相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

秋のお彼岸

「寒さ暑さも彼岸まで」との言葉どおり、秋の彼岸を境に秋風がわたってきました。今年の秋の彼岸は19日(土)が入りで22日がお中日でした。コロナ禍の中での彼岸会ですから当山も三密注意、マスク着用、消毒奨励という感染予防の徹底で臨みました。

19日(土)は11時から久遠廟での彼岸供養。11時30分からは樹木葬墓地での彼岸供養を勤めました。それぞれ香華を供え、納骨埋葬諸精霊のために塔婆を建立。法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経の唱題。懇ろに追善御回向を申し上げました。

当山の墓地や永代供養墓、樹木葬をご利用の皆さまはとても情愛の細やかな方が多く、7月&8月のお盆にも連日お参りになっていました。8月のお盆からまだ一月しか経っていませんが、秋の彼岸中、朝から夕方までまさに三々五々という風情でお参りになり、境内には終日お香のかおりが漂っていました。

今年の彼岸法要は20日(日)21日(月)22日(火)と三日にわたって執り行いました。20日は少し参詣者が多く心配しましたが全体的にバランス良くお参りを頂きました。今回の法要には弟子の坂上純興師にも臨席頂いたので寺務もスムースに運びました。法要はご宝前と塔婆が立ち並ぶ精霊壇に供物をそなえ、献膳・読経・焼香・唱題と如法に奉修いたしました。

法要後には3日間ともに『単衣抄』を拝読。
「信徒より単衣一領を供養されたことに対しての宗祖の返書。内容は建長五年の立教開宗以来、建治元年に至るまで、法華経の行者日蓮に対する数々の難について述べ、それらは如来の金言の実証であるという確信が語られている。続いて、身延の山において衣食に厳しい生活を送っているところに、単衣帷子を頂戴したことへの感謝を述べ、帷子を着て『法華経』を読誦する功徳はすばらしく、単衣帷子を供養された夫婦にとっては今生の祈りとなり、臨終来世の功徳となる」と述べられていることを中心に法話を申し上げました。

法要後、参詣者は各自建立回向されたお塔婆を持って墓所に向かわれ、ご先祖精霊に香華を手向けていました。
穏やかな秋の彼岸の風情もお中日まで。その後は台風の接近や秋雨前線の影響でしばらくすっきりしない雨模様でした。

相武山 山主

2020年09月30日

小出さん霊山への旅立ち

朝から夕刻まで3つの行事が重なった13日の夜、小出さんの奥様からご主人が逝去されたとの報せをうけました。小出さんは88歳という高齢でもあり、ここ数年は不調なご様子でお寺にお参りされることもできませんでした。自宅で奥様の献身的な介護のもと穏やかに過ごしておられたようです。

今月初旬から入院されており、奥様は医師から『万全を尽くしてはいますが、高齢の上に体調も不良ですから心の準備をしておいてください』と伝えられていました。私も逝去される数日前に奥様から状況の報告を受けるとともに葬儀についてのご相談をうけました。

奥様からは『葬儀の執行はもちろんご住職にお願いするのですが、菩提寺の妙法院を式場として葬儀をしてほしい。葬儀の準備や段取りもよくわからないので具体的に教えてほしい』という申し出がありました。葬儀をしきるということは人生の中でもそうあることではありませんから、葬儀についてわからないことが多いというのは当然のことです。

また、昔のように親や祖父母、親族や地域の方のサポートを得ることが難しい現代社会。さらに、葬儀に関する情報が氾濫していますから、どのように情報を理解して判断したら良いのか迷うのは当たり前のことだと思います。その上で、大切な夫の旅立ちに際し、後々悔いのないようにきちんと送ってあげたいという奥様の気持ちがよく伝わってきました。

横浜は人口が多いので逝去から荼毘にふす(火葬)まで平均4日~5日ほどかかります。真夏や真冬、火葬場の工事などがあればさらに待つ場合も珍しくはありません。小出さんは14日に枕経をつとめ、18日(金)にお通夜、19日(土)に葬儀告別式を当山の客殿で執り行いました。棺の中でやすまれる小出さんの静かで穏やかなお顔を拝見し、安心して霊山への旅路を御仏大聖人様に祈念申し上げた次第です。

式は奥様とご家族の希望で家族葬のかたちでした。お二人の息子さんご家族が真心込めて祈りをささげられ、ご冥福を祈って厳かに執り行われました。また、葬儀の執行には3社の見積を検討しましたのでご家族も納得されての葬儀となりました。

当山には尊敬すべき信仰心をお持ちの方が大勢おられますが小出さんご夫妻もそのお二人。ご夫妻は開創当初からの御信徒で私も約40年のご厚誼を頂いています。初めてご夫妻とお会いしたのは保土ケ谷の正信寮で私がまだ29歳の頃でした。ご夫妻は法華経と日蓮大聖人の教えに篤い志をお持ちであるばかりか、水の流れるような信心が変わることのない方でした。岸根町や羽沢町の時代、法華講の中心メンバーとして活躍された姿を今に忘れることはできません。

約40年もの間、ご夫妻は毎月1日の御経日に小出家と岡村家の塔婆を建立供養され、13日の宗祖御講への参詣も欠かすことはありませんでした。継続は力ともいわれますが40年という時間は尊敬すべき歳月だと私は敬意を払っています。ここ数年、ご主人は参詣できないものの奥様はご主人の分まで変わらずにご参詣。ご主人は『お寺にお参りに行きたいな・・・。ご住職のお説法も聞きたいな・・・』と、奥様に残念そうに語っておられたことを葬儀の折にうかがいました。

小出さんは長い間一緒に仏道に励んだ同志ですから、枕経から初七日忌に至るまで読経・唱題申し上げる度に、在りし日のすがたが自然に想い起こされました。ご信心の篤い方でしたからまちがいなく法華経と日蓮大聖人のお待ちになる霊鷲山に向かわれたことでしょう。
小出さん霊山でまたお会いしましょう。

相武山 山主

 

2020年09月30日

秋季法門研修会

13日(日)午後2時過ぎから秋季法門研修会を開催しました。この研修会は檀信徒の方より「日蓮大聖人の教えと信仰をより深く研鑽したい」という希望によって開かれたものです。日曜法話会や行事法要での法話では、宗祖の教えを深く求める時間が十分にとれないための要望ですが、真摯にご法門を探求されるご信徒の求道心の顕れです。これからも継続して倶に修学に努めて行きたいと思っています。

研修会の1時限目は当山執事の興厳師が担当。宗祖の教学の基礎とされる「五時八教判について」の講義。
はじめに「日蓮大聖人の教学は天台教学を基盤として構築されている。天台教学を学ぶことによって日蓮教学をより深く理解することができ、天台教学との相違が見えてくる。日蓮大聖人は五時判を図した『一代五時図(鶏図)』を認めて、門下育成のテキストに用いられていた」ことを解説。

続いて、教相判釈については「中国に招来された仏教典籍の教説の高低、優劣を、それが説かれた形式、方法、順序、内容などに基づいて判定し解釈すること。また、その結果として分類、体系化された教義をいう。略して、教判あるいは判教ともいう」と説明。
中国隋の時代に法華経をもって中国仏教を統一された天台大師は、「釈尊一代の化導を五時に分け、その教えを化法の四教、教化のあり方を化儀の四教とした」ことの概要を説明しました。

第2時限は私が「日興門流の教えと信仰」と題しての講義。今年の春、正信会のホームページに執筆した同名のテキストを中心に「宗祖は六老僧を選定されて法華弘通を委ねられたこと。宗祖の教えは遺された御書を中心に学び修得しなければならない。御書には真撰御書、真偽未決御書、偽書と存在していることを理解し、できるだけ真撰御書によって宗祖の教えを探求しなければならない。宗祖の教えは法華本門の教えであり、その成仏道は法華本門の本尊、法華本門の題目、法華本門の戒壇の三大秘法受持にある」ことをお伝えしました。

2時間20分の講義は瞬く間に終了。参加者からは「あっという間に時間が過ぎてしまいました・・・」との声を頂きました。向学心のあるご信徒がおられることは学僧である私たちにとってとてもうれしく励みにもなります。これからも法門研修会を重ねて行きたいと思っています。

相武山 山主

2020年09月29日

9月の日曜法話会

9月13日(日)は日曜法話会。法話会はコロナ禍のために4月から3ヶ月間中止して7月からの再開でしたが、7月・8月の参加者は以前の半数以下でした。9月はコロナ禍にもいい意味でなじんできたのか、旧に復してきたように思います。

今月の法話会のテーマは「お彼岸について」。サブタイトルは「心静かに人生を見つめ仏の道を実践するとき」でした。すっかり我が国の習俗となっている春秋のお彼岸ですが、秋の彼岸会を迎えるにあたってその意義について聴聞の皆さまと考えてみました。

毎回法話会のはじめにはその趣旨をお伝えしていますが、今月は初めての方はいらっしゃらなかったので割愛してレジュメに沿ってお話を始めました。

彼岸について
「現在の我が国の祝日の意義によれば、春のお彼岸は『自然をたたえ、生物をいつくしむ祝日』。秋分の日は『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ祝日』とされていますが、春秋ともに多くの人々が寺院に参詣して先祖や精霊に供養をささげ、墓所などにお参りするのが一般的になっています。

仏教の行事のように思われていますが、このような習俗はインドや中国にはみられず、日本独特のものです。その歴史は古く、春秋の2月、8月(陰暦)に7日間の仏事を行うことは、806年(大同1)を最初とし、平安時代初期には恒例となっていたことが日本後紀や延喜式にみえます。
この仏事が彼岸会とよばれていたかどうかは不明ですが、宇津保物語や源氏物語などに彼岸の語がみえるので,平安中期には彼岸や彼岸の仏事が定着していたことがわかります。

彼岸の語源はサンスクリット語のパーラミター「波羅蜜多」の訳で、元来は仏の悟りの世界である向こう岸に渡るという意味です。此岸を迷いの凡夫の世界に喩え、川の向こう岸の彼岸を仏の世界に喩えたものです。此岸から彼岸へ渡ること(仏道成就)を求め願うのが仏教の姿勢です。
また、彼岸には『仏の世界』という意味と『自らに与えられた環境で仏道に励む時にはその世界が彼岸である』という二通りの意味があります。ことに大乗仏教では僧院に入らずに生活を営みながらでも、仏とその教え信じて信行に励む者の世界はそのまま仏土であると説かれています。

大切なことは私たちが此岸(煩悩に覆われた迷いの世界)に生きているという認識に立つこと。現実の世界ではその時代の環境、その時代の価値観、その時代のシステムなどの制約のなかで生活しています。人間はおよそ未成熟であり未完成なる存在です。生活のために凡夫は眼前刹那の利害損得に陥りやすく、迷惑の根源をしっかりとみつめようとしない。また好きや嫌いという自身の一時の感情にも流されやすい存在なのです。

釈尊はバラモンの教えを超克し、解脱して仏教を創始されましたが、その基本思想は『人間が苦悩するのは本来具えている燃えさかるような貪欲・瞋恚・愚癡などの三毒を中心とする煩悩に由来し、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静という縁起の真理に迷うことにある』というものです。
原始仏教や小乗仏教では資質と環境に恵まれた一部の者が煩悩の断尽による覚りを求めましたが、大乗仏教では煩悩を断じた覚者となることは上根上機の限られた者であり、永遠の仏の存在とその教えを深く信ずることによって救済されると説かれました。

仏の道を歩むということは、自らの愚かさを認め、仏の教えを信じ学び行じて、己の人間性を終生磨き高めて行くこと。お彼岸が休日となっているのですから、みんなで心静かに人生を見つめ仏の道を実践するときとしたい」
と申し上げて9月度の法話としました。

相武山 山主

2020年09月28日

龍ノ口法難会

12日(土)と13日(日)の両日、龍ノ口法難会を執り行いました。13日は午前中の日曜法話会に引き続いての法要。参詣の皆さまと献膳・読経・焼香・唱題と如法に御報恩申し上げた次第です。
仏教寺院ではその年中行事をみれば、およそその寺院の教えと信仰が理解できるようになっています。当山でも年中行事を丁寧にたどると日蓮法華宗、富士日興門流の教えと信仰の概要が理解でき、1月から12月までの年間行事にすべて参詣すれば日蓮大聖人の御事跡もよくわかります。年中行事への参詣が大切といわれるゆえんです。

この春以来、コロナ禍もあって当山でも行事や法要への参詣は自粛をお願いしてきましたが、7月からは三密を避け感染防止に注意して少しずつ参詣頂いています。皆さまバランス良くお参り頂き、本堂内も密になることはなく、全員マスク着用で静かに読経・唱題を勤めていますので、油断はできませんが当面はこのスタイルでやむを得ないかなと思っています。

時局柄やむを得ないことですが、人間は文字通り、他者との関わりや交わりによってさまざまな活力が生まれますから、仏道においても信仰の道場である寺院に僧俗が集い、倶に信行に励むことによって信仰心も磨かれます。それが、「みんなで一緒にお参りができない、学び合えない、啓発しあえない・・・」となる現況は実に残念でなりません。
しかし、法華経では諸法は実相(あらゆる存在の姿に偽りはない)と説かれていますから、私はこのコロナ禍によって私たちの寺院や信仰のあり方についても再考がうながされているのではないかと考えています。
振り返ってみれば仏教寺院のあり方や活動も歴史の波に大きく影響されてきました。もちろん真理を説く宗教として時代の変化に左右されない普遍性は堅持されますが、時代によって変化したものも少なくありません。いつの時代もどの分野においても存続してきたということは、存在意義が認められ当事者の知恵と工夫と努力がなされてきたことに他ならないのです。

徳川の時代、庶民統治の一環として檀家制度が利用され全国には多数の寺院が建立されました。しかし、その後、明治時代の廃仏毀釈の嵐や戦後の都市化の波に洗われ、檀家制度意識もすっかり弱くなり、全国に約7万7千存在するという寺院も、今や住職がいない無住のお寺や修理もできずに維持が困難なお寺が3割以上もあるというのですから、深刻な危機を迎えているといっても過言ではありません。
仏教の教えや信仰はいかにすばらしくてもその護持伝承は容易なことでありませんから、私たち仏教徒の覚悟と精進が今問われていると思うのです。

【宗祖の心意気】
法要後の法話は『四条吾殿御消息』を拝読。真偽未決の御書ではありますが宗祖の心意気が伝わるような御書です。
「度々の御音信申しつくしがたく候。さてもさても去ぬる十二日の難のとき、貴辺たつのくち(龍口)までつれさせ給ひ、しかのみならず腹を切らんと仰せられし事こそ、不思議とも申すばかりなけれ。
日蓮過去に妻子所領眷属等の故に身命を捨てし所いくそばくかありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。成仏のためならざれば、捨てし海河も仏土にもあらざるか。
今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におとるべしや。
其の故はすでに法華経の故なるがゆへなり。経に云く「十方仏土中 唯有一乗法」。此の意なるべきか。此の経文に一乗法と説き給ふは法華経の事なり。十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり。除仏方便説と見えたり。若し然らば、日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか。
娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に、日蓮が命をとどめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」
以上。

御書システム(興風談所)の解題には
「本状は龍ノ口法難の九日後、依智本間邸にて四条金吾に宛てた書状である。冒頭龍ノ口法難の際、宗祖が頸を切られたならば腹を切ると述べたことを、感慨を以って語られている。これは後弘安三年十月八日の 番号384「四条金吾殿御返事」(『定本』2巻1800頁。真筆は無いが大石寺六世日時『三師伝』に引文される)に「殿は馬の口に付て足歩赤足(かちはだし)にて泣悲み給、事実にならは腹きらんとの気色なりしをば、いつの世か思忘るべき。」とあるのと符合する。
更に『方便品』の「十方仏土中唯有一乗法」との経文の如くならば、頸の座に据えられた相模国片瀬龍ノ口こそ寂光土であること、又霊山にては四条金吾こそ『法華経』の故に腹を切ろうとした法華経の行者であると釈尊に申し上げること、そして月天子は光り物として頸の座に、明星天子は本間邸に下り日蓮に見参し、残る日天子の加護がいかばかりか楽しみである等と述べられている」とあることを紹介。

宗祖が法華経と合一された龍ノ口を寂光土とよばれたように、「私たち門下僧俗も自らの仏道修行の地を寂光土といえるよう信行に努めること。職場であれ、学校であれ、家庭であれ、社会であれ、一方的に環境が悪いと愚痴をいうのではなく、艱難辛苦を覚えながらも人生の大切な局面と心得て、汗を流して努力し、道を切り拓いてゆくことはすばらしく、その世界も輝く」とお伝えしました。

相武山 山主

 

2020年09月28日

悦び身に余れり

日蓮門下にとって9月といえば宗祖の「龍ノ口の法難」が自然に想起されます。龍ノ口法難とは文永8年9月12日、日蓮大聖人が相模国片瀬龍ノ口(現在の藤沢市片瀬)において、時の為政者により斬首という厳しい処罰を蒙った事件のことで、法難とは仏法弘通のために受けた迫害や苦難を意味しています。

日蓮大聖人は真摯な仏法研鑽の上から、大乗仏教の精華である法華経こそ末法の荒凡夫を成仏へと導く教法であると覚悟され、その弘通に人生のすべてをささげられました。しかし、国民の安寧を祈り立正安国論を著して為政者に奏上し、法華最勝・妙法題目専修の信念から他宗他門を批判しましたから、時の権力者やその一門、念仏宗や禅宗など諸宗の僧侶、その檀信徒から生涯にわたって批難迫害を受けることになったのです。

法華経には「一切衆生の差別なき成仏を説く法華経を信受し弘通する者は、理解されない者から批難され迫害される」と説かれています。「すべての人々の平等の成仏と本仏の久遠を説く法華経こそ教主釈尊の真実の教えである」と覚悟された日蓮大聖人は、建長5年の立教開宗より池上でのご入滅まで、法華弘通による衆生救済を誓願実践され、さまざまな困難や迫害を超克されて法華経の行者としての生涯を歩まれました。

仏教は釈尊の開創以来、広範な国や地域や民族にわたって伝播し、それぞれの自然環境や習俗、歴史や文化や伝統などの影響を強く受けながらさまざまな変遷を遂げました。したがって仏教としてゆるがせにできない基本的思想は共通しているものの、その時代や国や地域、民族などによって違いがあり現代に至っていますから一様ということにはなりません。

西暦6世紀、インド創唱の仏教が約1000年の時と数千キロの距離を経て我が国に渡来しましたが、日本では小乗仏教と大乗仏教、仏像と菩薩像を同時に受容しました。小乗仏教の諸学派は仏教の基礎として学ばれましたが、私たち凡夫の仏道成就は大乗仏教に求められたのです。
その理由としては「小乗仏教では資質と環境に恵まれた極一部の比丘・比丘尼にしか仏道の修行・修学ができない。釈尊のように煩悩を断尽して完全な覚りを得ることができないと考えた比丘・比丘尼は阿羅漢にとどまる。自分の覚りがすべてに優先し、他者の救済には思いが至らない。仏教が一部の限られた比丘・比丘尼の占有であることが果たして釈尊の本意であろうか。自分だけの覚りと安心を求めるのではなく、より多くの人々と倶に救われる仏道(大乗仏教)こそ釈尊の本意ではないのか」ということによるものです。

差別なくすべての人々に成仏という救済の道が開かれていると説くのが大乗仏教の精華である法華経です。宗祖はその法華経の文々句々を御仏の言葉であり神髄であるとして受容され弘通に励まれました。
その結果、龍ノ口での法難を招くことになったのですが、命に及ぶ法難はもとより覚悟の宗祖ですから、『下山御消息』には「信心をも増長せんと退転なくはげみし程に、案にたがはず、去ぬる文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。外には遠流と聞こへしかども内には頸を切ると定まりぬ。余又兼ねて此の事を推せし故に弟子に向かひて云く、我が願既に遂げぬ。悦び身に余れり」と述懐されています。

ここでは「貴重な人生、得がたき仏縁、会いがたき法華経」と覚知された宗祖が、有限の人生のなかで永遠の真理である南無妙法蓮華経と凡夫の我が身が合一できた悦びが語られています。龍ノ口法難は宗祖にとって最大の宗教的クライマックスといっても過言ではなく、この法難の後、佐渡での流罪から身延山でのご法門の開顕へと教えと信仰が表白されて行きます。
私たちは煩悩を断尽できない不完全で未熟な存在であり、宗祖のような覚悟は定まりませんが、人生は「生・老・病・死を免れない限りあるもの」であることを熟考し、自らの信仰・信念を不断に磨いて悔いの少ない人生を歩みたいものです。
日蓮門下僧俗にとって龍ノ口法難会は真に意義深い御報恩法要なのです。

相武山 山主

2020年09月27日