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相武山 妙法寺 ブログ

大乗仏教のふるさとを想う

法話会のメインテーマは「大乗仏教のふるさとを想う 『アフガニスタンは大乗仏教ゆかりの地』でした。
 アフガニスタンは駐留米軍の撤退が大きく報じられるわりにはあまり知識されていない国ですから、はじめに予備知識としてアフガニスタンの簡単な説明。
「アフガニスタンは中央アジアと南アジアの交差点に位置する山岳地帯の内陸国。東と南にパキスタン、西にイラン、北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、北東に中国と国境を接している。面積は65万2,000平方キロメートルで、北部と南西部に平野部がある山岳国。首都は人口最大の都市のカーブル。人口は約3,900万人。そのほとんどがパシュトゥーン人、タジク人、ハザーラ人、ウズベク人などの民族。宗教はほとんどの国民がイスラム教」

《米軍のアフガン介入と撤退》
米国は2001年の米同時多発テロ後の同年10月、国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対する攻撃を開始。米軍は同政権を打倒し、民主政権の樹立を支援。米軍はその後もアフガニスタンに駐留を続け対テロ組織掃討作戦などを続けていましたが、米国内では長引く戦争に撤退を求める声が高まっていたことを解説。
すでにトランプ前大統領が撤退を決定していましたが、バイデン大統領も4月、米同時多発テロから20年の節目となる今年9月11日までに米軍をアフガニスタンから撤退させ、米国史上最長の戦争を終わらせると表明。その後8月31日までに米軍を撤退する方針を打ち出していました。

米軍撤退の動きを受けて、8月中旬にはタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧。米国が支援するアフガニスタン政府が突然政権を放棄したために、大混乱の中、米軍と関係各国は短期間での徹底を余儀なくされました。
米中央軍のマッケンジー司令官は8月30日夕、オンラインで記者会見し、アフガニスタンの首都カブールの国際空港で展開していた退避作戦が完了したと表明。米国東部時間30日午後3時29分(アフガニスタン時間30日午後11時59分)、最後の米軍輸送機C17が同空港を離陸。2001年9月11日の米同時多発テロをきっかけに始まった「米国史上最長の戦争」に終止符が打たれました。

アフガニスタンへの介入によって米兵や市民2461人が死亡、2万人が負傷しています。また、カブール空港で展開した退避作戦の結果について「政権崩壊前日の14日以降、米軍は米国市民6千人、アフガニスタン人や外国人7万3千人、合計7万9千人を国外に搬送。同盟国による搬送を合わせると12万3千人超を搬送。退避作戦最終盤の26日に過激派組織「イスラム国」支部組織の自爆テロで米軍兵士13人が死亡したことは残念」と米軍が発表したことを紹介しました。

《忘れられない中村哲医師》
アフガニスタンを語るとき、私たち日本人が忘れてならないのが中村哲医師。私は中村氏は大乗仏教の精神を実践された方として尊敬していますので、じっくり説明したかったのですが時間の都合上、参考資料を提供して読んで頂くこととしました。

《アフガニスタンと仏教》
時間は押してきましたが、ここから本題のアフガニスタンと仏教です。
アフガニスタンの領土は王国の興亡によって数千年にわたって変化し、文化的、宗教的な変化も多く見られます。地理的にはペルシアと南アジアの間に位置し、東西と南北のシルクロードに近接。交通の要衝として地域の歴史的、文化的な発展に大きな役割を果たした国です。

紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国の支配下にありましたが、紀元前4世紀にはギリシャのアレクサンドロス3世(大王)による東征下に置かれました。紀元前3世紀中頃、アフガニスタン北部からタジキスタン南部にかけてはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配しました。そのためこの地域にはヘレニズム文化が流入。仏教美術にも大きな影響を与えました。

1世紀以降、大月氏の立てたクシャーナ朝がこの地に栄えますと、ヘレニズム文化は影響力を失い、代わって南方のマウリヤ朝から流入したインド文化や仏教の影響が強く見られるようになります。アフガニスタンにおける仏教は一千年以上の長い歴史を持ち、大乗仏教の起源にまで遡ぼるといわれています。スキタイを含むパシュトゥーンの多くのイラン人は、イスラム教が伝わるまで仏教を信仰していました。バーミヤン遺跡などの多くの仏教遺跡は仏教文化が存在していたことを物語っています。

《ガンダーラ国と仏教》
ガンダーラ国は現在のパキスタン北西部に存在した古代の王国。首都バクラームなどを中心に栄えました。カーブル川北岸に位置し、その西端は現在のアフガニスタンの首都カーブル付近まで。東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していました。
ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀まで存続。1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えました。ことに2世紀中葉、第3世のカニシカ王はこの国に仏教を大いに流布させました。王は領土を西トルキスタン・アフガニスタンから東トルキスタン・インドの一部まで拡大。首都をプルシャプラ(現ペシャワール)に置きました。この王朝の下で大乗仏教とガンダーラ美術が大いに興隆したのです。

近年、ガンダーラからは多数の大乗仏典が発掘されました。
2019年7月26日 (日経報道)による「アフガン中部で経典写本を発見」の記事を紹介しました。内容は以下のとおりです。
アフガン中部で経典写本を発見
『仏教経典の写本が見つかったメス・アイナク遺跡』【カブール=共同】
「アフガニスタン中部のメス・アイナク遺跡で、7世紀ごろに作られたとみられる仏教経典の写本の一部が見つかった。アフガン考古局が26日までに明らかにした。
古代遺跡から写本が見つかるのは珍しく、栄えた仏教都市だったことを裏付ける発見。小説「西遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵が、旅行記「大唐西域記」で描いた仏教国「ブリジスターナ」である可能性が高まった。」
遺跡は首都カブールの南東約40キロにあり、3~7世紀の都市とされる。2009年にアフガン政府が本格的な発掘を開始。仏塔や仏像、壁画が次々と出土し、大規模な遺跡であることが判明した。
写本は遺跡の中心にある丘の斜面で17、18年に見つかった。考古局は「経典の保管施設があったのではないか」と推測している。』を紹介。

このメス・アイナク遺跡で見つかった写本を解読した仏教大の松田和信教授(仏教学)によると、『樹木の皮にサンスクリット語で大乗仏教の「般若経」や「弥勒下生成仏経」が書かれていた。玄奘は西域から大乗仏教の経典群を持ち帰り漢訳したとされている』こと。
メス・アイナク遺跡の保全、修復に協力している東京芸術大の前田耕作客員教授(アジア文化史の『初期仏典の発見は珍しい。大唐西域記に記述されたブリジスターナと大まかな位置関係も符合する。玄奘が立ち寄った可能性がある』との指摘も紹介。

玄奘三蔵は大唐西域記で、ブリジスターナについて「気候は寒さ厳しく、人々の性格は激しい。深く仏教を信仰し、学を尚び、徳行ある者に遵う」と記しています。
一方、遺跡の周辺には世界有数の埋蔵量とされる銅の鉱床が広がっています。鉱山開発が重要な財源となっているアフガン政府は07年、30年間の採掘権を30億ドルで中国企業に売却。遺跡に及ぼす影響が懸念されています。考古局は「発掘が終わるまで数十年は必要だ」と説明。国連教育科学文化機関(ユネスコ)なども保全の重要性を訴えていることをお伝えしました。

アフガニスタンの歴史と大乗仏教の歴史を略述しながら、アフガニスタンには「大乗仏教のふるさと」としての位置づけができることを述べました。平和の国日本で大乗仏教を学ぶことができる私たちは、仏教伝播のいわれを大切にしてアフガニスタンの人々の平和と安寧を祈り見守って行くことをお伝えして10月度の法話会は終了。
来月は今年最後の法話会。11月14日(日)午前11時からの開催です。皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

檀信徒の皆さまにはこの春から日曜法話会をウエブで配信していましたが、10月の法話会はPCの急な不具合で収録ができませんでした。悪しからずご了承ください。

相武山 山主

2021年10月30日

2021年ノーベル賞雑感

《10月度の日曜法話会》
10日(日)は今年10回目の日曜法話会。テーマは「大乗仏教のふるさとを想う『アフガニスタンは大乗仏教ゆかりの地』」でした。
8月中旬よりアフガニスタンからの駐留米軍撤退の模様が連日報道されました。中東に位置する彼の国の混乱は世界中の人々の耳目を集め、多くの人が今に胸を痛めて心配しています。私もその一人です。

 というのも、今ではすっかりイスラム教の世界となっていますが、古のアフガニスタンは東西文化の交流の地として、西からはギリシャ文明、東からはインド文明が流入。インド発祥の仏教も部派仏教の時代から大乗仏教の興立発展期にかけて大きな足跡を遺した仏教縁の地であるからです。
また、アフガニスタンの復興に生涯をささげながら2年前に凶弾に倒れた中村哲医師の存在は実に鮮明です。私は中村氏の志と行動をすなおに尊敬する一人であり、中村氏もきっと御仏の世界から彼の国の人々の平安を祈り見守っておられるだろうと思っています。法話会でも一度アフガニスタンについてふれてみたいと考えていました。

《真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞》
法話会の前半は毎回「世相」についての所感を述べています。今回の世相のテーマは「2021年ノーベル賞雑感」です。
ノーベル賞はご承知のとおり、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞です。医学生理学、物理学、化学、文学、平和および経済学の分野で顕著な功績を残した人物に贈られます。
例年10月になると受賞を想定される方々ばかりでなく世界中から関心が寄せられます。法話会では今までも受賞者の声を紹介しながら所感をお伝えしてきましたが、受賞者の声はいつも新鮮でそこにはたしかな学びがあります。

今年も米国籍の日本人真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞されました。受賞の理由は「地球温暖化の予測のための気候変動モデルの開発」。真鍋氏は、シミュレーションを使って地球に関する物理モデルを開発し、気候の成り立ちと変動を解明。また二酸化炭素(CO2)の増加に伴う地球温暖化につながる基礎を確立。大気中のCO2の濃度上昇が地球表面の温度上昇につながることを実証した」ということです。

真鍋氏は人間活動が地球に及ぼす影響を早くから予見し、1960年代から気候変動の先駆的な研究を続けてきました。デジタルが今よりも普及していなかった時代にコンピューターを駆使し、地球の大気全体の流れをシミュレートする気候数値モデルを開発したのです。地球温暖化の予測モデルを切り開き、二酸化炭素濃度の上昇が地球の表面温度の上昇にどうつながるのかを示した功績は大きく、スウェーデン王立科学アカデミーは『彼の研究は現在の気候モデルの開発の基礎を築きました』と称えています。

海洋研究開発機構の河宮未知生環境変動予測研究センター長の「真鍋先生は気候予測という学問を創出した研究者だ。物理の原理原則を積み上げれば、地球環境を再現し予測できると示した。世界的な脱炭素の流れの中での受賞はこの分野への期待を表している。未来を予測する研究として責任を果たしていきたい」という言葉も紹介しました。

 真鍋氏のプロフィールについて「1931年(昭和6年)、愛媛県宇摩郡新立村(現:四国中央市新宮町)に誕生。旧制中学校の愛媛県立三島中学校(現:愛媛県立三島高等学校)を卒業。1953年(昭和28年)に東京大学理学部の地球物理学科を卒業。東京大学大学院では「数値予報」を専攻。1958年(昭和33年)に博士課程を修了。「凝結現象の綜観的研究」で理学博士号を取得」という日本での履歴を紹介。

続いて「真鍋氏の大学院での数値予報の研究がアメリカ国立気象局(現:アメリカ海洋大気庁)のジョセフ・スマゴリンスキーの目に留まり研究所に招請された。1958年、アメリカ国立気象局に入り後に主任研究員になる。米国ではIBM製の最新コンピューターを自由に使うことができた。米国のコンピューターは同時代の日本のものより30倍以上も処理性能が高く、気象の研究のためには非常に有利であった。さらに給料を日本の25倍も与えられたことで研究に没頭できた。地球科学者(気象学)としてアメリカを中心に研究生活をおくったが、一時日本に還って研究生活を送る。その後、再びアメリカにもどり、現在、アメリカのプリンストン大で上級研究員を務める」という米国での履歴を紹介。

《受賞記者会見での発言》
真鍋氏は受賞発表直後の記者会見で「研究で大切なことは『好奇心』と回答。アメリカ国籍を取得し、日本を離れたことについては『日本の他人の目を気にしすぎる風潮が合わなかったこと』を理由に挙げた」ことなどを紹介しました。

記者と真鍋氏のやりとり。
【記者】研究を始めた1960年代、気候変動が世界でこのような深刻な問題になると思っ
ていましたか?
【真鍋】研究当初、こんなに重大なものになるとはまったく想像していませんでした。私
は単に自分の好奇心から研究を始めただけなのですが、私の考えるところでは、科
学において、時間がかなりたってから社会に大きなインパクトを与える大発見の多
くは、研究当初、研究者たちはのちにどんなに大きな貢献になるかは想像してなか

ったと思います。
最も興味深い研究とは、社会にとって重要だからといって行う研究ではなく、好奇
心に突き動かされて行う研究だと思います。
【記者】日本からアメリカに国籍を変えた主な理由は?
【真鍋】日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。
彼らはとても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由
です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。日本で「は
い」「いいえ」と答える形の質問があるとき、「はい」は必ずしも「はい」を意味

しません。「いいえ」の可能性もあります。(会場から笑い)
なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから
他人を邪魔するようなことをしたくないのです。
アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要が
ありません。実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察した
くもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。私のような研究者
にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。
ー略ー
それが日本に帰りたくない一つの理由です。なぜなら、私は他の人と調和的に生活
することができないからです。(会場から笑い)

真鍋氏の発言をどのように受け止めるかは一人ひとりの問題ですが、明快で示唆に富むものだと私は思いました。

《平和賞は強権批判の報道関係者が受賞》
平和賞は「報道の自由を掲げ政権の強権的な姿勢を批判」してきたフィリピンのインターネットメディア、「ラップラー」のマリア・レッサ代表と、ロシアの新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のドミトリー・ムラートフ編集長の2人が選ばれました。
選考委員会のベーリット・ライスアンネシェン委員長は、授賞理由の中で「自由で独立し、事実に基づいたジャーナリズムは、権力の乱用と戦争への扇動から人々を守ることができる」と指摘した上で、「2人は民主主義と恒久的な平和の前提となる、表現の自由を守るために、勇気を出して闘っている。民主主義と報道の自由が、逆境に直面する世界で、理想の実現のために立ち上がるすべてのジャーナリストの代表だ」と評価したことを紹介。

マリア・レッサ氏(フィリピン)は「フィリピンで、権力の乱用や暴力の横行、それに強まる専制主義の実態を自由な表現で暴いた」とした上で「ドゥテルテ政権の暴力的な麻薬撲滅キャンペーンに社会の注目を集めたほか、ソーシャルメディアがどのようにフェイクニュースを広め、嫌がらせや世論操作に使われているかを伝えた」と述べたことを紹介。

ドミトリー・ムラートフ氏(ロシア)は「メディアをめぐる状況が厳しくなるなか、何十年にもわたってロシアの言論の自由を守り、汚職や警察当局の暴力、それに選挙不正などに関する批判的な記事を発行してきた」と評価されました。
「ムラートフ氏が編集長を務めるノーバヤ・ガゼータ紙は、これまでにアンナ・ポリトコフスカヤ記者を含む6人のジャーナリストが殺害されるなど、脅迫や暴力を受けてきた。こうした脅しにもかかわらず、ムラートフ氏は、編集長として新聞の独立性を放棄せず、ジャーナリストが書きたいことを書く権利を守り続けてきた」ことを紹介。

ノーベル賞授与には受賞理由という大きなテーマが存在しています。多くの人々は受賞理由から選考委員会の意志をくみ取るからです。今回の平和賞の授与についても選考委員会は「今回の授賞によって、人々の基本的な権利を守ることの重要性を強調したい」と述べ、「表現の自由、報道の自由があってこそ、国同士は友好関係を築き、武力を放棄し、よりよい世界秩序をつくることができる」と結んでいることをお伝えしました。

関連事項として基本的人権と民主主義について、「民主主義が機能するためには、市民が自由にものを考え、自分の意見を自由に言えるという基本的人権が必要」であり、「人権が保障されているにもかかわらず、民主主義が実践されていない社会では、たとえ自由にものが言えたとしても、国家運営は一部の人びとによって一方的に行われる」という実態について解説しました。
学ぶべきこととして「・ノーベル賞授与の意義を知る。・受賞理由を認識する。・現代社会の有り様を考える好機とする。・受賞者の発言などから人生の教訓を得る。」をお伝えして世相のコーナーを終了。

相武山 山主

2021年10月29日