相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

新年を迎えるために

【歳末大掃除】
年の瀬も押し迫った26日(土)午前10時からは歳末の大掃除。9時半頃から皆さんご参集。着山された方から堂宇、境内、参道の清掃にあたって頂きました。本堂や客殿は御会式の時に丁寧に清掃しているため、玄関、受付、ロビー、トイレが対象です。境内は三師塔とその周囲を中心に、過日、合摩さんが樹形を調えてくださった本堂前のサクラの枝の搬出など。搬出は軽トラックに荷積みして搬出を3回行い本堂前がすっきりきれいになりました。

大掃除は2時間ほどで終了。最後に本堂でお正月参詣者へのカレンダーや妙風新聞などを渡しやすいように作業して頂きました。お寺は僧侶だけでは管理も運営もできません。ご信徒の協力と支援が欠かせませんので、これからも応分のご協力をお願いいたします。

当日は初めてご参加の柴さんはじめ、奥田さん、安西さん、高橋さん、森さん、辻本さん、久保さん、落合さん、芦川さん、阿部さん、熊木さん、新倉さんに参加ご協力頂き、ありがとうございました。これで安心してお正月の参詣者をお迎えできます。

【餅つきとお供物と門づくり」
今日(30日)は午前10時からご宝前にお供えする重ね餅を作りました。餅つきは数年前から元和菓子職人の小原さんにご協力頂いています。興厳師がしっかりとお手伝いしながら記録していますので、やがて興厳師手作りの重ね餅も見ることができるようになるかもしれません。
11時からは阿部さんにも協力頂き、マスクとゴム手袋着用でお正月参詣者への「昆布」の袋つめ、容器に入れて振る舞う「お屠蘇」の容器つめなどを行いました。これもコロナ禍対策の一環です。
引き続いて、興厳師、阿部さん、私の三人で玄関前の門松づくり。例年どおりにコモを巻いた樽に青竹をさし、竹の周囲を若松で囲みます。約1時間ほどの作業ですが新年を迎える最後の作業でした。
皆さまどうぞ佳い新年をお迎えください。

相武山 山主

2020年12月30日

おさめ御講と冬季法門研修会

令和2年も師走を迎え当山でも今年の法要行事をおさめることになりました。今年は年初からの新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るい、社会や生活に不安と混乱をもたらしました。今まで以上に衛生観念の向上が求められ、リモートによる学習や仕事も一気に拡大。通勤や通学に対しての意識も変化しています。多くの人が生活スタイルがコロナ禍以前とはちがったものになってきているような気がしていることでしょう。やがてあの時が時代のターニングポイントだったといわれるようになるかもしれません。

大乗仏教の精華である法華経を信行する当山もコロナ禍によって大きな影響をうけました。感染防止には三密の防止が基本といわれています。しかし、信行の道場である本堂は扉を開放しない限り密閉ですし、僧俗が多数参加する法要や行事の執行によって各自の信仰を深めて行くのですが、僧俗が参集すれば密集となります。さらには基本的行法として法華経要品を読誦し南無妙法蓮華経のお題目を唱えますから、飛沫を拡散する密接にも該当してしまいます。

修行のすべてが三密に抵触するのですから、その徹底をはかるということは信仰活動の停止に他なりません。同じ宗教界でも最も制限をうけている信仰の一つといえるでしょう。3月下旬から7月上旬のお寺の静けさを思えばよくわかります。しかし、相手は未知のウイルスですから慎重に対応し、社会全体で克服に取り組んで行かねばならないことは明白。寺院や宗教も社会の一員として倶に感染防止に努めるのは当然のことです。

時代によって思想や宗教、モラルや価値観、社会制度や生活スタイルなど、さまざまに変化が生じることは誰もが認める真実ですが、それは変化したものごとに只したがえば良いという単純なものではなく、「変化して良いもの、変化しなければならないもの、変化しなくても良いもの、変化してはいけないもの」があることを思慮しなければなりません。その判断は各自の価値観によるものですが、コロナ禍にあって当山も試行錯誤しながら対応に苦慮した一年でした。コロナ禍の収束が見えてくる頃には検証が必要になることでしょう。

12月13日(日)は午後1時から今年最後の日蓮大聖人御報恩御講(おさめ御講)でした。参詣のご信徒と倶に真心を込めて、献膳、読経、焼香、唱題と如法に奉修。今年一年の無事とご加護を日蓮大聖人と仏祖三宝尊に報恩感謝申し上げました。

法要後には佐渡御書を拝読しての法話。この御書は真偽未決でありますが、宗祖佐渡御流罪の翌春、弟子檀越に送られた書状として伝わり、長く門下の信行の糧となっているものです。
佐渡御書の冒頭箇所
「世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此の身の死するとなるべし。牛馬猶身を惜しむ、況や人身をや。癩人猶命を惜しむ、何に況や壮人をや。仏説いて云く「七宝を以て三千大千世界に布き満つるとも、手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」〈取意〉。
雪山童子の身をなげし、楽法梵志が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是れを布施として仏法を習へば必ず仏となる。
身命を捨つる人他の宝を仏法に惜しむべしや。又財宝を仏法におしまん物、まさる身命を捨つべきや。世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし」を拝読。

極寒の佐渡に流罪となられた宗祖のご様子を想像してその御心にふれ、仏の弟子はひとしく仏道を求める志を最優先とすべきことと、人生はまことにはかなく「邯鄲(かんたん)の夢」のようなもであり、人生の無常を自覚して永遠の真理である南無妙法蓮華経のお題目に生きることの大切さをお伝えしました。

【冬季法門研修会】
おさめ御講に引き続いて「冬季法門研修会」を開催。
法門研修会は春夏秋冬の四季それぞれ法華経と日蓮大聖人の教えをじっくり学んで頂くための研修会です。研修会では法話会とことなり少し難しい仏教用語や仏教思想も解説されますが、何回も聴聞するうちには必ず理解が進み、信仰を深めるたしかな礎となるものです。

秋の研修会に続いてはじめは興厳師による「五時八教の教判」。今回は化法の四教についての講義でした。化法の四教は教説の内容によって四種をたてたもの。蔵教(ぞうきょう)は小乗の教え、通教(つうぎょう)は大乗・小乗に通ずる教え、別教(べっきょう)は大乗のみを説いた教え、円教(えんきょう)はすべてを包摂する円満な教えであることことを解説しました。

次の講義は私が「日興門流の教えと信仰」から「不軽菩薩と日蓮大聖人」について。
末法の法華経の行者としての御自覚に立たれた宗祖は自らを不軽菩薩の跡を承継すると仰せになり、御書にも不軽菩薩とご自身を「境・智・行・位」に比しておられます。
寺泊御書には
「法華経は三世の説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来は不軽品為るべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為るべし」
顕仏未来記には
「彼の二十四字と此の五字と、其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。」
上野殿御返事
「日蓮は法華経誹謗の国に生まれて威音王仏の末法の不軽菩薩のごとし。はた又歓喜増益仏の末の覚徳比丘の如し」
とあることを紹介。

法華経を修行するにあたっては不軽菩薩の精神で臨むことが、法華宗日興門流の教えと信仰であることをお伝えしました。研修会は瞬く間に終了。参加者の皆さんは仏法聴聞のたしかな功徳を積み、また一歩信仰を深められました。

相武山 山主

2020年12月29日

龍ノ口への道

12月5日(土)、今年も恒例となった「鎌倉歴史散策の会」を開催しました。当山では開創以来、機会を設けて日蓮大聖人のご聖跡を訪ねています。ことに鎌倉は宗祖が立教開宗以来佐渡流罪となって離れるまで法華弘通の縁深い地であり、横浜からも近いので何回企画したかわからないほど訪ねています。
十数年前からは深秋から初冬の頃、鎌倉の歴史や文化に造詣深い酒井俊克さんにご案内頂いて「鎌倉歴史散策の会」を開催しています。歴史を知るためにはまず地勢や道を学ばなければなりません。鎌倉の地勢も時代によって変化しています。現代の鎌倉が昔から同じ鎌倉と思いこんでしまうと混乱のもとといえるでしょう。地勢という基本をしっかりとふまえてから、歴史と文化、政治と社会と生活を思考するのが大切だと思います。
酒井さんは地勢と古道に詳しくいつも適切なご案内を頂いています。

今回の散策会は今年が日蓮大聖人の「龍ノ口法難・佐渡御流罪から750年」となることから、「鎌倉から龍ノ口への道」というテーマでした。したがって鎌倉から龍ノ口(藤沢市片瀬)までの散策となります。少々道のりが厳しいかなと思いましたが、どなたも最後まで歩き通され、散策に臨まれる皆さんは日頃から足を鍛えられている様子がわかりました。

当日は今季初という寒波襲来が予報されていました。予報は的中。氷雨といっても良いくらいの寒さです。参加者は9時30分JR鎌倉駅西口に集合。一様に「さむいですね~」と挨拶。全員集合を確認して私から今回の散策会の趣旨について説明し江ノ電鎌倉駅へ。人気の江ノ電に乗車して二駅目、由比ヶ浜で下車。小雨がそぼ降る寒さのなか散策が開始。

始めに鎌倉時代初期の西の結界であった稲瀬川を確認して、四条金吾の屋敷跡と伝える収玄寺で四条金吾と主君の江間氏についての説明を受けました。次に御霊神社から鎌倉十井の一つに数えられる星の井を見学し、良観房忍性が切り開いたといわれる極楽寺切り通しを進み、極楽寺から鎌倉十橋の一つ針摺橋や大聖人ゆかりの袈裟掛けの松、十一人塚を経て稲村ヶ崎の海岸へ。稲村ヶ崎では鎌倉時代末期に新田義貞が軍を率いて鎌倉攻めをした際、難所であった極楽寺坂を攻略できず、この稲村ヶ崎の海岸を渡って鎌倉へ攻め入ったという有名な話をうかがいました。

氷雨はやみそうでやまず、皆さん「寒いね~」とつぶやきながら海岸線に沿って雨乞い伝説の霊光寺へ。途中龍ノ口法難に由来する行合橋の説明を聞き、大聖人の雨乞いを伝える田辺ヶ池と霊光寺を見学。続いて小高い丘を上って腰越へ。腰越では源義経が兄頼朝に送った腰越状ゆかりについて解説頂きました。

龍ノ口の刑場へ向かう途中の法源寺前では、さじきの尼が大聖人にぼたもちを供養されたという説明をうけ、散策のゴールは大聖人当時、鎌倉の西の結界に位置し、刑場だった龍ノ口(現、藤沢市片瀬)。霊跡に建てられた龍口寺を散策し、宗祖が投獄されたと伝えられる御霊窟を見学。最後に散策記念の集合写真を撮影し約4時間ほどの散策を終了。

希望に反して氷雨がやむことはありませんでしたが、皆さん「大聖人さまの歩まれた龍ノ口や佐渡を想えばこれくらいの氷雨は苦労のうちにも入りません」と、宗祖の門弟らしく気丈におっしゃっていました。
片瀬名物のしらす料理のランチを頂いて散会となりましたが、参加者は大聖人が鎌倉から龍ノ口の刑場へ向かわれた同じ道程を歩みながら、末法の法華経の行者として一切衆生を成仏へと導く御自覚に立たれた宗祖の崇高な御心に思いをはせたことでしょう。

相武山 山主

2020年12月27日

見ていて惚れぼれするほど

里山のような自然環境に恵まれた当山では緑の管理に手間暇がかかります。何ごとにもプラスの面とマイナスの面があるように、四季折々の自然を楽しめるということはそのために緑を管理しなければならないということに他なりません。毎年ぐんぐんと伸びゆく樹木と枝葉、抜いても抜いても生えてくるたくましい雑草、当然ながら管理責任者となる私や興厳房の労力をかなり消費します。年間を通して檀信徒の方々にも作務へのご協力を頂くゆえんです。

来年は日蓮大聖人のご生誕800年、当山開創40周年という佳節を迎えることから、小手先ではなく長期的対策を検討して、管理しやすい環境整備を調えようと考えていました。そんな折りにとても強力な応援団が登場。墓苑周囲のレッドロビンや樹木葬墓地の周辺、墓苑西側の雑木林、駐車場周囲と、管理が行き届かず見苦しかった境内樹木を伐採整備し、師走の中旬には樹木管理の過半が終了しました。
本堂の屋根に今にもとどきそうなソメイヨシノもすっきりとした樹形となりました。

師走のおさめ御講に参詣の皆さまからは「明るくなりましたね・・・。すっきりしましたね・・・。倒木のおそれがなくなりましたね・・・。谷戸越しに市民の森が見えるようになりましたね・・・。春のサクラが楽しみですね・・・」との声を頂きました。

境内が整備され法華経の道場が荘厳されることは寺院を護る者としてとてもうれしいことです。「信は荘厳から」といわれますように、信仰の世界が厳かであることは信仰する者にとってこの上ない歓びであり、人々を仏法信仰へと導くよすがとなります。これからも檀信徒有縁の方々と倶に境内の清浄さを心がけて行きたいと思っています。

強力な応援団とは中区の合摩清さんご夫妻です。ご夫妻は11月22日にお母さまの13回忌法要のため親族の方々と参詣されました。久しぶりでしたので法要後に親しく話を交わした後、工務店を経営していて、基礎工事や外構整備などに知識と実績のある方でしたので、「境内整備や樹木の伐採などについて教えて頂きたい」とお願いしました。
すると二つ返事で了解の上、「もう定期の仕事はしていないので時間は自由になりますし、しばらく参詣もしていませんでしたから奉仕で協力させてもらいます」と望外の言葉を頂きました。

実際の伐採や整備は明年からを予定していたのですが、すべてはその道のプロである合摩さんにお任せしました。すると11月の30日からご夫妻で作業を始められました。朝はお寺の勤行の終わる頃の6時50分頃にはお出でになり、小憩されて7時30分頃から休みなくお昼頃まで作業され、短い昼食を挟んで夕刻15時過ぎまでのお仕事。
ノコギリや剪定ばさみ、チェンソーなどの使い方は見ていて惚れぼれするほどです。長く作業を見ていてもまったくあきません。また、伐採後の片付けが丁寧で合理的、手際も良く腕の良い職人さんというのはこういう人のことだと感心してしまいました。

作業は途中に休みを入れて12月16日まで10日ほど続いて一段落。樹木葬墓地の後背地の雑木も撤去され、雑然としていた雑木林の枯れた樹木や樹高の有るものも伐採でき、境内全体が明るくすっきりとしました。作業上、人の手が必要な日があり新倉さんと熊木さんには2~3日、大いに汗をかいて頂きました。本当にありがとうございました。
伐採した樹木のほとんどは雑木林に効率的に整理して頂き、搬出できるものは軽トラックで搬出して今年の境内整備作業は終了。
境内樹木の伐採と整備は来年度の事業と考えていましたが、合摩さんご夫妻のご協力でかなりの進展をみることができました。残された課題は皆で解決して行きたいと思っています。

実は合摩さんには35年ほど前、岸根の道場建設でもご尽力頂いています。岸根の道場は合摩さんのお父さんと清さんご兄弟によって建設されたものです。ご両親はすでに霊山に旅立たれていますがご信心の篤い方でした。特にお母さまは開創当時のご信徒で、公私ともに忙しいにもかかわらず、よく妙法院に参詣されて仏法を聴聞されていたばかりか、自宅を宅御講の会場として長く提供されていました。宅御講には地域のご信徒が参集。私と倶に御書を拝読しみんなで日蓮大聖人の教えを学びました。

お父さんは職人気質で実直、少々頑固なところもある方でしたが、妙法院には理解とご協力を惜しまれない方でした。また、なぜかぬるいビールがお好みでしたが、岸根の当時楽しくお話ししたことを懐かしく思い出します。ご両親も今回の清さんのご奉公をさぞかし喜んでおられることでしょう。
いつも檀信徒をはじめ有縁の方々に支えられている妙法院です。感謝、感謝、感謝です。

相武山 山主

2020年12月25日

秋天の起工式(地鎮祭)

11月14日(土)、澄みわたる秋晴れのなか久しぶりの起工式(地鎮祭)を執り行いました。当山のご信徒ではなく、札幌市清涼院信徒の鍋山さんからの依頼です。9月の中頃、「孫娘夫婦が大和市に新居を建築するので起工式を執り行ってほしい」と電話がありました。家族みんなで日蓮大聖人の信仰をしているので、是非、法華経で起工式(地鎮祭)をというご希望です。
孫娘のありささんは英国人のご主人の理解を得て、幼い頃から大切にしてきた信仰で起工式(地鎮祭)をすることにしたようです。事前に準備の要項と式のながれを書面にてお伝えし当日を迎えました。

朝からすばらしい秋天に恵まれ起工式びよりでした。建築の場所がわかりにくいために、ありささんと小田急線高座渋谷の駅で合流。はじめてお会いしたのですが間もなくお母さまになられるご様子でした。ありささんの道案内で新しい造成地に到着すると、すでに建設会社の方が3名待っておられました。時をおかずにご主人とありささんのお母さまも到着。
祭壇とお供物の準備をしてご本尊様をご奉掲。法華経要品を読誦するうちに参詣者一同のお焼香。南無妙法蓮華経のお題目を唱えて懇ろに工事の無事と所願成就を御祈念申しあげました。鍬入れは都合でできませんでしたが、私からの祝辞の後、ご主人と建設会社の方が建設地の四隅にお供えの御造酒をそそぎお清め。

その後の歓談でありささんが出産間近で札幌からお母さまがお出でになっていることをうかがいました。建設業者の方に「仏式の起工式・地鎮祭は珍しいのではないですか?」と声をかけると、年配者の方からは「私は以前経験したことがあります」とのご返事。若い方お二人は「初めてです」ということでした。

自らの信仰を自覚している方は、当然のことその信じる法式にしたがって儀式や作法を執り行います。世界を見渡せばキリスト教の世界、イスラム教の世界、ヒンドゥー教の世界、そして仏教の世界と、皆それぞれの教えに基づいた作法で儀式が執り行われています。

しかし、信仰や宗教への認識が薄く関心もあまり強くない我が国では、日常の生活に宗教や信仰を大切にしている方は少数派といえるでしょう。宗教の教育やその説明を丁寧に受けた機会も少ないこともあって、表面的にはともかく、宗教や信仰について不信や疑問、さらにはいかがわしささえ感じる方も少なくないようです。そこには旧仏教教団による檀家制度意識の悪弊や新興宗教による常識外れの諸活動への不信があるのかもしれません。そのようなことから「宗教や信仰には当たらず障らず、時宜に合わせて利用すれば良い」という方が多いようです。

そのため現代の日本では「子どもが生まれたら神社へ初参り、結婚式はキリスト教式で。家族が亡くなると僧侶を招いて仏式で」というすがたを多く見受けます。そこには「みんながやっているから・・・」とか「みんなと同じようにしていればそれで良い」という思いがあるばかりで、それぞれの宗教や信仰に対する敬虔さをうかがうことはできません。日本人が古来、多神教的宗教観を有していることもありますが、各自の思いや考えにさまざまな宗教や信仰を利用しているように見えることは残念です。

個人の思想や信条、信教の自由などは基本的人権にかかわることですから、そのような信仰観や行儀作法も認めるべきなのでしょうが、自らの信仰を自覚し認識している方にとっては、やはり信じるかたちで大切な儀式・行事を執り行うのが自然なことです。そのためキリスト教徒やイスラム教徒、ヒンドゥー教徒や東南アジアの仏教徒など世界の多くの信仰者に、現代日本の一般的信仰観を理解してもらうのは難しいかもしれません。我が国のありようを宗教に寛容だと見ているのか、不見識と見ているのかはわかりませんが、不思議だと思っているのは事実ではないでしょうか。

仏教徒との自覚があれば起工式(地鎮祭)を仏式で行うのは当たり前のことといえるでしょう。当山では今までも法華宗日興門流の法式に則って、しばしば工事の無事と所願成就を祈念してきましたが、久かたの起工式に臨んで再び信仰の純粋性を考えるひとときとなりました。来春には無事に竣工することを願い、施主ご夫妻のご健勝を祈り新しい生命の誕生を祝福いたしました。

相武山 山主

2020年12月22日