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相武山 妙法寺 ブログ

9月の日曜法話会

9月13日(日)は日曜法話会。法話会はコロナ禍のために4月から3ヶ月間中止して7月からの再開でしたが、7月・8月の参加者は以前の半数以下でした。9月はコロナ禍にもいい意味でなじんできたのか、旧に復してきたように思います。

今月の法話会のテーマは「お彼岸について」。サブタイトルは「心静かに人生を見つめ仏の道を実践するとき」でした。すっかり我が国の習俗となっている春秋のお彼岸ですが、秋の彼岸会を迎えるにあたってその意義について聴聞の皆さまと考えてみました。

毎回法話会のはじめにはその趣旨をお伝えしていますが、今月は初めての方はいらっしゃらなかったので割愛してレジュメに沿ってお話を始めました。

彼岸について
「現在の我が国の祝日の意義によれば、春のお彼岸は『自然をたたえ、生物をいつくしむ祝日』。秋分の日は『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ祝日』とされていますが、春秋ともに多くの人々が寺院に参詣して先祖や精霊に供養をささげ、墓所などにお参りするのが一般的になっています。

仏教の行事のように思われていますが、このような習俗はインドや中国にはみられず、日本独特のものです。その歴史は古く、春秋の2月、8月(陰暦)に7日間の仏事を行うことは、806年(大同1)を最初とし、平安時代初期には恒例となっていたことが日本後紀や延喜式にみえます。
この仏事が彼岸会とよばれていたかどうかは不明ですが、宇津保物語や源氏物語などに彼岸の語がみえるので,平安中期には彼岸や彼岸の仏事が定着していたことがわかります。

彼岸の語源はサンスクリット語のパーラミター「波羅蜜多」の訳で、元来は仏の悟りの世界である向こう岸に渡るという意味です。此岸を迷いの凡夫の世界に喩え、川の向こう岸の彼岸を仏の世界に喩えたものです。此岸から彼岸へ渡ること(仏道成就)を求め願うのが仏教の姿勢です。
また、彼岸には『仏の世界』という意味と『自らに与えられた環境で仏道に励む時にはその世界が彼岸である』という二通りの意味があります。ことに大乗仏教では僧院に入らずに生活を営みながらでも、仏とその教え信じて信行に励む者の世界はそのまま仏土であると説かれています。

大切なことは私たちが此岸(煩悩に覆われた迷いの世界)に生きているという認識に立つこと。現実の世界ではその時代の環境、その時代の価値観、その時代のシステムなどの制約のなかで生活しています。人間はおよそ未成熟であり未完成なる存在です。生活のために凡夫は眼前刹那の利害損得に陥りやすく、迷惑の根源をしっかりとみつめようとしない。また好きや嫌いという自身の一時の感情にも流されやすい存在なのです。

釈尊はバラモンの教えを超克し、解脱して仏教を創始されましたが、その基本思想は『人間が苦悩するのは本来具えている燃えさかるような貪欲・瞋恚・愚癡などの三毒を中心とする煩悩に由来し、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静という縁起の真理に迷うことにある』というものです。
原始仏教や小乗仏教では資質と環境に恵まれた一部の者が煩悩の断尽による覚りを求めましたが、大乗仏教では煩悩を断じた覚者となることは上根上機の限られた者であり、永遠の仏の存在とその教えを深く信ずることによって救済されると説かれました。

仏の道を歩むということは、自らの愚かさを認め、仏の教えを信じ学び行じて、己の人間性を終生磨き高めて行くこと。お彼岸が休日となっているのですから、みんなで心静かに人生を見つめ仏の道を実践するときとしたい」
と申し上げて9月度の法話としました。

相武山 山主

2020年09月28日

平和に思う(日曜法話会から)

妙法院では「仏教に親しむ」をテーマとして10年前から毎月1回日曜法話会を開催しています。今年はコロナ禍のために4月から6月まで開催を中止しましたが7月から再開。
8月は16日(日)午前11時からの開催でした。コロナ禍に連日の猛暑ですから参加聴講はわずかな方と想定していましたが思いのほかにご参加頂きました。
8月法話会のテーマは「平和に思う」。前日が75回目の終戦記念日であり、当山でも執り行った戦没者追善法要の意義を深めて、参加者の皆さまと前の大戦を概観し平和について考えてみたいとのテーマです。戦争と平和、民主主義と基本的人権などについて所見を述べ、釈尊と日蓮大聖人の遺された言葉から教訓を頂きました。

【戦争の事実を直視】
夏8月を迎えると各メディアは一斉に「広島・長崎への原爆投下・・・」「太平洋戦争の惨劇・・・」「戦時中の苦悩にあえぐ世相と国民の困窮生活・・・」等々について報道するのを常としています。これは極めて当然のことで、前の大戦は国民を苦悩のどん底に陥れ、国土を大きく荒廃させました。また、我が国ばかりでなく太平洋一円の国や国民に計り知れない甚大な被害を与えたのです。

二度と同じ過ちを犯さないためにも私たちは前の戦争の真実を知らなければなりません。何ごとにおいても「いつ・どこで・だれが・何のために・何をしたのか・そしてその結果は」という事実を検証し整理することが大切なように。
凡人の集まりであるこの世の中、政治でも社会でも都合の悪いことには目をつむったり、耳を塞いで、批難が通り過ぎるまでしのごうという姿勢は古今東西に見受けられことですが、それでは失敗を活かして同じような過ちを断つことができません。より良い解決のためにはやはり事実の検証が必要なのです。

我が国の健全な未来にとって太平洋戦争の真実は真摯に探求されるべき歴史的課題であるとともに、基本的人権が保証された民主主義国家の確立とその維持に不可欠のテーマといえるでしょう。前の敗戦についてはさまざまな視点から反省がなされたり、戦没者への慰霊や遺族への補償も実施されました。また、非戦・反戦・自衛など平和に関する議論も今に行われています。しかし、国としてのたしかな総括が行われたという認識は乏しいように思えます。そのために戦争被害をこうむったアジアの国々とのあつれきが解消されていないのではないかと思うのです。

法話会ではレジュメと一緒に『第2次世界大戦死者数』『戦没者の過半数は餓死』『安全保障の焦点は国家から人々の安全保障へ』などのプリントをお渡しました。その上で前述のように「太平洋戦争の確かな検証」が大切ということと、「敗戦によってもたらされた民主主義」「天皇主権から国民主権へ大転換」「すべての国民に基本的人権の保障」について所見を解説しました。

【人権と民主主義の価値を確認】
昭和20年8月15日、天皇の終戦宣言による敗戦受諾から一夜にしてダイナミックな価値観の転換が促されたのです。現人神(あらひとがみ)として日本国の主権を握る天皇が人間宣言をし、臣民(しんみん)であった国民が主権者となったのですから、まさに青天の霹靂。急には理解できない話です。さらに、一人ひとりの国民には差別なく基本的人権が保証され、天皇や貴族、軍部や財閥などの特権階級による政治ではなく、主権者たる国民の意志によって政治社会が運営されるというのです。

戦後の時代しかしらない現代の私たちには、基本的人権、主権在民、民主主義は当たり前の概念ですが、戦前の思想と教育のもとに生活していた人々にとっては、戦後しばらくその受容に意識して取り組まねば理解できないものでした。

基本的人権によって得られた自由と権利、民主主義によって得られた主権在民というシステムは、我が国においては敗戦受諾で突然天から降ってきたようなものといっても過言ではないでしょう。しかし、欧米では自由と権利・民主主義のために長い間、血涙の歴史がありましたから、自由や権利、民主主義については現在でもとても敏感です。したがってその権利を守るためには労をいといませんし、政治についても我がこととして意識している人が多いように思えます。

我が国では人権や民主主義をあまりにも当然として、そのすばらしい価値を見失っているのではと思えることが散見されます。これはとても残念なことで、終戦記念日には戦争と平和について考えるとともに、是非、人権と民主主義を考える好機としてほしいと願っています。また、平和は何らの努力もせずに得られるものではなく、平和な世界は強い意志と絶え間ない努力によって維持されることも認識しなければなりません。

【平和を求めて】
続いて「現代社会の平和を脅かす人権軽視と覇権主義」「一党独裁国家の専横」「世界中の差別主義」などについて言及し、結びは「仏典に学ぶ平和」でした。

原始仏典 ダンマパダ (中村元 現代語訳)から
☆「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みのやむことがない。堪え忍ぶことによって、怨みはやむ。これは永遠の真理である」
☆「その報いはわたしには来ないであろうとおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである」

日蓮大聖人の立正安国論から
『汝須く一身の安堵を思はば先づ四表の静謐を祈るべきものか。就中 人の世に在るや各後生を恐る。是れを以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。ー 略 ー
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。此の詞此の言、信ずべく崇むべし』
を紹介。

今月の学ぶべきこととして
「平和は意識しなければ崩れやすい。前の戦争をけっして忘れてはならない。常に戦争の検証を怠らず、民主主義のルールのもと、権力者の言動に注意しなければならない。平和の基本は人々の心の平安から。平和は基本的人権の尊重による。
一人ひとりが現代の平和の語り部となろう。」
とお伝えしました。
来月の法話会は9月13日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2020年08月30日

日曜法話会を再開

当山では檀信徒の皆さまに3月下旬から参詣の自粛をお願いしてきましたが、7月からは三密の対策を講じながら法要・行事への参詣を再開。12日の日曜日には4月から中止していた日曜法話会を開催しました。法話会は「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経と日蓮大聖人の教えにふれる」を趣旨に平成23年3月から開始し今年で10年目を迎えました。

毎年1月から11月まで11回にわたって開く法話会には檀信徒の皆さまばかりでなく、地域タウン紙の広報により一般の方々も参加聴聞されています。今年の梅雨は雨の降らない日はないという横浜ですが12日は幸いにも曇り空。久々の法話会にも15名の方お出でになりました。

いつものようにレジュメに沿っての法話。はじめに法話会では世相をテーマとする理由を「仏教は現実直視」「あらゆる事物事象は私たちと無縁ではない」「自分が現象をどのように観ているかが大切」「起こる現象はすべて学びの対象」と解説。

次に今月のテーマである「今を生きる」について。コロナ禍によって我が国ばかりでなく世界中が不安と混乱のなかにありますが、多くの人が静かな自省の時間が得られたことも事実。このような時にこそ自らの存在の有様をみつめ、与えられた今をどのように認識すべきかを考える事が必要。「今を生きるとは自らに与えられた環境を受容し、そこを基盤に自分らしい人生を歩むことである」と説明。

『人は皆、過去からやって来て、今を生き、未来へと歩みを進める存在。今の自分の在りようが過去をおさめ、未来の果報を定める』『過去ばかりにこだわる人、未来ばかりを夢見る人がいる。それぞれ自由だが「今を直視する」ことなくして真の安らぎはない。』ことをお伝えしました。

世の中には啓発本があふれていますが、より佳い今を歩むためには仏教の叡智を学ぶことも有益。素朴な原始仏典から以下ダンマパダの数節を紹介しました。
☆「まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実に達する」
☆「一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と称讃とに動じない」
☆「たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである」
☆「善をなすのを急げ。悪を心から退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ」
☆「沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない」
☆「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない」
☆「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ」
☆「みずから自分を励ませ」
☆「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ」
等々。

また、末法の法華経の行者である日蓮大聖人の教えを以下の御書から紹介。
☆『一切の事は時による事に候か。春は花、秋は月と申す事も時なり』(上野殿御返事)
☆『夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。ー 略 ー 彼の 時鳥は春ををくり、鶏鳥は暁をまつ。畜生すらなをもかくのごとし。何に況や、仏法を修行せんに時を糾さざるべしや』(撰時抄)
☆『仏法には賢げなる様なる人なれども、時に依り機に依り国に依り先 後の弘通に依る事を弁へざれば、身心を苦しめて修行すれども験なき事なり』(下山御消息)
等々

最後に「あらゆる現象は縁起によって生起し変化してやむことはない。変化をおそれることなく可能性を信じて前向きに生きる。コロナ禍からも多くの学びを得よう」とお伝えして法話を結びました。
来月の法話会は16日(日)午前11時からの開催を予定しています。

相武山 山主

2020年07月25日

お久しぶりです

去る4の日曜日、有働家の法事が当山で執り行われました。現在82歳になり鶴見区の伏見さん(娘さん)と一緒に生活されている有働さんが、ご主人の23回忌をお勤めになり、懐かしいお顔を拝見することができ嬉しい一時を頂きました。有働さんとは新寺院の起工式以来ですから5年ぶりでしょうか。お体の具合もあって落慶式も不参でしたから、初めての新寺参詣でした。長男の祐一さんや伏見家の皆さんとも17回忌以来でしたが、お孫さんの直也さんとは本当にお久しぶりでした。

すっかり立派になった直也さん。気立ての良さそうな奥さんと子どもさん3人とご一緒のお参りでした。私のおぼつかない記憶ですが、30年ほど前あるキッカケで直也さんのお父さんである祐一さんと知り合うこととなり、その後、法華経と日蓮大聖人の教えを倶に学ぶようになりました。そして、何回か洋光台のご自宅にお経参りにうかがっていたとき、小学校の低学年の元気の良い利発な子どもが二人の妹の面倒を見ていました。その男の子が直也さんでした。あたりまえの事ながら顔かたちは同じでは有りませんが、その輪郭と面影はまったく変わっていません。直にあ~あの時の子どもさんだということがわかりました。今は立派なお父さんになっておられました。

法事が終わりいつもながらに10分ほどの法話をさせて頂きました。「法事をする意味、法華経を読み上げる意味、お題目のこころ、現実社会で生きる難しさと信仰の大切さ」、を言葉足らずではありましたがお伝えしました。お孫さんやひ孫さんも大勢ご参詣でしたが、皆さんとても静かに法要に参列しておられました。その後、客殿で会食させて頂き、昔話から近況まで和やかに語り合い楽しい時間を頂戴しました。有働さん、伏見さん、直也さんからお帰りに、「立派なお寺で良い法事でした」と言って頂いてとても嬉しく思いました。こらからも皆さんがご縁を深められて仏様の教えを学ばれますよう願っています。

連日の猛暑が全国を襲った11日(日)は午前11時から今年8回目の日曜法話会でした。今月は「祈りを大切に」をテーマに約1時間お話をさせて頂きました。世相は「忘れてはならない8月15日」です。想像を絶するような猛暑でした。エアコンを設置していない本堂です。いつもなら森をわたる風が暑さをあまり感じさせないのですが、今年の夏はひと味違います。黙っていても額からは大粒の汗、体温よりも暑い気温なのですから、具合の悪くなる方が出てもおかしくありません。法話の途中に興厳房が小さなアイスを皆さんに配っていましたが、まさに一服の清涼といったところでした。一人も倒れることなく無事に法話を終了。私もほっとしました。参集ご聴聞頂いた方々の向学心と集中力に敬意を表します。

日曜法話会の後には午後1時からお盆の追善法要を執り行いましたが、ここでも大勢の方々とお久しぶりとなりました。皆さん公私ともにお忙しいようで、仏教を学ぶことの大切さや信仰の大切さはわかっていても、時間が思うようにならないようです。鶴見区からは佐伯(旧姓高)玉栄さんが大きくなった二人の息子さんと一緒にご参詣。お盆のお参りは数年ぶりということでしたが、皆んな元気に活躍されておられるようでうれしく思いました。やはりお顔を拝見して言葉を交わすことができるのは有り難く楽しいものです。あまりゆっくりお話はできませんでしたが、玉栄さんは「16歳の高校生の時に住職に出会い、あっという間にもう32年がたってしまいました。本当に時間が流れるのは早いですね~。ようやく少し落ち着いてきたので、これからは息子たちと一緒にできるだけお参りにきますね」と語って帰路につかれました。

皆それぞれにさまざまな都合がありますから、仏道の世界でもお久しぶりということは自然なことです。信仰は生涯かけて磨き上げて行くものですから、いろいろな人生の課題と向き合いながら、進んだり、止まったり、下がったり、また進んだりと一様ではなくても心配はいりません。最終的に仏様の教えを深く信受し、自身と他者の仏性に気がつくことができれば良いと思うのです。迷うのも悩むのもより良い人生を願うからに他なりません。お久しぶりからまた新たな出会いと縁(えにし)が生れることを願っています。

2013年08月17日

炎暑の新暦お盆

横浜では新暦7月で盂蘭盆会を執り行う寺院が多いようです。多いというのは月遅れの8月に盂蘭盆供養を希望される方もあって、その希望に応えて8月にも執り行っている寺院があるということです。全国的には多くの地域で月遅れのお盆が営まれていますから、それぞれにご先祖や有縁精霊への追善供養を願う方がいらっしゃれば当然かもしれません。ちなみに当山では年中行事として例年8月には15日に「戦没者追善法要」を執り行っていますが、合わせて13日から16日までを月遅れのお盆として、希望のある方には同様に執り行っています。

例年7月のお盆は梅雨の最中に執り行われることが多いのですが、今年は猛烈な暑さの中での盂蘭盆会となりました。お盆の入りにあたる13日は月例の「宗祖お講」でしたが、午前10時から境内の草取りを予定していました。大和の吉田さん、旭区の阿部さん、町田の金沢さんご家族、そしていつもご協力頂く落合さんご夫妻が、炎天下の中、参道や駐車場の草取りに汗を流してくださいました。本当にありがとうございました。お陰様でお盆の前にかなりの雑草を払い境内を清めることができ感謝申し上げます。

13日(土)、14日(日)、15日(月)とお盆の法会を執り行いましたところ、檀信徒の皆さんにはそれぞれご都合の良い日を簡ばれて、ご家族の皆さんと一緒に参詣しておられました。14日は午前11時から月例の「日曜法話会」を執り行ったこともあり、15日の盂蘭盆会よりも大勢の方がご参詣でした。盂蘭盆会では御宝前に献膳申し上げ精霊善とお供物を供えて、ご参詣の皆さんと一緒に法華経を読誦申し上げ、日蓮大聖人ご証得のお題目をお唱えしました。会中には参詣者がお塔婆が建立された精霊壇の前に進まれ、ねんごろにお焼香を捧げられました。法会の後には短めにお盆のいわれをこめた法話を申し上げましたが、炎暑のなかにご参詣された皆さんの信仰心に敬意を表した次第です。
法会の時間外にも墓所にはご家族縁者の方々が三々五々墓参にお出でになっていました。ふだんお寺にお参りされない方でも、お盆やお彼岸には墓所を浄めてお参りされる方が多いのは有り難いことです。いろいろご意見もあるようですが、墓所が仏縁を結ぶ一つのかたちになっていることがわかります。

今月14(日)の法話会のテーマは「思いやる心」でした。仏法の基本的精神が自分と他者が倶に幸せになることを願うにあること。仏様の思いは慈悲心として顕われていること。思いやる心が人間性を磨き深めること。さらに思いやる心が人生の幸せにつながっていること等を学びました。来月は月遅れのお盆の前、11日(日)午前11時から今年第8回目の法話会を開催いたします。仏教に親しむ機会としてより多くの方々のご参加をお待ちしています。

相武山 山主

2013年07月29日

梅雨の晴れ間に

梅雨の晴れ間となった昨日23日(日)は、今年6回目の日曜法話会でした。今回のテーマは「最澄の心にふれる」サブタイトルは ー 続・伝教大師の願文ー です。
仏の道はさまざまなきっかけをご縁に、まず仏の教えを求める心を発(おこ)すことに始まります。その求める心はやがて願いとなり誓いとなって仏道を歩むことになります。 仏道を志す僧侶や信徒はかたちや表現は異なっても、それぞれに誓願(せいがん)を立てて仏門の前に立つのがならいです。
伝教大師(でんぎょうだいし)最澄は日本天台宗の開祖であり、大乗戒壇の礎を築かれた方です。宗祖日蓮大聖人は、釈尊と中国の天台大師、日本の伝教大師そしてご自身を法華経の行者の系譜として「三国四師」と称されたとおり終生尊敬しておられました。
その伝教大師最澄が20歳の頃に仏道に向かう自身の志を表明されたのが「願文」です。
「悠々(ゆうゆう)たる三界(さんがい)は純(もっぱ)ら苦にして安きこと無く、擾々(じょうじょう)たる四生(ししょう)は唯(た)だ 患(うれ)にして楽しからず。牟尼(むに)の日久しく隠(かく)れて慈尊(じそん)の月(つき)未(いま)だ照さず。三災(さんさい)の危(あやう)きに近づき、五濁(ごじょく)の深きに没む ・・・・・」と、仏教の徹底した諦観からはじまる願文からは、その熱い求道の念(おも)いと澄み渡る清浄な境地が伝わってきます。
3月の法話会で仏道においては「発心(ほっしん)」と「発願(ほつがん)」が大切であることをお話するために、伝教大師の願文を参加者の皆さんにご紹介したのですが、世相へのコメントや「願文」周囲の説明に時間をとられてしまい、ようやく先月「願文」の前半をじっくりと学び、今月はその後半を学んだ次第です。大師の透徹した仏道への志は、声にに出して読み上げるとさらに増してくるように思えます。僧侶として仏道に身を置く者は、等しく鏡として拝読すべきではないでしょうか。

さて先月末から本堂と庫裡の間の小さな中庭に巣を作っていたツバメの雛がかえり、親鳥とその仲間がひっきりなしにエサを運んできます。雛のエサを求める鳴き声は一日中かまびすしいばかりですが、子供の泣き声と一緒でなぜか元気をもらっている気になるから不思議です。

巣立ちの準備も始まりました。日に日に大きくなる雛に対して巣が狭くなってきたな~と思っている内に、昨日の夕方、巣から1羽の雛が落ちてきて寺内は対応に大わらわでした。元気そうでしたから温かくして部屋の中で一晩を過ごし、朝早く籠に入れて高い場所に置いて上げると、早速親ツバメがエサを与え始めました。矢継ぎ早にエサをもらったひな鳥は元気いっぱいいったところです。からすなどの外敵に襲われることのない、狭い空間で4羽の雛が巣立ちの準備に入っています。巣も4羽が身を置くスペースはなくなりました。身体もどんどん大きくなり、少しずつ羽を広げて飛ぶ練習です。あと1週間もすれば巣立って行くのではないでしょうか。落ちてきたツバメの雛の対応で、ツバメの生態を調べることになり、調べている内に少しはツバメのことがわかるようになりました。ツバメのお陰で子供の頃にもどったような気になりました。
何ごともご縁だと思って感謝しています。

相武山 山主

2013年06月24日

ツバメが巣をつくっています

自然の豊かな当山周辺では四季の移ろいに合わせて野鳥が元気いっぱいに飛び交っています。野鳥の動きは春の訪れから活発になるのはご承知のとおり。朝からかまびすしい鳴き声が聞こえてきたと思えば、雀の群れが木々を渡って行きます。もちろん地中から這い出てきた虫や、新芽を楽しむ虫たちも野鳥の格好のターゲットとなっています。ゆったりと呼吸を調えて周囲を見回していると、自然の奥深いサイクルを感じることができます。都市化が進む現代、止むを得ず無機質な環境に身を置かれている方々にも、できるだけ自然に触れることの大切さを知って頂けたらありがたいと思います。私たち人間も動物であり自然界の一員なのですから。

昨年も一昨年も4月中頃になると、市民の森からうぐいすの声が聞こえてきました。夏ぐらいまでホーホケキョ、ホーホケキョと澄んだきれいな音色を楽しめ、自然を護り大切にしようと願う方々へのご褒美かなと思っていましたが、今年は少し声を聞くのが遅いようです。それでも間もなく聞こえてくるのではないでしょうか。今から楽しみです。
ツバメの姿は例年よく見かけますが、今年は先週から当山に巣作りをはじめました。「こんなところに土と枯葉が落ちているはおかしいな」と思って見上げてみると、2羽の燕尾服(えんびふく)を着たツバメがせっせと巣作りに励んでいました。ツバメの生態をよく知らない私からすると、「それで大丈夫なの」と心配してしまうような、たよりない巣にみえますが、どうやら大きなお世話のようです。間もなく新しいメンバーが加わったツバメの家族の姿が見られることでしょう。
甲斐犬のリョウマを連れて朝夕散歩をしていると、野草というか野の花というのか、四季折々にさまざまな草花に出合います。しかし、そちらの知識に乏しい蛮僧には、はっきり名前が良くわかりません。インターネットなどで調べようとも思っているのですが、写真に撮ってその一覧をアップし、知識の有る方に教えて頂こうとも考えています。その節にはよろしくお願いいたします。

さて、12日の日曜日は午前11時から今年5回目の「日曜法話会」でした。テーマは「仏の道に向き合う」ー 最澄の願文 ーでした。仏道が発心(ほっしん)から発願(ほつがん)を大切にしていることを共に考えようという趣旨でしたが、3月にこのテーマを設けてもう3ヶ月目に入ります。今月はようやく伝教大師(でんぎょうだいじ)最澄(さいちょう)の願文(がんもん)にふれることになりました。法話会の趣旨が「仏教に親しんで頂きたい」「わかりやすく仏教を学んで頂きたい」ということですので、ついつい話しが冗長になってしまいがちで失礼していますが、今回は伝教大師最澄二十歳の願文をご一緒に学びました。
法華経を仏教の根本思想とされた平安仏教を代表する名僧であり、日蓮聖人も帰依(きえ)された伝教大師最澄。その「人となり&志」を端的に顕す願文は、実に明快に仏道修行者としての心の有り様を示しています。ゆっくりと拝読するうちに、仏道の基本的在り方と伝教大師の仏道に向き合う真摯(しんし)な姿勢が伝わってまいります。願文の半分ほどのところで時間切れとなり、残り半分は来月学ぶことにいたしましたが、仏教にご縁の深い方々と伝教大師の御心にふれることができたことは有りがたい限りです。

今月の日曜法話会も初めての聴聞者をふくめて約40人ほどのご参加を頂きました。法話会は積極的なピーアールをしているわけではありませんから、これからも急激に盛んになることはないでしょう。また、即効性をうたう現世利益のまやかしとも一線を画し、地道に仏道の教えを学びあう法話会ですので、開催の趣旨をしっかりと意識しながら「仏道の豊かさ」をお伝えしてまいりたいと思っています。

法話会に引き続いて午後1時からは、宗祖の伊豆御流罪法難会(いずごるざいほうなんえ)を執り行い、参詣の檀信徒の皆さんとご一緒に宗祖への報恩(ほうおん)感謝を申し上げました。午前中からのご参加の方々は各自持参の昼食をとられての法会(ほうえ)参詣。まさに仏道修行の一日でした。
学んでも、遊んでも、仕事をしても、家事をしても、横になって休んでいても一日は一日ということになります。私たちはそれぞれの状況に合わせてバランスをとり、自らの大切だと思うことに時間を使っています。同じ一日ですが参詣された皆さんが積まれた功徳はきっと仏祖三宝尊(ぶっそさんぽうそん)の御照覧(ごしょうらん)にあずかることと存じます。
来月の日曜法話会は6月23日(日)午前11時からの開催。皆さまのご参加をお待ち申し上げております。

相武山 山主

2013年05月15日

芽吹きのとき

冬の間葉を落としていた落葉樹が一斉に芽吹き始めました。やわらかな新緑はいのちの営みの証のように、活き活きとした生命力を感じさせます。元気の良いタンポポや春の野草からは、大地の躍動が私たちまで伝わって来るような気がします。

あちこちでピカピカの一年生(チョット古いですか)の姿を目にして、思わず笑みがこぼれてしまうのは私ばかりではないでしょう。頼りない歩き方から好奇心旺盛に道草を楽しむ姿、子ども同士でじゃれ合っての下校風景など、本当に可愛いな~と思います。親御さんと一緒に、事故のないよう心身共に成長してほしいと祈らずにはおられません。それぞれの一年生にエールを送りたい気持ちになる春です。

新年度を迎え、当山でも心新たに「宅御講(各家庭で仏法を学ぶ集い)」を有縁の方々と一緒に立ち上げて行きたいと検討しています。今までも随時各地の檀信徒宅において「宅御講」を開催してきましたが、これからはより多くの方々に仏縁を結んで頂き、少しでも仏の教えを学び伝える機会を設けたいと願ってのことです。
寺院では月例の行事や法会がさまざまに行われ、法話会などの企画もありますが、いろいろな事情でお寺に足を運ぶことが難しい方が居られるのも事実です。そこで、お寺の方から志のあるご家庭を訪ねて仏法を語る場を作って行きたいと考えています。
今までとは内容やかたちを変えて、参加人数の多少にかかわらず、仏道を永く伝えて行くための「現代に仏教を学び親しむ運動」を展開して行く礎にしたいと願っています。何ごとも努力なくして護り伝えられらるものはありません。仏道とて同様でありますから、仏道を大切に信仰される方々と手を携えて、少しでもその護持と伝承に努めて行きたいと存じます。来月から適宜開催してまいりますので、檀信徒の皆さまにご理解とご協力をお願いいたします。

来たる14日(日)の日曜法話会は3月に引き続いて「仏教は発願から」をテーマにお話をさせて頂きます。前回ご紹介した伝教大師最澄の「願文」を丁寧に拝読し、仏道修行者・仏法信仰者としての心得を共々に学びたいと思っています。さわやかな風が吹いて心地好い季節を迎えました。仏道の豊かな世界にふれてより良い人生の糧として頂ければ幸いです。

相武山 山主

2013年04月11日

河津桜が開花

境内墓所の南側にある河津桜がこのところの陽気に誘われて一昨日開花しました。昨年より3~4週間ほど遅い感じです。河津桜は保土ヶ谷区の老川さんから頂戴して境内に植えてから早5年、ようやく花を楽しむことができるまでに成長しました。今では本堂前や墓苑自然林のソメイヨシノの先駆けとして存在感を増しています。私はかつて薄ピンクのサクラの花が好みでしたので、ピンクの色が濃い河津桜はあまり好みではなかったのですが、人の好みは身勝手に変わるようで、今では河津桜は河津桜らしい良さを感じるようになり、楽しませて頂いています。ソメイヨシノのつぼみもぐんぐん膨らんでいます。お彼岸は過ぎてしまいますが、今月末頃には参詣の皆さんを楽しませてくれることでしょう。

さて新本堂の建立以来注力している日曜法話会は今年で3年目を迎え、去る1月と2月の法話会では仏教を開いた「釈尊について」をテーマにお話をしました。釈尊の出生から入涅槃までのご一生を原始仏典を引き、北インドの地図を広げながら解説させて頂きました。お話をしながら仏教を知るためには、やはり釈尊のご生涯とその基本的な教えを学ばなければいけないと思いました。仏教そのものは広くて深いものですから、限りある人生でそのすべてを学び得ることはできないかもしれませんが、力に応じて学んで行くことが大切だと思います。自分勝手な思い込みや狂信・妄信では、かえって仏教の価値を下げてしまうことにもなりかねません。また、信仰する仏教宗派の教えは改めてことわるまでもなく大切なものですが、仏教を開いた釈尊のご一生とその教えはやはり基本となるものです。当山の法話会では各宗派を貫く仏教の基本的思想をわかりやすく解説し、その上で法華経と日蓮大聖人の教えをお伝えしたいと考えております。

今月の法話会は17日(日)午前11時からの開催です。お彼岸の入りの日となりますが、「仏教は発願から」をテーマにお話をさせて頂きます。志を立てることの大切さ、発願があらゆる道を進む力となることについて述べさせて頂きます。引き続いてお彼岸の法要となりますので、時間の許される方は昼食持参でお彼岸のお参りもお勧めいたします。
お寺を自らのこころの安らぎの場所として頂き、仏教のおもしろさを楽しむ場所として頂ければ幸いです。

3月9日
相武山 山主

 

2013年03月09日

1月の日曜法話会は27日

昨年に引き続いて、今年も1月から11月まで毎月日曜法話会を開催します。予定はこのホームページの「行事案内」&「お知らせ」でお知らせしています。また、タウンページの旭区版にも掲載させて頂きましたし、有縁檀信徒の皆さんには行事予定案内等で通知済でしたが、一般参加者の皆さんには通知が不徹底で失礼をいたしました。

20日の日曜日11時前、旭区白根町から法話会を楽しみにしているご婦人がお出でになりました。タウンページの旭区版はご覧になっていたそうですが、開催予定日を確認せずにお出でになったということでした。昨年の初夏から法話会に参加しておられる方で、すっかり20日に開催と思い込んでいたということでした。これからは適切なお知らせに注意しなければと反省しています。
タウンページをご覧になった2名の方からお電話を頂きました。バス停と当山への案内の確認でした。一人でも多くの方に仏教に親しんで頂きたいとの思いで開催している法話会ですので、より大勢の方の参加ご聴聞をお待ちしています。

27日の法話会のテーマは「釈尊について」を予定しています。仏教を開かれた釈尊のすがたとその覚られた内容を参加者と一緒に学びたいと考えています。世相は犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げ、「アルジェリアのテロ事件」について意見を述べさせて頂きたいと思っています。
今年も一年、仏道への志を共有する方々並びに仏縁を感じて頂く方々とご一緒に、仏教を正面から学んでゆきたいと願っています。

相武山 山主

2013年01月24日