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相武山 妙法寺 ブログ

仏教東漸の道を訪ねて(中)

今回の中国西域シルクロード探訪のメインは6月27日の炳霊寺石窟と28日の麦積山石窟の見学でした。両遺跡とも中国甘粛省の黄土高原に在ります。前日26日、私たちは列車で敦煌から蘭州へ中国西域を東に向かって移動しましたが、この地域は古来、河西回廊(かせいかいろう)と呼ばれていました。河西とは中国甘粛省(かんしゅくしょう)の黄河から西,祁連(きれん)山脈の北側にそった狭長な地域のことで、ゴビ(砂礫地帯)の中にオアシスが点在しシルクロードの東端を形成しています。漢の武帝はここを占拠していた匈奴を撃退し,東西貿易路を確保。紀元前1世紀の頃、酒泉,張掖,敦煌,武威の河西4郡が設置されていました。

27日は天気予報のとおりに雨でしたが本降りではなく穏やかな雨でした。蘭州市中心街から劉家峡(りゅうかきょう)ダムまで朝の混雑もあってバスで約2時間の行程でした。劉家峡ダムは蘭州市の南西にある黄河上流部の峡谷につくられたダムで中国有数の大型ダムです。このダムから炳霊寺石窟まで人造湖「炳霊湖」をモーターボートで向かいます。所要時間は約1時間。その昔は陸路で徒歩や馬、車などでかなりの時間をかけて炳霊寺石窟に向かったそうです。

ダムにはいくつかの河から水が流れ込んでいます。ガイドさんが『黄河本流の上流はもともと青い色をしていますが、ダム湖には、洮河、黄河、大夏河の3つの川が注ぎ込みます。出発してすぐに黄色い水の洮河と、青い黄河が合流しますから見ていてください』と説明してくれました。そのとおり水面の変化に驚きましたが、また、ボートのスピードがかなりの速さで少し怖いくらいでした。

炳霊峡に入ると周囲の岸には屹立した岩山が迫ってきました。かねて見てみたいと思っていた「黄河石林」です。造山活動で岩が林立しているといえば中国の桂林が有名ですが、炳霊寺石窟に近づくにつれ石林が林立している黄河石林もみごとなものでした。ボートから下船して小雨の中、炳霊寺の門をくぐります。

ここ数日雨が続いているらしく私たち以外の観光客はほとんどいません。貸し切り状態での見学となりました。炳霊の名はチベット語の「十万仏」に由来しています。全長2キロにわたる石窟は、十六国時代の西秦(385~431)から隋、唐、明、清時代まで造営されたといわれています。険しい峡谷にあってイスラム教徒による破壊や外国人探検家による持ち出しを逃れたため、貴重な仏像が多く残されている石窟です。私たちは小雨の静寂のなかじっくりと仏教信仰の歴史を学びました。

ボート乗り場隣接の水上レストランでランチを頂いてから劉家峡ダムへ。劉家峡ダムからはバスで蘭州駅へ。中国の発展を如実に示すような蘭州駅で小憩し高速鉄道で天水へ。天水は大都会ではなく落ち着いた都市でした。夕食後は興厳房と少し街を散策。部屋に戻って炳霊寺の観想を語り、明日の麦積山石窟の予習をしてやすみました。

28日は曇り空でしたがやがて晴天という天気予報で期待もふくらみながらホテルを出発。天水市の南東、秦嶺山脈の西端にある麦積山までは45キロ、約1時間20分ほどの行程。駐車場からはカートでの移動です。交河故城や敦煌莫高窟でもそうでしたが、これからは駐車場からカートでの移動が一般的になりそうです。この日は観光客も多く、カートを降りても少し混雑していました。降車場からは徒歩で麦積山に向かいますが一歩一歩歩みを進めるとみごとな石窟群が眼前に広がってきます。

麦積山とは麦藁(むぎわら)を積み重ねたような山容に由来しますが、『高僧伝』中にもみえ、420年ごろにはすでに300人もの僧が常住していたことが知られています。北魏(386~534)時代に開かれた石窟や仏龕(がん)が多く、その後、西魏、北周、隋、唐、宋と造営が続けられた石窟です。山の南面の中央に崩壊した箇所があり、これを境にして東崖と西崖に二分されます。現存の石窟と摩崖(まがい)仏は東西で194を数え、窟内には仏像や壁画、天井画が残っていますが、桟道を上ったり移動したりするのはかなりの労力を必要とします。しんどいなと思いながらもこれが最後かもしれないと想い、息を切らせながらの仏教遺跡探訪となりました。

麦積山では限られた時間でしたが1500年におよぶ中国での仏教信仰を学ぶことができ、とても深い感動を得ることができました。観光客には歴史の探訪かも知れませんが、仏教徒である私たちにとっては時間を越えて先達の信仰の息吹にふれるすばらしい時空でした。心の中で歴史のながれを追いながら麦積山石窟を名残惜しく後にしました。その後、バスで天水南駅にもどり、天水南駅から高速鉄道で西安北駅まで移動。いよいよ「仏教東漸の道を訪ねて」も最終日を迎えます。(つづく)

相武山 山主

2019年09月29日