相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

「備えあれば憂いなし」を実践

今年は1923年(大正12年)に発生した関東大震災から100年の節目の年です。9月1日が「防災の日」と定められたのもこの関東大震災に由来しています。ここ数日、各メディアからも関東大震災100年という報道が頻出、国民に注意を喚起しています。

関東大震災は「大正12年(1923年)9月1日11時58分、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される関東大地震が発生。この地震により、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県で震度6を観測したほか、北海道道南から中国・四国地方にかけての広い範囲で震度5から震度1を観測し、10万棟を超える家屋が倒潰。また、発生が昼食の時間と重なったことから、多くの火災が発生し、大規模な延焼火災に拡大した。
この地震によって全半潰・消失・流出・埋没の被害を受けた住家は総計37万棟にのぼり、死者・行方不明者は約10万5000人に及ぶなど甚大な被害となった」ものです。

この大震災は近代日本の首都圏に未曾有の被害をもたらしたことで、我が国の災害史において特筆すべき災害となっています。近年、発生した大震災としては、平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災。平成23年311日に発生した東日本大震災が私たちの記憶に新しいものですが、我が国では大きな被害となった自然災害は頻繁に起こってるのが事実です。

日本の歴史を少しひもといただけでもわかりますが、我が国は自然災害と共に在るといっても過言ではありません。先人の方々は大きな災害を乗り越えながら現在の日本社会を形成してきたのです。首都直下型地震の来襲が話題となって久しく、現在は東南海大地震、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震などが予想され、さらに富士山の噴火という関東直結の大災害も想定の範囲内となっています。
いつ何が起きても不思議ではないのです。いたずらに不安と恐怖を増長させることは精神的に佳いことではありませんが、のほほんとして無責任に他人任せなのは不謹慎というもの。先ずは現実を直視しましょう。

仏教で「諸行は無常」と教えているとおり、私たちは「生・老・病・死」の四苦の変化を免れません。自分自身の生命は変化してやまない存在なのです。私たちを支え育んでいる地球自体も一つの生命体であり、地球が存在する太陽系も一つの生命体であることを理解しなければなりません。
前述の諸行無常と同様に、仏教ではあらゆる存在は「生・住・異・滅」の四相(しそう、事物が生成変化して消滅すること)を免れないと説いています。この法理に則れば、人間に四苦といわれる変化が存在するように、自然界も四相を展開して変化する存在なのです。
となればいつ何が起きても不思議ではないのですから、「備えあれば憂いなし」の実践が求められます。一庶民の私たちに大きな事はできませんが、せめて自分自身のこと、家族のこと、身近な友人知己への助力ができるくらいの準備ができれば佳いと思います。

首都圏一極集中化といわれる現状です。ひとたび富士山の噴火や首都直下型地震、東南海地震が発生すれば関東地方一帯はかつてない甚大な被害を被り、社会・経済のすべてが深刻な打撃をうけることは想像に難くありません。
ややもすると悲観的な心境に陥りがちになりますが、「貴重な人生であるから最後まで最善を尽くして歩め」と教えられている仏教徒としては、警鐘に応えて自分にできる「身近な防災の実践」に努めて行こうと思います。

相武山 山主

2023年08月31日

夏季法門研修会を開催

8月27日(日)午後1時より夏季法門研修会を開催。
午前中の境内清掃作務から継続しての参加者を含め11名が参加。始めに仏道精進を祈念し、参加者全員で勤行唱題。参加者各位の信行増進を祈念して開会。
当山では春夏秋冬に4回の法門研修会を開催。3時間ほどの時間をかけてじっくりと法華経や日蓮大聖人の教えを学ぶ機会としています。行事や法要でも必ず法話をして日蓮大聖人の教えをお伝えしていますが、その時間はせいぜい30分~40分ほどですから十分な時間とはいえません。
その上、行事法要への参加者は初信者の方も居られます。したがって難しい教学に及ぶことは躊躇することもあります。僧侶の務めとして工夫はこらしていますが、聴聞される皆さんの信心も一様ではありませんから、中には物足りなく感じる方もいることでしょう。

「御法門をどのようにお伝えするか」ということは、僧侶にとって永遠の課題といえるかもしれませんが、仏道の語り部としては時間に余裕を持って臨める研修会は有り難い機会です。少し専門にわたることもありますから、すぐには理解できないことがあるかもしれませんが、機会を重ねるごとに「学んだ点がやがて線としてつながり、さらには面として広がり、やがては立体的に捉えることができる」ようになることと思います。
私も仏教を修学した当初は点ばかりでなかなか線につながらず、いらいらしたり迷ったりしたものです。時を重ねて取り組んで行くと、思いもよらぬ時に「あ~そうだったのか」と合点がいったり理解が進むことを知りました。また、基本的な教えがしっかりと理解されると難しい法門につながっていることがわかり、学びの楽しみに気づくことにもなります。

今年の春4月の研修会では「顕仏未来記」を拝読しての研修会でした。御書の後半に入ったところで時間となったので今回はその続きとなります。
この御書は佐渡流罪中の御遺文で
『一往は仏の滅後更に天台伝教にも値遇できぬ末法の世に生まれたことを悲しみ、しかしながら再往これを考えれば「後五百歳中広宣流布」との金言を実践できることは大いなる悦びであるとの確信を述べられている。
また、末法において正法を弘通することの困難なことを経釈より説示され、不軽菩薩の如くに大謗法者の充満する逆縁の世にあって「後五百歳中広宣流布」の金言を実践するのは日蓮であるとのご自覚を表明されている。
さらに、妙楽の「文句記」、遵式の「天竺別集」により、天竺・漢土にはすでに仏法は滅尽しており法華経の行者は存在しないとご教示。
結びに伝教の『法華秀句』に示される法華経流布の担い手の系譜、釈尊→天台→伝教にならい、それに自身を加えられて「三国四師」とする」
と述べられています。

研修会では上記の内容を今一度簡略に復習。釈尊からの仏教の基本思想にふれながら、アジアに伝播した仏教のさまざまな様相を学び、さらに日蓮大聖人の教えを理解するために、日本仏教史のながれの上から大乗仏教と末法思想について略述。
また、日蓮大聖人理解のポイントとして、日蓮大聖人が当時の最先端の仏教を理解しておられたことを、仏典編纂と大乗仏教への理解、インド・中国・日本三国の仏教史の理解、インド・中国における廃仏の理解等々、現代仏教学に照らしても遜色ない優れたものであったことをお伝えしました。

研修会の後半は春季研修会に残された顕仏未来記を丁寧に解説。「末法の法華経の行者であるとのご自覚に立たれた日蓮大聖人のご内証、衆生済度の崇高なご精神」について参加者の皆さんと学びました。猛暑の中、3時間集中の夏季法門研修会でした。

相武山 山主

2023年08月30日

酷暑の中で境内清掃整備

8月27日(日)午前11時から境内の清掃整備を行いました。今年の暑さは半端ないもので、猛暑は雑草の勢いを増しているかのようで、暑さにお構いなくその背丈を伸ばしています。他方、さしもの暑さに蚊も日中は飛ぶことができないのか、境内で作業をしていてもあまり刺されることはありません。猛暑を超えた酷暑のほとんど一つの恩恵かもしれません。
黙っていても汗が吹き出る暑さですから、境内とその周囲の作業となればなおさらのことです。ご信心がなければとてもできるものではありません。作業にご参加頂いた、熊木さん、久保さん、森さん、落合さん(2)、柴さん、市川さん、阿部さん(2)、新倉さん、ご協力に感謝いたします。
お陰様で菩提寺の境内が浄められ、お参りされる方々も気持ちよく参詣ができることでしょう。ありがとうございました。

相武山 山主

2023年08月30日

戦没者追善法要を奉修

8月15日(火)は78回目の終戦記念日。日本の敗戦受諾によって太平洋戦争が終結した日です。当山では8月15日を戦争と平和、人権と自由、民主主義と覇権主義を熟考する機会として開創の年から大切に営んできました。
台風接近報道があり天候も不順でしたので、14日と15日両日のお盆供養の参詣者はわずかでしたが、御宝前と精霊壇それぞれにお供物をお供えし、参詣者の皆さまと倶どもに法華経要品読誦、南無妙法蓮華経の唱題を修し、戦没者諸精霊と各家先祖精霊への追善供養を申し上げました。

その後の法話では13日(日)の御報恩講同様「法華経題目抄」を拝読。
法話の前段では法華経題目抄のいわれとその概要を解説。
後半は戦没者への追善の念いを込めて太平洋戦争についてのお話。戦後78年が経過して戦争を知る人々はかなり少なくなりました。また、平和な時代が長く続いたこともあり、戦争と平和に対する人々の見解も浅くなりがちな風潮がみられることは留意しなければなりません。

太平洋戦争では310万人の日本人が戦死し、関連死もかなりの数に上るといわれています。また、侵略された中国から東南アジアの各国でも甚大な戦死者が出ました。ある統計(東京新聞2005年8月7日)によれば、中国約1000万人、インドネシア約400万人、ベトナム約200万人、インド約150万人、フィリピン約110万人、その他戦死者はアジア全域に及ぶということです。これらの戦死者の数だけでも悲惨な戦争であったことがわかりますが、物質的被害や精神的被害も甚大で、東京など日本の大都市の多くが荒廃の憂き目に遭ったのです。

我が国は明治時代の日清日露の戦争以来、昭和20年の敗戦に至るまで戦争に明け暮れていたといっても過言ではありません。この間、主権は天皇にあり、国民は臣民としての立場でした。明治政府は欧米の民主主義を取りいれる気概はあったようですが、大日本帝国と称していたように帝国主義が優先されていました。富国強兵が一貫した日本の目的でしたから、教育から思想まで軍国主義に流されていたことは事実。太平洋戦争の責任は戦端を開いた軍部にあるのは当然ながら、上は天皇から下は臣民たる庶民まで、戦争反対の声を上げて弾圧された人々以外はすべて責任があるように思うのです。
ただし、幼い頃からの軍国主義的教育、神国日本として天皇を生き神と崇拝する思想教育、さらに家族から地域、社会全般におよぶ軍国礼賛なのですから、平和で安全な時代に身を置いて、人権と民主主義に護られながら、当時の国民を一方的に批判することははばかりを覚えるのです。

とはいえ、軍国日本が無謀で野蛮な太平洋戦争に突き進み、国民ばかりでなくアジア各国に甚大な苦悩と悲嘆を与えた事実は深刻に反省するべきであり、戦争と平和、人権と自由、民主主義と覇権主義などを常に熟考しなければならないと思います。
私は若い頃、戦争責任について広く学ぶ機会があり、そこで他の社会についてはともかく、宗教者の戦争責任が大きかったことも知りました。宗教者、仏教者、僧侶の大半が軍国日本、天皇軍部を礼賛し、戦争の勝利を仏神に祈願していたのです。さらに戦争に反対したり、国体に批判的な人々を諫めるような役割も担っていたのではないかということです。

その時代に自分が生きていて当事者であったらどのように考え、どのように行動したのかは想像すらできませんが、それ以来、戦争や平和、主権と自由、民主主義と覇権主義を、我がこととして考えなければならないと思っています。その認識と自覚をもって私は8月15日に戦没者慰霊追善法要を執り行っています。
補足すれば戦争責任を学んだときに、戦争に反対して弾圧された僧侶がいたことも知り感動を覚えました。

法話では、今後のためにも宗教界は前の大戦についての自身の責任を率直に語り、平和と人権と民主主義社会構築の一翼を担わなければならないと所信をお伝えしました。すべての戦争犠牲者の方々の慰霊と追善を祈る戦没者追善法要でした。

相武山 山主

2023年08月29日

八月の御講と盂蘭盆会

8月13日は月例の日蓮大聖人御報恩講ですが、月遅れのお盆の入りに当たるため、8月盆の追善供養も併せて執り行いました。午前11時からは三師塔に香華をお供えして読経・唱題、宗開三祖に盂蘭盆会の御報恩を申し上げました。引き続いて樹木葬墓地と久遠廟にて埋葬者追善のお塔婆を建立し、香華をささげて読経・唱題、盂蘭盆会の追善供養を申し上げました。
午後1時からは本堂にて御講と盂蘭盆会。台風の接近が報じられており不安定な天候でしたが、14日と15日の参詣予定を前倒ししての参詣者も居られ、いつもより多くの参詣者の皆さまと法要を営みました。

参詣者唱題の裡に御宝前にて三宝尊への献膳。また、盂蘭盆供養のために精霊壇にても霊具膳をお供えしました。法要は如法に法華経要品読誦。寿量品に入り、参詣者は塔婆の建立された精霊壇に進み丁重に抹香を頭に頂いてお焼香。御報恩と追善供養の念いをこめての唱題を申し上げました。宗祖への御報恩の御観念の後、願い出の各先祖各精霊への御回向を申し上げた次第です。

法要後には「法華経題目抄」を拝読。
「今の代に世間の学者の云く、只信心計りにて解心なく、南無妙法蓮華経と唱ふる計りにて、争でか悪趣をまぬかるべき等云云。此の人々は経文の如くならば、阿鼻大城をまぬかれがたし。
さればさせる解はなくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば、悪道をまぬかるべし。譬へば、蓮華は日に随ひて回る、蓮に心なし。芭蕉は雷によりて増長す、是の草に耳なし。我等は蓮華と芭蕉との如く、法華経の題目は日輪と雷との如し。
犀の生角を身に帯して水に入りぬれば、水五尺身に近づかず。栴檀の一葉開きぬれば、四十由旬の伊蘭変ず。我等が悪業は伊蘭と水との如く、法華経の題目は犀の生角と栴檀の一葉との如し。
金剛は堅固にして一切の物に破られざれども、羊の角と亀の甲に破らる。尼倶類樹は大鳥にも枝をれざれども、か(蚊)のまつげにす(巣)くう小れう(鷦鷯)鳥にやぶらる。我等が悪業は金剛のごとし、尼倶類樹のごとし。法華経の題目は羊角のごとく、せうれう鳥の如し。
琥珀は塵をとり磁石は鉄をすう。我等が悪業は塵と鉄との如く、法華経の題目は琥珀と磁石との如し。かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ふべし。」

始めに、「日蓮の門下は宗祖の遺された御書を教えの根本としているが、遺された御書には真筆として確かな御書もあれば、後人の手にかかる偽りの偽書もあり、また真偽未決という難しい問題もはらんでいる」ことを解説。そのために妙法院の法話では「御書システム」の「解題」を常に参考として紹介していることを述べました。

拝読の法華経題目抄についても御書システムの解題を紹介。当該御書のゆかりとその内容を参詣者の皆さんと概観しました。続いて本文を丁寧に解説。日頃なかなか参詣できず、法話を聴聞する機会も少ない方が多いので、いつもよりも時間を掛けての法話となりました。
この御書は佐前(佐渡御流罪前)の御書ですが、宗祖にとって南無妙法蓮華経の唱題は成仏の直道(じきどう)ですので、佐後(佐渡御流罪後)にも通じる位置づけとなります。また、ここでは南無妙法蓮華経の唱題の功徳を端的に述べるのが主眼となっていますが、日蓮の門弟は成仏の直道という視点から唱題の意義を人生をかけて求めて行く(仏道の信行)ことが大切であることをお伝えしました。

拝読御書には原文とともに現代語訳もお渡ししています。原文の拝読はかなり難しくその理解には仏教の修学が求められますが、反面、御法門の奥行きや広がりをうかがうことができるというすばらしさがあります。他方、現代語訳は概要がわかりやすいという利点がありますが、御法門がせまく限定されてしまうきらいがある難点があります。信仰的には両方を拝読して信行を深めて頂きたいと願っています。

ちなみに当該御書の現代語訳(御書システムによる)は以下のようになります。
『今の世間の学者は、「ただ信心だけで、教えを理解する力がない者が、ひらすら南無妙法蓮華経と唱えるだけで、どうして悪道に堕ちることをまぬがれようか」というが、今の経文に照らせば、この人びとも無間地獄に堕ちることは間違いない。
以上のことから、たとえさほどの理解力がなくとも、信ずる心から南無妙法蓮華経と唱えるならば、悪道には決して堕ちないことを知ることができる。
たとえば蓮の花は心を持たないが、太陽の位置に応じてその花の向きを変える。また芭蕉には耳がないが、雷鳴に反応して生育する。智恵を持たない我等もまた蓮の花や芭蕉と同じように、太陽や雷のような法華経の題目の力用によって利益を得ることができるのである。
生きている犀から取った角を身に付けて水に入ると、五尺も水が遠ざかるといい、栴檀の木の一葉が開いただけで、四十由旬の広さに蔓延する伊蘭の悪臭を香気に変えてしまうという。我ら凡夫が日々に犯す悪業はあたかも伊蘭と水のごとくであるが、これらは犀の生角と栴檀の一葉のような法華経の題目によって滅尽されてしまう。金剛石は非常に堅くて、どんな物も破ることはできないが、ただ羊の角と亀の甲だけには破られるという。
また尼倶類樹という大木は、どんなに大きな鳥が止まっても枝を折られないが、ただ蚊のまつげに巣をつくるという小さな鷦鷯鳥(しょうりょうちょう)には枝を折られるという。
我ら凡夫の造る悪業は金剛石のように堅く、尼倶類樹のように強いものであるが、ただ羊の角や鷦鷯鳥のような法華経の題目だけが、それを破り折ることができる。
琥珀は塵を取り除き、磁石は鉄を吸い取る。我ら凡夫の悪業は塵や鉄と同じく、法華経の題目は琥珀や磁石と同じである。このように思い定めて、常に南無妙法蓮華経とお唱えなさるがよい』と。

相武山 山主

2023年08月28日

お盆のお墓参りに想う

月遅れのお盆。
8月10日頃から20日頃まで、猛暑にもかかわらず妙法院墓苑の墓所や久遠廟、樹木葬墓地には朝から夕方まで、家族ずれの方々が三々五々お参りされていました。
都市化や家族制度の変遷、仏教信仰の衰退などによって、「お寺離れ」は戦後一貫して続いていますが、近年は老後もふるさとに帰るという方が少なくなり、「墓じまい」の話題も肯定的なものとなっています。

「お墓のかたち」も昭和の時代とは大きく変化しました。多くの方が「○○家之墓」というようなお墓のかたちが昔からの形と考えているようですが、「家墓(いえばか)」が一般的となったのは明治期からのことです。それ以前の土葬の三昧(さんまい)や供養墓の場合には多くが個人のためのお墓だったのです。○○家のお墓となったのは、明治政府の神国日本、天皇主権、国体護持などの国家観の下、家父長制を準用した家制度の重用からのようです。

以来、平成に至るまでお墓の概念は「家之墓」が常識のようになっていました。その家之墓も基本的には長男が継ぐものであり、次男や三男は特別な事情がない限り、別にお墓を設けるのが一般的でした。女性が生家のお墓を継承するということは稀なことでめったにありませんでした。そのような概念が変化するのは平成に入ってからですが、その萌芽は昭和の後期には見られていました。
それはほぼ和型であったお墓が洋型となり、南無妙法蓮華経のお題目や南無阿弥陀仏の念仏が彫刻されなくなり、「○○家之墓」が「ありがとう」とか、「感謝」、「まこと」、「平和」、「愛」・・・・・などと彫刻されはじめたことからわかります。都市では核家族化や無信仰化が進み檀家制度も緩やかに崩れ、家制度も大きく変化して個人の立場と意見が重んじられるようになってきたのです。

それがやがて葬儀にもおよび、都会では人生の終焉という大切な時を迎えても、宗教的祈りが捧げられることなく荼毘(遺体を焼却すること)にふされる「直葬(じきそう)」も増えてきました。仏教徒としては人生の最後に旅立ちの祈りもなされないのは残念の一言です。
そのような風潮ですから、現今はお墓のかたちもさらに変化しています。従来の屋外の墓地ではなく、街の中の寺院などにコンピュータ管理の屋内納骨堂が誕生したり、お墓を家族に継承させると負担になるからといって、後継者に管理料などの負担がかからない「永代供養墓」なども新設。さらに「家之墓」ではなく、自然豊かな埋葬地を選んで不特定多数の方と一緒に埋葬を希望する「樹木葬墓地」も広く展開されています。
埋葬する墓所は求めないとして山や海に遺骨をまく「散骨」を選択する方もいますし、ほとんど経費のかからない「合祀墓」を求める方も少なくありません。昭和の時代には想像もできないほどに「お墓のかたち」は変わりました。
さまざまなお墓のかたちが提供されることになり、いずれを選択するかは個人の自由となって、信仰の有無や、家族の有無、自分の想い、関係者とのかかわりなどを考えた上で求める時代となったのです。

お墓は個人墓であれ、家墓であれ、人生を走り終えた埋葬者にとって、静かに永久(とわ)の眠りについている神聖な場所です。そこは死者を祀り死後の平安を祈る世界ですから、死者の尊厳が重んじられ、お参りする関係者も尊重される空間でなければなりません。
墓所は生者と死者が交流する理屈を超えた世界。お参りする方は、お墓を浄め、香華を手向け、合掌して祈りを捧げて、故人や精霊を偲び、その安寧を願います。時には、静かに自分の現況を報告したり、愚痴を聞いて頂いたり、自らの決意を伝えることがあるかもしれません。祈りや願いは時空を軽々と超えるものですが、お墓での祈りの距離は近いような気がします。

妙法院ではこのような墓所の存在を大切にしています。
当山では自然豊かな環境の中、朝夕、常に法華経と南無妙法蓮華経のお題目がながれ、折々に法華経と日蓮大聖人の教えの法話が説かれています。やすまれている各精霊もきっと仏縁に浴し、お参りされる皆さまも仏道の功徳を積まれていることでしょう。
猛暑の中、汗を拭いながらお参りされるすがたは尊いものでした。

相武山 山主

2023年08月27日