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相武山 妙法寺 ブログ

夏季法門研修会

7月24日(日)午後1時から夏季法門研修会を開催しました。行事や法要の法話ではなく、法華経と日蓮大聖人の教えをじっくりと学ぶのが研修会の目的。妙法院では春夏秋冬の四季に開催し、それぞれ小憩を挟んで3時間ほど集中しての修学です。


昨春からは宗祖誕生800年を記念して正信会から発刊された「現代語訳法華経要品」を読み進めています。それぞれの研修会では「法華経の成立とその内容、インド・中国・日本三国の仏教史、法華経と日蓮教学、日興門流の法華経観」などを概観しながら、法華経の中心的思想と位置づけられる方便品を現代語訳で学びました。

私たちは日頃方便品の読誦は「唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相」と十如是までですが、方便品はその後、かなりの長さにわたって経典が続きます。宗開両祖の時代から近代まで「世雄偈」と称して読誦されてきました。現代でも丁寧に読誦されている僧俗が居られます。

十如是までは略開三顕一として略(ほぼ)三乗を開いて一乗を顕すことが説かれ、世雄偈では広く三乗を開いて一乗を顕すことが説かれています。そこには仏の出現の目的である「一大事因縁と四仏知見」が説かれ「三乗方便・一乗真実」が説かれています。仏さまはさまざまに教えを説かれますが、導く教えと修行の果得に差別があるのではなく、一仏乗としてすべての衆生を差別なく平等に救済されることが真の目的であることが示されるのです。

難しいことは置きまして、今回の夏季研修会では前回からの続きを読み進め、方便品のすべてを読了することができました。現代語に訳されていますから読むことはけっして難しくありませんが、易しい言葉の奥には大乗仏教の広く深い教えがこめられています。参加者の皆さんと丁寧に法華経の教えを学ぶ機会となりました。

日蓮大聖人の仏法は広範にわたりますが、所詮は「南無妙法蓮華経のお題目を受持する一行」に尽きます。しかし、教えを分に応じて学ぶように努めれば、その修学は修行に通じさらに信を深めることとなり、人生に生きがいと安心(あんじん)を与え、来世へのたしかな功徳を積むことになります。
これからも法門研修会を継続してまいりますので皆さまご参加ください。

相武山 山主

2022年07月30日

鎌倉の歴史を散策

妙法院では日蓮大聖人ゆかりの鎌倉に隣接していることから、開創当時より折々に鎌倉の歴史と宗祖の御聖跡をたずねる鎌倉散策を行ってきました。10数年前からは鎌倉の歴史と文化に造詣が深い酒井俊克さんの案内で「鎌倉歴史散策の会」を開催しています。

コロナ禍ではありましたが、昨年も12月5日、「鎌倉から龍ノ口」までを散策。テーマは「龍口法難750年を偲んで」。宗祖の龍ノ口までの歩みを少しでも実感しようと、由比ヶ浜から御霊神社、極楽寺から七里ヶ浜、腰越から龍ノ口まで、初冬の冷たい小雨の中を3時間半ほど散策。皆無言で行軍のような雰囲気もありましたが、途中で酒井さんから宗祖御在世の鎌倉の様相をうかがい、厳しく険しい環境にひるむことなく法華弘通に精励された宗祖と門下僧俗をお偲びしました。

今年は12月4日、昨年の氷雨とは打って変わって、清々しい青空のもと鎌倉駅から三カ所の鎌倉幕府跡を経て十二所までを快適に散策。今年のテーマは明年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」を先取りして鎌倉幕府ゆかりの地の探訪。

参加者は例年にならって定刻の9時半に鎌倉駅西口時計台に集合。住職と酒井さんの挨拶から散策を開始。鎌倉の中心となる八幡宮の段葛前ではその由来を聞き、段葛北端西側にあった和田義盛邸(鎌倉殿十三人の一人)から若宮幕府跡へ。

続いて北条得宗家の邸跡などの説明をうけ北条執権家の邸跡である宝戒寺へ。ここから北に上り筋替橋へ、筋替橋は当時の交通の要衝。その北側一帯は三浦一族の邸跡(三浦義澄は十三人の一人)。今回の散策はここより東に歩みを進めます。はじめに八田知家(十三人の一人)邸跡と大蔵幕府跡の説明を受け、二代執権北条義時(十三人の一人)邸跡から頼朝に重用された文覚の邸跡へ。

その後、鎌倉の三大寺社の一つ頼朝創建の勝長寿院(俗称大御堂)跡を遠望して、室町時代の関東管領を担った上杉諸家の邸跡から報国寺へ。ここでは酒井さんより関東管領などの解説をうけました。続いて足利家ゆかりの浄妙寺と足利公方邸跡へ。ここでも足利家の概要と鎌倉公方、古河公方などについての解説がありました。

ここまでの散策時間は2時間ほど、暑くも寒くもない快適な散策日よりで、参加者皆さんの足取りも軽やかでした。十二所入り口に位置する明王院を見学して頼朝の重臣梶原景時(十三人の一人)邸跡を望み、三代将軍実朝の創建した大慈寺(俗称新御堂)跡を確認。続いて頼朝の側近となって守護地頭の設置など幕府創建に貢献した大江広元(十三人の一人)邸跡をうかがって最後の見学地は光触寺。

光触寺は鎌倉時代の一遍を開基とする時宗の寺院。この地は金沢の六浦湊と鎌倉を結ぶ朝比奈切通にあります。仁治ニ年(1241)に工事が着手されたと記録がある朝夷奈切通は、鎌倉幕府が六浦と鎌倉を結ぶ幹線道路(六浦道)。金沢・六浦は風浪を防ぐ良港だったため、鎌倉幕府の外港として物流の拠点となり、六浦や釜利谷で製塩が始まるとこの道を通って鎌倉に塩が運ばれたことから塩の道ともよばれていたそうです。朝比奈の切通しの解説で今回の散策は終了。散策時間は約3時間。散歩計によればこの日の歩数は約14000歩でした。
皆さんお疲れ様でした。

相武山 山主

2021年12月27日

秋季法門研修会(下)

《釈尊とその教団》
秋季研修会の後半は大乗仏教と法華経の概要解説。
はじめに「インド仏教史における大乗仏教概観」。仏教は紀元前5~6世紀、釈尊(ゴータマ・ブッダ)によって創始された宗教。釈尊は普遍の真理を探求し解脱して覚者となりました。その説かれた法理は仏陀の教説として広く流布し人々の心のともしびとなったのです。釈尊は帰依すべきものとして「三宝(仏、法、僧)」を説き、自らの仏教を護り伝える組織として仏教教団(僧団)を構成しました。僧団は出家した僧侶と尼僧によって構成され、釈尊の教えを伝承する基礎となりました。

釈尊の教えはその入滅後、摩訶迦葉を中心にまとめられ(結集)「経」として伝承されました。また、出家教団の規則として「律」が成立することになります。その後、経や律の解釈として「論」が展開さることになります。
教団は釈尊滅後100年~200年に根本分裂を起こします。保守的な教団とされる上座部と進歩的な教団とされる大衆部に分裂したのです。この分裂以前を原始仏教の時代と呼び、その後を部派仏教の時代とよぶことが現代(今のところ)では通説となっています。
根本分裂後紀元前1世紀頃までに20ほどの部派に分裂したといわれています。

《大乗仏教の誕生》
釈尊滅後、北部インドからインド全域、さらに周辺の国々に仏教は広く流布して行きます。マウリア朝のアショーカ王による仏教信仰が有名ですが、広範な伝播と倶に出家僧団による仏教研究も深く精緻なものになって行きます。
大乗仏教誕生のいわれについては、部派仏教(大衆部系)からの誕生、仏塔信仰の在家集団らの誕生など諸説有りますが、紀元前1世紀頃から大乗仏教運動が興ったといわれています。
その担い手は部派仏教の一部を小乗として批判、自らを大乗と称しました。その批判は僧団が「学問仏教、出家僧院仏教、権威主義・・・」に陥っているというもので、「あらゆる人々の救済を願う釈尊の教えから乖離しているのではないか」というものです。彼らは部派仏教とも共存しつつ、伝統的保守的な仏教を批判し、やがて大乗仏教運動を展開して行きます。

《大乗仏教の展開》
大乗仏教の担い手は膨大な大乗経典を創出し、多数の仏、多数の菩薩、他方の仏土を創出しました。大乗経典は約9世紀わたって創作され、初期大乗経典(紀元前1世紀~紀元後3世紀頃)としては「般若経」「法華経」「維摩経」「無量寿経」「阿弥陀経」「華厳経」等々。中期大乗経典(紀元後4世紀頃~)としては「解深密経」など唯識系経典、「勝鬘経」、「大乗涅槃経」などの如来蔵系経典があり、後期大乗経典(紀元後7世紀頃~)としては「大日経」「金剛頂経」などの密教系経典があります。

少し整理するとインド仏教は「原始仏教・部派仏教・大乗仏教」に分類することが可能。原始仏教と部派仏教を厳密に区別することは難しく、部派仏教と大乗仏教が併存していたことも事実。原始経典は釈尊の教えを部派が伝持。また、大乗経典は仏教運動の中から創作された経典ですから、「大乗非仏説」として批判されてもいます。しかし、大乗経典の素材は釈尊の生涯とその思想であり、原始経典に提示されながら軽視された釈尊の思想を再興したと評価されてもいます。

歴史を重視しないインドの特徴もあり、インド仏教の歴史は直線的な思考では捉えられません。インド仏教の研究は大学などを中心に現在も研究中。インド仏教における大乗仏教は原典の発掘などからも注目されていることをお伝えしました。

《大乗仏教の精華「法華経」》
法華経の成立は紀元前1世紀~紀元後1世紀といわれています。法華経の梵名は「サッダルマプンダリーカ・スートラ」。サンスクリット原典は「ネパール本、ギルギット(カシミール)本、中央アジア(西域)本」三種の系統があります。法華経の翻訳は「漢訳、チベット語訳、西夏語訳、古代トルコ語、満州語、安南語、蒙古語、英語訳、フランス語訳、日本語訳・・・」など。
法華経の経題については、サンスクリット原典から「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」とすることが「仏の智慧の開顕と仏の存在とその出現」という意味において佳いのではないかとの所見を述べました。

法華経の漢訳には三種が伝わっています。西晋の竺法護(230年代)「正法華経十巻」。 姚秦の鳩摩羅什(344~413、350~409)「妙法蓮華経七巻」。隋の闍那崛多(523~605)・達摩笈多(?~619)共訳「添品妙法蓮華経七巻」です。最も有名で現代でも多くの信仰者や研究者に指示されているは鳩摩羅什訳の妙法蓮華経です。私たち法華信仰の根本に関わるところから鳩摩羅什について概略を解説(スペースの都合上ここでは割愛)。

次に梵本漢訳に異同があることもお伝えしました。提婆達多品は「正法華経、添品妙法蓮華経」では見宝塔品に包摂(27品)。「妙法蓮華経」でも当初欠、(27品)後に加増。薬草喩品の後半部分が妙法蓮華経にだけ欠如。嘱累品が「妙法蓮華経」では第22に在るが、「正法華経、添品妙法蓮華経」では経末に在る等々。経典は時の経過と各地に流伝する中で改変増広されて行くことがあることを説明。

《法華経の特色と思想》
法華経の普遍性と永遠性。
「すべての仏の根源に法華経が存在している。日月燈明仏(序品)、大通智勝仏(化城喩品)、威音王仏(常不軽菩薩品)が法華経を説く」などから。
一乗思想と絶対の平等
「方便品では一仏乗を説いて二乗の成仏を認める。すべての衆生が差別なく平等に成仏できることを提示。法華経が絶対平等の思想であることを示す。常不軽菩薩品では『われは深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等は皆、菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べし』と。すべての人々を未来の仏として尊敬するという菩薩道の実践」これらのことから「一乗思想は教えの統一をはかったもの」との指摘があることを紹介。
ニヒリズムの超克
「二乗に成仏の記別を与え菩薩道を歩むよう教示したことは、ニヒリズムを超越したものであり、バラモン教、ヒンドゥー教などの輪廻思想からの脱却を意味する。現世を嫌わず菩薩道実践の世界と考え、現実世界での活動に大きな意味があることを教えている」。
仏の永遠性
如来寿量品では「他の大乗仏典と異なり、歴史上の釈尊を中心にすえ、仏の寿命が永遠であることを説く。釈尊は霊鷲山で常に説法教化、信仰者の前に釈尊は現前する。十方分身仏の参集(見宝塔品)に諸仏の統一を観る」。
以上、法華経の特色と思想を概観して秋季法門研修会は終了。(おわり)

相武山 山主

2021年11月29日

秋季法門研修会(中)

《法華宗と日蓮宗》
研修会では宗名についても所見を述べました。
現代では日蓮門下の教団を日蓮宗と呼ぶことが一般的となっています。しかし、日蓮大聖人ご自身は日蓮宗と名乗られたことはなく、自らの宗旨を「法華宗」と称しておられました。したがって上代では日蓮の諸門流は「法華宗」を自称していたのです。但し、天台宗も法華宗と称していましたから、そのちがいを示すため「日蓮法華宗」との名乗りもありました。

日蓮宗との呼称は「日蓮の教え、日蓮の信仰、日蓮を信ずる人々・・・」としてわかりやすいのは事実で、中世室町の頃より広まり、徳川幕藩体制下の仏教教団対策と民衆統治の施策の中で一般化したようです。仏教諸宗派はその時代の為政者によって大きな影響を受けますから、宗名などにも戦後まで変遷があったのが事実です。それでも、宗祖の御意志を継承するとして現在も法華宗を名乗る教団は少なくありません。ちなみに、現在は日蓮正宗を名乗る富士日興門流もかつては「法華宗日興門流、法華宗富士門流」と称していたのです。

妙法院は法華宗日興門流本来の教えと信仰を護り伝える寺院として開創されました。現在日興門流を名乗る教団や寺院は多数ありますが、本来の教えや信仰、化法や化義、行儀や作法については不明の点もあれば、明らかに御在世・上代と異なるものもありますから、私たちはこれからも真摯に探求して行かねばならないと思っています。現代は権力者からの強制などはないのですから、名乗りも宗開両祖の在り方に準じて行きたいものです。

《日興門流の基本と特色》
研修会では日蓮大聖人の仏法を継承する日興門流の基本と特色について概要を解説。
その教学は「①日蓮大聖人はあらゆる人々を差別無く救済する大乗仏教こそ釈尊の真意であると覚悟された。②大乗仏教の根本をその精華である法華経に見いだされた。③中国隋の時代、法華経を中心に中国仏教をまとめられた天台大師、唐の時代に天台法華宗を復興された妙楽大師、日本天台宗の祖である伝教大師の教説を宗祖は継承された。④日蓮仏教は天台法華宗(中国と日本)の教学を基礎としている。⑤日蓮大聖人は末法思想を受容した上で教義を展開している。⑥法華経を精妙に理解された日蓮大聖人はその文底に末法下種の「事の一念三千の法門」が存在していることを明らかにした。⑦末法の荒凡夫に下種されるべきは「事の一念三千を内包する南無妙法蓮華経」と教示された。⑧十界互具の妙法曼荼羅を法華信仰の本尊として図顕された。⑨末法の衆生は妙法曼荼羅を本尊として南無妙法蓮華経の唱題受持によって成仏できると説いた。」ことがその基本であることをお伝えしました。

特色としては「名字即成仏、未断惑の成仏、下根下機の成仏、本因妙の成仏、小善成仏・・・」が説かれ、それらはすべて末法の下根下機、三毒強盛の荒凡夫を救済することが仏道の眼目であることを教えています。
また、「天台沙門を名乗った門下直弟たちと『日蓮が弟子』と名乗った日興上人。下根下機の成仏道を理解された日興上人(法華専修、法華経文底本因下種の妙法、末法の教主は法華経の行者、信行は御書を根本に、謗法厳戒、教弥実位弥下・・・)」について解説し、他門流とのちがいを述べました。

日蓮大聖人の信仰者も研究者もその教えを学ぶためには御書(日蓮遺文)を修学することになりますが、その御書を理解するためには法華経と天台教学が必須となります。近年、新興信徒団体の影響により法華経や天台教学が疎かになっている日興門流ですが、旧来、法華経と天台教学を学んでいたことは明らかです。法華経の梗概を学ぶことは日蓮仏教を理解する道であることをお伝えしました。

注意しなければならないこととしては「日蓮の思想的変遷」を認めるということを説明。日興門流では日蓮大聖人を末法の大導師と仰ぎ信仰の対象としますので、どうしても絶対無謬化しやすく、その思想性についても直線的に捉えようとするきらいがあります。しかし、日蓮教学研究者が指摘するように日蓮大聖人の思想性については、複線的柔軟な思想性が存在することも認識しなければならないのです。これは私の自省をこめてのものですが、より正しく日蓮大聖人を理解するために必要な視点であろうと考えています。(つづく)

相武山 山主

2021年11月29日

秋季法門研修会(上)

妙法院では一昨年から四季それぞれに法華宗日興門流の御法門をご信徒と倶に学ぶ研修会を開催しています。午後1時から4時頃まで時間をかけてじっくりと法華経と日蓮大聖人の教えに向き合う研修会です。日蓮大聖人の仏法は極まるところ「末法適時の妙法受持」であり、「一言摂尽の南無妙法蓮華経の唱題行」によって「信の決定こそ末法の成道」となります。

したがって、末法の荒凡夫である私たちは、仏縁を有り難いものとして日蓮大聖人の教えに帰依し、素直に信仰を深めて人生にその教えを活かすことができ、現当二世(現在世と未来世)に生きがいと悦びと安らぎが得られればそれで良いのです。
しかし、現代は誰もが文字を読むことができ、時間をかければ文章の内容を理解することも可能なのですから、その信仰を深めて確かなものにするためにも教えを学ぶことは大事だと思うのです。

当山での法門の研鑽は日蓮教学を学び修めるということですが、それは「仏教にはさまざまな教えと信仰が説かれているが、日蓮仏教はどのような構成と内容なのか。日蓮仏教は他宗教や他宗派とどのように異なっているのか。日蓮大聖人の教えと信仰はなぜ人生に必要なのか。なぜ自分は日蓮大聖人の教えに帰依しているのか・・・」という自分自身への問いかけへの回答を得ることになります。

2500年という悠久の歴史を有し、広範な地域に伝播した仏教は、とても広くて深いものですから、古稀を迎えたとはいえ愚鈍な私にとってはまだまだ緒についたばかりのように思えます。僧道の末席に身を置かせて頂いた者としては、世事に追われながら信仰を磨き仏法を護持されるご信徒よりも修行と修学に精励しなければならない立場なのですが、なかなか思うように御法門を会得できないことは恥じ入るばかりです。それでも常に意識を持って歩みを止めずに学び続ければ理解は深まるものと信じています。
《法華経と大乗仏教の概要を学ぶ》

この秋の法門研修会は10月31日(日)。当日は午前中に御会式を迎えるための境内堂宇の清掃でした。午後1時、参加者一同にて勤行唱題をお勤めし、行学二道の御聖訓を奉唱しての開会。
今回は春と夏の研修会に引き続いて「法華経要品 現代語訳(付)」がテキスト。日蓮大聖人の御生誕800年記念として正信会で発刊された「法華経要品 現代語訳(付)」を拝読しての解説を考えていましたが、前2回の研修会から、『要品の御文を説明する前に法華経や大乗仏教の概要について学ぶことが必要』ということに思いが至りました。そこで、秋の研修会は法華経と大乗仏教の概要を学ぶことにポイントを置き、レジメ「法華経方便品第二 現代語訳を読む」にそっての講義となりました。

日蓮大聖人の教えは天台教学と法華教学の上に構築されていますから、その教えをより良く理解しようと考えるならば、自ずと法華経や天台教学、大乗仏教の概要を識らなければなりません。しかし、「妙法の受持、信の一字の成道」を教示された日蓮門下諸門流では、法華最勝は自明のこととして専ら宗祖の御遺文が教学の中心となっています。これはこれで末法下種の仏法を伝承する日蓮門下としては当然のことといえます。
したがって、法華経や天台教学、大乗仏教の概要を学ぶことは専門的な修学を志す学僧や向学心のある信徒を除いては関心が寄せられないのが実状です。

宗開両祖の御在世はもちろんのこと、中世や近世の日蓮門下諸檀林の修学でも一般仏教や天台教学は必須の科目でした。私は現代でも、否、現代であるからこそ「妙法の受持、信の一字の成道」を護持する法華専修の信に立ち、宗祖の教えをより良く理解するために、法華経や大乗仏教の概要を学ぶことは有益だと思うのです。法華経や大乗仏教を知れば識るほど日蓮大聖人の教えにその魂魄が伝承されていることが理解されることでしょう。

他門流はともかく富士日興門流では日興上人のご教示として「当門流においては御抄を心肝に染め極理を師伝し、もしいとま有らば台家を聞くべきこと」と伝えられています。また、宗祖自ら「日蓮は広略をすてて肝要をこのむ」とお述べです。このような視点から仏教を広く学ぶことよりも狭く深く求める傾向があります。
どのようなものにもプラスとマイナスの二面性があるように、「広く浅く」と「狭く深く」も同様ではないでしょうか。私たちは日蓮の門弟ですから、宗祖の教えに準じて末法の下根下機を自覚し、末法の荒凡夫らしく「狭く深く妙法を受持」に努めて成道を願う信行を根本としますが、教えの由来となる大乗仏教と法華経、さらに天台教学についての基礎を修学することはお叱りを蒙るようなことではないと思うのです。(つづく)

相武山 山主

2021年11月28日

現代語の法華経要品を拝読(下)

妙法蓮華経要品「現代語訳」の拝読は前回拝読(3頁~19頁)の続きです。
「三昧から出られた釈尊が声聞衆の代表である舎利弗を相手に語り出します。『諸仏の智慧は甚深無量にして、其の智慧の門は解しがたく入りがたし。一切の声聞、辟支仏の知ること能わざる所なり。 ー略ー  われ、成仏してより已来、種種の因縁、種種の譬喩をもって広く言教を演べ、無数の方便をもって衆生を引導して、諸の著を離れしむ。 ー略ー 唯だ仏と仏のみ乃ち能く諸法の実相を究尽す』と述べ、十如是が説かれます。舎利弗は三度釈尊に説法を請い、釈尊が応えようとしたところ、五千人の増上慢の者が退座してしまいます。」を確認。

 此処では仏の広大深遠な智慧を「四無量心・四無礙弁(四無礙智・四無礙解ともいう)・十力・無所畏・禅定・解脱・三昧」と明らかにし、諸法の実相として示された十如是が説かれます。この十如是は法華経の梵本には「五つの間接疑問文」として存在しますが、鳩摩羅什は仏のみが覚られるという諸法の実相を大智度論を参考として十如是に表現されたといわれています。

それは「是くの如き相、是くの如き性、是くの如き体、是くの如き力、是くの如き作、是くの如き因、是くの如き縁、是かくの如き果、是くの如き報、是くの如き本末究竟等なり」です。しかし、その内容については詳細に語られてはいません。そのため、天台大師はこの法華経の「仏の覚られた諸法の実相」を円融三諦説や一念三千説として表現されたことをお伝えしました。

【一大事因縁のゆえに出現】
夏季研修会の拝読は『法華経要品現代語訳』の20頁から。「未だ得ざるを得たりと謂(おも)い、未だ証せざるを証せりと謂う」。増上慢の五千人が退座し、釈尊はいよいよ仏がこの世に出現した目的「一大事因縁」について語られます。その目的とは「四仏知見(開仏知見、示仏知見、悟仏知見、入仏知見)」です。
方便品では「諸仏世尊は、ただ一大事の因縁をもっての故に、世に出現したもう ー 略ー 諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得しめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏の知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏の知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏の知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。」と説かれます。

この経文はとても大切な言葉です。釈尊は「稀にしか仏の体得した妙法を説くことはない」とことわり、仏は唯一の大事な仕事である「衆生に仏知見を開き、示し、悟らせ、入らせる」ためにこの世に出現されたことを表明されたのです。
釈尊はここで「仏はすべての衆生を成仏させるためにこの世に出現した」ことを明らかにされました。法華経が出世の本懐といわれるゆえんです。

【開三顕一】
法華経の中心思想は方便品にあるといわれますが、それは仏の一大事の因縁が「すべての衆生に成仏への道を開くこと」であり、声聞や縁覚、菩薩としての教えと修行、さらにはその果得を説いた三乗の教えは方便であったと表明したことによります。

方便品では「仏、舎利弗に告げたまわく、「諸仏如来は、ただ、菩薩を教化したもう。諸の作す所あるは、常に一事のためなり。ただ仏の知見をもって、衆生に示し悟らせたまわんとなり。舎利弗。如来はただ、一仏乗をもっての故に、衆生のために法を説きたもう。余乗のもしは二、もしは三あることなし」 と説かれました。

三乗(声聞・縁覚・菩薩)の教え(方便)を開いて一仏乗の教え(真実)を顕したことから、古来この教えを「開三顕一」と呼んでいます。成仏への道に差別があるかのような三乗の教えは仮の教えであり、仏の真実の教えはすべての衆生が差別なく成仏を認める一仏乗であることを宣言されたものです。

続いて方便品では
「舎利弗。諸仏は、五濁の悪世に出でたもう。いわゆる劫濁と煩悩濁と衆生濁と見濁と命濁となり。かくのごとし。舎利弗。劫の濁乱の時には、衆生は垢重く、慳貪(けんどん)・嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏は方便力をもって、一仏乗において分別して三と説きたもう。舎利弗。もし、わが弟子にして、自ら阿羅漢・辟支仏(びゃくしぶつ)なりといわん者が、諸仏如来は、ただ菩薩のみを教化したもう事を聞かず、知らずんば、これ仏弟子に非ず、阿羅漢にも非ず、辟支仏にも非ず。」と三乗の教えに執着する弟子を誡めています。

五濁悪世に出現した仏はさまざまな方便をもって衆生を仏道に導きますが、真実は菩薩だけを導く一仏乗を説くことが目的であったことを述べ、仏弟子に一仏乗(法華経)を信受することを求めていることをお伝えしました。

結びは「舎利弗よ。そなたたちは心を一つにして信じ、理解して、仏の言葉をよく受持せよ。多くの仏たちの言葉には決して偽りはなく、それ以外に真実の教えなどは存在しない。ただ一仏乗の教えだけが真実である」と。を読み上げて今季の研修会の拝読は終了。

今回の研修会では『法華経要品(方便品)現代語訳』から「仏は諸法実相を如実知見」「仏は一大事因縁のゆえに出現」「一大事因縁とは四仏知見」「三乗方便一乗真実」「二乗作仏は一切衆生の成仏」などの大切な御法門を詳細にわたることはできませんでしたが学ぶことができました。改めてことわるまでもなく日蓮の門下として法華経を学ぶことは意義深いことです。参加聴講された方々も信行増進されたことでしょう。
富士日興門流では古来方便品世雄偈を勤行でも読誦していました。近年は時間に追われる世相にまぎれて読誦される方も少ないようです。しかし、内容はとても深いので私も毎日ではありませんが折節に読誦しています。

研修会は小憩をはさんで1時間40分の講義とその後30分の質疑応答で終了。10月31日の秋の研修会では続きを拝読の予定です。コロナ禍が収まり少しでも多くの方と法華経に親しみたいと願っています。

相武山 山主

2021年09月27日

現代語の法華経要品を拝読(上)

 8月最後の日曜日29日、未だコロナ禍は収まりませんが、草取り作務と夏季法門研修会を開催しました。午前10時半からの草取り作務には、奥田さん、熊木さん、阿部さん、安西さん、辻本さん、落合さん夫妻の7名の方にご協力頂きました。今回は本堂前から三師塔までの境内、駐車場と参道の草取りです。草取りには有り難い曇り空でしたがやはり仏道荘厳の汗がながれました。皆さんありがとうございました。

小憩の後、午後1時から夏季法門研修会。コロナ禍の自粛体制下ですから参加者は6名でした。はじめに仏道増進を祈念して皆さんと一緒に勤行・唱題。その後、4月に開催された春季法門研修会に続いて「法華経要品・現代語訳」(日蓮大聖人御生誕800年記念発刊)を拝読。
要品の拝読の前には法華経と仏典についての解説。私たち富士日興門流の信仰は「法華経と日蓮大聖人の教えを受持する」こと。日蓮大聖人・日興上人のご教示では、末法の衆生は下根下機の愚人であり、上根上機の賢人・聖人のように観念観法を修して仏道を成ずるのではなく、法華経の要法である南無妙法蓮華経のお題目を受持し、唱題行に励むことによって仏道を成ずることになります。

したがって信行の中心はあくまで「南無妙法蓮華経への揺るぎない信」の確立にありますが、その仏道は日蓮大聖人の遺された御書(御遺文)を学んで理解して行くことが常道です。御書は文書伝道や法要行事の折々に親しむことが多く、信仰の長い方であればたくさんのお言葉を覚えていらっしゃることでしょう。

しかし、日興門流では題目受持の一行に成道を見いだすことから、意外に法華経については学ぶ機会が少なく、その結構や概要を理解している信徒も少ないように思います。現代は宗開両祖の時代とは異なり法華経そのものを学ぶことが容易になっていますから、私は折にふれて法華経の概要を一緒に学んで行きたいと考えています。
法華経を語る時には大乗仏教についても言及しなければなりませんし、経典の成立やその展開についても説明が必要です。日頃から日曜法話会などでは仏教学の基礎としてそれらについて略述していますが、今回の研修会でも前回に続いて復習のかたちでお伝えしました。

インドで創作された経典はその伝播にしたがって各地の言語に翻訳され、我が国には漢訳(中国語訳)の経典となって伝わりました。当然、各宗派の依経もインドの経典から直接日本語に訳したものではなくすべて漢訳によるものです。漢訳経典はすでに長い歴史の上に宗教・思想・哲学を有する中国の人々に沿った経典ですから、格義仏教などといわれる場合もあり、必ずしもインド経典の原典直訳といえるものでもありません。

日本仏教の各宗派はこのような漢訳経典と中国仏教の展開の上に構築されているもので、これらのことは少し歴史を学べば誰もが知りうることです。また、明治時代になると我が国にも各宗派の教学とは異なるインド仏教を直接学ぶ「インド仏教学」が各大学などで研究されることになりました。この仏教学はアジアの植民地化をはかったヨーロッパ各国が、考古学、文献学、書誌学、宗教学、民俗学などの広範なフィールドから先行していましたが、現在、我が国でも各宗派独自の教学とは異なるかたちで仏教学が発展しています。

以上を略述し、現在、中国新疆ウイグル自治区に在る亀茲国の仏僧「鳩摩羅什(344~413)」は法華経を「妙法蓮華経」と27章立て(後に28章となる)で翻訳したこと。中国隋代の天台大師智顗(538~597)はこの妙法蓮華経を円教の中心にすえて釈尊仏教を判釈したこと。日蓮大聖人の仏法も妙法蓮華経と天台教学の上に展開されていることをお伝えしました。(つづく)

相武山 山主

2021年09月27日

春季法門研修会を開催

18日(日)午後1時からは春季法門研修会を開催。研修会には15名の信徒が参加聴講されました。はじめに参加者一同にて法門研鑽を祈念して勤行・唱題。その後、講義。
今回の研修会では日蓮大聖人御生誕800年を記念して正信会から発刊された「妙法蓮華経要品・現代語訳版」の拝読がテーマ。

研修会の開催にあたっては参加者一同にて『行学二道の御聖訓』を奉唱。行学二道の御聖訓というのは「諸法実相抄」の一節で、「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」との御文。この御書は真蹟遺文ではありませんが、仏道における信・行・学の大切さを述べたもので、日蓮門下の修行・修学の姿勢を自覚するために意味のあるお言葉です。
講義では妙法蓮華経要文を現代語訳で読み進めるために、「インドにおける仏典の成立、初期仏教から大乗仏教ヘの歴史、仏典の東漸と漢訳の歴史、鳩摩羅什と妙法蓮華経、天台法華思想と日蓮大聖人の仏法」について簡略に解説。

続いて、『月水御書』「法華経はいずれの品も左記に申しつるように愚かならねども、事に二十八品の中に優れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。去れば恒の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。又別に書き出だしてもあそばし候べく候。余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。寿量品・方便品をよみ候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」を拝読。

月水御書は大学三郎の女房にあてた御書と伝わりますが真偽未決の御書です。参考として御書システムの月水御書の解題から、宗祖が常の御所作(勤行)では方便品・寿量品を読誦することを教示されていたことをお伝えしました。
その後、方便品現代語訳「その時、世尊はゆったりとおごそかに冥想状態を解かれて、舎利弗に次のように告げられました。」から、増上慢の四衆五千人が退座する「彼らは座から退き、世尊もまた黙ったままで、それを制止されませんでした」までを丁寧に拝読。法華経迹門の要となる方便品の前段を親しく学びました。
拝読の続きは夏季法門研修会に行うことをご案内して2時間30分の研修会を終了。

相武山 山主

2021年04月30日

秋季法門研修会

13日(日)午後2時過ぎから秋季法門研修会を開催しました。この研修会は檀信徒の方より「日蓮大聖人の教えと信仰をより深く研鑽したい」という希望によって開かれたものです。日曜法話会や行事法要での法話では、宗祖の教えを深く求める時間が十分にとれないための要望ですが、真摯にご法門を探求されるご信徒の求道心の顕れです。これからも継続して倶に修学に努めて行きたいと思っています。

研修会の1時限目は当山執事の興厳師が担当。宗祖の教学の基礎とされる「五時八教判について」の講義。
はじめに「日蓮大聖人の教学は天台教学を基盤として構築されている。天台教学を学ぶことによって日蓮教学をより深く理解することができ、天台教学との相違が見えてくる。日蓮大聖人は五時判を図した『一代五時図(鶏図)』を認めて、門下育成のテキストに用いられていた」ことを解説。

続いて、教相判釈については「中国に招来された仏教典籍の教説の高低、優劣を、それが説かれた形式、方法、順序、内容などに基づいて判定し解釈すること。また、その結果として分類、体系化された教義をいう。略して、教判あるいは判教ともいう」と説明。
中国隋の時代に法華経をもって中国仏教を統一された天台大師は、「釈尊一代の化導を五時に分け、その教えを化法の四教、教化のあり方を化儀の四教とした」ことの概要を説明しました。

第2時限は私が「日興門流の教えと信仰」と題しての講義。今年の春、正信会のホームページに執筆した同名のテキストを中心に「宗祖は六老僧を選定されて法華弘通を委ねられたこと。宗祖の教えは遺された御書を中心に学び修得しなければならない。御書には真撰御書、真偽未決御書、偽書と存在していることを理解し、できるだけ真撰御書によって宗祖の教えを探求しなければならない。宗祖の教えは法華本門の教えであり、その成仏道は法華本門の本尊、法華本門の題目、法華本門の戒壇の三大秘法受持にある」ことをお伝えしました。

2時間20分の講義は瞬く間に終了。参加者からは「あっという間に時間が過ぎてしまいました・・・」との声を頂きました。向学心のあるご信徒がおられることは学僧である私たちにとってとてもうれしく励みにもなります。これからも法門研修会を重ねて行きたいと思っています。

相武山 山主

2020年09月29日

教えと信仰を学ぶ機会

恒例の東海正信連合会夏期研修会が18日と19日の両日、熱海市網代の松風苑で開催されました。この研修会は静岡と神奈川の僧俗が集い、皆んなで富士日興門流の法義と信仰を学ぶ機会です。今年も70名以上の方々が参集、梅雨のひととき宗開両祖の教えを真摯に学びました。

第1日目は開会式に引き続いて座間布教所三浦優道師による「重須殿女房御返事」の御書講義。第2時限目は当山執事興厳房による「中国天台宗について」の講義。第3時限目は本妙院執事坂口興妙師による「ものの見え方」のお話でした。講義の後には皆なで勤行をつとめ夕刻は親睦の夕べ。教えを学ぶとともに同志僧俗が忌憚なく語り合えるのも一泊研修会の良いところ、皆さんにぎやかに語りあっていました。

第2日目は御殿場市妙報院の永山郁道師による「心身の健康」と題してのお話。第2時限目は私が「六老僧について」と題して講義。講義の内容は『宗祖の御遷化と門流の誕生』についてでした。基本資料としては日興上人による「宗祖御遷化記録と墓所可守番帳事」です。

講義では初めに「宗風の刷新と祖道の恢復」を目的とする正信覚醒運動の実践にあたって最も大切なことは、宗開両祖の教えを真摯に求め学ぶことであり、そのためには労を惜しまず確かな資料を丁寧にひもといてゆくことの大事さをのべました。その後、宗祖御遷化記録と墓所可守番帳事を一つひとつ解説し、『宗祖は御入滅にあたって六老僧を選定され、たしかな御遺言をなされている。各門流で主張される相承書などには疑義があること。門流の正統性は法義と信仰の護持伝承によって判断されるべきであること』をお伝えしました。

「六老僧の教線とその系譜」については時間がなくなり次回にお話することとなりましたが、これからも研修会などの機会を活かして御信徒とともに宗開両祖の教えと信仰を学んで行きたいと思っています。より多くの御信徒が学びの庭に座すことを願って・・・。

相武山 山主

 

2017年06月30日