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相武山 妙法寺 ブログ

かぶ御講を奉修

11月15日は日興門流第三祖日目上人の祥月の御命日。今年は前日の14日(日)午後1時から御報恩の法会を執り行いました。今年も緑区の落合さんご夫妻が手作りの蕪を御宝前にお供えされました。青々とした葉に見事な丸い蕪です。門流では日目上人会を「かぶ御講」と称して親しんできました。目師が蕪を好まれていたためか、この時季に収穫される美味なかぶに目師のご恩徳を偲んだものなのかは定かではありませんが、上人に親しみこめての呼び名であることはたしかなことです。法会では参詣のご信徒と倶に読経・唱題、御報恩を申し上げました。

法要後は正信会のホームページに掲載されている「日目上人伝」を紹介。
「新田卿阿闍梨日目上人が誕生されたのは、文応元年(1260)のことです。時あたかも日蓮大聖人が『立正安国論』を鎌倉幕府に献上され、鎌倉で大いに活躍されていた時期でした。さまざまな因縁によって、日目上人はその献上の年に誕生されたのです。
日目上人は伊豆国仁田郡畠郷(現在の静岡県田方郡函南町畑毛)にて、父を奥州三迫新田太郎重房の嫡子・重綱、母を南条兵衛七郎の娘・蓮阿尼とし、その五男として生誕され、幼名を虎王丸と名付けられました。

最古の伝記である大石寺6世・日時上人の『日目上人御伝土代』によると、父方の新田氏、母方の南条氏は、ともに「御家人」とよばれる武士の家系でした。母の蓮阿尼は、後に大石寺の開基檀越となる南条時光の姉です。また、兄の頼綱は、後に富士門流(日興門流)最古の寺院である本源寺(宮城県登米郡)を寄進し、その次男は後に大石寺4世・日道上人となられます。」との【ご誕生】から解説。

【初等教育】【日興上人との出会い】【身延山へ登る】【耳引き法門】【伊勢法印との問答】【大聖人の葬送の儀】【輪番制の崩壊と身延離山】【奥州での布教】【大石寺における講学】【最後の天奏と御遷化】と日目上人の御生涯を参詣者と倶に学びました。
「日目上人は、同年の元弘3年(1333)11月、天奏のため日尊師・日郷師を伴い京都へ向けて旅立たれました。しかし、京都へ向われた日目上人一行ですが、11月15日、日目上人は途上の美濃国垂井(岐阜県垂井町)において74歳でもって御遷化されました」とお伝えしました。

日興門流の信仰を深める上において日目上人の御事跡をたずねることはとても大切なことです。法会ではこれからも皆さんと一緒に上人の護法と弘通の志を継承して行くことを誓願しました。

相武山 山主

2021年11月30日

桜の花に報恩の想い

御会式では御宝前の両側に仏法の法界を顕現するお飾りが設えられ、海や山の上には寂光浄土を寿ぐ桜の花が飾られます。その桜の花やつぼみ、葉は9月から信徒の皆さんによってつくられました。例年、御経日や御講などの後に本堂や客殿で和やかに作ってきましたが、昨春からのコロナ禍によって、今年も昨年同様、各自、自宅に持ち帰ってつくって頂きました。

その花やつぼみ、葉を持ち寄って、今月1日の御経日、13日の御講、14日の目師会と3日にわたって、割竹を支柱に桜の花をつくりました。例年、小田原市の竹籠店に割竹を注文していたのですが、ご主人の高齢化と需要の減少で惜しまれながら今春廃業となりました。ネットで新たに提供先を探すことになりましたが、四国は高知の竹屋さんが見つかり発注。幸いに割竹の仕事はとても丁寧で気持ちよく作業ができました。

一枚の葉、一つのつぼみや桜の花には、ご信徒の日蓮大聖人への御報恩の想いがこめられています。何ごとも心の想いは言葉に出し、振る舞いに現れて伝わって行きます。御会式の荘厳は日蓮大聖人とその教えを尊敬するご信徒の志の表明といえるでしょう。これからも「お花つくり」には一人でも多くの方にご参加頂きたいと願っています。

相武山 山主

2021年11月30日

秋季法門研修会(下)

《釈尊とその教団》
秋季研修会の後半は大乗仏教と法華経の概要解説。
はじめに「インド仏教史における大乗仏教概観」。仏教は紀元前5~6世紀、釈尊(ゴータマ・ブッダ)によって創始された宗教。釈尊は普遍の真理を探求し解脱して覚者となりました。その説かれた法理は仏陀の教説として広く流布し人々の心のともしびとなったのです。釈尊は帰依すべきものとして「三宝(仏、法、僧)」を説き、自らの仏教を護り伝える組織として仏教教団(僧団)を構成しました。僧団は出家した僧侶と尼僧によって構成され、釈尊の教えを伝承する基礎となりました。

釈尊の教えはその入滅後、摩訶迦葉を中心にまとめられ(結集)「経」として伝承されました。また、出家教団の規則として「律」が成立することになります。その後、経や律の解釈として「論」が展開さることになります。
教団は釈尊滅後100年~200年に根本分裂を起こします。保守的な教団とされる上座部と進歩的な教団とされる大衆部に分裂したのです。この分裂以前を原始仏教の時代と呼び、その後を部派仏教の時代とよぶことが現代(今のところ)では通説となっています。
根本分裂後紀元前1世紀頃までに20ほどの部派に分裂したといわれています。

《大乗仏教の誕生》
釈尊滅後、北部インドからインド全域、さらに周辺の国々に仏教は広く流布して行きます。マウリア朝のアショーカ王による仏教信仰が有名ですが、広範な伝播と倶に出家僧団による仏教研究も深く精緻なものになって行きます。
大乗仏教誕生のいわれについては、部派仏教(大衆部系)からの誕生、仏塔信仰の在家集団らの誕生など諸説有りますが、紀元前1世紀頃から大乗仏教運動が興ったといわれています。
その担い手は部派仏教の一部を小乗として批判、自らを大乗と称しました。その批判は僧団が「学問仏教、出家僧院仏教、権威主義・・・」に陥っているというもので、「あらゆる人々の救済を願う釈尊の教えから乖離しているのではないか」というものです。彼らは部派仏教とも共存しつつ、伝統的保守的な仏教を批判し、やがて大乗仏教運動を展開して行きます。

《大乗仏教の展開》
大乗仏教の担い手は膨大な大乗経典を創出し、多数の仏、多数の菩薩、他方の仏土を創出しました。大乗経典は約9世紀わたって創作され、初期大乗経典(紀元前1世紀~紀元後3世紀頃)としては「般若経」「法華経」「維摩経」「無量寿経」「阿弥陀経」「華厳経」等々。中期大乗経典(紀元後4世紀頃~)としては「解深密経」など唯識系経典、「勝鬘経」、「大乗涅槃経」などの如来蔵系経典があり、後期大乗経典(紀元後7世紀頃~)としては「大日経」「金剛頂経」などの密教系経典があります。

少し整理するとインド仏教は「原始仏教・部派仏教・大乗仏教」に分類することが可能。原始仏教と部派仏教を厳密に区別することは難しく、部派仏教と大乗仏教が併存していたことも事実。原始経典は釈尊の教えを部派が伝持。また、大乗経典は仏教運動の中から創作された経典ですから、「大乗非仏説」として批判されてもいます。しかし、大乗経典の素材は釈尊の生涯とその思想であり、原始経典に提示されながら軽視された釈尊の思想を再興したと評価されてもいます。

歴史を重視しないインドの特徴もあり、インド仏教の歴史は直線的な思考では捉えられません。インド仏教の研究は大学などを中心に現在も研究中。インド仏教における大乗仏教は原典の発掘などからも注目されていることをお伝えしました。

《大乗仏教の精華「法華経」》
法華経の成立は紀元前1世紀~紀元後1世紀といわれています。法華経の梵名は「サッダルマプンダリーカ・スートラ」。サンスクリット原典は「ネパール本、ギルギット(カシミール)本、中央アジア(西域)本」三種の系統があります。法華経の翻訳は「漢訳、チベット語訳、西夏語訳、古代トルコ語、満州語、安南語、蒙古語、英語訳、フランス語訳、日本語訳・・・」など。
法華経の経題については、サンスクリット原典から「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」とすることが「仏の智慧の開顕と仏の存在とその出現」という意味において佳いのではないかとの所見を述べました。

法華経の漢訳には三種が伝わっています。西晋の竺法護(230年代)「正法華経十巻」。 姚秦の鳩摩羅什(344~413、350~409)「妙法蓮華経七巻」。隋の闍那崛多(523~605)・達摩笈多(?~619)共訳「添品妙法蓮華経七巻」です。最も有名で現代でも多くの信仰者や研究者に指示されているは鳩摩羅什訳の妙法蓮華経です。私たち法華信仰の根本に関わるところから鳩摩羅什について概略を解説(スペースの都合上ここでは割愛)。

次に梵本漢訳に異同があることもお伝えしました。提婆達多品は「正法華経、添品妙法蓮華経」では見宝塔品に包摂(27品)。「妙法蓮華経」でも当初欠、(27品)後に加増。薬草喩品の後半部分が妙法蓮華経にだけ欠如。嘱累品が「妙法蓮華経」では第22に在るが、「正法華経、添品妙法蓮華経」では経末に在る等々。経典は時の経過と各地に流伝する中で改変増広されて行くことがあることを説明。

《法華経の特色と思想》
法華経の普遍性と永遠性。
「すべての仏の根源に法華経が存在している。日月燈明仏(序品)、大通智勝仏(化城喩品)、威音王仏(常不軽菩薩品)が法華経を説く」などから。
一乗思想と絶対の平等
「方便品では一仏乗を説いて二乗の成仏を認める。すべての衆生が差別なく平等に成仏できることを提示。法華経が絶対平等の思想であることを示す。常不軽菩薩品では『われは深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等は皆、菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べし』と。すべての人々を未来の仏として尊敬するという菩薩道の実践」これらのことから「一乗思想は教えの統一をはかったもの」との指摘があることを紹介。
ニヒリズムの超克
「二乗に成仏の記別を与え菩薩道を歩むよう教示したことは、ニヒリズムを超越したものであり、バラモン教、ヒンドゥー教などの輪廻思想からの脱却を意味する。現世を嫌わず菩薩道実践の世界と考え、現実世界での活動に大きな意味があることを教えている」。
仏の永遠性
如来寿量品では「他の大乗仏典と異なり、歴史上の釈尊を中心にすえ、仏の寿命が永遠であることを説く。釈尊は霊鷲山で常に説法教化、信仰者の前に釈尊は現前する。十方分身仏の参集(見宝塔品)に諸仏の統一を観る」。
以上、法華経の特色と思想を概観して秋季法門研修会は終了。(おわり)

相武山 山主

2021年11月29日

秋季法門研修会(中)

《法華宗と日蓮宗》
研修会では宗名についても所見を述べました。
現代では日蓮門下の教団を日蓮宗と呼ぶことが一般的となっています。しかし、日蓮大聖人ご自身は日蓮宗と名乗られたことはなく、自らの宗旨を「法華宗」と称しておられました。したがって上代では日蓮の諸門流は「法華宗」を自称していたのです。但し、天台宗も法華宗と称していましたから、そのちがいを示すため「日蓮法華宗」との名乗りもありました。

日蓮宗との呼称は「日蓮の教え、日蓮の信仰、日蓮を信ずる人々・・・」としてわかりやすいのは事実で、中世室町の頃より広まり、徳川幕藩体制下の仏教教団対策と民衆統治の施策の中で一般化したようです。仏教諸宗派はその時代の為政者によって大きな影響を受けますから、宗名などにも戦後まで変遷があったのが事実です。それでも、宗祖の御意志を継承するとして現在も法華宗を名乗る教団は少なくありません。ちなみに、現在は日蓮正宗を名乗る富士日興門流もかつては「法華宗日興門流、法華宗富士門流」と称していたのです。

妙法院は法華宗日興門流本来の教えと信仰を護り伝える寺院として開創されました。現在日興門流を名乗る教団や寺院は多数ありますが、本来の教えや信仰、化法や化義、行儀や作法については不明の点もあれば、明らかに御在世・上代と異なるものもありますから、私たちはこれからも真摯に探求して行かねばならないと思っています。現代は権力者からの強制などはないのですから、名乗りも宗開両祖の在り方に準じて行きたいものです。

《日興門流の基本と特色》
研修会では日蓮大聖人の仏法を継承する日興門流の基本と特色について概要を解説。
その教学は「①日蓮大聖人はあらゆる人々を差別無く救済する大乗仏教こそ釈尊の真意であると覚悟された。②大乗仏教の根本をその精華である法華経に見いだされた。③中国隋の時代、法華経を中心に中国仏教をまとめられた天台大師、唐の時代に天台法華宗を復興された妙楽大師、日本天台宗の祖である伝教大師の教説を宗祖は継承された。④日蓮仏教は天台法華宗(中国と日本)の教学を基礎としている。⑤日蓮大聖人は末法思想を受容した上で教義を展開している。⑥法華経を精妙に理解された日蓮大聖人はその文底に末法下種の「事の一念三千の法門」が存在していることを明らかにした。⑦末法の荒凡夫に下種されるべきは「事の一念三千を内包する南無妙法蓮華経」と教示された。⑧十界互具の妙法曼荼羅を法華信仰の本尊として図顕された。⑨末法の衆生は妙法曼荼羅を本尊として南無妙法蓮華経の唱題受持によって成仏できると説いた。」ことがその基本であることをお伝えしました。

特色としては「名字即成仏、未断惑の成仏、下根下機の成仏、本因妙の成仏、小善成仏・・・」が説かれ、それらはすべて末法の下根下機、三毒強盛の荒凡夫を救済することが仏道の眼目であることを教えています。
また、「天台沙門を名乗った門下直弟たちと『日蓮が弟子』と名乗った日興上人。下根下機の成仏道を理解された日興上人(法華専修、法華経文底本因下種の妙法、末法の教主は法華経の行者、信行は御書を根本に、謗法厳戒、教弥実位弥下・・・)」について解説し、他門流とのちがいを述べました。

日蓮大聖人の信仰者も研究者もその教えを学ぶためには御書(日蓮遺文)を修学することになりますが、その御書を理解するためには法華経と天台教学が必須となります。近年、新興信徒団体の影響により法華経や天台教学が疎かになっている日興門流ですが、旧来、法華経と天台教学を学んでいたことは明らかです。法華経の梗概を学ぶことは日蓮仏教を理解する道であることをお伝えしました。

注意しなければならないこととしては「日蓮の思想的変遷」を認めるということを説明。日興門流では日蓮大聖人を末法の大導師と仰ぎ信仰の対象としますので、どうしても絶対無謬化しやすく、その思想性についても直線的に捉えようとするきらいがあります。しかし、日蓮教学研究者が指摘するように日蓮大聖人の思想性については、複線的柔軟な思想性が存在することも認識しなければならないのです。これは私の自省をこめてのものですが、より正しく日蓮大聖人を理解するために必要な視点であろうと考えています。(つづく)

相武山 山主

2021年11月29日

秋季法門研修会(上)

妙法院では一昨年から四季それぞれに法華宗日興門流の御法門をご信徒と倶に学ぶ研修会を開催しています。午後1時から4時頃まで時間をかけてじっくりと法華経と日蓮大聖人の教えに向き合う研修会です。日蓮大聖人の仏法は極まるところ「末法適時の妙法受持」であり、「一言摂尽の南無妙法蓮華経の唱題行」によって「信の決定こそ末法の成道」となります。

したがって、末法の荒凡夫である私たちは、仏縁を有り難いものとして日蓮大聖人の教えに帰依し、素直に信仰を深めて人生にその教えを活かすことができ、現当二世(現在世と未来世)に生きがいと悦びと安らぎが得られればそれで良いのです。
しかし、現代は誰もが文字を読むことができ、時間をかければ文章の内容を理解することも可能なのですから、その信仰を深めて確かなものにするためにも教えを学ぶことは大事だと思うのです。

当山での法門の研鑽は日蓮教学を学び修めるということですが、それは「仏教にはさまざまな教えと信仰が説かれているが、日蓮仏教はどのような構成と内容なのか。日蓮仏教は他宗教や他宗派とどのように異なっているのか。日蓮大聖人の教えと信仰はなぜ人生に必要なのか。なぜ自分は日蓮大聖人の教えに帰依しているのか・・・」という自分自身への問いかけへの回答を得ることになります。

2500年という悠久の歴史を有し、広範な地域に伝播した仏教は、とても広くて深いものですから、古稀を迎えたとはいえ愚鈍な私にとってはまだまだ緒についたばかりのように思えます。僧道の末席に身を置かせて頂いた者としては、世事に追われながら信仰を磨き仏法を護持されるご信徒よりも修行と修学に精励しなければならない立場なのですが、なかなか思うように御法門を会得できないことは恥じ入るばかりです。それでも常に意識を持って歩みを止めずに学び続ければ理解は深まるものと信じています。
《法華経と大乗仏教の概要を学ぶ》

この秋の法門研修会は10月31日(日)。当日は午前中に御会式を迎えるための境内堂宇の清掃でした。午後1時、参加者一同にて勤行唱題をお勤めし、行学二道の御聖訓を奉唱しての開会。
今回は春と夏の研修会に引き続いて「法華経要品 現代語訳(付)」がテキスト。日蓮大聖人の御生誕800年記念として正信会で発刊された「法華経要品 現代語訳(付)」を拝読しての解説を考えていましたが、前2回の研修会から、『要品の御文を説明する前に法華経や大乗仏教の概要について学ぶことが必要』ということに思いが至りました。そこで、秋の研修会は法華経と大乗仏教の概要を学ぶことにポイントを置き、レジメ「法華経方便品第二 現代語訳を読む」にそっての講義となりました。

日蓮大聖人の教えは天台教学と法華教学の上に構築されていますから、その教えをより良く理解しようと考えるならば、自ずと法華経や天台教学、大乗仏教の概要を識らなければなりません。しかし、「妙法の受持、信の一字の成道」を教示された日蓮門下諸門流では、法華最勝は自明のこととして専ら宗祖の御遺文が教学の中心となっています。これはこれで末法下種の仏法を伝承する日蓮門下としては当然のことといえます。
したがって、法華経や天台教学、大乗仏教の概要を学ぶことは専門的な修学を志す学僧や向学心のある信徒を除いては関心が寄せられないのが実状です。

宗開両祖の御在世はもちろんのこと、中世や近世の日蓮門下諸檀林の修学でも一般仏教や天台教学は必須の科目でした。私は現代でも、否、現代であるからこそ「妙法の受持、信の一字の成道」を護持する法華専修の信に立ち、宗祖の教えをより良く理解するために、法華経や大乗仏教の概要を学ぶことは有益だと思うのです。法華経や大乗仏教を知れば識るほど日蓮大聖人の教えにその魂魄が伝承されていることが理解されることでしょう。

他門流はともかく富士日興門流では日興上人のご教示として「当門流においては御抄を心肝に染め極理を師伝し、もしいとま有らば台家を聞くべきこと」と伝えられています。また、宗祖自ら「日蓮は広略をすてて肝要をこのむ」とお述べです。このような視点から仏教を広く学ぶことよりも狭く深く求める傾向があります。
どのようなものにもプラスとマイナスの二面性があるように、「広く浅く」と「狭く深く」も同様ではないでしょうか。私たちは日蓮の門弟ですから、宗祖の教えに準じて末法の下根下機を自覚し、末法の荒凡夫らしく「狭く深く妙法を受持」に努めて成道を願う信行を根本としますが、教えの由来となる大乗仏教と法華経、さらに天台教学についての基礎を修学することはお叱りを蒙るようなことではないと思うのです。(つづく)

相武山 山主

2021年11月28日

大乗仏教のふるさとを想う

法話会のメインテーマは「大乗仏教のふるさとを想う 『アフガニスタンは大乗仏教ゆかりの地』でした。
 アフガニスタンは駐留米軍の撤退が大きく報じられるわりにはあまり知識されていない国ですから、はじめに予備知識としてアフガニスタンの簡単な説明。
「アフガニスタンは中央アジアと南アジアの交差点に位置する山岳地帯の内陸国。東と南にパキスタン、西にイラン、北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、北東に中国と国境を接している。面積は65万2,000平方キロメートルで、北部と南西部に平野部がある山岳国。首都は人口最大の都市のカーブル。人口は約3,900万人。そのほとんどがパシュトゥーン人、タジク人、ハザーラ人、ウズベク人などの民族。宗教はほとんどの国民がイスラム教」

《米軍のアフガン介入と撤退》
米国は2001年の米同時多発テロ後の同年10月、国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対する攻撃を開始。米軍は同政権を打倒し、民主政権の樹立を支援。米軍はその後もアフガニスタンに駐留を続け対テロ組織掃討作戦などを続けていましたが、米国内では長引く戦争に撤退を求める声が高まっていたことを解説。
すでにトランプ前大統領が撤退を決定していましたが、バイデン大統領も4月、米同時多発テロから20年の節目となる今年9月11日までに米軍をアフガニスタンから撤退させ、米国史上最長の戦争を終わらせると表明。その後8月31日までに米軍を撤退する方針を打ち出していました。

米軍撤退の動きを受けて、8月中旬にはタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧。米国が支援するアフガニスタン政府が突然政権を放棄したために、大混乱の中、米軍と関係各国は短期間での徹底を余儀なくされました。
米中央軍のマッケンジー司令官は8月30日夕、オンラインで記者会見し、アフガニスタンの首都カブールの国際空港で展開していた退避作戦が完了したと表明。米国東部時間30日午後3時29分(アフガニスタン時間30日午後11時59分)、最後の米軍輸送機C17が同空港を離陸。2001年9月11日の米同時多発テロをきっかけに始まった「米国史上最長の戦争」に終止符が打たれました。

アフガニスタンへの介入によって米兵や市民2461人が死亡、2万人が負傷しています。また、カブール空港で展開した退避作戦の結果について「政権崩壊前日の14日以降、米軍は米国市民6千人、アフガニスタン人や外国人7万3千人、合計7万9千人を国外に搬送。同盟国による搬送を合わせると12万3千人超を搬送。退避作戦最終盤の26日に過激派組織「イスラム国」支部組織の自爆テロで米軍兵士13人が死亡したことは残念」と米軍が発表したことを紹介しました。

《忘れられない中村哲医師》
アフガニスタンを語るとき、私たち日本人が忘れてならないのが中村哲医師。私は中村氏は大乗仏教の精神を実践された方として尊敬していますので、じっくり説明したかったのですが時間の都合上、参考資料を提供して読んで頂くこととしました。

《アフガニスタンと仏教》
時間は押してきましたが、ここから本題のアフガニスタンと仏教です。
アフガニスタンの領土は王国の興亡によって数千年にわたって変化し、文化的、宗教的な変化も多く見られます。地理的にはペルシアと南アジアの間に位置し、東西と南北のシルクロードに近接。交通の要衝として地域の歴史的、文化的な発展に大きな役割を果たした国です。

紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国の支配下にありましたが、紀元前4世紀にはギリシャのアレクサンドロス3世(大王)による東征下に置かれました。紀元前3世紀中頃、アフガニスタン北部からタジキスタン南部にかけてはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配しました。そのためこの地域にはヘレニズム文化が流入。仏教美術にも大きな影響を与えました。

1世紀以降、大月氏の立てたクシャーナ朝がこの地に栄えますと、ヘレニズム文化は影響力を失い、代わって南方のマウリヤ朝から流入したインド文化や仏教の影響が強く見られるようになります。アフガニスタンにおける仏教は一千年以上の長い歴史を持ち、大乗仏教の起源にまで遡ぼるといわれています。スキタイを含むパシュトゥーンの多くのイラン人は、イスラム教が伝わるまで仏教を信仰していました。バーミヤン遺跡などの多くの仏教遺跡は仏教文化が存在していたことを物語っています。

《ガンダーラ国と仏教》
ガンダーラ国は現在のパキスタン北西部に存在した古代の王国。首都バクラームなどを中心に栄えました。カーブル川北岸に位置し、その西端は現在のアフガニスタンの首都カーブル付近まで。東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していました。
ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀まで存続。1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えました。ことに2世紀中葉、第3世のカニシカ王はこの国に仏教を大いに流布させました。王は領土を西トルキスタン・アフガニスタンから東トルキスタン・インドの一部まで拡大。首都をプルシャプラ(現ペシャワール)に置きました。この王朝の下で大乗仏教とガンダーラ美術が大いに興隆したのです。

近年、ガンダーラからは多数の大乗仏典が発掘されました。
2019年7月26日 (日経報道)による「アフガン中部で経典写本を発見」の記事を紹介しました。内容は以下のとおりです。
アフガン中部で経典写本を発見
『仏教経典の写本が見つかったメス・アイナク遺跡』【カブール=共同】
「アフガニスタン中部のメス・アイナク遺跡で、7世紀ごろに作られたとみられる仏教経典の写本の一部が見つかった。アフガン考古局が26日までに明らかにした。
古代遺跡から写本が見つかるのは珍しく、栄えた仏教都市だったことを裏付ける発見。小説「西遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵が、旅行記「大唐西域記」で描いた仏教国「ブリジスターナ」である可能性が高まった。」
遺跡は首都カブールの南東約40キロにあり、3~7世紀の都市とされる。2009年にアフガン政府が本格的な発掘を開始。仏塔や仏像、壁画が次々と出土し、大規模な遺跡であることが判明した。
写本は遺跡の中心にある丘の斜面で17、18年に見つかった。考古局は「経典の保管施設があったのではないか」と推測している。』を紹介。

このメス・アイナク遺跡で見つかった写本を解読した仏教大の松田和信教授(仏教学)によると、『樹木の皮にサンスクリット語で大乗仏教の「般若経」や「弥勒下生成仏経」が書かれていた。玄奘は西域から大乗仏教の経典群を持ち帰り漢訳したとされている』こと。
メス・アイナク遺跡の保全、修復に協力している東京芸術大の前田耕作客員教授(アジア文化史の『初期仏典の発見は珍しい。大唐西域記に記述されたブリジスターナと大まかな位置関係も符合する。玄奘が立ち寄った可能性がある』との指摘も紹介。

玄奘三蔵は大唐西域記で、ブリジスターナについて「気候は寒さ厳しく、人々の性格は激しい。深く仏教を信仰し、学を尚び、徳行ある者に遵う」と記しています。
一方、遺跡の周辺には世界有数の埋蔵量とされる銅の鉱床が広がっています。鉱山開発が重要な財源となっているアフガン政府は07年、30年間の採掘権を30億ドルで中国企業に売却。遺跡に及ぼす影響が懸念されています。考古局は「発掘が終わるまで数十年は必要だ」と説明。国連教育科学文化機関(ユネスコ)なども保全の重要性を訴えていることをお伝えしました。

アフガニスタンの歴史と大乗仏教の歴史を略述しながら、アフガニスタンには「大乗仏教のふるさと」としての位置づけができることを述べました。平和の国日本で大乗仏教を学ぶことができる私たちは、仏教伝播のいわれを大切にしてアフガニスタンの人々の平和と安寧を祈り見守って行くことをお伝えして10月度の法話会は終了。
来月は今年最後の法話会。11月14日(日)午前11時からの開催です。皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

檀信徒の皆さまにはこの春から日曜法話会をウエブで配信していましたが、10月の法話会はPCの急な不具合で収録ができませんでした。悪しからずご了承ください。

相武山 山主

2021年10月30日

2021年ノーベル賞雑感

《10月度の日曜法話会》
10日(日)は今年10回目の日曜法話会。テーマは「大乗仏教のふるさとを想う『アフガニスタンは大乗仏教ゆかりの地』」でした。
8月中旬よりアフガニスタンからの駐留米軍撤退の模様が連日報道されました。中東に位置する彼の国の混乱は世界中の人々の耳目を集め、多くの人が今に胸を痛めて心配しています。私もその一人です。

 というのも、今ではすっかりイスラム教の世界となっていますが、古のアフガニスタンは東西文化の交流の地として、西からはギリシャ文明、東からはインド文明が流入。インド発祥の仏教も部派仏教の時代から大乗仏教の興立発展期にかけて大きな足跡を遺した仏教縁の地であるからです。
また、アフガニスタンの復興に生涯をささげながら2年前に凶弾に倒れた中村哲医師の存在は実に鮮明です。私は中村氏の志と行動をすなおに尊敬する一人であり、中村氏もきっと御仏の世界から彼の国の人々の平安を祈り見守っておられるだろうと思っています。法話会でも一度アフガニスタンについてふれてみたいと考えていました。

《真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞》
法話会の前半は毎回「世相」についての所感を述べています。今回の世相のテーマは「2021年ノーベル賞雑感」です。
ノーベル賞はご承知のとおり、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞です。医学生理学、物理学、化学、文学、平和および経済学の分野で顕著な功績を残した人物に贈られます。
例年10月になると受賞を想定される方々ばかりでなく世界中から関心が寄せられます。法話会では今までも受賞者の声を紹介しながら所感をお伝えしてきましたが、受賞者の声はいつも新鮮でそこにはたしかな学びがあります。

今年も米国籍の日本人真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞されました。受賞の理由は「地球温暖化の予測のための気候変動モデルの開発」。真鍋氏は、シミュレーションを使って地球に関する物理モデルを開発し、気候の成り立ちと変動を解明。また二酸化炭素(CO2)の増加に伴う地球温暖化につながる基礎を確立。大気中のCO2の濃度上昇が地球表面の温度上昇につながることを実証した」ということです。

真鍋氏は人間活動が地球に及ぼす影響を早くから予見し、1960年代から気候変動の先駆的な研究を続けてきました。デジタルが今よりも普及していなかった時代にコンピューターを駆使し、地球の大気全体の流れをシミュレートする気候数値モデルを開発したのです。地球温暖化の予測モデルを切り開き、二酸化炭素濃度の上昇が地球の表面温度の上昇にどうつながるのかを示した功績は大きく、スウェーデン王立科学アカデミーは『彼の研究は現在の気候モデルの開発の基礎を築きました』と称えています。

海洋研究開発機構の河宮未知生環境変動予測研究センター長の「真鍋先生は気候予測という学問を創出した研究者だ。物理の原理原則を積み上げれば、地球環境を再現し予測できると示した。世界的な脱炭素の流れの中での受賞はこの分野への期待を表している。未来を予測する研究として責任を果たしていきたい」という言葉も紹介しました。

 真鍋氏のプロフィールについて「1931年(昭和6年)、愛媛県宇摩郡新立村(現:四国中央市新宮町)に誕生。旧制中学校の愛媛県立三島中学校(現:愛媛県立三島高等学校)を卒業。1953年(昭和28年)に東京大学理学部の地球物理学科を卒業。東京大学大学院では「数値予報」を専攻。1958年(昭和33年)に博士課程を修了。「凝結現象の綜観的研究」で理学博士号を取得」という日本での履歴を紹介。

続いて「真鍋氏の大学院での数値予報の研究がアメリカ国立気象局(現:アメリカ海洋大気庁)のジョセフ・スマゴリンスキーの目に留まり研究所に招請された。1958年、アメリカ国立気象局に入り後に主任研究員になる。米国ではIBM製の最新コンピューターを自由に使うことができた。米国のコンピューターは同時代の日本のものより30倍以上も処理性能が高く、気象の研究のためには非常に有利であった。さらに給料を日本の25倍も与えられたことで研究に没頭できた。地球科学者(気象学)としてアメリカを中心に研究生活をおくったが、一時日本に還って研究生活を送る。その後、再びアメリカにもどり、現在、アメリカのプリンストン大で上級研究員を務める」という米国での履歴を紹介。

《受賞記者会見での発言》
真鍋氏は受賞発表直後の記者会見で「研究で大切なことは『好奇心』と回答。アメリカ国籍を取得し、日本を離れたことについては『日本の他人の目を気にしすぎる風潮が合わなかったこと』を理由に挙げた」ことなどを紹介しました。

記者と真鍋氏のやりとり。
【記者】研究を始めた1960年代、気候変動が世界でこのような深刻な問題になると思っ
ていましたか?
【真鍋】研究当初、こんなに重大なものになるとはまったく想像していませんでした。私
は単に自分の好奇心から研究を始めただけなのですが、私の考えるところでは、科
学において、時間がかなりたってから社会に大きなインパクトを与える大発見の多
くは、研究当初、研究者たちはのちにどんなに大きな貢献になるかは想像してなか

ったと思います。
最も興味深い研究とは、社会にとって重要だからといって行う研究ではなく、好奇
心に突き動かされて行う研究だと思います。
【記者】日本からアメリカに国籍を変えた主な理由は?
【真鍋】日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。
彼らはとても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由
です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。日本で「は
い」「いいえ」と答える形の質問があるとき、「はい」は必ずしも「はい」を意味

しません。「いいえ」の可能性もあります。(会場から笑い)
なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから
他人を邪魔するようなことをしたくないのです。
アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要が
ありません。実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察した
くもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。私のような研究者
にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。
ー略ー
それが日本に帰りたくない一つの理由です。なぜなら、私は他の人と調和的に生活
することができないからです。(会場から笑い)

真鍋氏の発言をどのように受け止めるかは一人ひとりの問題ですが、明快で示唆に富むものだと私は思いました。

《平和賞は強権批判の報道関係者が受賞》
平和賞は「報道の自由を掲げ政権の強権的な姿勢を批判」してきたフィリピンのインターネットメディア、「ラップラー」のマリア・レッサ代表と、ロシアの新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のドミトリー・ムラートフ編集長の2人が選ばれました。
選考委員会のベーリット・ライスアンネシェン委員長は、授賞理由の中で「自由で独立し、事実に基づいたジャーナリズムは、権力の乱用と戦争への扇動から人々を守ることができる」と指摘した上で、「2人は民主主義と恒久的な平和の前提となる、表現の自由を守るために、勇気を出して闘っている。民主主義と報道の自由が、逆境に直面する世界で、理想の実現のために立ち上がるすべてのジャーナリストの代表だ」と評価したことを紹介。

マリア・レッサ氏(フィリピン)は「フィリピンで、権力の乱用や暴力の横行、それに強まる専制主義の実態を自由な表現で暴いた」とした上で「ドゥテルテ政権の暴力的な麻薬撲滅キャンペーンに社会の注目を集めたほか、ソーシャルメディアがどのようにフェイクニュースを広め、嫌がらせや世論操作に使われているかを伝えた」と述べたことを紹介。

ドミトリー・ムラートフ氏(ロシア)は「メディアをめぐる状況が厳しくなるなか、何十年にもわたってロシアの言論の自由を守り、汚職や警察当局の暴力、それに選挙不正などに関する批判的な記事を発行してきた」と評価されました。
「ムラートフ氏が編集長を務めるノーバヤ・ガゼータ紙は、これまでにアンナ・ポリトコフスカヤ記者を含む6人のジャーナリストが殺害されるなど、脅迫や暴力を受けてきた。こうした脅しにもかかわらず、ムラートフ氏は、編集長として新聞の独立性を放棄せず、ジャーナリストが書きたいことを書く権利を守り続けてきた」ことを紹介。

ノーベル賞授与には受賞理由という大きなテーマが存在しています。多くの人々は受賞理由から選考委員会の意志をくみ取るからです。今回の平和賞の授与についても選考委員会は「今回の授賞によって、人々の基本的な権利を守ることの重要性を強調したい」と述べ、「表現の自由、報道の自由があってこそ、国同士は友好関係を築き、武力を放棄し、よりよい世界秩序をつくることができる」と結んでいることをお伝えしました。

関連事項として基本的人権と民主主義について、「民主主義が機能するためには、市民が自由にものを考え、自分の意見を自由に言えるという基本的人権が必要」であり、「人権が保障されているにもかかわらず、民主主義が実践されていない社会では、たとえ自由にものが言えたとしても、国家運営は一部の人びとによって一方的に行われる」という実態について解説しました。
学ぶべきこととして「・ノーベル賞授与の意義を知る。・受賞理由を認識する。・現代社会の有り様を考える好機とする。・受賞者の発言などから人生の教訓を得る。」をお伝えして世相のコーナーを終了。

相武山 山主

2021年10月29日

萩が涼風にそよぎ金木犀が香る秋彼岸

 妙法院では中秋の名月(9月21日)を楽しむことができました。横浜市北西部の里山にある当山では周囲に街灯があまりないため、大都市としてはめずらしくかなり闇が深くなります。前日も煌々と輝く月を見上げましたが当日もすばらしい観月を楽しみました。天空にかかる月を観るだけですが、なぜか想いが深くなり小さな自分も広大な宇宙の一部であることに気づきます。
富士日興門流の寺院でも秋に観月会を執り行うお寺がありますから、当山でも準備ができたら観月会を執り行いたいと思っています。夜の妙法院もとても趣がありますので楽しみにしていてください。

秋のお彼岸は20日(月)が入りで、23日(木)がお中日、26日(日)が明けでした。妙法院ではそれぞれ午後1時から法要を執り行いました。9月初旬からコロナ禍が少しずつ落ち着いてきたこともあり、青空に涼風がわたる中、7月・8月のお盆よりも多くの方々がお参りにみえました。

入りの20日には午前中に永代供養墓の久遠廟と樹木葬墓地に参詣。三日間の各法要では参詣の皆さまと一緒に法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、門流先師への御報恩、ご先祖有縁精霊への追善供養を申し上げました。法要後の法話は「法華初心成仏抄」を拝読。末法の成仏道は南無妙法蓮華経の唱題行にあることをお伝えいたしました。
 萩が涼風にそよぎ金木犀の香りが境内にながれる秋らしい風情のなか、弟子の坂上純興師(四日市市慧光院住職)にもお手伝いを頂き、コロナ禍の沈静化を祈りながらの穏やかなお彼岸でした。

相武山 山主

 

2021年09月30日

龍口法難会を奉修

9月12日(日)午後1時から龍口法難会を執り行い、参詣の皆さまと倶に勤行・唱題、御報恩謝徳を申し上げました。文永8年9月12日の龍口法難は法難重畳のご生涯であった日蓮大聖人にとっても、時の為政者によって斬首されようとした最大の法難です。この法難は末法の法華経の行者を自任される宗祖にとって、崇高な宗教的体験であり、末法下種の地涌の菩薩、上首上行菩薩との自覚に至る貴重な法難でした。

 宗祖はこの法難について後に遺された御書においてさまざまに述懐されています。門弟である私たちはその御書を拝読して宗祖の胸中を推し量りますが、この法難は宗祖が末法の法華経の行者であることを明示し、法華経と宗祖が一体となったことを証明していることを知るのです。
法難の後、宗祖は佐渡に流罪されますが、佐渡では開目抄、観心本尊抄等の重要法門を著述され、さらに末法の衆生のために妙法曼荼羅本尊を図顕されます。龍口法難から佐渡流罪の時代は宗祖にとって大きな宗教的転換点でありました。

法要後には三沢抄を拝読しての法話。
「法門の事は、さど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。ー 略 ー 而るに此の法門出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光、巧匠の後に拙きを知るなるべし。此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きへうせて、但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候。各々はかかる法門にちぎり有る人なれば、たのもしとをぼすべし」を拝読。

 始めに三沢抄について「御書システムの解題」からの解説。御書の解題とは当該御書についての説明で、宗祖の直筆が残っているか否か、真書か偽書か真偽未決の書か、いつどこでだれに宛てた御書かなどが解説されています。
その後、龍口法難から佐渡流罪について略述し、拝読本文についての解説。「法門の事は、さど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」という宗祖のお言葉の重要性をお伝えしました。
また、富士日興門流では龍口法難を宗祖の発迹顕本と拝していることを併せてお伝えしました。

相武山 山主

2021年09月30日

法華経は現当二世の安らぎ

法話会は世相に思うからメインテーマ「秋のお彼岸 ー法華経は現当二世の安らぎ-」へ。
【お彼岸について】
お彼岸はすでに年中の行事となって久しいために、改めて聞かれると説明に戸惑うこともある日本の仏教的習俗です。秋のお彼岸の前なので今回の法話会のテーマとしました。お彼岸の法要は春秋の二度、春分の日、秋分の日を中日とした前後3日間、計7日間ずつを期間として執り行われます。

お彼岸の中日にあたる春分の日、秋分の日は国民の祝日。昭和23年に公布された「国民の祝日に関する法律」の第2条にある祝日の主旨によれば、春分の日(春分日)は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」祝日、秋分の日(秋分日)は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」祝日とされています。
お彼岸には菩提寺や墓所に参詣してご先祖や有縁精霊に供養をささげることが常とされますが、古来、日本人にとって自然や動植物は、ともに生き倶に生かされている存在。お彼岸では先祖のみならず、自然や動植物に対しても感謝と敬意、慈しみのこころを確認したいものです。

【仏教における彼岸の意味】
彼岸というのはサンスクリット 語pāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳です。彼岸(此岸に対する言葉)は「かなたのきし」ということで川の対岸をさす言葉。
仏教ではこの彼岸を仏さまの悟りの世界に喩え、私たち凡夫が住む「こちらのきし」すなわち此岸を迷いの世界に喩えます。仏道では迷いと苦しみからの解放を求め、偽りのない安らぎの世界に生きることを説くところから、彼岸とは自らが川を渡って理想の世界に到る行為をあらわしたものです。

仏道では自分が此の岸に居るという自覚が大切だと教えています。自我の真実存在を見つめる者にしてはじめて彼岸を求めるからです。自我はおよそ五欲を追求するもので、5つの感覚器官に対する5つの対象,すなわち形体のある物質 (色)、音声 (声)、香り (香)、味、触れてわかるもの (触) をいい、これらは,欲望を引起す原因となるものです。また、財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲を五欲という場合もあります。
仏道は彼の岸(仏の世界)をめざすものであり、道心を発すとは、欲望と感情の世界(此岸)を離れて真実の幸福(彼岸)を求める心であり、人生の遇不遇(幸不幸)の意味を探り、普遍の真理を尋ねるものです。仏道では人生は有限であるからこそ意義深く歩むべきだと教えています。

仏道では此岸から彼岸に行くため河を渡らなければなりません。この渡河することこそ仏道修行の実践です。その実践は「・布施波羅蜜(布施を実践すること)・持戒波羅蜜(戒律を守ること)・忍辱波羅蜜(修行を堪え忍ぶこと)・精進波羅蜜(努力を惜しまないこと)・禅定波羅蜜(精神の統一をはかること)・般若波羅蜜(真実の智慧を得ること)」の六種の修行「六波羅蜜」です。
お彼岸は「先祖や有縁精霊への報恩感謝と追善供養、静かに自己の人生を考えて省みるとき、来世に思いを馳せ仏道に心を寄せる・・・」そのすべてが仏道の功徳を積む行為といえます。
以上を述べて仏教的な彼岸の解説としました。

【法華経は現当二世の安らぎ】
最後に大乗仏教の精華である法華経では、此岸対彼岸という二元的な思考を越えて、娑婆即寂光という一元的な思想を説き、現当二世(現在と未来)の安らぎを得ることをお伝えしました。
すなわち、輪廻思想を主張するヒンドゥー教の影響もあって、出家者や特定の修行者を中心とする初期仏教では、カルマからの解脱によって輪廻を断ち切り、迷いと苦悩に覆われたこの世に再生しないことが望まれました。しかし、大乗仏教では現実の娑婆世界で生活しながら仏道を求める人々を肯定し、一切衆生の救済こそ仏教思想の根幹であり目的であると説いて、輪廻思想を捉え直し、願って現世・悪世に生じ、現世を菩薩道を実践する世界と観たのです。

 ことに法華経では娑婆世界での菩薩道実践が説かれ、末法に南無妙法蓮華経のお題目を下種された日蓮大聖人は、「此岸に在りながら彼岸を感得する仏国土建設を求められ、その菩薩道の実践こそが、そのまま来世の安心を得る道であると教えている」ことをお伝えしました。

秋のお彼岸を迎えるにあたり「法華信仰者・日蓮が門弟としての心得」をお伝えした次第です。来月の日曜法話会は10月10日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年09月29日