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相武山 妙法寺 ブログ

七五三祝のお参り

関東では11月15日を中心に七五三祝いが行われます。七五三祝いとは幼子の今日までの成育に感謝し、これからも無事に成長することを仏神に祈念して、家族でお祝いする儀式のことです。

現代のように栄養や医療に恵まれず世相も険しい時代では幼い子供が無事に成長することは難しいことでした。そこで昔から三歳、五歳、七歳と我が子が成長する度に信ずる仏神に感謝とご加護を祈ってきたのです。温かな親心を感じる佳い伝統であり慣習といえるでしょう。

今年は山田さんの双子のお子さんがお祝いに参詣されました。二人の幼子が心身ともに健やかに成長するよう、懇ろにご本尊様に祈念申し上げた次第です。

相武山 山主

2020年11月28日

目師会(かぶ御講)を奉修

11月15日は法華宗日興門流第三祖日目上人の祥月のご命日。日目上人のご報恩御講を門流僧俗は目師会もしくは親しみを込めて「かぶ御講」とよんでいます。目師会は時候からいえば新鮮なかぶが収穫できる頃。みずみずしいかぶは自己主張をあまりしないので、古来いろいろな料理に使われ重宝されていたのではないでしょうか。小僧の頃、かぶ御講について先輩から「日目上人がお好みであった・・・」という話を聞いたこともありますが定かではありません。

15日(日)は午前11時からの日曜法話会に引き続いて午後1時よりご報恩法要を執り行いました。前夜、落合さんご夫妻がお届けになったみごとなかぶをご宝前にお供えし、参詣のご信徒と倶に真心こめて読経・唱題、御報恩申し上げました。

法要後は日目上人のご生涯について、御書システムより抜粋したテキストに基づいて解説。私たち日興門流僧俗が、日蓮大聖人の仏法、日興上人の御精神を今に享受できるのは第三祖日目上人の精進とご活躍によります。青年期には身延の地で宗祖への常随給仕にはげまれ、門流上代には奥州法華講を構築されて本寺を護持され、艱難辛苦を乗り越えての度重なる国家諫暁は門下の亀鏡となるものです。

近年、「日目上人 天奏の図」が広く門下に紹介されました。そこには高齢と体調の不良にもかかわらず、法華弘通という宗開両祖の御遺志を承継して、雪中を一途に前進する姿が描かれています。愚かで非力な末弟としては仰ぎみるばかりですが、わずかであってもご奉公の誠を尽くして行こうと誓うかぶ御講でした。

相武山 山主

2020年11月25日

大乗の仏教 悟りから救いへ(上)

11月15日は今年最後の日曜法話会。今年の日曜法話会はコロナ禍のために4月~7月まで3ヶ月開催できませんでしたが、8月からは新型コロナ感染防止に努めての開催。参加聴聞頂いた皆さまのご協力により一人の感染者を出すこともなく無事に今年の法話会を閉じることができました。

はじめに仏教では現実直視が基本的姿勢であり、「あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではないとの認識が大切。眼前の事物・事象を自分はどのように観ているかを認識し、自らの人生に活かすよう努力することが大切。起こる事象はすべて学びの対象」であることから、法話会では世相について所感を語っていることを説明。

今月の「世相」はアメリカ大統領選挙から選挙の模様と多様性を認め追求するアメリカのすがたについて。私たちにはわかりにくい米国独立当時のシステムに由来する大統領選出選挙を簡単に解説した上で、共和党トランプ大統領と民主党バイデン氏の選挙戦とその結果を紹介。バイデン陣営の副大統領候補カマラ・ハリス氏の存在とオバマ前大統領の昨年のスピーチから、多様性を認めることによって社会の健全な発展を求めるアメリカの実状をのべ、旧来からの保守的な価値観ばかりに固執せず、より良い世界の構築には差別と偏見を超克する必要性をお伝えしました。

法話会のテーマは「大乗の仏教 悟りから救いへ」でした。当山の法話会は「仏教に親しもう。仏教を正しく理解しよう。法華経と日蓮大聖人の教え。」がその趣旨ですから、一貫して仏教の基本的思想、仏教の展開と受容、日本の仏教について解説しています。
というのも現代の日本における仏教は冠婚葬祭や観光の対象とされるばかりで、仏教本来の目的である「より良く人生をあゆむための真理の教え」がほとんど認識されていないという危惧を抱いているからです。また、仏教が理解されていないばかりか誤解や偏見が多く見受けられることも残念に思っていました。

もちろんその責めは一般の方ばかりに求めるわけには行きません。仏教の仮面をかぶった怪しい教団も多く存在していますし、当事者である仏教寺院や仏教僧が積極的に発信し説明してべきものと考えます。そこで当山の法話会では自らの宗旨と信仰を伝えることも大切ですが、仏教の基本的思想と仏教の伝播と歴史などを客観的にお伝えしています。

【異なる二つの仏教】
仏教はインドに出現された釈尊(ゴータマ・ブッダ)によって創唱されましたが、その教えと信仰は優れたものであるためにアジア全域に伝播し、悠久の歴史のなかで大きく展開して今日に存在しています。その仏教は現在大きく大乗仏教と上座部仏教(小乗仏教)に分けることができます。
同じく仏教を名乗るのですからこの二つの仏教には共通した基本的思想が存在しますが、その修行と成道観などにはこれが同じ仏教?と思われるほどに相違があります。法話会ではまず「異なる二つの仏教」を解説。

はじめに『上座部(長老)仏教(大乗仏教からは小乗仏教とよばれる)』
「スリランカや東南アジアで広く信仰されている仏教。釈尊の素朴な言説を中心とした初期仏典を修学・修行する。阿羅漢をめざす僧侶中心の仏教」
「上座部仏教では大乗経典を仏典として認めず、大乗特有の仏陀・菩薩を崇拝しない(かつて大乗仏教と兼学した時代もあったが後に反大乗派が大乗派に勝利した結果)。」

次に『大乗仏教』
「東アジアやチベットなどで信仰されている仏教。大乗経典を仏説として受容する仏教。仏典に説かれる仏・菩薩を崇拝する。すべての人々を救う大きな乗り物としての教え。僧侶ばかりでなく信徒にも成仏の道が開かれている。」
時間が限られていますから簡略な説明でしたが、現在の我が国の仏教や各国各地域の仏教のすがたをみれば容易に理解されると思います。(以下次号につづく)

相武山 山主

 

2020年11月23日

アメリカ大統領選挙と多様性

2020年11月3日に実施されたアメリカ大統領選挙。4年間何かと物議を醸してきた共和党のトランプ大統領が再選されるのか、それとも民主党オバマ政権で副大統領を務めた高齢のバイデン氏が勝利するのか、コロナ禍の中、世界中の関心が集まっていました。

我が国でも夏頃からメデイアで取り上げられる頻度が高くなり、10月になるとまるで自国の政治ショーのように連日詳細な報道ぶりでした。いまだにトランプ氏からの敗北宣言は出されていませんが、バイデン氏の勝利は間違いなく、来年1月20日には大統領に就任する予定です。

バイデン氏は副大統領候補としてカリフォルニア州選出の上院議員カマラ・ハリス氏を指名し、ともに選挙戦をたたかいました。カマラ・ハリス氏はアフリカ系及び南アジア系アメリカ人であり、女性として初めての副大統領候補でしたから、アメリカの多様性を示すものとしても注目されました。今年アメリカでは人種差別問題が大きくクローズアップされましたから、ハリス氏の存在は選挙にも大きな影響を与えることになったようです。
【多様性とは】
ハリス氏の登場を俟つまでもなく、アメリカは多様性を認める国といわれてきましたが、それでもジェンダー(男女の性差)をはじめ、人種や民族、思想や宗教、文化や慣習などの違いについてまったく差別が存在しないということではありません。4年前の大統領選挙に出馬したヒラリークリントン氏も「ガラスの天井が破れなかった」といわれました。移民の国、多民族国家であるアメリカにして、多様性を認めあって他者と差別なく共存しようとするためにはまだまだ意識の変革と努力が必要といわれています。
ハリス氏が女性でありその両親はアフリカ系とインド系ですから、その存在自体が多様性を認めようとするアメリカの象徴のようにみえます。

このようにしばしば語られる「多様性」ですが私も漠とした理解しかありませんでした。調べてみると多様性とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なるとありました。また、「多種多様に違うものがあること。多様性のある社会とは多種多様な考えや思想、文化的背景をもったり、異なる人種や国籍が共存する社会。多様性を受け入れるには、相手のことを否定しない、ありのままの存在を認める。」ということのようです。

多様性は「多種多様、千差万別、多彩・・・」などの意識に広がり、その対義語は「画一性」や「一様」「一律」などになり、「すべてのものが一様で、各々の個性や特徴が見られないさま。一つの枠に当てはめるさま」などといえるようです。
「多様性」にも「画一的」にもそれぞれプラスとマイナスの両面があり、単純に優劣をつけることなどできませんが、人権の尊重や個人の尊厳などを価値の基準とし、違いを認め合う現代は「多様性を認めるべき社会」に向かっているように思えます。

多様性を認めるということは「自分とちがう人々もいると理解すること」ですが、少し注意しなければならないのは、多様性は認めるべきもので、受け入れを強制されるものではないということです。あるなんらかのグループが存在していたとして、その存在を排除することなく認めながら、そのグループに同調する必要はなく、おかしいと思えば批判することも許されるのです。ときに「多様性の時代なのだから、みな自由勝手で良いんだよ・・・」と批判を一方的に否定する声を聞きますが、それは多様性の誤解のように思えます。
時代は時々刻々変化してやみません。多様性を認めることは時代と社会の要請であり、個人の尊厳にとっても不可欠の要素ではないかと思うのです。多様性について思いを巡らしたアメリカ大統領選挙でした。

相武山 山主

2020年11月20日