相武山 妙法院のブログ

相武山 妙法院のブログです。

相武山 妙法院

  • HOME
  • 相武山 妙法院
  • お知らせ&行事案内
  • 道の心得
  • 法話会
  • 墓苑・永代供養墓
  • 自然に親しむ
  • 交通のご案内
  • ブログ
  • サイトマップ

045-442-7688

  • ご相談について

〒241-0806 横浜市旭区下川井町1590-1

相武山 妙法寺 ブログ

日蓮大聖人御大会(下)

晩秋ながらすばらしい青空が広がる11月27(日)午後2時より御正当法要を執り行いました。法要には檀信徒約40名が参詣。コロナ禍の前に比すれば半分にも及ばない参詣者ですが、仏道修行の有り様がその時代の影響を受けることはやむを得ないこと。専ら常勤といわれる仏道においても「できることをできる範囲で・・・」であっても、御仏からのお叱りはないと思います。コロナ禍によっての変化としては、参詣は控えても御本尊様に御供養をお届けになる御信徒も少なくなく、また、時間差でご家族だけで参詣する方も居られました。皆さまのご信心に敬意を表するばかりです。大聖人さまも御照覧のことでしょう。

法要の前には大聖人さまの滅不滅・常住此説法を寿ぎ「おめでとうございます」との挨拶が参詣者同士で交わされ、受付では昨年の参詣のおりにお花くずしで頂いた桜の花を持参される方も見受けられました。息子さんの送迎を得て久しぶりに参詣できたことを喜ばれる高齢ご夫婦の様子も印象的でした。参詣者それぞれが信仰を大切にしてお参りされていることがわかります。

開式の10分ほど前、司会進行の阿部一博さんが「諸注意と御会式の意義について」を読み上げました。読了後、「ただ今より令和4年度日蓮大聖人御会式御正当法要を奉修いたします」と開式を宣言。執事の唱導にて唱題が開始。参詣者唱題の裡に下種三宝尊への献膳が行われました。法華経要品読誦、献香、自我偈の前で磬が打たれ、執事が日有上人申状を奉読。続いて住職が立正安国論を奉読。自我偈は御逮夜法要と同じく訓読で読誦されました。

法要後は住職の挨拶と法話。
法話では宗祖を末法下種の法主と拝する日興門流の信仰から御会式の意義を略述。続いて「大乗の仏教の精華である法華経では現実生活の大切さが説かれていること。南無妙法蓮華経は末法の荒凡夫の仏種であること。お題目を唱えながら自らの人生を豊かに切り拓いてゆくことが大切。令和4年は国の内外に大きな争乱と問題が提起されたが、その原因は貪・瞋・痴の三毒に因ること。宗教や信仰にも正邪があることを知らねばならない。私たちは日蓮の門弟としてまじめに仏道精進しよう。」と述べました。
(詳細は相武山だより「不染」からウエブ動画を参照ください)

法話の後には唱題の裡にお花くずし。世話人有志によって御宝前荘厳のお花がくずされました。桜の花とお供物は帰路につく参詣者に振る舞われ、世話人有志が後片付けをして御正当法要は無事に終了しました。

相武山 山主

 

2022年11月30日

日蓮大聖人御大会(上)

末法の法華経の行者日蓮大聖人は弘安5年(1282年)10月13日、武州池上(現在の東京都大田区池上)の地で御入滅。日蓮門下の寺院では御報恩のために毎秋法要が営まれます。その法要は古来御会式もしくは御大会と呼ばれてきました。江戸の時代から池上本門寺の御会式が有名ですが、宗祖ご入滅以来門下僧俗は御会式を奉修して大聖人様に報恩感謝のまことをささげ、その教えを確認にして一層の仏道精進を誓願しています。

3年にわたるコロナ禍では、個人や家庭、経済活動や社会活動など、生活のすべてに種々の制約を受けることとなりました。寺院の活動も同様で、思うような啓蒙も啓発もできず、信仰の停滞を感じるほどです。ことに現実世界と正面から向き合い、人間としての諸活動をとおして、仏道の真意をくみ取ろうとする法華経の信仰では少々難儀を覚えます。
それでもこの3年間、日蓮大聖人との仏縁を大切にされる当山檀信徒の皆さまには、さまざまに工夫をされて信行を深められている姿があり、仏法の護持のためにうれしく思っています。

今年の御会式もコロナ禍第8波のうねりがみられる中での奉修となりましたが、恒例のお花つくりもつぼみや花、葉っぱなどは各家庭で作って頂き、感染防止の手立てを講じて作り上げました。御宝前のお重ねと竿餅などのお餅は24日(木)に小原さんと興厳房が手作り。みかんや柿、リンゴなどは同日横浜橋商店街で求めたものです。ゆずは昨年同様、徳島の道中様の提供で見事なものでした。

御宝前のお飾りは26日(土)午後1時から。御宝前前机の両側に設えた飾り台に講中有志の方々と一緒に飾りつけを行いました。お飾りは飾り台の上に胴藁を置き、その周囲に竿餅と金銀の飾り棒を胴巻きで固定。その上にゆず、みかん、柿を回し、さらに手餅、三角餅、あられ餅を飾りました。飾り付け台が調ったところで胴藁の上部に桜の花を飾ります。仕上げは杉の葉とシキミをさし、飾り台の下部に三角半紙を巻いて完成。約1時間ほどかけてゆっくり丁寧に荘厳申し上げました。
お飾りの後、参加者は客殿で小憩。茶菓を頂きながらしばしの談笑です。

《御逮夜法要》
26日(土)午後3時からは御逮夜法要。天気予報では朝から雨という予想でしたが、どんよりした空模様ながら幸いにも雨が降ることはなく約20名ほどの御信徒が参詣。御逮夜法要は荘厳された御宝前を拝見しながら定刻に開始。

大聖人さまへの御報恩をこめて、法華経要品読誦、献香と続き、自我偈の前で磬が打たれ、執事の興厳房が日有上人の申状を奉読。続いて住職が立正安国論を奉読。自我偈の読経は厳かに訓読で執り行いました。仏法の根本である南無妙法蓮華経の唱題をおつとめして報恩謝徳を申し上げました。
法要後は住職が挨拶。御会式の意義にふれながら、コロナ禍であっても大聖人さまの門弟らしく倶どもに信行に精進しようと述べました。
法話は執事の興厳房。
興厳房は御会式の意義についてのポイントを語り、続いて「仏教ではさまざまな化義や行儀・作法が用いられるが、そのすべてが仏教の教えを表現しているものなので大切にして頂きたい」と法話。続いて御宝前の荘厳のいわれについて。須弥山を中心とした仏教の世界観を表現したものであることを丁寧に解説しました。
興厳房の法話をもって御逮夜法要は無事に終了。

相武山 山主

2022年11月30日

七五三祝い参り

今年も七五三祝い参りに幼子二人がご家族と参詣されました。七五三参りは日本の風習ですが、そのいわれは幼子が無事に成長することが難しかったことによります。七五三参りは七五三祝い参りともいわれるように、三歳、五歳、七歳まで無事に成育したことを祝福する行事です。
現代のように栄養や医療に恵まれ、自然災害などにもある程度対応できるような時代とは異なり、昔は幼子が無事健やかに成長することは難しいことでした。子どもの成長が難しかった時代には節目を設けて仏神にこれまでの成長を感謝し、これからも無事の成長を祈念することは大切なことだったのです。

信仰にご縁のない家庭では寺社に詣でることもなく、写真を撮ったり、食事をしたりして記念とする世相のようですが、日蓮大聖人とご縁のある人々が、幼子が無事に成長することは当たり前なことではないと考えて、仏さまに祈りをささげることは実に貴いことだと思います。
今年は石井陽君(5才)と内堀眞那ちゃん(7才)がご家族で当山の御本尊様にお参りされました。ご家族皆さまと要品を読誦、お題目を唱えて、ご加護に感謝を申し上げ、健やかな成長を祈念した次第です。お参りの後、御宝前にお供えの飴を陽君と眞那ちゃんに贈り、ご家族の皆さまと写真を撮って記念としました。
陽君、眞那ちゃん、おめでとうございました。

相武山 山主

2022年11月29日

かぶ御講

11月15日は第三祖日目上人の祥月の御命日忌。当山では13日の日曜日、午後1時から法要を執り行いました。日興門流において日目上人会は「目師会」とも「かぶ御講」とも呼ばれて親しまれています。午前の日曜法話会から引き続いて参詣の方々など約20名の御信徒が参列。倶に法華経要品を読誦し南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして御報恩を申し上げました。

法要後には私が日目上人の御生涯を略述しての法話。
その内容は「伊豆の国でのご誕生、南条家とのゆかり、日興上人との出会いから入門、身延山での宗祖へのお給仕、日興上人と倶に身延御離山、富士大石寺での法燈護持、日興上人との絆、奥州への法華弘通、立正安国の精神で度々の国家諫暁、宗開両祖の教えを護持された御生涯。」でした。

法話の後には参詣者全員で御会式のお花つくり。すでに用意されたつぼみ、さくら花、葉っぱを竹ひごにマスキングテープで巻いてゆきます。参加者が多かったため1時間半ほどの時間でほぼ完成。これで御会式荘厳のさくら花も用意ができました。
皆さまありがとうございました。

相武山 山主

2022年11月29日

察知力と精神力を養う(上)

11月13日(日)は今年最後の日曜法話会。
今月の法話会のテーマは「世相に学ぶ《察知力と精神力を養う》」でした。
第1部の表題と今月のテーマが重なってしまいましたが、お伝えしたいことは世相にふれながら「察知力と精神力を養う」ということ。

はじめに「人生はそのすべてが学び」であることを述べ、「大乗仏教では現世を修行と修学の世界と観る。現実世界のさまざまな存在と事象は学びの対象。対極の存在に意味があることを理解する(成功と失敗、苦悩と歓喜、正解と誤解、遇と不遇、青春と老後、健康と病気、出会いと別れ、・・・・・)。」について解説。
「自分の人生のすべてが学び」と認識できることが、人生の終焉まで満足と喜びをもたらす要諦であることをお伝えしました。

「察知力と精神力を養う」をテーマとしたのは、最近起きた3つの世相から、危険を察知する力を涵養(自然にしみこむように養成すること)することと、事態を超克(困難や苦しみにうちかち、それを乗りこえること)する精神力が人生においては欠かせないことを実感したからです。3つの世相とは「①ロシア軍のウクライナ侵攻。②韓国圧死事故。③悲惨な投資詐欺事件。」です。

《ロシア軍のウクライナ侵攻》
2022年2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻して約9ヶ月。ウクライナの国民は戦火の苦悩にあえいでいます。すべてのウクライナ国民が戦争の犠牲者であり、ウクライナとロシア双方の死傷者はそれぞれ10万人以上といわれています。11月11日、ウクライナ軍が占領されていたヘルソンを奪還しましたが、一日も早い戦争の終結を世界中の平和を願う人々が祈っています。

2014年、ロシア軍がクリミヤ半島を占領した当時からロシア軍の再侵略を察知していたウクライナ国民も少なくはありませんでした。昨秋からは欧米諸国がロシア軍のウクライナ侵攻を予想していました。ウクライナの国防関係者が再侵攻を察知していたからこそ、ロシア軍の侵攻をしのぎ、西側諸国の援軍を得て侵略を最小限度にとどめていると思われます。
また、侵攻後のウクライナ国民の意識と精神力は極めて高く強靱です。徹底抗戦をうったえるゼレンスキー大統領の主張「停戦してもさらに侵略される。ロシアとの約束は信用できない。支配され隷属されて生きるよりも主権と自由を断固として守る」に賛同して、ロシア軍と戦うウクライナ国民。そこには否応なく鍛えられた精神力の発揮をみることができます。

《韓国梨泰院圧死事故》
10月29日の夜、韓国ソウルの梨泰院で、日本人2人を含む156人が圧死するという大きな事故が発生。ハロウィンを楽しむ人々が梨泰院に繰り出し、あまりの群衆に身動きができなくなり、群衆雪崩が起きて多数の圧死者が出たという事件です。事故の原因は究明中。街の作りや建物・道路の配置、警備状況や群衆の集中など、さまざまに事故が発生する要素が重なったといわれています。
この事件からも察知する力の大切さがわかります。それは事故の発生を予想できた人とできなかった人がいるからです。もとより危険な場所として近づかない人も少なくありません。そして、事故を避けられた人や逃げられた人がいたという事実から、危険を察知する力が己を守ることが理解できます。
さらにはかなり厳しい状況からも脱出した人がいたという報道から、諦めない、何とかしよう、できる・・・と思考する精神力の強さが自分自身を護ったことがわかります。

《悲惨な投資詐欺事件》
《投資詐欺被害に悩み女性が自殺》
今月のテーマは実はこの事件にふれたためです。詐欺事件はその規模を問わず日常茶飯事に発生していて珍しいことではありません。また現実世界では悲惨な事件も頻発しています。それらは承知していますがこの事件の報道にふれて少なからず胸が痛みました。老境に在る私が、「知識や経験に乏しく、ために社会や人生のあゆみに迷い、さらに繊細で生真面目な心の持ち主が自らを責めて22才という若さで命を失った」ことを知ったからです。とても不憫に思えてなりませんでした。

2022年11月3日の東京新聞では
「警視庁が昨年11月に摘発した投資詐欺事件で、150万円の被害に悩んで自殺した学校職員川上穂野香さん(22)。母親の佐永子さん(55)=大阪府豊中市=が、勧誘した男性ら3人を相手に、被害金の返済と慰謝料など計約1200万円の賠償を求めて11月2日、東京地裁に提訴した」と報道。

訴状では『川上さんは2020年8月、海外の投資ファンド「ジュビリーグループ」が販売する金融商品を高校同級生の男性から紹介され、150万円を借り入れして出資した。直後に詐欺だと気づき返金を求めたが、応じてもらえずに苦悩。佐永子さんと警察へ相談に行く予定だった同年10月初旬、大阪市内のホテルで自殺。「若い命を絶つという状況まで追い込まれるに至ったのは、被告らの行為が原因。原告の精神的苦痛は計り知れない」』と主張。
現場に残された遺書には「お母さんへ。22年間、ずっと私を育ててくれてありがとう。投資詐欺の件でたくさん迷惑を掛け、心配を掛けてしまってごめんなさい、ごめんなさい」とつづられています。この報道にふれて本当に悲しくなりました。また、被告の受けた判決の軽さには驚くばかりでした。

法話では悔やまれることとして「人生には至る所に危険があることを知る。察知する力や生きるための精神力の養成途上であったことが残念。若さは未熟でもあること、失敗や間違いは誰にでもあり、自身を責めすぎてはいけない。真面目で責任感が強過ぎ、心のバランスを失ったことが残念。人生では相談できる人を作ることが大切。人生の間違いや失敗は改心があればいつでも回復可能。多くの人は失敗を糧として人生を歩んでいる」ことをお伝えしました。

さらに精神的に打たれ強い「メンタルが強い」を解説。
メンタルが強い人とは、「どんなことがあっても自分を保てる強い精神力を持つ人。トラブルが起きても慌てない、逆境でもくじけない、プレッシャーに強いなど、感情によって精神力が左右されることなく、いつでも同じパフォーマンスを安定して発揮できる人のこと。さらに、逆境やプレッシャーすら糧にして、より高い成果を出せそうと奮起する人」といわれていますが、誰もができるわけではなく、そのような姿勢を参考にして少しでも精神力を涵養することが大切です。
結びに「精神的な力は生来のものもあるが努力すれば誰もが高められる。人生を歩みきるためには精神力を鍛えることが大切。自らの心を磨いてバランスのとれた精神力を養う。」と私見を述べました。
(つづく)

相武山 山主

 

2022年11月28日

察知する力を涵養

秋はつるべ落とし冬至まではどんどん夕暮れが早くなります。昼間の時間が短くなり愛犬の散歩もせかされるような気がします。
気候の温暖化に警鐘が鳴らされて久しく、心ある多くの人々が世界中でその遅延と制止に努めています。人類にとっては気候変動に大きな不安がありますが、自然の営みは人心にお構いなくゆっくりと確かなサイクルではたらいているようです。ついこの間まで緑の葉が生い茂っていたのに、初秋を迎えてその色を変えはじめ、四季の移ろいのおもしろさを伝える紅葉は寒さと倶に山から里に降りてきました。

各地から紅葉のたよりが届き秋も深まる中、10月29日の夜、お隣韓国から悲惨な事故の報道がありました。韓国ソウルの梨泰院(イテウォン)という繁華街で、日本人2人を含む156人が圧死するという大きな事故です。ハロウィンを楽しむ人々が梨泰院に繰り出し、あまりの群衆に身動きができなくなり、群衆雪崩が起きて多数の圧死者が出たというものです。
私はすぐに20年ほど前の兵庫県明石市の事故を思い出しました。花火大会の見物者が歩道橋で大混雑となり、群衆雪崩が起きて11名の方が亡くなった大事故です。とても信じられない事故で、当時『こんなことが起きるのか』と驚いたことを記憶しています。

今回はその規模がちがいます。まさに驚愕するばかり。事故の原因は究明中ですが、街の作りや建物・道路の配置、警備状況や群衆の集中など、さまざまに事故が発生する要素が重なったということでしょう。これから真相は究明されるでしょうし、同類の事故に対する対応もとられるようになるでしょうが、犠牲となられた多くの人々が蘇生することはありません。私たちは犠牲者の冥福を心から祈り、この事故を教訓としてゆかねばならないと思います。

今回の悲報にふれて「危険を察知する力」を多くの方に涵養して頂きたいと思いました。
人生では天災や人災がいつ起きても不思議ではないからです。したがって危険を察知することは身を守り、人生を安全安心に歩む基本ともいえるでしょう。楽天的な性格も大切ですがバランスをとって「用心に怪我なし」も銘記すべきだと思うのです。
古来、危険(あぶない)がわかるのは大人、危険(あぶない)がわからないのは幼子といわれてきました。人生の経験を積み重ねるにしたがって、自ずから「危険な事物・事象・人間・世界」が理解できるようになることの謂です。

中国前漢の書『戦国策』には「愚者は正事に闇く、智者は未萌に見る。』とあります。その意味は『愚者はすでに結果が現れていてもそのことがわからないし、智者は兆しがまだ現れていないうちにそのことが見える』ということです。
私たちは智者ではないかもしれませんが、悔いのない人生を歩むためには、せめて危険を察知する力を日頃から涵養することが大切です。

何が起きても不思議ではないという考えは、仏教思想の基本ともいうべき諸行無常に由来します。「あらゆる事物事象は縁起によって成り立っている」ということであり、言葉を換えれば「あらゆる事物事象はさまざまな条件が複雑に連関して存在しているのであり、その条件が一つでも失われたり変化すればその存在は変化する」ということです。
大乗仏教では現実世界の問題を疎かにすることはありません。人生の幸不幸、遇不遇のすべてを学びの対象とし、仏法を燈明として誠実に一日一日の人生を歩むことを仏道の目的とするのです。
日蓮大聖人は兄弟抄に「前車のくつがえすは後車の誡めぞかし」とご教示です。法華の信仰者は察知する力を涵養してより良い人生を歩んでまいりましょう。

相武山 山主

2022年11月01日