相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

コロナが我が家にも

怖れていたことが現実となりました。市内のアパートに住む三男が中旬にコロナに罹患したのです。仕事柄から注意が必要と思っていたので、時折注意を促していたのですが、親の言うことなど子どもは素直に聞きません。我が家も同様です。ことに楽観的な性格なら打つ手はありません。

 純興師がお盆のお手伝いに来ていたので三男も我が家に滞在。純興師が帰路について2日目、風邪の症状をうったえてきたので私はどっきり。すぐに私のかかりつけのクリニックで診断してもらいましたら、瞬時に検査結果「陽性」を言い渡され、そこからてんやわんやです。
まずは保健所からの連絡待ち。2時間くらいで本人と保健所の打ち合わせ。本人は辛かったのか入院を希望しましたが、現状では対応できないということで、翌日からのホテルでの隔離生活が通知されました。家族は全員濃厚接触者の対象とのご託宣ですから、私たちも大慌て、ついに我が家にコロナです。

すぐに私が保健所に電話をかけましたが通話できるまでにはかなりの時間。やっとつながると「2週間の観察期間をとってください。その間、必要以外の外出はしないでください。他者との接触も極力ひかえてください。希望があればPCR検査を受けられます。検査料は無料ですが初診料は3,000円かかります。検査はいつどこで受けられるか現時点ではわかりません。お急ぎでした自己負担で検査所で検査してください」というものでした。

7月になっても感染が拡大していましたから保健所も大変な状況だと思っていましたが、本当に大変な様子。また対応する方も本当に疲れている感じでした。私は「昨春から1年半以上もコロナ禍にあるのに、このような対応しかできないのか・・・」と現在の行政の在り方に不信が増幅してしまいました。

 それでも即日家族全員が自己負担のPCR検査を受けました。翌日には全員「陰性」との通知を受けてほっとしましたが、本当にどっきりでした。ホテル隔離となった三男は気胸になったこともあり入院を希望したのですが、数値計測で不可とされ少し不安を覚えたそうです。やはり医療の逼迫は事実のようです。それでも10日間の隔離生活を終えて無事に仕事に復帰し、私たちも観察期間を終えて日常を回復しました。
コロナ禍の現実を改めて認識した次第です。皆さまもご注意ください。

 

相武山 山主

2021年07月31日

境内清掃作務とブルーベリー狩り

7月25日(日)は境内清掃作務を行いました。朝から強い日差しで草取り作務をしていると汗が吹き出してきます。午前10時からの予定でしたが、8時前には阿部さん夫妻がお出でになり「お昼に用事があるので、できるだけの草取りをして早めに失礼します・・・」とマイペースで三師塔前の雑草を抜いて行かれました。

 10時前から熊木さん、落合さん夫妻、森さん、市川さん、安西さん母娘、小原さんなどが参集。終盤には中里さん親子も参加されて本堂前や墓苑の中、駐車場からの参道などの清掃作務に汗を流されました。
お盆過ぎに純興師や興厳房と一緒に境内の草刈りをしていたのでそれほど荒れているわけではありませんでしたが、皆さんの汗のおかげで境内も清々しくなり、仏法の荘厳に寄与することができました。感謝、感謝、感謝です。

 小憩の後、当山から北側3分のところにある農地でブルーベリー狩りを行いました。ブルーベリー狩りは地域の櫻井さんのご厚意で数年前から行っているものです。たわわに実った無農薬のブルーベリーを口に頬張りながら、パックに目いっぱい詰めさせてもらいました。甘酸っぱくて美味しいブルーベリーに参加した方は皆さん感激の様子でした。

8月1日(日)の御経日の後と8月8日(日)日曜法話会の後にもブルーベリー狩りを予定しています。コロナ禍に注意しながらご参加ください。

相武山 山主

2021年07月30日

新暦のお盆を営む

新暦7月15日(木)午後1時より盂蘭盆の法要を執り行いました。妙法院では檀信徒の希望によりかねて新暦の7月と月遅れの8月の二回、盂蘭盆法要を執り行っています。お盆の入りとなる13日(火)には三師塔に参詣。15日は午前中に永代供養墓「久遠廟」と「樹木葬墓地」にて塔婆を建立し、香華をささげて読経・唱題。施設に納骨埋葬されている諸精霊への追善回向を申し上げました。

 東京オリンピックは予定どおり23日からの開催のようですが、コロナ禍が続く中での盂蘭盆法要ですから、檀信徒の多くは郵便による御供養や塔婆供養願いでした。法要は昨年同様、四日市市の慧光院住職・坂上純興師にも臨席いただき、数名の参詣者の方々とご一緒に執り行いました。

参詣者が南無妙法蓮華経のお題目を唱えられる中、御宝前の須弥壇にて仏祖三宝尊への献膳。献膳は盂蘭盆会ですので塔婆が建立されている精霊壇でも行われました。法要は如法に法華経要品の読誦、南無妙法蓮華経の唱題と進み、寿量品では参詣者が精霊壇前にてお焼香。法華宗日興門流正師への御報恩、檀信徒有縁諸精霊並びに塔婆供養者への追善御回向を申し上げました。

 法要後は宗祖が盂蘭盆のいわれを述べられた盂蘭盆御書(治部房うばごぜんへの返状)冒頭箇所
「盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて智恵第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉懺師子と申し、母をば青提女と申す。其の母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。 ー 略 ー  目連、仏の仰せのごとく行ひしかば、其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給ひきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候。其れによて滅後末代の人々は七月十五日に此の法を行ひ候なり。此れは常のごとし。」を拝読。

 法話では目連尊者が餓鬼の世界に堕した母青提女を救う盂蘭盆のいわれを解説。盂蘭盆経は中国由来の経典ですが、そこからは「三悪道に堕す因果を理解して人倫の徳目を大切にすること、仏道の功徳を回向して縁者の苦悩を救うこと、知恩報恩の志を大切にすること、自身の法華経受持信行によって親族縁者も救済されること」などについて述べました。さらに我が国での盂蘭盆の歴史を略述し、盂蘭盆会を自身の信行増進と縁者の追福作善の佳い機会とするようお伝えしました 法話の後、参詣者は塔婆を墓所に立て香華をささげて帰路につきました。

相武山 山主

2021年07月30日

午前中の時間が乱れます

5月頃からでしょうか、午前中の私の時間が少し乱れています。もしかするとそれは私ばかりではないかもしれません。そうです、アメリカ、メジャーリーグで大活躍の大谷翔平選手のプレーがBSで放映されるからです。大谷選手がさまざまな話題を提供しながらメジャーリーグに渡って4年目となりました。

大谷選手はリアル二刀流としてピッチャーとバッターの二役をこなす近年稀な存在で、野球の神様といわれるベーブルースと比較されてもいます。今年は開幕から好調でバッターとしてはホームランなど長打を連発、ピッチャーとしても好成績をおさめています。さらに快足を飛ばしてのヒットや盗塁も見事で、今年のメジャーリーグの話題をさらって注目度はナンバーワンといったところです。

 オールスターゲームにも選出され、その前日のホームランダービーにも日本人として初参加。ホームランダービーでは初戦で敗退しましたが、オールスターゲームではピッチャーとしての非凡な才能を示しました。今年前半の大活躍で疲労が心配されましたが、オールスターゲーム以降も活躍は続いています。

大谷選手は成績もすばらしいのですが、それ以上にその人柄が多くの人々に愛されています。まず、野球が好きでたまらないという根っからの野球小僧であり、野球を敬愛する素直な言動が人々を魅了しているのです。さらにグランド内外での振る舞いには品性の良さを感じます。メジャーリーガーとしての驕りもなく、マナーの良さが際だっているのです。そのような品性は一朝一夕に身につくものではありませんから、幼い頃から意識して養成してきたものではないでしょうか。それは大谷選手が高校生時代に作ったといわれる通称「大谷まんだら」を見ればわかります。

大谷選手はプレーのすべてに屈託のない笑顔が印象的で、応援しているうちにこちらも元気をもらっています。リアル二刀流は心身共に大きな負荷がかかることは容易に理解できますから、無理をすることなくバランスをとりながらプレーを愉しんでほしいと思います。私の午前中の時間が乱れるのは、ただ単に私の修養が調っていないだけのことです。これからも大谷選手の活躍を祈っています。

相武山 山主

2021年07月29日

社会の安寧を願う立正安国論(上)

蝉の初鳴きに夏の到来を覚える11日(日)は7月度の日曜法話会でした。コロナ禍の切り札といわれるワクチン接種は、5月から7月初旬までは予定どおりに進んでいたようですが、7月初旬過ぎからは少々混乱気味。東京オリンピックの開催をとにかく推し進めたいIOCと東京都&政府も気をもんでいるいるようですが、コロナ禍の速やかな収束を願う私たち国民も接種が進まぬ現状を心配しています。

 感染状況の様子によって緩急はありましたが、当山も昨春からの自粛がすでに16ヶ月に及んでいます。この間、檀信徒の参詣や集いを積極的に案内することができず、行事法要は寺内中心。檀信徒も各自の判断で感染予防対策をして静かに信仰を護持するばかりです。法華経と日蓮大聖人の教えを伝えるお寺としての機能はかなりそがれ、信仰の護持や啓蒙に資することが難しい状況が続いています。

【はじめに】
今月の法話会のテーマは「社会の安寧を願う立正安国論」。日蓮大聖人が時の為政者に安国論を奏進したのは文応元年(1260)7月16日。社会の安寧を願う日蓮大聖人の思いとコロナ禍の速やかな収束を願ってのテーマとなりました。
参加聴聞者は20数名で新来の方はいらっしゃいませんでしたが、いつものように初めにレジメの冒頭に示している法話会の趣旨「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しい理解を。法華経と日蓮大聖人の教えにふれよう」について解説。
続いて、釈尊の仏教では基本的姿勢として「現実を直視する」が説かれていることを述べ、現実から眼をそらしても課題が解決することはなく、現実をしっかりと見据えて対峙する姿勢の大切さを説明。仏教では修行と修学が求められますが、それはけっして平坦ではない人生を歩む私たちが、生きる力を涵養するためであることをお伝えしました。

仏教というと我が国では寺院や僧侶、葬儀や法事、歴史や観光など、現実の生活と密接な関係にあるものと観る方は多くありませんが、仏教を創始された釈尊はインド土着のバラモン教のような神秘主義や難行苦行を否定され、「限りある人生を如何に生きるべきか、苦しみや悩みを如何に乗り越えるべきか」という現実生活の課題と率直に向き合われたことを解説。

【立正安国論の奏上】
日蓮大聖人は大乗仏教の精華である法華経の教えを実践されました。その聖人の畢生の書といわれているのが『立正安国論』です。聖人自ら『撰時抄』には「外典に云く、未萌をしるを聖人という。内典に云く、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみやうあり。一には、去にし文応元年〈太歳庚申〉七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向かひて云く、禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ゐなきならば、此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給ふべし」と述べています。

日蓮大聖人の遺された御書は中世の文書としては他に類のないほど膨大で貴重なものですが、それらを拝読するとその主張と意見には一貫して経典と論書の裏付けがあります。思いつきや無断引用をすることなく、できる限り引用文を明らかにしているところに宗祖の学問と信仰への真摯な姿勢を拝することができることをお伝えしました。

レジメと一緒にお渡しした「立正安国論真蹟の冒頭画像」と「立正安国論の解題」から安国論の概要を説明。解題とは聖人の遺された御書についての学術的解説と当該御書の概要を示したもので、岡山県興風談所制作「御書システム」に在るものです。聴講者と一緒に解題を丁寧に読み進め、安国論は宗祖自ら「勘文」といわれるように、幕府の依頼によるものではないものの、勘文の意識をもって認められたもので、その大部分は経文の引用であること。客と主人の九番の問答と最後客の決意で構成されていることを学びました。

次に立正安国論を所蔵する法華経寺が所在する市川市のホームページを紹介。
そこには
「法華経寺が所蔵する二つの国宝のうちの一つです。日蓮48歳の時の著で、鎌倉幕府の前執権・北条時頼に建白した『立正安国論』の控えの真筆です。厚手の楮紙を36枚継ぎ、縦29センチメートル、全長は15.98メートルにも及び、各紙片の端に枚数を記しています。
原文は漢文で、「当今いろいろと国に災いが続くのは念仏の流行に原因がある。もし、これを禁じないでおけば、さらに内乱外寇が必ず起こるであろう」と経文をあげて予言し、これを防ぐためには法華唱題を広めるよりほかになく、またこれを用いない為政者は早死にするということを、主人と旅人の問答形式で書いています。
奥書には「文応元年(1260)太歳庚申勘之 従正嘉始之文応元年勘畢」と記し、ついで予見的中の諸箇条を追記したあと「文永六年(1269)太歳己巳十二月八日写之」と執筆の年次が明らかになっています。
これは日蓮が正面から堂々と幕府を諫めたものなので、字体も略字を用いず楷書で書き、厳しい調子が全体にあふれています。このため、以後日蓮は次々と迫害を受けることになるのです。
なお、第24紙目は紛失したため、これを慶長6年(1601)11月6日に日通が補写して挿入しています。また軸紙によると正保3年(1646)8月に本阿弥光甫が補修していることが分かります。」
とありました。

【大乗仏教の精神】
宗祖は大乗仏教の精神、ことに一仏乗と諸法実相を説く法華経の教えによって立正安国論を奏上されました。そこには「災難にあえぐ庶民の苦悩を取り除きたい。国や社会の安寧は一人ひとりの幸福に不可欠なものである。正法によって災厄を調伏し国家と庶民の平安をもたらしたい」という大乗菩薩道の実践がありました。

インドの原始仏教や初期仏教では元来個人の悟りや救済が主眼であり、国や社会の救済やその安寧ということは対象ではなかったようです。ここに初期仏教と大乗仏教との相違を見ることができます。法華経を最勝の教えと信受した日蓮大聖人は、積極的に庶民や国家の平安を願われて安国論を奏上されたことをお伝えしました。

有名な安国論の冒頭箇所
「旅客来たりて歎きて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之れを悲しまざるの族敢へて一人も無し」
を真蹟画像で皆さまと一緒に読み上げた後、レジメに示した当時の歴史書である『吾妻鏡』等から正嘉元年(1257)から弘長元年(1261)まで、4年間の大地震や風水害、干ばつなどの自然災害、飢饉や疫病の流行、大火事や悪党の蜂起などの記録を概観しました。

安国論では宗祖が「国の平安は庶民の安心安全の基盤であり、国の平安は正しい仏法の流布によること」をうったえたことを学び、そこには大乗仏教で説かれる「自らの悟りと平安を求めるばかりでなく、他者ともろともなる救済を願う大乗菩薩道」が存在していることを確認。さらに大乗仏教では個人の精神世界の充実と深化を大切にしながら、人生の現実生活におけるさまざまな課題と向き合い、それらに真摯に対応することが大乗仏教の在り方であると所見を述べました。

法話会の時間はここでタイムオーバー。レジメの後半の法話は来月に持ち越しとなりました。来月の法話会は8月8日(日)午前11時からです。
つづく

相武山 山主

2021年07月28日

土石流の映像から

現代はスマートフォンなどの普及によってさまざまな映像が瞬時に報道される時代。今や誰もがカメラマン、誰もが動画編集提供者という感じです。今では多くの方が気軽に利用しているスマホ(スマートフォン)ですが、その幕開けは2007年にアメリカのアップル社が「iPhone」を発売したことによります。2007年といえばたった14年ほど前のことです。

 アップル社の前にはIBM社が1992年に開発した端末があり、1994年にはIBMがタッチパネル搭載の端末を発売しています。しかし、スマートフォンという名称の起源は1996年ノキア社発売の端末からのようで、広く利用されるようになったのはやはりアップル社のアイフォーンからでしょう。

日本でも2008年にアイフォーンが登場。それ以来スマホが携帯電話の主流となり現在に至っています。携帯電話がレンタル提供から売り切り制となって、多くの人々に提供されるようになったのは1994年(平成6年)頃のことですから、わずか14年くらいで携帯電話の端末機が大きく変化したことがわかります。その後のスマホの活躍は皆さまご承知のとおりです。

【熱海市伊豆山の土砂崩れ】
地球温暖化の影響か近年7月には全国各地で豪雨災害が多発しています。しかし、災害の発生する度に検証がなされ、気象予報も精度が上がり、豪雨災害への意識も高まってきたので災害は起こったとしても被害は縮小して行くことを私は希望していました。ところがその望みも熱海市伊豆山での土石流災害で一気に吹き飛んでしまいました。

梅雨前線による大雨に伴い、令和3年7月3日10時30分頃、熱海市伊豆山の逢初川で土石流が発生。11時前後にはすさまじい映像がテレビから流れてきました。土石流が多くの家屋を押し流しながらものすごい勢いで下って行くのです。これは何ごとだと唖然としてしまいました。詳しい解説はありませんでしたが、とんでもない災害が発生したことだけは瞬時に理解できました。

その後の報道によれば
「午前8時20分ごろ、逢初川近くの道路で大量の泥水が流れる様子を住民が目撃。午前10時28分、『向かいの家が地滑りで跡形もなく流された』という通報があり、熱海市消防署の消防隊が出動。伊豆山地区のバス通りが土砂で通れず、通報現場にはたどり着けない状況で、消防隊が手前に車両を止めて周辺の住宅を調査していたとき、大規模な土石流が発生し、多くの住宅などを巻き込みながら流れ下ったという。
この瞬間の様子は住民が撮影してSNSに投稿。国内外のメディアでも大々的に報じられた。土石流は逢初川を南東方向に向かって海までおよそ1 kmにわたって流れ出た。これにより住宅131棟が被害を受け、小規模なものも含めて10回以上の土石流が繰り返し発生した」
という災害です。

気象庁によると当時は西日本から東日本にかけて停滞する前線に向かって暖かく湿った空気が次々と流れ込み、大気の状態が非常に不安定となり、東海地方から関東地方南部を中心に記録的な大雨となっていたということです。同じ熱海市の網代では3日午後3時20分までの48時間で321 mmの降水量を記録し、現地の7月の観測史上で最多となっていました。また、被災地などには前日の12時30分に土砂災害警戒情報が発表されていました。

【人災との指摘】
伊豆山地区の土石流災害の原因については激しい豪雨が主因ですが、土石流の起点周辺の「盛り土」が被害を誘引しその拡大につながったと指摘されています。災害は雨量や地形、地質の悪条件が重なった発生したものですが、盛り土に流れ込む雨水の排水が十分に機能していなかった可能性を複数の専門家が指摘しています。

「盛り土」はそのままでは住宅地や道路の建設に適さない山や丘の斜面に、土を盛って人工的に平な部分を作ること。今回の崩落はその盛り土を起点としています。「手抜き工事」や「違法投棄」などが行われていたかどうかは不明ですが、今までも行政からの注意や指導があったようですから、今後の厳正な調査が求められます。

現代は地図の精度や記録が格段に向上していますから、盛り土の開始前から現在までの変遷を詳細に調査すれば、災害の実態と主因が解明されることでしょう。少し時間はかかるかもしれませんがしっかりと検証してほしいと思います。また、全国には同様の懸念される盛り土地域もあるようですから併せて調査することを望みたいと思います。

豪雨が原因の一つであることは論を待ちませんが、人間が人工的に工作したものが原因の一つであるとするならば、間違いなく人災と呼ぶべきではないかと思います。甚大な被害と多くの人命が失われた災害ですから、今後同じような災害を発生させないためにも皆で注視して行かねばなりません。

この土砂崩れによって27名もの方々が犠牲となりました。突然の災害に貴重な人生を奪われた方々、かけがえのない家族を失って悲嘆に暮れるご遺族にはお悔やみの言葉もありません。災害の復旧には県の内外から消防、警察、自衛隊などが1000人超の体制で支援。懸命な復旧作業が続けられていますが、被災地域の方々は不自由な避難所生活を余儀なくされています。速やかな復旧と平穏な生活が早くもたらされますよう心より仏天に祈ります。

相武山 山主

2021年07月27日