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相武山 妙法寺 ブログ

源を見つめる(下)

日曜法話会のレジメの続きは「オリンピック開催ありきでよいのか?」から。我が国のコロナ禍の現状からして、果たして開催は可能か?という疑問です。菅総理は開催の有無について質問されても明確に答えませんが、政権は開催の意向と報じられています。
近年の国政では政権や権力者にとって都合の悪いことは明確に回答しない、さらに説明しないことが多いように思えます。政権は国民のためのもの、市民のためのものという原点が忘れられているように思えるのは残念との所見を述べました。

オリンピックは7月23日開幕、残された時間は68日。海外のメディアも開催の是非を論じています。明確に中止・延期との声も上がっていますし、開催に関わる各県にオリンピック向けの医療提供を求めても拒否されているとの報道があります。世論調査でも開催賛成は少なく過半は中止か延期を希望しています。このような状況で果たして「コロナに打ち勝った証」などといって開催できるのでしょうか。オリンピック開催についてもその本来の意義(源)を問い直す必要があるように思います。

次にレジメでは「公文書改ざん事件(赤木ファイルの提出)」を取り上げました。
森友学園問題は未だにすっきりしていない問題ですが、昨年(2020年)、森友学園事件で財務省の佐川宣寿理財局長(当時)に決裁文書の改ざんを強要されて自死に追い込まれた近畿財務局職員、赤木俊夫さんの遺書と手記が公表されました。
公文書改ざん問題は安倍晋三前総理が国会で自身と昭恵夫人の関与を完全否定する答弁を行い。その答弁に合わせて佐川局長が部下に文書改ざんを命じたというものです。現場で対応を迫られた赤木さんは自死することで財務省の不正を告発したことになりました。赤木さんの自死を問われた安倍総理は、「ああいう結果になり、総理として大変申し訳ない」と謝罪。しかし、赤木さんの告発に応えて再調査することは否定しました。

2020年3月、赤木さんの自死から2年後、妻の赤木雅子さんが「自死は同省で改ざんを強いられたからだ」として、国や佐川宣寿・元財務省理財局長に、計約1億1200万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴。雅子さんは、夫の精神的苦痛を証明するために「赤木ファイル」の提出を命じる「文書提出命令」を出すよう地裁に申し立てていました。これを受け、国は、5月6日までにファイルの存否について文書で回答することになっていたのです。
国が赤木ファイルの存在を認め、条件つきながら開示することを回答したという事件です。内容が少し込み入っていることもあり、法話会では日経新聞を参照に解説しました。

テーマ「源を見つめる」に沿って、「公務員が仕えるとは!」として、ある国家公務員のことば『国家公務員のすべての原点は「人のために、国民のために、国益のために」、自分は何ができるか、自分はどのように国家公務員として仕事をしていくか、どのような政策を実現していくか、それを考えることが国家公務員としての使命であり、国家公務員として働くことの意義だと思います。』を紹介。
私の所見として「公務員は公平公正、原点と基本を忘れてはいけない」と述べ、「意識の対象は権力者ではなく、国民、市民であるべき。公文書は国民・市民の財産であり、改ざんを許してはならない」「この事件は大きな問題を内包してるので今後も注視したい」とお伝えしました。

次に天台大師のことば
摩訶止観から「流れを挹みて源を尋ね、香を聞きて根を討ぬ」を紹介。
『水の流れをくみとって、水源の様子を追求し、匂いを嗅いで根源の様子を調べる。末端に現れたものから本質を察知するたとえ』
同じく摩訶止観から「根露るれば条枯る、源乾けば流れ竭く」を紹介。
『植物の根がむき出しになれば枝は枯れてしまう。水源が干上がれば水の流れはつきる。根本になるものがだめになれば影響は末端まで及ぶことのたとえ』

結びに以下の日蓮のことばを紹介。
「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得可きか」  『観心本尊抄』
「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば、必ず天はまぼ(守)らせ給ふなり」 『四条金吾殿御返事』
「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり。」 『檀越某御返事』
《現代語訳》「主君に仕えることが、そのまま法華経の実践であるとお思いなされよ。天台大師の『あらゆる世間の生活と産業は、みな仏法の真実と相違しない』というお言葉はそういう意味である。

学ぶべきこととして「何ごとも謙虚に原点を意識して人生を歩もう。おかしなこと、納得できないことには拒む勇気を。人生の最後まで学ぶことを愉しもう。自らを支え育むすべての存在に感謝の思いを抱けるように精神の涵養をはかろう。」とお伝えして5月度の日曜法話会は終了。
次回は6月13日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年05月30日

源を見つめる(上)

5月の日曜法話会は16日(日)午前11時からでした。コロナ禍による緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が全国各地に出され、収束が見込めない上にワクチン接種もかけ声倒れでほとんど進んでいないという現状です。その上この日は天候も不安定でしたから参加者は16名ほどでした。参加者の多寡で法話の内容や私の意識が変化することは全くありませんから、いつものようにテーマ「源を見つめる」をレジメに沿ってのお話。

【雨の恵みに思う】
例月どおりに日曜法話会の趣旨をお伝えしてテーマに入る前に、「例年より早い梅雨入り」について一言。というのも北九州、中国地方、四国地方が例年より3週間ほど早く梅雨入りしたという報道があり、関東地方もいつもより早い梅雨入りが予想されているので、うっとうしい梅雨時の心の持ち方を参加者の皆さんと考えてみようと思った次第。

我が国では梅雨前線の活動が活発になる6月から7月にかけての時季を梅雨と呼ぶ。晴れ間が少なく曇天に降雨が続くと誰もが心も塞ぎがち。また、湿度が上がってムシムシしてきたらさらに不快指数が上昇。野外での作業も制約され、外出も面倒になり、洗濯物も乾かない、カビも生えれば食物も腐りやすくなる。少し考えただけでもため息が出てきそうな季節という方も少なくありません。

しかし、中国の俗諺に『春の雨は貴きこと油のごとし』とあるように、植物などの成育に雨は太陽とともに不可欠な存在。雨はあらゆる生命を支える水の源であり、水がなければ動物も植物もあらゆる生物は生きて行くことができません。自然界の営みでは雨はまさに恵みそのものなのです。また雨は塵や汚れを洗い流してもくれます。
時に豪雨となって深刻な水害をおこすこともありますから注意は必要ですが、暑い夏を乗り切るためにも梅雨は私たちにとって必要な時季なのです。愚痴ばかりに流されずに、うっとうしい梅雨のときこそ雨の恵みを学ぶ機会とし、梅雨ならではの愉しみを見つけたいものです。心の持ち方を工夫する好季であることをお伝えしました。

【源を見つめる(上)】
さて法話会のテーマの副題は「原点を意識して人生を歩む」です。俗諺にも「迷ったら原点にかえる」とあります。原点を意識しながら人生を歩むことが大切であることから「人生のすべてにおいてその源を意識する。目的を見失ってはならない。基本を疎かにしてはいけない。自らの存在と行動の原点を常に意識すること」をお伝えしました。また、「貴重な人生、家族、夫婦、学び舎、教師、友人、交友、就職、職責など」その存在と行動の理由を意識し、「何のために? なぜ? どうして?」という自身への問いかけを忘れてはいけないという所見を述べました。

次に先人のことばに学ぶでは、
論語の学而篇から「君子は本を務む。本立ちて道生ず。」を紹介。
『君子は何ごとにつけ根本のことに力を注ぐ。根本が確立されると。行くべき道がおのずとできてくるものである』(有若のことば)
孟子の言葉から「道は大路のごとく然り。豈に知り難からんや。人求めざるを病むのみ」を紹介。
『聖人の道は多きな道路のようなものである。どうしてわかりにくいことがあろうか。人が自ら求めようとしないことが問題なのである。』
荀子の君道篇から「源清めば則ち流れ清み、源濁れば則ち流れ濁る」を紹介。
『源泉が澄みとおっていれば下流も澄み、源泉が濁っていれば下流も濁る。物事はその根源にあるものの善し悪しに左右されやすいことをたとえる。』
後漢書から「涓流寡なしと雖も、浸く江河を成す」を紹介。
『ちょろちょろと流れる小川の水はごく少ない水だが、しだいに大河の流れとなる。大きなことも小さなことから始まることのたとえ』
説苑から「本傷めば枝槁れ、根深ければ末厚し」を紹介。
『木はその根元がいたんでいれば枝葉は枯れてしまい、深くしっかりしていれば、こんもりとよく繁るものである。何ごとも基本が大切であることを説くたとえ』
以上のことばから枝葉末節に振り回されず、源を常に意識することの大切さを学びました。
源流や大道、柱や幹を大切に対応することの反語にもなるのが、場当たり的、その場しのぎの対応。少し目をこらして現実を見ればそこかしこにその姿をみることとなります。

【コロナ禍の増大とワクチン接種の混乱】
5月16日現在、緊急事態宣言が出されているのは、北海道、東京都、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、岡山県、広島県 及び福岡県の計9都道府県。まん延防止等重点措置は千葉、神奈川、埼玉、岐阜、三重、愛媛、沖縄、群馬、石川、熊本の計10県。
合計19都道府県に宣言と措置が講じられていますから、心穏やかな品格の国民性といわれても世相を不安に思うのは当然です。国や地方の行政を司る方々も一所懸命取り組んでいるのでしょうが、今ひとつ合点がいかないのは感染拡大防止が最優先という徹底がなされないことだと思うのは私ばかりではないでしょう。

いわれるまでもなく経済活動や社会活動は私たちにとって大切なものですから、コロナ禍であってもそれなりの活動をすることは理解できます。しかし、感染防止が至上命題なのですからその徹底をはかられなければ成果は上がりません。二兎を追う者は一兎を得ずです。また、責任者が平時と緊急時の認識ができず、基本的判断がにぶればより良い成果も得られようはずがありません。
新型コロナウイルスによるパンデミックですから誰が責任者でも対応は厳しく難しいと思いますが、多くの国民が不安と困窮を来しているのですから、権力者としての責務をしっかりと果たしてほしいとの願いをお伝えしました。

ワクチン接種については「まだ医療従事者も25%の接種。高齢者の接種は各自治体でバラツキが。各地でワクチン接種予約の混乱。政府は7月末までに高齢者の接種完了を明言?ワクチンの確保が不明な上に接種の準備(会場、スタッフなど)ができていないのが現状では?行政への不信と不安?」という現状や疑問について解説。
さらに私のワクチン接種予約の顛末を報告しました。
高齢者の一人である私が、同居する94歳の高齢者のために、5/3、5/5、5/10、と3日間3回にわたって接種予約にチャレンジしましたが見事に空振り。イライラが募るとともに、サイトからの予約も電話での予約も機能しているようには思えなかったので、「横浜市は何を目的にして予約のチケットを送付したのかな?予約チケットへの対応をシュミレーションしていたのかな? 80歳以上の高齢者への予約も済まないうちになぜ70歳以上の高齢者にもワクチン接種通知を送付するのかな?・・・」と次から次に???でした。

不安解消のはずのワクチン接種予約が疑問とストレスになった顛末と、最後にはかかりつけクリニックで私も同居高齢者も一緒に予約がとれたことをお伝えしました。ワクチン接種のこぼれ話として、一部行政の首長や地域有力者などが抜け駆け接種問題を起こしている報道を紹介。人の道を踏み外すようなことはまことに残念。何ごとも源や基本を大切にしたいものです。

相武山 山主

2021年05月29日

今を生きる(下)

前に述べたように今を生きるためには過去との比較が欠かせませんから、「この時代、この社会、この地域、この環境・・・・・・」について参加者の皆さんと考えてみました。

過去の時代(昭和や大正・明治、さらには江戸時代や戦国時代、鎌倉時代や平安時代~)とは違う現代。想像できない未来とも違う現代。今は令和の時代。日本という国、生活する地域、日本の自然環境。世界中の国や地域とのつながりと影響。地球と宇宙のいとなみにも影響されます。

生活のスタイルや社会のシステムも「今」のもの。過去の時代とはちがいます。昭和の時代と比較してみるとよくわかります。「住宅、電気、水道、トイレ、電話、ガス、電気製品、洋服、食事、お菓子、商業施設、車、・・・和風から洋風へ、学校の教育内容、新旧の産業の興廃、企業の興廃、病院やクリニック、医療や治療など・・・」。

「家父長制、夫婦関係、親子関係、師弟関係など。結婚式や葬儀などの儀式行事。礼儀や言葉遣いなど文化や習俗。社会のグローバル化(社会的・経済的に国や地域を超えて世界規模でその結びつきが深まること」等々。 少し振り返ってみればその変化には驚くばかり。意識するとしないとにかかわらずほとんどの人が変化を受容して今日に至っています。

次に「今を生きるため」には、自分自身の今を知らなければなりません。自分ことといえば多くの人がわかっていると思いこみがちですが、実はそうでもありません。自分自身を見つめ知ることはかなり難しいことなのです。 自分自身を見つめ、己れを知ることが大切として「年齢、体調、性格、これまでの歩み、育った環境、修学や就職、職種や経験、人生の歩みと置かれている環境は一人ひとりちがう・・・」ことなどについて説明。その上で、今の自分にできること、できないことを理解して心豊かに生活することをお勧めしました。

変化してやまない今を生きるとして「時代は日々刻々変化していることを知る。人は誰もが生・老・病・死をまぬがれない。仏教では四劫が説かれている(成劫・住劫・壊劫・空劫のこと。仏教では世界が成立し、変化・破滅を経て、空の状態に帰するまでを四つの期間に分ける)。真理である変化をおそれない心を涵養する」ことをお伝えしました。

変化についても「変えるべきもの、変えた方が良いもの、変えない方が良いもの、変え てはいけないものがある」ことを解説。「今までの考えやかたちを変えることには不安を伴うことが多い。変容(変化を受け入れる)にはできるだけ正確な情報と知識が必要。コロナ禍によって失ったもの、コロナ禍によって得たものを知る。「今」コロナ禍での人生を歩むということは、それ以前との変化を認めて新たな人生を歩むということ。置かれた環境を愚痴ることなく認め、一歩でも前を向いて与えられた人生を歩むことが大切。人生は出会いと選択であり、人生はすべてが学びである。」と所見を述べました。

 

変化をおそれずに生きる「諸行は無常&縁起として在る」では釈尊と弟子の問答『相応部 サンユッタ・ニカーヤ』から、

「大徳よこの世の色には、ほんの少しでも、なんぞ常恒・永住にして、いささかも変易することのないものはないでありましょうか」

「比丘よ、この世の色には、常恒・永住にして、変易することのないものはまったく存しない」

「比丘よ、もしこの爪の上の土ほどのものであっても、常恒・永住に して、変易することのないものが存するならば、わたしの説く清浄の 行によってよく苦を滅尽することはできないであろう。

しかし、比丘よ、この世にはこの土ほどのものといえども、常恒・永 住にして変易することのないものは存しない。故にわたくしの説くこ の清浄な行によって、よく苦を滅尽することができるのである」

「比丘たちよ、色は無常である。色を生起せしめる因も縁も無常であ る、比丘たちよ、無常なる因と縁によって生起せる色がどうして常恒 なることがあり得ようか」『雑阿含経 サンユッタ・ニカーヤ』から「縁起の 法は我が所作にあらず、亦余人の作にもあらず、然も彼の如来、世に出ずるも、未だ世に出でざるも法異常住なり。彼の如来は自らこの法を覚って等正覚を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発し顕示す。謂わゆる此れ有るが故に彼有り、此れ起こるが故に彼れ起こる」を紹介。

「諸行無常とはあらゆる存在が変化してやまないという真理。あらゆる事物事象は縁起によって成り立っている。釈尊の覚られた真理は縁起を基本としている。縁起であるがゆえに不変・絶対なるものは存在しない。」であり、諸行無常が仏教の基本思想であり縁起は真理であることをお伝えしました。

学ぶべき日蓮聖人の言葉では以下を紹介しました。

「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」 『可延定業御書』

「夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ひて後に他事を習ふべし」 『妙法尼御前御返事』

「流罪の事痛く歎かせ給ふべからず。勧持品に云く、不軽品に云く。命限り有り惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり」 『富木入道殿御返事』

「一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給ふべからず」 『四条金吾殿御返事』
今回のテーマ「今を生きる」から 「現実をしっかりと理解しよう。己れ自身を見つめよう。過去にとらわれず、未来をいたずらにおそれない。貴重な命であることを知り、また、その命が有限であることを知る。今日一日の命のいとなみを大切にしよう。学ぶことを愉しもう。臨終のそのときまで自分自身が成長することを願う」ことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年04月29日

今を生きる(上)

本年、第4回目となる日曜法話会は4月18日(日)午前11時の開催。今月のテーマは「今を生きる『諸行は無常、仏教は変化をおそれない』」でした。
初めて参加された方もおられましたから、当山の日曜法話会は「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解して頂きたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」を主旨として開催していることを述べ、仏教寺院の存在意義は冠婚葬祭のためばかりでなく「仏教を学び伝える、僧侶と信徒が修行・修学し仏道への信仰を磨く、心を浄め癒やしと安らぎを得る、伝統や文化などを護り伝える」ことにあることをお伝えしました。

法話会のテーマで「世相」を取り上げていることについて「仏教は現実を直視する立場。仏教は神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。起こる事象はすべて学びの対象。眼前の事物・事象を自分はどのように観ているかを認識し、どのように自らの人生に活かすかが大切」であることをお伝えしました。

今月のテーマは「今を生きる」。過去のしがらみなどによって目が曇ったり、知ることのできない未来に翻弄されることなく、今この時を真剣に、そして誠実に生きることが大切であるという仏教的視点の一つの表現です。

「今」を思索する時には、その今がどのような今であるかという現状の認識が不可欠。それは今の現状を的確に認識できているか否かで判断が大きく左右されるからです。その的確な認識のためには過去などとの比較が効果的となります。というのも物事は比較することによってかなり整理することができるからです。
そのためにも自分自身が生きているこの時代、この社会、この環境などを過ぎた時代と比較しなければなりません。できるだけ的確な認識に立った上で、諸行(あらゆる存在)は無常(常ではない)という仏教の真理を理解し、変化してやまない現実を怖れることなく、永久に通じる一日一日であることを自覚して大切に歩むことが、「今を生きる」仏教徒の姿勢だと思うのです。

法話は「今を考える」ことからスタート。昨年春から世界中が翻弄されている「コロナ禍による変化」を振り返ってみました。認知症になっているわけではありませんが、たった1年前のことでもすっかり忘れていることが多いものです。
まずは「コロナ禍の現状。」
「コロナ第4波か? 欧米諸国に比すると感染者数も死亡者も少ない日本。しかし、東アジアでは感染者が多い日本。2度の緊急事態宣言と新たな『蔓延防止等重点措置』の実施。」「見通し不明のワクチン接種と専門家の第4波憂慮発言。病床の逼迫や医療崩壊への危惧もささやかれる。我が国のコロナ対策の歩みを検証しなければ悪夢は繰り返す。」と所見を述べました。

次に「コロナ禍の歩み、思い起こしてみよう」
★ 新型コロナウイルス感染症報道
(2020年1月下旬、中国武漢を発生源とする感染症が発症と報道。
★ 1月23日、中国政府が武漢市を事実上封鎖
★ 1月28日、日本人初感染公表
(武漢市への渡航歴のないバス運転手の男性。武漢から来たツアー客を乗せて、東京・大阪間を往復。翌29日にはこのバスに同乗していた女性バスガイドの感染も確認。この頃からマスクや体温計、除菌剤などを中心に衛生用品が店頭から消える。)
★ 武漢からのチャーター便帰国
(1月29日、中国・武漢市などに滞在していた日本人がチャーター機で帰国。2月17日までに計5便が派遣。中国人配偶者や子どもを含む800人超が帰国した。)


★ ダイヤモンド・プリンセス(DP)号の集団感染
《クルーズ船「(DP)号」(乗客2666人、乗員1045人)。DP号は1月20日に横浜港を出発。鹿児島、香港、ベトナム、台湾、沖縄に立ち寄り2月3日に横浜に帰港。その途中、1月25日に香港で下船した乗客が新型コロナウイルスに感染していたことが2月1日に判明。日本政府はDP号からの下船を認めず、5日から洋上で2週間の検疫を行った。陽性者は神奈川県をはじめとする医療機関に搬送され、入院措置がとられた。その間、船内の感染症対策の不十分さが指摘された。2週間の健康観察期間を経て下船した乗客が陽性診断される事例が問題となった。最終的にDP号での感染者は計712人(うち死者は13人)》
★ クラスターの発生
(2月14日、前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性が1月に開かれた屋形船での新年会に参加。都は「約100人が濃厚接触者にあたる」として検査を進め、初のクラスターとして報道された。この後、病院や高齢者施などでのクラスター発生が報じられた。)
★ 小中高等学校の休校
(3月2日から春休みまで臨時休校。)
★ 各種イベントの自粛と中止。
★ 緊急事態宣言発出
(4月7日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を発出、4月16日に対象を全国に拡大。)
★ その後については割愛。

以上、昨年1月下旬から初めての緊急事態宣言発出まで3ヶ月ほどの足取りをたどってみました。未知のウイルスによる不安と恐怖と混乱は我が国を覆い尽くしたことがわかります。それから1年という時間が経過しましたが、期待のワクチン接種も全く見通しがたたず、感染拡大が再度広がり3度目の緊急事態宣言さえ予想される現状についてお伝えしました。
続いて私が率直に疑問に思うこと・・・。
当然のことながら政治や行政も努力していることはわかっています。さらに医療従事者や介護従事者などのご苦労にも敬意を表します。しかし、腑に落ちないことやなぜ・どうしてと疑問に思うこともあります。
ポイントを絞って「パンデミックから1年4ヶ月。疑問に思うこと、なぜできない」として、「病床の逼迫と医療崩壊の解消。法律やシステムの不備があっても知恵をしぼって実行してほしい。平時と緊急時の対応は異なっていても良いのではないか? なぜワクチンの確保と接種が遅れているのか? なぜ日本でワクチンが創れないのか? 失敗や責任は忌避したいのが人情、しかし、有権者から選出されたた政治家には緊急事態との認識と覚悟が必要ではないのか? 日本ははたして先進国だろうか?・・・・・」と私見を述べました。

次にコロナ禍による大きな変化。
★ コロナの感染予防を中心とした生活と社会
日常の家庭生活、学校や会社、各種イベントや大会、宗教や文化、人的交流、儀式や行事、飲食など社会生活の在り方が大きく変化。
★ 感染の予防を中心とした生活
三密(密集、密接、密閉)を避ける生活スタイル。日々衛生管理を意識する生活。
★ リモートワーク&リモート学習
自宅での仕事や学習。
★ リモート会議
対面での会議ではなく、PCやタブレットなどを利用しての会議。
★ イベントや各種大会開催
人生の節目となる大切な行事でも中止となる。感染予防を徹底しての開催。スポーツ観戦などでは規模の縮小や内容の変更。
★ 職種によってコロナ禍の影響が異なる。
★ コロナ禍による経済的な被害は深刻。
★ 儀式や行事の変化
コロナ禍によって儀式や行事のかたちが変化することもある。
以上誰もが実感した社会の変化をお伝えしました。

(つづく)

相武山 山主

 

2021年04月28日

東日本大震災に想う

3月14日(日)は今年3回目の法話会。テーマは「東日本大震災に想う」でした。いまだ緊急事態宣言の延長下でしたが30名近くの方に参加聴聞頂きました。簡略に法話会の趣旨を説明すると倶に、10年前の第1回法話会が平成23年4月であったことを回顧してテーマに入りました。

はじめに東日本大震災を振り返り「10年の節目にしっかりと災害を検証し想いを深めることが大切」として「何ごとも正確な情報とその適切な分析が重要。複合災害(大地震、大津波、原子力発電所の事故など)であったことを認識すること。この大災害から何を学んだか?一人ひとりが考えること。これから発生するであろう自然災害にどのように向き合うか、一人ひとりが考え行動しなければならない。」と所見を述べました。

考えるべきこととしては「大地震と大津波の脅威」「大川小学校の悲劇と責任の検証」「災害は現在進行形、深刻な原子力発電所の事故」の3点を提示。
大地震と大津波では「2011年(平成23年)3月11日(金) 14時46分、東北地方太平洋沖を震源地とする大地震。地震、大津波、火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万2000人余の死者(震災関連死を含む)・行方不明者が発生した。明治以降の日本の地震被害としては明治三陸地震(死者・行方不明者2万1959人)を超えて関東大震災(死者・行方不明者推定10万5000人)に次ぐ2番目の規模の被害。

 

次に石巻市立大川小学校の悲劇と責任の検証
「東日本大震災に伴う津波が本震発生後約50分、15時36分頃、新北上川(追波川)を遡上。この結果、河口から約4kmにある大川小学校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と教職員13名中、10名が死亡。その他、学校に避難してきた地域住民や保護者のほか、スクールバスの運転手も死亡。学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては第二次世界大戦後最悪の惨事」である概要を説明。
地震後の学校の対応について「裏山への避難中止」「避難場所を巡っての議論」「校長不在による避難判断の問題」「集団パニック状態かそれに近い状態だった」ことなどを解説。数年前に私は現地に慰霊にお参りしましたが、そのときの体験と心情もお伝えしました。

続いて災害は現在進行形として「原子力発電所の深刻な事故」について。
事故の概要「地震発生当時、福島第一原子力発電所では1 – 3号機が運転中。4 – 6号機は定期検査中。1 – 3号機の各原子炉は地震で自動停止。地震による停電で外部電源を失った。地震の約50分後、遡上高14 m – 15 m の津波が襲来。、非常用ディーゼル発電機が海水により故障。さらに電気設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷するか、または流出したため、全電源喪失に陥った。
このため、ポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や使用済み核燃料プールへの注水が不可能となり核燃料の冷却不能となった。
1・2・3号機ともに、核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起き、溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開いたか、または制御棒挿入部の穴およびシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が圧力容器の外側にある原子炉格納容器に漏れ出した(メルトスルー)。

1 – 3号機ともメルトダウンの影響で、水素が大量発生。原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素ガスが充満。3月12日午後3時36分に1号機、14日11時1分に3号機、15日午前6時10分に4号機がガス爆発。原子炉建屋、タービン建屋および周辺施設が大破。大気中や土壌、海洋、地下水へ大量の放射性物質が放出。複数の原子炉(1,2,3号機)が連鎖的に炉心溶融、複数の原子炉建屋(1,3,4号機)の水素爆発が発生。大量に放射性物質を放出した史上例のない原発事故。」を説明。
原発廃炉への想像を超える長い道のりは災害が現在も進行中であることを示していると述べ、「国民全員が原子力発電所事故の深刻さを認識しなければならない。偽りのアンダーコントロール発言。廃炉への行程が見通せず、いつ何が起こるかわからない危険な現状。地球規模の災害(自然・人的)を引き起こした責任。廃炉へのスピードアップと原子力発電からの速やかな撤退を真剣に検討するべき」との所見をお伝えしました。
被災者の癒やしと救済について
被災から立ち上がるために「癒やされることのない悲哀を理解。祈りは力、犠牲者への真心からの追悼。全国民からの物心両面からの継続的な支援。被災者は祈りと覚悟から立ち上がる。犠牲者への慰霊が生きる力になっている。祈りにはカタチも必要。よみがえらせたい現当二世を救済する仏教への信仰」について所見を述べました。

目前に迫っている自然災害については「首都直下型地震。東南海の巨大地震。富士山の噴火。気候温暖化をはじめ地球規模の災害。宇宙空間の変動等々」一人ひとりが災害への心の備えと具体的準備が必要であることをお伝えしました。
結びに日蓮大聖人の立正安国論から「自然災害や疫病の流行に警鐘を鳴らした日蓮。庶民の現実的苦悩を共有した大乗仏教者日蓮。災厄の起源を仏典に求めた日蓮。日蓮に現代科学の知見があったならどのように語るであろうか。科学と人間の心の調和をとることが大切。」と所見を述べました。

学ぶべきこととして「一人ひとりが自身のこととして考え思案することが大切。やがて発生する自然災害を想像し日頃から用意と準備を怠らない。平穏な日々の生活がいかに貴重なものであるかをかみしめる。精神を涵養する信仰や祈りに想いをめぐらす。」をお伝えして3月度の法話会を終了。
4月の日曜法話会は18日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年03月30日

有り難いを知る(感謝のなかみ)

今月の日曜法話会は11日。前日まで台風14号の影響が心配されましたが、当日の関東上陸は避けられ伊豆諸島の方に南下したために青空も広がる天気になりました。当初は雨の予報でしたから参加者も少ないと思っていましたが、二十数名ほどの方に参加聴聞頂きました。法話会のテーマは「有り難いを知る」。サブタイトルは「幸せを感じる人生(仏教的な幸せとは)」でした。
私たちは今ある状況が好ましいと思えば幸せを感じ、好ましくない、つらい、苦しいと思えば不幸を感じます。いつも自分の思うようになるならば、誰もが幸せを感じられるのでしょうが、ほとんどの人が理解しているように、人生はさほど自分の思うようにはなりません。しかし、たとえ思うようにならない人生であっても日々幸せを感じながら歩みたいと私たちは願っています。


幸せを感じながら人生を歩むためには「すべてに感謝をすること」とは一般常識のように語られています。さまざまな宗教や信仰の世界、自己啓発のために語られる言葉にも最も多く多用されているのは「感謝のこころを持つ」であり、ビジネス書にさえ「感謝の心が道を切り拓き、あなたを成功へと導く」とあります。感謝とは「ありがたいと思う気持ち」のこと。ありがたいという気持ちが起こることによって私たちは幸せを感じることができるのは自明の理なのです。
今月の法話会ではこの感謝の心のなかみを求めて、私たちの存在にかかわるすべてのものごとが有り難いことであることを学びました。はじめに「幸せとは?」との問いです。一般的には熟慮することなくイメージが先行していて、置かれている環境や一時的条件などをもって遇・不遇を幸・不幸と誤解しやすいことを指摘。
一般的に「これがあれば、あれがあれば、こうなれば、こうだったら・・・」という「たら・れば」がよく語られますが、幸せと思われる環境や条件だけを語っても意味はありません。その例として、「お金があっても幸せではない人がいる。健康でも幸せではない人がいる。家族がいても幸せではない人がいる。学歴が高くても幸せではない人がいる。会社で出世しても幸せではない人がいる。容姿端麗でも幸せではない人がいる。事業が成功しても幸せではない人がいる。社会的地位があっても幸せではない人がいる。・・・」のが事実。同じ環境や条件であっても、ある人は幸せと考え、ある人は不幸と感じているのです。

幸せを感じるというのは感性そのものであり、それも刹那的・一時的・流動的なものではあまりに儚く、環境や条件などに左右されない普遍的価値に裏打ちされた感性でなければ残念です。また、幸せを得るためには正しい知見が必要(現実直視の仏教)であり、自分自身を知る(人間の心と身体についての知識、自身の資質や性格など)こと。置かれている環境を知る(いかなる出自、いかなる家族、いかなる時代、いかなる社会に生きているか等々)こと。人生と社会を知る(限りある人生と変遷してやまない社会)ことなどが大切であることをお伝えしました。
幸せとはゆるぎない安らぎと満足を意味しており、不幸とは不安と恐れ、不平と不満とみることができます。幸せが安らぎと満足ならば、そこには必然的に「今、貴重な有り難いことが現出しているという認識と感謝の思い」が存在しています。この認識と思いが幸せの基盤となっているのです。

次に有り難い(何ごともそのようにある〈状態〉ことは難しいのに、今、その状態にあるということ)を理解するために「人間存在の不思議と奇跡」について解説。
◆人間は超有機体
「人間はヒトの細胞と細菌から成る「超有機体」であり、人体を構成する細胞の数は約37兆程度。体内に生息する細菌の細胞数は100兆を超える。体内微生物が免疫系など人体の仕組みと密接な相互作用をしている。人間とはヒトの細胞と微生物とが高度に絡み合った集合的有機体である」
◆人間の細胞は入れ替わる
「人間の細胞は入れ替わる(入れ替わらない細胞もあるが…)。組織によって細胞の入れ替わる年数が違う。入れ替わる周期(赤血球120日、骨細胞90日、肌細胞28日、胃の細胞5日、小腸の細 胞2日等々)。細胞は儚く私たちが自覚できないうちに絶えず生まれては死んでいく。ただし、生まれ変わる周期は一時ではなく、見た目には分からないレベルで総入れ替えするのが約6~7年ほど。」
◆細胞が入れ替わるのになぜ病気は治らない?
病気の人でも細胞は新しく生まれ変わるが、病気が治らないのは遺伝子そのものが損傷しているから。遺伝子が損傷していると細胞に情報がきちんと伝わらない。未完成の細胞ができてしまう。そのためにうまく修復できなくなり病気が治らない。

レジメに沿って私たちの人体が極めて複雑精緻にできている事を説明し、「人間の身体は実に不思議で壮大なもの。複雑多岐にわたる人間の身体に、それを円滑に動かす脳や神経などのソフトが精緻に作用して人間が存在している。そのうちの一つでも障害を起こせば健康な生活はたちどころに失われてしまう。人間の生命存在そのものが実に貴重で有り難いものとの認識が大切。」であることをお伝えしました。
有り難いと理解して感謝の対象とするのは自身の身体ばかりではありません。この世に生命を与えてくれた両親はじめ数えきれぬ祖先たち。人生にとってかけがえのない存在である家族や友人たち。人生を歩むためにさまざまなことを教えてくれた教師や先達。そのどれもが有り難い存在なのです。
また、すべてを自分だけでまかない誰にもお世話になっていないという人は存在しません。生きるための衣食住の環境すべては他者による提供なのです。皆多くの人々のお世話になっているのですから、すべての人々への感謝を忘れてはいけないのです。

家族がいること、友人がいること、知人がいること、学べること、働くことができること、いずれも当たり前のことではありません。実に有り難いことなのです。
また、天地自然の恵みによって私たち一人ひとりは生かされています。地球のめぐみばかりでなく、月のめぐみ、太陽のめぐみ、宇宙のめぐみ、さらにはそれらのすべてが円滑にはこぶ妙法のはたらきによって生かされているのです。天地自然の運行や宇宙の営みが円滑さを失えば私たちの生命ははかなく絶えざるを得ないのです。そのように思いをはせることができれば一日一日の命がいかに貴重なものであるかがわかります。
むすびには釈尊のことば
「『われらはこの世において死ぬはずのものである』と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知れば争いはしずまる」[ダンマパダ]
日蓮聖人のことば
「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」[可延定業御書]を紹介し、10月度の日曜法話会は終了。
11月15日は今年最後の日曜法話会です。
皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2020年10月29日

9月の日曜法話会

9月13日(日)は日曜法話会。法話会はコロナ禍のために4月から3ヶ月間中止して7月からの再開でしたが、7月・8月の参加者は以前の半数以下でした。9月はコロナ禍にもいい意味でなじんできたのか、旧に復してきたように思います。

今月の法話会のテーマは「お彼岸について」。サブタイトルは「心静かに人生を見つめ仏の道を実践するとき」でした。すっかり我が国の習俗となっている春秋のお彼岸ですが、秋の彼岸会を迎えるにあたってその意義について聴聞の皆さまと考えてみました。

毎回法話会のはじめにはその趣旨をお伝えしていますが、今月は初めての方はいらっしゃらなかったので割愛してレジュメに沿ってお話を始めました。

彼岸について
「現在の我が国の祝日の意義によれば、春のお彼岸は『自然をたたえ、生物をいつくしむ祝日』。秋分の日は『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ祝日』とされていますが、春秋ともに多くの人々が寺院に参詣して先祖や精霊に供養をささげ、墓所などにお参りするのが一般的になっています。

仏教の行事のように思われていますが、このような習俗はインドや中国にはみられず、日本独特のものです。その歴史は古く、春秋の2月、8月(陰暦)に7日間の仏事を行うことは、806年(大同1)を最初とし、平安時代初期には恒例となっていたことが日本後紀や延喜式にみえます。
この仏事が彼岸会とよばれていたかどうかは不明ですが、宇津保物語や源氏物語などに彼岸の語がみえるので,平安中期には彼岸や彼岸の仏事が定着していたことがわかります。

彼岸の語源はサンスクリット語のパーラミター「波羅蜜多」の訳で、元来は仏の悟りの世界である向こう岸に渡るという意味です。此岸を迷いの凡夫の世界に喩え、川の向こう岸の彼岸を仏の世界に喩えたものです。此岸から彼岸へ渡ること(仏道成就)を求め願うのが仏教の姿勢です。
また、彼岸には『仏の世界』という意味と『自らに与えられた環境で仏道に励む時にはその世界が彼岸である』という二通りの意味があります。ことに大乗仏教では僧院に入らずに生活を営みながらでも、仏とその教え信じて信行に励む者の世界はそのまま仏土であると説かれています。

大切なことは私たちが此岸(煩悩に覆われた迷いの世界)に生きているという認識に立つこと。現実の世界ではその時代の環境、その時代の価値観、その時代のシステムなどの制約のなかで生活しています。人間はおよそ未成熟であり未完成なる存在です。生活のために凡夫は眼前刹那の利害損得に陥りやすく、迷惑の根源をしっかりとみつめようとしない。また好きや嫌いという自身の一時の感情にも流されやすい存在なのです。

釈尊はバラモンの教えを超克し、解脱して仏教を創始されましたが、その基本思想は『人間が苦悩するのは本来具えている燃えさかるような貪欲・瞋恚・愚癡などの三毒を中心とする煩悩に由来し、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静という縁起の真理に迷うことにある』というものです。
原始仏教や小乗仏教では資質と環境に恵まれた一部の者が煩悩の断尽による覚りを求めましたが、大乗仏教では煩悩を断じた覚者となることは上根上機の限られた者であり、永遠の仏の存在とその教えを深く信ずることによって救済されると説かれました。

仏の道を歩むということは、自らの愚かさを認め、仏の教えを信じ学び行じて、己の人間性を終生磨き高めて行くこと。お彼岸が休日となっているのですから、みんなで心静かに人生を見つめ仏の道を実践するときとしたい」
と申し上げて9月度の法話としました。

相武山 山主

2020年09月28日

平和に思う(日曜法話会から)

妙法院では「仏教に親しむ」をテーマとして10年前から毎月1回日曜法話会を開催しています。今年はコロナ禍のために4月から6月まで開催を中止しましたが7月から再開。
8月は16日(日)午前11時からの開催でした。コロナ禍に連日の猛暑ですから参加聴講はわずかな方と想定していましたが思いのほかにご参加頂きました。
8月法話会のテーマは「平和に思う」。前日が75回目の終戦記念日であり、当山でも執り行った戦没者追善法要の意義を深めて、参加者の皆さまと前の大戦を概観し平和について考えてみたいとのテーマです。戦争と平和、民主主義と基本的人権などについて所見を述べ、釈尊と日蓮大聖人の遺された言葉から教訓を頂きました。

【戦争の事実を直視】
夏8月を迎えると各メディアは一斉に「広島・長崎への原爆投下・・・」「太平洋戦争の惨劇・・・」「戦時中の苦悩にあえぐ世相と国民の困窮生活・・・」等々について報道するのを常としています。これは極めて当然のことで、前の大戦は国民を苦悩のどん底に陥れ、国土を大きく荒廃させました。また、我が国ばかりでなく太平洋一円の国や国民に計り知れない甚大な被害を与えたのです。

二度と同じ過ちを犯さないためにも私たちは前の戦争の真実を知らなければなりません。何ごとにおいても「いつ・どこで・だれが・何のために・何をしたのか・そしてその結果は」という事実を検証し整理することが大切なように。
凡人の集まりであるこの世の中、政治でも社会でも都合の悪いことには目をつむったり、耳を塞いで、批難が通り過ぎるまでしのごうという姿勢は古今東西に見受けられことですが、それでは失敗を活かして同じような過ちを断つことができません。より良い解決のためにはやはり事実の検証が必要なのです。

我が国の健全な未来にとって太平洋戦争の真実は真摯に探求されるべき歴史的課題であるとともに、基本的人権が保証された民主主義国家の確立とその維持に不可欠のテーマといえるでしょう。前の敗戦についてはさまざまな視点から反省がなされたり、戦没者への慰霊や遺族への補償も実施されました。また、非戦・反戦・自衛など平和に関する議論も今に行われています。しかし、国としてのたしかな総括が行われたという認識は乏しいように思えます。そのために戦争被害をこうむったアジアの国々とのあつれきが解消されていないのではないかと思うのです。

法話会ではレジュメと一緒に『第2次世界大戦死者数』『戦没者の過半数は餓死』『安全保障の焦点は国家から人々の安全保障へ』などのプリントをお渡しました。その上で前述のように「太平洋戦争の確かな検証」が大切ということと、「敗戦によってもたらされた民主主義」「天皇主権から国民主権へ大転換」「すべての国民に基本的人権の保障」について所見を解説しました。

【人権と民主主義の価値を確認】
昭和20年8月15日、天皇の終戦宣言による敗戦受諾から一夜にしてダイナミックな価値観の転換が促されたのです。現人神(あらひとがみ)として日本国の主権を握る天皇が人間宣言をし、臣民(しんみん)であった国民が主権者となったのですから、まさに青天の霹靂。急には理解できない話です。さらに、一人ひとりの国民には差別なく基本的人権が保証され、天皇や貴族、軍部や財閥などの特権階級による政治ではなく、主権者たる国民の意志によって政治社会が運営されるというのです。

戦後の時代しかしらない現代の私たちには、基本的人権、主権在民、民主主義は当たり前の概念ですが、戦前の思想と教育のもとに生活していた人々にとっては、戦後しばらくその受容に意識して取り組まねば理解できないものでした。

基本的人権によって得られた自由と権利、民主主義によって得られた主権在民というシステムは、我が国においては敗戦受諾で突然天から降ってきたようなものといっても過言ではないでしょう。しかし、欧米では自由と権利・民主主義のために長い間、血涙の歴史がありましたから、自由や権利、民主主義については現在でもとても敏感です。したがってその権利を守るためには労をいといませんし、政治についても我がこととして意識している人が多いように思えます。

我が国では人権や民主主義をあまりにも当然として、そのすばらしい価値を見失っているのではと思えることが散見されます。これはとても残念なことで、終戦記念日には戦争と平和について考えるとともに、是非、人権と民主主義を考える好機としてほしいと願っています。また、平和は何らの努力もせずに得られるものではなく、平和な世界は強い意志と絶え間ない努力によって維持されることも認識しなければなりません。

【平和を求めて】
続いて「現代社会の平和を脅かす人権軽視と覇権主義」「一党独裁国家の専横」「世界中の差別主義」などについて言及し、結びは「仏典に学ぶ平和」でした。

原始仏典 ダンマパダ (中村元 現代語訳)から
☆「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みのやむことがない。堪え忍ぶことによって、怨みはやむ。これは永遠の真理である」
☆「その報いはわたしには来ないであろうとおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである」

日蓮大聖人の立正安国論から
『汝須く一身の安堵を思はば先づ四表の静謐を祈るべきものか。就中 人の世に在るや各後生を恐る。是れを以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。ー 略 ー
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。此の詞此の言、信ずべく崇むべし』
を紹介。

今月の学ぶべきこととして
「平和は意識しなければ崩れやすい。前の戦争をけっして忘れてはならない。常に戦争の検証を怠らず、民主主義のルールのもと、権力者の言動に注意しなければならない。平和の基本は人々の心の平安から。平和は基本的人権の尊重による。
一人ひとりが現代の平和の語り部となろう。」
とお伝えしました。
来月の法話会は9月13日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2020年08月30日

日曜法話会を再開

当山では檀信徒の皆さまに3月下旬から参詣の自粛をお願いしてきましたが、7月からは三密の対策を講じながら法要・行事への参詣を再開。12日の日曜日には4月から中止していた日曜法話会を開催しました。法話会は「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経と日蓮大聖人の教えにふれる」を趣旨に平成23年3月から開始し今年で10年目を迎えました。

毎年1月から11月まで11回にわたって開く法話会には檀信徒の皆さまばかりでなく、地域タウン紙の広報により一般の方々も参加聴聞されています。今年の梅雨は雨の降らない日はないという横浜ですが12日は幸いにも曇り空。久々の法話会にも15名の方お出でになりました。

いつものようにレジュメに沿っての法話。はじめに法話会では世相をテーマとする理由を「仏教は現実直視」「あらゆる事物事象は私たちと無縁ではない」「自分が現象をどのように観ているかが大切」「起こる現象はすべて学びの対象」と解説。

次に今月のテーマである「今を生きる」について。コロナ禍によって我が国ばかりでなく世界中が不安と混乱のなかにありますが、多くの人が静かな自省の時間が得られたことも事実。このような時にこそ自らの存在の有様をみつめ、与えられた今をどのように認識すべきかを考える事が必要。「今を生きるとは自らに与えられた環境を受容し、そこを基盤に自分らしい人生を歩むことである」と説明。

『人は皆、過去からやって来て、今を生き、未来へと歩みを進める存在。今の自分の在りようが過去をおさめ、未来の果報を定める』『過去ばかりにこだわる人、未来ばかりを夢見る人がいる。それぞれ自由だが「今を直視する」ことなくして真の安らぎはない。』ことをお伝えしました。

世の中には啓発本があふれていますが、より佳い今を歩むためには仏教の叡智を学ぶことも有益。素朴な原始仏典から以下ダンマパダの数節を紹介しました。
☆「まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実に達する」
☆「一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と称讃とに動じない」
☆「たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである」
☆「善をなすのを急げ。悪を心から退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ」
☆「沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない」
☆「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない」
☆「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ」
☆「みずから自分を励ませ」
☆「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ」
等々。

また、末法の法華経の行者である日蓮大聖人の教えを以下の御書から紹介。
☆『一切の事は時による事に候か。春は花、秋は月と申す事も時なり』(上野殿御返事)
☆『夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。ー 略 ー 彼の 時鳥は春ををくり、鶏鳥は暁をまつ。畜生すらなをもかくのごとし。何に況や、仏法を修行せんに時を糾さざるべしや』(撰時抄)
☆『仏法には賢げなる様なる人なれども、時に依り機に依り国に依り先 後の弘通に依る事を弁へざれば、身心を苦しめて修行すれども験なき事なり』(下山御消息)
等々

最後に「あらゆる現象は縁起によって生起し変化してやむことはない。変化をおそれることなく可能性を信じて前向きに生きる。コロナ禍からも多くの学びを得よう」とお伝えして法話を結びました。
来月の法話会は16日(日)午前11時からの開催を予定しています。

相武山 山主

2020年07月25日

7月の盂蘭盆会

横浜や東京などでは7月にお盆の法要が執り行われます。月遅れで8月にされる方もおられますから、当山では7月と8月の2回、盂蘭盆法要を営むことになります。去る13日(日)は午前11時の日曜法話会に続いて午後1時より月例の宗祖ご報恩講を執り行い、併せて盂蘭盆の法要も行いました。

今年7回目となる日曜法話のテーマは「仏事の意義」でした。お寺で執り行われる仏事と個人や家庭で執り行われる仏事、それぞれのかたちと内容についての法話です。さまざまな仏事にふれることはもちろん、自ら仏事を営むこともある人生、その意義が理解されてこそ、仏事に臨む悦びや愉しみが得られ、心をこめて執り行うこともできるというものです。知っているようでよくわかっていない仏事についてのお話でした。テーマに入る前の「今月の世相」では野々村元兵庫県会議員の政務調査費などの不正事件をとりあげ、「号泣会見など笑える事件との一面もあるが、古今東西、すべての人々の思考や行動には品性や品格といわれるものが現れている。どのような人生を歩んできたのか、どのような人生を歩んでいるのか、それらはその人の品性・品格として現れ、その人となりを明らかにする。野々村元議員を他山の石として、自らの品格を高めて行きたい」と意見を申し上げた。

テーマの仏事の意義については、「仏事とは仏教の儀式や行事や作法のこと。寺院の荘厳やお給仕、執り行われる日々の勤行や年中行事と法会を中心に、個人や家庭での仏壇の飾り方やお給仕とその作法、朝夕のお勤めや法事や葬儀式、そして初参りや七五三参り等に及ぶ。寺院は教えを護り伝えるために、信仰者は教えを確認しそこに自らの信仰を明らかにするために仏事が作(な)されている。心はかたちを求め、かたちは心を調えるという相乗作用により、荘厳や儀式作法のすべてに仏教の教えと、信仰者の思いが込められている。仏事は仏さまの道を敬い教えを現わすものである」と解説いたしました。最後に仏事でありながら、すでに我が国の習俗とも伝統とも文化ともなっている「お盆」のいわれを、日蓮大聖人の盂蘭盆御書を拝読して説明。仏事の意義を理解して仏の道を大切にされることをお勧めしました。

50分ほどの昼食タイムをはさんで午後1時からは宗祖ご報恩講と盂蘭盆会を執り行いました。はじめに御宝前にて仏祖三宝尊への献膳を申し上げ、参詣者の申し込まれたお塔婆が建立されている精霊壇にもお膳を供えて供養の志をささげました。その後、参詣の方々と読経・焼香・唱題とお勤めをいたし、宗祖への御報恩を申し上げると倶に、盂蘭盆会にあたってご先祖と有縁精霊への追善供養を申し上げました。

法要後の法話では、初心者の方々も居られることから盂蘭盆御書を拝読し、お盆のいわれを説明し、「目連尊者の親を思う心と慈悲心、青提女の貪ぼりとエゴイズムを他者のものとせず、自身に引き当てて考えることこそ、お盆の意義を深めることになる」と申し上げました。

法話の後には、各自建立ご回向されたお塔婆をもって墓所に向かわれました。当山の墓苑に墓所をお持ちの方も塔婆を建立し香華を手向けておられました。ご先祖や有縁精霊に追善供養の思いを捧げられた皆さまの志に敬意を表する次第です。
相武山 山主

 

2014年07月20日