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相武山 妙法寺 ブログ

春のお彼岸を奉修

3月14日、気象庁は東京の今年のサクラ(ソミヨシノ)の開花を発表。昨年より6日、平年よりも10日ほど早い開花で、1953年に統計を取り始めてから、2020年、2021年と並んで最も早いということでした。
ちなみに、東京のサクラの開花は1990年までの30年間の平年値では「3月29日」、2020年までの30年間の平年値では「3月24日」と、5日も早くなっています。これも温暖化の影響でしょうか。

横浜は東京よりも2~3日遅れで開花。18日の春のお彼岸の入りにはあちらこちらで開花が見られました。当山には本堂前と西側の雑木林に三本のサクラがありますが同様の開花でした。
お彼岸の前半は天気に恵まれ、参詣のご信徒には三分咲きから四分咲き程度の当山のサクラと、15年ほど前に植樹した境内の西に広がる追分市民の森のサクラの遠景を楽しんで頂きました。今年のお彼岸は19日からの前半が天気に恵まれ、後半からは雨天、曇天でした。

横浜はお彼岸まで温かい日が続いていたのですが、お彼岸の入りになる18日はあいにくの雨でした。当山では春秋の彼岸の入りには永代供養墓の樹木葬墓地と久遠廟で追善法要を営んでいます。しかしこのところ、なぜか雨天でのお参りが多いように思えます。当日は執事の興厳師が樹木葬墓地と久遠廟に参詣。お塔婆を建て香華を供えて法華経の要品読誦、南無妙法蓮華経のお題目を唱えて、埋葬の諸精霊に追善御回向を申し上げました。

今年の春の彼岸会(法要)は19日の日曜日と21日のお中日に執り行いました。コロナ禍のために参詣が少ない法要が続いていましたが、この3月13日にはマスクの着用も個人の判断となり、5月からは感染症も5類となるようで、昨年、一昨年に比べると参詣者も少し増えてきました。
法要は献膳、読経、焼香、唱題と如法に奉修。参詣者は厳かに読経がながれる中、お塔婆が建立されている精霊壇に進み、ご先祖、有縁精霊に追善のお焼香をささげました。

法要後の法話は「窪尼御前御返事」を拝読。
参詣者には事前に御書と現代語訳のプリントを配布済みですので、私の拝読を眼で追って頂きました。御書の内容は3月の宗祖の月例御講で丁寧に説明しましたので、此処ではそのポイントとお彼岸のいわれについての法話となりました。

お彼岸のいわれについては仏縁の長い方はすでにご存じのことですが、お寺には常に初信の方が居られるので、お彼岸の意義については折々にお伝えしています。お彼岸はそもそも仏道修行という意味です。私たち未熟で煩悩に覆われた凡夫の住む苦悩の絶え間ない世界を此岸(此の岸)として、仏さまの居られる清く安らかな世界を彼岸(彼の岸)と呼ぶところにそのゆえんがあります。両岸を隔てる川は激しく逆巻く煩悩の川であり、此の煩悩の川を渡ることを仏道修行に見立てているのです。

「彼岸」とは得がたい仏縁を結び、その教えに導かれて仏道に精進(四諦、八正道、六波羅蜜・・・)することを意味しているのですが、その修行は厳格で特別なものばかりでなく、「菩提寺への参詣、自宅仏壇の清掃、仏壇へのお供え、わずかな読経・唱題、先祖有縁精霊のお塔婆を建てる、墓所に詣でて清掃し香華を手向ける・・・」と、仏道にかなうささやかな行いはすべて煩悩の川をわたる善行となるのです。

法話では「彼岸」は仏教用語ながら、インドや中国では見られない日本仏教独自の行事であること。日本の仏教はインドの仏教思想を中国的に受容展開した中国仏教に、日本古来の自然崇拝や祖先信仰が融合したものであり、インドや中国などの仏教とは異なりがあることをお伝えしました。
続いて、拝読御書のポイントして、対告衆となる窪尼のご家族の絆とそのご信心。仏さまに砂の餅を戯れに供えたことが善縁となり、後に阿育大王として果報を得た徳勝童子の功徳。さらに、仏さまは法華経より生ずる「法前仏後」の教えから、法華経を受持して仏道を成就することが大切であることをお伝えしました。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年03月30日

忘れてはならぬこと

3月度の日曜法話会は3月12日の開催。
世相のテーマは「忘れてはならぬこと」、『東日本大震災から12年』でした。
はじめに「仏教は現実直視であり神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物、事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。大乗仏教の精華『法華経』では諸法は実相と説いている。起こる事象はすべて学びの対象である」ことから、法話会では世相を仏教の視点から述べていることを説明。

テーマを「忘れてはならぬこと」として、3月11日が東日本大震災から12年となることから、原子力発電所事故を中心に所見をお伝えしました。
誰もが知る概要ですが未曾有の大災害として「2011年(平成23年)3月11日14時46分頃、M9.0の東日本大震災が発生。東北地方から関東におよぶ12都道府県で地震と火災、大津波によって甚大な被害。死者行方不明者22,212名。社会、経済、生活に甚大な被害。深刻な原子力発電所事故が発生」を解説。

また、「大災害は自然災害と人的災害の両面におよんだ。人類は災害から多くのことを学んできた。復旧、復興の問題点も時間と倶に露わになったこと」も補足説明。
さらに、今年が仏教的には物故者の13回忌法要が営まれることから、連日、メディアではさまざまな視点(鎮魂の日、被災状況の記録と記憶、被災者の苦悩と心理、地域や社会、行政や経済、復旧と復興、自然災害か人的災害か、未来への展望・・・)からの報道を紹介しました。

今回の法話会のメインテーマとなる「原子力発電所事故」について、概要から現況まで限られた時間ではありましたがNHKなどの資料を参考に説明。
学ぶべきこととして「原発事故の深刻さを忘れてはならない。地球(宇宙)も一つの生命体。そのはたらきは人智を超えている。自然災害は享受せざるを得ないが人災は避けなければならない。近視眼的な解決ばかりに走らない。災禍を学びにする覚悟と智慧が大切。予想される災禍(首都直下型地震、東南海トラフ地震、富士山の噴火等々)に備えよう。」をお伝えしました。

二部の「仏教に親しむ」では春のお彼岸の前なので「お彼岸のいわれ」について。
お彼岸「春分・秋分を中日として,その前後おのおの3日にわたる1週間を〈お彼岸〉と称し,この期間に寺院では彼岸会という法会を行い,信者は寺に参詣し,説法を聴聞,また墓参などをする。このような習俗はインド,中国にもみられず日本にしかない。」を紹介。その歴史は「日本後紀」から大同元年(806)三月を初見とすることを説明。
お彼岸は仏道にふれて功徳を修めるときであることをお伝えしました。
今号では紙面の都合で簡略な報道となりました。
《詳細はウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年03月29日

樹木葬墓地のさくら

昨年、樹木葬墓地の奥に陽光桜の苗木を植えました。弟子の純興師に頂いたものですが、2月下旬にはつぼみがふくらんできたので開花を楽しみにしていたら、3月8日頃、ピンクの可愛らしい花が咲きました。お彼岸までもてばお参りの方々がきっと喜ばれるだろうなと思っていました。盛りは過ぎましたがお此岸の中日までは無事に咲いていてくれました。樹木葬墓地にやすんで居られる諸精霊もさぞ喜ばれていると思います。明年は樹勢もつよくなって、もう少し立派なかたちとなるでしょうから、やすまれている方々にも参詣の方々にも倶に喜んで頂けることを期待しています。

相武山 山主

2023年03月27日

一切皆苦の教え

2月の法話会「災禍を生きる」の二部「仏教に親しむ」では『一切皆苦 現実を認識する』について述べました。一部「世相に想う」では『災禍を生きる』とのテーマで2月6日に発生したトルコ・シリアの大地震を中心に、「人生ではさまざまな災禍に遭遇する」ことを解説。人生は現実をしっかりと認識して歩まねばならないことをお伝えしました。

はじめに仏教では「一切皆苦」が説かれていることを紹介。
釈尊の悟られた仏教の基本思想である「四法印」(諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静)を概説しました。法印とは仏教の旗印のことであり、仏教と称するためにはこの四つの真理が説かれていなければなりません。また、この四つの真理は個別に在るものではなく、相互に連関し合うものです。

すなわち、「諸行(あらゆる存在)は常に変化して止まないものであり、諸法(あらゆる存在)はさまざまな因縁がより集まって相を顕したものであって、存在そのものに不変の実態があるわけではない。あらゆる存在は無常であり、無我であることによって、思うようにはならない。そのために煩悩に覆われた凡夫は人生に苦悩を覚える。しかし、苦悩の源が煩悩にあることに気がつき、発心し志を立てて仏道を歩むならば、やがて煩悩を克服して静謐な涅槃の安らぎが得られる」という内容であることを解説。

人生において常に夢や希望を持つことは大切なことですが、人生と社会の現実をしっかりと見つめる時、真理に基づく「一切皆苦」という認識をもつことも大切であることを理解しなければなりません。仏教では生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦を加えて「四苦八苦」が説かれていることを説明しました。

大乗仏教の精華である法華経には「譬喩品第三」に
『三界に安きことなし。なお火宅のごとし。衆苦は充満して、はなはだ 怖畏すべし。常に生・老と病・死の憂患あり。かくのごとき等の火は、 熾然として息まず。如来はすでに三界の火宅を離れて、寂然として閑居し、林野に安処せり』
「随喜功徳品第十八」に
『世は皆、牢固ならざること、水沫泡焔のごとし。汝等、ことごとくまさに疾く厭離の心を生ずべし』と説かれていることを紹介。

日蓮聖人の言葉として
重須殿女房御返事」に
『抑、地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候』とあり、
「四条金吾殿御消息」に
『日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか。娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に、日蓮が命をとどめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか。神力品に云く「若於林中 若於園中 若山谷曠野 是中乃至而般涅槃」とは是れか』と述べられていることをお伝えしました。

むすびに「学ぶべきこと」として
『現実を認識することは人生をあゆむ智慧。現実を理解できないことが不安と恐れを生む。地球(宇宙)も一つの生命体、そのはたらきは人智を超えている。人生は災禍に遭遇することが多いと認識する。人生は一切皆苦、思うようにはならないということを識る。災禍と倶に生きなければならないのが人生と覚悟する。健康をはじめ、当たり前に存在するものなどは一つもない。すべての存在は有り難いと知り感謝の心で穏やかに人生をあゆむ。災禍を学びにする覚悟と智慧が大切。予想される災禍に備えはできているか?他者と倶に生きる菩薩道の実践(思いから具体的行動へ)を心がけよう』と所感をお伝えして2月度の法話会を終了しました。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください。》

相武山 山主

2023年03月26日

春のお彼岸と仏塔供養

弥生三月を迎えます。境内雑木林の河津桜が満開となって青空に映え、足下では蕗のとうが次々に顔を出しています。寒さも緩んでもう春の訪れです。コロナ禍の3年、世界中が大きな影響をうけ私たちも緊張の日々が続きましたが、ようやく感染が落ち着き、各種のイベントも再開されはじめました。今月13日からは我が国でも「マスクの着用は個々の判断」となります。もちろん油断はできませんが一つの転換点を迎えたようです。コロナ禍からも多くのことを学びました。思いも新たに次のステージに立ちたいものです。
日本の仏教では三月は春のお彼岸。この時季にはソメイヨシノの開花に世相は華やぎますが、心静かに故人をしのび、ご先祖有縁精霊に思いをいたし、自身をみつめる仏教徒もいます。すっかり日本の伝統行事、習俗となっている春秋のお彼岸ですが、実は仏教徒が修行をおさめて積んだ功徳を縁者に回向する大切な行事です。

彼岸とは文字どおり彼の岸のことであり仏教用語の一つです。語源はサンスクリット語(古代インド語)でパーラミター(波羅蜜多)のこと。パーラミターとは「完成する」、「成就する」などの意味がありますが、煩悩による苦悩にあえぐこの世界を此岸として、苦悩から解放された仏の世界に至ることを意味する言葉です。漢訳では「到彼岸」とされます。煩悩の世界である「此岸」から悟りの世界「彼岸」に到着するためには、川を渡る仏道修行が求められ、その修行がすなわちお彼岸のいわれです。
お彼岸は日本独自のものといわれ、その歴史は聖徳太子の飛鳥の時代までさかのぼるといわれています。平安時代には朝廷の年中行事となり、源氏物語や蜻蛉日記にも登場しています。
仏教信仰が薄くなってきた現代ですが、お彼岸には故人やご先祖の供養のために菩提寺に参詣したり、仏壇に供物を供えたり、お墓参りをする人は少なくありません。読経や唱題、供物をそなえること、香華をささげること、菩提寺や墓所に足を運ぶことなど、そのすべては広義において仏道の修行といえるでしょう。

《仏塔の供養》
当山では彼岸会に塔婆を建てて追善供養される方が多数居られます。故人や先祖の供養のためになるとの信仰から建立しておられるのですが、教学的にも法華経と仏塔はゆかりが深いものです。塔婆はインドのサンスクリット語の「ストゥーパ」の訳で仏塔を表しています。その原型といわれているのは、釈尊が入滅の地クシナガラで荼毘に付された後に遺骨を納めたストゥーパ(仏舎利塔)で、さまざまな形に変化しながら仏教を信奉するアジア各地に伝わりました。
仏塔は仏徳を賛嘆するために土や石や木でつくられ、インドではアショーカ王の石塔が有名ですが、中国や日本では三重塔や五重塔、多宝塔、宝篋印塔や五輪塔がつくられました。

中国ではストゥーパに「卒塔婆」という漢字があてられましたが、卒塔婆と塔婆に違いはありません。インドから中国、そして日本に伝来した卒塔婆は時代とともに少しずつ変化してシンプルになり簡素化が進みました。やがて、現在のように木の板に五輪(地・水・火・風・空)を刻むようになったのです。同時に仏徳賛嘆から故人や先祖への供養のためにも塔婆が建立されるようになりました。塔婆を建てて供養することが仏道の善行とされ、故人の命日や法事、春秋の彼岸やお盆などで建立されているのです。
大乗仏教では仏塔への信仰がよく説かれていますが、ことに法華経では方便品や神力品など数章にわたって説かれ、見宝塔品第十一には多宝如来の大宝塔が出現しています。法華経信仰者に塔婆供養の実践者が多いゆえんです。

《われはこれ塔建つるもの》
法華経の信仰者として著名な宮沢賢治は法華経の一文一句を人生の燈としました。彼が病の中で書いた『疾中より』という詩群には「手は熱く足はなゆれど われはこれ塔建つるもの 滑り来し時間の軸の をちこちに美ゆくも成りて 燦々と暗をてらせる その塔のすがたかしこし」という詩があります。「病気になって身体は衰えたが、自分は塔を建てる者だ。塔が光を放って闇を照らす姿は尊い」というのです。
もちろん、病魔に冒されているのですから、この詩群にはもだえ苦しむ賢治の正直な心中も吐露されていますが、哲学者で宮沢賢治の研究者である谷川徹三は「病臥中の詩は暗い気分が支配的なのに、これは例外中の例外の自己肯定の詩」と述べています。
前述したように法華経と仏塔信仰は深い関係性をもっていますが、この宮沢賢治の言葉からは「法華経の信仰者は塔を建てる者であれ」との生死を超えた法華信仰の志と情熱が伝わってきます。

生老病死の四苦をはじめ人生は苦悩に満ちているといっても過言ではありませんが、「すべてをあるがままに受容して自らの尊厳を求めて生きる」という法華経の教えは大きな光明となります。日蓮大聖人は信仰の篤い佐渡の檀越阿仏房に「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房・・・七宝を以てかざりたる宝塔なり」と述べたと伝わります。春のお彼岸、追善の仏塔を建立すると倶に自身も仏塔たらんとささやかな信行を磨きたいものです。

相武山 山主

2023年03月01日