相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

法華講総会を開催

梅雨の晴れ間となった6月18日(日)、午後1時から第40回妙法院法華講総会を開催しました。妙法院法華講は当山開創時より檀信徒の信行増進と菩提寺の護持を願って結成された講中です。法華講は日蓮大聖人御在世の頃より結成されたと伝わる富士日興門流の信仰組織。全国の寺院や布教所では古から組織されてきました。
しかし、その目的は同じでも体勢や活動はそれぞれの寺院や布教所によって異なりがあります。寺院の成り立ちやその地域性、僧俗の意識によってちがいがあるのです。しっかりと整った組織となって活動している寺院もあれば、緩やかな組織として穏やかに活動している寺院もあります。妙法院はどちらかといえばゆったりとした組織で活動も穏やかです。そのため、せっかく仏縁を得て信徒が集いながら、法華講としての意識が薄いために、個としての信仰を深めながら、他者との交わりからさらに信仰を昇華させるという意識に至っていないのは、住職として少しもったいないと思っています。

現代は個人としての行動が好まれ、集団というかたちでの行動はあまり好まれないという傾向にあるようです。しかし、何ごとにも通じることですが、個人と集団というかたちの行動には、それぞれにプラスとマイナスがありますから、その佳いところを学び合うならば双方に利益となることでしょう。妙法院の法華講もそのようにありたいものです。

総会の当日は午前11時から月例の日曜法話会が開催されましたので、法話会に参加聴聞された方は引き続いての参加となりました。コロナ禍によってここ3年ほど寺院の法要や行事が自粛を余儀なくされていましたが、コロナも5類となっての総会では、低調となっている講中活動を徐々に復興して行こうと意識するものとなりました。
はじめに参加者一同にて勤行唱題を修め、妙法院講中の信行増進を祈念。併せて法華講物故者への追善ご回向を申し上げました。

総会は阿部一博さんの司会で開会。
はじめに阿部純子さんが令和4年度講費会計報告。参加者に配布した収支計算書の内容を丁寧に報告し、結びに「講費の納入は講中の6割~7割ほど。数年厳しい状況が続いているので、意識をもって協力をお願いしたい」と述べました。続いて落合美代子さんによる監査結果報告がなされ、参加者によって承認されました。次に新倉講頭が挨拶。「ご住職の指導を中心にお互いに仏弟子として信心を磨いて行こう」とのべての挨拶でした。
住職挨拶では、開創当時からの妙法院の変遷を略述。「講中みんなの仏道精進で現在の妙法院が存在しています。妙法院は正信覚醒運動の展開の中から誕生し、現在も覚醒運動の前進に努めています。法華講の意義は日蓮大聖人の仏法を護り弘通することにあり、時代の変化によって活動に難しさがあるのは事実ですが、皆で啓発し合って活性化をはかって行きましょう」と挨拶。

その後は正信会の活動方針「まなぼう法門、かたろう信心」のささやかな実践。会場のしつらえを車座とし、司会の阿部さんの進行で参加者全員が信仰所感を語りました。飾ることなくかたられた内容は、「自己紹介から近況の報告。家族間での信仰の語らい。御講などへの参詣意志の表明。仏道に向き合うことの大切さ。信仰を深めることの難しさ。信心を続けてきたことによって自分の人生の役割に気がついたこと。少しずつでも仏法のために尽くして行きたい・・・・・」とさまざまでした。
最後に執事の大山興厳師が昨年の座談会の発言にふれて、反省をこめながら今後の精進を述べて座談会は終了。司会の閉会のことばで総会は閉会。住職の導師でお題目を三唱し参加者は笑顔で帰路に着きました。

相武山 山主

2023年06月29日

身を護る(下)

《他者には仏教の知見を伝えながら己れに油断》
「身を護る(上)」で身体の不思議と日々健康であることは当たり前ではないことを説明した後は私の愚かさについて。題して「他者には仏教の知見を伝えながら己れに油断」です。
・脊柱管狭窄症と私(住職)
「数年前から、腰から太ももまで、痛みとしびれの自覚。しかし、歩行にはあまり問題はなかった。腰痛による不調は昔から時々あった。症状が出ているのに深刻に考えなかった。
長く健康に恵まれていたことへの油断。亡くなった母親は「強度のリュウマチ」、遺伝からも想像できる。釈尊は娑婆を忍土と教えられた。仏道に「我慢と辛抱」はつきもの、子どもの頃からの僧侶の習性。僧侶は「修行」といわれたら我が儘はいえない」
と前説明。
※参考資料『脊柱管狭窄症』(日本整形外科学会のホームページから)配布。

《ことの顛末》
3年前、下肢に不調と不快が強くなったので整形外科を受診。
レントゲンを撮って頂くも医師の診断は「加齢によるしびれと痛みですかね・・・」。いくつかの質問もしたが丁寧な説明もなく、そんなに深刻ではないのかと独り合点。しかし、その後も改善することはなく、半年後にはひどい痛みでめずらしく数日混乱。別の整形外科にかかるも、やはり「加齢ですかね・・・」でした。きちんと診察してもらい治療しなければとは思ったのですが、しびれや痛みは出たり出なかったり。公私ともにいつも多忙のためにすっかり油断。
常の法話では「仏教では諸行は無常、あらゆる事は縁起によって成り立っており、健康なことは当たり前ではないと説かれています。健康である条件が不思議なほどに調えられて、今、健康であるに過ぎないのです。いつ病気になってもおかしくない身体が、今日はたまたま健康であるというのが真理なのです。今の健康に感謝しましょう」とお伝えしているのに恥ずかしい限りです。

下肢の不調はその後も続いていましたので、素人ながら「これは脊椎間狭窄症かもしれないな」と思っていました。今年になり二度長い時間歩くことがありついに間欠性跛行。体調からして脊椎間狭窄症と確信しました。前回二度の納得できない診断があったので、今度は医師の選択は慎重にしなければと判断。予備知識も学んだ上で、かかりつけ医にこれまでの経緯を説明。「私の質問に向き合って頂ける方、丁寧な説明、診察と治療も安心できる医師をご存知なら紹介願いたい」と伝えました。
すると、「そうなんです。医師もさまざまです。医師を選んでも良いんですよ。整形外科の先生でしっかりした医師を知っていますのでご紹介します。この先生に紹介状を書きますので、事前に先生が診察する日を確認して訪ねてください」と有り難い対応でした。

《同じ総合病院での診察・医師によって異なる診断》
ご紹介頂いたのはなんと以前診察してもらった総合病院の副院長で整形外科部長さんでした。当然、私の前回のレントゲン写真も(3年前)その病院に保存。診察にうかがった時に、その画像を見た医師は「この画像で脊椎間狭窄症というのはわかりますね。どのように診断されましたか?」と尋ねられました。あっさりとした医師のことばに私は驚きましたが、私は「その先生は、『加齢ですかね、まだはっきりわかりませんね・ ・・』との診察でした。」私はもう少し説明と対処を教えて欲しかったのですが・・・」と答えました。
すると部長医師は「そうですか」と嘆息。
その後、すぐにレントゲンの撮り直し、前回と違い4方向からの撮影でした。その結果をみて医師は「かなり悪化していますね・・・」とのこと。私の質問にも一つひとつ丁寧に応えて頂き、説明も的確で安心しましたが、さらに翌日にMRIの予約を入れて頂き、コルセットの装置と服薬を処置して頂きました。
3日後にはMRIの結果をもとに再度の診断。「長い時間をかけて悪化していますね。狭窄の箇所が広いので厳しい状態ですね・・・。まずは服薬とコルセット、リハビリ的なことから始めましょう、さらに悪化するようなら手術ということになります」ということでした。

明確に脊椎間狭窄症と診断されたので、これからは残された大切な時間のためにもまじめに治療にはげむつもりですが、すべては私の油断と反省し、「医師は選ばなければいけない」と自戒した次第。
「医師を選ぶ」などというと傲慢に聞こえるかもしれませんが。我が身を護るためには必須の心得かもしれません。私のことばで強くはいえないので参考として以下、「お医者さんは選ばなければならない」ということを「《生成AI「ビングBingからの参考意見》」として紹介しました。

二部の「仏教に親しむ」では
「仏教と医療」について。
《釈尊の覚り》
釈尊はバラナシーのサールナートで初めての説法(初転法輪)を行い、「四諦・八正道」を説かれたと伝えられています。
「四諦」とは
・苦諦(人生は思ようにはならない、苦に満ちていると諦める)。
・集諦(苦を引き起こす原因は欲望と執着を集めることと諦める)。
・滅諦(苦の原因である欲望と執着を滅すれば真の安らぎがあると諦める)。
・道諦(真の安らぎのためには八正道を実践することと諦める)。
「①正見(正しい見解) ②正思惟(正しい決意) ③正語(正しい言葉) ④正業(正しい行為) ⑤正命 (正しい生活) ⑥正精進(正しい努力) ⑦正念(正しい思念) ⑧正定(正しい禅定)」
であることを解説。
次に
「釈尊は医師として衆生の苦悩を治療」されたことを解説。
釈尊は衆生の「苦諦」病気(苦悩)の診断をされた。
釈尊は衆生の「集諦」病気(苦悩)がどこから来たのかを理解させた。
釈尊は衆生に「滅諦」病因(苦悩)を除去すれば治ることを教えた。
釈尊は衆生が「道諦」治療(仏道)に精進して心身を健康にすることを教えた。
ことを述べ、現代に生きる私たちも仏縁を大切にして仏道修行に精進しようとお伝えしました。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年06月28日

身を護る(上)

6月度の日曜法話会は18日でした。今月は初めて参加された方もおられましたので、始めに当山の日曜法話会が「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しい理解を願う。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれる。」を趣旨としていることをプロローグとしてお伝えしました。
何ごとについてもいえることですが、「仏教」といっても聞かれた方はそれぞれ勝手にイメージをされることでしょう。仏教に関心のある方もいればまったく関心のない方もおり、敬意を払われる方もいれば当然否定的な方もおられます。もとより、仏教への理解と認識は各人各様の見識によるのですが、私たち仏教への信仰を持つ者は、自分のためにも誤解や理解のない方への啓蒙のためにも、より正しい知識を身につけ伝えなければならないと思うのです。妙法院は現代に法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝える法華の寺院ですので、できるだけ正しい知見を得て頂きたいと願って法話会を開催しています。

プロローグとしては
「周知のように仏教はインドの釈尊によって創始された宗教ですが、2500年の永い歴史を有し、アジア全域におよぶ広範な地域に伝播しました。また、それぞれの時代や各地域によってさまざまな受容と展開をしながら現代に至っていますので、簡単に説明することは難しいことです。多少関心のある方でも、根気よく学び続けなければ仏教を理解することはできませんし、解説することはさらにハードルが高いといえます。
まして、仏教は古来仏道と称されてきたように、仏教の知識を学べば良いというだけでなく、自ら実践して人生に活かされなければなりません。知識と実践を修めることが求められているのです。難しいといえばそのとおりですが、根気よく学び続けて信行して行けば少しずつ理解が進み、その教えの深さとおもしろさ、さらには愉しさまで味わうことができ、不惑の安心を得ることができます。せっかく大乗仏教を受容した日本の国に生まれたのですから、深いご縁と受容して仏教を学んでいただきたい。」
とお伝えしました。

次に「仏教」は真理を意味する「仏法」ではなく、仏が覚られた真理を伝えるための手立て(教え)を意味していること。さらに仏教という表現は近世欧米の宗教的区別の在り方に準じて、あえて他宗教との異なりを示すために仏陀釈尊の創始された宗教という意味で仏教と呼称されていること。中国や日本では実践が重んじられ永く「仏道」と称されていたことを紹介。

日本の仏教の現状と本来の釈尊仏教の在り方を略述した後、今月のテーマである「身を護る ー人生は貴重であると知るー」の法話。
「人生は貴重なものであるという自覚があれば身を護るようになり、その自覚は人生が貴重なものであると認識した証し。思うような人生を歩めなくても努力したことを誇りとして、たとえ高齢となり認知症となったとしても尊厳を失うことなく、最後までこの身を愛おしむ人生でありたい。今世の生き様は来世につながっていると信じて油断なく努めよう。」と述べ、「身を護る」という意味は多岐にわたりますが、「今回は健康にポイントを置いて所見を述べる」とご案内。

《仏教では人生は奇跡の連続と説く》
仏教では「諸行は無常」と教え、人生のすべてに当たり前などということは一つもなく、人生のすべてが一日一日奇跡的に続いているに過ぎない。思議し難い妙法によって支えられ育まれ活かされていることに気づくことが大切であることが説かれていることを紹介。
しかし、奇跡を売りにするような新興宗教やスピリチュアルなどの存在もあるので注意が必要。

《邪な宗教や信仰、スピリチュアルなどから身を護る》
・超常現象や奇跡体験を吹聴する人々
「オウム真理教の教祖麻原などをはじめ、新興宗教やヨガ・神秘主義、スピリチュアルの教祖たちには超常現象(自然科学の知見では説明できない現象のこと)を吹聴して信者を獲得しようとする者も多い。数十年前には不思議や奇跡を売りに人気者となったインドのサイババ(後にインチキが露見)が有名だが、いつの時代にもこのような人物が聖者と自称して活躍する。
オウム真理教の麻原などのようにことば巧みに信徒を誑かし、貴重な人生を堕獄の世界に変えてしまう邪悪な存在がいたのは事実。しかし、それはそのような教祖に問題はあるが、そのような教祖を求めてやまない神秘主義者がいるからでもある。オウム真理教の信者となって貴重な人生を棒に振った人々の中には、まじめでインテリと呼ばれる人も少なくなかった。ただ、『神秘主義』に惹かれ、教祖のマインドコントロールにはまってしまったのである。

オウム真理教ほどの邪悪さと残虐さはないものの、霊媒師にひかれたり、神秘主義にひかれて、現実離れした心の遊びに振り回され、スピリチュアルビジネス、ヨガビジネス、宗教ビジネスの餌食となる人は多い。そのような団体ではオウムのように、教団や団体への常識はずれた布施やドネーション(寄付)が行われ(巧みに自発的なかたちをとる)、印鑑や壺、不思議な水を売ったり、遠隔での祈祷をしたり、修行に段階をつけて高額の授業料を搾取している。」実態を紹介。

「マインドコントロールの怖さを知らなければならない。一度信じたら教祖の思うつぼ。現代に特別な聖者や覚者がいると信じる人の愚かさ(カリスマオタク)。普段から常識と良識を磨いておく必要があること」を述べ、「宗教にもある程度の布施や経済的支援は必要だが、世間の常識(通常会社員の日当は1万円~2万円)に収まるものであり、非常識な布施やドネーションを出させる(自主的に納めさせるようなシステム)教団や団体はどのように詭弁を弄してもまともな宗教ではない。宗教や信仰、スピリチュアルにも正邪があることを知らなければならない」と仏教の常識をお伝えしました。

《仏教では「人生を貴重な存在」と教えている》
当山の仏事の法話(住職)から。
仏教では「すべては縁起(さまざまな条件)によって成り立っているにすぎない」
「諸行は無常、あらゆるものは変化して止まない」
「自らの健康や環境などすべてはいつ変転するかわからない」
「人生に当たり前などということは一つもない」
「健康な人は健康が当たり前と思っているが、実はいつ健康を損ねてもおかしくない人が、たまたま健康であるに過ぎないというのが真実」
「目が見える、耳が聞こえる、手足が思うように動くということも当たり前ではない、いつ誰もが障害者となってもおかしくはない」
「私たちのからだは数え切れない細胞と神経のはたらき、それを統御する脳のはたらきなど、想像を絶するシステムが精妙にはたらいて維持されていることを識る」
と説かれていることをお伝えしています。

すなわち、「私たちの人生は日々奇跡の連続の上に成り立っている。当たり前なことは一つもない。そのように有ることが難しいこと(有り難う)が、今存在していることを知識し理解して感謝することが大切。」仏教では私たちを支え育んでいる存在を妙法と説き、妙法への感謝を教えているのです。

《不思議ですばらしい私たちの身体》
人体の細胞は60兆個。
人間の身体が動くメカニズムは、神経系と筋肉系の協力した働きによって実現されます。脳と脊髄からなる中枢神経系と末梢神経系中枢神経系は情報の処理や制御を行い、末梢神経系は身体の各部位と脳や脊髄をつなぐ役割を果たしています。

・どうして人間は動けるの、手足は動くの?
『学研キッズネット 科学なぜなぜ110番から』
人間の体を動かすために必要なものは骨と筋肉です。骨というと、棒のような形で両はじがふくらんでいる形のものを、よくまんがなどで見かけますが、うでや足の骨は本当にあのような形をしています。ふくらんでいるところは、関節です。ひざやひじなど、人間の体が動くところは全部この関節でできています。
この関節のふくらみにいろいろな筋肉がついて、そしてこの筋肉がのびたりちぢんだりすることで関節が動きます。関節が動くから体が動くといえるのです。
体中の関節は、すべてこれとおなじしくみで動いています。また、その筋肉ののびちぢみの運動は、脳からの命令によって行われます。脳はどこの筋肉をどのように動かすかという命令を一瞬のうちに出しているのです。人間が動けるのは、脳が命令しているからで、命令なしに勝手に筋肉だけが動くことはありません。を紹介。

《体を動かすメカニズム》
「生成AI『ビング(Bing)』・マイクロソフト」
『体を動かすメカニズムは、骨、筋肉、関節、神経、脳などが関係しています。骨は体の骨格を支える役割をします。筋肉は骨に付いていて、伸びたり縮んだりすることで骨を動かします。関節は骨と骨の間にあって、曲げたり伸ばしたりすることができるようにします。神経は脳からの指令を筋肉に伝えたり、体の感覚を脳に伝えたりする役割をします。脳は体の動きをコントロールする中枢です。自分の意志で動かしたいと思ったときや、反射的に動いたときも、脳が神経を通して筋肉に指令を出しています。体の動きは、脳から筋肉への指令という「運動神経」と、体から脳への感覚という「感覚神経」が連携して行われます。』も紹介。
すでにご承知の方も多いと思いますが、よく理解されていない方も居られると考えての解説でした。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年06月26日