『十字一百まい・かし(菓子)ひとこ(一籠)給はり了んぬ。正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあいせられ候なり』
【物事の源を自覚し、何ごとも基本を忘れてはならない。新たな年を迎え初春を祝う心は大切。その心がけによって人徳も磨かれ、自然に他者からの敬愛をうけることになる】
『抑 地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。さもやをぼへ候事は、我等が心の内に父をあなづり、母ををろかにする人は、地獄其の人の心の内に候』
【仏教では地獄の世界と仏の世界はさまざまに語られるが、幸せや不幸は他所に求めるのではなく、自らの心に求めなければならない。心が汚れ不平不満に覆われていては幸せを得ることはできない】
『譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし。仏と申す事も我等の心の内にをはします。譬へば石の中に火あり、珠の中に財のあるがごとし。我等凡夫はまつげ(睫)のちかきと虚空のとをきとは見候事なし。我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ』
【蓮の種の中には花と菓がともに具わっているように、愚かな凡夫の心にも仏さまと等しいすばらしい生命が具わっている。石から火を得ることができ、原石から宝石が得られるように。
しかし、凡夫は愚かなために身近な自身のことと、広大無辺の宇宙法界の法理をしることはできない】
『ただし疑ひある事は、我等は父母の精血変じて人となりて候へば、三毒の根本淫欲の源なり。いかでか仏はわたらせ給ふべきと疑ひ候へども、又うちかへしうちかへし案じ候へば、其のゆわれもやとをぼへ候』
【私たち愚かな凡夫でも仏になることができるといわれても、煩悩によって誕生したのであるから、にわかに信じられないだろうが、よくよく思案するならばその意味もわかることだろう】
『蓮はきよきもの、沼よりいでたり。せんだん(栴檀)はかうばしき物、大地よりをいたり。さくらはをもしろき物、木の中よりさきいづ。やうきひ(楊貴妃)は見めよきもの、下女のはら(腹)よりむ(生)まれたり。
【蓮の花は清く美しいが泥の中から咲いてくる。栴檀は芳しい香りだが死物によって形成される大地から生ずる。桜の花は足元から咲くのではなく樹木より花開く。唐の玄宗皇帝の寵愛をうけた絶世の美女楊貴妃は身分の高くない家柄である。世の中には凡夫の思議を超えた事物・事象は多い】
『月は山よりいでて山をてらす、わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし』
【月は山から出て山を照らし出す。言葉は重宝なものだが扱いをまちがえると災いを招いてわが身を破ることになる。一切の幸いは心を磨くことによってもたらされる。新年正月は物事のはじめであり、源をみつめ基本を大切に生きることを自覚するべき時。そのときに大乗仏教の精華である法華経を信行し、愚かな凡夫が供養の志をささげることは実に尊い。桜が花開いたように、蓮華が汚泥から咲いたように、高山に栴檀の佳い香りが漂うように、闇夜に月が出てきたように】
『今日本国の法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねき出だせり。此れをもってをもうに、今又法華経を信ずる人は、さいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来たるべし。法華経を信ずる人はせんだんにかをばし(香)さのそなえたるがごとし。又々申し候べし』
【去る文永十一年秋の蒙古襲来に続いて、再度、蒙古の来襲が予想される。末法の安寧は法華経をもって祈るべきであるから、法華経によらぬ祈祷では千里の外より災いを招き、法華経による祈りは幸いを万里の外より聚める。影は体より生ずるもの。常に物事の大道と幹をしっかりとみすえ、小道や枝葉にこころを奪われぬように。大乗仏教の精華である法華経を信ずる者は芳しい栴檀にさらに香りをましたようにすばらしい】
正月五日               日蓮(花押)
をもんす(重須)どのの女房御返事

続いてこの御書から学ぶべきことをお伝えして「昨秋からの世相に想う」。
『人生は基本・大道をあゆむことが大事という要諦を見失う相(すがた)として、政治・経済・社会の諸相から、「説明責任を果たさない人々」「公文書管理を破棄する人」「贈収賄に手を染める人」「立場を悪用して利益を求める人」等々を紹介。
結びには「源や基本を大切にし大道をあゆまれた人」「幸いは心より出でて我をかざる人」「敬愛すべき人」として、2019年12月4日、アフガニスタンで銃撃され死亡したペシャワール会の中村哲医師(73)を紹介。新聞記事を参考に、戦争、飢餓、旱魃……恵まれない環境のアフガンの人々と共に歩み、その復興に生涯をささげられた人柄と人生について、私も深い敬意をもっている旨、お伝えしました。
『世の中には目立たなくても尊敬すべき生き方をしている方は少なくない。そのような人々を鏡として自らの人生も磨いてゆきたい』と所信を述べて法話としました。
2月の法話会は16日(日)午前11時からの開催予定です。

相武山 山主

 

2020年01月30日