相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

佳いお年をお迎えください

新年を迎える準備は家庭によっていろいろ違いはあるでしょうが、どのような家庭でも慌ただしいことでしょう。初春の参拝者をお迎えする寺社仏閣ならなおさらのこと。ささやかな存在とはいえ妙法院も同様です。今月の中旬から準備を始めましたが例年どおりバタバタの裡に新年を迎えそうです。

30日には新春の御宝前にお供えする重ね餅をつくりました。ここ数年、お重ねはお手製です。今年も元菓子職人の小原さんと興厳房の合作。前夜にうるかしたもち米を餅つき器でついてお重ねにします。小原さんの手際の良さに感心しているうちに無事型におさめることができました。

続いて令和5年新春の参詣者に振る舞うお屠蘇と昆布を容器と袋に詰めました。昨年、一昨年同様にコロナ禍対策のためです。お屠蘇と昆布を差し上げて近況をうかがうのが初参詣の楽しみの一つですが、コロナ禍のためにままなりません。お屠蘇の容器つめと昆布の袋入れには阿部さんと小原さんにご協力頂きました。

玄関両側で初春を参詣者を迎える門松は今年も興厳房と私、阿部さんの合作です。青竹は昨年から仕入れ先が代わり落ち着きませんが、心を込めてお飾りしましたので参詣の皆さまに喜んで頂けるものと存じます。

あと数時間で新年を迎えます。
今年も一年間檀信徒の皆さまにはもちろんのこと、有縁無縁の一切の方々にお世話になりました。深く御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
皆さまどうぞ佳いお年をお迎えください。

相武山 山主

2022年12月31日

歳末の大掃除

12月25日は今年最後の日曜日。今年は豪雪の予想。歳末を前に日本海側の雪国はもちろんのこと、西国の九州や四国、中国地方や関西からも降雪の報道です。まだ初冬なのに各地で雪害の大渋滞や事故も報じられています。翻って私たちの生活する関東は連日の青空が広がり、25日も大掃除日和でした。雪国で暮らす方々には申し訳ないほどの天候で有り難い限りです。

大掃除は午前10時からの予定でしたが少し早めの9時半頃から自然に始まりました。
境内と参道の大掃除はまずバス通りから当山までの道路の清掃。木々の落葉がすすんで枯れ葉の片付けは軽いものでしたが、排水溝にたまったゴミすくいがいつものように大変でした。境内の三師塔裏手の銀杏も葉が少し前に落ちきっていたので軽い掃除です。
玄関から受付前のロビー、そして男女のトイレ等は御会式の前に一度丁寧に行っていましたが、新年を迎えるため、念入りに。本堂はガラス拭きがメインの清掃でした。朝方、少し寒い感じでしたが、陽が照る中で身体を動かしていると汗ばんできます。

11時半頃には清掃が終了。時間に余裕があったので参加者の皆さんとお正月に参詣されるご信徒のお供物を準備。「令和5年年中行事予定表、1月~2月行事予定表、御聖訓カレンダー、不染ファイル、妙風新聞、恵日、令和5年度年回表」をみんなで紙袋におさめました。
その後、客殿で茶菓を頂きながら久しぶりの世話人会を開催。12月度の活動を報告して1月度の予定を確認しました。明年度からはコロナ禍に振り回されることなく、適切に法華講の活動を展開して行くことを申し合わせました。

歳末何かと多忙の中、参加ご協力頂いた「小原さん、久保さん、森さん、芦川さん(3)、奥田さん、辻本さん、新倉さん(2)、重吉さん、安西さん、高橋さん、熊木さん、阿部さん 」の皆さん有り難うございました。お陰様で清潔な境内と堂宇で新年を迎えることができます。

相武山 山主

2022年12月30日

令和4年おさめの御講

12月の日蓮大聖人御報恩講は11日(日)と13日(火)の両日に奉修。12月は年の納めですから「おさめ御講」とよばれています。日蓮門下にとって13日の宗祖御講は宗祖滅後以来、月例の中心となる行事です。ご信心を大切に思われる方が現在まで参詣を心がけて居られる姿は有り難い限りです。
おさめ御講は10年ほど前から午前中に法要を執り行い、その後、30名~40名ほどの御信徒と歳末懇親会を開いていましたが、ここ3年、コロナ禍のために開くことができませんでした。来年こそはコロナ禍も収まり無事に開催できることを願っています。

おさめ御講では下種三宝尊への献膳、読経、献香、唱題と如法に執り行い、参詣者の皆さまと倶に宗祖に御報恩の誠をささげました。
法要後の法話では『守護国家論』
「問うて云く、法華経修行の者何れの浄土を期すべきや。
答へて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く『我常在此娑婆世界』。亦云く『我常住於此』。亦云く『我此土安穏』文。
此の文の如くんば本地久成の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨てて何れの土を願ふべきや。故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思ふべし。何ぞ煩はしく他処を求めんや。」
を拝読。

仏教でもさまざまな極楽や地獄の世界が説かれます。また、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教など世界の宗教でも天国と地獄の世界が説かれ二元対立の様相が語られます。しかし、守護国家論にご教示のように法華経ではこの法華修行の娑婆世界を離れて浄土・仏国土を求めないと教えています。

続いて重須殿女房御返事
「抑 地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。さもやをぼへ候事は、我等が心の内に父をあなづり、母ををろかにする人は、地獄其の人の心の内に候。
譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし。仏と申す事も我等の心の内にをはします。譬へば石の中に火あり、珠の中に財のあるがごとし。我等凡夫はまつげ(睫)のちかきと虚空のとをきとは見候事なし。我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ」を引いて、法華経の教えの核心をお伝えしました。

娑婆の世界は六道輪廻の世界として嫌われたり、思うようにならぬつまらない世界と観られたり、事故や災難、争乱がはびこる世界とされることは事実。具体的には身近で発生した交通事故の現実を解説しました。
娑婆を嫌う浄土思想では「厭離穢土 欣求浄土」が説かれますが、その理由にも一理はありますが、その対極にあるのが法華経の「娑婆即寂光」「娑婆世界こそ菩薩道実践の舞台」という思想。

一生成仏抄には
「然る間仏の名を唱へ、経巻をよみ、華をちらし、香をひねるまでも、皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり。之れに依りて浄名経の中には諸仏の解脱を衆生の心行に求めば、衆生即菩提なり生死即涅槃なりと明かせり。
また衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此の如し。迷ふ時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり」と説かれています。

娑婆世界が思うにまかせぬ世界で在ることを覚悟しながら、仏道の根本たる南無妙法蓮華経のお題目を唱えて、人生をしっかりと歩むことの大切さを述べておさめ御講の法話といたしました。
(詳細は相武山だより「不染」からウエブ動画を参照ください)
相武山 山主

2022年12月28日

大河ドラマ「鎌倉殿・・・」を散策

12月3日(土)、恒例となりました「鎌倉歴史散策の会」を開催。例年どおり鎌倉の歴史と文化などに造詣の深い酒井俊克さんのご案内です。今年はNHKの大河ドラマが「鎌倉殿の十三人」。時代は鎌倉幕府草創の頃。武家の政治を興した源頼朝と板東武者の活躍、北条義時と有力御家人との相克がおもしろく演出されています。
今年の鎌倉歴史散策は佐助地域を中心に草創期に活躍した群像に親しむようなコンパクトなコースでした。

初冬の青空に恵まれた参加者は定刻の9:30、鎌倉駅西口の時計台前に集合。参加者は案内役の酒井さんを含めて11名。まずは鎌倉駅西側のホテルニューカマクラ。築80年というホテルは格式を感じさせ、芥川龍之介と岡本かの子にまつわる話をうかがいました。そのまま佐助方面に進んで、刀匠正宗ゆかりの工房前では正宗の伝説を解説頂き、鎌倉三大洋館の一つとして有名な古賀邸の前を通過。正宗の井戸を見学して鎌倉歴史文化交流館へ。

交流館入り口では安達盛長と無量寿院の旧跡の解説。安達盛長は源頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島の流人だった頃から頼朝の側近として活躍した武将で鎌倉殿の十三人の一人。盛長は保元年(1135)に誕生。頼朝より12歳、北条義時より28歳年長といわれています。
安達盛長の説明を受けた後、今回の散策のポイントの一つ鎌倉歴史文化交流館へ入館。

交流館のホームページには
「世界的に著名な建築家ノーマン・フォスター氏の設計事務所(フォスター+パートナーズ)が手がけた個人住宅をリノベーションした博物館。鎌倉で発掘された出土品をメインに、原始・古代から近現代に至る鎌倉の歴史を紹介しています。ジオラマ・プロジェクションマッピングやVRをはじめとする最新の映像展示、随所に施された特殊な建築資材、中世の景観を彷彿とさせる庭園、高台からの海の眺望も見どころです。」
と案内がありました。

さらに、「令和4年(2022年)10 月24日(月曜日)から令和5年(2023年)3月11日(土曜日)まで企画展北条氏展vol.4「北条義時の子どもたち―中世都市鎌倉の黎明―」を開催」というベストタイミングでした。
私たちは開館を待つようなタイミングで入館しましたので、混雑することもなくゆっくりと展示を楽しみ、鎌倉の歴史と文化を学ぶ佳い機会となりました。関心のある方は3月11日まで企画展が開かれていますので足を運ばれてはいかがでしょうか。
落ち着いた庭には紅葉もよく映えていました。

その後、趣のある旧佐助隧道を抜けて北条経時の創建といわれる旧蓮華寺の案内石碑の説明をうけました。そのまま新佐助隧道から高徳院方面へ。鎌倉大仏で有名な高徳院ではコロナ禍の自粛も解除され、多数の外国人をふくめた観光客でにぎわっていました。

高徳院からは長谷の甘縄神社へ。この神社は710年行基(和銅3年)が草創し、豪族の染屋時忠が建立したといわれ、鎌倉最古の神社ともいわれています。その歴史から源氏と関係が深く、源頼義がここで祈願をして源義家が生まれたと伝えられ、源義家や源頼朝が社殿を修復し、北条政子や源実朝も参拝したと伝えられています。また、この地は安達盛長の旧跡とも伝えられています。
境内には、北条時宗の産湯といわれる「北条時宗公産湯の井」があり、神社の手前には文豪川端康成の邸宅がありました。

甘縄からは鎌倉文学館の前を通り由比ヶ浜の北側を和田塚方面に向かいました。笹目の交差点にある寸松堂は寺院建築と城郭建築を合体させたような建物で、建築当初から笹目町・長谷界隈のランドマークとなっているということです。寸松堂の裏手には「塔ノ辻の石碑」があり、塔の辻と旧東海道の解説をうかがいました。

そのまま、小道を南に進むと和田塚駅の西側で江ノ電に遭遇。江ノ電は鎌倉市民にとても親しまれていますが、それもそのはず江ノ電は住宅のすぐ側を走り、窓から手を出せばとどくような存在なのです。昔ながらのローカル電車といった風情の江ノ電はそのスタイルからして昭和のまま。駅舎も現代化を忘れているような感じです。それが人気なのか内外からの人気が高く、およそ1200万人が定期外の観光などの乗客といわれています。

私たちは狭い道から和田塚駅の西側の無人踏切を渡り和田塚へ。ここは北条執権家と争って一族が滅亡した和田の乱終焉の地です。執権・北条義時打倒を謀った泉親衡の乱に一族が関与したのをきっかけに、三浦一門の有力御家人・和田義盛は北条義時と対立。建暦3年(1213)5月2日~3日に和田の乱を起こしましたが、2日間の激戦の果てに由比ヶ浜で一族は滅亡。

和田塚はその戦乱の旧跡。道路より一段上った境内には和田一族を供養する石碑や五輪塔が並び題目板碑もありました。今年の大河ドラマで和田の義盛は存在感のある役回りでしたが、ひと時、鎌倉の争乱の歴史を偲びました。

和田塚駅の東側をわたって六地蔵の交差点から今小路を進み、スタート地点であった鎌倉駅西口へ向かいます。途中、佐助川にかかる小さな橋を渡りました。裁許橋です。鎌倉時代、この橋の近くには問注所があり、そこでの裁判の結果、無罪放免となった者が渡った橋であることからこの名があるということでした。

裁許橋を渡ると左手に格調の高い門が現れました。鎌倉市立御成小学校です。昭和6年8月に鎌倉御用邸が廃止され、その敷地が現在の鎌倉市に払い下げられ、小学校が建てられたということです。
正門の御成門にかけられている校名は高浜虚子の筆といわれ、正門前にはかつて鎌倉時代に問注所が建っていた事を示す石碑が建っています。また、学校の敷地ほぼ全域が鎌倉郡の郡衙跡(今小路西遺跡)であると推定されており、敷地内では度々考古学調査が行われているようです。
ここで今年の散策コースも終了。

今年は例年のように高低差のある散策ではなく、フラットなコースでほとんど疲労感もありませんでした。それでも参加した久保さんのスマホによれば12,000歩の散策だったそうです。最後に参加者一同、ご案内頂いた酒井さんに御礼を申し上げて散会となりました。

相武山 山主

2022年12月27日

続、察知する力と精神力を養う

11月度の日曜法話会では察知する力と精神力を養うことの大切さを述べ、「仏教に親しむ」では諸法の実相を如実に知見する大乗仏教の智慧と精神力を涵養する修行と修学について解説しました。
大乗仏教では「諸法の実相を正しく観る」ことが説かれていることを紹介。
諸法の実相とは「あらゆる事物・現象がそのまま真実の姿であるということ」(デジタル大辞泉)であり、「この現実の世界の存在の真の姿、また、すべての存在に普遍的に存する時間や空間を超越した絶対的真実。その解釈は宗派などによって諸説がある」(ブリタニカ国際大百科事典)
から、世相そのものが真実の相であり、世相の奥に存在する絶対的真理を観想することの大切さを説明。

諸法実相については『日本大百科全書』の解説から。
「『般若経』『法華経』などに現れる思想の一つ。サンスクリット語のダルマターdharmatāなどの漢訳語。現象としてのあらゆる存在の背後にある、ありのままの真実のすがた。またすべての存在の真実究極のすがた。
この思想は大乗仏教思想に一貫して流れ、現象の背後にある真実の相を把握しなければ、人間としての真の生きがいを体得することはできないという。また、現象としての存在、および心作用に執着することなく、実体として見ないという立場(空観)によって、諸法実相が顕現するとされる。
中国天台宗以後、この訳語をもとに、「諸法は実相なり」と読解されることがしばしば行われた。この意味は、「現象としての存在は、そのまま真実在の現れであり、真実の相である」ということである。その後、この「諸法実相」の語は、中国・日本仏教の各宗において、種々の意義をもつものとして解され、その意義はかならずしも一定していない。」
を紹介。

続いて「法華経方便品第二」に説かれる諸法実相について。
「仏の成就せる所は、第一の希有なる難解の法にして、ただ仏と仏とのみ、すなわちよく諸法の実相を究尽したまえり。いわゆる諸法の、かくのごときの相と、かくのごときの性と、かくのごときの体と、かくのごときの力と、かくのごときの作と、かくのごときの因と、かくのごときの縁と、かくのごときの果と、かくのごときの報と、かくのごときの本末究竟等となり」を紹介。
現代語訳として、
「仏が得た法とは、それ以外には全く存在しない法であり、理解することがきわめて困難で、ただ仏と仏だけが、この諸法の真実の姿をよく存知されるからである。
いわゆる、十のありかたで言えば、多くの法はどのような姿であるか、どのような性質であるか、どのような本質をもっているか、どのような能力をもっているか、どのような作用をもっているか、どのような直接的な原因があるのか、どのような間接的な条件があるのか、どのような結果が生ずるのか、どのような果報がもたらされるのか、第一の相から第九の報までが、どのように関連して、平等であるのか、ということである」と。

鳩摩羅什の翻訳については、
「十如是」が梵本(サンスクリット原本)では「仏だけが仏の身につけている法を知っている」として五つの間接疑問文「それらの法は何であるのか、それらの法はどのようなものか、それらの法はどのような様態か、それらの法はどのような特徴があるか、どのような本質があるか、これらの法について、如来だけが覚知でき、明瞭に知る」であるが、
妙法蓮華経を翻訳した鳩摩羅什は「法をより明確にするため」に、竜樹菩薩の大智度論を参考として十如是としたことを解説。

中国仏教では天台大師智顗が一念三千論・三諦円融論として解釈されました。
一念三千の法門とは
「一瞬の心に三千世間を備えること。諸法は十法界(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚会、菩薩界、仏界)。十法界の一々に他の九界を備えているので百法界。百の法界が各の十如是を備えているので千如是。十の法界の存在は「五陰・衆生・国土」の三世間が必要となるので三千世間となる」。天台大師は諸法の中から自己自身の一瞬の心に的を絞ってその真実の様相を三千世間として解明されたことを説明。

三諦円融論とは
「空諦とは諸法は有ではなく固定的実態がないという真理。仮諦とは固定的実態はないが、諸法は諸原因・条件に依存して仮の存在として成立しているという真理。中諦とは諸法は空と仮のどちらか一方に偏せず、両者を正しく統合したものであるという真理。三つの真理は渾然一体として融合していると観る」思想であることを説明。

結びに日蓮大聖人の教え。
日蓮大聖人は法華経と天台大師の教理の上から、南無妙法蓮華経のお題目に一念三千の法門を包んで末法の荒凡夫に授与されました。日蓮の門弟は「身・口・意の三業」に南無妙法蓮華経のお題目を唱えて諸法の実相を感得し、限りある人生であることを自覚して法華経の世界に生きることの大切さをお伝えしました。

今年の法話会は11月13日で終了です。一年間、参加ご聴聞頂いた皆さまには厚く御礼を申し上げます。明年も引き続き日曜法話会を開催する予定です。皆さまのご参加をお待ちしています。
1月は15日(日)に開催予定です。

相武山 山主

2022年12月26日

苦悩の源は三毒にあり

令和4年(2022)も早師走。12月は一年の最後の月であることから、極月、窮月などとも呼ばれているとおり、どうしても忙しさに追われてしまいます。それでも新年を前にして少し立ち止まってこの一年を振り返る方も多いことでしょう。

どのような年でも特筆される出来事が幾つかは起こるものですが、歴史に刻まれる年というのは特別。令和4年(2022)は二つの事件から歴史に刻まれる年といえるのではないかと思います。その二つとは「ロシア軍のウクライナ侵攻」と「安倍元首相の暗殺と旧統一教会問題」です。仏教的には二つの事件は倶に「貪欲・瞋恚・愚痴」の三毒から生じたものと観ます。古今東西、戦争は権力者の野望と愚かさから起こり、悲惨な結果をもたらします。その権力者の野望と愚かさの源には「貪・瞋・痴」の存在があります。これは戦争ばかりではありません。すべての争いと事件は三毒が盛んになり顕現したものなのです。

《ロシア軍のウクライナ侵攻》
ロシア軍のウクライナ侵攻は既に9ヶ月を経過。双方に甚大な被害を出しながら今に悲惨な戦争は止むことがありません。今回の軍事侵攻はプーチン大統領の野望によるものとは衆目の一致するところ。彼の持つロシア帝国としての歪んだ歴史観(貪欲)、権威と権力による支配という反民主主義的価値観(愚痴)、西側諸国からの疎外感と被害者意識(瞋恚)、それらが複雑に絡み合っての侵攻だと思います。

8年前にクリミヤ半島を強奪されたウクライナは、かねてロシア軍の再侵攻を警戒していましたが、軍事力の差は歴然。侵攻直後は首都近郊まで攻め込まれました。その後の戦況は報道のとおり、欧米諸国や日本などの民主主義国家の強力な支援をうけ、ウクライナ国民がゼレンスキー大統領のもとに団結し、「身命を賭して祖国を守る」との気概でロシア軍を押し戻しています。
心ある人々と倶にウクライナに平和がもたらされることを祈りたいと思います。

《安倍元首相の暗殺と旧統一教会問題》
7月8日、安倍元首相が奈良市で暗殺されました。事件は未だ真相究明中です。しかし、山上容疑者が犯行動機として「母親が宗教法人『世界平和統一家庭連合』(旧統一教会)に入って生活が苦しくなったことでこの宗教法人を恨む気持ちがあり、安倍元首相がこの宗教法人とつながりがあると思って狙った」と供述。暗殺事件の原因に旧統一教会問題が深く影響していることは明らかです。

選挙などを通じて政治家と宗教団体との不適切な関係などの問題が折にふれて取り上げられますが、政治と宗教の問題の歴史は古く、また、その問題も多岐にわたります。そのような難しい議論は一旦置いて、ここでは深刻な社会問題である「旧統一教会問題」について皆なで考えなければなりません。というのも元首相の暗殺にかかわる事件であり、多くの被害者が名乗りを上げて救済と解決を求めているからです。国民注視の問題として国会でも議論がなされていますが、速やかに被害者を救済して再発防止の対策を講じるべきだと思います。

この教団の霊感商法や高額献金、合同結婚式や養子縁組問題、家庭の破壊や社会生活の毀損などは、かなり以前から社会問題化していましたが今回の事件で大きくクローズアップされました。
宗教と信仰は他者の干渉を許さない基本的な個人の権利です。しかし、オウム真理教を例に出すまでもなく、宗教や信仰、スピリチュアルやヨガなどの世界ではその教えや活動に問題が指摘されている教団・集団も少なくはありません。単純に教えの内容や正邪を論じることはできませんが、その実態などから非道と反社会性があるものは是正されるべきであり、被害者がいるとすれば救済されねばなりません。

旧統一教会の実態は「高額献金の強制など、金員への異常な執着と貪り(貪欲)、旧統治国日本への瞋恚(いかり)、霊感などの愚かな教義(愚痴)」が存在。まさに宗教の名を借りた収奪教団といえるでしょう。しかし、教団のマインドコントロール下にある信徒にはその実態が理解できません。残念なことであり悲しいことです。宗教や信仰にも正邪があることを強くうったえたいと思います。

仏教では個人から社会まで、苦悩と争乱の源には「貪りと瞋恚と愚痴」という三毒が存在していると説かれています。その主張は前述のロシア軍のウクライナ侵攻や旧統一教会問題にも的を射たものとなっています。
法華経普賢菩薩勧発品第二十八には「もしこの法華経を受持し、読誦し、正憶念し、修習し、書写することあらん者は、まさに知るべし、-略- この人は、三毒に悩まされじ。」と説かれています。日蓮大聖人は大乗仏教の根本を法華経に見いだされ、その魂魄は南無妙法蓮華経のお題目とご教示です。日蓮の門弟は朝夕南無妙法蓮華経の唱題に励んで、自身に具わる三毒を自覚し、冒されぬように自戒しなければなりません。また、ご縁のある方々に苦悩の源が三毒に有ることを語り伝える使命があると思うのです。

相武山 山主

2022年12月01日