相武山 妙法院のブログ

相武山 妙法院のブログです。

相武山 妙法院

  • HOME
  • 相武山 妙法院
  • お知らせ&行事案内
  • 道の心得
  • 法話会
  • 墓苑・永代供養墓
  • 自然に親しむ
  • 交通のご案内
  • ブログ
  • サイトマップ

045-442-7688

  • ご相談について

〒241-0806 横浜市旭区下川井町1590-1

相武山 妙法寺 ブログ

かぶ御講を奉修

11月15日は日興門流第三祖日目上人の祥月の御命日。今年は前日の14日(日)午後1時から御報恩の法会を執り行いました。今年も緑区の落合さんご夫妻が手作りの蕪を御宝前にお供えされました。青々とした葉に見事な丸い蕪です。門流では日目上人会を「かぶ御講」と称して親しんできました。目師が蕪を好まれていたためか、この時季に収穫される美味なかぶに目師のご恩徳を偲んだものなのかは定かではありませんが、上人に親しみこめての呼び名であることはたしかなことです。法会では参詣のご信徒と倶に読経・唱題、御報恩を申し上げました。

法要後は正信会のホームページに掲載されている「日目上人伝」を紹介。
「新田卿阿闍梨日目上人が誕生されたのは、文応元年(1260)のことです。時あたかも日蓮大聖人が『立正安国論』を鎌倉幕府に献上され、鎌倉で大いに活躍されていた時期でした。さまざまな因縁によって、日目上人はその献上の年に誕生されたのです。
日目上人は伊豆国仁田郡畠郷(現在の静岡県田方郡函南町畑毛)にて、父を奥州三迫新田太郎重房の嫡子・重綱、母を南条兵衛七郎の娘・蓮阿尼とし、その五男として生誕され、幼名を虎王丸と名付けられました。

最古の伝記である大石寺6世・日時上人の『日目上人御伝土代』によると、父方の新田氏、母方の南条氏は、ともに「御家人」とよばれる武士の家系でした。母の蓮阿尼は、後に大石寺の開基檀越となる南条時光の姉です。また、兄の頼綱は、後に富士門流(日興門流)最古の寺院である本源寺(宮城県登米郡)を寄進し、その次男は後に大石寺4世・日道上人となられます。」との【ご誕生】から解説。

【初等教育】【日興上人との出会い】【身延山へ登る】【耳引き法門】【伊勢法印との問答】【大聖人の葬送の儀】【輪番制の崩壊と身延離山】【奥州での布教】【大石寺における講学】【最後の天奏と御遷化】と日目上人の御生涯を参詣者と倶に学びました。
「日目上人は、同年の元弘3年(1333)11月、天奏のため日尊師・日郷師を伴い京都へ向けて旅立たれました。しかし、京都へ向われた日目上人一行ですが、11月15日、日目上人は途上の美濃国垂井(岐阜県垂井町)において74歳でもって御遷化されました」とお伝えしました。

日興門流の信仰を深める上において日目上人の御事跡をたずねることはとても大切なことです。法会ではこれからも皆さんと一緒に上人の護法と弘通の志を継承して行くことを誓願しました。

相武山 山主

2021年11月30日