相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

松が明けて七草粥

新年をめでる正月から通常の生活にもどる日を「松が明ける」といいます。各地で明けの日は異なりますが関東では7日が多いようです。明けの日には新年を迎えるために飾られた門松や松飾りを外し、鏡割り(お供えの鏡餅を割って頂くこと)をするのが通例です。また、正月元旦から松が明けるまでを「松の内」といいます。

当山では正月の三ケ日にお参りできなかった信徒や、先祖有縁の追善供養を願う方のために例年7日に御経日を執り行っていますが、今年も13名の信徒の方々と共に厳かに法華経要品を読誦、仏法の根本である南無妙法蓮華経のお題目を唱えて信行のまことをお供えしました。
続いての法話では、初参りではポイントしかお伝えできなかった「重須殿女房御返事」を拝読。丁寧に最初から最後まで解説を申し上げましたが、「文字は言葉を尽くさず、言葉は心を尽くさず」ですから、日蓮大聖人の門弟としては繰り返し繰り返し拝読して、宗祖のまことの心にふれたいものと願いました。

宗祖の御心にふれた法話の後は皆で七草粥を頂きました。ご承知のように七草粥は春の七草を楽しむお粥のことです。中国由来のようですが我が国でも無病息災を願って平安の昔から貴族などの世界で行われていたようで、やがて広く食されるようになりました。春の七草は一般的には「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」とされていますが、ごぎょうはハハコグサ,はこべらはハコベ,ほとけのざはタビラコ,すずなはカブ,すずしろは大根のことです。七草は時代や地域によって一定したものではなく、そのうちのいくつかが含まれていれば七草粥と考える地域もあるようです。

当山では「自分でも作れるかな?」と思った私が、昨年からつくって召し上がってもらっています。七草を探して採ってくるのは面倒ですが、今はスーパーに行くとセットになって売っていますから有り難いことです。前日にお粥に添える漬け物や塩昆布を準備、ネットのレシピを繰り返し学習。七草粥とはいえご信徒に提供するのですからやはり緊張します。当日は朝から神経質に手順を確認してお米からお粥をつくりました。
皆さんに召し上がっていただくと「おいしい・・・」との声。時間がたってお粥がのりになるのではないかと恐れていた私はホット一息。

今年も一つ成長することができました。明年も努力して腕を上げたいと考えていますので皆さん七草粥をお目当てにお参りください。

相武山 山主

2019年01月30日

重須殿女房御返事の拝読

例年当山では正月の元朝会と初勤行会には重須殿女房御返事を拝読しています。参詣者の中には『どうして毎年同じ御書を拝読されるのですか?』とお尋ねになる方も居り、『毎年ご住職のこの御書拝読から私の一年が始まるんです』と仰って頂く方もいらっしゃいます。あまたの御書を遺された宗祖ですから、年の初めにどの御書を拝読しても良いのですが、私は『法華経の信仰者にとって正月にふさわしい日蓮大聖人のご教示であること、大乗仏教の精華である法華経の教えのエッセンスが説かれていること』により、また、年の初めに檀信徒の方々と仏縁と法華信仰を確認するために最もふさわしいと考えて拝読しています。

さらにつけ加えるならば、宗祖の説かれた南無妙法蓮華経の教えによれば、我々末法の衆生は機根が優れていない荒凡夫なので、正法・像法時代の上根上機の高僧や貴族のように、恵まれた環境の下で、器用にあれこれと何でも修学・修行できる存在ではありません。自らの置かれた環境と下根下機を認めて、もっぱら愚直に法華信仰を深めて行くところに末法の成仏道が開かれているのです。知恵と修行を完成させて煩悩を断尽し成仏を求める釈尊の仏教ではなく、煩悩を断尽することができなくても、専ら信仰を純粋に深めることによって成仏する道を明らかにされたのが日蓮大聖人の仏法です。その仏法と信仰について端的にわかりやすく述べられたのが重須殿女房御返事なのです。

この御書は日蓮大聖人の晩年、弘安四年正月五日に重須殿の女房に宛てられたお手紙で、短い文章ですが法華経の基本的な教えが説かれています。信仰の手引きとなり人生の指針となるものですので、年始参詣の皆さまにはプリントをお渡しし、常に身近に置かれて折々に拝読することをお勧めいたしました。

相武山 山主

2019年01月30日

元朝は法華経への祈りから

平成31年の元朝、相武山妙法院は如法に法華経への祈りから幕を開けました。大晦日深夜の境内、午前0時を前に新春の勤行会に参詣される方々が三々五々参集。定刻より日蓮大聖人御証得の南無妙法蓮華経のお題目で厳かな信行が勤められました。法華経要品の読誦・引き題目・御観念・唱題と五座の勤行をつとめ、参詣僧俗は新たな年を法華経への祈りからスタートしました。

仏祖三宝尊への祈念に続いては恒例の「重須殿女房御返事」を拝読して新年のご挨拶を申し上げ、その後、御宝前にお供えのおとそ(薬酒)を振る舞いました。1日には11時と14時、2日と3日は14時からそれぞれ初勤行会を執り行い、約250名ほどの参詣者と親しく新年の挨拶を交わしました。

当然ことながら相武山の法会や行事は常に心をこめて執行し、参詣者の皆さんと信行を深められることを喜びとしていますが、お正月の初勤行会では日頃何かと多忙のために参詣できない方もお参りになり、短い時間ではありますが、久しぶりに言葉を交わせることはとてもうれしいことです。近況をうかがったり子どもさんやお孫さんの様子をうかがいながら、今までのご交誼に思いをいたし、それぞれの成長や変化を目の当たりにするのは私にとって至福のひと時です。

新年の挨拶では『初春の元朝、皆さまと共に仏祖三宝の御宝前に法華経の祈りを申し上げることができ実に有り難いことと存じます。我が国のほとんどの人々は、新年を迎えると信心深い姿となり、ゆかりの寺社やパワースポットとおぼしき箇所にお参りしますが、多くの人々は自らの願いや希望を仏神や大自然に祈るだけで、信仰や教えなどを意識したり確認するようなことは少ないようです。日蓮門下の私たちは宗祖の仰せのとおりに、正月に法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経のお題目を唱えながら、「限りある人生を如何に生きるべきか」、「信行に励み教えを修学してより良い人生を歩んで行きたい」、「仏法の根本である法華経の教えを如何に人生に活かすべきか」、「自らの課題に向き合い、克服して真の自己を確立したい」と、法華経の教えを意識して新年のスタートを切ります。そこに同じ新年の祈りでも内容にはかなりの隔たりがあります。私たちは宗開両祖の門弟として、今年も日々朝夕の祈りを大切にし、お渡した重須殿女房御返事を身近なところに備え、折々に拝読して共々に仏道精進してまいりましょう』と申し上げました。

高齢や体調不良で参詣できない方々も多数居られましたが、初勤行会では有縁無縁のすべての方々の信行増進と所願成就、無事息災をお祈り申し上げた次第です。

相武山 山主

2019年01月29日

平成最後のおさめ御講

13日(木)と16日(日)は「おさめ御講」でした。今上天皇の譲位により明年は元号も改まりますから平成の12月は今年が最後。おさめの御講には両日で約50名ほどの信仰心篤いご信徒が参詣され、ご一緒に今年一年の仏道精進の感謝を込めて勤行・唱題を修しご報恩を申し上げました。

法要後の法話は「常不軽菩薩品について」。今年の月例御講では初夏から「宗祖と不軽菩薩」についてのお話を重ねてきましたが、それは宗祖が龍ノ口法難からご入滅に至るまで『日蓮は不軽の跡を紹継する』と述べられたことからも理解されますように、不軽菩薩の振る舞いが法華経信仰の要となるからです。不軽菩薩の振る舞いを学ぶことは宗祖の法華本門の教えを理解することになります。明年も折にふれて学び合い互いの人生の叡智にしたいと願っています。

16日は御講の後に客殿にてワンコインで歳末懇親会を開催。小原さんにつきたての餅をちぎってもらい、阿部さんの小豆餅、落合さんのからみ餅、興厳房のきな粉餅が次々に皆さんに振る舞われました。私手製の豚汁や漬け物やおにぎり、芦川さんのおいなりさん、原さんのおにぎり、森さんのお菓子などを頂きながら、ワイワイガヤガヤと皆でおしゃべり、楽しいひと時を過ごしました。

今年も一年、妙法院を菩提寺とされる多くの檀信徒の方々の御信心によって仏法を護持することができました。住職として心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

相武山 山主

2018年12月31日

初冬の鎌倉を散策

12月8日(土)恒例の鎌倉歴史散策の会を開催しました。今年も鎌倉の歴史に造詣の深い酒井俊克さんのご案内です。参加者は熊木さん、高橋さん、芦川さん(2)、越智さん、久保さん、勝俣さん、安西さん、森さん、原さん、  口池さん夫妻、そして興厳房と私の15名。9時半には北鎌倉駅に集合。今年は「鎌倉五山を歩く」がテーマでした。鎌倉五山という言葉を聞くことはありますが、その内容をよく知りたいというリクエストによる企画でした。五山は中国禅宗の寺格に由来し、鎌倉時代から室町時代にかけて時の為政者の帰依を得て鎌倉五山、京都五山が制定されました。

私たちは気持ちの良い初冬の風情の中、鎌倉五山のうち浄妙寺以外の円覚寺、建長寺、浄智寺、寿福寺の四カ寺を巡り愉しく鎌倉の歴史を散策しました。北鎌倉の円覚寺や建長寺では開場間もないにもかかわらず、多くの見学者が境内を闊歩し結構な混雑です。よく声を聞いていると中国や韓国の方も多いようでした。両寺とも境内や諸堂が見事に整備され、その昔(学生の頃)を知る者としてはしばらく見学していないこともあって隔世の感を覚えました。

鎌倉五山を散策していても仏教寺院としての歴史や文化、そして景観は調えられていますが、現代に生きる私たちに仏教がいかに役に立つものであるかという主張は少し乏しいように思えました。観光寺院として歴史や文化を伝えることにも意義はありますが、「生きた仏教を・・・」という思いが自然に湧いてきました。

それにしても、著名な仏教寺院のほとんどは時の権力者の帰依と外護を得たものといって過言ではなく、現在の古刹名刹とよばれる寺院のほとんどは彼らによって開創されましたから、境内地も広くその財力によって堂宇も立派に建立されました。もちろん戦乱や時代の盛衰によって困難もあったでしょうが、外護者(スポンサー?)の勢力と思いが今に伝わってきます。徳川の時代には檀家制度の普及に伴って末寺と呼ばれる寺院が多数建立されましたが、それも仏道の開拓を志す僧侶や庶民の信仰によるものではなく、幕藩体制下による支配制度と各宗派の利害に基づくものでした。

時代が移り、現代における仏教寺院の建立は、例外を除いて権力者によるものではなく、およそ凡夫僧と庶民による仏教信仰のささやかな証となるものです。立派な伽藍を見上げながら、彼我の大きな違いに想いを馳せ、何ごとにおいても真の価値を求めて行かねばならないと思案しました。

散策の折々にはご案内の酒井さんから、鎌倉北条家の盛衰や足利家や上杉家の歴史について丁寧な解説を頂きました。聞いてもすぐに忘れてしまうのは無念ですが、現代は歴史が積み重ねられた上に成り立っているのですから、歴史を学ぶことは大切だと思います。
とはいえ、自然豊かな古都鎌倉は歴史を語らずともただ歩くだけで楽しいもの。初冬とはいえ名残の紅葉も美しく観じた散歩道でした。帰路にはいつものそば屋で皆さんと愉しく歓談し散会しました。

相武山 山主

2018年12月30日

八重山の豊かな自然にふれて

聞法院御会式の後、楽しみにしていた八重山の島々をめぐりました。八重山諸島への旅は若い頃からの夢でしたが、思うように行かぬのが人生の常ですから、『いつか機会があればな~』くらいの気持ちでした。今回は1泊2日という短い時間でしたが、石垣島と竹富島、そして西表島と波照間島を訪ねることができました。

まず那覇から石垣へ、空路で約400㎞。東京から大阪くらいの距離、台湾までは270㎞だそうです。飛行機は満席で『沖縄は人の行き来が本当に多いんだな~』という気がしました。あっという間に石垣空港に到着し、曇り空のなかを米田さんの運転、岡本師の案内で前住職の奥様と米田さんのお母様との5人で有名な川平湾など石垣の島内を観光。夕刻、乗り遅れてはいけない竹富島行きのフェリーに乗船。横浜では夕方4時を過ぎるとかなり暗くなってきますが、石垣島ではまだ明るく、日本でも時差があるのがよくわかりました。

石垣島から竹富島までは高速フェリーで約10分。あっという間に到着です。途中、石垣港には海上保安庁の巡視船が多数停泊しているのを見ました。ニュースで見聞する尖閣諸島を巡る中国との領土問題を実感。緊迫している様子が伝わってきたのは私だけではないでしょう。

竹富島に到着すると民宿竹の子のスタッフが迎えに来てくれていました。民宿までは5分ほどです。宿に荷物を置いて岡本師と沖縄の原風景を残すという町並みを散策。ゆったり、たおやかな風情を楽しみました。
天気が良ければサンセットが美しいという西桟橋にも足を運びましたが、途中、道の両脇に立派なお墓を見て驚きました。沖縄本島でもお墓は本土よりもかなり立派ですが、竹富島でも負けてはいません。先祖を敬い家族の絆を大切にする沖縄の人々の思いを垣間見る思いでした。
葬儀を営むこともなく、祈りをささげることもなく、生きている人と経済性が最優先されるような現代の都市社会生活。墓じまいも盛んで先祖や家族の慰霊など気にもとめない世界とのギャップを少なからず感じました。沖縄も何時そうなるかはわかりませんが、今のところ古へからの思いと習俗を大切にしているようで心の安らぎを覚えました。

宿での夕食後には近くのそば屋「竹乃子」へみんなで出かけ、聞法院ともゆかりのあるオーナーと親しく懇談する機会を得ました。泡盛もつまみも美味しく、途中では島の診療所の先生もお見えになり、愉しいひとときを過ごさせて頂きました。

翌朝は民宿の女将さんにお弁当を作って頂き見送りをうけ、一人で竹富島を後に石垣島へ。石垣島からは安栄観光のフェリーで西表島へ。西表島では小雨のマングローブクルーズから由布島のゆったり水牛観光。その後、東シナ海の高い波をかき分けて波照間島へ。波照間島へのフェリーは天候によって欠航すると聞いていたので、前々日に確認しましたが『出航か欠航かはわかりません。明日もう一度ご連絡下さい。欠航ならアナウンスします』ということでした。日本最南端の島というキャッチフレーズもあって、その名前からは何かしら魅力的な感じが醸し出される島ですが、渡るのもミステリアスです。

青空が広がるベストタイミングで無事に島に上陸すると少し遅い「八重山そば」のランチ。その後、波照間島灯台から開港予定の新波照間空港。星空観測センターや最南端の地。続いてサトウキビ畑を両側に見ながら市街地へ。素朴な市街地を散策して「泡波」という造り酒屋から島で最も有名な浜「ニシハマ」へ。この浜は「ハテルマブルー」の代名詞。ニシハマは漢字では「北浜」と書きますが、沖縄では北風をニシとよぶ方位によるようです。この浜辺に立ち海を見つめるだけで波照間島にきた価値があるといわれているようですが、私もすなおにうなずいてしまいました。

島をガイド頂いた方は元星空観測センターの館長さんで、とても丁寧に島内をご案内頂きました。時間が限られていましたので駆け足の観光となったのは残念ですが、『また、来いよ』という島主からの言葉をしっかりと受け止めましたので、またの機会を得られるよう徳を積んで再び訪ねたいと思っています。

初めての八重山諸島。すばらしく豊かな自然でした。ふれあうことができてとても感謝しています。

相武山 山主

 

2018年12月29日

聞法院御会式に参詣

11月25日の日曜日、沖縄県南城市の聞法院様の御会式に参詣しました。聞法院は覚醒運動の初期、福岡県無辺寺の児玉師などの尽力によって、昭和56年、沖縄県に開所された正信会の布教所です。初代の住職は当時葛飾区の常光寺に在勤していた永山有道師(現在、北海道旭川市妙道院)。私は師の赴任に多少の関わりもあったので、いつかはお参りさせて頂きたいと願っていましたが、永山師の在任はあまり長くはなく、その後、岡本威道師が後任住職として赴任され、平成26年に逝去されるまで30数年間護法の活躍をされました。
当初、那覇近郊に開所された聞法院は間もなく南城市に移転し今日に至っていますが、沖縄にあって38年に及ぶ護法の歩みは実に尊いものと敬意を表しています。岡本師の逝去によって聞法院存立の危機を迎えましたが、聞法院を貴重な布教所であると認識している宗教法人正信会は、大阪府門真布教所の岡本昌道師を後任兼務住職として派遣。
今日まで岡本師の努力によって前住職の奥様を留守居に依頼し、信仰の篤い信徒が団結して聞法院を護持してきました。岡本師は私の得度の同期でもあり、御会式に第5教区の榎本師とご一緒にお参りさせて頂いた次第です。

11月の沖縄の気候と服装には見当がつきませんでしたので岡本師の意見にしたがって初秋の対応で向かいましたが、朝夕は秋の装いが必要ですが昼間は夏のもので十分でした。沖縄便が朝から満席なのに驚き、那覇では空港や市街が本当に賑やかで想像以上でした。御会式前日の昼過ぎに那覇に着いたのでモノレールで首里城公園を見学。わずかですが沖縄の歴史や文化にふれることができ有意義でした。

25日の朝、岡本師の迎えを頂き榎本師と南城市の聞法院に向かいました。那覇からは40分ほどでしょうか。閑静な住宅街にたたずむ聞法院の門をくぐると、御会式の準備のために数人の法華講の方々がいらっしゃいました。私たち富士日興門流の僧俗は日本の仏教教団でも少数派ですから、同志の方々が南国沖縄にもいらっしゃるというだけで、私は常々思いを熱くしていましたので素直に喜びの感情が湧いてきました。

少々緊張しながら御会式の荘厳がなされた御宝前に進み、御本尊様に参詣のご挨拶を静かに申し上げました。三々五々講中の方々が集まられ、定刻になると太鼓に合わせて参詣者による唱題が始まりました。太鼓をたたく男性は30代でしょうか、リズムよく慣れた感じで太鼓の妙音を御本尊にお供えしていました。岡本師の導師による御会式は仏祖三宝尊への献膳から。お給仕を務めるのはご婦人ですが、こちらも丁寧かつスムースにお給仕をされていました。お膳をお下げしたり、お焼香の給仕など、その他法要のそこかしこにご信徒が積極的に動いているのがわかります。

聞法院では以前からみんなで法要にかかわっていたのか、もしくは僧侶が常駐していない現状に即しての対応なのかはうかがいませんでしたが、ご信徒が僧侶と合力して法要を営むことはすばらしいことだと思いました。僧侶の得度や育成が難しいと思われる現代、ご信徒が積極的に法要などに参画することは大事なことだと実感した次第で、当山でも大いに見習いたいと思いました。

法要は如法に読経・焼香と進み、榎本師が日有上人の申状を奉読、住職が立正安国論を奉読し、私も日蓮大聖人の申状を奉読させて頂き、御報恩の唱題を申し上げて法要は終了。続いて、榎本師と私から参詣の挨拶を申し上げ、岡本住職による法話をもって御会式は閉式。その後、参詣者と持ち寄りによる饗応のひとときがもたれ、短い時間でしたがご信徒の皆さんと懇談することができたことも愉しい思い出となりました。

聞法院への参詣は長い間の私の一つの希望でした。その思いが叶ったことはとてもうれしく、また、南国沖縄で仏道精進する同志の真摯な信心にふれた感激は、これからの私の精進の力になるものと信じています。学ぶことも多く、実り豊かな聞法院参詣でした。聞法院講中の皆さまに心より感謝申し上げます。

相武山 山主

2018年12月28日

七五三のお参り

幼い子どもの健やかな成長を祈る七五三祝い参りに今年も5名の子どもがお参りされ、本堂には子どもたちの可愛い声とご家族の明るい声が響きました。御本尊さまにこれまでの無事に感謝申し上げ、今後の健やかな成長を御祈念申し上げた次第です。
坂上華蓮ちゃん、菅野太翔くん、菅野羽美ちゃん、白濱柚李ちゃん、内堀眞那ちゃん、皆さまのご多幸をお祈りしています。

相武山 山主

2018年11月30日

かぶ御講を奉修

18日、日曜法話会に引き続いて日目上人会を執り行いました。法会の御宝前には前日の夜に緑区の落合さん夫妻がお届けになったカブと大根が供えられました。参詣の皆さんと如法に読経・唱題を勤め、第三祖日目上人への御報恩を懇ろに申し上げました。法要後には私より日目上人の御事跡についての解説。
宗開両祖への常随給仕と法華本門の教えを命をかけて弘通されたお振舞について略述し、末弟となる私たちもその御意志を拝して仏道精進することがご報恩となることをお伝えしました。

古来、大石寺門流では日目上人会は「目師会」と略称され、「カブ御講」とも称されています。カブ御講のいわれはカブの収穫と味覚が旧暦11月15日のご命日忌の頃という単純なことのようですが、カブを御本尊様に供えながら日目上人への御報恩に思いを寄せることは意義があり、親しみある言葉を通じて信仰が深められることは結構なことだと思います。

相武山 山主

2018年11月29日

末法思想について

当山の日曜法話会は11月18日が今年最後の開催。1月から11月まで毎月一回「仏教に親しみ、より正しく理解願いたい」を主旨として開催してきました。浅学非才の私には結構荷が重い法話会でしたが、少しでも仏教に親しんで頂きたいと願って務めてきた次第です。
法話会は「世相」と「主テーマ」の2本立てとなっています。今年最後の法話会の世相は「いわれを知り雑学を楽しむ」でした。NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」を取り上げ、『常日頃、当たり前として行っている言動の意味を探ることは知的好奇心を呼び起こし、そのいわれを知ることによって、言動を意識して用いることができ、日頃の生活や文化・習俗を雑学として楽しむことができる』ことをお伝えしました。

続いて法話会の主テーマ「続・日本の仏教 ー末法思想についてー」。
日本仏教に大きな影響を与えた末法思想についてインド、中国、日本の諸相を学び、平安時代から鎌倉時代までの仏教諸宗が末法をいかに克服しようとしたかを学びました。日本仏教史に大きな足跡を残している末法思想は、これからもその内容がさらに深められて行くことになりそうですが、末法思想を仏教の時代相として限定的に捉えるのではなく、末法思想に内包される仏教の教えをくみ取り現代に活かすことが大切であることを述べました。例えば「釈尊の存在しない無仏の世(末法)には如何なる導師を立てるべきなのか」。「末法の修行は如何にあるべきなのか」。「煩悩を捨て去ることのできない愚人は如何にして救われるのか」。「末法は愚人という認識は人生と社会をどのように導くのか」等々です。

仏教はその寛容性と多様性によってアジア全域に流布しましたが、各時代や各地域によって受容と展開が異なりますから、基本思想は共有していても日本仏教は日本の仏教として考察しなければよく理解ができません。少し時間はかかりますが、これからも有志の方々と倶に日本仏教の歴史を丁寧に学んで行きたいと考えています。明年も仏教に親しみより良く仏教を理解頂くことを願い、1月から11月まで日曜法話会を開催いたします。
有縁の皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2018年11月29日