相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

新年を迎えるために

【歳末大掃除】
年の瀬も押し迫った26日(土)午前10時からは歳末の大掃除。9時半頃から皆さんご参集。着山された方から堂宇、境内、参道の清掃にあたって頂きました。本堂や客殿は御会式の時に丁寧に清掃しているため、玄関、受付、ロビー、トイレが対象です。境内は三師塔とその周囲を中心に、過日、合摩さんが樹形を調えてくださった本堂前のサクラの枝の搬出など。搬出は軽トラックに荷積みして搬出を3回行い本堂前がすっきりきれいになりました。

大掃除は2時間ほどで終了。最後に本堂でお正月参詣者へのカレンダーや妙風新聞などを渡しやすいように作業して頂きました。お寺は僧侶だけでは管理も運営もできません。ご信徒の協力と支援が欠かせませんので、これからも応分のご協力をお願いいたします。

当日は初めてご参加の柴さんはじめ、奥田さん、安西さん、高橋さん、森さん、辻本さん、久保さん、落合さん、芦川さん、阿部さん、熊木さん、新倉さんに参加ご協力頂き、ありがとうございました。これで安心してお正月の参詣者をお迎えできます。

【餅つきとお供物と門づくり」
今日(30日)は午前10時からご宝前にお供えする重ね餅を作りました。餅つきは数年前から元和菓子職人の小原さんにご協力頂いています。興厳師がしっかりとお手伝いしながら記録していますので、やがて興厳師手作りの重ね餅も見ることができるようになるかもしれません。
11時からは阿部さんにも協力頂き、マスクとゴム手袋着用でお正月参詣者への「昆布」の袋つめ、容器に入れて振る舞う「お屠蘇」の容器つめなどを行いました。これもコロナ禍対策の一環です。
引き続いて、興厳師、阿部さん、私の三人で玄関前の門松づくり。例年どおりにコモを巻いた樽に青竹をさし、竹の周囲を若松で囲みます。約1時間ほどの作業ですが新年を迎える最後の作業でした。
皆さまどうぞ佳い新年をお迎えください。

相武山 山主

2020年12月30日

おさめ御講と冬季法門研修会

令和2年も師走を迎え当山でも今年の法要行事をおさめることになりました。今年は年初からの新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るい、社会や生活に不安と混乱をもたらしました。今まで以上に衛生観念の向上が求められ、リモートによる学習や仕事も一気に拡大。通勤や通学に対しての意識も変化しています。多くの人が生活スタイルがコロナ禍以前とはちがったものになってきているような気がしていることでしょう。やがてあの時が時代のターニングポイントだったといわれるようになるかもしれません。

大乗仏教の精華である法華経を信行する当山もコロナ禍によって大きな影響をうけました。感染防止には三密の防止が基本といわれています。しかし、信行の道場である本堂は扉を開放しない限り密閉ですし、僧俗が多数参加する法要や行事の執行によって各自の信仰を深めて行くのですが、僧俗が参集すれば密集となります。さらには基本的行法として法華経要品を読誦し南無妙法蓮華経のお題目を唱えますから、飛沫を拡散する密接にも該当してしまいます。

修行のすべてが三密に抵触するのですから、その徹底をはかるということは信仰活動の停止に他なりません。同じ宗教界でも最も制限をうけている信仰の一つといえるでしょう。3月下旬から7月上旬のお寺の静けさを思えばよくわかります。しかし、相手は未知のウイルスですから慎重に対応し、社会全体で克服に取り組んで行かねばならないことは明白。寺院や宗教も社会の一員として倶に感染防止に努めるのは当然のことです。

時代によって思想や宗教、モラルや価値観、社会制度や生活スタイルなど、さまざまに変化が生じることは誰もが認める真実ですが、それは変化したものごとに只したがえば良いという単純なものではなく、「変化して良いもの、変化しなければならないもの、変化しなくても良いもの、変化してはいけないもの」があることを思慮しなければなりません。その判断は各自の価値観によるものですが、コロナ禍にあって当山も試行錯誤しながら対応に苦慮した一年でした。コロナ禍の収束が見えてくる頃には検証が必要になることでしょう。

12月13日(日)は午後1時から今年最後の日蓮大聖人御報恩御講(おさめ御講)でした。参詣のご信徒と倶に真心を込めて、献膳、読経、焼香、唱題と如法に奉修。今年一年の無事とご加護を日蓮大聖人と仏祖三宝尊に報恩感謝申し上げました。

法要後には佐渡御書を拝読しての法話。この御書は真偽未決でありますが、宗祖佐渡御流罪の翌春、弟子檀越に送られた書状として伝わり、長く門下の信行の糧となっているものです。
佐渡御書の冒頭箇所
「世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此の身の死するとなるべし。牛馬猶身を惜しむ、況や人身をや。癩人猶命を惜しむ、何に況や壮人をや。仏説いて云く「七宝を以て三千大千世界に布き満つるとも、手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」〈取意〉。
雪山童子の身をなげし、楽法梵志が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是れを布施として仏法を習へば必ず仏となる。
身命を捨つる人他の宝を仏法に惜しむべしや。又財宝を仏法におしまん物、まさる身命を捨つべきや。世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし」を拝読。

極寒の佐渡に流罪となられた宗祖のご様子を想像してその御心にふれ、仏の弟子はひとしく仏道を求める志を最優先とすべきことと、人生はまことにはかなく「邯鄲(かんたん)の夢」のようなもであり、人生の無常を自覚して永遠の真理である南無妙法蓮華経のお題目に生きることの大切さをお伝えしました。

【冬季法門研修会】
おさめ御講に引き続いて「冬季法門研修会」を開催。
法門研修会は春夏秋冬の四季それぞれ法華経と日蓮大聖人の教えをじっくり学んで頂くための研修会です。研修会では法話会とことなり少し難しい仏教用語や仏教思想も解説されますが、何回も聴聞するうちには必ず理解が進み、信仰を深めるたしかな礎となるものです。

秋の研修会に続いてはじめは興厳師による「五時八教の教判」。今回は化法の四教についての講義でした。化法の四教は教説の内容によって四種をたてたもの。蔵教(ぞうきょう)は小乗の教え、通教(つうぎょう)は大乗・小乗に通ずる教え、別教(べっきょう)は大乗のみを説いた教え、円教(えんきょう)はすべてを包摂する円満な教えであることことを解説しました。

次の講義は私が「日興門流の教えと信仰」から「不軽菩薩と日蓮大聖人」について。
末法の法華経の行者としての御自覚に立たれた宗祖は自らを不軽菩薩の跡を承継すると仰せになり、御書にも不軽菩薩とご自身を「境・智・行・位」に比しておられます。
寺泊御書には
「法華経は三世の説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来は不軽品為るべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為るべし」
顕仏未来記には
「彼の二十四字と此の五字と、其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。」
上野殿御返事
「日蓮は法華経誹謗の国に生まれて威音王仏の末法の不軽菩薩のごとし。はた又歓喜増益仏の末の覚徳比丘の如し」
とあることを紹介。

法華経を修行するにあたっては不軽菩薩の精神で臨むことが、法華宗日興門流の教えと信仰であることをお伝えしました。研修会は瞬く間に終了。参加者の皆さんは仏法聴聞のたしかな功徳を積み、また一歩信仰を深められました。

相武山 山主

2020年12月29日

龍ノ口への道

12月5日(土)、今年も恒例となった「鎌倉歴史散策の会」を開催しました。当山では開創以来、機会を設けて日蓮大聖人のご聖跡を訪ねています。ことに鎌倉は宗祖が立教開宗以来佐渡流罪となって離れるまで法華弘通の縁深い地であり、横浜からも近いので何回企画したかわからないほど訪ねています。
十数年前からは深秋から初冬の頃、鎌倉の歴史や文化に造詣深い酒井俊克さんにご案内頂いて「鎌倉歴史散策の会」を開催しています。歴史を知るためにはまず地勢や道を学ばなければなりません。鎌倉の地勢も時代によって変化しています。現代の鎌倉が昔から同じ鎌倉と思いこんでしまうと混乱のもとといえるでしょう。地勢という基本をしっかりとふまえてから、歴史と文化、政治と社会と生活を思考するのが大切だと思います。
酒井さんは地勢と古道に詳しくいつも適切なご案内を頂いています。

今回の散策会は今年が日蓮大聖人の「龍ノ口法難・佐渡御流罪から750年」となることから、「鎌倉から龍ノ口への道」というテーマでした。したがって鎌倉から龍ノ口(藤沢市片瀬)までの散策となります。少々道のりが厳しいかなと思いましたが、どなたも最後まで歩き通され、散策に臨まれる皆さんは日頃から足を鍛えられている様子がわかりました。

当日は今季初という寒波襲来が予報されていました。予報は的中。氷雨といっても良いくらいの寒さです。参加者は9時30分JR鎌倉駅西口に集合。一様に「さむいですね~」と挨拶。全員集合を確認して私から今回の散策会の趣旨について説明し江ノ電鎌倉駅へ。人気の江ノ電に乗車して二駅目、由比ヶ浜で下車。小雨がそぼ降る寒さのなか散策が開始。

始めに鎌倉時代初期の西の結界であった稲瀬川を確認して、四条金吾の屋敷跡と伝える収玄寺で四条金吾と主君の江間氏についての説明を受けました。次に御霊神社から鎌倉十井の一つに数えられる星の井を見学し、良観房忍性が切り開いたといわれる極楽寺切り通しを進み、極楽寺から鎌倉十橋の一つ針摺橋や大聖人ゆかりの袈裟掛けの松、十一人塚を経て稲村ヶ崎の海岸へ。稲村ヶ崎では鎌倉時代末期に新田義貞が軍を率いて鎌倉攻めをした際、難所であった極楽寺坂を攻略できず、この稲村ヶ崎の海岸を渡って鎌倉へ攻め入ったという有名な話をうかがいました。

氷雨はやみそうでやまず、皆さん「寒いね~」とつぶやきながら海岸線に沿って雨乞い伝説の霊光寺へ。途中龍ノ口法難に由来する行合橋の説明を聞き、大聖人の雨乞いを伝える田辺ヶ池と霊光寺を見学。続いて小高い丘を上って腰越へ。腰越では源義経が兄頼朝に送った腰越状ゆかりについて解説頂きました。

龍ノ口の刑場へ向かう途中の法源寺前では、さじきの尼が大聖人にぼたもちを供養されたという説明をうけ、散策のゴールは大聖人当時、鎌倉の西の結界に位置し、刑場だった龍ノ口(現、藤沢市片瀬)。霊跡に建てられた龍口寺を散策し、宗祖が投獄されたと伝えられる御霊窟を見学。最後に散策記念の集合写真を撮影し約4時間ほどの散策を終了。

希望に反して氷雨がやむことはありませんでしたが、皆さん「大聖人さまの歩まれた龍ノ口や佐渡を想えばこれくらいの氷雨は苦労のうちにも入りません」と、宗祖の門弟らしく気丈におっしゃっていました。
片瀬名物のしらす料理のランチを頂いて散会となりましたが、参加者は大聖人が鎌倉から龍ノ口の刑場へ向かわれた同じ道程を歩みながら、末法の法華経の行者として一切衆生を成仏へと導く御自覚に立たれた宗祖の崇高な御心に思いをはせたことでしょう。

相武山 山主

2020年12月27日

見ていて惚れぼれするほど

里山のような自然環境に恵まれた当山では緑の管理に手間暇がかかります。何ごとにもプラスの面とマイナスの面があるように、四季折々の自然を楽しめるということはそのために緑を管理しなければならないということに他なりません。毎年ぐんぐんと伸びゆく樹木と枝葉、抜いても抜いても生えてくるたくましい雑草、当然ながら管理責任者となる私や興厳房の労力をかなり消費します。年間を通して檀信徒の方々にも作務へのご協力を頂くゆえんです。

来年は日蓮大聖人のご生誕800年、当山開創40周年という佳節を迎えることから、小手先ではなく長期的対策を検討して、管理しやすい環境整備を調えようと考えていました。そんな折りにとても強力な応援団が登場。墓苑周囲のレッドロビンや樹木葬墓地の周辺、墓苑西側の雑木林、駐車場周囲と、管理が行き届かず見苦しかった境内樹木を伐採整備し、師走の中旬には樹木管理の過半が終了しました。
本堂の屋根に今にもとどきそうなソメイヨシノもすっきりとした樹形となりました。

師走のおさめ御講に参詣の皆さまからは「明るくなりましたね・・・。すっきりしましたね・・・。倒木のおそれがなくなりましたね・・・。谷戸越しに市民の森が見えるようになりましたね・・・。春のサクラが楽しみですね・・・」との声を頂きました。

境内が整備され法華経の道場が荘厳されることは寺院を護る者としてとてもうれしいことです。「信は荘厳から」といわれますように、信仰の世界が厳かであることは信仰する者にとってこの上ない歓びであり、人々を仏法信仰へと導くよすがとなります。これからも檀信徒有縁の方々と倶に境内の清浄さを心がけて行きたいと思っています。

強力な応援団とは中区の合摩清さんご夫妻です。ご夫妻は11月22日にお母さまの13回忌法要のため親族の方々と参詣されました。久しぶりでしたので法要後に親しく話を交わした後、工務店を経営していて、基礎工事や外構整備などに知識と実績のある方でしたので、「境内整備や樹木の伐採などについて教えて頂きたい」とお願いしました。
すると二つ返事で了解の上、「もう定期の仕事はしていないので時間は自由になりますし、しばらく参詣もしていませんでしたから奉仕で協力させてもらいます」と望外の言葉を頂きました。

実際の伐採や整備は明年からを予定していたのですが、すべてはその道のプロである合摩さんにお任せしました。すると11月の30日からご夫妻で作業を始められました。朝はお寺の勤行の終わる頃の6時50分頃にはお出でになり、小憩されて7時30分頃から休みなくお昼頃まで作業され、短い昼食を挟んで夕刻15時過ぎまでのお仕事。
ノコギリや剪定ばさみ、チェンソーなどの使い方は見ていて惚れぼれするほどです。長く作業を見ていてもまったくあきません。また、伐採後の片付けが丁寧で合理的、手際も良く腕の良い職人さんというのはこういう人のことだと感心してしまいました。

作業は途中に休みを入れて12月16日まで10日ほど続いて一段落。樹木葬墓地の後背地の雑木も撤去され、雑然としていた雑木林の枯れた樹木や樹高の有るものも伐採でき、境内全体が明るくすっきりとしました。作業上、人の手が必要な日があり新倉さんと熊木さんには2~3日、大いに汗をかいて頂きました。本当にありがとうございました。
伐採した樹木のほとんどは雑木林に効率的に整理して頂き、搬出できるものは軽トラックで搬出して今年の境内整備作業は終了。
境内樹木の伐採と整備は来年度の事業と考えていましたが、合摩さんご夫妻のご協力でかなりの進展をみることができました。残された課題は皆で解決して行きたいと思っています。

実は合摩さんには35年ほど前、岸根の道場建設でもご尽力頂いています。岸根の道場は合摩さんのお父さんと清さんご兄弟によって建設されたものです。ご両親はすでに霊山に旅立たれていますがご信心の篤い方でした。特にお母さまは開創当時のご信徒で、公私ともに忙しいにもかかわらず、よく妙法院に参詣されて仏法を聴聞されていたばかりか、自宅を宅御講の会場として長く提供されていました。宅御講には地域のご信徒が参集。私と倶に御書を拝読しみんなで日蓮大聖人の教えを学びました。

お父さんは職人気質で実直、少々頑固なところもある方でしたが、妙法院には理解とご協力を惜しまれない方でした。また、なぜかぬるいビールがお好みでしたが、岸根の当時楽しくお話ししたことを懐かしく思い出します。ご両親も今回の清さんのご奉公をさぞかし喜んでおられることでしょう。
いつも檀信徒をはじめ有縁の方々に支えられている妙法院です。感謝、感謝、感謝です。

相武山 山主

2020年12月25日

秋天の起工式(地鎮祭)

11月14日(土)、澄みわたる秋晴れのなか久しぶりの起工式(地鎮祭)を執り行いました。当山のご信徒ではなく、札幌市清涼院信徒の鍋山さんからの依頼です。9月の中頃、「孫娘夫婦が大和市に新居を建築するので起工式を執り行ってほしい」と電話がありました。家族みんなで日蓮大聖人の信仰をしているので、是非、法華経で起工式(地鎮祭)をというご希望です。
孫娘のありささんは英国人のご主人の理解を得て、幼い頃から大切にしてきた信仰で起工式(地鎮祭)をすることにしたようです。事前に準備の要項と式のながれを書面にてお伝えし当日を迎えました。

朝からすばらしい秋天に恵まれ起工式びよりでした。建築の場所がわかりにくいために、ありささんと小田急線高座渋谷の駅で合流。はじめてお会いしたのですが間もなくお母さまになられるご様子でした。ありささんの道案内で新しい造成地に到着すると、すでに建設会社の方が3名待っておられました。時をおかずにご主人とありささんのお母さまも到着。
祭壇とお供物の準備をしてご本尊様をご奉掲。法華経要品を読誦するうちに参詣者一同のお焼香。南無妙法蓮華経のお題目を唱えて懇ろに工事の無事と所願成就を御祈念申しあげました。鍬入れは都合でできませんでしたが、私からの祝辞の後、ご主人と建設会社の方が建設地の四隅にお供えの御造酒をそそぎお清め。

その後の歓談でありささんが出産間近で札幌からお母さまがお出でになっていることをうかがいました。建設業者の方に「仏式の起工式・地鎮祭は珍しいのではないですか?」と声をかけると、年配者の方からは「私は以前経験したことがあります」とのご返事。若い方お二人は「初めてです」ということでした。

自らの信仰を自覚している方は、当然のことその信じる法式にしたがって儀式や作法を執り行います。世界を見渡せばキリスト教の世界、イスラム教の世界、ヒンドゥー教の世界、そして仏教の世界と、皆それぞれの教えに基づいた作法で儀式が執り行われています。

しかし、信仰や宗教への認識が薄く関心もあまり強くない我が国では、日常の生活に宗教や信仰を大切にしている方は少数派といえるでしょう。宗教の教育やその説明を丁寧に受けた機会も少ないこともあって、表面的にはともかく、宗教や信仰について不信や疑問、さらにはいかがわしささえ感じる方も少なくないようです。そこには旧仏教教団による檀家制度意識の悪弊や新興宗教による常識外れの諸活動への不信があるのかもしれません。そのようなことから「宗教や信仰には当たらず障らず、時宜に合わせて利用すれば良い」という方が多いようです。

そのため現代の日本では「子どもが生まれたら神社へ初参り、結婚式はキリスト教式で。家族が亡くなると僧侶を招いて仏式で」というすがたを多く見受けます。そこには「みんながやっているから・・・」とか「みんなと同じようにしていればそれで良い」という思いがあるばかりで、それぞれの宗教や信仰に対する敬虔さをうかがうことはできません。日本人が古来、多神教的宗教観を有していることもありますが、各自の思いや考えにさまざまな宗教や信仰を利用しているように見えることは残念です。

個人の思想や信条、信教の自由などは基本的人権にかかわることですから、そのような信仰観や行儀作法も認めるべきなのでしょうが、自らの信仰を自覚し認識している方にとっては、やはり信じるかたちで大切な儀式・行事を執り行うのが自然なことです。そのためキリスト教徒やイスラム教徒、ヒンドゥー教徒や東南アジアの仏教徒など世界の多くの信仰者に、現代日本の一般的信仰観を理解してもらうのは難しいかもしれません。我が国のありようを宗教に寛容だと見ているのか、不見識と見ているのかはわかりませんが、不思議だと思っているのは事実ではないでしょうか。

仏教徒との自覚があれば起工式(地鎮祭)を仏式で行うのは当たり前のことといえるでしょう。当山では今までも法華宗日興門流の法式に則って、しばしば工事の無事と所願成就を祈念してきましたが、久かたの起工式に臨んで再び信仰の純粋性を考えるひとときとなりました。来春には無事に竣工することを願い、施主ご夫妻のご健勝を祈り新しい生命の誕生を祝福いたしました。

相武山 山主

2020年12月22日

七五三祝のお参り

関東では11月15日を中心に七五三祝いが行われます。七五三祝いとは幼子の今日までの成育に感謝し、これからも無事に成長することを仏神に祈念して、家族でお祝いする儀式のことです。

現代のように栄養や医療に恵まれず世相も険しい時代では幼い子供が無事に成長することは難しいことでした。そこで昔から三歳、五歳、七歳と我が子が成長する度に信ずる仏神に感謝とご加護を祈ってきたのです。温かな親心を感じる佳い伝統であり慣習といえるでしょう。

今年は山田さんの双子のお子さんがお祝いに参詣されました。二人の幼子が心身ともに健やかに成長するよう、懇ろにご本尊様に祈念申し上げた次第です。

相武山 山主

2020年11月28日

目師会(かぶ御講)を奉修

11月15日は法華宗日興門流第三祖日目上人の祥月のご命日。日目上人のご報恩御講を門流僧俗は目師会もしくは親しみを込めて「かぶ御講」とよんでいます。目師会は時候からいえば新鮮なかぶが収穫できる頃。みずみずしいかぶは自己主張をあまりしないので、古来いろいろな料理に使われ重宝されていたのではないでしょうか。小僧の頃、かぶ御講について先輩から「日目上人がお好みであった・・・」という話を聞いたこともありますが定かではありません。

15日(日)は午前11時からの日曜法話会に引き続いて午後1時よりご報恩法要を執り行いました。前夜、落合さんご夫妻がお届けになったみごとなかぶをご宝前にお供えし、参詣のご信徒と倶に真心こめて読経・唱題、御報恩申し上げました。

法要後は日目上人のご生涯について、御書システムより抜粋したテキストに基づいて解説。私たち日興門流僧俗が、日蓮大聖人の仏法、日興上人の御精神を今に享受できるのは第三祖日目上人の精進とご活躍によります。青年期には身延の地で宗祖への常随給仕にはげまれ、門流上代には奥州法華講を構築されて本寺を護持され、艱難辛苦を乗り越えての度重なる国家諫暁は門下の亀鏡となるものです。

近年、「日目上人 天奏の図」が広く門下に紹介されました。そこには高齢と体調の不良にもかかわらず、法華弘通という宗開両祖の御遺志を承継して、雪中を一途に前進する姿が描かれています。愚かで非力な末弟としては仰ぎみるばかりですが、わずかであってもご奉公の誠を尽くして行こうと誓うかぶ御講でした。

相武山 山主

2020年11月25日

大乗の仏教 悟りから救いへ(上)

11月15日は今年最後の日曜法話会。今年の日曜法話会はコロナ禍のために4月~7月まで3ヶ月開催できませんでしたが、8月からは新型コロナ感染防止に努めての開催。参加聴聞頂いた皆さまのご協力により一人の感染者を出すこともなく無事に今年の法話会を閉じることができました。

はじめに仏教では現実直視が基本的姿勢であり、「あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではないとの認識が大切。眼前の事物・事象を自分はどのように観ているかを認識し、自らの人生に活かすよう努力することが大切。起こる事象はすべて学びの対象」であることから、法話会では世相について所感を語っていることを説明。

今月の「世相」はアメリカ大統領選挙から選挙の模様と多様性を認め追求するアメリカのすがたについて。私たちにはわかりにくい米国独立当時のシステムに由来する大統領選出選挙を簡単に解説した上で、共和党トランプ大統領と民主党バイデン氏の選挙戦とその結果を紹介。バイデン陣営の副大統領候補カマラ・ハリス氏の存在とオバマ前大統領の昨年のスピーチから、多様性を認めることによって社会の健全な発展を求めるアメリカの実状をのべ、旧来からの保守的な価値観ばかりに固執せず、より良い世界の構築には差別と偏見を超克する必要性をお伝えしました。

法話会のテーマは「大乗の仏教 悟りから救いへ」でした。当山の法話会は「仏教に親しもう。仏教を正しく理解しよう。法華経と日蓮大聖人の教え。」がその趣旨ですから、一貫して仏教の基本的思想、仏教の展開と受容、日本の仏教について解説しています。
というのも現代の日本における仏教は冠婚葬祭や観光の対象とされるばかりで、仏教本来の目的である「より良く人生をあゆむための真理の教え」がほとんど認識されていないという危惧を抱いているからです。また、仏教が理解されていないばかりか誤解や偏見が多く見受けられることも残念に思っていました。

もちろんその責めは一般の方ばかりに求めるわけには行きません。仏教の仮面をかぶった怪しい教団も多く存在していますし、当事者である仏教寺院や仏教僧が積極的に発信し説明してべきものと考えます。そこで当山の法話会では自らの宗旨と信仰を伝えることも大切ですが、仏教の基本的思想と仏教の伝播と歴史などを客観的にお伝えしています。

【異なる二つの仏教】
仏教はインドに出現された釈尊(ゴータマ・ブッダ)によって創唱されましたが、その教えと信仰は優れたものであるためにアジア全域に伝播し、悠久の歴史のなかで大きく展開して今日に存在しています。その仏教は現在大きく大乗仏教と上座部仏教(小乗仏教)に分けることができます。
同じく仏教を名乗るのですからこの二つの仏教には共通した基本的思想が存在しますが、その修行と成道観などにはこれが同じ仏教?と思われるほどに相違があります。法話会ではまず「異なる二つの仏教」を解説。

はじめに『上座部(長老)仏教(大乗仏教からは小乗仏教とよばれる)』
「スリランカや東南アジアで広く信仰されている仏教。釈尊の素朴な言説を中心とした初期仏典を修学・修行する。阿羅漢をめざす僧侶中心の仏教」
「上座部仏教では大乗経典を仏典として認めず、大乗特有の仏陀・菩薩を崇拝しない(かつて大乗仏教と兼学した時代もあったが後に反大乗派が大乗派に勝利した結果)。」

次に『大乗仏教』
「東アジアやチベットなどで信仰されている仏教。大乗経典を仏説として受容する仏教。仏典に説かれる仏・菩薩を崇拝する。すべての人々を救う大きな乗り物としての教え。僧侶ばかりでなく信徒にも成仏の道が開かれている。」
時間が限られていますから簡略な説明でしたが、現在の我が国の仏教や各国各地域の仏教のすがたをみれば容易に理解されると思います。(以下次号につづく)

相武山 山主

 

2020年11月23日

アメリカ大統領選挙と多様性

2020年11月3日に実施されたアメリカ大統領選挙。4年間何かと物議を醸してきた共和党のトランプ大統領が再選されるのか、それとも民主党オバマ政権で副大統領を務めた高齢のバイデン氏が勝利するのか、コロナ禍の中、世界中の関心が集まっていました。

我が国でも夏頃からメデイアで取り上げられる頻度が高くなり、10月になるとまるで自国の政治ショーのように連日詳細な報道ぶりでした。いまだにトランプ氏からの敗北宣言は出されていませんが、バイデン氏の勝利は間違いなく、来年1月20日には大統領に就任する予定です。

バイデン氏は副大統領候補としてカリフォルニア州選出の上院議員カマラ・ハリス氏を指名し、ともに選挙戦をたたかいました。カマラ・ハリス氏はアフリカ系及び南アジア系アメリカ人であり、女性として初めての副大統領候補でしたから、アメリカの多様性を示すものとしても注目されました。今年アメリカでは人種差別問題が大きくクローズアップされましたから、ハリス氏の存在は選挙にも大きな影響を与えることになったようです。
【多様性とは】
ハリス氏の登場を俟つまでもなく、アメリカは多様性を認める国といわれてきましたが、それでもジェンダー(男女の性差)をはじめ、人種や民族、思想や宗教、文化や慣習などの違いについてまったく差別が存在しないということではありません。4年前の大統領選挙に出馬したヒラリークリントン氏も「ガラスの天井が破れなかった」といわれました。移民の国、多民族国家であるアメリカにして、多様性を認めあって他者と差別なく共存しようとするためにはまだまだ意識の変革と努力が必要といわれています。
ハリス氏が女性でありその両親はアフリカ系とインド系ですから、その存在自体が多様性を認めようとするアメリカの象徴のようにみえます。

このようにしばしば語られる「多様性」ですが私も漠とした理解しかありませんでした。調べてみると多様性とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なるとありました。また、「多種多様に違うものがあること。多様性のある社会とは多種多様な考えや思想、文化的背景をもったり、異なる人種や国籍が共存する社会。多様性を受け入れるには、相手のことを否定しない、ありのままの存在を認める。」ということのようです。

多様性は「多種多様、千差万別、多彩・・・」などの意識に広がり、その対義語は「画一性」や「一様」「一律」などになり、「すべてのものが一様で、各々の個性や特徴が見られないさま。一つの枠に当てはめるさま」などといえるようです。
「多様性」にも「画一的」にもそれぞれプラスとマイナスの両面があり、単純に優劣をつけることなどできませんが、人権の尊重や個人の尊厳などを価値の基準とし、違いを認め合う現代は「多様性を認めるべき社会」に向かっているように思えます。

多様性を認めるということは「自分とちがう人々もいると理解すること」ですが、少し注意しなければならないのは、多様性は認めるべきもので、受け入れを強制されるものではないということです。あるなんらかのグループが存在していたとして、その存在を排除することなく認めながら、そのグループに同調する必要はなく、おかしいと思えば批判することも許されるのです。ときに「多様性の時代なのだから、みな自由勝手で良いんだよ・・・」と批判を一方的に否定する声を聞きますが、それは多様性の誤解のように思えます。
時代は時々刻々変化してやみません。多様性を認めることは時代と社会の要請であり、個人の尊厳にとっても不可欠の要素ではないかと思うのです。多様性について思いを巡らしたアメリカ大統領選挙でした。

相武山 山主

2020年11月20日

コロナ禍の仏事

今年は春から新型コロナウイルスのパンデミックによって、世界中の社会活動が停止・停滞を余儀なくされました。その後、我が国はもちろんのことすべての国が感染防止に努めながら、通常生活の回復に向けて国を上げて努力をしています。その道程は一様ではありませんが次第にウイズコロナ(コロナと共存)というかたちで前進しているように思えます。しかし、ワクチンや治療薬、治療法も獲得できているわけではありませんから、寒期を迎えてインフルエンザの流行とも重なる北半球ではさらなる注意が必要となります。

コロナ禍によって家庭や学校、職場や社会など生活全般に近年稀に見る大きな影響が出ました。御仏の慈悲とご加護を説く仏教寺院も例外ではありません。パンデミック当初、韓国のキリスト教系教団でクラスターが発生したこともあり、我が国でも各仏教教団は活動を一斉に自粛、感染予防を徹底することになりました。
当然、年中行事や各法要の執行を直撃。行事・法要は信仰の深化と啓蒙に不可欠ですから中止や延期、自粛するということは信仰活動の停滞につながることを意味しています。それは自粛を徹底していた3月末から7月初旬までの当山の静けさをみればよくわかります。その後、感染予防に注意し工夫を凝らして行事・法要を執り行ってきましたが、世相同様旧に復するのにはまだまだ時間がかかりそうです。

仏教では「環境の変革も大事なことだが、まずは与えられた環境のなかで最善の道をあゆむこと」が大切と説かれていますから、コロナ禍にあっても環境の所為にして自身を怠惰にながすことなく、コロナ禍であるからこそできる信行に努めて行きたいものです。気持ちを切り替えることができれば、コロナ禍であるからこその知見も深まることでしょう。

【コロナ禍での葬儀】

コロナ禍は寺院の行事や法要ばかりでなく、ご信徒の葬儀や法事などの仏事にも少なからぬ影響を与えています。当山のご信徒で直葬(葬儀などの祈りをなさずに死後直ちに火葬すること)をされる方は居られませんから、規模はともかく皆さま縁者の尊厳に想いをいたし丁寧に葬儀を執り行っています。 葬儀は人類の歴史に遡ることができるほど、古今東西、大切な儀礼として認識され現代まで執り行われています。仏教やキリスト教やイスラム教など世界宗教で葬送の儀式を軽んじる宗教はありません。葬儀は人生の終焉を迎えた縁者の尊厳に想いをいたし、今世の務めを果たして来世に向かう旅立ちに幸いあれと祈る愛情のこもった重要な儀式なのです。

ところで、時々「葬儀と告別式は同じですか・・・」ということを聞かれます。今は「葬儀並びに告別式」と案内されることが多いので、葬儀と告別式は同じと考える方が多くなっているのかもしれません。 本来、葬儀は故人や親族の信仰や思想、意思に則ったかたちで行われるのを常としますから、極めて個人的・家族的な宗教性のある儀式ということがいえます。葬儀には故人とのお別れという側面もありますから告別の意味を含んでいるともいえますが、厳密には故人の冥福を祈る儀式といえましょう。他方、告別式は故人との永久のお別れをするための儀式で宗教性や思想性はあまり介在することはありません。時間などの都合上、葬儀と告別式を分けて執り行うことは難しいために、現代は前後したり平行して営まれているというのが事実です。
宗教的信仰を持たない人や仏神を信じない人、来世を信じない人などにとっては葬儀に価値を見いだす事ができないのも無理からぬことです。ことに我が国では宗教や信仰に関心の薄い方が多く、また、都市化が進み、都市部では核家族化によって親族のつき合いも薄くなったり、夫婦だけの家庭や単身生活者が増加していることなどから、残念ながら葬儀もかなりおざなりになっているのを見聞します。しかし、大切な縁者の最後なのですから情愛を尽くし、感謝と祈りをささげる心を涵養してほしいと願わずにはいられません。

ときに葬儀ばかりでなく儀式そのものを否定する方を見聞することがあります。もちろん虚礼や無用の儀式と考えるものを否定することは当然で、儀式にも変化したり行われなくなるものがあるのが事実です。しかし、人生におけるさまざまな儀式は心の想いをかたちに顕したものですから、その取捨選択は慎重になされるべきものだと思うのです。
当山は檀信徒がそう多くはありませんので葬儀執行の依頼は毎年5件から10件ほど。今年もコロナ禍のなか数件の葬儀を執り行いましたが、皆さま亡きご家族の尊厳に想いをいたす方々ばかりで、御仏の世界への旅立ちを丁寧に営まれました。コロナ禍で葬儀のかたちも変わったという話を耳にしますが、有り難いことに当山では多少の心労はありましたが、いずれも通常の家族葬のかたちで厳かに執り行い、故人を法華経の浄土である霊鷲山にお送りいたしました。

相武山 山主

2020年10月26日