相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

春のお彼岸

春の風が強く、時折小雨がぱらつく21日は春の彼岸法要でした。18日の彼岸の入りから境内の墓所や永代供養墓久遠廟には縁者の供養のために家族づれでお参りされる方々が続きます。本堂での法要は21日の御中日と24日(日)に執り行いました。21日は風が強く、ときおり小雨もぱらつく不安定な春の天候でしたが約50名ほどの参詣者の方々と奉修。ご信徒がたたく妙法太鼓に合わせてお題目が唱えられる中、御宝前と精霊壇への献膳から法要は開始。真心を込めて法華経の要品を読誦、寿量品に入り、追善供養のお塔婆が建立された精霊壇に参詣者が順次進んでお焼香。続いて宗祖御証得の南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、仏祖三宝尊へのご報恩を申し上げ、縁者ご先祖への追善ご回向を申し上げました。

【知恩から報恩へ】
法要後は上野殿御消息
『父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二渧和合して我が身となる。母の胎内に宿る事、二百七十日九月の間、三十七度死ぬるほどの苦しみあり。生み落とす時、たへがたしと思ひ念ずる息、頂より出づる煙梵天に至る。さて生み落とされて乳をのむ事一百八十余石、三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、先づ此の父と母との恩を報ずべし。父の恩の高き事須弥山も猶ひきし。母の恩の深き事大海還りて浅し。相構へて父母の恩を報ずべし』を拝読。

仏教は創始された釈尊の悟りと教えを源流として、古えからその基本的思想は定まっているものの、原始仏教、小乗仏教、大乗仏教とそれぞれ異なりがあり、また、その伝播や受容の歴史、さらに地域の文化や習俗、また時代によっても違いがあることをのべ、日蓮大聖人の教えは普遍性を持ちながらも日本的な仏教であることを説明しました。

ことに拝読した御書にみられる「知恩・報恩の思想」は、インドの原始仏典などでは正面から説かれることはなく、中国など東アジアの習俗や思想の影響の下、日本の歴史や文化・習俗などをふまえた日本的な仏教といえ、宗祖の法華本門思想・法華専修の教えの上から展開されていることをお伝えしました。

現代では「恩」というと押しつけがましい道徳のように捉える向きもありますが、けっしてそうではなく、恩を知り、恩に報いるということは『自身が地球や宇宙、自然やその営みという森羅三千のはたらきに育まれ、あらゆる人々に支えられて生かされている存在であることを知ること(知恩)。報恩とは自身が無常の存在であることを理解し、生かされていることに気づき、得がたい日々に感謝して分に応じて善業をなすこと』といえるでしょう。

すべての事物事象の存在や人々への感謝に思い至らぬ人でも、この世に誕生させていただき、幼い頃から育んでくれた両親や家族に感謝の心を抱くことは難しいことではありません。すべての存在に感謝の思いを持ちながら人生を歩むことは仏教の精神に通じることであり、彼岸という仏の世界に向かう仏道修行の日を設けて仏事を営むことは意義のあることです。法要では参詣者それぞれに有縁精霊やご先祖に思いをささげ、仏法を聴聞して建立御回向の塔婆を持参して墓所や永代供養墓に向かわれました。
この春も宗祖が教えられた「知恩から報恩への道」を大切に思われる方々と倶にお彼岸を執り行うことができたことをうれしく思います。

相武山 山主

2019年03月29日

病と向き合う

春の彼岸入りの前日17日(日)は3月度の日曜法話会。久しぶりの藤又さんご夫妻をはじめ一般の方16名、信徒の方15名の参加聴聞を頂きました。お彼岸の前だったこともありご信徒よりも一般の方が多いという初めての法話会でした。

法話会では毎回「世相」を前半のテーマとしています。世相とは世の相(すがた)ということで、世の中の事物・事象(出来事)について仏教信仰者、法華信仰者としての視点からのお話です。仏教は現実を直視する「正見」を第一義とし、『あらゆる事物・事象は私たちと無縁なるものではないとの認識に立ち、起こっている事象はすべて学びの対象であり、眼前の事物・事象をどのように観るかによって自らの人生も定まる』と教えています。当然のこと、世相への意見は各人各様ですが、当山の法話会では私(住職)の意見をお伝えして参加者の参考に供している次第です。

今月の世相のテーマは「病と向き合う」。
去る2月12日、日本女子水泳界のホープ池江璃花子さん(18歳)が白血病発病を自ら公表しました。昨年のジャカルタ・アジア大会での大活躍が印象的な池江さんが難病に罹り、競技生活から離れて治療に専念するという突然の報道に日本中が驚きました。白血病とは血液の中の白血球が悪性腫瘍になった血液がんの一つ。難病といわれる病気ですが医学薬学の進歩によって完治も可能となってきました。報道にふれた多くの人は等しく池江さんの快復を祈っていることでしょう。私もそのうちの一人です。

法話会ではまず池江さんのプロフィールと病気について説明し、3月11日、東日本大震災の日に出された池江選手のツイッター『8年前の今日3月11日、罪のない人たちが大勢なくなりました。違う形ではあるけれどわたしは全力で生きます』を紹介しました。

【仏教と病】
続いて仏教では病をどのように考えるかについて、「仏教は因縁縁起の法が基本。あらゆる事物事象は因縁縁起の法によって存在しているにすぎず、因縁が変化することを教えているのが諸行無常であり、すべての存在は移りゆくものと知らねばならない。縁起の法理から観れば、健康の因縁が損なわれれば病を招き、病の因縁が損なわれれば健康になることが理解される」と解説。

その上で、『現実直視の仏教は生老病死は誰人も免れない真実であり病を特別視しない。病は好ましいことではないが、仏教では病そのものを忌み嫌い一方的に不幸の源と捉えてはいない。病に功罪二面を説く仏教では病を認め理解することによって真理に至ると教えている。人間の心身は精妙な存在で日々命の営みを続けられることは、因縁の連続であり奇跡が毎日起こっているようなもの。健康が当たり前ではなく、いつ健康が損なわれても不思議ではないのにたまたま今日は健康でいられるに過ぎないという認識が大切』と所見をお伝えしました。

【日蓮のことば】
日蓮法華宗の祖師日蓮大聖人は病についてさまざまな言葉を遺されていますので以下数編を紹介しました。
『病の起こりを知らざらん人の病を治せば弥病は倍増すべし』(種々御振舞御書)。
『病は肉より起これば治しやすし、節より起これば治しがたし』(日眼女釈迦仏供養事)。
『譬へば病のならひは何れの病も重くなりぬれば、是れにすぎたる病なしとをもう』(光日房御書)。
『病人に薬をあたふるにはさきに服したる薬の様を知るべし。薬と薬とがゆき合ひてあらそひをなし、人をそんずる事あり』(南条兵衛七郎殿御書)。
『夫れ人に二の病あり。一には身の病、所謂 地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上四百四病なり。此の病は設ひ仏に有らざれども之れを治す。所謂 治水・流水・耆婆・扁鵲等が方薬、此れを治するにいゆて愈えずという事なし。二には心の病、所謂 三毒乃至八万四千の病なり』(治病大小権実違目)。
『病の起こる因縁を明かすに六有り。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節せざる故に病む、三には坐禅調はざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起こるが故に病む』(太田入道殿御返事)。
『大涅槃経の文の心は、仏法を信じて今度生死をはなるる人の、すこし心のゆるなるをすすめむがために、疫病を仏のあたへ給ふ。はげます心なり、すすむる心なり』(閻浮提中御書)。
『人の死ぬる事はやまひにはよらず。当時のゆき(壱岐)・つしま(対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人に一時にうちころされぬ。病あれば死ぬべしといふ事不定なり。又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はをこり候か』(妙心尼御前御返事)。
『すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ』(法華証明抄)。
遺された言葉からは病にも功罪禍福さまざまな力用(りきゆう)があることがわかります。

法話会の結びは「学ぶべきこと」。
『池江さんの発病を彼女のこととするのではなく、自身のこと、家族のこと、友人・知人のことと想いをつなぐことが大切。病によって失うものと、病によって得るものがあることを知ること。人生はすべてが学び、諸行は無常という真実から目をそらすことなく、一日一日が貴重な存在であることを理解し、すべての存在に感謝の心をもって心豊かな人生を歩みたい』とのべました。
今月の世相のテーマも『病と向き合う』と重いものでしたが、池江璃花子さんの報道から病と向き合うことの大切さを皆さんと一緒に考えました。

相武山 山主

2019年03月27日

ダイヤモンド プリンセス号!

10日(日)朝、少し時間があったので久しぶりに山下公園に行ってみました。里山の風情そのままの当山はとても横浜のイメージとはリンクしませんが、それでも横浜市の一部であることはたしかで、休日の朝、車を飛ばせば15分ほどで山下公園やみなとみらいに遊ぶことができます。

少し肌寒いものの気持ちの良い青空が広がる公園は時間が早いこともあって人影はまばら。公園を散策して大桟橋の方を見ると大きなクルーズ船が停泊していました。あまりの大きさに驚いてスマホで写真を数枚とりました。そういえば公園に向かう道すがら、桟橋に向かって急ぐタクシーを数台みました。何かあるのかなと思っていましたが、大型クルーズ船の停泊をみて合点がいきました。

それにしても大きな船です。散策から帰ろうとする9時頃、もう1艘のクルーズ船が桟橋に向かってきました。それなりの大きさなのでしょうが、目の前のクルーズ船が大きすぎて小さくみえます。帰宅して入港状況を見てみると入ってきた船は約22,000トンのにっぽん丸でした。ついでに調べてみたら、大きさに驚いたクルーズ船は全長290m、115,800トン、英国船籍のダイヤモンドプリンセス号でした。
昔は船旅というと裕福な高齢者のイメージでしたが、最近はアジアの国々などからクルーズ船で日本に来る方も多いようですし、国内向けの観光案内もよく報道されてかなり身近な存在になってきました。旅好きで好奇心も旺盛な私は機会があれば一度は体験してみたいと思っています。

春を迎えるばかりの公園ではあちらこちらに春の花々が咲き始めています。また、時間とともに、散歩を愉しむ人、体操や太極拳などで身体を動かす人、港を見ながら語らう人などで公園も少しずつにぎやかになってきました。わずか1時間半ほどの山下公園滞在でしたが横浜に住んでいることを実感した朝でした。

相武山 山主

2019年03月24日

東海の大会に参加

静岡・神奈川両県の同信僧俗が集う東海正信連合会の大会が3月3日(日)、静岡県藤枝市の応身寺を会場に開催されました。妙法院講中からも新倉さん、熊木さん、中澤さん(2人)、落合さん(2人)、阿部さん(2人)、芦川さん、畠さん、の10名が参加。雨の中を2台のミニバンで藤枝市に向かい、途中のサービスエリアでランチタイムをとって大会に参加。

定刻の12時30分、はじめに応身寺住職の導師で読経・唱題。仏祖三宝尊に信行精進の誓願をささげ、司会が開会を宣言。まず連合会新役員の認証。専行寺の小野文康師が幹事長の熊木真治さんに認証状を授与し、『各講中の幹事には信仰の一環としてしっかりと職務を全うしていただききたい』と激励。熊木幹事長は『正信覚醒運動が大聖人のご恩に応えする道と確信し、これからも皆で力を合わせて精進してまいりたい』と挨拶。
続く所感発表では応身寺講中から「限りある命」と題して荒井清子さん。「謗法厳誡」と題して勝又哲子さん信仰所感を発表されました。

次に「四苦八苦について」と題して奥 興正師(本妙院住職)が講演。師は「生きている人がどのように生きて行けばよいのかを説くのが本来の仏教である」と語り、誰もが生きる上で直面する四苦八苦について具体的な例を引いてわかりやすく説明。その上で、『結果や得たものばかりを考えることよりも、自身の行いや業について考えることが大事。毎日毎日生かされていることに感謝の気持ちを持って生きて行くということが一番尊い生き方であると知っていただきたい』とのべました。

結びの指導教師挨拶では、私から『移り変わる時代の中で私たちはいかに生きるべきなのか、時代の変わり目を迎える今、真剣に考えなければならない。法華経を読誦しお題目を唱えて人生を切り開いて行くことが、大聖人の教えに近づくことではないか』『明後年は宗祖の御生誕800年を迎えます。ともどもに大聖人への恋慕渇仰の信行を深めて、御報恩のまことを捧げましょう』と申し上げました。大会は司会による閉会の辞をもって終了。参加者は応身寺婦人部心づくしのお茶とお団子をいただいてひとしきり談笑し散会しました。
東海の大会に参加するときにいつも心配するのは帰路の時間です。必ずといって良いほど事故渋滞が発生し、レンタカーの返却時間ギリギリということも珍しくありません。今回は雨天であったこともあるのでしょうか、事故もなく17時過ぎには妙法院に到着することができました。参加者の皆さんご苦労様でした。
(大会の詳細は妙風新聞をご覧下さい)

相武山 山主

2019年03月22日

寒中に故人を偲ぶ

当山境内西側の雑木林では早咲きの河津サクラがピンクの華を開いて春の訪れを告げています。バスでお見えの方は急な階段を上りながら楽しまれているのではないでしょうか。

昨日はその桜の小枝を頂いて受付に飾り飯田さん兄妹をお迎えしました。お二人は先月逝去されたお母様の七七日忌法要を営み、当山に在る飯田家の墓所にご遺骨を埋葬するためのご参詣。お母様は1月14日90歳を一期としてご逝去。遺された兄妹が故人の意志を尊重して18日と19日の両日、当山の客殿で親族だけの真心あふれる葬儀を執り行いました。昨日は少し寒さの残るなか、御宝前に供物をそなえ、精霊壇には七七日忌の塔婆を建立して、厳かに法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして追善供養のまことをささげました。信心深かった故人は生前、家族や有縁の方々の無事息災を御本尊に祈られていましたが、今は子どもさんが心を込めて故人の冥福を祈られるのですから、仏縁によって人間性が深められることを実感したいへん有り難く思いました。

所属檀信徒の少ない当山では毎月の法事などは多くありませんが、この冬は少し続きました。1月19日に山村政子さまの13回忌、1月14日には佐々木守さまの7回忌、2月2日には関根サダさまの13回忌、2月9日には川利子さまの七七日忌、2月10日には奥田昌徳さまの17回忌、それぞれ故人との縁(えにし)に思いを寄せる遺族によって営まれました。

仏縁のもとに生者と死者が互いを思いやる心をかたちに顕すのが法事です。「信仰など不要」「仏事など不要」という方々も少なくない世相であるからこそ、仏道の功徳を回向された故人はきっと喜ばれていることでしょう。

相武山 山主

2019年02月28日

明後年は宗祖ご生誕800年の佳節

17日午前11時の日曜法話会に引き続いて午後1時からは日蓮大聖人の誕生会(たんじょうえ)を奉修しました。宗祖は貞応元年(1222年)2月16日、房州の片海にご誕生と伝えられています。法華経の行者として歩まれたその御一生は、末法を意識する者にとっては劣悪の下根下機を救済する末法の仏のお振る舞いであります。
私たち日蓮門下宗祖のご出世とご化導によって、たしかな末法の成仏への道に教導頂いたのですから、毎年2月16日にはそのご誕生をお祝いいたします。
法会の御宝前には供物をお供えし、参詣の檀信徒の皆さんと心を一つにして、法華経要品の読誦、南無妙法蓮華経のお題目を唱えて、真心からの御報恩を申し上げました。

法要後、門祖日興上人への口伝とつたえる「産湯相承事」の冒頭部を拝読。末法の法華経の行者のご誕生についての伝承について述べました。なかでも宗祖讃歎のための口伝や伝承と、確かな御遺文や御事跡などとの立分については注意が必要であることをお伝えしました。「贔屓の引き倒し」や「我田引水」となって、かえって宗祖の威徳を損なうことをおそれるためです。

明後年は宗祖のご誕生800年の佳節を迎えます。(宗)正信会では「ご生誕800年、恋慕渇仰の信心で」と掲げて精進することを誓願しています。妙風新聞では『大聖人さまへの想い』を企画。僧俗それぞれが仏縁を自覚して宗祖への想いを、手紙やメッセージ、詩や短歌俳句、絵や画像で表白しようというものです。心で想っているだけでも尊いことですが、何らかのかたちに顕して宗祖のご生誕800年を慶祝することにも意味があります。
妙風新聞編集部からの企画趣旨を説明し、参詣の方々に積極的なご協力をお願いしました。

相武山 山主

2019年02月28日

悲惨な児童虐待

寒さを感じる中にもリョーマとタローのハウスの南東側では白梅が咲き誇り、馥郁とした梅の香が境内にながれてきました。寒さも少し緩んだ気がする17日は2月度の日曜法話会。本堂には一般の方と檀信徒の方がほぼ同数。しばらくぶりの方もいらっしゃいましたのでうれしく思いました。それぞれ体調や都合がありますからこれからも気軽に足を運んで頂きたいと思っています。

今月の世相のテーマは「悲惨な児童虐待」でした。
1月24日、千葉県野田市で小学校4年生の栗原心愛(みあ)さん(10歳)が父親による虐待で死亡した事件を中心に、近年しばしば報道される児童虐待について所見を述べ皆さんと一緒に考えました。
はじめに栗原心愛(みあ)さんの虐待事件の概要をメディアの報道を中心に説明。虐待した父親と黙認した母親の実態、心愛さんの生活アンケートへの回答、児童相談所や教育委員会、学校関係者などの言動について解説し、あまりに悲惨な虐待と関係者の不適切な対応を指摘しました。
続いて昨年春、東京都目黒区のアパートで、船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5歳)が虐待により死亡した事例を説明。結愛ちゃんが書いた「もうゆるして」という文章を読み上げながら、悲惨な虐待について近年頻繁に繰り返される児童虐待の悲惨さをお伝えしました。

児童虐待については児童相談所が対応した統計で、平成28年度でおよそ12万件。最も多いのが心理的虐待のおよそ6万3千件。身体的虐待およそ3万2千件。育児放棄などのネグレクトおよそ2万5千件。性的虐待およそ1600件。年々増加傾向にあり、警察の発表では児童虐待で逮捕となるのは年1000件ほど、被害児童はおよそ1100人で60~70人が死亡と報告されています。

法話では、「児童虐待を許さない」として、『赤子であっても基本的人権として尊重されなければならない。子どもは親の所有物ではない。児童虐待は社会全体で対応すべき問題。悲惨な事件・事故を防ぐためにもみんなで子どもたちを見守る意識と行動が必要。』であることを述べました。

また、この事件から学ぶべきこととして『仏教では十界具有を説くようにすべての人間には善悪の心が内在している。事件やテロ、戦争などから人間のもつ残虐性を知る。さまざまな縁によって自身の内面が引き出されるから善悪の縁が大切。虐待した親も救われるべき存在であることを知る。親も救いを求めている場合がある。人生はすべてが学び、犠牲となった子どもたちのためにも、より良い子どもたちの環境を整えるために努力しよう』と所見をお伝えしました。

続いては法話会のメインテーマ「続・日本の仏教 ー鎌倉時代の仏教ー」。参考テキストの「仏教へのいざない ー青少年のための仏教入門ー 」より鎌倉仏教を概観。『鎌倉時代に入ると中心が京都から鎌倉に移り地方が発展。武家階級が誕生し新しい勢力が交流。社会の変動に応じて仏教界でも新しい動きが生じた。そこには二つの方向性。一つは原点に回帰し戒律の復興と禅の実践を求める方向。もう一つは旧来の仏教と袂を分かち新しい仏教を模索する方法。一つめの方向は宋の影響を受け南都での戒律復興運動や臨済宗と曹洞宗の禅宗の興隆となり、二つめの方向は、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮法華宗の開宗へとつながった』ことを解説しました。

仏教はその普遍性と多様性によって、各時代各地域にさまざまな様相を示してきました。現代日本の仏教も「日本的な仏教」と考える必要があります。これからも丁寧に日本の仏教を学んでゆきたいと思っています。
3月の法話会は17日(日)午前11時からの開催です。皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2019年02月27日

興師会と節分会

2月7日は門祖日興上人の祥月のご命日。毎年、年中行事の一つとして興師会(こうしえ)を執り行い御報恩を申し上げています。今年は4日早めて3日の日曜日に奉修。休日の方が参詣者には都合が良く、また、3日は節分でもあるので厄年や現当二世のご祈念を希望される方にも興師会に参詣頂きました。

興師会は「セリ御講」とも通称されていますが、それは上人が好まれたと伝わる芹をお供えして御高徳をお偲びすることに由来します。当日は御宝前の中央に芹をお供えし、その両側には節分の福豆をお供えしました。参詣者の皆さんと倶に法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経の題目をお唱えして懇ろに御報恩申し上げた次第です。

法要後には日興上人についての法話。昨年、東海正信連合会の研修会で講義させて頂いた「続・六老僧について」のレジュメを参考に解説。レジュメはかなりの分量なので、その中から「白蓮阿闍梨 日興」のコーナーを取り上げて、その御事跡をたどりながら上人の御生涯を学びました。私たちは日蓮の門下ですから当然日蓮大聖人の御事跡や教えは常に学んでいますが、門祖日興上人については以外に理解していないことが多いようです。しかし、私たちは日興門流と自称するのですから、日興上人についての正しい知識を持つことは大切なことです。これからもさまざまな機会に上人の御事跡と教えを学んで行きたいと考えています。

節分会は仏教行事というよりも我が国の習俗として執り行われてきたものですが、当門流でも古来寒が明ける前日の夕刻に行われてきました。当日の法会の中では私が御宝前に「福はうち」と福豆をまき、続いて興厳房が本堂の四隅と客殿などに福豆をまきました。除災招福を祈念された参詣者の皆さまにも福豆をお渡しして喜んで頂いた次第です。

相武山 山主

2019年02月24日

時代を生きる

今年で9年目を迎えた当山の日曜法話会。今年初めての法話会を20日(日)開催したところ、初めての方をふくめて35名の参加聴聞を頂きました。今年も通年のテーマを「日本仏教の歴史」としましたが、「世相」にもさらに力点を置いて話をしようと考えています。
今回の世相のテーマは『時代を生きる』。今年は平成の時代から次の元号に移る年なので「時代」について一緒に考えてみたいと思った次第です。始めに「私たちは時代と共に生かされている存在であり、時代は自然環境や生活、社会制度やライフスタイル、教育や文化など私たちの環境のすべて。私たちは時代という大きな環境の影響を強くうけて人生を歩む。時代は過去・現在・未来にわたるもの。」を解説。

時代を生きる心得として『いかなる時代を生きてきたのか、今、いかなる時代を生きているのか、いかなる時代を迎えようとしているのか、未来は自分自身の心の持ちよう」「時代は常に変化してやまない。この事実を認めて自身に与えられた時代を生きる」「変化に脅かされることなく、心を鍛えて変化を楽しむ。人生はすべてが学び、学びとできるか否かが問われている』と所見を述べ、時代というテーマとじっくり対峙すれば、自身の人生の歩みや人生への思いが明らかになり、来たるべき時代を迎える心構えが調うとの意見をお伝えしました。

今年もご縁を結んで頂ける方々と共に、日曜法話会を機縁として仏教と人生について学んで行きたいと願っています。

相武山 山主

2019年01月31日

初御講を奉修

13日(日)は月例の日蓮大聖人の御報恩講でした。新年初めての御講を「初御講」と称します。信仰に無縁であったり、信仰への意識が薄い方には理解が及ばないかも知れませんが、日蓮門下にとって毎月13日は宗祖のご命日なので特別な意識がはたらきます。季節の供物をお供えしたり、朝夕の勤行にも想いがこもるものなのです。
ことわるまでもなく法華の道場である当山にとって毎月13日の御講は大切な一日です。清掃やしつらえにも気を配り、参詣者が気持ちよくお参りできるようにと寺内一同努めています。御講の奉修は法華の宗徒にとって妙法の護持弘通の証であり、たしかな人生を歩むための方途を得る機会といえましょう。一人でも多くの檀信徒の方々が参詣されることを願うゆえんです。

初御講では如法に献膳・読経・焼香・唱題と奉修。法会の後の法話は興厳房が担当。妙風新聞の「御心を拝して」を拝読して、開目抄の「法華経こそ教主釈尊の正語・身読で至る法悦の境地」について所信を述べました。興厳房が法話を務めるようになってまだ日も浅く、聞きにくい面や理解しがたいこともあろうかと思いますが、昔から『信徒が僧侶を育てる』という言葉があるように、じっくりと見守って頂きたいと思います。

僧侶にとって法話は欠かすことのできない務めといってもよいものですが、法を説くことは容易なことではありません。時に何の抵抗もなくベラベラと内容のない話を語って平気な僧侶や、見識も低く社会常識を弁えることもない僧侶が恥じらいなく語る姿を見ることもありますが、多くの僧侶は身の不徳と浅学を自覚していますから、どうしたら仏法を少しでも間違いなくお伝えできるかと迷い悩み苦しみながら努めています。私も例外ではありません。これからも師弟ともどもにたゆまず精進してまいる所存ですのでよろしくお願いいたします。

相武山 山主

2019年01月31日