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相武山 妙法寺 ブログ

伊豆御流罪法難会

16日(日)午後1時より伊豆御流罪法難会を執り行いました。法会には午前の日曜法話会から引き続いて参詣された方が多く、ランチを摂って小憩してからのご参詣。まじめな同信の皆さまと倶に如法に読経・唱題をつとめて伊豆御流罪への御報恩を申し上げました。

この法難は日蓮大聖人が弘長元年(1261)5月12日から同3年(1263)2月22日まで伊豆の伊東(静岡県伊東市)に流罪された法難のことです。宗祖は前年の文応元年(1260)7月に『立正安国論』を前執権・北条時頼に奏上。結果的に為政者への批判とされ、世情を騒がせる者として弾圧の対象となりました。

 

もちろん、建長5年(1253)の立教開宗以来、宗祖の法然浄土教批判は一貫したものでしたから、念仏信仰者からは常に怨嫉攻撃される対象でした。文応元年(1260)8月には松葉谷の庵室を襲撃(松葉谷法難)されています。
その時には安房から下総などに避難したと考えられますが、法華弘通のために鎌倉にもどったところ、権力者一族の讒訴によって捕縛され、伊東八郎左衛門の預かりとして伊東に配流されたのです。

法要に続いての法話では伊豆御流罪の伝説が説かれる「船守弥三郎許御書」を拝読。御書システムより御流罪の背景と状況。さらに「船守弥三郎許御書」の解題からその真偽と内容を解説。拝読御書から「船守弥三郎夫妻に寄せる宗祖の想いと、地頭である伊東氏の病気平癒祈願など」について所見を述べ、いずこにあっても、どのような環境におかれても、仏法を受持し自らの志を信じられた宗祖は、ふれあう善悪すべての人々を仏縁とされたことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年05月31日

源を見つめる(下)

日曜法話会のレジメの続きは「オリンピック開催ありきでよいのか?」から。我が国のコロナ禍の現状からして、果たして開催は可能か?という疑問です。菅総理は開催の有無について質問されても明確に答えませんが、政権は開催の意向と報じられています。
近年の国政では政権や権力者にとって都合の悪いことは明確に回答しない、さらに説明しないことが多いように思えます。政権は国民のためのもの、市民のためのものという原点が忘れられているように思えるのは残念との所見を述べました。

オリンピックは7月23日開幕、残された時間は68日。海外のメディアも開催の是非を論じています。明確に中止・延期との声も上がっていますし、開催に関わる各県にオリンピック向けの医療提供を求めても拒否されているとの報道があります。世論調査でも開催賛成は少なく過半は中止か延期を希望しています。このような状況で果たして「コロナに打ち勝った証」などといって開催できるのでしょうか。オリンピック開催についてもその本来の意義(源)を問い直す必要があるように思います。

次にレジメでは「公文書改ざん事件(赤木ファイルの提出)」を取り上げました。
森友学園問題は未だにすっきりしていない問題ですが、昨年(2020年)、森友学園事件で財務省の佐川宣寿理財局長(当時)に決裁文書の改ざんを強要されて自死に追い込まれた近畿財務局職員、赤木俊夫さんの遺書と手記が公表されました。
公文書改ざん問題は安倍晋三前総理が国会で自身と昭恵夫人の関与を完全否定する答弁を行い。その答弁に合わせて佐川局長が部下に文書改ざんを命じたというものです。現場で対応を迫られた赤木さんは自死することで財務省の不正を告発したことになりました。赤木さんの自死を問われた安倍総理は、「ああいう結果になり、総理として大変申し訳ない」と謝罪。しかし、赤木さんの告発に応えて再調査することは否定しました。

2020年3月、赤木さんの自死から2年後、妻の赤木雅子さんが「自死は同省で改ざんを強いられたからだ」として、国や佐川宣寿・元財務省理財局長に、計約1億1200万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴。雅子さんは、夫の精神的苦痛を証明するために「赤木ファイル」の提出を命じる「文書提出命令」を出すよう地裁に申し立てていました。これを受け、国は、5月6日までにファイルの存否について文書で回答することになっていたのです。
国が赤木ファイルの存在を認め、条件つきながら開示することを回答したという事件です。内容が少し込み入っていることもあり、法話会では日経新聞を参照に解説しました。

テーマ「源を見つめる」に沿って、「公務員が仕えるとは!」として、ある国家公務員のことば『国家公務員のすべての原点は「人のために、国民のために、国益のために」、自分は何ができるか、自分はどのように国家公務員として仕事をしていくか、どのような政策を実現していくか、それを考えることが国家公務員としての使命であり、国家公務員として働くことの意義だと思います。』を紹介。
私の所見として「公務員は公平公正、原点と基本を忘れてはいけない」と述べ、「意識の対象は権力者ではなく、国民、市民であるべき。公文書は国民・市民の財産であり、改ざんを許してはならない」「この事件は大きな問題を内包してるので今後も注視したい」とお伝えしました。

次に天台大師のことば
摩訶止観から「流れを挹みて源を尋ね、香を聞きて根を討ぬ」を紹介。
『水の流れをくみとって、水源の様子を追求し、匂いを嗅いで根源の様子を調べる。末端に現れたものから本質を察知するたとえ』
同じく摩訶止観から「根露るれば条枯る、源乾けば流れ竭く」を紹介。
『植物の根がむき出しになれば枝は枯れてしまう。水源が干上がれば水の流れはつきる。根本になるものがだめになれば影響は末端まで及ぶことのたとえ』

結びに以下の日蓮のことばを紹介。
「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得可きか」  『観心本尊抄』
「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば、必ず天はまぼ(守)らせ給ふなり」 『四条金吾殿御返事』
「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり。」 『檀越某御返事』
《現代語訳》「主君に仕えることが、そのまま法華経の実践であるとお思いなされよ。天台大師の『あらゆる世間の生活と産業は、みな仏法の真実と相違しない』というお言葉はそういう意味である。

学ぶべきこととして「何ごとも謙虚に原点を意識して人生を歩もう。おかしなこと、納得できないことには拒む勇気を。人生の最後まで学ぶことを愉しもう。自らを支え育むすべての存在に感謝の思いを抱けるように精神の涵養をはかろう。」とお伝えして5月度の日曜法話会は終了。
次回は6月13日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年05月30日

源を見つめる(上)

5月の日曜法話会は16日(日)午前11時からでした。コロナ禍による緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が全国各地に出され、収束が見込めない上にワクチン接種もかけ声倒れでほとんど進んでいないという現状です。その上この日は天候も不安定でしたから参加者は16名ほどでした。参加者の多寡で法話の内容や私の意識が変化することは全くありませんから、いつものようにテーマ「源を見つめる」をレジメに沿ってのお話。

【雨の恵みに思う】
例月どおりに日曜法話会の趣旨をお伝えしてテーマに入る前に、「例年より早い梅雨入り」について一言。というのも北九州、中国地方、四国地方が例年より3週間ほど早く梅雨入りしたという報道があり、関東地方もいつもより早い梅雨入りが予想されているので、うっとうしい梅雨時の心の持ち方を参加者の皆さんと考えてみようと思った次第。

我が国では梅雨前線の活動が活発になる6月から7月にかけての時季を梅雨と呼ぶ。晴れ間が少なく曇天に降雨が続くと誰もが心も塞ぎがち。また、湿度が上がってムシムシしてきたらさらに不快指数が上昇。野外での作業も制約され、外出も面倒になり、洗濯物も乾かない、カビも生えれば食物も腐りやすくなる。少し考えただけでもため息が出てきそうな季節という方も少なくありません。

しかし、中国の俗諺に『春の雨は貴きこと油のごとし』とあるように、植物などの成育に雨は太陽とともに不可欠な存在。雨はあらゆる生命を支える水の源であり、水がなければ動物も植物もあらゆる生物は生きて行くことができません。自然界の営みでは雨はまさに恵みそのものなのです。また雨は塵や汚れを洗い流してもくれます。
時に豪雨となって深刻な水害をおこすこともありますから注意は必要ですが、暑い夏を乗り切るためにも梅雨は私たちにとって必要な時季なのです。愚痴ばかりに流されずに、うっとうしい梅雨のときこそ雨の恵みを学ぶ機会とし、梅雨ならではの愉しみを見つけたいものです。心の持ち方を工夫する好季であることをお伝えしました。

【源を見つめる(上)】
さて法話会のテーマの副題は「原点を意識して人生を歩む」です。俗諺にも「迷ったら原点にかえる」とあります。原点を意識しながら人生を歩むことが大切であることから「人生のすべてにおいてその源を意識する。目的を見失ってはならない。基本を疎かにしてはいけない。自らの存在と行動の原点を常に意識すること」をお伝えしました。また、「貴重な人生、家族、夫婦、学び舎、教師、友人、交友、就職、職責など」その存在と行動の理由を意識し、「何のために? なぜ? どうして?」という自身への問いかけを忘れてはいけないという所見を述べました。

次に先人のことばに学ぶでは、
論語の学而篇から「君子は本を務む。本立ちて道生ず。」を紹介。
『君子は何ごとにつけ根本のことに力を注ぐ。根本が確立されると。行くべき道がおのずとできてくるものである』(有若のことば)
孟子の言葉から「道は大路のごとく然り。豈に知り難からんや。人求めざるを病むのみ」を紹介。
『聖人の道は多きな道路のようなものである。どうしてわかりにくいことがあろうか。人が自ら求めようとしないことが問題なのである。』
荀子の君道篇から「源清めば則ち流れ清み、源濁れば則ち流れ濁る」を紹介。
『源泉が澄みとおっていれば下流も澄み、源泉が濁っていれば下流も濁る。物事はその根源にあるものの善し悪しに左右されやすいことをたとえる。』
後漢書から「涓流寡なしと雖も、浸く江河を成す」を紹介。
『ちょろちょろと流れる小川の水はごく少ない水だが、しだいに大河の流れとなる。大きなことも小さなことから始まることのたとえ』
説苑から「本傷めば枝槁れ、根深ければ末厚し」を紹介。
『木はその根元がいたんでいれば枝葉は枯れてしまい、深くしっかりしていれば、こんもりとよく繁るものである。何ごとも基本が大切であることを説くたとえ』
以上のことばから枝葉末節に振り回されず、源を常に意識することの大切さを学びました。
源流や大道、柱や幹を大切に対応することの反語にもなるのが、場当たり的、その場しのぎの対応。少し目をこらして現実を見ればそこかしこにその姿をみることとなります。

【コロナ禍の増大とワクチン接種の混乱】
5月16日現在、緊急事態宣言が出されているのは、北海道、東京都、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、岡山県、広島県 及び福岡県の計9都道府県。まん延防止等重点措置は千葉、神奈川、埼玉、岐阜、三重、愛媛、沖縄、群馬、石川、熊本の計10県。
合計19都道府県に宣言と措置が講じられていますから、心穏やかな品格の国民性といわれても世相を不安に思うのは当然です。国や地方の行政を司る方々も一所懸命取り組んでいるのでしょうが、今ひとつ合点がいかないのは感染拡大防止が最優先という徹底がなされないことだと思うのは私ばかりではないでしょう。

いわれるまでもなく経済活動や社会活動は私たちにとって大切なものですから、コロナ禍であってもそれなりの活動をすることは理解できます。しかし、感染防止が至上命題なのですからその徹底をはかられなければ成果は上がりません。二兎を追う者は一兎を得ずです。また、責任者が平時と緊急時の認識ができず、基本的判断がにぶればより良い成果も得られようはずがありません。
新型コロナウイルスによるパンデミックですから誰が責任者でも対応は厳しく難しいと思いますが、多くの国民が不安と困窮を来しているのですから、権力者としての責務をしっかりと果たしてほしいとの願いをお伝えしました。

ワクチン接種については「まだ医療従事者も25%の接種。高齢者の接種は各自治体でバラツキが。各地でワクチン接種予約の混乱。政府は7月末までに高齢者の接種完了を明言?ワクチンの確保が不明な上に接種の準備(会場、スタッフなど)ができていないのが現状では?行政への不信と不安?」という現状や疑問について解説。
さらに私のワクチン接種予約の顛末を報告しました。
高齢者の一人である私が、同居する94歳の高齢者のために、5/3、5/5、5/10、と3日間3回にわたって接種予約にチャレンジしましたが見事に空振り。イライラが募るとともに、サイトからの予約も電話での予約も機能しているようには思えなかったので、「横浜市は何を目的にして予約のチケットを送付したのかな?予約チケットへの対応をシュミレーションしていたのかな? 80歳以上の高齢者への予約も済まないうちになぜ70歳以上の高齢者にもワクチン接種通知を送付するのかな?・・・」と次から次に???でした。

不安解消のはずのワクチン接種予約が疑問とストレスになった顛末と、最後にはかかりつけクリニックで私も同居高齢者も一緒に予約がとれたことをお伝えしました。ワクチン接種のこぼれ話として、一部行政の首長や地域有力者などが抜け駆け接種問題を起こしている報道を紹介。人の道を踏み外すようなことはまことに残念。何ごとも源や基本を大切にしたいものです。

相武山 山主

2021年05月29日

仏法の護持と弘通を誓願

ゴールデンウイークがはじまる4月29日(木)午前11時より立教開宗会と御虫払法要を執り行いました。コロナ禍での法要ですから参詣者は25名ほどでした。立宗会は建長5年4月28日の宗祖の立教開宗を御報恩申し上げる法要であり、御虫払法要は当山に所蔵している御宝物のお風入れ虫払いを行う法要です。近年、当山では二つの大切な法要を同日に奉修しています。

【御宝物を解説】
三日ほど前から本堂内陣に所蔵御本尊と宗開両祖の御影画を奉掲。今年は始まる前に私から御奉掲の御宝物について30分ほど解説をいたしました。九幅の曼荼羅本尊は江戸末期から明治にかけてのものが大半です。中央御厨子に安置の御本尊は天保10年の曼荼羅。天保の改革や大塩平八郎の乱の頃の御染筆になります。元治元年の二幅の御本尊は幕末の池田屋事件や禁門の変、長州と四カ国戦争の頃の御染筆。明治7年の御本尊は明治維新の動乱期、佐賀の乱から西南戦争に至る頃の御染筆です。

宗祖、弘安4年4月の御図顕、僧日春授与の御形木本尊。中山法華経寺浄光院所蔵の重要文化財「水鏡の御影画」の複製についても解説して紹介。宗祖の御影については宗祖滅後より弟子が画像に描き木像に造立した事実をお伝えし、日興門流では宗祖滅後の三宝を明らかにするため、宗祖と日興上人の両御影を曼陀羅本尊の左右に安置してきた歴史を紹介しました。

【私集最要文注法華経】
また、昨年求めることができた「私集最要文注法華経」の複製を長机にて披露。
この注法華経については『図録 日蓮聖人の世界』から、
「『注法華経』の存在は日蓮聖人遷化の際、高弟の日興がその葬送の様子や聖人の遺言等を記録した「宗祖御遷化記録」に確認することができる。「御遺言に云く、仏は〈釈迦立像〉墓所の傍らに立て置くべし云々。経は〈私集最要文、注法花経と名づく〉同じく墓所寺に籠め置き、六人香花当番の時之れを披見すべし。自余の聖教は沙汰の限りに非ず云々。御遺言に任せ、記するところ件の如し」
右の記述によれば、「注法華経」は他の聖教とは異なり、公の物として聖人の墓所に保管し輪番の者たちがそれを研鑽せよというのが聖人のご意志であった。それは「私集最要文、注法花経と名づく」とみずから記されているように、これがぼう大な聖人の取材ノートであり、それゆえ聖 人の思想の土台ともいうべき最要文集であったからに他ならない。

 

さてこの『注法華経』は、通称『春日版』と呼ばれる法華三部経十巻(法華経・無量義経・普賢経)の表裏に、聖人がおびただしい経釈の要文を注記されたもので、正本は現在静岡県三島市の妙法華寺に所蔵されている。立正安国会が昭和三十年刊行した『私集最要文 注法華経』十巻は、正本を忠実に再現複製したもので、全容をそのまま伝えている。」
との解説をお伝えしました。

解説の後、法要開始。香華供物をお供えした御宝前に、法華経要品を読誦、自我偈を訓読して懇ろに南無妙法蓮華経の唱題。唱題の裡に参詣者は内陣に進み御宝物を親しく内拝。参詣僧俗は倶に立教開宗への御報恩と御虫払法要にあたって仏法護持弘通の精進を誓願いたしました。
法要後の挨拶では、「現代に私たちが法華経や日蓮大聖人の教えを信行できるということは、その教えと信仰を時代の荒波にもまれながらも護り伝えてきた僧俗が存在したからであり、そのような先師先達の志と求道心に敬意を表するとともに、現代は自分たちが合力して仏法の護持弘通という崇高な使命を遂行して行こう」と申し上げました。

相武山 山主

2021年05月28日

春季法門研修会を開催

18日(日)午後1時からは春季法門研修会を開催。研修会には15名の信徒が参加聴講されました。はじめに参加者一同にて法門研鑽を祈念して勤行・唱題。その後、講義。
今回の研修会では日蓮大聖人御生誕800年を記念して正信会から発刊された「妙法蓮華経要品・現代語訳版」の拝読がテーマ。

研修会の開催にあたっては参加者一同にて『行学二道の御聖訓』を奉唱。行学二道の御聖訓というのは「諸法実相抄」の一節で、「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」との御文。この御書は真蹟遺文ではありませんが、仏道における信・行・学の大切さを述べたもので、日蓮門下の修行・修学の姿勢を自覚するために意味のあるお言葉です。
講義では妙法蓮華経要文を現代語訳で読み進めるために、「インドにおける仏典の成立、初期仏教から大乗仏教ヘの歴史、仏典の東漸と漢訳の歴史、鳩摩羅什と妙法蓮華経、天台法華思想と日蓮大聖人の仏法」について簡略に解説。

続いて、『月水御書』「法華経はいずれの品も左記に申しつるように愚かならねども、事に二十八品の中に優れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり。去れば恒の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ。又別に書き出だしてもあそばし候べく候。余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。寿量品・方便品をよみ候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり」を拝読。

月水御書は大学三郎の女房にあてた御書と伝わりますが真偽未決の御書です。参考として御書システムの月水御書の解題から、宗祖が常の御所作(勤行)では方便品・寿量品を読誦することを教示されていたことをお伝えしました。
その後、方便品現代語訳「その時、世尊はゆったりとおごそかに冥想状態を解かれて、舎利弗に次のように告げられました。」から、増上慢の四衆五千人が退座する「彼らは座から退き、世尊もまた黙ったままで、それを制止されませんでした」までを丁寧に拝読。法華経迹門の要となる方便品の前段を親しく学びました。
拝読の続きは夏季法門研修会に行うことをご案内して2時間30分の研修会を終了。

相武山 山主

2021年04月30日

今を生きる(下)

前に述べたように今を生きるためには過去との比較が欠かせませんから、「この時代、この社会、この地域、この環境・・・・・・」について参加者の皆さんと考えてみました。

過去の時代(昭和や大正・明治、さらには江戸時代や戦国時代、鎌倉時代や平安時代~)とは違う現代。想像できない未来とも違う現代。今は令和の時代。日本という国、生活する地域、日本の自然環境。世界中の国や地域とのつながりと影響。地球と宇宙のいとなみにも影響されます。

生活のスタイルや社会のシステムも「今」のもの。過去の時代とはちがいます。昭和の時代と比較してみるとよくわかります。「住宅、電気、水道、トイレ、電話、ガス、電気製品、洋服、食事、お菓子、商業施設、車、・・・和風から洋風へ、学校の教育内容、新旧の産業の興廃、企業の興廃、病院やクリニック、医療や治療など・・・」。

「家父長制、夫婦関係、親子関係、師弟関係など。結婚式や葬儀などの儀式行事。礼儀や言葉遣いなど文化や習俗。社会のグローバル化(社会的・経済的に国や地域を超えて世界規模でその結びつきが深まること」等々。 少し振り返ってみればその変化には驚くばかり。意識するとしないとにかかわらずほとんどの人が変化を受容して今日に至っています。

次に「今を生きるため」には、自分自身の今を知らなければなりません。自分ことといえば多くの人がわかっていると思いこみがちですが、実はそうでもありません。自分自身を見つめ知ることはかなり難しいことなのです。 自分自身を見つめ、己れを知ることが大切として「年齢、体調、性格、これまでの歩み、育った環境、修学や就職、職種や経験、人生の歩みと置かれている環境は一人ひとりちがう・・・」ことなどについて説明。その上で、今の自分にできること、できないことを理解して心豊かに生活することをお勧めしました。

変化してやまない今を生きるとして「時代は日々刻々変化していることを知る。人は誰もが生・老・病・死をまぬがれない。仏教では四劫が説かれている(成劫・住劫・壊劫・空劫のこと。仏教では世界が成立し、変化・破滅を経て、空の状態に帰するまでを四つの期間に分ける)。真理である変化をおそれない心を涵養する」ことをお伝えしました。

変化についても「変えるべきもの、変えた方が良いもの、変えない方が良いもの、変え てはいけないものがある」ことを解説。「今までの考えやかたちを変えることには不安を伴うことが多い。変容(変化を受け入れる)にはできるだけ正確な情報と知識が必要。コロナ禍によって失ったもの、コロナ禍によって得たものを知る。「今」コロナ禍での人生を歩むということは、それ以前との変化を認めて新たな人生を歩むということ。置かれた環境を愚痴ることなく認め、一歩でも前を向いて与えられた人生を歩むことが大切。人生は出会いと選択であり、人生はすべてが学びである。」と所見を述べました。

 

変化をおそれずに生きる「諸行は無常&縁起として在る」では釈尊と弟子の問答『相応部 サンユッタ・ニカーヤ』から、

「大徳よこの世の色には、ほんの少しでも、なんぞ常恒・永住にして、いささかも変易することのないものはないでありましょうか」

「比丘よ、この世の色には、常恒・永住にして、変易することのないものはまったく存しない」

「比丘よ、もしこの爪の上の土ほどのものであっても、常恒・永住に して、変易することのないものが存するならば、わたしの説く清浄の 行によってよく苦を滅尽することはできないであろう。

しかし、比丘よ、この世にはこの土ほどのものといえども、常恒・永 住にして変易することのないものは存しない。故にわたくしの説くこ の清浄な行によって、よく苦を滅尽することができるのである」

「比丘たちよ、色は無常である。色を生起せしめる因も縁も無常であ る、比丘たちよ、無常なる因と縁によって生起せる色がどうして常恒 なることがあり得ようか」『雑阿含経 サンユッタ・ニカーヤ』から「縁起の 法は我が所作にあらず、亦余人の作にもあらず、然も彼の如来、世に出ずるも、未だ世に出でざるも法異常住なり。彼の如来は自らこの法を覚って等正覚を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発し顕示す。謂わゆる此れ有るが故に彼有り、此れ起こるが故に彼れ起こる」を紹介。

「諸行無常とはあらゆる存在が変化してやまないという真理。あらゆる事物事象は縁起によって成り立っている。釈尊の覚られた真理は縁起を基本としている。縁起であるがゆえに不変・絶対なるものは存在しない。」であり、諸行無常が仏教の基本思想であり縁起は真理であることをお伝えしました。

学ぶべき日蓮聖人の言葉では以下を紹介しました。

「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」 『可延定業御書』

「夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ひて後に他事を習ふべし」 『妙法尼御前御返事』

「流罪の事痛く歎かせ給ふべからず。勧持品に云く、不軽品に云く。命限り有り惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり」 『富木入道殿御返事』

「一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給ふべからず」 『四条金吾殿御返事』
今回のテーマ「今を生きる」から 「現実をしっかりと理解しよう。己れ自身を見つめよう。過去にとらわれず、未来をいたずらにおそれない。貴重な命であることを知り、また、その命が有限であることを知る。今日一日の命のいとなみを大切にしよう。学ぶことを愉しもう。臨終のそのときまで自分自身が成長することを願う」ことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年04月29日

今を生きる(上)

本年、第4回目となる日曜法話会は4月18日(日)午前11時の開催。今月のテーマは「今を生きる『諸行は無常、仏教は変化をおそれない』」でした。
初めて参加された方もおられましたから、当山の日曜法話会は「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解して頂きたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」を主旨として開催していることを述べ、仏教寺院の存在意義は冠婚葬祭のためばかりでなく「仏教を学び伝える、僧侶と信徒が修行・修学し仏道への信仰を磨く、心を浄め癒やしと安らぎを得る、伝統や文化などを護り伝える」ことにあることをお伝えしました。

法話会のテーマで「世相」を取り上げていることについて「仏教は現実を直視する立場。仏教は神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。起こる事象はすべて学びの対象。眼前の事物・事象を自分はどのように観ているかを認識し、どのように自らの人生に活かすかが大切」であることをお伝えしました。

今月のテーマは「今を生きる」。過去のしがらみなどによって目が曇ったり、知ることのできない未来に翻弄されることなく、今この時を真剣に、そして誠実に生きることが大切であるという仏教的視点の一つの表現です。

「今」を思索する時には、その今がどのような今であるかという現状の認識が不可欠。それは今の現状を的確に認識できているか否かで判断が大きく左右されるからです。その的確な認識のためには過去などとの比較が効果的となります。というのも物事は比較することによってかなり整理することができるからです。
そのためにも自分自身が生きているこの時代、この社会、この環境などを過ぎた時代と比較しなければなりません。できるだけ的確な認識に立った上で、諸行(あらゆる存在)は無常(常ではない)という仏教の真理を理解し、変化してやまない現実を怖れることなく、永久に通じる一日一日であることを自覚して大切に歩むことが、「今を生きる」仏教徒の姿勢だと思うのです。

法話は「今を考える」ことからスタート。昨年春から世界中が翻弄されている「コロナ禍による変化」を振り返ってみました。認知症になっているわけではありませんが、たった1年前のことでもすっかり忘れていることが多いものです。
まずは「コロナ禍の現状。」
「コロナ第4波か? 欧米諸国に比すると感染者数も死亡者も少ない日本。しかし、東アジアでは感染者が多い日本。2度の緊急事態宣言と新たな『蔓延防止等重点措置』の実施。」「見通し不明のワクチン接種と専門家の第4波憂慮発言。病床の逼迫や医療崩壊への危惧もささやかれる。我が国のコロナ対策の歩みを検証しなければ悪夢は繰り返す。」と所見を述べました。

次に「コロナ禍の歩み、思い起こしてみよう」
★ 新型コロナウイルス感染症報道
(2020年1月下旬、中国武漢を発生源とする感染症が発症と報道。
★ 1月23日、中国政府が武漢市を事実上封鎖
★ 1月28日、日本人初感染公表
(武漢市への渡航歴のないバス運転手の男性。武漢から来たツアー客を乗せて、東京・大阪間を往復。翌29日にはこのバスに同乗していた女性バスガイドの感染も確認。この頃からマスクや体温計、除菌剤などを中心に衛生用品が店頭から消える。)
★ 武漢からのチャーター便帰国
(1月29日、中国・武漢市などに滞在していた日本人がチャーター機で帰国。2月17日までに計5便が派遣。中国人配偶者や子どもを含む800人超が帰国した。)


★ ダイヤモンド・プリンセス(DP)号の集団感染
《クルーズ船「(DP)号」(乗客2666人、乗員1045人)。DP号は1月20日に横浜港を出発。鹿児島、香港、ベトナム、台湾、沖縄に立ち寄り2月3日に横浜に帰港。その途中、1月25日に香港で下船した乗客が新型コロナウイルスに感染していたことが2月1日に判明。日本政府はDP号からの下船を認めず、5日から洋上で2週間の検疫を行った。陽性者は神奈川県をはじめとする医療機関に搬送され、入院措置がとられた。その間、船内の感染症対策の不十分さが指摘された。2週間の健康観察期間を経て下船した乗客が陽性診断される事例が問題となった。最終的にDP号での感染者は計712人(うち死者は13人)》
★ クラスターの発生
(2月14日、前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性が1月に開かれた屋形船での新年会に参加。都は「約100人が濃厚接触者にあたる」として検査を進め、初のクラスターとして報道された。この後、病院や高齢者施などでのクラスター発生が報じられた。)
★ 小中高等学校の休校
(3月2日から春休みまで臨時休校。)
★ 各種イベントの自粛と中止。
★ 緊急事態宣言発出
(4月7日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を発出、4月16日に対象を全国に拡大。)
★ その後については割愛。

以上、昨年1月下旬から初めての緊急事態宣言発出まで3ヶ月ほどの足取りをたどってみました。未知のウイルスによる不安と恐怖と混乱は我が国を覆い尽くしたことがわかります。それから1年という時間が経過しましたが、期待のワクチン接種も全く見通しがたたず、感染拡大が再度広がり3度目の緊急事態宣言さえ予想される現状についてお伝えしました。
続いて私が率直に疑問に思うこと・・・。
当然のことながら政治や行政も努力していることはわかっています。さらに医療従事者や介護従事者などのご苦労にも敬意を表します。しかし、腑に落ちないことやなぜ・どうしてと疑問に思うこともあります。
ポイントを絞って「パンデミックから1年4ヶ月。疑問に思うこと、なぜできない」として、「病床の逼迫と医療崩壊の解消。法律やシステムの不備があっても知恵をしぼって実行してほしい。平時と緊急時の対応は異なっていても良いのではないか? なぜワクチンの確保と接種が遅れているのか? なぜ日本でワクチンが創れないのか? 失敗や責任は忌避したいのが人情、しかし、有権者から選出されたた政治家には緊急事態との認識と覚悟が必要ではないのか? 日本ははたして先進国だろうか?・・・・・」と私見を述べました。

次にコロナ禍による大きな変化。
★ コロナの感染予防を中心とした生活と社会
日常の家庭生活、学校や会社、各種イベントや大会、宗教や文化、人的交流、儀式や行事、飲食など社会生活の在り方が大きく変化。
★ 感染の予防を中心とした生活
三密(密集、密接、密閉)を避ける生活スタイル。日々衛生管理を意識する生活。
★ リモートワーク&リモート学習
自宅での仕事や学習。
★ リモート会議
対面での会議ではなく、PCやタブレットなどを利用しての会議。
★ イベントや各種大会開催
人生の節目となる大切な行事でも中止となる。感染予防を徹底しての開催。スポーツ観戦などでは規模の縮小や内容の変更。
★ 職種によってコロナ禍の影響が異なる。
★ コロナ禍による経済的な被害は深刻。
★ 儀式や行事の変化
コロナ禍によって儀式や行事のかたちが変化することもある。
以上誰もが実感した社会の変化をお伝えしました。

(つづく)

相武山 山主

 

2021年04月28日

慰霊の供養をつとめて

妙法院には墓苑事務所の奥にペット墓「慈愛」が設けられています。ソメイヨシノの樹下にあるペット墓にはすでに20霊以上のペットが共同埋葬され、例年4月1日には慰霊供養を行っています。
今年も4月1日午後1時からの御経日に引き続いて、名残のサクラの下で香華を供え、ご信徒と倶に法華経要品読誦、南無妙法蓮華経の唱題を修して慰霊供養をいたしました。

ペットという言葉からのイメージは犬や猫が中心で、飼育愛玩している動物というのが一般的な理解だと思います。ペットの存在を認めて可愛がる方も多く、その輪も世界に広がっていますが、他方、本能的に受容できない方や、体質的に合わない方もいます。また、好ましくない経験などから忌避される方がいるのも事実です。ペットへの理解や対応、選択は個人のまったくの自由ですが、大切なことは自分と異なる認識や好みがあり、その事実を認め他者を尊重するという姿勢ではないかと思います。
ペットへの我が国の意識は欧米の影響もあって近年大きく変わってきているように思えます。ペットという表現が我が国で一般化したのは1980〜1990年代といわれており、そう長い歴史ではありません。そもそもペット(pet)とは日本では愛玩動物以外の意味で使われることは少ないようですが、英語では人間に対して使われる意味も含まれているようです。「愛玩動物、ペット、お気に入り、いいやつ、かわいい人、いい子、すてきなもの、あこがれのもの、(子供っぽい)不機嫌、すねること」などと解釈されるようです。

さて、一概にはいえませんが、我が国ではかつて飼育する犬や猫などを畜生と蔑視することがあったり、人間のしもべのように扱うことも珍しくはありませんでした。しかし、今ではペットを飼う家庭では「ペットは家族の一員」という認識がほとんど。多くの方が家族の一員として名前をつけ、他者には「うちの子」などと紹介しています。まさに家族そのものです。

ペットへの認識や定義については種々意見もあることと思いますが、
『ブリタニカ国際大百科事典』には
「愛玩動物のこと。大切にかわいがるために飼育されている動物をいう。かわいらしく愛嬌のある容姿,きれいな鳴き声,飼い主に従順な性格などがペットの条件としてあげられる。昔からおもに哺乳類,鳥類,魚類が飼われてきたが,近年はワニ,トカゲ,ヘビなどの爬虫類も人気を集めるようになり,両生類や昆虫類を含めて幅広くペットになりうる。そのなかで最も一般的なのはイヌ,ネコで,危険を察知したり狩猟の助けをしたり,ネズミをとるなど家畜としての役割を兼ねていたものが,長い歴史のなかで遺伝的に改良され,まったくの愛玩用になってしまった品種も少なくない。」とあります。

ペットはことばも通じないのに、なぜか家族と同じように強い絆を感じる存在です。そこから現代では「コンパニオン・アニマル(伴侶動物)」とも呼ばれるようにもなっています。したがってペットへの表現や対応もかなり慎重さが求められ、我々僧職がペット供養を希望されても従前のように「如是畜生」などという表現は憚られるようになり、施主(供養を願われる方)の気持ちを推し量った供養のかたちに変化を余儀なくされています。実際当山では個別にペット慰霊のための塔婆を依頼されたときには、かつてのように「○○号・如是畜生頓生菩提」ではなく、「慰霊追善供養」と書いて供養しています。

愛らしいペットの存在は飼育愛玩される方によって(飼育という表現が不適当と指摘されそうですが)それぞれ異なると思いますが、およそ癒やしや安らぎの対象であり、家族のコミュニケーションの対象となり、飼い主家族の生きがいにも通じる大きな存在となっています。ときに自宅などを猫屋敷や犬屋敷として、動物を虐待し周囲の人々に迷惑をかけるような人もいますが、ほとんどのペット愛好家はペットを家族の一員として人生のよすがとしているようです。

しかし、ペットも人間同様、「生・老・病・死」をまぬがれません。愛情が深ければ深いほど悲しみも深いものです。病気になってはうろたえながら治療し、老いてはできるだけの介護をします。寿命を迎えれば悲しみに襲われながら手厚く弔いたいと願う方が多いようで、情愛や人情が薄くなってきたといわれる現代に逆行するような温もりのある姿を多く見受けます。そこからはペットの置かれている位置が昔と様変わりしていることがわかります。ペットが可愛いという無条件的価値は当然として、核家族化や少子化、孤独や孤立生活など人間社会の環境変化がペットの存在価値を向上させているように思えます。
家族の一員であるペットを失うと飼い主家族の精神的ショックは大きく、だれもが「ペットロス」といわれるような経験を覚えます。そのショックが軽ければ問題ありませんが、中には悲しみが重症化して心の病や身体的な病気を患ってしまう人もいますから注意しなければなりません。ペットロス症候群等は人と動物との間に「深い絆」が存在するから起こる病です。

亡くなったペットも愛してくれた飼い主家族が悲しみから立ち上がれず、心身に支障を来たすような姿をみればきっと悲しむことでしょう。諸行は無常との真理に想いを馳せ、生前の存在に感謝して冥界の安寧を祈り、自身の心のバランスをとることが大切です。

大乗仏教ではあらゆる存在の成仏が説かれていますからペットも当然その対象です。法華信仰の家族と倶に生活したペットは、法華経に説かれるように信仰の功徳によって仏さまのお側で安らいでいることでしょう。私たち家族もジョン、ボブ、タロー、を仏さまの世界に送りました。恒例となった慰霊の供養をつとめながら在りし日の可愛い姿を偲び、ペットについて種々思いを巡らした慰霊供養法要でした。

相武山 山主

2021年04月27日

御生誕八百年記念法要

今年は日蓮大聖人御生誕800年の佳節。コロナ禍という緊急事態ですが日蓮門下ではそれぞれに御報恩のまことをささげました。当山では旧暦の2月16日にあたる3月28日(日)午後1時から記念法要を奉修。
当日は朝方から小雨模様、法要の前後は曇天でしたが境内のソメイヨシノは満開。昨年末の境内整備によって本堂前から市民の森のサクラも一望できました。800年前の宗祖のご誕生もこのような花の時季であったのでしょう。まるでサクラが御生誕を祝福しているように思えました。

思いのほか参詣者が多く椅子を増設することになりましたが法要は定刻に開始。はじめに私から法要について、寿量品読経のおりに御報恩のため全員で沈香を献香申し上げ、自我偈は訓読することを案内いたしました。その後、献膳、読経、献香、唱題と如法に厳修。参詣者一同で御生誕八百年を慶祝申し上げました。

法要後の慶祝の法話では初めに法華経分別功徳品第十七
「如来の滅後に、もしこの経を聞いて、毀呰せずして随喜の心を起こさば、まさに知るべし。すでに深信解の相と為すなり。いかにいわんや、これを読誦し、受持せん者をや。この人は、すなわちこれ如来を頂戴したてまつるなり」を拝読。
宗祖の御生誕八百年を機縁に末弟としてさらなる仏道精進を誓い、慶祝記念に正信会より発刊された「妙法蓮華経要品 現代語訳付」を紹介。南無妙法蓮華経のお題目を秘めた法華経に親しむことの大切さを述べ、4月の春季法門研修会などで丁寧に内容を解説して行くことをお伝えしました。

また、コロナ禍で菩提寺に参詣ができず、宗祖の教えや信仰を学ぶ機会が難しいこと、高齢や病のため参詣できない檀信徒が多いことなどから、ウエブやDVDで御講や日曜法話会の内容を配信することを検討していることを報告。すでに3月の御講と法話会は収録済みで希望者に配信して試聴頂いていることをお伝えしました。

その後、法華経読誦やお題目を唱える意味をわかりやすく解説し、日本仏教史を概観しながら日蓮大聖人の仏法について「鎮護国家・権力者のための仏教から庶民救済の仏教へ。煩悩断尽の覚りの仏教から下根下機救済の仏教へ。原始仏教・小乗仏教から大乗仏教へ。大乗仏教の精華である法華経から文底の南無妙法蓮華経のお題目へ。深い信心の決定を願う成仏。現実社会で力強く生きるためのお題目。」であることを述べました。
結びに参詣者の皆さまと共々に御生誕八百年を慶祝できたことに感謝を申し上げました。

相武山 山主

2021年03月31日

春のお彼岸

今年の春のお彼岸は17日が彼岸の入りで20日がお中日23日が彼岸の明け。東京ではサクラの開花が進んでいるようでしたが、当山の周囲ではまだほころび始めたばかりという風情でした。コロナ禍のお彼岸ですから参詣案内も遠慮気味となり、例年よりも静かなお彼岸となりましたが、参詣できなくても郵便にて供養を願い出られる方々も多く、檀信徒皆さまの篤いご信心にふれることになりました。

法要は三密を避けて、17日(水)と20日(土)と21日(日)の3回にわたって執行。20日と21日は法要の前、午前11時から樹木葬墓地と永代供養墓久遠廟にて、香華を供え塔婆を建立して追善の読経・唱題。参詣者はわずかでしたが真心の御回向を申し上げました。
17日と20日は穏やかな日和の中での法要でしたが、21日は一転、参詣者はかなりの豪雨に濡れながらお出でになりました。ご先祖と有縁精霊は雨天にもかかわらずお彼岸の供養に参詣された方々の思いにさぞかし感謝しておられることでしょう。彼岸法要では如法に献膳、読経、焼香、唱題を勤め、日興門流先師への御報恩、妙法院檀信徒有縁精霊と願出の塔婆供養への御回向を懇ろに申し上げました。

法要後の法話は『上野殿御返事』より「日は西よりいづとも大海の潮はみちひずとも仏の御言はあやまりなしとかや。 ー 略 ー 故親父は武士なりしかどもあながちに法華経を尊み給ひしかば、臨終正念なりけるよしうけ給はりき。其の親の跡をつがせ給ひて又此の経を御信用あれば、故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん。あはれいきてをはせばいかにうれしかるべき。此の経を持つ人々は他人なれども同じ霊山へまいりあはせ給ふなり。いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば、同じところに生まれさせ給ふべし」を拝読。

日蓮大聖人はこの御書で、上野殿父子の絆の深さと法華信仰継承の尊いすがたを賞賛され、法華信仰者は等しく霊山往詣するのであり、同信父子は必ず巡り会い悦び合うことになることを述べ、法華信仰が現当二世の功徳を積むことを教えています。
また、諸行は無常と語る仏教者としての立場に拘泥することなく、幼くして父親を失った上野殿の心中に思いを寄せ、親子の情愛の深さと人情のありようを認められています。そこには覚りのみに執着しないぬくもりのある大乗仏教の精神が説かれていることをお伝えしました。

相武山 山主

2021年03月31日