相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

新年を迎えるために

12月26日(日)は午前10時から歳末の大掃除。
すっかり冬枯れの風情となった当山では初冬の寒気を覚える中、三師塔を中心とした境内、バス通りからの参道、玄関からロビー、客殿、そしてトイレ等、檀信徒有志の方々によって歳末の大掃除を行いました。誰もが忙しい歳末ですが菩提寺の迎春にご協力を頂きました。

1時間半ほどの大掃除の後は新春初参詣への案内(ご案内、年中行事表、1月~2月行事予定表)封入作業。さらに新春参詣者へのお供物やカレンダーの準備にもご協力いただきました。これらの作業も私と興厳房の二人で対応すれば半日かかってしまいますが、多くの手があると瞬く間に済んでしまいます。有り難い限りです。

ご協力頂いた落合さん、森さん、久保さん、奥田さん、辻本さん、小原さん、安西さん、熊木さん、阿部さん、ありがとうございました。前日には瀬谷区の柴さんがお見えになり、『明日は参加できないので・・・』とおっしゃて1時間半ほどお一人で境内を清掃されました。皆さまの温かい想いに感謝しています。

30日の御前中、初春の御宝前にお供えする重ね餅を小原さんと興厳房がつくりました。自前のお重ねは一昨年からのことですが、小原さんのご指導よろしく興厳房も腕をあげているようです。また、川崎の阿部さんには参詣者へのお屠蘇や祝い昆布の準備、門松づくりにご協力頂きました。併せて御礼を申し上げます。

いつものように迎春の準備にバタバタと追われて余裕のない妙法院から今年最後のブログアップです。今年も檀信徒皆さま有縁の皆さまには陰に陽にお世話になり、無事に法燈をお護りできましたことに心より感謝を申し上げます。

相武山 山主

2021年12月31日

七五三祝い参り

12月12日(日)S吉樹莉ちゃん(7才)がご家族と七五三祝いに参詣されました。一昨年7才だったお姉さんの樹菜ちゃんは、おばあちゃんの逝去などでお祝いができなかったために樹莉ちゃんと一緒にお参り。


七五三祝い参りは幼子の成長を祝いこれからの無事を願う古来からの儀式です。現代は子どもが無事に成育することが難しかった時代とは異なりますが、幼子の健やかな成長を願う親心は変わることはありません。
おめでとうございます。

相武山 山主

2021年12月30日

おさめ御講を奉修

12月12日(日)と13日の両日、今年最後の日蓮大聖人御報恩講(おさめ御講)を執り行いました。今年もコロナ禍に翻弄された不安定な世相でしたが、妙法院はまじめで篤いご信心の檀信徒有志によって支えられ、法華の法燈をともし続けることができました。

おさめ御講は参詣僧俗倶に心を合わせて、如法に仏祖三宝尊への献膳、読経、献香、唱題を申し上げ御報恩の志をささげました。
法要後は持妙尼御前御返事「月氏に阿育大王と申す王をはしき。一閻浮提四分の一をたなごころ(掌)ににぎり、竜王をしたがへて雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ給ひき。始めは悪王なりしかども、後には仏法に帰し、六万人の僧を日々に供養し、八万四千の石の塔をたて給ふ」から結びの「まことの鬼神ならば法華経の行者をなやまして、かうべをわらんとをもふ鬼神の候べきか。又、釈迦仏・法華経の御そら事の候べきかと、ふかくをぼしめし候へ」までを拝読。

はじめに御書システムの「解題」について。
解題というのは当該御書についての解説。その御書が真筆(宗祖のお筆)なのか、真偽未決(宗祖の真撰か偽撰か判定不明)なのか、偽撰書なのかを学問的に解説。さらに真筆の所在や上代の高弟等の書写について。真撰であるなら、いつどこで誰に授与された御書であるのか。なにゆえに真偽未決、偽書とされるのか等を解説。その上で当該御書の内容を概説している。日蓮大聖人の遺された御書を理解するためには最適な解説といえるものです。

御書拝読の注意点を述べた後、対告衆である持妙尼からの御供養について。インドで仏教に帰依し厚く守護されたアショーカ王と徳勝童子のいわれを説明。法華経と仏の関係について仏は法華経から生じた存在であるとの宗祖のご教示を解説。その上で、火の信心と水の信心について説明し、宗祖は持妙尼の水の流れるような信心を愛でられたこと。また、人生の困難や苦悩に臨んでは「自身の信仰が試されている」と解釈しなければならないという宗祖の教えをお伝えしました。

その後、是非味読してほしい法華経要文を紹介。
結びに「今年は宗祖の御生誕800年、妙法院開創40周年という佳節の年でしたが、コロナ禍のために佳節らしい事業をなすことができず残念。明年には企画を練り直して取り組みたい。妙法院の法華衆は一人ひとりが日蓮仏法の担い手であるという自覚に立って、日々の信仰を大切に信行を深めて行こう」と述べておさめ御講の法話を終了。
参詣の皆さまと共々に今年一年の仏祖三宝尊への報恩感謝を申し上げました。

相武山 山主

2021年12月30日

小事つもりて大事となる(下)

世相に続いてテーマの「小事が大切《小事つもりて大事となる》」のお話。物ごとは結果ばかりに注目されやすいものですが、その経緯が大切なことは改めていうまでもありません。その経緯を小事と観ることについての私の所見です。

小事というのは取るにたらない事柄、ささいな事柄ということで、一般的には「小事もいいかげんにすると大事になるから、疎 かにしてはいけない」という意味で用いられますが、ここではささやかなことを大切に積み重ねてこそ、大きな安らぎを得ることができることを解説。

はじめに日蓮大聖人のことば『衆生心身御書〔C1・建治三年頃〕』より、「つゆ(露)つもりて河となる、河つもりて大海となる、塵つもりて山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事つもりて大事となる」を拝読。
宗祖は法華経の行者として法難重畳、波瀾万丈のダイナミックな人生であったがために、ややもすると豪快なご性格と想像されがちですが、「小事つもりて大事となる」と、ものごとの本質を語っていることを紹介。小さなことでも疎かにすることなく、佳い習慣を大切にしてこそより心豊かな人生が歩めることを宗祖のお言葉から解説。

此処では鎌倉仏教の最後に登場して今日まで日本仏教界に大きな影響を与えた宗祖についても略述。平安時代前期仏教の二大潮流である天台宗と真言宗の存在にふれながら、平安末期には浄土教や禅宗が大きく台頭してきた史実を紹介。その上で、大乗仏教の精華を法華経に見いだされ、天台教学の上に独自の御法門を建立された意義を説明。その宗祖が小事を大切されたことを述べました。

私たちにとって大切にすべき小事とは「常日頃の心のはたらきであり、言葉の使い方や立ち居振る舞いであり、臨終のその時まで人間としての成長を諦めないこと。愚痴や不平や不満を離れて応分の瑞々しい人生をあゆむこと」と所見を述べ、また「家族、親族、友人、仲間、隣人、そして社会や自然にまでも想いをいたし、それぞれにささやかな心遣いを忘れることなく、細やかな配慮と小さな実践の継続が、やがては豊かさや安らぎ、悦びに通じている」ことをお伝えしました。

人生において小事を大切にすることは古今東西変わらぬことですから名言は数多くありますが、中国の古諺とガンジーの言葉を紹介しました。
『漢書』からは「少を聚めて多を成し、小を積みて巨に致す」。
『張華「励志詩」』からは「高きは下きを以て基とし、洪は繊に由りて起こる」。
『林逋「省心録」』からは「足らざるを知る者は学を好み、下問を恥ずる者は自ら満す」。
『陶淵明「雑詩」』からは「古人寸陰を惜しむ、此れを念えば人をして懼れしむ」。
『曹操「短歌行」』からは「山高きを厭わず、海深きを厭わず」。

ガンジーの言葉
「重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。」
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」

むすびには日蓮大聖人の『撰時抄』
「衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱へ伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」を紹介。

仏道において一足飛びはありません。どのように資質や環境に恵まれたとしても、一歩一歩着実にあゆみを積み重ねることが求められます。また、その道には疎かにしても良いという小事はありません。眼前の課題にはすべて意味があるとの心得が大切なのです。
これは仏道だけに限りません。法華経では仏道は人生そのものと教えていますから、人生においても小事が大事に至る道であることをお伝えして今年最後の日曜法話会は終了。

今年も無事に1月より11回の日曜法話会を開催することができました。コロナ禍の世相にもかかわらず、参加聴聞頂いた皆さま方々には厚く御礼申し上げます。明年も1月23日(日)から毎月1度の開催を予定しています。
皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2021年12月29日

小事つもりて大事となる(上)

今年最後の日曜法話会は11月14日でした。今回の法話会に初参加という方はおられませんでしたが、はじめに法話会の趣旨について「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」との念いで開催していることを述べ、「仏道は求める姿勢が基本であり生涯探究心を大切にすること。仏道は継続しての学びとその教えを人生に活かすことが大切」であることをお伝えしました。

続いて仏教寺院の役割について「寺院は仏教を護り伝える道場。僧侶と信徒の修行・修学の場。僧俗が信仰心を磨く場。心を浄め癒やす場。文化や歴史や伝統習俗を伝える存在・・・」であることを解説。妙法院は法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝える法華の道場であり、社会に開かれた仏教寺院として前向きに活動していることをお伝えしました。

11月の法話会のテーマは「小事が大事。《小事つもりて大事となる》」。
テーマについて語る前には「世相について」。身近な世相の話題について仏教的視点からの所見を述べています。仏教は現実直視という姿勢であり、あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではなく、起こる事象はすべて学びの対象と考えるからです。

世相の話題は「「2021年衆議院選挙 雑感」でした。
去る10月31日に行われた衆議院選挙についての私見です。まず、当たり前のことながら衆議院選挙の基礎知識。衆議院議員の定数は465人(小選挙区289人、比例代表176人)。小選挙区は当選者1名。比例代表は政党の得票数に比例して選出。多くの人が疑問に思っていることに、小選挙区と比例代表への重複立候補が可能で、小選挙区で落選した候補者が比例区で復活当選するという事態が起こることがあります。
所詮、政治家自らが選挙制度を作っているのですから、より良い選挙制度というよりもそれぞれの利害得失が反映された選挙制度であることがわかります。やはり第三者による合理的な選挙システムが必要だと思います。

選挙の結果はすでに報道されているとおり。自民公明の与党が安定多数を得、野党は維新と国民が増加、立民と共産は減。私は選挙権を得てから一度も投票しなかったことはありませんが、我が国では選挙についての理解が低い方も多く、投票率の低さは常に話題になっていることを説明。

国民一人ひとりが主権者である民主主義国家では、選挙は政治を選択する大きな権利であり、その選択と投票は義務とさえいえるものです。政治は生活に直結しているものですが、その実感に乏しく認識が薄いことは民主主義にとって実に残念なことです。
時に『選びたい候補者や政党がない』という声も聞きますが、自分自身が直接立候補しない限りベストな人や政党はないのですから、そこはベターな選択、少しでも理解できる人物と政策を選ぶしかないと思うのです。棄権するということも一つの意思表示だと言われますが、一つでも二つでも私たちの生活に直結する政治が良くなる方向に意思表示する方が賢明との所見を述べました。

選挙の大切さをお伝えするために総務省のホームページから「選挙は国民の権利と義務」より《選挙の意義》を取り上げ、「『選挙』は、私たち一人ひとりのために。」「私たちは、家族や地域、学校や職場など、さまざまな場でくらしています。私たちの生活や社会をよくするためには、私たちの意見を反映させてくれる、代表者が必要であり、その代表者を決めるのが『選挙』なのです」を紹介。

そこで解説されている「みんなの代表、多数決、身近な選挙、憲法と選挙、選挙と政治、政治と国民」というポイントを読み上げて紹介し、民主主義にとっていかに選挙が大切であるかを一緒に学びました。
選挙の基礎的認識の啓蒙に続き、2021年総選挙の実施と結果について、日経新聞から二つのコラムを参照しながら以下のように私見を述べました。

①として「考える時間を与えない選挙」だったということ。9月3日、コロナ対策の不手際や様々な政権批判に対してほとんど説明しない対応などで、世論調査で不人気であった菅総理大臣が突然自民党総裁選挙不出馬を表明。
菅氏の退陣表明によって自民党政権が長期化してきた理由の一つに挙げられる「疑似政権交代イメージ」の総裁選挙が実施。総裁選は岸田氏が勝利。国会で総理に選出された岸田氏は任期満了間近にもかかわらず直ちに解散を宣言し総選挙となった。菅氏の不人気に油断していた野党も慌てたようだが、国民も過去の安倍・菅政権に対する冷静な検証をする時間が無かったと思う。
②として「投票率が低い」。今回の投票率は55.93%。国民の4分の1ほどの得票で政権が決まることになった。「投票しない国民に問題があるのは当然として、これで果たして民意は反映されているのか?政権は支持されたのか?」という指摘も至当である。
③として「政策の争点が見えにくい」。与野党倶にイメージ選挙の様相で具体的な政策が提示されたようには思えなかった。「本当に国民の日常生活を見て政策を練っているのだろうか?国際的な視野から日本の問題点を考えているのだろうか?ポピュリズムに流されていないか?」との疑問が湧いた。素人ながら政権選挙ならば政権の大綱を示し直近の課題と対策を具体的に提示して支持を求めるべきだと思う。
内政外交ともに厳しい現状である。「過去の検証と総括がなされないところに健全な未来はない」といわれている。選挙では与野党ともに未来について発言したが、安倍・菅政権の検証がなされ、その功罪が具体的に問われたのか?甚だ疑問。
④として「各政党の選挙協力は?」選挙では各政党の選挙協力が話題になった。与党は従来からの自民公明の選挙協力。野党は全国で野党統一候補としての選挙協力を行った。与党は従来からの効果を発揮したようだが、野党の結果は微妙なものとなって選挙協力の是非が検証されることになった。
⑤として「選挙は民主主義国家の主権者としての義務」。日頃から政治は自身の生活に直結するものとして関心を持ち、政治に対して自らの意見を持つように努めるべき。選挙では投票所に足を運び、政治への自らの意思を表明する。一人ひとりの投票は小事に思えるかもしれないが大事に至る行為。
以上5点について世相への所見をお伝えしました。

相武山 山主

2021年12月28日

鎌倉の歴史を散策

妙法院では日蓮大聖人ゆかりの鎌倉に隣接していることから、開創当時より折々に鎌倉の歴史と宗祖の御聖跡をたずねる鎌倉散策を行ってきました。10数年前からは鎌倉の歴史と文化に造詣が深い酒井俊克さんの案内で「鎌倉歴史散策の会」を開催しています。

コロナ禍ではありましたが、昨年も12月5日、「鎌倉から龍ノ口」までを散策。テーマは「龍口法難750年を偲んで」。宗祖の龍ノ口までの歩みを少しでも実感しようと、由比ヶ浜から御霊神社、極楽寺から七里ヶ浜、腰越から龍ノ口まで、初冬の冷たい小雨の中を3時間半ほど散策。皆無言で行軍のような雰囲気もありましたが、途中で酒井さんから宗祖御在世の鎌倉の様相をうかがい、厳しく険しい環境にひるむことなく法華弘通に精励された宗祖と門下僧俗をお偲びしました。

今年は12月4日、昨年の氷雨とは打って変わって、清々しい青空のもと鎌倉駅から三カ所の鎌倉幕府跡を経て十二所までを快適に散策。今年のテーマは明年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」を先取りして鎌倉幕府ゆかりの地の探訪。

参加者は例年にならって定刻の9時半に鎌倉駅西口時計台に集合。住職と酒井さんの挨拶から散策を開始。鎌倉の中心となる八幡宮の段葛前ではその由来を聞き、段葛北端西側にあった和田義盛邸(鎌倉殿十三人の一人)から若宮幕府跡へ。

続いて北条得宗家の邸跡などの説明をうけ北条執権家の邸跡である宝戒寺へ。ここから北に上り筋替橋へ、筋替橋は当時の交通の要衝。その北側一帯は三浦一族の邸跡(三浦義澄は十三人の一人)。今回の散策はここより東に歩みを進めます。はじめに八田知家(十三人の一人)邸跡と大蔵幕府跡の説明を受け、二代執権北条義時(十三人の一人)邸跡から頼朝に重用された文覚の邸跡へ。

その後、鎌倉の三大寺社の一つ頼朝創建の勝長寿院(俗称大御堂)跡を遠望して、室町時代の関東管領を担った上杉諸家の邸跡から報国寺へ。ここでは酒井さんより関東管領などの解説をうけました。続いて足利家ゆかりの浄妙寺と足利公方邸跡へ。ここでも足利家の概要と鎌倉公方、古河公方などについての解説がありました。

ここまでの散策時間は2時間ほど、暑くも寒くもない快適な散策日よりで、参加者皆さんの足取りも軽やかでした。十二所入り口に位置する明王院を見学して頼朝の重臣梶原景時(十三人の一人)邸跡を望み、三代将軍実朝の創建した大慈寺(俗称新御堂)跡を確認。続いて頼朝の側近となって守護地頭の設置など幕府創建に貢献した大江広元(十三人の一人)邸跡をうかがって最後の見学地は光触寺。

光触寺は鎌倉時代の一遍を開基とする時宗の寺院。この地は金沢の六浦湊と鎌倉を結ぶ朝比奈切通にあります。仁治ニ年(1241)に工事が着手されたと記録がある朝夷奈切通は、鎌倉幕府が六浦と鎌倉を結ぶ幹線道路(六浦道)。金沢・六浦は風浪を防ぐ良港だったため、鎌倉幕府の外港として物流の拠点となり、六浦や釜利谷で製塩が始まるとこの道を通って鎌倉に塩が運ばれたことから塩の道ともよばれていたそうです。朝比奈の切通しの解説で今回の散策は終了。散策時間は約3時間。散歩計によればこの日の歩数は約14000歩でした。
皆さんお疲れ様でした。

相武山 山主

2021年12月27日