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相武山 妙法寺 ブログ

伊豆御流罪法難会

16日(日)午後1時より伊豆御流罪法難会を執り行いました。法会には午前の日曜法話会から引き続いて参詣された方が多く、ランチを摂って小憩してからのご参詣。まじめな同信の皆さまと倶に如法に読経・唱題をつとめて伊豆御流罪への御報恩を申し上げました。

この法難は日蓮大聖人が弘長元年(1261)5月12日から同3年(1263)2月22日まで伊豆の伊東(静岡県伊東市)に流罪された法難のことです。宗祖は前年の文応元年(1260)7月に『立正安国論』を前執権・北条時頼に奏上。結果的に為政者への批判とされ、世情を騒がせる者として弾圧の対象となりました。

 

もちろん、建長5年(1253)の立教開宗以来、宗祖の法然浄土教批判は一貫したものでしたから、念仏信仰者からは常に怨嫉攻撃される対象でした。文応元年(1260)8月には松葉谷の庵室を襲撃(松葉谷法難)されています。
その時には安房から下総などに避難したと考えられますが、法華弘通のために鎌倉にもどったところ、権力者一族の讒訴によって捕縛され、伊東八郎左衛門の預かりとして伊東に配流されたのです。

法要に続いての法話では伊豆御流罪の伝説が説かれる「船守弥三郎許御書」を拝読。御書システムより御流罪の背景と状況。さらに「船守弥三郎許御書」の解題からその真偽と内容を解説。拝読御書から「船守弥三郎夫妻に寄せる宗祖の想いと、地頭である伊東氏の病気平癒祈願など」について所見を述べ、いずこにあっても、どのような環境におかれても、仏法を受持し自らの志を信じられた宗祖は、ふれあう善悪すべての人々を仏縁とされたことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年05月31日

源を見つめる(下)

日曜法話会のレジメの続きは「オリンピック開催ありきでよいのか?」から。我が国のコロナ禍の現状からして、果たして開催は可能か?という疑問です。菅総理は開催の有無について質問されても明確に答えませんが、政権は開催の意向と報じられています。
近年の国政では政権や権力者にとって都合の悪いことは明確に回答しない、さらに説明しないことが多いように思えます。政権は国民のためのもの、市民のためのものという原点が忘れられているように思えるのは残念との所見を述べました。

オリンピックは7月23日開幕、残された時間は68日。海外のメディアも開催の是非を論じています。明確に中止・延期との声も上がっていますし、開催に関わる各県にオリンピック向けの医療提供を求めても拒否されているとの報道があります。世論調査でも開催賛成は少なく過半は中止か延期を希望しています。このような状況で果たして「コロナに打ち勝った証」などといって開催できるのでしょうか。オリンピック開催についてもその本来の意義(源)を問い直す必要があるように思います。

次にレジメでは「公文書改ざん事件(赤木ファイルの提出)」を取り上げました。
森友学園問題は未だにすっきりしていない問題ですが、昨年(2020年)、森友学園事件で財務省の佐川宣寿理財局長(当時)に決裁文書の改ざんを強要されて自死に追い込まれた近畿財務局職員、赤木俊夫さんの遺書と手記が公表されました。
公文書改ざん問題は安倍晋三前総理が国会で自身と昭恵夫人の関与を完全否定する答弁を行い。その答弁に合わせて佐川局長が部下に文書改ざんを命じたというものです。現場で対応を迫られた赤木さんは自死することで財務省の不正を告発したことになりました。赤木さんの自死を問われた安倍総理は、「ああいう結果になり、総理として大変申し訳ない」と謝罪。しかし、赤木さんの告発に応えて再調査することは否定しました。

2020年3月、赤木さんの自死から2年後、妻の赤木雅子さんが「自死は同省で改ざんを強いられたからだ」として、国や佐川宣寿・元財務省理財局長に、計約1億1200万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴。雅子さんは、夫の精神的苦痛を証明するために「赤木ファイル」の提出を命じる「文書提出命令」を出すよう地裁に申し立てていました。これを受け、国は、5月6日までにファイルの存否について文書で回答することになっていたのです。
国が赤木ファイルの存在を認め、条件つきながら開示することを回答したという事件です。内容が少し込み入っていることもあり、法話会では日経新聞を参照に解説しました。

テーマ「源を見つめる」に沿って、「公務員が仕えるとは!」として、ある国家公務員のことば『国家公務員のすべての原点は「人のために、国民のために、国益のために」、自分は何ができるか、自分はどのように国家公務員として仕事をしていくか、どのような政策を実現していくか、それを考えることが国家公務員としての使命であり、国家公務員として働くことの意義だと思います。』を紹介。
私の所見として「公務員は公平公正、原点と基本を忘れてはいけない」と述べ、「意識の対象は権力者ではなく、国民、市民であるべき。公文書は国民・市民の財産であり、改ざんを許してはならない」「この事件は大きな問題を内包してるので今後も注視したい」とお伝えしました。

次に天台大師のことば
摩訶止観から「流れを挹みて源を尋ね、香を聞きて根を討ぬ」を紹介。
『水の流れをくみとって、水源の様子を追求し、匂いを嗅いで根源の様子を調べる。末端に現れたものから本質を察知するたとえ』
同じく摩訶止観から「根露るれば条枯る、源乾けば流れ竭く」を紹介。
『植物の根がむき出しになれば枝は枯れてしまう。水源が干上がれば水の流れはつきる。根本になるものがだめになれば影響は末端まで及ぶことのたとえ』

結びに以下の日蓮のことばを紹介。
「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得可きか」  『観心本尊抄』
「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば、必ず天はまぼ(守)らせ給ふなり」 『四条金吾殿御返事』
「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり。」 『檀越某御返事』
《現代語訳》「主君に仕えることが、そのまま法華経の実践であるとお思いなされよ。天台大師の『あらゆる世間の生活と産業は、みな仏法の真実と相違しない』というお言葉はそういう意味である。

学ぶべきこととして「何ごとも謙虚に原点を意識して人生を歩もう。おかしなこと、納得できないことには拒む勇気を。人生の最後まで学ぶことを愉しもう。自らを支え育むすべての存在に感謝の思いを抱けるように精神の涵養をはかろう。」とお伝えして5月度の日曜法話会は終了。
次回は6月13日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年05月30日

源を見つめる(上)

5月の日曜法話会は16日(日)午前11時からでした。コロナ禍による緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が全国各地に出され、収束が見込めない上にワクチン接種もかけ声倒れでほとんど進んでいないという現状です。その上この日は天候も不安定でしたから参加者は16名ほどでした。参加者の多寡で法話の内容や私の意識が変化することは全くありませんから、いつものようにテーマ「源を見つめる」をレジメに沿ってのお話。

【雨の恵みに思う】
例月どおりに日曜法話会の趣旨をお伝えしてテーマに入る前に、「例年より早い梅雨入り」について一言。というのも北九州、中国地方、四国地方が例年より3週間ほど早く梅雨入りしたという報道があり、関東地方もいつもより早い梅雨入りが予想されているので、うっとうしい梅雨時の心の持ち方を参加者の皆さんと考えてみようと思った次第。

我が国では梅雨前線の活動が活発になる6月から7月にかけての時季を梅雨と呼ぶ。晴れ間が少なく曇天に降雨が続くと誰もが心も塞ぎがち。また、湿度が上がってムシムシしてきたらさらに不快指数が上昇。野外での作業も制約され、外出も面倒になり、洗濯物も乾かない、カビも生えれば食物も腐りやすくなる。少し考えただけでもため息が出てきそうな季節という方も少なくありません。

しかし、中国の俗諺に『春の雨は貴きこと油のごとし』とあるように、植物などの成育に雨は太陽とともに不可欠な存在。雨はあらゆる生命を支える水の源であり、水がなければ動物も植物もあらゆる生物は生きて行くことができません。自然界の営みでは雨はまさに恵みそのものなのです。また雨は塵や汚れを洗い流してもくれます。
時に豪雨となって深刻な水害をおこすこともありますから注意は必要ですが、暑い夏を乗り切るためにも梅雨は私たちにとって必要な時季なのです。愚痴ばかりに流されずに、うっとうしい梅雨のときこそ雨の恵みを学ぶ機会とし、梅雨ならではの愉しみを見つけたいものです。心の持ち方を工夫する好季であることをお伝えしました。

【源を見つめる(上)】
さて法話会のテーマの副題は「原点を意識して人生を歩む」です。俗諺にも「迷ったら原点にかえる」とあります。原点を意識しながら人生を歩むことが大切であることから「人生のすべてにおいてその源を意識する。目的を見失ってはならない。基本を疎かにしてはいけない。自らの存在と行動の原点を常に意識すること」をお伝えしました。また、「貴重な人生、家族、夫婦、学び舎、教師、友人、交友、就職、職責など」その存在と行動の理由を意識し、「何のために? なぜ? どうして?」という自身への問いかけを忘れてはいけないという所見を述べました。

次に先人のことばに学ぶでは、
論語の学而篇から「君子は本を務む。本立ちて道生ず。」を紹介。
『君子は何ごとにつけ根本のことに力を注ぐ。根本が確立されると。行くべき道がおのずとできてくるものである』(有若のことば)
孟子の言葉から「道は大路のごとく然り。豈に知り難からんや。人求めざるを病むのみ」を紹介。
『聖人の道は多きな道路のようなものである。どうしてわかりにくいことがあろうか。人が自ら求めようとしないことが問題なのである。』
荀子の君道篇から「源清めば則ち流れ清み、源濁れば則ち流れ濁る」を紹介。
『源泉が澄みとおっていれば下流も澄み、源泉が濁っていれば下流も濁る。物事はその根源にあるものの善し悪しに左右されやすいことをたとえる。』
後漢書から「涓流寡なしと雖も、浸く江河を成す」を紹介。
『ちょろちょろと流れる小川の水はごく少ない水だが、しだいに大河の流れとなる。大きなことも小さなことから始まることのたとえ』
説苑から「本傷めば枝槁れ、根深ければ末厚し」を紹介。
『木はその根元がいたんでいれば枝葉は枯れてしまい、深くしっかりしていれば、こんもりとよく繁るものである。何ごとも基本が大切であることを説くたとえ』
以上のことばから枝葉末節に振り回されず、源を常に意識することの大切さを学びました。
源流や大道、柱や幹を大切に対応することの反語にもなるのが、場当たり的、その場しのぎの対応。少し目をこらして現実を見ればそこかしこにその姿をみることとなります。

【コロナ禍の増大とワクチン接種の混乱】
5月16日現在、緊急事態宣言が出されているのは、北海道、東京都、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、岡山県、広島県 及び福岡県の計9都道府県。まん延防止等重点措置は千葉、神奈川、埼玉、岐阜、三重、愛媛、沖縄、群馬、石川、熊本の計10県。
合計19都道府県に宣言と措置が講じられていますから、心穏やかな品格の国民性といわれても世相を不安に思うのは当然です。国や地方の行政を司る方々も一所懸命取り組んでいるのでしょうが、今ひとつ合点がいかないのは感染拡大防止が最優先という徹底がなされないことだと思うのは私ばかりではないでしょう。

いわれるまでもなく経済活動や社会活動は私たちにとって大切なものですから、コロナ禍であってもそれなりの活動をすることは理解できます。しかし、感染防止が至上命題なのですからその徹底をはかられなければ成果は上がりません。二兎を追う者は一兎を得ずです。また、責任者が平時と緊急時の認識ができず、基本的判断がにぶればより良い成果も得られようはずがありません。
新型コロナウイルスによるパンデミックですから誰が責任者でも対応は厳しく難しいと思いますが、多くの国民が不安と困窮を来しているのですから、権力者としての責務をしっかりと果たしてほしいとの願いをお伝えしました。

ワクチン接種については「まだ医療従事者も25%の接種。高齢者の接種は各自治体でバラツキが。各地でワクチン接種予約の混乱。政府は7月末までに高齢者の接種完了を明言?ワクチンの確保が不明な上に接種の準備(会場、スタッフなど)ができていないのが現状では?行政への不信と不安?」という現状や疑問について解説。
さらに私のワクチン接種予約の顛末を報告しました。
高齢者の一人である私が、同居する94歳の高齢者のために、5/3、5/5、5/10、と3日間3回にわたって接種予約にチャレンジしましたが見事に空振り。イライラが募るとともに、サイトからの予約も電話での予約も機能しているようには思えなかったので、「横浜市は何を目的にして予約のチケットを送付したのかな?予約チケットへの対応をシュミレーションしていたのかな? 80歳以上の高齢者への予約も済まないうちになぜ70歳以上の高齢者にもワクチン接種通知を送付するのかな?・・・」と次から次に???でした。

不安解消のはずのワクチン接種予約が疑問とストレスになった顛末と、最後にはかかりつけクリニックで私も同居高齢者も一緒に予約がとれたことをお伝えしました。ワクチン接種のこぼれ話として、一部行政の首長や地域有力者などが抜け駆け接種問題を起こしている報道を紹介。人の道を踏み外すようなことはまことに残念。何ごとも源や基本を大切にしたいものです。

相武山 山主

2021年05月29日

仏法の護持と弘通を誓願

ゴールデンウイークがはじまる4月29日(木)午前11時より立教開宗会と御虫払法要を執り行いました。コロナ禍での法要ですから参詣者は25名ほどでした。立宗会は建長5年4月28日の宗祖の立教開宗を御報恩申し上げる法要であり、御虫払法要は当山に所蔵している御宝物のお風入れ虫払いを行う法要です。近年、当山では二つの大切な法要を同日に奉修しています。

【御宝物を解説】
三日ほど前から本堂内陣に所蔵御本尊と宗開両祖の御影画を奉掲。今年は始まる前に私から御奉掲の御宝物について30分ほど解説をいたしました。九幅の曼荼羅本尊は江戸末期から明治にかけてのものが大半です。中央御厨子に安置の御本尊は天保10年の曼荼羅。天保の改革や大塩平八郎の乱の頃の御染筆になります。元治元年の二幅の御本尊は幕末の池田屋事件や禁門の変、長州と四カ国戦争の頃の御染筆。明治7年の御本尊は明治維新の動乱期、佐賀の乱から西南戦争に至る頃の御染筆です。

宗祖、弘安4年4月の御図顕、僧日春授与の御形木本尊。中山法華経寺浄光院所蔵の重要文化財「水鏡の御影画」の複製についても解説して紹介。宗祖の御影については宗祖滅後より弟子が画像に描き木像に造立した事実をお伝えし、日興門流では宗祖滅後の三宝を明らかにするため、宗祖と日興上人の両御影を曼陀羅本尊の左右に安置してきた歴史を紹介しました。

【私集最要文注法華経】
また、昨年求めることができた「私集最要文注法華経」の複製を長机にて披露。
この注法華経については『図録 日蓮聖人の世界』から、
「『注法華経』の存在は日蓮聖人遷化の際、高弟の日興がその葬送の様子や聖人の遺言等を記録した「宗祖御遷化記録」に確認することができる。「御遺言に云く、仏は〈釈迦立像〉墓所の傍らに立て置くべし云々。経は〈私集最要文、注法花経と名づく〉同じく墓所寺に籠め置き、六人香花当番の時之れを披見すべし。自余の聖教は沙汰の限りに非ず云々。御遺言に任せ、記するところ件の如し」
右の記述によれば、「注法華経」は他の聖教とは異なり、公の物として聖人の墓所に保管し輪番の者たちがそれを研鑽せよというのが聖人のご意志であった。それは「私集最要文、注法花経と名づく」とみずから記されているように、これがぼう大な聖人の取材ノートであり、それゆえ聖 人の思想の土台ともいうべき最要文集であったからに他ならない。

 

さてこの『注法華経』は、通称『春日版』と呼ばれる法華三部経十巻(法華経・無量義経・普賢経)の表裏に、聖人がおびただしい経釈の要文を注記されたもので、正本は現在静岡県三島市の妙法華寺に所蔵されている。立正安国会が昭和三十年刊行した『私集最要文 注法華経』十巻は、正本を忠実に再現複製したもので、全容をそのまま伝えている。」
との解説をお伝えしました。

解説の後、法要開始。香華供物をお供えした御宝前に、法華経要品を読誦、自我偈を訓読して懇ろに南無妙法蓮華経の唱題。唱題の裡に参詣者は内陣に進み御宝物を親しく内拝。参詣僧俗は倶に立教開宗への御報恩と御虫払法要にあたって仏法護持弘通の精進を誓願いたしました。
法要後の挨拶では、「現代に私たちが法華経や日蓮大聖人の教えを信行できるということは、その教えと信仰を時代の荒波にもまれながらも護り伝えてきた僧俗が存在したからであり、そのような先師先達の志と求道心に敬意を表するとともに、現代は自分たちが合力して仏法の護持弘通という崇高な使命を遂行して行こう」と申し上げました。

相武山 山主

2021年05月28日