相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

法華講総会を開催

梅雨の晴れ間となった6月18日(日)、午後1時から第40回妙法院法華講総会を開催しました。妙法院法華講は当山開創時より檀信徒の信行増進と菩提寺の護持を願って結成された講中です。法華講は日蓮大聖人御在世の頃より結成されたと伝わる富士日興門流の信仰組織。全国の寺院や布教所では古から組織されてきました。
しかし、その目的は同じでも体勢や活動はそれぞれの寺院や布教所によって異なりがあります。寺院の成り立ちやその地域性、僧俗の意識によってちがいがあるのです。しっかりと整った組織となって活動している寺院もあれば、緩やかな組織として穏やかに活動している寺院もあります。妙法院はどちらかといえばゆったりとした組織で活動も穏やかです。そのため、せっかく仏縁を得て信徒が集いながら、法華講としての意識が薄いために、個としての信仰を深めながら、他者との交わりからさらに信仰を昇華させるという意識に至っていないのは、住職として少しもったいないと思っています。

現代は個人としての行動が好まれ、集団というかたちでの行動はあまり好まれないという傾向にあるようです。しかし、何ごとにも通じることですが、個人と集団というかたちの行動には、それぞれにプラスとマイナスがありますから、その佳いところを学び合うならば双方に利益となることでしょう。妙法院の法華講もそのようにありたいものです。

総会の当日は午前11時から月例の日曜法話会が開催されましたので、法話会に参加聴聞された方は引き続いての参加となりました。コロナ禍によってここ3年ほど寺院の法要や行事が自粛を余儀なくされていましたが、コロナも5類となっての総会では、低調となっている講中活動を徐々に復興して行こうと意識するものとなりました。
はじめに参加者一同にて勤行唱題を修め、妙法院講中の信行増進を祈念。併せて法華講物故者への追善ご回向を申し上げました。

総会は阿部一博さんの司会で開会。
はじめに阿部純子さんが令和4年度講費会計報告。参加者に配布した収支計算書の内容を丁寧に報告し、結びに「講費の納入は講中の6割~7割ほど。数年厳しい状況が続いているので、意識をもって協力をお願いしたい」と述べました。続いて落合美代子さんによる監査結果報告がなされ、参加者によって承認されました。次に新倉講頭が挨拶。「ご住職の指導を中心にお互いに仏弟子として信心を磨いて行こう」とのべての挨拶でした。
住職挨拶では、開創当時からの妙法院の変遷を略述。「講中みんなの仏道精進で現在の妙法院が存在しています。妙法院は正信覚醒運動の展開の中から誕生し、現在も覚醒運動の前進に努めています。法華講の意義は日蓮大聖人の仏法を護り弘通することにあり、時代の変化によって活動に難しさがあるのは事実ですが、皆で啓発し合って活性化をはかって行きましょう」と挨拶。

その後は正信会の活動方針「まなぼう法門、かたろう信心」のささやかな実践。会場のしつらえを車座とし、司会の阿部さんの進行で参加者全員が信仰所感を語りました。飾ることなくかたられた内容は、「自己紹介から近況の報告。家族間での信仰の語らい。御講などへの参詣意志の表明。仏道に向き合うことの大切さ。信仰を深めることの難しさ。信心を続けてきたことによって自分の人生の役割に気がついたこと。少しずつでも仏法のために尽くして行きたい・・・・・」とさまざまでした。
最後に執事の大山興厳師が昨年の座談会の発言にふれて、反省をこめながら今後の精進を述べて座談会は終了。司会の閉会のことばで総会は閉会。住職の導師でお題目を三唱し参加者は笑顔で帰路に着きました。

相武山 山主

2023年06月29日

身を護る(下)

《他者には仏教の知見を伝えながら己れに油断》
「身を護る(上)」で身体の不思議と日々健康であることは当たり前ではないことを説明した後は私の愚かさについて。題して「他者には仏教の知見を伝えながら己れに油断」です。
・脊柱管狭窄症と私(住職)
「数年前から、腰から太ももまで、痛みとしびれの自覚。しかし、歩行にはあまり問題はなかった。腰痛による不調は昔から時々あった。症状が出ているのに深刻に考えなかった。
長く健康に恵まれていたことへの油断。亡くなった母親は「強度のリュウマチ」、遺伝からも想像できる。釈尊は娑婆を忍土と教えられた。仏道に「我慢と辛抱」はつきもの、子どもの頃からの僧侶の習性。僧侶は「修行」といわれたら我が儘はいえない」
と前説明。
※参考資料『脊柱管狭窄症』(日本整形外科学会のホームページから)配布。

《ことの顛末》
3年前、下肢に不調と不快が強くなったので整形外科を受診。
レントゲンを撮って頂くも医師の診断は「加齢によるしびれと痛みですかね・・・」。いくつかの質問もしたが丁寧な説明もなく、そんなに深刻ではないのかと独り合点。しかし、その後も改善することはなく、半年後にはひどい痛みでめずらしく数日混乱。別の整形外科にかかるも、やはり「加齢ですかね・・・」でした。きちんと診察してもらい治療しなければとは思ったのですが、しびれや痛みは出たり出なかったり。公私ともにいつも多忙のためにすっかり油断。
常の法話では「仏教では諸行は無常、あらゆる事は縁起によって成り立っており、健康なことは当たり前ではないと説かれています。健康である条件が不思議なほどに調えられて、今、健康であるに過ぎないのです。いつ病気になってもおかしくない身体が、今日はたまたま健康であるというのが真理なのです。今の健康に感謝しましょう」とお伝えしているのに恥ずかしい限りです。

下肢の不調はその後も続いていましたので、素人ながら「これは脊椎間狭窄症かもしれないな」と思っていました。今年になり二度長い時間歩くことがありついに間欠性跛行。体調からして脊椎間狭窄症と確信しました。前回二度の納得できない診断があったので、今度は医師の選択は慎重にしなければと判断。予備知識も学んだ上で、かかりつけ医にこれまでの経緯を説明。「私の質問に向き合って頂ける方、丁寧な説明、診察と治療も安心できる医師をご存知なら紹介願いたい」と伝えました。
すると、「そうなんです。医師もさまざまです。医師を選んでも良いんですよ。整形外科の先生でしっかりした医師を知っていますのでご紹介します。この先生に紹介状を書きますので、事前に先生が診察する日を確認して訪ねてください」と有り難い対応でした。

《同じ総合病院での診察・医師によって異なる診断》
ご紹介頂いたのはなんと以前診察してもらった総合病院の副院長で整形外科部長さんでした。当然、私の前回のレントゲン写真も(3年前)その病院に保存。診察にうかがった時に、その画像を見た医師は「この画像で脊椎間狭窄症というのはわかりますね。どのように診断されましたか?」と尋ねられました。あっさりとした医師のことばに私は驚きましたが、私は「その先生は、『加齢ですかね、まだはっきりわかりませんね・ ・・』との診察でした。」私はもう少し説明と対処を教えて欲しかったのですが・・・」と答えました。
すると部長医師は「そうですか」と嘆息。
その後、すぐにレントゲンの撮り直し、前回と違い4方向からの撮影でした。その結果をみて医師は「かなり悪化していますね・・・」とのこと。私の質問にも一つひとつ丁寧に応えて頂き、説明も的確で安心しましたが、さらに翌日にMRIの予約を入れて頂き、コルセットの装置と服薬を処置して頂きました。
3日後にはMRIの結果をもとに再度の診断。「長い時間をかけて悪化していますね。狭窄の箇所が広いので厳しい状態ですね・・・。まずは服薬とコルセット、リハビリ的なことから始めましょう、さらに悪化するようなら手術ということになります」ということでした。

明確に脊椎間狭窄症と診断されたので、これからは残された大切な時間のためにもまじめに治療にはげむつもりですが、すべては私の油断と反省し、「医師は選ばなければいけない」と自戒した次第。
「医師を選ぶ」などというと傲慢に聞こえるかもしれませんが。我が身を護るためには必須の心得かもしれません。私のことばで強くはいえないので参考として以下、「お医者さんは選ばなければならない」ということを「《生成AI「ビングBingからの参考意見》」として紹介しました。

二部の「仏教に親しむ」では
「仏教と医療」について。
《釈尊の覚り》
釈尊はバラナシーのサールナートで初めての説法(初転法輪)を行い、「四諦・八正道」を説かれたと伝えられています。
「四諦」とは
・苦諦(人生は思ようにはならない、苦に満ちていると諦める)。
・集諦(苦を引き起こす原因は欲望と執着を集めることと諦める)。
・滅諦(苦の原因である欲望と執着を滅すれば真の安らぎがあると諦める)。
・道諦(真の安らぎのためには八正道を実践することと諦める)。
「①正見(正しい見解) ②正思惟(正しい決意) ③正語(正しい言葉) ④正業(正しい行為) ⑤正命 (正しい生活) ⑥正精進(正しい努力) ⑦正念(正しい思念) ⑧正定(正しい禅定)」
であることを解説。
次に
「釈尊は医師として衆生の苦悩を治療」されたことを解説。
釈尊は衆生の「苦諦」病気(苦悩)の診断をされた。
釈尊は衆生の「集諦」病気(苦悩)がどこから来たのかを理解させた。
釈尊は衆生に「滅諦」病因(苦悩)を除去すれば治ることを教えた。
釈尊は衆生が「道諦」治療(仏道)に精進して心身を健康にすることを教えた。
ことを述べ、現代に生きる私たちも仏縁を大切にして仏道修行に精進しようとお伝えしました。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年06月28日

身を護る(上)

6月度の日曜法話会は18日でした。今月は初めて参加された方もおられましたので、始めに当山の日曜法話会が「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しい理解を願う。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれる。」を趣旨としていることをプロローグとしてお伝えしました。
何ごとについてもいえることですが、「仏教」といっても聞かれた方はそれぞれ勝手にイメージをされることでしょう。仏教に関心のある方もいればまったく関心のない方もおり、敬意を払われる方もいれば当然否定的な方もおられます。もとより、仏教への理解と認識は各人各様の見識によるのですが、私たち仏教への信仰を持つ者は、自分のためにも誤解や理解のない方への啓蒙のためにも、より正しい知識を身につけ伝えなければならないと思うのです。妙法院は現代に法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝える法華の寺院ですので、できるだけ正しい知見を得て頂きたいと願って法話会を開催しています。

プロローグとしては
「周知のように仏教はインドの釈尊によって創始された宗教ですが、2500年の永い歴史を有し、アジア全域におよぶ広範な地域に伝播しました。また、それぞれの時代や各地域によってさまざまな受容と展開をしながら現代に至っていますので、簡単に説明することは難しいことです。多少関心のある方でも、根気よく学び続けなければ仏教を理解することはできませんし、解説することはさらにハードルが高いといえます。
まして、仏教は古来仏道と称されてきたように、仏教の知識を学べば良いというだけでなく、自ら実践して人生に活かされなければなりません。知識と実践を修めることが求められているのです。難しいといえばそのとおりですが、根気よく学び続けて信行して行けば少しずつ理解が進み、その教えの深さとおもしろさ、さらには愉しさまで味わうことができ、不惑の安心を得ることができます。せっかく大乗仏教を受容した日本の国に生まれたのですから、深いご縁と受容して仏教を学んでいただきたい。」
とお伝えしました。

次に「仏教」は真理を意味する「仏法」ではなく、仏が覚られた真理を伝えるための手立て(教え)を意味していること。さらに仏教という表現は近世欧米の宗教的区別の在り方に準じて、あえて他宗教との異なりを示すために仏陀釈尊の創始された宗教という意味で仏教と呼称されていること。中国や日本では実践が重んじられ永く「仏道」と称されていたことを紹介。

日本の仏教の現状と本来の釈尊仏教の在り方を略述した後、今月のテーマである「身を護る ー人生は貴重であると知るー」の法話。
「人生は貴重なものであるという自覚があれば身を護るようになり、その自覚は人生が貴重なものであると認識した証し。思うような人生を歩めなくても努力したことを誇りとして、たとえ高齢となり認知症となったとしても尊厳を失うことなく、最後までこの身を愛おしむ人生でありたい。今世の生き様は来世につながっていると信じて油断なく努めよう。」と述べ、「身を護る」という意味は多岐にわたりますが、「今回は健康にポイントを置いて所見を述べる」とご案内。

《仏教では人生は奇跡の連続と説く》
仏教では「諸行は無常」と教え、人生のすべてに当たり前などということは一つもなく、人生のすべてが一日一日奇跡的に続いているに過ぎない。思議し難い妙法によって支えられ育まれ活かされていることに気づくことが大切であることが説かれていることを紹介。
しかし、奇跡を売りにするような新興宗教やスピリチュアルなどの存在もあるので注意が必要。

《邪な宗教や信仰、スピリチュアルなどから身を護る》
・超常現象や奇跡体験を吹聴する人々
「オウム真理教の教祖麻原などをはじめ、新興宗教やヨガ・神秘主義、スピリチュアルの教祖たちには超常現象(自然科学の知見では説明できない現象のこと)を吹聴して信者を獲得しようとする者も多い。数十年前には不思議や奇跡を売りに人気者となったインドのサイババ(後にインチキが露見)が有名だが、いつの時代にもこのような人物が聖者と自称して活躍する。
オウム真理教の麻原などのようにことば巧みに信徒を誑かし、貴重な人生を堕獄の世界に変えてしまう邪悪な存在がいたのは事実。しかし、それはそのような教祖に問題はあるが、そのような教祖を求めてやまない神秘主義者がいるからでもある。オウム真理教の信者となって貴重な人生を棒に振った人々の中には、まじめでインテリと呼ばれる人も少なくなかった。ただ、『神秘主義』に惹かれ、教祖のマインドコントロールにはまってしまったのである。

オウム真理教ほどの邪悪さと残虐さはないものの、霊媒師にひかれたり、神秘主義にひかれて、現実離れした心の遊びに振り回され、スピリチュアルビジネス、ヨガビジネス、宗教ビジネスの餌食となる人は多い。そのような団体ではオウムのように、教団や団体への常識はずれた布施やドネーション(寄付)が行われ(巧みに自発的なかたちをとる)、印鑑や壺、不思議な水を売ったり、遠隔での祈祷をしたり、修行に段階をつけて高額の授業料を搾取している。」実態を紹介。

「マインドコントロールの怖さを知らなければならない。一度信じたら教祖の思うつぼ。現代に特別な聖者や覚者がいると信じる人の愚かさ(カリスマオタク)。普段から常識と良識を磨いておく必要があること」を述べ、「宗教にもある程度の布施や経済的支援は必要だが、世間の常識(通常会社員の日当は1万円~2万円)に収まるものであり、非常識な布施やドネーションを出させる(自主的に納めさせるようなシステム)教団や団体はどのように詭弁を弄してもまともな宗教ではない。宗教や信仰、スピリチュアルにも正邪があることを知らなければならない」と仏教の常識をお伝えしました。

《仏教では「人生を貴重な存在」と教えている》
当山の仏事の法話(住職)から。
仏教では「すべては縁起(さまざまな条件)によって成り立っているにすぎない」
「諸行は無常、あらゆるものは変化して止まない」
「自らの健康や環境などすべてはいつ変転するかわからない」
「人生に当たり前などということは一つもない」
「健康な人は健康が当たり前と思っているが、実はいつ健康を損ねてもおかしくない人が、たまたま健康であるに過ぎないというのが真実」
「目が見える、耳が聞こえる、手足が思うように動くということも当たり前ではない、いつ誰もが障害者となってもおかしくはない」
「私たちのからだは数え切れない細胞と神経のはたらき、それを統御する脳のはたらきなど、想像を絶するシステムが精妙にはたらいて維持されていることを識る」
と説かれていることをお伝えしています。

すなわち、「私たちの人生は日々奇跡の連続の上に成り立っている。当たり前なことは一つもない。そのように有ることが難しいこと(有り難う)が、今存在していることを知識し理解して感謝することが大切。」仏教では私たちを支え育んでいる存在を妙法と説き、妙法への感謝を教えているのです。

《不思議ですばらしい私たちの身体》
人体の細胞は60兆個。
人間の身体が動くメカニズムは、神経系と筋肉系の協力した働きによって実現されます。脳と脊髄からなる中枢神経系と末梢神経系中枢神経系は情報の処理や制御を行い、末梢神経系は身体の各部位と脳や脊髄をつなぐ役割を果たしています。

・どうして人間は動けるの、手足は動くの?
『学研キッズネット 科学なぜなぜ110番から』
人間の体を動かすために必要なものは骨と筋肉です。骨というと、棒のような形で両はじがふくらんでいる形のものを、よくまんがなどで見かけますが、うでや足の骨は本当にあのような形をしています。ふくらんでいるところは、関節です。ひざやひじなど、人間の体が動くところは全部この関節でできています。
この関節のふくらみにいろいろな筋肉がついて、そしてこの筋肉がのびたりちぢんだりすることで関節が動きます。関節が動くから体が動くといえるのです。
体中の関節は、すべてこれとおなじしくみで動いています。また、その筋肉ののびちぢみの運動は、脳からの命令によって行われます。脳はどこの筋肉をどのように動かすかという命令を一瞬のうちに出しているのです。人間が動けるのは、脳が命令しているからで、命令なしに勝手に筋肉だけが動くことはありません。を紹介。

《体を動かすメカニズム》
「生成AI『ビング(Bing)』・マイクロソフト」
『体を動かすメカニズムは、骨、筋肉、関節、神経、脳などが関係しています。骨は体の骨格を支える役割をします。筋肉は骨に付いていて、伸びたり縮んだりすることで骨を動かします。関節は骨と骨の間にあって、曲げたり伸ばしたりすることができるようにします。神経は脳からの指令を筋肉に伝えたり、体の感覚を脳に伝えたりする役割をします。脳は体の動きをコントロールする中枢です。自分の意志で動かしたいと思ったときや、反射的に動いたときも、脳が神経を通して筋肉に指令を出しています。体の動きは、脳から筋肉への指令という「運動神経」と、体から脳への感覚という「感覚神経」が連携して行われます。』も紹介。
すでにご承知の方も多いと思いますが、よく理解されていない方も居られると考えての解説でした。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年06月26日

なぜお経を読むの・・・

檀信徒の方々より申し出の仏事といえば葬儀や法事が主となりますが、時には結婚式や地鎮祭、上棟式、落成式などもあり、個人的な祈願は入仏式、七五三祝い、学業成就、当病平癒、交通安全など多岐にわたります。本宗ではそれぞれ法華本門の御本尊を奉安し、法華経要品と南無妙法蓮華経の唱題を修して法要とします。

この法要だけで仏事の意義は成就しているのですが、当山では営んだ仏事の意義についてもできるだけ説明をしています。なぜかといえば、法事や葬儀など仏事の意味くらい知っているといわれる方も当然居られますが、よく理解されていない方も居られるからです。儀式や行事の意味が理解できれば、参列者はその趣旨を尊重し、自らも儀式行事に参画しているとの自覚を持つことができることでしょう。

《なぜ、お経を読むの・・・》
ささやかなことですが、法事などに参列した小中学生などからは「なぜお経を読むの?」「なぜ南無妙法蓮華経のお題目を唱えるの?」という質問をうけることがあります。なぜ、なぜと問うことは子どもたちの成長のステップです。とはいえ実はこの質問への回答はそう簡単ではありません。読経の意味には深いものがあるからです。

しかし、素朴な問いですからシンプルに「釈尊の教えはお経によって伝えられて来ました。お経を読むということは仏陀釈尊の教えを敬い、仏法を悟られた仏さまを尊敬する仏教者の信心を顕しています。仏教徒はお経を読むことによって仏さまの教えを理解し、仏道の功徳を積むことができると信じています。そして、今日は皆さんが積んだ功徳をゆかりのある大切な故人に回向(供養)するのです。皆さんがお経を唱えたり、目を通すだけでも故人の供養になります。あなたの大切な故人も仏さまのお側できっと喜んでいますよ」と伝えています。

《なぜ、お題目を唱えるの・・・》
お題目を唱えることについては、「鎌倉時代に降誕された日蓮大聖人はあらゆる人々が仏法の教えによって救われることを願われました。日蓮大聖人はすべての仏法の根本は法華経にある(内在)と悟られ、仏さまは法華経から誕生すると信じられました。南無妙法蓮華経のお題目は法華経のエッセンスであり仏さまとなる種であると覚悟されたのです。
また、現代と同様、当時も仏道を歩んで修行・修学のできる環境と資質に恵まれた人は稀な存在でした。誰もが自由に仏道に分け入ることができるという時代ではなかったのです。さらに、当時の人々は『文字が読める、文字が書ける』という人はわずかであり、圧倒的多数の庶民は字が読めず書けません。そのような人々をも平等に仏という尊い世界に至るよう願われた日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経のお題目に仏法のすべてをつつみ、私たちにさずけられました。

このお題目は私たちを支え育む妙法であり、厳しく険しい人生を切り拓き安らぎの世界へと導くものです。日蓮大聖人の教えを護り伝える妙法院では人生をより良く歩むため、やがて訪れる霊山への旅立ちのため、そして大切な故人の供養のためにお唱えしています。幼子でもお題目を唱えることは難しくありません。声に出しても出さなくてもお題目を唱えると法華経の功徳を積むことができます。その功徳を大切な方にお送りしましょう」と伝えています。

当山では檀信徒の仏事が故人への追善供養と倶に仏縁を深める一助となることを願い、法要後には故人やご家族のゆかりときずなに想いを寄せて法話をしています。前述の子どもたちの素朴な質問なども法話の種となり、同様の疑問を持つ方々のもやもやも晴れて行くのではないかと思います。これからも仏道へのご質問をお寄せください。

相武山 山主

2023年05月31日

己れを知る(下)

日曜法話会の二部「仏教に親しむ」では、「己れを知る(善・悪、具有の存在)」を大乗仏教、法華思想の視点から考えました。
十界互具論
法華仏教では十界互具論が説かれます。これは迷える凡夫にも仏になる可能性があり、覚りを得た仏にも六道の性分が内在していることを明かしたものです。己れの現在の心の境地を知り、境地は変革が可能であることを知って、真の安らぎと生きがいの境地をめざすことができるという教えです。
《十界論とは》
十界論とは法華教学において人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、「地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞、縁覚、菩薩、仏」の境地のこと。十界論、あるいは十法界ともいわれています。
《六道と四聖》
十界のうち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天をまとめて「六道」といい、声聞・縁覚・菩薩・仏をまとめて「四聖」といいます。「六道」はインド古来の世界観を仏教が用いたもので、生命が生死を繰り返す世界を六つに大別したもの。また「四聖」は仏道修行によって得られる境地のことです。

法話会ではそれぞれの世界を次のように略述して解説しました。
①地獄界(じごくかい)
「地獄とは『地下の牢獄』という意味。経典には八熱地獄、八寒地獄など数多くの地獄が説かれている。地獄界は、苦しみに縛られた最低の境涯。『地』は最も底を意味し、『獄』は拘束され、縛られた不自由さを表す。地獄界は、自身を取り巻く世界全体を、炎のように自身に苦しみを与える世界と感じる境涯」。

②餓鬼界(がきかい)
「餓鬼界とは欲望が満たされずに苦しむ境涯。際限のない欲望にふりまわされて心が自由にならず、苦しみを生じている境涯。欲望そのものにも善悪がある。人間は本源的な欲望がないと生きていけず、また、欲望が人間を進歩、向上させるエネルギーともなる。欲望をコントロールできず、欲望の奴隷となって苦しむのが餓鬼界」。

③畜生界(ちくしょうかい)
「畜生とは獣や鳥などの動物のこと。畜生界というのは理性が働かずに目先の利害にとらわれ、正邪・善悪などの判断に迷う愚かな境涯。理性や良心を忘失。自分が生きるためには他者をも害する弱肉強食の生存競争に陥る境涯。健全な未来を思考できないために、自己を破滅させ苦しむ」。

④修羅界(しゅらかい)
「修羅とは阿修羅といい、争いを好む古代インドの神の名前。自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする勝他の念に陥ること。他人と比較して自分が優れて他人が劣っていると思う場合は慢心を起こす。また、他者の方が優れていると思っても尊敬する心を起こすことができない。自分より優れた者には卑屈になって諂う。自分を優れたものに見せるため人格者や善人をよそおうが、内心では自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちている。内面と外面が異なり心に裏表があるのも修羅界」。

⑤人界(にんかい)
「人界は穏やかで平静な生命状態のこと。人界は因果の道理を知り、物事の善悪を判断する理性の力はたらいている境涯。人間らしい境涯を維持するためには、悪縁が多く存在する世間にあって、悪縁に打ち勝って向上しようとする自分の努力が必要。人界は悪縁にふれて悪道に堕ちる危険性と修行によって四聖に向かう可能性を共有」。

⑥天界(てんかい)
「古代インドにおいては、地上の人間を超えた力を持つ神々のこと、また、それらが住む世界を天界という。今世で善い行いをした者は来世に天に生まれると考えた。仏教では天界を欲望が満たされた時に感じる喜びの境涯という。欲望には睡眠欲や食欲などの本能的欲望、家や家電などが欲しいという物質的欲望、社会で地位や名誉を得たいという社会的欲望、知的満足や斬新な芸術を創造したいという精神的欲望などがあり、それらの欲望が満たされ喜ぶ境地が天界。天界の喜びは永続的ではなく時の経過とともに薄らぎ消滅する。

⑦声聞界(しょうもんかい)
「声聞界とは仏の教えを聞いて部分的な覚りを得た境涯。諸行無常を知り一切の事物事象が変化生滅することを覚る。すべては縁起によって生じていると知り、無常の存在に執着する心から解脱。仏教を学び信じてより良く人生を歩む境涯」。

⑧縁覚界(えんがくかい)
「縁覚界とはさまざまな事物事象を縁として、独力で仏教の部分的な覚りを得た境涯。独覚ともいう。一切は縁起所生であり、あらゆる存在に固定化された実態はないと知り、無常・無我なるものに執着する煩悩こそ苦悩の根源と覚る。煩悩断尽を求めて修行に邁進する境涯。
声聞界・縁覚界で得た覚りは、仏の覚りに比すれば部分的なものであり完全なものではない。二乗はその低い覚りに安住し、仏の真実の覚りを求めようとしはしない。仏になれるとは考えず、また、他者の苦悩に共感することもなく、ひたすら自身の修行に精進する」。

⑨菩薩界(ぼさつかい)
「菩薩界は仏の覚りを得ようとして不断の努力をする衆生のこと。二乗が仏教を修めながら仏の境涯には至れないとするのに対し、菩薩は仏の境涯をめざす。仏の教えを人々に伝え広めて衆生の救済に尽力する。菩薩は仏界という至高の境涯を求める自行と、自ら積んだ功徳を他者に分かち与える利他をともに実践する。現実の生活のなかで人々の苦悩や悲哀に共感し、自他共の幸福を願うのが菩薩の境地」。

⑩仏界(ぶっかい)
「仏界は、仏が会得体現した尊極の境涯のこと。仏(仏陀)とは覚者の意。宇宙と生命を貫く根源の法である妙法に目覚めた人のこと。具体的にはインドで生まれた釈尊(釈迦仏)など。仏界とは自身の生命の根源が妙法であると覚知し得られる境涯。この境涯は何ごとにも侵されることのない安らぎであり、崩れることのない幸い。この境地に至ると慈悲と智慧を体現して衆生を仏道に導く。仏界は一切衆生の生命に具わっている。しかし、各自の煩悩と社会の環境などによって顕現することは難しい。仏界は仏教の本尊として顕される世界でもあり、法華仏教では煩悩具縛の凡夫は、仏界を覚りの獲得ではなく『信の決定』と教えている」。

《十界互具》
十界互具とは十界の各界が互いに十界を具えた境涯であること。十界は固定的な別々の世界としてあるのではなく、それぞれの生命には10の境地が存在しています。今、十界のいずれか一界の姿を現している生命にも、十界がすべて具わっており、縁によって次に他の界の境涯も現れます。十界の各界が互いに十界を具えていることを十界互具といいます。法華仏教では成仏(不変の安らぎとまことの歓喜)という仏道成就の基本理念として、十界互具と一念三千の真理が説かれます。。

最後に日蓮の言葉から『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』を紹介。
「問うて曰く、経文並びに天台章安等の解釈は疑網無し。但し火を以て水と云ひ墨を以て白しと云ふ。設ひ仏説為りと雖も信を取り難し。今数(しばしば)他面を見るに但人界に限りて余界を見ず。自面も亦復是の如し。如何が信心を立てんや。
答ふ、数(しばしば)他面を見るに、或時は喜び、或時は瞋り、或時は平かに、或時は貪り現じ、或時は痴か現じ、或時は諂曲なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、痴かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平かなるは人なり。他面の色法に於ては六道共に之れ有り。四聖は冥伏して現はれざれども、委細に之れを尋ねば之れ有るべし」
《現代語訳》
〔第十五番問答〕
問うていう。自分の心に具わる十界とその難信難解について、挙げられた経文と天台・章安の両大師等の解釈には疑う余地はない。しかし、なにせ火を水といい、墨を白いといっているのと同じなので、たとえ仏のお言葉であっても、心底納得することはできない。
実際に何度他人の顔を見ても、ただ普通に人間界の様子が見えるだけで、他の世界のありさまをかいま見ることはできない。自分の顔もまた同じである。どうして十界の具備を信じることができようか。
答えていう。よく他人の顔を見ていると、ある時は喜びがあふれ、ある時は怒りに燃え、ある時は平静であり、ある時は貪る様子を示し、ある時は愚かな表情があり、ある時は他人にへつらう心が現れる。これは、怒りは地獄界、貪りは餓鬼界、愚痴は畜生界、へつらいは修羅界、喜びは天界、平静は人界のそれぞれの現れである。
このように、他人の顔の表情という色法には、地獄界から天界までの六道はみな具わっている。残る声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖界は心の底に潜伏して表面に現れないが、くわしくこれを検討すれば、必ずあるに違いない」。

第二部の「仏教に親しむ」では人生では己れを知ることが最も大切であり、法華仏教では十界互具が明かされ、真の安らぎに生きることが説かれているをお伝えしました。大乗仏教の精華である法華経では、現実生活のすべてが仏道の修行であると教えています。世相の有り様を熟慮し、仏教の智慧を燈として倶により良い人生を歩むことをお勧めして5月度の日曜法話会は終了。

《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年05月29日

己れを知る(上)

5月度の日曜法話会のテーマは世相、仏教に親しむ共通の「己れを知る」(善・悪、具有の存在)でした。
法話会では毎回プロローグとして、日曜法話会開催の趣旨、大乗仏教の基本的な考え方などについて所見を述べてからテーマに入るのですが、今回は初めての方も居られなかったことと内容量が多く思えたので、すぐにレジメに沿ってテーマと向き合いました。

直近の二つの事件から「愚かな事件にみる人生の悲哀」。
■銀座の宝飾店強盗
《事件の概要》
5月8日午後6時過、銀座の時計店で強盗事件。2分間で70点を強奪。約2億5,000萬円の被害。仮面をかぶった3名の実行犯、運転手1名(16歳の無職、18歳の高校生、19歳の職業不詳、19歳のアルバイト、いずれも横浜市在住)。
レンタカーで逃走するも港区赤坂のマンション敷地侵入で逮捕。銀座の明るい時間での堂々とした犯行(だれもが映画かドラマの撮影と思ったのでは・・・)。

《現行犯逮捕された実行犯から見えるもの》
昨年から頻発している闇バイトによる強盗事件との関係性。深刻な闇バイトによる事件とその変遷。(オレオレ詐欺などさまざま詐欺事件の延長線にある事件か?)
乱暴な手口と浅はかな犯行から、犯行実行者は素人か?犯行を企画する首謀者とその組織があるのではないか?
《実行犯について》
未成年を含む20歳未満の若者による強盗事件。思慮分別の未熟な若者による犯行。犯行の罪深さも自覚できず、欲望のままに突撃し、愚かにも玉砕。短慮と欲望が己れの貴重な人生に傷をつけてしまった事件。
家族や親族、友人知己も深い悲しみに陥っているのではないか。

《類似の犯罪防止について》
安心な社会であるためにも、できるところから犯罪の防止に取り組むことが必要。頻発する闇サイト関連事件については、犯罪首謀者の逮捕、サイトの摘発などが喫緊の課題。
犯罪実行者とその予備軍を出さないためには、「人生を大切にするための倫理観を涵養する。善悪の誤りが人生を左右することをみんなで語らう。道を過てば家族や親族、友人が悲しむことを伝える。己れの心を映す鏡(宗教信仰、思想信条など)をもち、揺れ動く心をコントロールすることが大切。
《犯罪者の更生について》
犯罪者であっても罪を償えば更生の道を歩むことが許される。二度と過ちを繰り返さないという本人の決意が最も大事だが、社会全体で犯罪者の更生を支援し、偏見を持つことなく更生者の人生を見守ることが大切。

銀座の宝飾時計店の強盗事件について、初めにその概要、次いで実行犯と事件にかかわる諸相、さらに若い犯人の愚かさと関係者の悲哀、類似事件の再発防止と犯罪者の更生などについて私の所感をお伝えしました。

■容疑者は評判の良い中学校教諭
《事件の概要》
東京都江戸川区の住宅で2月、住人の男性(63)が顔などを刺されて死亡した事件で、警視庁は10日、殺人容疑で、現場近くの区立松江第五中教諭尾本幸祐容疑者(36=江東区)を逮捕。
尾本容疑者は2月24日午後6時半頃、江戸川区一之江の住宅で派遣社員山岸正文さん(当時63歳)の顔や首を刃物で刺すなどして殺害した疑い。10日に逮捕され、11日に殺人容疑で東京地検に送検された。逮捕直後の調べに「関与していない」と容疑を否認。現在、容疑者として取調中。
「評判の良い中学校教諭による殺人事件」として国内に大きな衝撃を与えた。

《容疑者の評判》
尾本容疑者の勤務していた中学の荒巻淳校長は、「まったく予想していなかった。それに尽きる」と驚いた表情で話し『まだ、最終的なものが分かっていないので、しっかりと受け止めて、もし事実だとするならば申し訳ない気持ちでいっぱいです』と発言。
尾本容疑者は昨年度から区立松江第五中に赴任し、特別支援学級の主任教諭として2年目。前任3校でも特別支援学級を計12年担当しており、『とおりいっぺんの指導ではなく生徒個々の個性にそって熱意を持って教えていた。スポーティーな元気な中堅教諭で、他の教諭の手本となる人物だった』と荒巻校長は説明。
『大声を出すタイプではなく、生徒に静かに諭すように話し、両手を 広げるなど体全体で指導し、必ず笑顔をもって接していた』と語った。

その他、次男が野球部員だった男性(55)は「生徒思いで、熱心な先生だった。到底信じられない」と話した。松江五中でも生徒と体を動かすことが多かったといい、同校2年の女子生徒(13)は「よく生徒と一緒に校庭を走っていて、『頑張って』と声を掛けていた。こんなことになるなんて……」と語った。自宅近くの女性(66)は「3人のお子さんがいる子煩悩なお父さんで、玄関先で子どもと一緒に遊ぶ姿をよく見かけていた。最近も特に変わった様子はなかったのに」と話した。
以上のような容疑者に対する評判について紹介。

《何があったのか?》
「残虐な殺人事件が本当に尾本容疑者の犯行か否かの捜査が厳正に行われなければらない。さらにその犯行動機についても解明されることが望ましい」ことを述べ、捜査関係者への取材では「尾本容疑者が事件当時、FX投資やギャンブルなどで数百万円の借金を抱えていたとみられることが判明」していることを紹介。できるだけ速やかに容疑者の心の闇が解明され、同様の犯罪がこれからも起こらぬよう希望することをお伝えしました。
《容疑者と関係者の悲哀》
「現代では聖職者などという表現自体が陳腐であり死語となっているが、一般的に教育者などの犯罪は関係者や社会における影響がとても大きい。今回の事件も未だ容疑者としての段階だが、家族、親族の悲哀は想像に難くなく、また、関係する子どもたちの心理ケアも必要であり、教育者などへの偏見にも注意したい。
さらに、この事件ばかりでなく、犯罪者の罪は断罪されるべきだが、家族、親族に罪はなく、差別と偏見に陥った言動にはみんなが注意を払わなければならない。当然、罪のないその家族には温かく見守り支援する必要がある。容疑者の犯行であると断定されたら、その更生を願いたい。」との私見をお伝えしました。

結びには二つの事件から
「己れを知ることが大切。善悪に染まりやすい人間の心。
すべての人間に善悪の性分が内在していることを認識しなければならない。己れの心は善にも悪にも向かう。外縁によって内在する善悪の性分が発揮される。善縁・善果報、悪縁・悪果報。己れの心に油断してはいけない、感情と環境の変化によって善悪いずれにも向かう。己れの心をよく見つめ、心は磨いて行くものであることを知る。心が磨かれて行くことを愉しむ人生でありたい。」と述べ「世相の部」を終了。

《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年05月28日

護法のさわやかな汗を流しました

初夏の連休も終わりに近づく5月5日(金)、午前10時より境内の清掃整備を行いました。前日に駐車場のレッドロビンを伐採しておいたので、その枝落としと搬出の準備、本堂前から三師塔など境内の草取り、墓苑内の草取り、バス通りからの道路清掃整備まで、さわやかな初夏の風にふかれながら仏道の汗を流して頂きました。
参加協力頂いた、新倉さん、安西さん、久保さん、奥田さん、熊木さん、重吉さん、落合さん(2)、小原さん、市川さん、皆さんありがとうございました。

境内が浄められればまず御本尊さまがよろこばれます。墓苑でやすまれている各精霊、お参りされる方々にも喜んで頂けることでしょう。『お寺はいつもきれいにしていますね・・・』などと声をかけられる場合もありますが、当然のこと、けっしていつもきれいな状態ではありません。公的な場所でもありますから見苦しくないように注意はしていますが、散らかっている場合もあれば、時間に余裕がなく掃除が行き届いていない場合もあるのが事実です。したがって、突然の来訪にバタバタと慌てる場合も少なくはありません。そのような場面に出会った時には心中お察しください。

当山の境内は他の寺院に比してけっして広くはありませんが、それでも油断して手入れを疎かにするとたちまち荒れてしまいます。年々、草取りなどに苦労しないよう工夫を凝らしていますが、自然が豊かということは草木の生命力が旺盛ということ。初夏から晩秋までは境内の草刈り、伐採、清掃などの整備には気がぬけません。
寺内だけでは到底力が足りませんから、有志の方々のご協力は有り難い限り。月例行事案内やホームページ、相武山だよりでお知らせしているゆえんです。何ごとにおいても維持や整備がなされているということは、誰かがどこかで努力している結果です。何もせずにほったらかしで、維持できるものなど存在しません。菩提寺である妙法院が清掃整備されているということも同様です。これからも仏道への志を同じくする方々と倶に護法のためにさわやかな汗をながして行きたいと思います。

相武山 山主

2023年05月27日

立宗会並御虫払法要

新緑を初夏の風がわたる4月29日(土)午前11時から立教開宗会と御虫払法要を執り行いました。コロナ禍の自粛も明け、約30名ほどのご信徒が参詣されました。コロナ禍前には50名前後の参詣者でしたから、以前に戻るにはしばらくの時間がかかりそうですが、それでも久しぶりに参詣されたかたもおられ、再会を喜ぶことばが交わされていました。

定刻、私から立教開宗会と御虫払法要の意義について15分ほどの解説。その後、法華経要品読誦、献香、自我偈の訓読をつとめ、参詣者は太鼓に合わせた唱題裡に内陣に進み、御奉掲の御本尊や御影画像を内拝。また、宗祖の註法華経の複製や伝教大師の国宝墨跡などを拝見。法要は12時10分に終了。

小憩の後、12時50分からは日本チター協会代表、内藤敏子先生の演奏会。演奏には内藤先生とのご縁を結んでくださった信徒の芦川裕子さんも参加。内藤先生のすばらしい演奏と軽妙洒脱な語りに参加者一同笑みがあふれました。演奏会の最後はみんなで楽しめる唱歌が演奏され、参加者は幼い頃を思い出しての合唱。
意義深い厳かな法要に続いて愉しい一時を過ごしました。

相武山 山主

2023年05月26日

チャットGPTにふれて

現在の私たちの生活はインターネットにつながっているのが当たり前となっています。世代や環境によっては認識が異なるかもしれませんが、今ではネットのつながらない生活など想像できないのが実状ではないでしょうか。
現在は多くの人がスマートフォンをはじめ、学問から科学技術、文化から芸術まで、インターネット社会が構築されているといっても過言ではない社会環境にあり、意識しているか否か、理解しているか否かにかかわらず、私たちはインターネットシステムの中で生活しています。
そのためにまったく違和感は感じませんがインターネットが日常化してからどれほどの時間が経っているのでしょう。少し気になります。インターネットの概念はパケット通信、パソコン通信などから発展したものですが、その歴史は40年ほど。我が国で一般的に利用されるようになってからも30年ほどではないかと思います。

私はパソコンもパソコン通信も割と早くふれた方で、パソコン通信はNECのPC-VANをプロバイダーとして始めました。今ではビッグローブと名称は変わっていますが初期のIDが残っています。やがてパソコン通信はインターネットへと発展して行きますが個人や社会への浸透はすばやく利用されるスピードは驚くばかりでした。
あらゆる分野でその発展に寄与したコンピューターとインターネットですが、その登場以来、最も利用されているのが「検索」ではないでしょうか。膨大なデータが瞬時に獲得できるようになって、あらゆる分野における技術革新の向上に貢献しています。私もこの検索機能に大いにお世話になっています。また、インターネット(情報通信)と同時に注目されて久しいのがAI(人工知能)です。

この便利な機能が融合進展して今注目されているのが「チャットGPT」。今年になってこのワードを視聴しない日はないので、多くの方が興味をもたれているのではないでしょうか。私もその一人。この「チャットGPT」はアメリカのOpen AI社が開発した人工知能(AI)を使ったチャットサービスのことで、人間の質問に対してまるで人間のように自然に答える技術を搭載しており、自然な会話ができることが話題となっています。

早速、私も利用してみました。
「チャットGPTとは何ですか?」との私の問いに、
ChatGPTは
「チャットGPT(ChatGPT)は、OpenAIが開発した自然言語処理のモデルです。GPTは「Generative Pre-trained Transformer」の略であり、大量のテキストデータを学習して、文章生成や自然言語理解のタスクをこなすことができます。
GPTモデルは、トランスフォーマーアルゴリズムと呼ばれる深層学習ネットワークを使用しており、テキストのアルゴリズムを理解し、そのアルゴリズムに基づいて応答を生成します。これにより、人間のように自然な文章を生成することができますできます。
チャットGPTは、特に対話型の文脈での応答生成に使用されることを意味します。ユーザーからの入力に基づいて、モデルは適切な応答を生成するために学習されます。このモデルは、カスタマーサポートチャットボットや仮想アシスタントなど、さまざまな対話システムで使用されることがあります。
ただし、GPTモデルはあくまでも自然言語処理のモデルであり、のような意識や理解力を持つ人間わけではありません。や倫理的な側面に関しては注意が必要です。
と回答。※回答のママです

次に「チャットGPTのメリットと意味を教えてください」という私の問いかけには
ChatGPTは
チャットGPTのメリットとは以下に示します。
利点:
豊富な知識: チャットGPTはリアルタイムなトレーニングなデータセットを用いて行われており、堅実な知識を持っています。そのため、多くのトピックや質問に対して対立的な情報を提供することができます。
と回答。
※回答のママです
また、「チャットGPTの問題点として指摘されていることは何ですか?」との問いには
ChatGPT
チャットGPTやその他の大規模言語モデルには、いくつかの点に関して指摘されています。
非現実的な回答: チャットGPTは大量のデータを学習しているため、場合によっては事実に基づかない回答を生成する場合があります。性や現実性に欠けることがあります。
ChatGPT
チャットGPT(GPT-3を含む)にはいくつかの問題点が指摘されています。
直近の理解の限界: GPTは与えられたテキストを理解しようとする能力に対立があります。また、矛盾する情報を提供することや、過去の対話の詳細を忘れてしまうこともあります。
と回答。
※回答のママです

その他、利用してみると便利だなと思う情報や文章表現もありますが、間違っている情報もあれば文章もあります。生成型ですからこれから精度を上げて行くのでしょうが、データの集積や管理などの問題や利用者のモラルも問題として生じそうです。
新しい技術には常に賛否両論があり、このチャットGPTも各国各地、個人や社会でも賛否が分れています。幸い賛否倶に感情的なものではなく、冷静な意見が出され論じられているので良い方向に向かうことを願っています。
いずれにせよ技術やシステムそのものに善悪はありませんから、それらを利用する個人の見識が問われることになります。やはり、最後は自分自身の見識を磨かなければならないというところに落ち着くようです。

相武山 山主

2023年05月01日

春季法門研修会を開催

4月16日(日)、午後1時から春季法門研修会を開催。
この研修会は春夏秋冬の四季に開催。法華宗日興門流のご法門をじっくりと学ぶための研修会です。当山の行事や法要ではそれぞれに必ず法話がなされますが、2時間から2時間半ほど基本をふまえ、整理した内容で丁寧に御法門を学ぶ機会としているものです。
午前中の日曜法話会に引き続いての研修会でしたが、コロナ禍の落ち着きを反映したのか18名の信徒が参加されました。はじめに方便品と自我偈の読経、唱題をつとめて行学の増進を祈念しての開催。

今回は日蓮大聖人の遺文御書の『顕仏未来記』を最初から最後まで拝読する研修会。4月度の宗祖御報恩講に顕仏未来記を拝読して法話(住職のウエブ動画を参照)を申し上げたのですが、許された時間が短く、ポイントしかお伝えできなかったため、ご信徒と一緒に丁寧に拝読したいと願っての企画です。

御書の拝読の前に御書システムの「解題」についての説明。御書システムは岡山興風談所の方々によって作成運営されているシステムで、日蓮教学を修学するためにインターネットで一般公開されているシステム。現在の御書研究では先端にあるとされているものです。解題の説明にあたって、日蓮遺文御書には真偽問題や真偽未決、偽撰御書などの問題があることを略述。遺文御書の研究が必要なこと、現在も着実に研究者によって研鑽が続けられていることなどをお伝えしました。
解題では該当御書の来歴や編纂目録などの経緯が解説され、さらに御書の概要まで説明されています。御書システムのなかでも重要な位置を占めるもので、この解題を手引きとして学ぶことは御書の修学に大いに貢献することでしょう。

顕仏未来記の解題では、御書の来歴から確かな遺文であることを述べ、
続いて、
「本書は冒頭に『薬王品』の「後五百歳中広宣流布」の文が掲げられ、一往は仏の滅後更に天台伝教にも値遇できぬ末法の世に生まれたことを悲しみ、しかしながら再往これを考えれば「後五百歳中広宣流布」との金言を実践できることは大いなる悦びであるとし、以下その確信と根拠が綴られている。

先ず後五百歳の文に当たるのは日蓮のみに限ることではないとの疑問に対し、後五百歳において正法を弘通することの困難なことを経釈を用いて説示され、しかるに不軽菩薩の如く、大謗法者の充満する逆縁の世にあって「後五百歳中広宣流布」の金言を実践するのは日蓮一人であり、日蓮無くば仏語は虚妄となるであろうと述べる。
更に日蓮が法華経の行者であることは認めるとしても、天竺漢土更に余の三州にそれに勝る法華経の行者がいるのではないかとの疑問に対し、妙楽の『文句記』、遵式の『天竺別集』により、天竺・漢土には既に仏法は滅尽しており、いわんや法華経の行者はいるはずがないと述べられる。

そして、自身の未来記として過去仏の出現に際し前代に超過する大瑞があったように、正嘉より今に至る大地震及び天変地異等はまさに仏の如き聖人の出現する大瑞であるとの確信が述べられる。
最後に伝教の『法華秀句』に示される法華経流布の担い手の系譜、釈尊→天台→伝教にならい、それに自身を加えられて「三国四師」とすると述べられている。「三国四師」の用語は本書をその嚆矢とする。
また、「後五百歳中広宣流布」が、不軽菩薩の逆縁の弘通になぞらえられていることは、一方に順縁広布の願望があったにせよ、現実的実践的問題として結果として法義の根幹をなすものであり、宗祖の法義理解の上で特筆すべきである。」
を紹介。

その後、顕仏未来記の原文を通して拝読。現代語訳を中心に丁寧に読み進め、「法華経の第七に云く「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」等云云。予一たびは歎きて云く・・・・・中略・・・・・答へて云く、汝日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ、無垢論師にも超えたり。我が言は大慢に似たれども、仏記を扶け如来の実語を顕はさんが為なり。然りと雖も日本国中に、日蓮を除き去りては誰人を取り出だして法華経の行者と為さん。汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす。豈に大悪人に非ずや」までを講義。
続きは次回夏季法門研修会(8月27日)に修学することになり、充実した学びの時間を過ごした参加者は午後4時10分、帰路につきました。

相武山 山主

2023年04月30日