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相武山 妙法寺 ブログ

春のお彼岸

春の風が強く、時折小雨がぱらつく21日は春の彼岸法要でした。18日の彼岸の入りから境内の墓所や永代供養墓久遠廟には縁者の供養のために家族づれでお参りされる方々が続きます。本堂での法要は21日の御中日と24日(日)に執り行いました。21日は風が強く、ときおり小雨もぱらつく不安定な春の天候でしたが約50名ほどの参詣者の方々と奉修。ご信徒がたたく妙法太鼓に合わせてお題目が唱えられる中、御宝前と精霊壇への献膳から法要は開始。真心を込めて法華経の要品を読誦、寿量品に入り、追善供養のお塔婆が建立された精霊壇に参詣者が順次進んでお焼香。続いて宗祖御証得の南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、仏祖三宝尊へのご報恩を申し上げ、縁者ご先祖への追善ご回向を申し上げました。

【知恩から報恩へ】
法要後は上野殿御消息
『父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二渧和合して我が身となる。母の胎内に宿る事、二百七十日九月の間、三十七度死ぬるほどの苦しみあり。生み落とす時、たへがたしと思ひ念ずる息、頂より出づる煙梵天に至る。さて生み落とされて乳をのむ事一百八十余石、三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、先づ此の父と母との恩を報ずべし。父の恩の高き事須弥山も猶ひきし。母の恩の深き事大海還りて浅し。相構へて父母の恩を報ずべし』を拝読。

仏教は創始された釈尊の悟りと教えを源流として、古えからその基本的思想は定まっているものの、原始仏教、小乗仏教、大乗仏教とそれぞれ異なりがあり、また、その伝播や受容の歴史、さらに地域の文化や習俗、また時代によっても違いがあることをのべ、日蓮大聖人の教えは普遍性を持ちながらも日本的な仏教であることを説明しました。

ことに拝読した御書にみられる「知恩・報恩の思想」は、インドの原始仏典などでは正面から説かれることはなく、中国など東アジアの習俗や思想の影響の下、日本の歴史や文化・習俗などをふまえた日本的な仏教といえ、宗祖の法華本門思想・法華専修の教えの上から展開されていることをお伝えしました。

現代では「恩」というと押しつけがましい道徳のように捉える向きもありますが、けっしてそうではなく、恩を知り、恩に報いるということは『自身が地球や宇宙、自然やその営みという森羅三千のはたらきに育まれ、あらゆる人々に支えられて生かされている存在であることを知ること(知恩)。報恩とは自身が無常の存在であることを理解し、生かされていることに気づき、得がたい日々に感謝して分に応じて善業をなすこと』といえるでしょう。

すべての事物事象の存在や人々への感謝に思い至らぬ人でも、この世に誕生させていただき、幼い頃から育んでくれた両親や家族に感謝の心を抱くことは難しいことではありません。すべての存在に感謝の思いを持ちながら人生を歩むことは仏教の精神に通じることであり、彼岸という仏の世界に向かう仏道修行の日を設けて仏事を営むことは意義のあることです。法要では参詣者それぞれに有縁精霊やご先祖に思いをささげ、仏法を聴聞して建立御回向の塔婆を持参して墓所や永代供養墓に向かわれました。
この春も宗祖が教えられた「知恩から報恩への道」を大切に思われる方々と倶にお彼岸を執り行うことができたことをうれしく思います。

相武山 山主

2019年03月29日

病と向き合う

春の彼岸入りの前日17日(日)は3月度の日曜法話会。久しぶりの藤又さんご夫妻をはじめ一般の方16名、信徒の方15名の参加聴聞を頂きました。お彼岸の前だったこともありご信徒よりも一般の方が多いという初めての法話会でした。

法話会では毎回「世相」を前半のテーマとしています。世相とは世の相(すがた)ということで、世の中の事物・事象(出来事)について仏教信仰者、法華信仰者としての視点からのお話です。仏教は現実を直視する「正見」を第一義とし、『あらゆる事物・事象は私たちと無縁なるものではないとの認識に立ち、起こっている事象はすべて学びの対象であり、眼前の事物・事象をどのように観るかによって自らの人生も定まる』と教えています。当然のこと、世相への意見は各人各様ですが、当山の法話会では私(住職)の意見をお伝えして参加者の参考に供している次第です。

今月の世相のテーマは「病と向き合う」。
去る2月12日、日本女子水泳界のホープ池江璃花子さん(18歳)が白血病発病を自ら公表しました。昨年のジャカルタ・アジア大会での大活躍が印象的な池江さんが難病に罹り、競技生活から離れて治療に専念するという突然の報道に日本中が驚きました。白血病とは血液の中の白血球が悪性腫瘍になった血液がんの一つ。難病といわれる病気ですが医学薬学の進歩によって完治も可能となってきました。報道にふれた多くの人は等しく池江さんの快復を祈っていることでしょう。私もそのうちの一人です。

法話会ではまず池江さんのプロフィールと病気について説明し、3月11日、東日本大震災の日に出された池江選手のツイッター『8年前の今日3月11日、罪のない人たちが大勢なくなりました。違う形ではあるけれどわたしは全力で生きます』を紹介しました。

【仏教と病】
続いて仏教では病をどのように考えるかについて、「仏教は因縁縁起の法が基本。あらゆる事物事象は因縁縁起の法によって存在しているにすぎず、因縁が変化することを教えているのが諸行無常であり、すべての存在は移りゆくものと知らねばならない。縁起の法理から観れば、健康の因縁が損なわれれば病を招き、病の因縁が損なわれれば健康になることが理解される」と解説。

その上で、『現実直視の仏教は生老病死は誰人も免れない真実であり病を特別視しない。病は好ましいことではないが、仏教では病そのものを忌み嫌い一方的に不幸の源と捉えてはいない。病に功罪二面を説く仏教では病を認め理解することによって真理に至ると教えている。人間の心身は精妙な存在で日々命の営みを続けられることは、因縁の連続であり奇跡が毎日起こっているようなもの。健康が当たり前ではなく、いつ健康が損なわれても不思議ではないのにたまたま今日は健康でいられるに過ぎないという認識が大切』と所見をお伝えしました。

【日蓮のことば】
日蓮法華宗の祖師日蓮大聖人は病についてさまざまな言葉を遺されていますので以下数編を紹介しました。
『病の起こりを知らざらん人の病を治せば弥病は倍増すべし』(種々御振舞御書)。
『病は肉より起これば治しやすし、節より起これば治しがたし』(日眼女釈迦仏供養事)。
『譬へば病のならひは何れの病も重くなりぬれば、是れにすぎたる病なしとをもう』(光日房御書)。
『病人に薬をあたふるにはさきに服したる薬の様を知るべし。薬と薬とがゆき合ひてあらそひをなし、人をそんずる事あり』(南条兵衛七郎殿御書)。
『夫れ人に二の病あり。一には身の病、所謂 地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上四百四病なり。此の病は設ひ仏に有らざれども之れを治す。所謂 治水・流水・耆婆・扁鵲等が方薬、此れを治するにいゆて愈えずという事なし。二には心の病、所謂 三毒乃至八万四千の病なり』(治病大小権実違目)。
『病の起こる因縁を明かすに六有り。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節せざる故に病む、三には坐禅調はざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起こるが故に病む』(太田入道殿御返事)。
『大涅槃経の文の心は、仏法を信じて今度生死をはなるる人の、すこし心のゆるなるをすすめむがために、疫病を仏のあたへ給ふ。はげます心なり、すすむる心なり』(閻浮提中御書)。
『人の死ぬる事はやまひにはよらず。当時のゆき(壱岐)・つしま(対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人に一時にうちころされぬ。病あれば死ぬべしといふ事不定なり。又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はをこり候か』(妙心尼御前御返事)。
『すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ』(法華証明抄)。
遺された言葉からは病にも功罪禍福さまざまな力用(りきゆう)があることがわかります。

法話会の結びは「学ぶべきこと」。
『池江さんの発病を彼女のこととするのではなく、自身のこと、家族のこと、友人・知人のことと想いをつなぐことが大切。病によって失うものと、病によって得るものがあることを知ること。人生はすべてが学び、諸行は無常という真実から目をそらすことなく、一日一日が貴重な存在であることを理解し、すべての存在に感謝の心をもって心豊かな人生を歩みたい』とのべました。
今月の世相のテーマも『病と向き合う』と重いものでしたが、池江璃花子さんの報道から病と向き合うことの大切さを皆さんと一緒に考えました。

相武山 山主

2019年03月27日

ダイヤモンド プリンセス号!

10日(日)朝、少し時間があったので久しぶりに山下公園に行ってみました。里山の風情そのままの当山はとても横浜のイメージとはリンクしませんが、それでも横浜市の一部であることはたしかで、休日の朝、車を飛ばせば15分ほどで山下公園やみなとみらいに遊ぶことができます。

少し肌寒いものの気持ちの良い青空が広がる公園は時間が早いこともあって人影はまばら。公園を散策して大桟橋の方を見ると大きなクルーズ船が停泊していました。あまりの大きさに驚いてスマホで写真を数枚とりました。そういえば公園に向かう道すがら、桟橋に向かって急ぐタクシーを数台みました。何かあるのかなと思っていましたが、大型クルーズ船の停泊をみて合点がいきました。

それにしても大きな船です。散策から帰ろうとする9時頃、もう1艘のクルーズ船が桟橋に向かってきました。それなりの大きさなのでしょうが、目の前のクルーズ船が大きすぎて小さくみえます。帰宅して入港状況を見てみると入ってきた船は約22,000トンのにっぽん丸でした。ついでに調べてみたら、大きさに驚いたクルーズ船は全長290m、115,800トン、英国船籍のダイヤモンドプリンセス号でした。
昔は船旅というと裕福な高齢者のイメージでしたが、最近はアジアの国々などからクルーズ船で日本に来る方も多いようですし、国内向けの観光案内もよく報道されてかなり身近な存在になってきました。旅好きで好奇心も旺盛な私は機会があれば一度は体験してみたいと思っています。

春を迎えるばかりの公園ではあちらこちらに春の花々が咲き始めています。また、時間とともに、散歩を愉しむ人、体操や太極拳などで身体を動かす人、港を見ながら語らう人などで公園も少しずつにぎやかになってきました。わずか1時間半ほどの山下公園滞在でしたが横浜に住んでいることを実感した朝でした。

相武山 山主

2019年03月24日

東海の大会に参加

静岡・神奈川両県の同信僧俗が集う東海正信連合会の大会が3月3日(日)、静岡県藤枝市の応身寺を会場に開催されました。妙法院講中からも新倉さん、熊木さん、中澤さん(2人)、落合さん(2人)、阿部さん(2人)、芦川さん、畠さん、の10名が参加。雨の中を2台のミニバンで藤枝市に向かい、途中のサービスエリアでランチタイムをとって大会に参加。

定刻の12時30分、はじめに応身寺住職の導師で読経・唱題。仏祖三宝尊に信行精進の誓願をささげ、司会が開会を宣言。まず連合会新役員の認証。専行寺の小野文康師が幹事長の熊木真治さんに認証状を授与し、『各講中の幹事には信仰の一環としてしっかりと職務を全うしていただききたい』と激励。熊木幹事長は『正信覚醒運動が大聖人のご恩に応えする道と確信し、これからも皆で力を合わせて精進してまいりたい』と挨拶。
続く所感発表では応身寺講中から「限りある命」と題して荒井清子さん。「謗法厳誡」と題して勝又哲子さん信仰所感を発表されました。

次に「四苦八苦について」と題して奥 興正師(本妙院住職)が講演。師は「生きている人がどのように生きて行けばよいのかを説くのが本来の仏教である」と語り、誰もが生きる上で直面する四苦八苦について具体的な例を引いてわかりやすく説明。その上で、『結果や得たものばかりを考えることよりも、自身の行いや業について考えることが大事。毎日毎日生かされていることに感謝の気持ちを持って生きて行くということが一番尊い生き方であると知っていただきたい』とのべました。

結びの指導教師挨拶では、私から『移り変わる時代の中で私たちはいかに生きるべきなのか、時代の変わり目を迎える今、真剣に考えなければならない。法華経を読誦しお題目を唱えて人生を切り開いて行くことが、大聖人の教えに近づくことではないか』『明後年は宗祖の御生誕800年を迎えます。ともどもに大聖人への恋慕渇仰の信行を深めて、御報恩のまことを捧げましょう』と申し上げました。大会は司会による閉会の辞をもって終了。参加者は応身寺婦人部心づくしのお茶とお団子をいただいてひとしきり談笑し散会しました。
東海の大会に参加するときにいつも心配するのは帰路の時間です。必ずといって良いほど事故渋滞が発生し、レンタカーの返却時間ギリギリということも珍しくありません。今回は雨天であったこともあるのでしょうか、事故もなく17時過ぎには妙法院に到着することができました。参加者の皆さんご苦労様でした。
(大会の詳細は妙風新聞をご覧下さい)

相武山 山主

2019年03月22日