相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

平成最後のおさめ御講

13日(木)と16日(日)は「おさめ御講」でした。今上天皇の譲位により明年は元号も改まりますから平成の12月は今年が最後。おさめの御講には両日で約50名ほどの信仰心篤いご信徒が参詣され、ご一緒に今年一年の仏道精進の感謝を込めて勤行・唱題を修しご報恩を申し上げました。

法要後の法話は「常不軽菩薩品について」。今年の月例御講では初夏から「宗祖と不軽菩薩」についてのお話を重ねてきましたが、それは宗祖が龍ノ口法難からご入滅に至るまで『日蓮は不軽の跡を紹継する』と述べられたことからも理解されますように、不軽菩薩の振る舞いが法華経信仰の要となるからです。不軽菩薩の振る舞いを学ぶことは宗祖の法華本門の教えを理解することになります。明年も折にふれて学び合い互いの人生の叡智にしたいと願っています。

16日は御講の後に客殿にてワンコインで歳末懇親会を開催。小原さんにつきたての餅をちぎってもらい、阿部さんの小豆餅、落合さんのからみ餅、興厳房のきな粉餅が次々に皆さんに振る舞われました。私手製の豚汁や漬け物やおにぎり、芦川さんのおいなりさん、原さんのおにぎり、森さんのお菓子などを頂きながら、ワイワイガヤガヤと皆でおしゃべり、楽しいひと時を過ごしました。

今年も一年、妙法院を菩提寺とされる多くの檀信徒の方々の御信心によって仏法を護持することができました。住職として心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

相武山 山主

2018年12月31日

初冬の鎌倉を散策

12月8日(土)恒例の鎌倉歴史散策の会を開催しました。今年も鎌倉の歴史に造詣の深い酒井俊克さんのご案内です。参加者は熊木さん、高橋さん、芦川さん(2)、越智さん、久保さん、勝俣さん、安西さん、森さん、原さん、  口池さん夫妻、そして興厳房と私の15名。9時半には北鎌倉駅に集合。今年は「鎌倉五山を歩く」がテーマでした。鎌倉五山という言葉を聞くことはありますが、その内容をよく知りたいというリクエストによる企画でした。五山は中国禅宗の寺格に由来し、鎌倉時代から室町時代にかけて時の為政者の帰依を得て鎌倉五山、京都五山が制定されました。

私たちは気持ちの良い初冬の風情の中、鎌倉五山のうち浄妙寺以外の円覚寺、建長寺、浄智寺、寿福寺の四カ寺を巡り愉しく鎌倉の歴史を散策しました。北鎌倉の円覚寺や建長寺では開場間もないにもかかわらず、多くの見学者が境内を闊歩し結構な混雑です。よく声を聞いていると中国や韓国の方も多いようでした。両寺とも境内や諸堂が見事に整備され、その昔(学生の頃)を知る者としてはしばらく見学していないこともあって隔世の感を覚えました。

鎌倉五山を散策していても仏教寺院としての歴史や文化、そして景観は調えられていますが、現代に生きる私たちに仏教がいかに役に立つものであるかという主張は少し乏しいように思えました。観光寺院として歴史や文化を伝えることにも意義はありますが、「生きた仏教を・・・」という思いが自然に湧いてきました。

それにしても、著名な仏教寺院のほとんどは時の権力者の帰依と外護を得たものといって過言ではなく、現在の古刹名刹とよばれる寺院のほとんどは彼らによって開創されましたから、境内地も広くその財力によって堂宇も立派に建立されました。もちろん戦乱や時代の盛衰によって困難もあったでしょうが、外護者(スポンサー?)の勢力と思いが今に伝わってきます。徳川の時代には檀家制度の普及に伴って末寺と呼ばれる寺院が多数建立されましたが、それも仏道の開拓を志す僧侶や庶民の信仰によるものではなく、幕藩体制下による支配制度と各宗派の利害に基づくものでした。

時代が移り、現代における仏教寺院の建立は、例外を除いて権力者によるものではなく、およそ凡夫僧と庶民による仏教信仰のささやかな証となるものです。立派な伽藍を見上げながら、彼我の大きな違いに想いを馳せ、何ごとにおいても真の価値を求めて行かねばならないと思案しました。

散策の折々にはご案内の酒井さんから、鎌倉北条家の盛衰や足利家や上杉家の歴史について丁寧な解説を頂きました。聞いてもすぐに忘れてしまうのは無念ですが、現代は歴史が積み重ねられた上に成り立っているのですから、歴史を学ぶことは大切だと思います。
とはいえ、自然豊かな古都鎌倉は歴史を語らずともただ歩くだけで楽しいもの。初冬とはいえ名残の紅葉も美しく観じた散歩道でした。帰路にはいつものそば屋で皆さんと愉しく歓談し散会しました。

相武山 山主

2018年12月30日

八重山の豊かな自然にふれて

聞法院御会式の後、楽しみにしていた八重山の島々をめぐりました。八重山諸島への旅は若い頃からの夢でしたが、思うように行かぬのが人生の常ですから、『いつか機会があればな~』くらいの気持ちでした。今回は1泊2日という短い時間でしたが、石垣島と竹富島、そして西表島と波照間島を訪ねることができました。

まず那覇から石垣へ、空路で約400㎞。東京から大阪くらいの距離、台湾までは270㎞だそうです。飛行機は満席で『沖縄は人の行き来が本当に多いんだな~』という気がしました。あっという間に石垣空港に到着し、曇り空のなかを米田さんの運転、岡本師の案内で前住職の奥様と米田さんのお母様との5人で有名な川平湾など石垣の島内を観光。夕刻、乗り遅れてはいけない竹富島行きのフェリーに乗船。横浜では夕方4時を過ぎるとかなり暗くなってきますが、石垣島ではまだ明るく、日本でも時差があるのがよくわかりました。

石垣島から竹富島までは高速フェリーで約10分。あっという間に到着です。途中、石垣港には海上保安庁の巡視船が多数停泊しているのを見ました。ニュースで見聞する尖閣諸島を巡る中国との領土問題を実感。緊迫している様子が伝わってきたのは私だけではないでしょう。

竹富島に到着すると民宿竹の子のスタッフが迎えに来てくれていました。民宿までは5分ほどです。宿に荷物を置いて岡本師と沖縄の原風景を残すという町並みを散策。ゆったり、たおやかな風情を楽しみました。
天気が良ければサンセットが美しいという西桟橋にも足を運びましたが、途中、道の両脇に立派なお墓を見て驚きました。沖縄本島でもお墓は本土よりもかなり立派ですが、竹富島でも負けてはいません。先祖を敬い家族の絆を大切にする沖縄の人々の思いを垣間見る思いでした。
葬儀を営むこともなく、祈りをささげることもなく、生きている人と経済性が最優先されるような現代の都市社会生活。墓じまいも盛んで先祖や家族の慰霊など気にもとめない世界とのギャップを少なからず感じました。沖縄も何時そうなるかはわかりませんが、今のところ古へからの思いと習俗を大切にしているようで心の安らぎを覚えました。

宿での夕食後には近くのそば屋「竹乃子」へみんなで出かけ、聞法院ともゆかりのあるオーナーと親しく懇談する機会を得ました。泡盛もつまみも美味しく、途中では島の診療所の先生もお見えになり、愉しいひとときを過ごさせて頂きました。

翌朝は民宿の女将さんにお弁当を作って頂き見送りをうけ、一人で竹富島を後に石垣島へ。石垣島からは安栄観光のフェリーで西表島へ。西表島では小雨のマングローブクルーズから由布島のゆったり水牛観光。その後、東シナ海の高い波をかき分けて波照間島へ。波照間島へのフェリーは天候によって欠航すると聞いていたので、前々日に確認しましたが『出航か欠航かはわかりません。明日もう一度ご連絡下さい。欠航ならアナウンスします』ということでした。日本最南端の島というキャッチフレーズもあって、その名前からは何かしら魅力的な感じが醸し出される島ですが、渡るのもミステリアスです。

青空が広がるベストタイミングで無事に島に上陸すると少し遅い「八重山そば」のランチ。その後、波照間島灯台から開港予定の新波照間空港。星空観測センターや最南端の地。続いてサトウキビ畑を両側に見ながら市街地へ。素朴な市街地を散策して「泡波」という造り酒屋から島で最も有名な浜「ニシハマ」へ。この浜は「ハテルマブルー」の代名詞。ニシハマは漢字では「北浜」と書きますが、沖縄では北風をニシとよぶ方位によるようです。この浜辺に立ち海を見つめるだけで波照間島にきた価値があるといわれているようですが、私もすなおにうなずいてしまいました。

島をガイド頂いた方は元星空観測センターの館長さんで、とても丁寧に島内をご案内頂きました。時間が限られていましたので駆け足の観光となったのは残念ですが、『また、来いよ』という島主からの言葉をしっかりと受け止めましたので、またの機会を得られるよう徳を積んで再び訪ねたいと思っています。

初めての八重山諸島。すばらしく豊かな自然でした。ふれあうことができてとても感謝しています。

相武山 山主

 

2018年12月29日

聞法院御会式に参詣

11月25日の日曜日、沖縄県南城市の聞法院様の御会式に参詣しました。聞法院は覚醒運動の初期、福岡県無辺寺の児玉師などの尽力によって、昭和56年、沖縄県に開所された正信会の布教所です。初代の住職は当時葛飾区の常光寺に在勤していた永山有道師(現在、北海道旭川市妙道院)。私は師の赴任に多少の関わりもあったので、いつかはお参りさせて頂きたいと願っていましたが、永山師の在任はあまり長くはなく、その後、岡本威道師が後任住職として赴任され、平成26年に逝去されるまで30数年間護法の活躍をされました。
当初、那覇近郊に開所された聞法院は間もなく南城市に移転し今日に至っていますが、沖縄にあって38年に及ぶ護法の歩みは実に尊いものと敬意を表しています。岡本師の逝去によって聞法院存立の危機を迎えましたが、聞法院を貴重な布教所であると認識している宗教法人正信会は、大阪府門真布教所の岡本昌道師を後任兼務住職として派遣。
今日まで岡本師の努力によって前住職の奥様を留守居に依頼し、信仰の篤い信徒が団結して聞法院を護持してきました。岡本師は私の得度の同期でもあり、御会式に第5教区の榎本師とご一緒にお参りさせて頂いた次第です。

11月の沖縄の気候と服装には見当がつきませんでしたので岡本師の意見にしたがって初秋の対応で向かいましたが、朝夕は秋の装いが必要ですが昼間は夏のもので十分でした。沖縄便が朝から満席なのに驚き、那覇では空港や市街が本当に賑やかで想像以上でした。御会式前日の昼過ぎに那覇に着いたのでモノレールで首里城公園を見学。わずかですが沖縄の歴史や文化にふれることができ有意義でした。

25日の朝、岡本師の迎えを頂き榎本師と南城市の聞法院に向かいました。那覇からは40分ほどでしょうか。閑静な住宅街にたたずむ聞法院の門をくぐると、御会式の準備のために数人の法華講の方々がいらっしゃいました。私たち富士日興門流の僧俗は日本の仏教教団でも少数派ですから、同志の方々が南国沖縄にもいらっしゃるというだけで、私は常々思いを熱くしていましたので素直に喜びの感情が湧いてきました。

少々緊張しながら御会式の荘厳がなされた御宝前に進み、御本尊様に参詣のご挨拶を静かに申し上げました。三々五々講中の方々が集まられ、定刻になると太鼓に合わせて参詣者による唱題が始まりました。太鼓をたたく男性は30代でしょうか、リズムよく慣れた感じで太鼓の妙音を御本尊にお供えしていました。岡本師の導師による御会式は仏祖三宝尊への献膳から。お給仕を務めるのはご婦人ですが、こちらも丁寧かつスムースにお給仕をされていました。お膳をお下げしたり、お焼香の給仕など、その他法要のそこかしこにご信徒が積極的に動いているのがわかります。

聞法院では以前からみんなで法要にかかわっていたのか、もしくは僧侶が常駐していない現状に即しての対応なのかはうかがいませんでしたが、ご信徒が僧侶と合力して法要を営むことはすばらしいことだと思いました。僧侶の得度や育成が難しいと思われる現代、ご信徒が積極的に法要などに参画することは大事なことだと実感した次第で、当山でも大いに見習いたいと思いました。

法要は如法に読経・焼香と進み、榎本師が日有上人の申状を奉読、住職が立正安国論を奉読し、私も日蓮大聖人の申状を奉読させて頂き、御報恩の唱題を申し上げて法要は終了。続いて、榎本師と私から参詣の挨拶を申し上げ、岡本住職による法話をもって御会式は閉式。その後、参詣者と持ち寄りによる饗応のひとときがもたれ、短い時間でしたがご信徒の皆さんと懇談することができたことも愉しい思い出となりました。

聞法院への参詣は長い間の私の一つの希望でした。その思いが叶ったことはとてもうれしく、また、南国沖縄で仏道精進する同志の真摯な信心にふれた感激は、これからの私の精進の力になるものと信じています。学ぶことも多く、実り豊かな聞法院参詣でした。聞法院講中の皆さまに心より感謝申し上げます。

相武山 山主

2018年12月28日