相武山 妙法院のブログ

相武山 妙法院のブログです。

相武山 妙法院

  • HOME
  • 相武山 妙法院
  • お知らせ&行事案内
  • 道の心得
  • 法話会
  • 墓苑・永代供養墓
  • 自然に親しむ
  • 交通のご案内
  • ブログ
  • サイトマップ

045-442-7688

  • ご相談について

〒241-0806 横浜市旭区下川井町1590-1

相武山 妙法寺 ブログ

伊豆御流罪法難会

16日(日)午後1時より伊豆御流罪法難会を執り行いました。法会には午前の日曜法話会から引き続いて参詣された方が多く、ランチを摂って小憩してからのご参詣。まじめな同信の皆さまと倶に如法に読経・唱題をつとめて伊豆御流罪への御報恩を申し上げました。

この法難は日蓮大聖人が弘長元年(1261)5月12日から同3年(1263)2月22日まで伊豆の伊東(静岡県伊東市)に流罪された法難のことです。宗祖は前年の文応元年(1260)7月に『立正安国論』を前執権・北条時頼に奏上。結果的に為政者への批判とされ、世情を騒がせる者として弾圧の対象となりました。

 

もちろん、建長5年(1253)の立教開宗以来、宗祖の法然浄土教批判は一貫したものでしたから、念仏信仰者からは常に怨嫉攻撃される対象でした。文応元年(1260)8月には松葉谷の庵室を襲撃(松葉谷法難)されています。
その時には安房から下総などに避難したと考えられますが、法華弘通のために鎌倉にもどったところ、権力者一族の讒訴によって捕縛され、伊東八郎左衛門の預かりとして伊東に配流されたのです。

法要に続いての法話では伊豆御流罪の伝説が説かれる「船守弥三郎許御書」を拝読。御書システムより御流罪の背景と状況。さらに「船守弥三郎許御書」の解題からその真偽と内容を解説。拝読御書から「船守弥三郎夫妻に寄せる宗祖の想いと、地頭である伊東氏の病気平癒祈願など」について所見を述べ、いずこにあっても、どのような環境におかれても、仏法を受持し自らの志を信じられた宗祖は、ふれあう善悪すべての人々を仏縁とされたことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年05月31日