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相武山 妙法寺 ブログ

菩提寺境内を浄めて

当山では毎年初夏の頃から秋まで数回にわたって境内清掃作務を行っています。作務は境内樹木の伐採と整備、遠慮なくグングンと伸びてくる雑草を除草して境内の整備をはかるものです。
当然、日頃から本堂や客殿や寺務所などはもちろん、境内や参道、駐車場などの清掃整備は寺内で行っていますが、さほど広い境内ではなくてもやはり手が回らないのが実状です。また、樹木や雑草の伸びるスピードは油断できません。放っておくとすぐに荒れ野状態になってしまいます。そこで定期的に作務の日を設けて檀信徒有縁の方々にご協力を願っています。

8月は8日(土)と30日(日)に境内清掃作務を行いました。8日は主にバス通りからの参道を清掃整備、市民の森から伸びて参道にかかる背の高い雑草を退治。大きなゴミ袋10杯分の成果でした。30日は墓苑周囲のレッドロビンの伐採と整備清掃。さらにゴミの収集に出せる形に整える作務が中心でした。その他、両日ともに猛暑の中、本堂前や三師塔前の草取りにも汗を流しました。

今年の境内清掃作務は8月30日が最終日。毎回8名~15名前後の方々にご参加頂き、約1時間半から2時間ほどの作務でした。菩提寺の境内が浄められて仏祖三宝尊もお悦びになり、お参りの方々も清々しく思われることでしょう。皆さまご多用のなか猛暑にもかかわらずご協力いただきありがとうございました。

相武山 山主

2020年08月31日

平和に思う(日曜法話会から)

妙法院では「仏教に親しむ」をテーマとして10年前から毎月1回日曜法話会を開催しています。今年はコロナ禍のために4月から6月まで開催を中止しましたが7月から再開。
8月は16日(日)午前11時からの開催でした。コロナ禍に連日の猛暑ですから参加聴講はわずかな方と想定していましたが思いのほかにご参加頂きました。
8月法話会のテーマは「平和に思う」。前日が75回目の終戦記念日であり、当山でも執り行った戦没者追善法要の意義を深めて、参加者の皆さまと前の大戦を概観し平和について考えてみたいとのテーマです。戦争と平和、民主主義と基本的人権などについて所見を述べ、釈尊と日蓮大聖人の遺された言葉から教訓を頂きました。

【戦争の事実を直視】
夏8月を迎えると各メディアは一斉に「広島・長崎への原爆投下・・・」「太平洋戦争の惨劇・・・」「戦時中の苦悩にあえぐ世相と国民の困窮生活・・・」等々について報道するのを常としています。これは極めて当然のことで、前の大戦は国民を苦悩のどん底に陥れ、国土を大きく荒廃させました。また、我が国ばかりでなく太平洋一円の国や国民に計り知れない甚大な被害を与えたのです。

二度と同じ過ちを犯さないためにも私たちは前の戦争の真実を知らなければなりません。何ごとにおいても「いつ・どこで・だれが・何のために・何をしたのか・そしてその結果は」という事実を検証し整理することが大切なように。
凡人の集まりであるこの世の中、政治でも社会でも都合の悪いことには目をつむったり、耳を塞いで、批難が通り過ぎるまでしのごうという姿勢は古今東西に見受けられことですが、それでは失敗を活かして同じような過ちを断つことができません。より良い解決のためにはやはり事実の検証が必要なのです。

我が国の健全な未来にとって太平洋戦争の真実は真摯に探求されるべき歴史的課題であるとともに、基本的人権が保証された民主主義国家の確立とその維持に不可欠のテーマといえるでしょう。前の敗戦についてはさまざまな視点から反省がなされたり、戦没者への慰霊や遺族への補償も実施されました。また、非戦・反戦・自衛など平和に関する議論も今に行われています。しかし、国としてのたしかな総括が行われたという認識は乏しいように思えます。そのために戦争被害をこうむったアジアの国々とのあつれきが解消されていないのではないかと思うのです。

法話会ではレジュメと一緒に『第2次世界大戦死者数』『戦没者の過半数は餓死』『安全保障の焦点は国家から人々の安全保障へ』などのプリントをお渡しました。その上で前述のように「太平洋戦争の確かな検証」が大切ということと、「敗戦によってもたらされた民主主義」「天皇主権から国民主権へ大転換」「すべての国民に基本的人権の保障」について所見を解説しました。

【人権と民主主義の価値を確認】
昭和20年8月15日、天皇の終戦宣言による敗戦受諾から一夜にしてダイナミックな価値観の転換が促されたのです。現人神(あらひとがみ)として日本国の主権を握る天皇が人間宣言をし、臣民(しんみん)であった国民が主権者となったのですから、まさに青天の霹靂。急には理解できない話です。さらに、一人ひとりの国民には差別なく基本的人権が保証され、天皇や貴族、軍部や財閥などの特権階級による政治ではなく、主権者たる国民の意志によって政治社会が運営されるというのです。

戦後の時代しかしらない現代の私たちには、基本的人権、主権在民、民主主義は当たり前の概念ですが、戦前の思想と教育のもとに生活していた人々にとっては、戦後しばらくその受容に意識して取り組まねば理解できないものでした。

基本的人権によって得られた自由と権利、民主主義によって得られた主権在民というシステムは、我が国においては敗戦受諾で突然天から降ってきたようなものといっても過言ではないでしょう。しかし、欧米では自由と権利・民主主義のために長い間、血涙の歴史がありましたから、自由や権利、民主主義については現在でもとても敏感です。したがってその権利を守るためには労をいといませんし、政治についても我がこととして意識している人が多いように思えます。

我が国では人権や民主主義をあまりにも当然として、そのすばらしい価値を見失っているのではと思えることが散見されます。これはとても残念なことで、終戦記念日には戦争と平和について考えるとともに、是非、人権と民主主義を考える好機としてほしいと願っています。また、平和は何らの努力もせずに得られるものではなく、平和な世界は強い意志と絶え間ない努力によって維持されることも認識しなければなりません。

【平和を求めて】
続いて「現代社会の平和を脅かす人権軽視と覇権主義」「一党独裁国家の専横」「世界中の差別主義」などについて言及し、結びは「仏典に学ぶ平和」でした。

原始仏典 ダンマパダ (中村元 現代語訳)から
☆「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みのやむことがない。堪え忍ぶことによって、怨みはやむ。これは永遠の真理である」
☆「その報いはわたしには来ないであろうとおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである」

日蓮大聖人の立正安国論から
『汝須く一身の安堵を思はば先づ四表の静謐を祈るべきものか。就中 人の世に在るや各後生を恐る。是れを以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。ー 略 ー
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。此の詞此の言、信ずべく崇むべし』
を紹介。

今月の学ぶべきこととして
「平和は意識しなければ崩れやすい。前の戦争をけっして忘れてはならない。常に戦争の検証を怠らず、民主主義のルールのもと、権力者の言動に注意しなければならない。平和の基本は人々の心の平安から。平和は基本的人権の尊重による。
一人ひとりが現代の平和の語り部となろう。」
とお伝えしました。
来月の法話会は9月13日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2020年08月30日

新盆に御本尊を御安置

真夏のお盆は亡くなった家族やご先祖への想いが自然に浮かぶ日本の風物詩。この時季になるとスーパーやコンビニでもお盆のグッズが並びますから、仏教的な信仰を持たない方でも意識されることが多いものです。

戦後以来、我が国のライフスタイルも大きな変化がありましたから、お盆のかたちも昔と同じではありませんが、伝統儀礼や習俗を大切にされる家庭では自然に営まれています。ことに同じお盆でも新盆(にいぼん・初めて迎えるお盆)を大切にされる方が多いようです。つい最近まで身近に生活していた方が冥界に旅立たれて間がないために、想いがつのってのことですから素直な情愛の発露といえましょう。

今年は9軒のお宅に新盆の供養にうかがいました。皆さま故人への想いを仏前にお供えになり、ご一緒に法華経要品を読誦、お焼香、唱題とお勤めいたし、ご家族の故人への想いがかたちに調えられた新盆供養でした。心で思っていることは、言葉に出し、かたちや振る舞いをとおして他者に伝わります。身・口・意(しんくい)の三業(さんごう)相即が大切といわれるゆえんです。

9軒のうち、3軒のご家庭は今年新たに仏縁を結ばれた方々です。お参りの前には仏壇に法華本門の御本尊をご安置。最近の仏壇は住宅事情に合わせて小ぶりなものが多く、曼陀羅本尊を御安置申し上げるのも難しかったのですが無事に納まりました。
それぞれのお宅には故人を偲ぶ親しい家族が集い、私がお渡しした法華経要品に皆さま目を通され、静かにお題目をお唱え頂きました。
故人のために初めて仏壇や仏具を安置したり、供物をそなえたりということのようですから、わからないことがあるのも当然。また、数珠をかけたり、お経本に目を通したりということもぎこちなく初々しいものでした。新盆の御回向を申し上げた後、故人のためにもご自分のためにも、仏縁を大切にして折々に御本尊様に法華経とお題目を唱えられるようお勧めした次第です。

相武山 山主

2020年08月29日

お経参りを作務に変更

妙法院では毎年6月から9月頃にかけて檀信徒宅に「お経参り」をしています。私は布教所開創当時からお盆経のかたちに習って各家庭のご本尊様に参詣してきました。年に一度はご信徒宅の仏壇にお参りして、ご家族みなさまの信行増進と日々の平安を祈念し、各家先祖と有縁精霊への追善ご回向を申し上げています。
お盆の時季に関わらず期間を長めにとってのお参りなので「お盆経」といわずに、「お経参り」と称しています。ご家庭によっては「故人の命日にお参りしてほしい」と希望されることもありますので、その希望にそってお参りすることもあります。

かつては僧侶が檀家さんのお宅にうかがうのは夏の風情の一つでしたが、最近は目にすることが少なくなってきたように思います。「仏教離れ・お寺離れ」がこのようなところにも影をおとしているようです。妙法院でも時間をつくって毎年40~50軒ほどお参りさせて頂いていましたが、近年は日程の都合などから20~30軒ほどになっていました。お経参りはご信徒と親しく言葉を交わすことのできる佳い機会ですから、これからも大切にしたいと考えています。

今年の夏は弟子の純興師(四日市市慧光院住職)の応援も得て、少しでも多くのお経参りをしようと企画していましたが、コロナ禍のために例年よりもわずかなお経参りとなってしまいました。純興師には7月と8月にそれぞれ一週間ほどの時間を用意して頂いていたので、かねてからの希望であった境内樹木の剪定、伐採、搬出の作務に急遽変更してもらいました。

裏庭の樹木の伐採、墓苑周囲や永代供養墓久遠廟の西側にある緑地の伐採、雑木林の伐採とそれぞれ搬出の作業です。純興師と興厳房と非力な私の3人の作務でしたが、7月と8月の二回、軽トラック山盛り8台の作業を行い、かなり境内がすっきりとしました。7月の下旬は明けぬ梅雨空での作務、8月下旬は猛暑のなかでの作務でした。
みどり豊かなことは有り難くすばらしいことですが、それなりに管理の労力が必要になるのですからよくできたものです。ここにも「プラスがあればマイナスがある」という摂理がよく理解されます。

連日猛暑の中、コロナ禍を心配することなくお経参りができるようになることを仏天に祈っています。

相武山 山主

2020年08月29日

8月のお盆

コロナ禍の上に猛暑が続き、今年の「8月お盆」はいろいろと厳しい環境でのお参りとなりました。今年は例年よりも早い10日頃から墓苑へのお参り、永代供養墓久遠廟や樹木葬墓地にお参りされる方の姿が見受けられました。
本当に三々五々といった感じで、お盆明けの16日まで朝の8時頃から夕方の4時頃まで家族ずれで自由にお参りされていました。皆さん強い日差しのもと、マスクをされてのお参りですからしんどそうにも見えましたが、汗をぬぐいながら墓前に香華をささげて静かに祈る姿はまさにお盆のお参り。
供養をお受けになるご先祖や故精霊もきっと悦んで居られることでしょう。

檀信徒皆さま参集のお盆法要は三密に配慮しての執行。今年は13日の宗祖御報恩講、15日の戦没者法要、16日の月遅れ盂蘭盆法要と3回に分けてのお盆供養といたしました。それぞれに10名~20名ほどのご参詣でしたが、如法(にょほう)に献膳・読経・焼香・唱題とお勤めし、願い出の御塔婆を建立して懇ろにご回向を申し上げました。

【法要後の法話】
一生成仏抄
「都(すべ)て一代八万の聖教、三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず。然(しか)れば仏教を習ふといへども、心性(しんしょう)を観(かん)ぜざれば全く生死(しょうじ)を離るる事なきなり。若(も)し心外に道を求めて万行万善を修せんは、譬(たと)へば貧窮(びんぐ)の人、日夜に隣の財(たから)を計(かぞ)へたれども、半銭の得分もなきが如し。
然れば天台の釈の中には『若し心を観ぜざれば重罪滅せず』とて、若し心を観ぜざれば、無量の苦行となると判ぜり。故にかくの如きの人をば仏法を学して外道(げどう)となると恥ずかしめられたり。ー 略 ー
又衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土(じょうど)と云(い)ひ穢土(えど)と云ふも土に二つの隔(へだ)てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生(しゅじょう)と云ふも仏と云ふも亦(また)此の如し。迷ふ時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬へば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明(むみょう)の迷心(めいしん)は磨かざる鏡なり。是(こ)れを磨かば必ず法性(ほっしょう)真如(しんにょ)の明鏡と成るべし。深く信心を発(おこ)して、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是れをみがくとは云ふなり」を拝読。

日蓮大聖人の遺された御書(御遺文)は相当数にのぼりますが、真筆(しんぴつ)が遺されていたり直弟子の写しがあるものなど、たしかに宗祖の筆と認められる御書と、明らかに後人の筆とされる偽撰(ぎせん)御書、さらに真偽(しんぎ)未決(みけつ)として研究途上の御書に三分類されます。
日蓮教学の論文では真蹟御書を中心にしなければその主張はほとんど評価されませんが、宗祖の教えに大きく違えていなければ真偽未決御書や偽撰書も信仰の手引きとして用いられることもあります。

盂蘭盆会で拝読した上記の一生成仏抄は偽撰とされている御書ですが、信仰の手引きとして解説いたしました。
初めのポイント
「仏教を習ふといへども、心性(しんしょう)を観(かん)ぜざれば全く生死(しょうじ)を離るる事なきなり」。
仏教の教えを学んだとしても自らの心をしっかりと見つめることができなければ、生死(仏教では迷い悩み苦しみのこと)から離脱することはできません。
次のポイント
「浄土(じょうど)と云(い)ひ穢土(えど)と云ふも土に二つの隔(へだ)てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生(しゅじょう)と云ふも仏と云ふも亦(また)此の如し」。
諸仏菩薩の住む浄土も煩悩にむしばまれた衆生が住む穢土も、けっして別々の世界ではなく、私たちの心の善悪の営みによって浄土にも穢土にもなるのです。また、迷うときは衆生であり、その衆生も深く仏法を受持すれば仏となるのです。衆生と仏についても全く別々の存在ではなく迷悟の異なりによるのです。
結びに
「一念無明(むみょう)の迷心(めいしん)は磨かざる鏡なり。是(こ)れを磨かば必ず法性(ほっしょう)真如(しんにょ)の明鏡と成るべし。深く信心を発(おこ)して、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是れをみがくとは云ふなり」
自らの心にあらゆるものの真実を映し出すためには、南無妙法蓮華経のお題目を唱えて心を常に磨くことの大切さをお伝えしました。

参詣の方々には盂蘭盆御書(真蹟)の冒頭部分をプリントしてお渡ししました。手元にプリントがあればいつでも御書にふれて日蓮大聖人の教えにまみえることができるからです。

ご参詣ご苦労様でした。

 

相武山 山主

 

2020年08月28日

護持と伝承の大切さ

今年の梅雨は長く感じましたが、8月1日「関東地方も梅雨が明けた模様」と気象庁が報じると、その後は全国で猛暑が続きました。8月の猛暑日の記録も更新されるというほどですから、酷暑の夏といっても過言ではなく、熱中症で倒れる方も少なくなかったようです。その上、コロナ禍による常時マスク着用を余儀なくされていますから、体感的には限界に近い暑さのように感じました。

当山では毎月1日は「お経日」。私たちにとっては、月の初日に菩提寺に参詣し法華経と日蓮大聖人の教えを燈として一月の精進をお誓いする月例法要です。
1日のお経日は13日の御講(日蓮大聖人御報恩講)と倶にご信心の篤い檀信徒が大切にしています。毎月お参りをされる方は現在十数名でしょうか。およそ40年近く続けている方も居られます。

今月は8月のお経日に合わせて御虫払法要を執り行いました。例年4月28日の立宗会と倶に執り行っている大切な法要ですが、今年はコロナ禍のために延期としていたものです。御虫払法要は妙法院所蔵の曼陀羅本尊などのお風入れと虫払いを行う法要。ご宝物を護り伝えることは仏弟子の務めであり、日蓮法華宗の教えと信仰を認識する法要となります。3日前からご宝物を内陣にご奉掲。午後1時からの法要は本堂の三方を開け放ち三密に注意して奉修しました。

コロナ禍の状況下ですが8名の信徒が参詣。仏祖三宝尊に香華をささげ、厳かに法華経要品を読誦、自我偈を訓読申し上げました。太鼓に合わせての唱題のなか、参詣者は内陣に進み、合掌してご宝物を内拝。如法に御報恩申し上げ、仏法の護持に努めることを誓願いたしました。

法要後には御奉掲の曼荼羅本尊と御影画像の説明。次に「現代に日蓮大聖人の仏法と日興上人の信仰を継承できたのは先師先達の護法の志によるものであり、私たちも仏道における護持と伝承の大切さを認識して精進しよう」とお伝えしました。

法華経の結経である『観普賢菩薩行法経』には
「この大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来(にょらい)を出生(しゅっしょう)する種なり。この経を持(たも)つ者は、すなわち仏身(ぶっしん)を持(たも)ち、すなわち仏事を行ずるなり。まさに知るべし。この人はすなわちこれ諸仏の使わす所なり。諸仏世尊(せそん)の衣に覆われ、諸仏如来の真実の法の子なり。汝は大乗を行じて法種(ほうしゅ)を断(た)たざれ」と説かれています。

この経文は法華経信仰者へのメッセージ。ここでは「法華経は御仏を出生する法種であり、法華経を信受する者は大乗を行じて法種を断つことがないように」と教えられています。この経文を繰り返し拝読して仏法護持の使命を感得したいものです。
先月の26日に続いてこの日も午後2時20分から櫻井さんの畑でブルーベリー狩りを楽しみました。

相武山 山主

2020年08月27日

清掃作務とブルーベリー狩り

26日(日)は境内清掃作務に汗を流し、その後、ブルーベリー狩りを皆さんと楽しみました。
梅雨が明けそうもない横浜。前日までも雨が降り続き、朝方も時折雨がぱらついていましたが、天気予報では間もなく雨も上がり、曇り空から青空ものぞくということでしたので、問い合わせをいただいた方々には「予定どおり境内清掃作務とブルーベリー狩りを行います」とお伝えしました。

すばらしい予報の的中でした。9時頃には雨もすっかり上がり、曇り空からやがて青空が広がって陽が射してきました。作務は三師塔前と境内路と駐車場の草取り、境内のアジサイや雑草の刈り取り撤去、墓苑両サイドの雑草撤去。9時半頃から11時過ぎまでみんなで汗を流しました。伐採した樹木と刈った草は70リットルの袋で22袋、寂静庵の前はゴミ袋でいっぱいになってしまいました。

11時半からはお待ちかねのブルーベリー狩りです。当山からブルーベリー畑までは徒歩2分。ブルーベリーを栽培され企画にご協力いただく櫻井さんも、朝から「今日はどうされますか・・・」と気にかけておられましたが楽しいひと時を持つことができました。

畑の入り口で手を消毒し、櫻井さんにワンコインをお渡ししてブルーベリー収穫のパックをいただくと、たわわに実ったブルーベリーは目の前です。櫻井さんからは「二種類のブルーベリーを楽しむことができます。たくさん食べて美味しいブルーベリーをパックいっぱい詰めてください」というアドバイス。

参加者はパック片手にまずは味見。皆さん笑顔でしっかりいただきながら味の選定です。ひととおり味見した後はこぼれんばかりにパックに詰めていました。今年は日照時間が少なかったにもかかわらず、とても美味しいブルーベリーが収穫できました。

その後、当山にもどり本堂前で落合さん手作りのスイカをみんなでいただき談笑。しかし、スイカを頬張っているうちに空模様が怪しくなってきました。曇り空がさらに暗くなるとポツリポツリと小雨が降ってきたのです。皆さん「今日は何という絶妙な天気でしょう」と驚いていましたが、天候のあやに感謝して散会となりました。

例年7月最後の日曜日は「わらべ会 夏のつどい」を開催していましたが、今年はコロナ禍のために残念ながら中止となりました。来年はコロナ禍が収束して子どもたちの笑い声がこだまするわらべ会が開かれることを祈っています。

相武山 山主

2020年07月29日

蝉の初鳴き

6月11日に梅雨入りした横浜では40日以上も長雨が続いています。九州地方ほどのひどい豪雨災害となっていないのは幸いですが、梅雨入り以来ほとんどお日さまを見ないこともあり、梅雨空を見上げてついつい「早く梅雨が明けないかな~」と愚痴も出てきます。

そんな22日、夏の風物詩である蝉の初鳴きを聞きました。「まだ梅雨も明けていないのに・・・」と思いながら、「蝉には蝉の都合があるんだろうな・・・」などと勝手にうなずいていました。もちろんあの猛暑をあおるような喧しい鳴き声ではなく、数も少ないのかか細い鳴き声です。

自然界の営みは元来人智を越えているものですが、それでも人類の叡智の積み重ねによって知り得た理(ことわり)もたくさんあります。したがって、想像とはちがう営みにふれると「なぜ・・・」と思うことが少なくありません。それは四季折々の草花や木花の開花、虫や鳥などの動きについて、「例年ならこうだよな~」という勝手な先入観があるからでしょう。よく考えてみれば自然の営みは毎年まったく同じということは無く、その年その年で微妙に異なりがあるものです。

梅雨の長雨のなかで蝉の初鳴きを耳にして、ふと「なぜ今・・・」と思ったのも、梅雨が明けた夏らしい暑さのなかで蝉は鳴いているというイメージが先行していたためかもしれません。何ごとも思い込みと一方的な断定には注意が必要のようです。

蝉の初鳴きに少し遅れて24日の夜にはささやかに虫が鳴き始めました。これまた「もう虫の音が・・・」という感じですが、私たちのコロナ禍の不安と混乱の世相にはお構いなく、虫たちには虫たちの理(ことわり)にしたがった自然の営みがあるようです。大乗仏教では森羅三千のすべての営みを妙法の理(ことわり)として尊重し、自らの人生に活かすことを教えています。

相武山 山主

2020年07月26日

日曜法話会を再開

当山では檀信徒の皆さまに3月下旬から参詣の自粛をお願いしてきましたが、7月からは三密の対策を講じながら法要・行事への参詣を再開。12日の日曜日には4月から中止していた日曜法話会を開催しました。法話会は「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経と日蓮大聖人の教えにふれる」を趣旨に平成23年3月から開始し今年で10年目を迎えました。

毎年1月から11月まで11回にわたって開く法話会には檀信徒の皆さまばかりでなく、地域タウン紙の広報により一般の方々も参加聴聞されています。今年の梅雨は雨の降らない日はないという横浜ですが12日は幸いにも曇り空。久々の法話会にも15名の方お出でになりました。

いつものようにレジュメに沿っての法話。はじめに法話会では世相をテーマとする理由を「仏教は現実直視」「あらゆる事物事象は私たちと無縁ではない」「自分が現象をどのように観ているかが大切」「起こる現象はすべて学びの対象」と解説。

次に今月のテーマである「今を生きる」について。コロナ禍によって我が国ばかりでなく世界中が不安と混乱のなかにありますが、多くの人が静かな自省の時間が得られたことも事実。このような時にこそ自らの存在の有様をみつめ、与えられた今をどのように認識すべきかを考える事が必要。「今を生きるとは自らに与えられた環境を受容し、そこを基盤に自分らしい人生を歩むことである」と説明。

『人は皆、過去からやって来て、今を生き、未来へと歩みを進める存在。今の自分の在りようが過去をおさめ、未来の果報を定める』『過去ばかりにこだわる人、未来ばかりを夢見る人がいる。それぞれ自由だが「今を直視する」ことなくして真の安らぎはない。』ことをお伝えしました。

世の中には啓発本があふれていますが、より佳い今を歩むためには仏教の叡智を学ぶことも有益。素朴な原始仏典から以下ダンマパダの数節を紹介しました。
☆「まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実に達する」
☆「一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と称讃とに動じない」
☆「たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである」
☆「善をなすのを急げ。悪を心から退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ」
☆「沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない」
☆「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない」
☆「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ」
☆「みずから自分を励ませ」
☆「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ」
等々。

また、末法の法華経の行者である日蓮大聖人の教えを以下の御書から紹介。
☆『一切の事は時による事に候か。春は花、秋は月と申す事も時なり』(上野殿御返事)
☆『夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。ー 略 ー 彼の 時鳥は春ををくり、鶏鳥は暁をまつ。畜生すらなをもかくのごとし。何に況や、仏法を修行せんに時を糾さざるべしや』(撰時抄)
☆『仏法には賢げなる様なる人なれども、時に依り機に依り国に依り先 後の弘通に依る事を弁へざれば、身心を苦しめて修行すれども験なき事なり』(下山御消息)
等々

最後に「あらゆる現象は縁起によって生起し変化してやむことはない。変化をおそれることなく可能性を信じて前向きに生きる。コロナ禍からも多くの学びを得よう」とお伝えして法話を結びました。
来月の法話会は16日(日)午前11時からの開催を予定しています。

相武山 山主

2020年07月25日

タロー安らかに

7月19日(日)午後、本堂前のサクラの下からいつも妙法院を見守ってくれていたタローが仏さまの元に静かに旅立ちました。タローは甲斐犬特有の強い面構えでしたが、とても気持ちが優しく愛くるしい存在でした。

食欲旺盛でいつも元気いっぱいのタローでしたが、今年の正月前後から不調を来たし、1月から3月末までなじみの獣医師さんに度々お世話になりました。先生にはさまざまな手だてを講じて頂きましたが、4月には消化器系の腫瘍が原因ではないかという結論に至り、「手術もできますが・・・」とのことなので、タローの生命力に任せることにしました。

1月の末と3月の中頃には「もう危ない・・・」という状況が何度もあり、とても心配したのですが、驚くことに4月末頃から眼に力が入るようになり食欲も出てきました。元気な頃と比べるのは酷ですが、食いしん坊のタローですから「食べることは生きること」の言葉どおり、体調不良時の頼りないすがたに比べれば、2ヶ月ほどは足取りも割としっかりとしていました。

足下はおぼつかないながらもしばらくは安定していたタローですが、2~3日前から食欲が衰えて元気がなくなってきましたから、先生から診察治療時に伝えられた「犬の病気の場合、突然に亡くなる時もありますから・・・」という言葉が蘇ってきました。旅立つ前日は軽い散歩はしたものの夕食はまったくうけつけませんでした。そして当日、朝から小屋の前に横になって動かなくなりました。

今年の横浜の梅雨は晴れ間の記憶がないほど雨続きでしたが、この日は天気予報に反して朝から曇り空に時折日が射す天気。サクラの木の前に朝からむしろを敷き、タローにゆったりと横になってもらいました。この日は日曜日には珍しく外出の法務はなく、ご信徒3家族のお参りがあるだけでしたので、さわやかな風が吹くなか、家族のみんながタローと静かなお別れの時をもつことができました。

タローは7年半ほど前にご信徒の戸田さんからしばらくお預かりし、その後、平成27年深秋から私たちの一員に加わりました。人懐こいタローは参詣される多くの方にかわいがられていました。もちろん番犬としても大活躍、野生化したアライグマも数回撃退してくれました。

不思議なご縁に導かれて妙法院にやって来たタロー。とても愛らしい存在でした。法華経の道場である妙法院をお守りする役目を担ったのですから、きっと仏さまの御照覧にあずかり安らかな冥福であることでしょう。
タローありがとう。

相武山 山主

2020年07月24日