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相武山 妙法寺 ブログ

続・平等の思想

戻り梅雨も明け、猛暑の再来となった7月24日(日)、午前11時から7月度の日曜法話会を開催しました。
今月のテーマは「続・平等の思想」ー平等という視点から見える世界ー。『安倍元首相の暗殺、追悼と検証』でした。

レジメと参考資料として「安倍氏襲撃の新聞報道」「山上容疑者の手紙」「統一教会について」を配布。
はじめに当山の日曜法話会の趣旨を述べ、「世相に想う」では仏教が現実直視という立場であり、世相をないがしろにすることなく学びの機会としていることをお伝えしました。

はじめに安倍元首相暗殺事件の概要について。
「令和4年7月8日(金)午前11時31分頃、奈良市内の近畿日本鉄道大和西大寺駅付近で演説中の安倍晋三元首相が銃殺された。
参議院選挙の応援演説中の安倍元首相にマスクとメガネを掛けた山上徹也容疑者(41)が背後から手製の銃を持って近づき、約7メートルから1発目、さらに接近して3秒後、約5メートルから2発目を発砲。2発目が安倍元首相の致命傷となった。」ことを説明。
白昼万人注視の中で元首相が演説中に暴漢に襲撃され死亡したのです。

事件の概要を知ると「平和ボケか、油断か」と警備の有り様に疑問と不信を覚えます。誰もが「要人の警護は一体どうなっているのか?なぜ守れなかったのか?」と思ったことでしょう。警備関係者の猛省と問題の究明が早急に求められます。
安倍氏は医療関係者の懸命な努力にもかかわらず17時3分に死亡が確認。67歳の生涯でした。

次に「襲撃の動機」について。
犯行現場で取り押さえられ逮捕された山上徹也容疑者は「母親が宗教法人『世界平和統一家庭連合』(旧統一教会)に入って生活が苦しくなったことでこの宗教法人を恨む気持ちがあり、安倍元首相がこの宗教法人とつながりがあると思って狙った」という趣旨の供述をしていることを説明。
ここで参考資料として提供した「山上容疑者の手紙」を読み上げて、犯行直前の容疑者の心中を紹介しました。

続いて戦前からの内閣総理大臣経験者の暗殺事件は伊藤博文から斎藤実までの7件。また、西園寺公望や若槻禮次郎など数件の暗殺未遂事件を解説。戦後の総理経験者の暗殺は安倍氏がはじめて。戦後他殺された国会議員は安倍氏で5名。私は幼い頃の日本社会党の浅沼稲次郎が右翼の少年に刺殺された事件を鮮明に覚えているので、その事件についても紹介しました。

《テロと暗殺について》
参議院選挙渦中での襲撃事件のため「民主主義への挑戦・・・」と表現する人々も多いが、容疑者の供述によれば一般的な政治思想的なテロではなく、カルト教団「旧統一教会」への怨恨による犯行のようです。
日本大百科全書によればテロリズムとは「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」とされています。

したがって、今回の事件は社会に不安や恐怖を与えたが、報道によると容疑者の動機は「宗教的・金銭的・家庭的問題による個人的な怨念を晴らそう」としたものとみなされ、海外メディアでは今回の事件をこぞって暗殺『assassination(アサシネーション』という表現で報道していることを紹介。

《カルト集団とカルト教団》
今回の暗殺事件はカルト教団として知られる「旧統一教会への怨念」からの犯行と伝えられていますが未だ断定はできません。また、旧統一教会と安倍氏の関係、旧統一教会と自民党との関係もまだよくわかっていません。国民の一人としては時間を掛けてしっかりと事件の全容解明をしてほしいと願っています。

政治と宗教の関係は古今東西密接なつながりがあることは歴史の示すとおり。現代でも宗教団体が政治家を利用したり、政治家が宗教団体に支援を要請することは珍しことではありません。今回の事件も政治と宗教の根の深さと複雑さを教えているといっても過言ではなく、闇はかなり深いように思えます。

旧統一教会は印鑑や壺などを高額で売りつける霊感商法や驚くような高額献金を要求することで悪名が高かったのですが、彼らばかりでなくカルト集団やカルト教団が広く我が国にも跋扈しているというのは驚きです。オウム真理教で懲りたはずなのにカルトの餌食となる人は跡を絶たず、マインドコントロールされて人生や家庭が崩壊しても構わないというのですから嘆かわしいことです。

■カルト集団について
「偽装勧誘や強制による勧誘、団体内部での暴力や性的虐待、構成委員に対する経済的な収奪、組織的な詐欺商法などそして刑事事件となるような犯罪行為に及んだ集団、及んでいる集団こそ教育機関が対策を講ずべきカルトとなる。 このような活動を行う団体は何も宗教団体に限らない。」と解説。

■カルト教団
「過激で異端的な新興宗教集団をさす。英語圏では正統的キリスト教を「教会」church、その分派を「セクト」sectとよぶのに対し、異端的または異教的小集団を「カルト」とよぶ。ただしヨーロッパでは、カルトの同義語はセクトである。
カルトに分類される宗教集団は、現代では世界中に多数存在し、アメリカでは2000以上ある。カルトが世界的に社会問題となっているのは、強制的な勧誘によって入信させたり、多額の寄付金を強要したりして人権を侵害し、さまざまな反社会的行動をする教団が少なくないからである。反社会的宗教集団としてのカルトには、いくつか共通の特徴がある。

その特徴とは、第一に導師やグルとよばれたり、自ら救世主を名のるカリスマ的教祖をもつこと。第二にマインドコントロールといわれる心理操作のさまざまなテクニックを用いて入信させること。それは洗脳の一種で、信徒は自覚のないまま、主義、考え方、世界観を根本的に変えてしまう。第三に外部世界から隔離された場所で共同生活を営み、閉鎖的集団を形成し、そこからしばしば反社会的行動に走る。第四に神秘的、魔術的な儀礼を実践し、教義は異端的、シンクレティズム(宗教的折衷主義)的である。」ことを解説。

カルトの実態として
1969年にアメリカでチャールズ・マンソン率いるファミリーと名のる小集団が女優のシャロン・テートを殺した「シャロン・テート事件」。
1978年に南アメリカのガイアナの密林で、信徒900人以上が集団自殺する「人民寺院事件」。
1993年にはアメリカで「ブランチ・デビディアン」というカルトの信徒が建物に立てこもり、FBIと銃撃戦を繰り広げ、70人が集団自殺を遂げた事件。
日本では1986年(昭和61)に「真理の友教会」の女性信徒7人が、教祖の死を追って集団自殺を遂げる事件。
1995年(平成7)3月にはオウム真理教(2000年アレフ、2003年アーレフ、2008年Aleph(アレフ)に改称)の信徒による「地下鉄サリン事件」。を紹介。

インターネットの『知恵蔵』では
「過激な新興宗教団体。全米で2000以上あり、「救世主」を名乗る教祖を頂いた熱狂的信者の閉鎖的集団、という性格が強い。マインド・コントロールによる信者獲得、教祖への絶対服従などで、様々な社会問題、家庭問題を引き起こす。」との指摘を紹介。

■統一教会とは
今回の事件を引き起こした原因とされる旧統一教会については、詳しく説明するつもりでしたが、法話会の時間内では読み進めることができなくなったため、参考資料として配付した「世界平和統一家庭連合」を自宅でお読み頂くようお願いしました。
カルト教団の問題はとても深刻です。
個人や家庭の崩壊、社会の混乱をもたらします。ヨガで人を集め、いかさまの神秘主義を吹聴して、多くの人を惑わしたオウム真理教の事件をけっして忘れてはならないとお伝えしました。

安倍氏ヘの追悼については「追悼することと業績を検証考察することは矛盾しない。非業の死を哀悼しつつ、その政治の功罪を検証することが真の追悼。安倍氏の政治的功罪や影響は感情を離れて冷静に検証する。何ごともコインの裏表。すべてに正と負、プラスとマイナスが存在する」。
国葬については「決定が拙速に過ぎないか?しっかりと検討された決定なのか?法的根拠に則っているか?追悼の押しつけと強制は民主主義なじまない。現代に一人の政治家を英雄視したり神聖視したりするのは疑問」との私見を述べました。

結びに学ぶべきこととして
「安倍氏暗殺という世相に潜む個人と社会の問題を直視する(社会の中でさまざまな苦悩にあえぐ人々を皆で救済するべき、その道を切り拓く必要性、いつでも誰でも駆け込めるシステムを設置)。安倍氏の政治的功罪をしっかりと検証する(安倍氏の政治を肯定するか否定するかという二者択一ではなく、認めるべき功績は冷静に評価し、悪しき政策や言動は適切に批判する)。追悼の押しつけや強制は権威主義への道であり、民主主義と平等の思想にはなじまない。公人としての政治家、私人としての個人、一定の差別はあるが、平等の思想を忘れてはならない(安倍氏の死、赤木さんの死、今このときに考えるべき)。カルト教団への警戒を怠らない。宗教や信仰、スピリチュアルについて、正しい知識を学ぶ(怪しいところには近づかない)。平等の思想はカリスマや権威主義、呪術や神秘主義を否定し、不変の道理へと導く仏教の智慧。平等の思想を涵養して人間性を高め安らかな人生を歩もう」とお伝えして法話会は終了。

相武山 山主

2022年07月29日

三毒を見つめて

2月20日(日)は2月度の日曜法話会。仏教に親しむのテーマは「三毒をみつめて ー己の心を涵養し穏やかに生きるー」でした。1月の法話会同様、はじめて参加された方もおられましたので、当山の日曜法話会の趣旨について「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」と述べ、仏教寺院の役割についても説明。法話会が「世相に想う」と「仏教に親しむ」の2部構成であることもお伝えしました。

「世相に想う」については『仏教は現実直視であること。神秘主義や不思議世界には遊ばない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。大乗仏教の精華である法華経では諸法は実相と説かれている』ことなどから『起こる事象はすべて学びの対象であり、眼前の事物・事象を自分がどのように観ているかを認識し、自らの人生に活かそうとしているかが問われている』と述べました。

【世相に想う】
今月の世相に想うのテーマは「北京オリンピックとウクライナ危機 ー 平和の祭典と戦争の危機 ー」でした。2月4日からの冬季オリンピック北京大会はこの日が最終日。大会前のボイコット騒動について、中国の人権問題や一方的な海洋進出などを理由に欧米の一部の国が政府関係者の出席を見送ったこと等を紹介。

ネガティブな話題の次は「アスリートの活躍」のお話。『資質に恵まれたアスリートが技量を磨き上げて大会に参加している。近年はメンタルトレーニングも強化されている。スポーツは勝ち負けが明確に判定される厳しい世界。勝っても負けてもすばらしい感動が残るのがスポーツ。人生のすべてを大会に集中させるアスリートのすがたは観る者を感動させる。アスリートは自己と他者との真剣勝負。試合後のアスリートの語ることばに深く感動する。新しくフレッシュな選手の登場と熟練ベテラン選手との世代交代。大会にふれた誰もがアスリートから元気をもらったのでは。』等々所感を述べました。
問題も・・・としては『納得できない判定もある。不信と不安のドーピング問題。大会の政治利用など・・・』についても言及しました。

続いて「ロシア軍がウクライナに侵攻か」では、ロシア軍の動き「2021年秋頃からロシア軍がウクライナ国境地域に大規模展開。すでに2014年ロシアはウクライナ領のクリミヤ半島を併合した。ロシアの現状と思惑・・・。ウクライナのEU、NATO加入を阻止したいロシア」について解説。

次に世界各国が戦争回避に動いていることを紹介。『世界中の政治経済活動に大きな影を落としている。世界のあらゆる活動は私たちの生活(衣食住)にも影響している。今回の騒動も個人や国のエゴが表面化したもの。戦争に勝者はいない。残酷で悲惨な事態を回避するためみんなで世界の平和を祈ろう』と所感をお伝えしました。

【仏教に親しむ】
第2部の仏教に親しむのテーマは「三毒をみつめて ー己れの心を涵養し穏やかに生きるー」でした。はじめに「仏教の目的は苦悩からの解脱」であることを解説。釈尊の成道伝『ウダーナ(原始仏典)』から
「実に世尊は、仏眼で世間を見渡すと、衆生が貪欲によっても生じ、瞋恚によっても生じ、愚痴によっても生じる多くの苦悩によって悩まされ、多くの熱悩によって焼かれているのを見た」。
「比丘たちよ、常に自らの心を観察すべきである。すなわち、この心は長い間貪欲によって、瞋恚によって、愚痴によって汚されていると。比丘たちよ、心が汚れているから、衆生は汚れる。心が浄まるから、衆生は浄まる」。を紹介。

苦悩の源は三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)にあり、仏教では常に自らの心を観察して心の汚れを浄め、解脱の安らぎを得ることが目的であることを述べました。

【三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)】
次に「煩悩」は仏教で説く衆生の身心を煩わし悩ます精神作用の総称であり、この煩悩の基本的なものとして、「三毒」「三垢」「三不善根」といわれる貪(執着)・瞋(憎悪)・痴(無知)があることを解説。

三毒とは人間のもつ根元的な3つの欲望のこと。自分の好むものをむさぼり求める貪欲,自分の思うようにならぬことに怒りを覚える瞋恚,ものごとに的確な理科と判断が下せずに迷い惑う愚痴のことです。仏教では煩悩のゆえに業が展開し,煩悩と業とが原因となって生(苦的生存)が結果するという生死輪廻の因果が説かれます。

「貪欲」は『欲しいものなどに対して執着する心のこと。貪欲は煩悩の中でもあらゆる苦しみにつながる根源的なもの。むさぼる対象は衣食住から学歴や就職、地位や名誉、恋愛や人情などの精神世界まで人生の万般に及ぶ。欲するものへの執着が強ければ強いほど得られぬ苦悩は辛く深い』。

「瞋恚」は『思うようにならぬことに怒りを覚えること。いかりの対象は家族や親族、友人や知人などの人間関係はもちろん、自身の置かれている環境や社会のシステム、さらには自分自身に向かうこともある。この怒りは自分の思うようにならないことによって生ずる。いかりは強いエネルギーを発し、時には自他共に破壊してしまうこともある(健康を害する)。自分の思い通りにならない事へのいかり、他者への妬みや憎しみの心をコントロールするための「アンガーマネジメント」も存在』。

「愚痴」は『真理を知らず、物事の理非の区別がつかないこと。ものごとの真理を学ぶことも認めることもなく、感情のコントロールもできずに愚かしい生き方をすること。生老病死という人生の変遷が理解できなかったり、環境や社会のありようや動きを理解できずに迷惑すること(諸行無常が理解できないなど)』。
と三毒について解説。

誰もが心に三毒を内在しており、その有り様をみつめて、制御することが安らぎへの道となることから『あらゆる物事に強く執着する心を捨離することができれば苦しみから解放される。仏教では「思い通りにならない事を苦しみ」という。人生は思うようにはならないことが多いのでさまざまな苦悩を味わう。仏教で説く「諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静」を理解できれば三毒を乗り越えることができる」とお伝えしました。

この後のスッタニパータの引文で法話会の時間はタイムオーバーとなり、次回に続編をお話しすることになりました。

相武山 山主

 

2022年02月27日

仏縁(善縁)にふれる『法華経は小善成仏』

世相に想うの後には「仏教に親しむ」の法話。
今月のテーマは「仏縁(善縁)にふれる『法華経は小善成仏』」です。
はじめに当山の帰依する法華経と大乗仏教についての解説。今までにもこの法話会において大乗仏教や法華経については語ってきましたが、日本の仏教を理解するためにも日蓮大聖人の教えを理解するためにも必須なので重ねてお伝えした次第。

仏教学者の三枝充悳氏(日本大百科全書)の「大乗仏教」解説を紹介。
大乗はサンスクリット語のマハーヤーナmahāyānaの訳語で、「多数の人々を乗せる広大な乗り物」の意。すなわち一切衆生(いっさいしゅじょう)の済度(さいど)を目ざす仏教という趣旨。
仏滅後数百年(紀元前後ごろ)インドにおこった新しい仏教運動は、それまでの諸部派に分かれて各自の教理体系を固めていたあり方を鋭く批判しつつ、幅広い諸活動を展開し、やがて新しい諸経典が成立するなかで、『般若経(はんにゃきょう)』以来この自称が確定した。
従来の出家者中心の仏教を一般民衆に開放し、在家(ざいけ)信者を主とする進歩的な考えの仏教徒の間からこの運動はおこり、異民族に支配されて混乱していた、当時の悲惨な社会状勢や、仏教遺跡のストゥーパ崇拝などとも関連が深い。
その最大の特徴は、現在多方仏(げんざいたほうぶつ)を認めて利他に向かう多くの菩薩(ぼさつ)をたて、また多くの大乗経典が生まれたことにある。3世紀以降インドに栄えたが、7世紀からは密教化が著しく、それは大乗よりも金剛乗(こんごうじょう)と称した。大乗仏教は、のち中国、日本など、またチベットに伝わり、その主流となる。
なお部派仏教に対する小乗(ヒーナヤーナ)の貶称(へんしょう)は、インドには顕著でなく、大乗仏教を根拠とした中国や日本で盛んであった。   []

続いてブリタニカ国際大百科事典 Mahāyāna Buddhismを紹介。
「1世紀頃に興った仏教の二大流派の一つ。古来の仏陀の教えを拡大し新しい解釈を加えた教派で,自分ひとりの悟りのためではなく,多くの人々を理想世界である彼岸に運ぶ大きなすぐれた乗物という意味で,みずからの立場を大乗仏教と呼んだ。
それ以前の釈迦の言行の伝承を中心とした原始仏教ならびに釈迦の法の注釈的研究を主とする保守派をいわゆる小乗仏教と貶称したが,これは適当でないので,上座部仏教,部派仏教などと今日では呼ばれている。この伝統的な部派仏教がセイロン (現スリランカ) ,ビルマ (現ミャンマー) ,タイなど南方に伝播したのに対し,大乗仏教はチベット,中国,日本など北方へ伝わり今日にいたっている。
大乗仏教と部派仏教では,仏陀の本質のとらえ方と,仏教徒として目指す理想が異なる。部派は古来より釈迦すなわち仏陀を真実の師とするのに対し,大乗は仏陀を俗界を解脱した存在であるとして,釈迦はその超絶した天上の存在が地上に現れた仮の姿であると解釈する。
大乗からみれば,部派の目指す羅漢は限られた己の目標にすぎず,すべての仏教徒が目指すべき理想は,菩薩すなわち己の悟りを開くのをおいても利他のために奉仕する姿である。
したがって,菩薩の徳である憐れみこそ,古来の仏教が強く説いてきた知の徳と同じものであるとする。このような菩薩思想の利点は他に受入れられやすい柔軟性であり,その概念は中国と日本で信仰される浄土教にも伝わっている。今日に伝わるそのほかの大乗派としては,禅宗,日蓮宗,天台宗がある。大乗仏教の経典はおもにサンスクリット語で記されているが,原典が失われチベット語訳や中国語訳のみが伝わるものもある。」

【法華経に説かれる小善成仏】
大乗仏教の精華である法華経にはささやかな仏縁(小善)が成仏への道であると説かれています。それは「御経の文句を一つ唱える、塔(ストウーパ)や仏舎利を礼拝する、仏像を拝む、子どもが戯れに砂で塔をつくるまねをする、壁に爪で仏像を描く・・・」など、そのすべてが仏縁(善縁)であるとする法華経の大きな慈悲と救済を顕すものです。

法話会では以下「法華経方便品第二(現代語訳)」を解説しました。
「あるいは広大な野原の中で、土を積みあげて仏の霊廟を造り、さらには、子どもが戯れに、沙を集めて仏塔を作ったりする。このような人びとは、みなすでに仏に成る道を成就している。
ー 中 略 ー
壁などに色彩画で、数多くの福徳によって飾られる仏像を、自分で描いても、また誰かに描かせても、その人たちはみな、すでに仏に成る道を完成している。また、子どもが戯れの中で、草や木や筆で、あるいは指の爪先で、仏像を描いたりする。このような人たちは、次第に功徳を積み上げ、大いなる慈悲の心を具えて、みなすでに仏に成る道を成就している。
しかもこの人たちは、おのずから多くの菩薩たちに勇気を与え、はかりしれない多くの者たちを、悟りの世界へと導いている。
もしも誰かが、以上のように造られた供養塔や宝像・画像に対して、花や香、幢旛や天蓋を供えて、尊敬の心をもって供養し、もしくは、誰かに音楽を演奏させ、鼓を打ち、角笛や法螺貝を吹き、簫や笛、琴や琵琶などの弦楽器や、銅鑼などの多くの美しい音楽を奏でて供養し、あるいは歓喜の心をもって歌い、仏の徳を詩にして讃え、またそれが、ほんの小さな声であっても、その人たちはみなすでに仏に成る道を完成している。
ー 中 略 ー
もしも、誰かが散乱した心のままで、供養塔の中に入って、たった一声『南無仏』と称えたりする。その人たちは皆すでに仏に成る道を完成している。多くの過去の仏に従い、現在の仏に従い、また仏が入滅された後に、もしも、この教えを聞くことができた人たちは、すべて仏に成る道を成就している。」

これらの経文から法華経では「小さな善き縁を大切にして仏道を成就する」ことがわかります。人間の愚かさを認めつつ仏の道を実践することの尊さが説かれている法華経。あらゆる小善が仏道であると説く法華経の大らかな世界をお伝えしました。

最後に日蓮聖人のことばを紹介。
『衆生心身御書』
「つゆ(露)つもりて河となる、河つもりて大海となる、塵(ちり)つもり て山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事つもりて大事となる」
『顕謗法抄』
「後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし。一切の悪縁よりは悪知識を をそるべしとみえたり」
『四信五品抄』(現代語訳)
天台大師は「相似即の位に進んだ者は、次の世に生まれてもその得たものを忘れることはないが、名字即と観行即の位の場合は、次の世に行くと忘れてしまう者と忘れない者に分かれる。忘れてしまった者も善知識に値えば、前世で得たものを思い出すが、忘れない者が悪友に値えば、せっかく忘れなかったものを失ってしまう」と述べている。

むすびに「人生は出会いとその選択で決まる。人生には善縁と悪縁がある(互いに転ずることは可能)。善縁からは善知識、悪縁からは悪知識。現当二世(現世と未来世)に安穏の道を説く大乗仏教は最上の善縁。仏縁(善縁)にふれて人生を深く学ぼう。」と述べて法話会を終了。

2月の日曜法話会は20日(日)を予定しています。コロナ禍の沈静化を祈りながら皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2022年01月30日

12年目を迎えた日曜法話会

平成23年(2011)3月から開始した妙法院の日曜法話会も今年で12年目を迎えました。第1回目の法話会は東日本大震災発生直後の混乱の中での開催。その後、コロナ禍のために3ヶ月休会することはありましたが、毎年1月から11月まで開催を継続してきました。
法話会は「世相に想う」と「仏教に親しむ」の二部構成。折々の世相を大乗仏教的な視点から解説すると倶に、仏教に関するテーマを掲げて仏教と信仰についての所見をのべてきました。

法話会は「仏教に親しんで頂き、仏教と信仰を正しく理解して頂きたい」と願っての開催。一般に解放している法話会ですが、当山のホームページと年に一度のタウンニュース(保土ケ谷区、旭区、瀬谷区、大和市)でのささやかな広報ですからさほどの広がりはありませんが、少ないときは約15名ほど多くて約30名ほどの方が参加されます。参加者の内訳は檀信徒の方と一般の方が半々といったところです。

澄み渡る冬の青空が寒さを感じさせる23日は今年初めての日曜法話会。今回のテーマは「仏縁(善縁)にふれる『法華経は小善成仏』」。この日初参加という方も居られたので趣旨の説明から。
妙法院の法話会は『仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。大乗仏教の精華である法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい』が趣旨。法話会では『継続が肝要、仏教のおしえを地道に積み重ねて人生に活かしてほしい。仏道は求める姿勢が基本、生涯探究心を大切に。お寺の役割(僧俗修行の場、信仰を磨く場、仏教を学ぶ場、心を浄め癒す場、仏教や伝統や文化を護り伝える役割等々)を知って頂きたい』と申し上げました。

続いて法話会は世相を仏教の視点から観る「世相に想う」と仏教の教えと信仰を学ぶ「仏教に親しむ」の2部構成であることを解説。
なぜ世相か?では『釈尊の創始された仏教は現実直視が基本。神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。大乗仏教の精華『法華経』では諸法は実相と説く。起こる事象はすべて学びの対象。眼前の事物・事象を自分がどのように観ているかを認識し、自らの人生に活かすことが肝要』とお伝えしました。

【クリニック襲撃放火事件】
世相に想うのテーマは「地獄の心が引き起こす凶行」。
昨年末、大阪市北区で発生したクリニック襲撃放火事件を取り上げました。始めに事件の概要「12月17日、午前10時20分頃。大阪市北区曽根崎新地「堂島北ビル」(JR大阪駅から200mほど)の4階から出火。4階には心療内科『西梅田こころとからだのクリニック』の医師とスタッフ、患者26人が居た。火災の原因は放火。30分ほどで鎮火。27人が病院に搬送。うち25人が死亡。放火の容疑者も年末に死亡。死因はすべて一酸化炭素中毒(有毒ガス)。」を説明。

次に犯行の模様について「谷本盛雄容疑者(当時61)がクリニックの出入り口付近で持参のガソリンに火を付けた。院内の防犯カメラには、谷本容疑者が逃げ惑う患者らの前に立ち塞がって体当たりし、自ら炎の中に飛び込む姿も映されていた。多量のガソリンのほか、ナイフや催涙スプレーも持参していたことが判明」と解説。

また、襲撃された「西梅田こころとからだのクリニック」について『クリニックの院長は発達障害の診療で有名な西沢弘太郎氏(49)。クリニックはうつ病や発達障害に苦しむ人たちをサポートしていた。ビジネス街にあるため中高年の患者が多かった。午前中に診療があるのは火曜と金曜日だけ、働く人たちのために午後は夜10時まで開院していた』とメディアからの情報をお伝えしました。

その後、クリニックに通院していた田中俊也さんの声『決して上から目線でアドバイスせず謙虚で、とても丁寧に診療してくださる先生です。トラブルを起こすような人ではありません。なんで放火などされたのか……。私は旅行業界に勤めていたのですが、3年ほど前にパワハラを受けうつ病を発症。ずっと真っ暗闇の中を生きているような重症でした。先生は、そんな私の話を一所懸命聞いてくれ後、こう言ってくださいました。『休んでください。ゆっくりしてください』と。何もヤル気にならんない自分を情けないと思い、悩んでいた私は、その言葉にどれほど助けられたことか……。
私は『リワークプログラム』にも参加しましたが、同じように悩んでいる人が大勢いることを知って、気持ちが和らぎました。ムリに自分を奮い立たさなくてもエエのやな、とい
うことがわかった。本当に救われた。今の自分があるのは先生のおかげです。』を紹介。
クリニックと西沢医師の人柄をお伝えしました。

谷本容疑者については
「クリニックとの間にトラブルは見つかっていない。動機は不明」警察の捜査によれば「事件前の数年にわたって、交友関係のあった人物は見つからなかった。容疑者のスマートフォンには電話帳の登録は1件もなく、通話していたのはガス会社や電話会社のみで、交友関係を示す通話履歴はなかった。
また、事件の前、税金の滞納が理由で所有する住宅を一時期差し押さえられていた。口座の残高もゼロになり経済的に困窮していた。警察は谷本容疑者が社会から孤立する中で、多くの人を巻き添えにみずからも死のうとして事件を起こしたとみて捜査し、今後、書類送検する方針」とのNHKの報道を紹介。

今回に類似する近年の事件として「2019年7月、京都アニメーション放火事件」(京都市伏見区、アニメーション製作会社が襲撃放火され35名が死亡)。「2008年6月8日、秋葉原通り魔事件」(東京 秋葉原の歩行者天国にトラックが突っ込み通行人がはねられた。さらに次々に通行人がナイフで刺され7人が死亡、10人が重軽傷を負った)を解説。
私たち人間の心には愚劣で凶暴な性質が存在することを説明しました。

【地獄の心が引き起こす凶行(心の奥に潜む闇)】
以下、凶悪な事件から私たちの心の中に潜む地獄の心について仏教的視点からの私見をお伝えしました。
ここでは地獄を「深刻な悩みや苦しみ、辛い試練が繰り返し続く状態や境遇のこと」としましたが、デジタル大辞泉では、仏教・キリスト教・イスラム教・状態や境遇・火山・奈落・私娼の7項目にわたって解説されていることを紹介。ブリタニカ国際大百科事典と百科事典マイペディアによる地獄の説明も紹介しました。

次に大乗仏教では「十界(人間が備えている十の仏教的世界)」が説かれていることを解説。「十界(じっかい)とは迷いと悟りの世界を 10種の領域に分けたもの。すなわち,地獄界,餓鬼界,畜生界,阿修羅界,人間界,天上界という6種の迷いの世界と,声聞界,縁覚界,菩薩界,仏界という4種の悟りの世界との総称」(ブリタニカ国際大百科事典)。

世界大百科事典には「仏教の世界観の一つ。精神的な生き方を,迷いより悟りへの10層に分け,最下の地獄より餓鬼,畜生,修羅,人間,天上,声聞,縁覚,菩薩,仏へと上昇するもの。はじめの六つが凡夫,後の四つが聖者の世界で,凡夫はそれらの六つを輪廻転生するから,六道,または六趣とよぶ。また最後の仏界以外は,なお迷いを免れないから,十界にそれぞれ十界の権実があるとして,十界互具を説くことがあり,天台の一念三千説の根拠となる。十界修行【柳田 聖山】」と解説されていることを紹介。

仏教では地獄を悪業(あくごう)の因縁によって堕ちる苦しみの世界といいますが、燃え盛る煩悩によって苦悩にあえぐ精神世界とも観るのです。地獄とは良識や理性、教養や人徳のかけらもなく、三毒(貪とん・瞋じん・癡ち)に支配された迷妄の世界ということができます。このような地獄の心がすべての人々に内在していると大乗仏教では説かれています。

私たちに内在する性質は縁によって導き出されますから、仏教では善き縁を大切にて悪しき縁からは離別することを教えています。大阪の凶悪事件も一人の人間の地獄の心が引き起こしたものです。容疑者はさまざま因縁によって地獄のような極悪の心を増長して凶行に及んだのでしょう。実に悲しいことです。犠牲となられた方々のご冥福を祈り凶行が繰り返されないことを祈るばかりです。

世相から学ぶべきこととして「すべての人間に十界の心が備わっている。人間は誰もが善心も悪心も備えている。人間は善行も悪行も行える。人間は善人にも悪人にもなる。善悪の行為はいずれも外縁によって導き出される。煩悩の源は三毒(貪り、瞋恚、愚痴)であることを知識する。人生の安らぎと幸いを得るためには善縁を求めること。」をお伝えしました。

相武山 山主

2022年01月29日

小事つもりて大事となる(下)

世相に続いてテーマの「小事が大切《小事つもりて大事となる》」のお話。物ごとは結果ばかりに注目されやすいものですが、その経緯が大切なことは改めていうまでもありません。その経緯を小事と観ることについての私の所見です。

小事というのは取るにたらない事柄、ささいな事柄ということで、一般的には「小事もいいかげんにすると大事になるから、疎 かにしてはいけない」という意味で用いられますが、ここではささやかなことを大切に積み重ねてこそ、大きな安らぎを得ることができることを解説。

はじめに日蓮大聖人のことば『衆生心身御書〔C1・建治三年頃〕』より、「つゆ(露)つもりて河となる、河つもりて大海となる、塵つもりて山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事つもりて大事となる」を拝読。
宗祖は法華経の行者として法難重畳、波瀾万丈のダイナミックな人生であったがために、ややもすると豪快なご性格と想像されがちですが、「小事つもりて大事となる」と、ものごとの本質を語っていることを紹介。小さなことでも疎かにすることなく、佳い習慣を大切にしてこそより心豊かな人生が歩めることを宗祖のお言葉から解説。

此処では鎌倉仏教の最後に登場して今日まで日本仏教界に大きな影響を与えた宗祖についても略述。平安時代前期仏教の二大潮流である天台宗と真言宗の存在にふれながら、平安末期には浄土教や禅宗が大きく台頭してきた史実を紹介。その上で、大乗仏教の精華を法華経に見いだされ、天台教学の上に独自の御法門を建立された意義を説明。その宗祖が小事を大切されたことを述べました。

私たちにとって大切にすべき小事とは「常日頃の心のはたらきであり、言葉の使い方や立ち居振る舞いであり、臨終のその時まで人間としての成長を諦めないこと。愚痴や不平や不満を離れて応分の瑞々しい人生をあゆむこと」と所見を述べ、また「家族、親族、友人、仲間、隣人、そして社会や自然にまでも想いをいたし、それぞれにささやかな心遣いを忘れることなく、細やかな配慮と小さな実践の継続が、やがては豊かさや安らぎ、悦びに通じている」ことをお伝えしました。

人生において小事を大切にすることは古今東西変わらぬことですから名言は数多くありますが、中国の古諺とガンジーの言葉を紹介しました。
『漢書』からは「少を聚めて多を成し、小を積みて巨に致す」。
『張華「励志詩」』からは「高きは下きを以て基とし、洪は繊に由りて起こる」。
『林逋「省心録」』からは「足らざるを知る者は学を好み、下問を恥ずる者は自ら満す」。
『陶淵明「雑詩」』からは「古人寸陰を惜しむ、此れを念えば人をして懼れしむ」。
『曹操「短歌行」』からは「山高きを厭わず、海深きを厭わず」。

ガンジーの言葉
「重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。」
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」

むすびには日蓮大聖人の『撰時抄』
「衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱へ伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」を紹介。

仏道において一足飛びはありません。どのように資質や環境に恵まれたとしても、一歩一歩着実にあゆみを積み重ねることが求められます。また、その道には疎かにしても良いという小事はありません。眼前の課題にはすべて意味があるとの心得が大切なのです。
これは仏道だけに限りません。法華経では仏道は人生そのものと教えていますから、人生においても小事が大事に至る道であることをお伝えして今年最後の日曜法話会は終了。

今年も無事に1月より11回の日曜法話会を開催することができました。コロナ禍の世相にもかかわらず、参加聴聞頂いた皆さま方々には厚く御礼申し上げます。明年も1月23日(日)から毎月1度の開催を予定しています。
皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2021年12月29日

小事つもりて大事となる(上)

今年最後の日曜法話会は11月14日でした。今回の法話会に初参加という方はおられませんでしたが、はじめに法話会の趣旨について「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」との念いで開催していることを述べ、「仏道は求める姿勢が基本であり生涯探究心を大切にすること。仏道は継続しての学びとその教えを人生に活かすことが大切」であることをお伝えしました。

続いて仏教寺院の役割について「寺院は仏教を護り伝える道場。僧侶と信徒の修行・修学の場。僧俗が信仰心を磨く場。心を浄め癒やす場。文化や歴史や伝統習俗を伝える存在・・・」であることを解説。妙法院は法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝える法華の道場であり、社会に開かれた仏教寺院として前向きに活動していることをお伝えしました。

11月の法話会のテーマは「小事が大事。《小事つもりて大事となる》」。
テーマについて語る前には「世相について」。身近な世相の話題について仏教的視点からの所見を述べています。仏教は現実直視という姿勢であり、あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではなく、起こる事象はすべて学びの対象と考えるからです。

世相の話題は「「2021年衆議院選挙 雑感」でした。
去る10月31日に行われた衆議院選挙についての私見です。まず、当たり前のことながら衆議院選挙の基礎知識。衆議院議員の定数は465人(小選挙区289人、比例代表176人)。小選挙区は当選者1名。比例代表は政党の得票数に比例して選出。多くの人が疑問に思っていることに、小選挙区と比例代表への重複立候補が可能で、小選挙区で落選した候補者が比例区で復活当選するという事態が起こることがあります。
所詮、政治家自らが選挙制度を作っているのですから、より良い選挙制度というよりもそれぞれの利害得失が反映された選挙制度であることがわかります。やはり第三者による合理的な選挙システムが必要だと思います。

選挙の結果はすでに報道されているとおり。自民公明の与党が安定多数を得、野党は維新と国民が増加、立民と共産は減。私は選挙権を得てから一度も投票しなかったことはありませんが、我が国では選挙についての理解が低い方も多く、投票率の低さは常に話題になっていることを説明。

国民一人ひとりが主権者である民主主義国家では、選挙は政治を選択する大きな権利であり、その選択と投票は義務とさえいえるものです。政治は生活に直結しているものですが、その実感に乏しく認識が薄いことは民主主義にとって実に残念なことです。
時に『選びたい候補者や政党がない』という声も聞きますが、自分自身が直接立候補しない限りベストな人や政党はないのですから、そこはベターな選択、少しでも理解できる人物と政策を選ぶしかないと思うのです。棄権するということも一つの意思表示だと言われますが、一つでも二つでも私たちの生活に直結する政治が良くなる方向に意思表示する方が賢明との所見を述べました。

選挙の大切さをお伝えするために総務省のホームページから「選挙は国民の権利と義務」より《選挙の意義》を取り上げ、「『選挙』は、私たち一人ひとりのために。」「私たちは、家族や地域、学校や職場など、さまざまな場でくらしています。私たちの生活や社会をよくするためには、私たちの意見を反映させてくれる、代表者が必要であり、その代表者を決めるのが『選挙』なのです」を紹介。

そこで解説されている「みんなの代表、多数決、身近な選挙、憲法と選挙、選挙と政治、政治と国民」というポイントを読み上げて紹介し、民主主義にとっていかに選挙が大切であるかを一緒に学びました。
選挙の基礎的認識の啓蒙に続き、2021年総選挙の実施と結果について、日経新聞から二つのコラムを参照しながら以下のように私見を述べました。

①として「考える時間を与えない選挙」だったということ。9月3日、コロナ対策の不手際や様々な政権批判に対してほとんど説明しない対応などで、世論調査で不人気であった菅総理大臣が突然自民党総裁選挙不出馬を表明。
菅氏の退陣表明によって自民党政権が長期化してきた理由の一つに挙げられる「疑似政権交代イメージ」の総裁選挙が実施。総裁選は岸田氏が勝利。国会で総理に選出された岸田氏は任期満了間近にもかかわらず直ちに解散を宣言し総選挙となった。菅氏の不人気に油断していた野党も慌てたようだが、国民も過去の安倍・菅政権に対する冷静な検証をする時間が無かったと思う。
②として「投票率が低い」。今回の投票率は55.93%。国民の4分の1ほどの得票で政権が決まることになった。「投票しない国民に問題があるのは当然として、これで果たして民意は反映されているのか?政権は支持されたのか?」という指摘も至当である。
③として「政策の争点が見えにくい」。与野党倶にイメージ選挙の様相で具体的な政策が提示されたようには思えなかった。「本当に国民の日常生活を見て政策を練っているのだろうか?国際的な視野から日本の問題点を考えているのだろうか?ポピュリズムに流されていないか?」との疑問が湧いた。素人ながら政権選挙ならば政権の大綱を示し直近の課題と対策を具体的に提示して支持を求めるべきだと思う。
内政外交ともに厳しい現状である。「過去の検証と総括がなされないところに健全な未来はない」といわれている。選挙では与野党ともに未来について発言したが、安倍・菅政権の検証がなされ、その功罪が具体的に問われたのか?甚だ疑問。
④として「各政党の選挙協力は?」選挙では各政党の選挙協力が話題になった。与党は従来からの自民公明の選挙協力。野党は全国で野党統一候補としての選挙協力を行った。与党は従来からの効果を発揮したようだが、野党の結果は微妙なものとなって選挙協力の是非が検証されることになった。
⑤として「選挙は民主主義国家の主権者としての義務」。日頃から政治は自身の生活に直結するものとして関心を持ち、政治に対して自らの意見を持つように努めるべき。選挙では投票所に足を運び、政治への自らの意思を表明する。一人ひとりの投票は小事に思えるかもしれないが大事に至る行為。
以上5点について世相への所見をお伝えしました。

相武山 山主

2021年12月28日

大乗仏教のふるさとを想う

法話会のメインテーマは「大乗仏教のふるさとを想う 『アフガニスタンは大乗仏教ゆかりの地』でした。
 アフガニスタンは駐留米軍の撤退が大きく報じられるわりにはあまり知識されていない国ですから、はじめに予備知識としてアフガニスタンの簡単な説明。
「アフガニスタンは中央アジアと南アジアの交差点に位置する山岳地帯の内陸国。東と南にパキスタン、西にイラン、北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、北東に中国と国境を接している。面積は65万2,000平方キロメートルで、北部と南西部に平野部がある山岳国。首都は人口最大の都市のカーブル。人口は約3,900万人。そのほとんどがパシュトゥーン人、タジク人、ハザーラ人、ウズベク人などの民族。宗教はほとんどの国民がイスラム教」

《米軍のアフガン介入と撤退》
米国は2001年の米同時多発テロ後の同年10月、国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対する攻撃を開始。米軍は同政権を打倒し、民主政権の樹立を支援。米軍はその後もアフガニスタンに駐留を続け対テロ組織掃討作戦などを続けていましたが、米国内では長引く戦争に撤退を求める声が高まっていたことを解説。
すでにトランプ前大統領が撤退を決定していましたが、バイデン大統領も4月、米同時多発テロから20年の節目となる今年9月11日までに米軍をアフガニスタンから撤退させ、米国史上最長の戦争を終わらせると表明。その後8月31日までに米軍を撤退する方針を打ち出していました。

米軍撤退の動きを受けて、8月中旬にはタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧。米国が支援するアフガニスタン政府が突然政権を放棄したために、大混乱の中、米軍と関係各国は短期間での徹底を余儀なくされました。
米中央軍のマッケンジー司令官は8月30日夕、オンラインで記者会見し、アフガニスタンの首都カブールの国際空港で展開していた退避作戦が完了したと表明。米国東部時間30日午後3時29分(アフガニスタン時間30日午後11時59分)、最後の米軍輸送機C17が同空港を離陸。2001年9月11日の米同時多発テロをきっかけに始まった「米国史上最長の戦争」に終止符が打たれました。

アフガニスタンへの介入によって米兵や市民2461人が死亡、2万人が負傷しています。また、カブール空港で展開した退避作戦の結果について「政権崩壊前日の14日以降、米軍は米国市民6千人、アフガニスタン人や外国人7万3千人、合計7万9千人を国外に搬送。同盟国による搬送を合わせると12万3千人超を搬送。退避作戦最終盤の26日に過激派組織「イスラム国」支部組織の自爆テロで米軍兵士13人が死亡したことは残念」と米軍が発表したことを紹介しました。

《忘れられない中村哲医師》
アフガニスタンを語るとき、私たち日本人が忘れてならないのが中村哲医師。私は中村氏は大乗仏教の精神を実践された方として尊敬していますので、じっくり説明したかったのですが時間の都合上、参考資料を提供して読んで頂くこととしました。

《アフガニスタンと仏教》
時間は押してきましたが、ここから本題のアフガニスタンと仏教です。
アフガニスタンの領土は王国の興亡によって数千年にわたって変化し、文化的、宗教的な変化も多く見られます。地理的にはペルシアと南アジアの間に位置し、東西と南北のシルクロードに近接。交通の要衝として地域の歴史的、文化的な発展に大きな役割を果たした国です。

紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国の支配下にありましたが、紀元前4世紀にはギリシャのアレクサンドロス3世(大王)による東征下に置かれました。紀元前3世紀中頃、アフガニスタン北部からタジキスタン南部にかけてはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配しました。そのためこの地域にはヘレニズム文化が流入。仏教美術にも大きな影響を与えました。

1世紀以降、大月氏の立てたクシャーナ朝がこの地に栄えますと、ヘレニズム文化は影響力を失い、代わって南方のマウリヤ朝から流入したインド文化や仏教の影響が強く見られるようになります。アフガニスタンにおける仏教は一千年以上の長い歴史を持ち、大乗仏教の起源にまで遡ぼるといわれています。スキタイを含むパシュトゥーンの多くのイラン人は、イスラム教が伝わるまで仏教を信仰していました。バーミヤン遺跡などの多くの仏教遺跡は仏教文化が存在していたことを物語っています。

《ガンダーラ国と仏教》
ガンダーラ国は現在のパキスタン北西部に存在した古代の王国。首都バクラームなどを中心に栄えました。カーブル川北岸に位置し、その西端は現在のアフガニスタンの首都カーブル付近まで。東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していました。
ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀まで存続。1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えました。ことに2世紀中葉、第3世のカニシカ王はこの国に仏教を大いに流布させました。王は領土を西トルキスタン・アフガニスタンから東トルキスタン・インドの一部まで拡大。首都をプルシャプラ(現ペシャワール)に置きました。この王朝の下で大乗仏教とガンダーラ美術が大いに興隆したのです。

近年、ガンダーラからは多数の大乗仏典が発掘されました。
2019年7月26日 (日経報道)による「アフガン中部で経典写本を発見」の記事を紹介しました。内容は以下のとおりです。
アフガン中部で経典写本を発見
『仏教経典の写本が見つかったメス・アイナク遺跡』【カブール=共同】
「アフガニスタン中部のメス・アイナク遺跡で、7世紀ごろに作られたとみられる仏教経典の写本の一部が見つかった。アフガン考古局が26日までに明らかにした。
古代遺跡から写本が見つかるのは珍しく、栄えた仏教都市だったことを裏付ける発見。小説「西遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵が、旅行記「大唐西域記」で描いた仏教国「ブリジスターナ」である可能性が高まった。」
遺跡は首都カブールの南東約40キロにあり、3~7世紀の都市とされる。2009年にアフガン政府が本格的な発掘を開始。仏塔や仏像、壁画が次々と出土し、大規模な遺跡であることが判明した。
写本は遺跡の中心にある丘の斜面で17、18年に見つかった。考古局は「経典の保管施設があったのではないか」と推測している。』を紹介。

このメス・アイナク遺跡で見つかった写本を解読した仏教大の松田和信教授(仏教学)によると、『樹木の皮にサンスクリット語で大乗仏教の「般若経」や「弥勒下生成仏経」が書かれていた。玄奘は西域から大乗仏教の経典群を持ち帰り漢訳したとされている』こと。
メス・アイナク遺跡の保全、修復に協力している東京芸術大の前田耕作客員教授(アジア文化史の『初期仏典の発見は珍しい。大唐西域記に記述されたブリジスターナと大まかな位置関係も符合する。玄奘が立ち寄った可能性がある』との指摘も紹介。

玄奘三蔵は大唐西域記で、ブリジスターナについて「気候は寒さ厳しく、人々の性格は激しい。深く仏教を信仰し、学を尚び、徳行ある者に遵う」と記しています。
一方、遺跡の周辺には世界有数の埋蔵量とされる銅の鉱床が広がっています。鉱山開発が重要な財源となっているアフガン政府は07年、30年間の採掘権を30億ドルで中国企業に売却。遺跡に及ぼす影響が懸念されています。考古局は「発掘が終わるまで数十年は必要だ」と説明。国連教育科学文化機関(ユネスコ)なども保全の重要性を訴えていることをお伝えしました。

アフガニスタンの歴史と大乗仏教の歴史を略述しながら、アフガニスタンには「大乗仏教のふるさと」としての位置づけができることを述べました。平和の国日本で大乗仏教を学ぶことができる私たちは、仏教伝播のいわれを大切にしてアフガニスタンの人々の平和と安寧を祈り見守って行くことをお伝えして10月度の法話会は終了。
来月は今年最後の法話会。11月14日(日)午前11時からの開催です。皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

檀信徒の皆さまにはこの春から日曜法話会をウエブで配信していましたが、10月の法話会はPCの急な不具合で収録ができませんでした。悪しからずご了承ください。

相武山 山主

2021年10月30日

2021年ノーベル賞雑感

《10月度の日曜法話会》
10日(日)は今年10回目の日曜法話会。テーマは「大乗仏教のふるさとを想う『アフガニスタンは大乗仏教ゆかりの地』」でした。
8月中旬よりアフガニスタンからの駐留米軍撤退の模様が連日報道されました。中東に位置する彼の国の混乱は世界中の人々の耳目を集め、多くの人が今に胸を痛めて心配しています。私もその一人です。

 というのも、今ではすっかりイスラム教の世界となっていますが、古のアフガニスタンは東西文化の交流の地として、西からはギリシャ文明、東からはインド文明が流入。インド発祥の仏教も部派仏教の時代から大乗仏教の興立発展期にかけて大きな足跡を遺した仏教縁の地であるからです。
また、アフガニスタンの復興に生涯をささげながら2年前に凶弾に倒れた中村哲医師の存在は実に鮮明です。私は中村氏の志と行動をすなおに尊敬する一人であり、中村氏もきっと御仏の世界から彼の国の人々の平安を祈り見守っておられるだろうと思っています。法話会でも一度アフガニスタンについてふれてみたいと考えていました。

《真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞》
法話会の前半は毎回「世相」についての所感を述べています。今回の世相のテーマは「2021年ノーベル賞雑感」です。
ノーベル賞はご承知のとおり、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞です。医学生理学、物理学、化学、文学、平和および経済学の分野で顕著な功績を残した人物に贈られます。
例年10月になると受賞を想定される方々ばかりでなく世界中から関心が寄せられます。法話会では今までも受賞者の声を紹介しながら所感をお伝えしてきましたが、受賞者の声はいつも新鮮でそこにはたしかな学びがあります。

今年も米国籍の日本人真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞されました。受賞の理由は「地球温暖化の予測のための気候変動モデルの開発」。真鍋氏は、シミュレーションを使って地球に関する物理モデルを開発し、気候の成り立ちと変動を解明。また二酸化炭素(CO2)の増加に伴う地球温暖化につながる基礎を確立。大気中のCO2の濃度上昇が地球表面の温度上昇につながることを実証した」ということです。

真鍋氏は人間活動が地球に及ぼす影響を早くから予見し、1960年代から気候変動の先駆的な研究を続けてきました。デジタルが今よりも普及していなかった時代にコンピューターを駆使し、地球の大気全体の流れをシミュレートする気候数値モデルを開発したのです。地球温暖化の予測モデルを切り開き、二酸化炭素濃度の上昇が地球の表面温度の上昇にどうつながるのかを示した功績は大きく、スウェーデン王立科学アカデミーは『彼の研究は現在の気候モデルの開発の基礎を築きました』と称えています。

海洋研究開発機構の河宮未知生環境変動予測研究センター長の「真鍋先生は気候予測という学問を創出した研究者だ。物理の原理原則を積み上げれば、地球環境を再現し予測できると示した。世界的な脱炭素の流れの中での受賞はこの分野への期待を表している。未来を予測する研究として責任を果たしていきたい」という言葉も紹介しました。

 真鍋氏のプロフィールについて「1931年(昭和6年)、愛媛県宇摩郡新立村(現:四国中央市新宮町)に誕生。旧制中学校の愛媛県立三島中学校(現:愛媛県立三島高等学校)を卒業。1953年(昭和28年)に東京大学理学部の地球物理学科を卒業。東京大学大学院では「数値予報」を専攻。1958年(昭和33年)に博士課程を修了。「凝結現象の綜観的研究」で理学博士号を取得」という日本での履歴を紹介。

続いて「真鍋氏の大学院での数値予報の研究がアメリカ国立気象局(現:アメリカ海洋大気庁)のジョセフ・スマゴリンスキーの目に留まり研究所に招請された。1958年、アメリカ国立気象局に入り後に主任研究員になる。米国ではIBM製の最新コンピューターを自由に使うことができた。米国のコンピューターは同時代の日本のものより30倍以上も処理性能が高く、気象の研究のためには非常に有利であった。さらに給料を日本の25倍も与えられたことで研究に没頭できた。地球科学者(気象学)としてアメリカを中心に研究生活をおくったが、一時日本に還って研究生活を送る。その後、再びアメリカにもどり、現在、アメリカのプリンストン大で上級研究員を務める」という米国での履歴を紹介。

《受賞記者会見での発言》
真鍋氏は受賞発表直後の記者会見で「研究で大切なことは『好奇心』と回答。アメリカ国籍を取得し、日本を離れたことについては『日本の他人の目を気にしすぎる風潮が合わなかったこと』を理由に挙げた」ことなどを紹介しました。

記者と真鍋氏のやりとり。
【記者】研究を始めた1960年代、気候変動が世界でこのような深刻な問題になると思っ
ていましたか?
【真鍋】研究当初、こんなに重大なものになるとはまったく想像していませんでした。私
は単に自分の好奇心から研究を始めただけなのですが、私の考えるところでは、科
学において、時間がかなりたってから社会に大きなインパクトを与える大発見の多
くは、研究当初、研究者たちはのちにどんなに大きな貢献になるかは想像してなか

ったと思います。
最も興味深い研究とは、社会にとって重要だからといって行う研究ではなく、好奇
心に突き動かされて行う研究だと思います。
【記者】日本からアメリカに国籍を変えた主な理由は?
【真鍋】日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。
彼らはとても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由
です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。日本で「は
い」「いいえ」と答える形の質問があるとき、「はい」は必ずしも「はい」を意味

しません。「いいえ」の可能性もあります。(会場から笑い)
なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから
他人を邪魔するようなことをしたくないのです。
アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要が
ありません。実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察した
くもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。私のような研究者
にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。
ー略ー
それが日本に帰りたくない一つの理由です。なぜなら、私は他の人と調和的に生活
することができないからです。(会場から笑い)

真鍋氏の発言をどのように受け止めるかは一人ひとりの問題ですが、明快で示唆に富むものだと私は思いました。

《平和賞は強権批判の報道関係者が受賞》
平和賞は「報道の自由を掲げ政権の強権的な姿勢を批判」してきたフィリピンのインターネットメディア、「ラップラー」のマリア・レッサ代表と、ロシアの新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のドミトリー・ムラートフ編集長の2人が選ばれました。
選考委員会のベーリット・ライスアンネシェン委員長は、授賞理由の中で「自由で独立し、事実に基づいたジャーナリズムは、権力の乱用と戦争への扇動から人々を守ることができる」と指摘した上で、「2人は民主主義と恒久的な平和の前提となる、表現の自由を守るために、勇気を出して闘っている。民主主義と報道の自由が、逆境に直面する世界で、理想の実現のために立ち上がるすべてのジャーナリストの代表だ」と評価したことを紹介。

マリア・レッサ氏(フィリピン)は「フィリピンで、権力の乱用や暴力の横行、それに強まる専制主義の実態を自由な表現で暴いた」とした上で「ドゥテルテ政権の暴力的な麻薬撲滅キャンペーンに社会の注目を集めたほか、ソーシャルメディアがどのようにフェイクニュースを広め、嫌がらせや世論操作に使われているかを伝えた」と述べたことを紹介。

ドミトリー・ムラートフ氏(ロシア)は「メディアをめぐる状況が厳しくなるなか、何十年にもわたってロシアの言論の自由を守り、汚職や警察当局の暴力、それに選挙不正などに関する批判的な記事を発行してきた」と評価されました。
「ムラートフ氏が編集長を務めるノーバヤ・ガゼータ紙は、これまでにアンナ・ポリトコフスカヤ記者を含む6人のジャーナリストが殺害されるなど、脅迫や暴力を受けてきた。こうした脅しにもかかわらず、ムラートフ氏は、編集長として新聞の独立性を放棄せず、ジャーナリストが書きたいことを書く権利を守り続けてきた」ことを紹介。

ノーベル賞授与には受賞理由という大きなテーマが存在しています。多くの人々は受賞理由から選考委員会の意志をくみ取るからです。今回の平和賞の授与についても選考委員会は「今回の授賞によって、人々の基本的な権利を守ることの重要性を強調したい」と述べ、「表現の自由、報道の自由があってこそ、国同士は友好関係を築き、武力を放棄し、よりよい世界秩序をつくることができる」と結んでいることをお伝えしました。

関連事項として基本的人権と民主主義について、「民主主義が機能するためには、市民が自由にものを考え、自分の意見を自由に言えるという基本的人権が必要」であり、「人権が保障されているにもかかわらず、民主主義が実践されていない社会では、たとえ自由にものが言えたとしても、国家運営は一部の人びとによって一方的に行われる」という実態について解説しました。
学ぶべきこととして「・ノーベル賞授与の意義を知る。・受賞理由を認識する。・現代社会の有り様を考える好機とする。・受賞者の発言などから人生の教訓を得る。」をお伝えして世相のコーナーを終了。

相武山 山主

2021年10月29日

パラリンピック大会の開催

9月12日(日)は9月度の日曜法話会。
法話会のテーマは「秋のお彼岸 ー法華経は現当二世の安らぎー」でしたが、世相に思うのテーマは「東京2020パラリンピック大会開催」。オリンピックに引き続いて8月24日から9月5日まで開催されたパラリンピックについて皆さんと一緒に考えました。

 期間中、障害をものともせずに力強く競技されるアスリートの躍動がメディアを通じて連日報じられました。心身の障害を乗り越えてチャレンジする姿にはふれた方のすべてが感動を覚えたことでしょう。私もその一人です。オリンピックの躍動のすばらしさとはひと味違う感動でした。各アスリートの背景や努力を知るとさらに感動が深まります。

法話会でははじめに日本パラリンピック委員会の公式HPを参照してパラリンピックを解説。そこでは「パラリンピックが重視する4つの価値」として、《勇気》マイナスの感情に向き合い、乗り越えようと思う精神力。《強い意志》困難があっても、諦めず限界を突破しようとする力。《インスピレーション》人の心を揺さぶり、駆り立てる力。《公平》多様性を認め、創意工夫をすれば誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力
。を紹介しました。

大会開催の意義についても「さまざまな障がいのあるアスリートたちが創意工夫を凝らして限界に挑むパラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場です。すなわち、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会です。また、社会の中にあるバリアを減らしていくことの必要性や、発想の転換が必要であることにも気づかせてくれます。」と紹介しました。

パラリンピックからの学びについては「障害者とは?」との問いから、障害には身体障害、知的障害、精神障害の三種あることを学び、次に、障害を正しく理解するためには「もし自分が突然目が見えなくなったら・・・。もし自分が突然耳が聞こえなくなったら・・・。もし突然自分の手足が自由に動かなくなったら・・・。もし突然自分の精神が不安定になったら・・・。」と自分の身の上に置き換えて考えることが大切であることをお伝えしました。

続いて「すばらしいチャレンジ精神」と「多様性を認める社会の実現に努めよう」と述べ、結びに仏教では「あらゆるものは縁起として在る」と観ることを教えていることから、「障害者も縁起の理法によって障害者となっている。縁起によれば今日の健常者も明日健常者であることはまったく保証されていない。すべての人は障害者予備軍といえる。今健常者であるといっておごる心を持つことは実に愚か。明日は我が身と心得て障害者の方々に慈愛の心で接する」ことが大切と申し上げました。

相武山 山主

2021年09月28日

個人の平安は社会の安寧と倶に

8日の法話会は前半の世相「コロナ禍に遭遇、オリンピック雑感」に少し時間をとられましたが、前月の「立正安国論と日蓮の思想」に続いて「大乗仏教の特徴とその実践・個人の平安は社会の安寧から」。我が国の仏教は大乗仏教といわれています。また、日蓮大聖人は法華経こそ釈尊の教えの根本であり大乗仏教の精華であると述べ、自らの仏法が法華経を基盤としていることを明らかにしています。


日本仏教の各宗各派はそれぞれの宗学の中で大乗仏教の意義付けをしていますが、大学などを中心に印度学仏教学の研究者によって大乗仏教が学術的に探求されています。そのよう現状をふまえ一般概念としての大乗仏教を理解して頂くために、日本大百科全書(三枝充悳述)と国史大事典(中村元述)の「大乗仏教」を紹介しました。

日本大百科全書
「大乗はサンスクリット語のマハーヤーナの訳語で、『「多数の人々を乗せる広大な乗り物』の意。すなわち一切衆生の済度を目ざす仏教という趣旨。
仏滅後数百年(紀元前後ごろ)インドにおこった新しい仏教運動は、それまでの諸部派に分かれて各自の教理体系を固めていたあり方を鋭く批判しつつ、幅広い諸活動を展開し、やがて新しい諸経典が成立するなかで、『般若経』以来この自称が確定した。
従来の出家者中心の仏教を一般民衆に開放し、在家信者を主とする進歩的な考えの仏教徒の間からこの運動はおこり、異民族に支配されて混乱していた、当時の悲惨な社会状勢や、仏教遺跡のストゥーパ崇拝などとも関連が深い。」
ことなどを解説。

国史大事典
「インドで西暦紀元後に興起した新しい形態の仏教。サンスクリットでマハーヤーナという。マハーとは「大きい」の意、ヤーナとは「乗物」を意味する。それ以前からあった保守的な仏教(いわゆる小乗仏教)では修行僧が独善的になる傾きがあったのに対して、ひろく民衆のための仏教であることをめざす。「大乗」の「大」には、大・多・勝の三義があるという。それは(一)偉大な教えであり、(二)多くの人々を救い、(三)勝れた教えであることを標榜する。大乗仏教は、民衆の宗教であり、諸仏・諸菩薩を信仰する。みずからは救われなくてもまず他人を救うという菩薩の精神が強調された。
諸仏・諸菩薩を熱心に信仰して念ずることを強調するために、多数の仏像が製作された。その製作の中心地は、ガンダーラ(パキスタン北部)とマトゥラーとであった。
最初期の大乗仏教は、ストゥーパを崇拝していた一般民衆および修行僧のあいだから起ったと考えられるが、当時は荘園をもたなかった(当時荘園をもっていたのは、いわゆる小乗仏教だけである)。しかし民衆のあいだに根強かった呪術的要素をとりいれることによって、一般民衆のあいだにひろがった。」
ことなどを解説。

続いて「一切衆生の平等成仏を認める実大乗の教え」として、[・上座部(小乗)仏教の出家主義、権威主義からの解放。・大乗仏教の精華「法華経」は一仏乗の教え。すべての人々が差別無く等しく仏と成ることを認める。・法華経は一切の仏法を包摂した実大乗の教え。・現実社会での人生の営みがそのまま仏道の修行。・妙法(法華経)受持とは菩薩道の実践]であることをお伝えしました。

「天災人災の元凶を仏典に求めて著されたのが立正安国論」であり、[・大乗菩薩道(自他倶に救済)の実践に生きた日蓮。・末法という仏教史観を基盤にした日蓮の教え。・世相は迷乱、混濁、愚人劣機の自覚。・南無妙法蓮華経の唱題成仏。・仏法即世法の実践。・仏道と社会生活を分離することなく、仏法信仰によって個人の救済と社会の安寧を願った日蓮。]について解説しました。

 レジメの最後は「個人の平安は社会の安寧から」。
[・現代に生きる私たちは歴史的に恵まれた社会環境にある。・太平洋戦争の敗戦によって得た民主主義。・主権在民による自由と民主主義、基本的人権が憲法で保障されていることを自覚。・政治を軽視してはいけない、主権者としての義務と責任を果たそう。・個人の平安には社会の安寧が不可欠であることを認識し、一人一人が社会の安寧を願うことが大切。]であることをお伝えしました。
結びに「一昨日は広島に原爆が投下された日であり、明日は長崎に原爆が落とされた日です。15日には76回目の終戦記念日を迎えます。8月は戦争と平和、国民主権と自由と人権を皆で考える時ではないかと思います。」と述べて8月度の日曜法話会は終了。次回の日曜法話会は9月12日午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年08月29日