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相武山 妙法寺 ブログ

かぶ御講を奉修

11月15日は日興門流第三祖日目上人の祥月の御命日。今年は前日の14日(日)午後1時から御報恩の法会を執り行いました。今年も緑区の落合さんご夫妻が手作りの蕪を御宝前にお供えされました。青々とした葉に見事な丸い蕪です。門流では日目上人会を「かぶ御講」と称して親しんできました。目師が蕪を好まれていたためか、この時季に収穫される美味なかぶに目師のご恩徳を偲んだものなのかは定かではありませんが、上人に親しみこめての呼び名であることはたしかなことです。法会では参詣のご信徒と倶に読経・唱題、御報恩を申し上げました。

法要後は正信会のホームページに掲載されている「日目上人伝」を紹介。
「新田卿阿闍梨日目上人が誕生されたのは、文応元年(1260)のことです。時あたかも日蓮大聖人が『立正安国論』を鎌倉幕府に献上され、鎌倉で大いに活躍されていた時期でした。さまざまな因縁によって、日目上人はその献上の年に誕生されたのです。
日目上人は伊豆国仁田郡畠郷(現在の静岡県田方郡函南町畑毛)にて、父を奥州三迫新田太郎重房の嫡子・重綱、母を南条兵衛七郎の娘・蓮阿尼とし、その五男として生誕され、幼名を虎王丸と名付けられました。

最古の伝記である大石寺6世・日時上人の『日目上人御伝土代』によると、父方の新田氏、母方の南条氏は、ともに「御家人」とよばれる武士の家系でした。母の蓮阿尼は、後に大石寺の開基檀越となる南条時光の姉です。また、兄の頼綱は、後に富士門流(日興門流)最古の寺院である本源寺(宮城県登米郡)を寄進し、その次男は後に大石寺4世・日道上人となられます。」との【ご誕生】から解説。

【初等教育】【日興上人との出会い】【身延山へ登る】【耳引き法門】【伊勢法印との問答】【大聖人の葬送の儀】【輪番制の崩壊と身延離山】【奥州での布教】【大石寺における講学】【最後の天奏と御遷化】と日目上人の御生涯を参詣者と倶に学びました。
「日目上人は、同年の元弘3年(1333)11月、天奏のため日尊師・日郷師を伴い京都へ向けて旅立たれました。しかし、京都へ向われた日目上人一行ですが、11月15日、日目上人は途上の美濃国垂井(岐阜県垂井町)において74歳でもって御遷化されました」とお伝えしました。

日興門流の信仰を深める上において日目上人の御事跡をたずねることはとても大切なことです。法会ではこれからも皆さんと一緒に上人の護法と弘通の志を継承して行くことを誓願しました。

相武山 山主

2021年11月30日

桜の花に報恩の想い

御会式では御宝前の両側に仏法の法界を顕現するお飾りが設えられ、海や山の上には寂光浄土を寿ぐ桜の花が飾られます。その桜の花やつぼみ、葉は9月から信徒の皆さんによってつくられました。例年、御経日や御講などの後に本堂や客殿で和やかに作ってきましたが、昨春からのコロナ禍によって、今年も昨年同様、各自、自宅に持ち帰ってつくって頂きました。

その花やつぼみ、葉を持ち寄って、今月1日の御経日、13日の御講、14日の目師会と3日にわたって、割竹を支柱に桜の花をつくりました。例年、小田原市の竹籠店に割竹を注文していたのですが、ご主人の高齢化と需要の減少で惜しまれながら今春廃業となりました。ネットで新たに提供先を探すことになりましたが、四国は高知の竹屋さんが見つかり発注。幸いに割竹の仕事はとても丁寧で気持ちよく作業ができました。

一枚の葉、一つのつぼみや桜の花には、ご信徒の日蓮大聖人への御報恩の想いがこめられています。何ごとも心の想いは言葉に出し、振る舞いに現れて伝わって行きます。御会式の荘厳は日蓮大聖人とその教えを尊敬するご信徒の志の表明といえるでしょう。これからも「お花つくり」には一人でも多くの方にご参加頂きたいと願っています。

相武山 山主

2021年11月30日

秋季法門研修会(下)

《釈尊とその教団》
秋季研修会の後半は大乗仏教と法華経の概要解説。
はじめに「インド仏教史における大乗仏教概観」。仏教は紀元前5~6世紀、釈尊(ゴータマ・ブッダ)によって創始された宗教。釈尊は普遍の真理を探求し解脱して覚者となりました。その説かれた法理は仏陀の教説として広く流布し人々の心のともしびとなったのです。釈尊は帰依すべきものとして「三宝(仏、法、僧)」を説き、自らの仏教を護り伝える組織として仏教教団(僧団)を構成しました。僧団は出家した僧侶と尼僧によって構成され、釈尊の教えを伝承する基礎となりました。

釈尊の教えはその入滅後、摩訶迦葉を中心にまとめられ(結集)「経」として伝承されました。また、出家教団の規則として「律」が成立することになります。その後、経や律の解釈として「論」が展開さることになります。
教団は釈尊滅後100年~200年に根本分裂を起こします。保守的な教団とされる上座部と進歩的な教団とされる大衆部に分裂したのです。この分裂以前を原始仏教の時代と呼び、その後を部派仏教の時代とよぶことが現代(今のところ)では通説となっています。
根本分裂後紀元前1世紀頃までに20ほどの部派に分裂したといわれています。

《大乗仏教の誕生》
釈尊滅後、北部インドからインド全域、さらに周辺の国々に仏教は広く流布して行きます。マウリア朝のアショーカ王による仏教信仰が有名ですが、広範な伝播と倶に出家僧団による仏教研究も深く精緻なものになって行きます。
大乗仏教誕生のいわれについては、部派仏教(大衆部系)からの誕生、仏塔信仰の在家集団らの誕生など諸説有りますが、紀元前1世紀頃から大乗仏教運動が興ったといわれています。
その担い手は部派仏教の一部を小乗として批判、自らを大乗と称しました。その批判は僧団が「学問仏教、出家僧院仏教、権威主義・・・」に陥っているというもので、「あらゆる人々の救済を願う釈尊の教えから乖離しているのではないか」というものです。彼らは部派仏教とも共存しつつ、伝統的保守的な仏教を批判し、やがて大乗仏教運動を展開して行きます。

《大乗仏教の展開》
大乗仏教の担い手は膨大な大乗経典を創出し、多数の仏、多数の菩薩、他方の仏土を創出しました。大乗経典は約9世紀わたって創作され、初期大乗経典(紀元前1世紀~紀元後3世紀頃)としては「般若経」「法華経」「維摩経」「無量寿経」「阿弥陀経」「華厳経」等々。中期大乗経典(紀元後4世紀頃~)としては「解深密経」など唯識系経典、「勝鬘経」、「大乗涅槃経」などの如来蔵系経典があり、後期大乗経典(紀元後7世紀頃~)としては「大日経」「金剛頂経」などの密教系経典があります。

少し整理するとインド仏教は「原始仏教・部派仏教・大乗仏教」に分類することが可能。原始仏教と部派仏教を厳密に区別することは難しく、部派仏教と大乗仏教が併存していたことも事実。原始経典は釈尊の教えを部派が伝持。また、大乗経典は仏教運動の中から創作された経典ですから、「大乗非仏説」として批判されてもいます。しかし、大乗経典の素材は釈尊の生涯とその思想であり、原始経典に提示されながら軽視された釈尊の思想を再興したと評価されてもいます。

歴史を重視しないインドの特徴もあり、インド仏教の歴史は直線的な思考では捉えられません。インド仏教の研究は大学などを中心に現在も研究中。インド仏教における大乗仏教は原典の発掘などからも注目されていることをお伝えしました。

《大乗仏教の精華「法華経」》
法華経の成立は紀元前1世紀~紀元後1世紀といわれています。法華経の梵名は「サッダルマプンダリーカ・スートラ」。サンスクリット原典は「ネパール本、ギルギット(カシミール)本、中央アジア(西域)本」三種の系統があります。法華経の翻訳は「漢訳、チベット語訳、西夏語訳、古代トルコ語、満州語、安南語、蒙古語、英語訳、フランス語訳、日本語訳・・・」など。
法華経の経題については、サンスクリット原典から「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」とすることが「仏の智慧の開顕と仏の存在とその出現」という意味において佳いのではないかとの所見を述べました。

法華経の漢訳には三種が伝わっています。西晋の竺法護(230年代)「正法華経十巻」。 姚秦の鳩摩羅什(344~413、350~409)「妙法蓮華経七巻」。隋の闍那崛多(523~605)・達摩笈多(?~619)共訳「添品妙法蓮華経七巻」です。最も有名で現代でも多くの信仰者や研究者に指示されているは鳩摩羅什訳の妙法蓮華経です。私たち法華信仰の根本に関わるところから鳩摩羅什について概略を解説(スペースの都合上ここでは割愛)。

次に梵本漢訳に異同があることもお伝えしました。提婆達多品は「正法華経、添品妙法蓮華経」では見宝塔品に包摂(27品)。「妙法蓮華経」でも当初欠、(27品)後に加増。薬草喩品の後半部分が妙法蓮華経にだけ欠如。嘱累品が「妙法蓮華経」では第22に在るが、「正法華経、添品妙法蓮華経」では経末に在る等々。経典は時の経過と各地に流伝する中で改変増広されて行くことがあることを説明。

《法華経の特色と思想》
法華経の普遍性と永遠性。
「すべての仏の根源に法華経が存在している。日月燈明仏(序品)、大通智勝仏(化城喩品)、威音王仏(常不軽菩薩品)が法華経を説く」などから。
一乗思想と絶対の平等
「方便品では一仏乗を説いて二乗の成仏を認める。すべての衆生が差別なく平等に成仏できることを提示。法華経が絶対平等の思想であることを示す。常不軽菩薩品では『われは深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等は皆、菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べし』と。すべての人々を未来の仏として尊敬するという菩薩道の実践」これらのことから「一乗思想は教えの統一をはかったもの」との指摘があることを紹介。
ニヒリズムの超克
「二乗に成仏の記別を与え菩薩道を歩むよう教示したことは、ニヒリズムを超越したものであり、バラモン教、ヒンドゥー教などの輪廻思想からの脱却を意味する。現世を嫌わず菩薩道実践の世界と考え、現実世界での活動に大きな意味があることを教えている」。
仏の永遠性
如来寿量品では「他の大乗仏典と異なり、歴史上の釈尊を中心にすえ、仏の寿命が永遠であることを説く。釈尊は霊鷲山で常に説法教化、信仰者の前に釈尊は現前する。十方分身仏の参集(見宝塔品)に諸仏の統一を観る」。
以上、法華経の特色と思想を概観して秋季法門研修会は終了。(おわり)

相武山 山主

2021年11月29日

秋季法門研修会(中)

《法華宗と日蓮宗》
研修会では宗名についても所見を述べました。
現代では日蓮門下の教団を日蓮宗と呼ぶことが一般的となっています。しかし、日蓮大聖人ご自身は日蓮宗と名乗られたことはなく、自らの宗旨を「法華宗」と称しておられました。したがって上代では日蓮の諸門流は「法華宗」を自称していたのです。但し、天台宗も法華宗と称していましたから、そのちがいを示すため「日蓮法華宗」との名乗りもありました。

日蓮宗との呼称は「日蓮の教え、日蓮の信仰、日蓮を信ずる人々・・・」としてわかりやすいのは事実で、中世室町の頃より広まり、徳川幕藩体制下の仏教教団対策と民衆統治の施策の中で一般化したようです。仏教諸宗派はその時代の為政者によって大きな影響を受けますから、宗名などにも戦後まで変遷があったのが事実です。それでも、宗祖の御意志を継承するとして現在も法華宗を名乗る教団は少なくありません。ちなみに、現在は日蓮正宗を名乗る富士日興門流もかつては「法華宗日興門流、法華宗富士門流」と称していたのです。

妙法院は法華宗日興門流本来の教えと信仰を護り伝える寺院として開創されました。現在日興門流を名乗る教団や寺院は多数ありますが、本来の教えや信仰、化法や化義、行儀や作法については不明の点もあれば、明らかに御在世・上代と異なるものもありますから、私たちはこれからも真摯に探求して行かねばならないと思っています。現代は権力者からの強制などはないのですから、名乗りも宗開両祖の在り方に準じて行きたいものです。

《日興門流の基本と特色》
研修会では日蓮大聖人の仏法を継承する日興門流の基本と特色について概要を解説。
その教学は「①日蓮大聖人はあらゆる人々を差別無く救済する大乗仏教こそ釈尊の真意であると覚悟された。②大乗仏教の根本をその精華である法華経に見いだされた。③中国隋の時代、法華経を中心に中国仏教をまとめられた天台大師、唐の時代に天台法華宗を復興された妙楽大師、日本天台宗の祖である伝教大師の教説を宗祖は継承された。④日蓮仏教は天台法華宗(中国と日本)の教学を基礎としている。⑤日蓮大聖人は末法思想を受容した上で教義を展開している。⑥法華経を精妙に理解された日蓮大聖人はその文底に末法下種の「事の一念三千の法門」が存在していることを明らかにした。⑦末法の荒凡夫に下種されるべきは「事の一念三千を内包する南無妙法蓮華経」と教示された。⑧十界互具の妙法曼荼羅を法華信仰の本尊として図顕された。⑨末法の衆生は妙法曼荼羅を本尊として南無妙法蓮華経の唱題受持によって成仏できると説いた。」ことがその基本であることをお伝えしました。

特色としては「名字即成仏、未断惑の成仏、下根下機の成仏、本因妙の成仏、小善成仏・・・」が説かれ、それらはすべて末法の下根下機、三毒強盛の荒凡夫を救済することが仏道の眼目であることを教えています。
また、「天台沙門を名乗った門下直弟たちと『日蓮が弟子』と名乗った日興上人。下根下機の成仏道を理解された日興上人(法華専修、法華経文底本因下種の妙法、末法の教主は法華経の行者、信行は御書を根本に、謗法厳戒、教弥実位弥下・・・)」について解説し、他門流とのちがいを述べました。

日蓮大聖人の信仰者も研究者もその教えを学ぶためには御書(日蓮遺文)を修学することになりますが、その御書を理解するためには法華経と天台教学が必須となります。近年、新興信徒団体の影響により法華経や天台教学が疎かになっている日興門流ですが、旧来、法華経と天台教学を学んでいたことは明らかです。法華経の梗概を学ぶことは日蓮仏教を理解する道であることをお伝えしました。

注意しなければならないこととしては「日蓮の思想的変遷」を認めるということを説明。日興門流では日蓮大聖人を末法の大導師と仰ぎ信仰の対象としますので、どうしても絶対無謬化しやすく、その思想性についても直線的に捉えようとするきらいがあります。しかし、日蓮教学研究者が指摘するように日蓮大聖人の思想性については、複線的柔軟な思想性が存在することも認識しなければならないのです。これは私の自省をこめてのものですが、より正しく日蓮大聖人を理解するために必要な視点であろうと考えています。(つづく)

相武山 山主

2021年11月29日

秋季法門研修会(上)

妙法院では一昨年から四季それぞれに法華宗日興門流の御法門をご信徒と倶に学ぶ研修会を開催しています。午後1時から4時頃まで時間をかけてじっくりと法華経と日蓮大聖人の教えに向き合う研修会です。日蓮大聖人の仏法は極まるところ「末法適時の妙法受持」であり、「一言摂尽の南無妙法蓮華経の唱題行」によって「信の決定こそ末法の成道」となります。

したがって、末法の荒凡夫である私たちは、仏縁を有り難いものとして日蓮大聖人の教えに帰依し、素直に信仰を深めて人生にその教えを活かすことができ、現当二世(現在世と未来世)に生きがいと悦びと安らぎが得られればそれで良いのです。
しかし、現代は誰もが文字を読むことができ、時間をかければ文章の内容を理解することも可能なのですから、その信仰を深めて確かなものにするためにも教えを学ぶことは大事だと思うのです。

当山での法門の研鑽は日蓮教学を学び修めるということですが、それは「仏教にはさまざまな教えと信仰が説かれているが、日蓮仏教はどのような構成と内容なのか。日蓮仏教は他宗教や他宗派とどのように異なっているのか。日蓮大聖人の教えと信仰はなぜ人生に必要なのか。なぜ自分は日蓮大聖人の教えに帰依しているのか・・・」という自分自身への問いかけへの回答を得ることになります。

2500年という悠久の歴史を有し、広範な地域に伝播した仏教は、とても広くて深いものですから、古稀を迎えたとはいえ愚鈍な私にとってはまだまだ緒についたばかりのように思えます。僧道の末席に身を置かせて頂いた者としては、世事に追われながら信仰を磨き仏法を護持されるご信徒よりも修行と修学に精励しなければならない立場なのですが、なかなか思うように御法門を会得できないことは恥じ入るばかりです。それでも常に意識を持って歩みを止めずに学び続ければ理解は深まるものと信じています。
《法華経と大乗仏教の概要を学ぶ》

この秋の法門研修会は10月31日(日)。当日は午前中に御会式を迎えるための境内堂宇の清掃でした。午後1時、参加者一同にて勤行唱題をお勤めし、行学二道の御聖訓を奉唱しての開会。
今回は春と夏の研修会に引き続いて「法華経要品 現代語訳(付)」がテキスト。日蓮大聖人の御生誕800年記念として正信会で発刊された「法華経要品 現代語訳(付)」を拝読しての解説を考えていましたが、前2回の研修会から、『要品の御文を説明する前に法華経や大乗仏教の概要について学ぶことが必要』ということに思いが至りました。そこで、秋の研修会は法華経と大乗仏教の概要を学ぶことにポイントを置き、レジメ「法華経方便品第二 現代語訳を読む」にそっての講義となりました。

日蓮大聖人の教えは天台教学と法華教学の上に構築されていますから、その教えをより良く理解しようと考えるならば、自ずと法華経や天台教学、大乗仏教の概要を識らなければなりません。しかし、「妙法の受持、信の一字の成道」を教示された日蓮門下諸門流では、法華最勝は自明のこととして専ら宗祖の御遺文が教学の中心となっています。これはこれで末法下種の仏法を伝承する日蓮門下としては当然のことといえます。
したがって、法華経や天台教学、大乗仏教の概要を学ぶことは専門的な修学を志す学僧や向学心のある信徒を除いては関心が寄せられないのが実状です。

宗開両祖の御在世はもちろんのこと、中世や近世の日蓮門下諸檀林の修学でも一般仏教や天台教学は必須の科目でした。私は現代でも、否、現代であるからこそ「妙法の受持、信の一字の成道」を護持する法華専修の信に立ち、宗祖の教えをより良く理解するために、法華経や大乗仏教の概要を学ぶことは有益だと思うのです。法華経や大乗仏教を知れば識るほど日蓮大聖人の教えにその魂魄が伝承されていることが理解されることでしょう。

他門流はともかく富士日興門流では日興上人のご教示として「当門流においては御抄を心肝に染め極理を師伝し、もしいとま有らば台家を聞くべきこと」と伝えられています。また、宗祖自ら「日蓮は広略をすてて肝要をこのむ」とお述べです。このような視点から仏教を広く学ぶことよりも狭く深く求める傾向があります。
どのようなものにもプラスとマイナスの二面性があるように、「広く浅く」と「狭く深く」も同様ではないでしょうか。私たちは日蓮の門弟ですから、宗祖の教えに準じて末法の下根下機を自覚し、末法の荒凡夫らしく「狭く深く妙法を受持」に努めて成道を願う信行を根本としますが、教えの由来となる大乗仏教と法華経、さらに天台教学についての基礎を修学することはお叱りを蒙るようなことではないと思うのです。(つづく)

相武山 山主

2021年11月28日