相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

深い心の闇

悲しく忌まわしい事件から1ヶ月が過ぎました。相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で発ったけっして許されない殺戮事件です。事件が報じられてしばらくはあまりの凄惨さに言葉もありませんでした。「一体何が起きたのか」「だれが何故こんなひどい事件を発したのか」と混乱するばかり。メデアの報道から障害者に対する偏見と悪意に襲われた容疑者が発した事件ということは理解しましたが、それでも短時間にこれほどの人々を殺傷したことに驚愕するばかりです。

事件の報にせっしてすぐに犠牲となられた方々の塔婆を建立し、朝夕の勤行の折りに冥福をお祈り申しています。私たち仏法信仰者は恵まれたことに自ら祈りをなすことができます。信仰がなければ悲しみや哀悼の気持ちがあっても、どのようにして良いかわかりませんから実に有り難いことです。心を込めて追善供養を申し上げました。

今月の日曜法話会は7日(日)でした。凄惨な事件からまだ間がありませんでしたので、「世相」のテーマは「障害者施設襲撃殺傷事件」として、参加者みんなで考えたいと思いました。まず、事件の概要「7月26日未明、神奈川県相模原市緑区の障害者施設『津久井やまゆり園』で元職員の植松聖容疑者が障害者19名を殺害、27名を傷害。一人の人間の殺害事件としては戦後最悪の凶行事件。凶行から自首までわずかに2時間」を解説。

次に特異な事件性として、「加害者による犯行予告(衆議院議長への手紙やその他の言動)がなされていたこと。さらに『私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です』『障害者は社会においても役に立たず本人も不幸である』という誤解と偏見に基づいた発言を紹介。

また、犯行後の供述で『重複障害者が生きていくのは不幸だ。不幸を減らすためにやった』と自らの「正義」を語っている姿は、ナチスドイツによる障害者の安楽死政策にも影響を受けたとみられていることや、加害者が精神障害(他人を殺傷するおそれがある)により措置入院していたと、加害者は偏執思考で反社会的な思想をもつ「サイコパス」の疑いがあることを説明。

そして、「偏見と差別」が厳然と存在している証として「犠牲者の氏名が公表されない現実」について。「優生保護法から母体保護法へ」の流れから、「1948年に施行された「優生保護法」は、『優生学上不良な子孫の出生を防止し、母体の健康を保護する』、つまり「不良」である障害児の出生や障害者の出産を防止する法律だった。1996年、「母体保護法」と改名され、優生思想は排除されているが、わずか20年前まで、先天性の障害者は『不良』と見なされていたことを解説。ネットでは「津久井やまゆり園は人里離れた場所にある。その風景の背景には知的障害者やその家族が偏見や差別に苦しんできた現実が影を落としているように感じられる」というコメントを紹介。

事件の客観的事実を述べた後、「学ぶべきこと」として、現代社会の深刻な問題を浮き彫りにした事件であること。精神異常者による凶行を阻止しなければならないこと。皆んなで障害者への誤解と偏見を考えなければならないこと。諸行は無常、明日の健常は約束されてはいない。自身が障害者となる可能性は100%。生命の尊さを自覚し人権を尊重することの大切さ。犠牲者の冥福を祈りあらゆる偏見と差別に対して問題意識を持つこと。そして、自らの心に偏見や歪みの存在はないだろうかと検証すること。をお伝えしました。

世に言われる障害者を家族に持つ人はけっして少なくありません。私たちは家族という不思議な妙縁を信じ、仏道では三世の営みを信じていますから、障害者は自分を護り育んでくれる親を選んでこの世に誕生していることを信じられます。そして、障害者を持たれる多くの人々は、その障害をバネとして人生の道を切り拓かれ、障害者とよばれる我が子の存在のすばらしさに気がついています。

私は物心ついてから十数世帯の障害者のご家族とご縁を頂きましたが、そのすべての方々は我が子の障害について悲しみや不幸を感じているわけではなく、社会や世間の誤解と偏見に困惑しておられるだけでした。皆一様に「可愛い、愛らしい、そのままですばらしい」と我が子を語っておられます。

あまりにもひどい凶行に容疑者の心の闇の深さが知られます。容疑者の精神構造をはじめ事件の全容はまだ明らかではありませんが、この事件から学ぶべきことは少なくありませんから、一人ひとりが事件の本質をしっかりと考えることが真の追善供養になるのではないかと思います。

相武山 山主

 

2016年08月31日

月遅れのお盆

当山では7月に盂蘭盆会を執り行いましたが、8月にも戦没者追善法要と一緒に月遅れの盂蘭盆会を執り行いました。かつては7月にお参りされる方が多かったのですが、最近は8月の参詣の方も多くなってきました。もとより7月8月にこだわる必要はなく、各自が心を起こしてご先祖有縁精霊への追善供養をされるのは結構なことです。お盆の間、法要に参詣されたり、墓所に参られたり、檀信徒並びに有縁の方々がお出でになっていました。お墓を清掃したり香華を手向ける姿は、故人や先祖を敬い偲ぶ心の現れで実に尊いものです。

13日は宗祖の御報恩講、14日の日曜日はもっぱらお盆の供養、そして15日は戦没者追善法要でした。それぞれ30度を超える夏日でしたが、参詣の皆さんと一緒に御報恩と追善の仏事に勤(いそ)しみました。夏休みで子供たちも両親やお祖父ちゃんお祖母ちゃんに手を引かれてのお参り。境内には家族の語らいと可愛い声が響いていました。

各法要後には松野殿御返事と可延定業書を拝読しての法話です。

「松野殿御返事」に説かれた『とても此の身は徒らに山野の土と成るべし。惜しみても何かせん。惜しむとも惜しみとぐべからず。人久しといえども百年には過ぎず。其の間の事は但一睡の夢ぞかし』との御文からは、あっという間に過ぎ去ってしまう命のはかなさと、誰もが免れない生老病死をみつめて、貴い人生をどのように歩むのかが一人ひとり問われていること、仏縁を結ぶこのできた私たちはしっかりと仏道の功徳を積んでゆこうと述べました。また、病に伏せっている冨木殿の奥様に与えられた「可延定業書」に示された『命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり』との御文からは、命とは何ものにも換えることのできない貴重なものであり、命はすべての価値の源であり、大切にして悔いなく人生を歩まなければならないとお伝えしました。

日蓮大聖人の遺された御書は仏道の道しるべであり、よく学んで人生の指針としたいものです。さらに今月の日曜法話会のレジュメをお渡しして、盂蘭盆のいわれをお伝えしました。
我が国の習俗となったお盆は、仏道にふれる好機であり、生と死をじっくりと考えるひと時となります。より多くの方々がお盆をきっかけに仏道と人生の貴重さに想いを馳せて頂ければ幸いです。

相武山 山主

2016年08月30日

盛夏に汗を流す

今月は初旬に正信会の非教師僧侶を養成する「沙彌・行学講習会」が開催され、私も担当者の一人として岐阜県垂井の天奏寺に伺いました。岐阜は夏の暑さの厳しい地域として知られていますが、毎年この時季に教師をめざす僧侶が第三祖日目上人ゆかりの天奏寺で修行の汗を流します。今年は5名のお所化さんが参加され、それぞれ大きな声を出し、てきぱきと作務に励み、修学に努めていました。団体生活に身を置くことがほとんどなくなったこともあり、懐かしさと共に新鮮に感じました。

私は本山で中学生の時期に沙彌講習会に3年、高校生から行学講習会に7年参加しましたが、当時は宗門が隆盛期入るような時期で、講習生は100人を超えるほどの盛況ぶりでした。本山の弟子や末寺の弟子など生い立ちも環境もちがう若者が全国から参集して修行に修学に汗を流しました。期間は1週間ほどではなかったかと思います。若さにまかせてバカなこともしていましたが、当時は講師を法主上人をはじめ宗門の役僧が務めておられたこともあって、講義を中心にさまざまなお話を今も覚えています。

修行と修学の大切さも講習会で教えてもらいましたが、遊び盛りの当時は右から左に聞き流すばかりでした。しかしその後、布教の一線に立つ頃には教えて頂いたいろいろな言葉が蘇り、自身の僧道を切り拓く資料となったことは間違いありません。教えられているその時には意味が良くわからないことでも、後になって我が身を資けたり、理解することができて悦びとすることは少なくありません。信頼できる人物やシステムの勧めであれば理解が及ばなくても試みる価値があることを知るのです。

天奏寺では富士日興門流の未来を担う5名のお所化さんの修行のために、実行委員長や舎監さん、天奏寺のご住職や法華講の方々が尽力しておられました。それぞれに流される汗は実に尊いものであり、ご縁に導かれて僧道を志した僧侶、その志を多くの僧俗が育み育ててゆく姿が法燈相続の一つの姿だと思うのです。

また、昨年からは寺院の子弟が体験参加をしています。幼い頃からお寺に親しみ、同じような環境の子どもが集まることによって、少しでも僧道へのきっかけになればという企画です。僧道を志す人が非常に少なくなった現代、一つの試みとして地道に続け、未来の僧侶誕生につながることを願っています。

相武山 山主

2016年08月29日

「強風に耐えて」と折る

4月に雑木林のコナラの樹が倒れて擁壁の下の公道を塞いでから、風の強い時には樹が倒れないかと不安に襲われます。かねて雑木林の整備をしなければならないと思っていたのですが、対応する余裕がまったくなく、倒木という事態になって「対応を急がなければ」と急かされています。

しかし、コナラやクヌギ、サワラなどの高い樹が10本以上も在り、すべてを伐採して整備するのはかなりの経費がかかり簡単には手をつけられません。倒木以来、新倉さんや世話人の方々、境内整備にいつも心を寄せて頂く南雲さんや川脇さんなどと『何とかしなければ・・・』と話をしていますが妙案はなかなかありません。

心配した四日市市の坂上純興師が7月初旬、運営会議出席の折りに来院し、少しでも枝を切って事故がないようにと、汗を流して苦労されましたが危ないのでやめてもらいました。それでも、『ある程度の高さまでは職人さんに切ってもらい、経費をかけないように枝の払いや片付けは自分たちでやったらどうか。秋から冬にかけて有志を募ってやろう』という方向になりました。

でも日本の秋は台風の季節、強風の不安は消えませんから、枯れているような危ない2本の樹を切ってもらうよう、お盆の頃に職人さんにお願いしました。忙しいために伐採は27日(土)となりました。それまでは台風などの強風がなければ良いなと思っていましたが、22日には台風が関東に上陸し短い時間でしたが強い風が吹きました。天気予報を聞く度に困ったなと思っていましたが、自然現象に対抗する術はありません。前日に川脇さんが倒れそうな樹にロープをかけて応急処置をしてくれたお陰で事なきを得ました。感謝、感謝です。

しかし、安心はできません。27日の作業は朝からの強い雨のため1時間半ほどで中止を余儀なくされてしまい、当初の目的であった枯れそうな樹の伐採ができませんでした。伐採は次の機会となりましたが、週明けに強い台風10号が接近し再び関東上陸の恐れがあるということなので、ロープでしっかりと固定してもらいました。只々強風に耐えしのんでくれることを祈るばかりです。工夫を凝らして事故とならぬよう早めに対応したいと思っています。

相武山 山主

2016年08月28日

ポケモン スポット

今月初旬からアメリカなど海外で話題となっていたスマホゲーム「ポケモンGO」。そもそもいつも時間に追われて余裕もない私は、昔からゲームに関心はありませんでしたから、『人気沸騰で事故などなければ・・・』と思う程度でした。日本では22日に提供開始。この日はなぜか知らない人が数人当山の周囲に集まっていました。なぜだろうかなとは思いましたが深く考えることもありませんでした。
夜遅くなって仕事から帰ってきた三男が『妙法院がポケモンスポットになってる』と教えてくれました。それでお昼から夕方にかけて見知らぬ人が境内にやって来た疑問が解けました。ポケモンスポットの意味も三男から聞いたので少しは理解できました。その後、2~3日はアイテムを集めに来ていたようです。ブームはいずれも長く続くものではありませんからやがて静かになることでしょう。
ポケモンスポットになっていることは知りませんでしたが、当山の境内はいつも開放していますので、マナーを守って頂ければ一般の方が来訪されることは大歓迎です。これからも社会に開かれたお寺をめざして行きたいと思います。

このブログは7月31日の記述です。

アップが遅れました。相武山 山主

2016年08月28日

阿部信光師逝去

当山の東に位置する教行山法因寺の初代住職を務めていた阿部信光師には70歳を一期に逝去され霊山に旅立たれました。義弟にあたる綿貫徹道師(川崎市常度寺住職)などご遺族の意向を尊重し、教区有志にて本通夜・本葬儀を執り行うこととなり、7月19日午後7時より法因寺本堂にて本通夜、翌20日午前11時より本葬儀が執り行われました。

教区並びに縁故の有志によって営まれた葬儀には約20名の檀信徒も参列、阿部信光師と最後のお別れをいたしました。師は昭和53年12月に法因寺住職に赴任してより一貫して正信覚醒運動に身を置いて居られました。物静かで穏やかな人柄と心の優しさはよく知られるところでした。法因寺では来る8月21日(日)午後3時から師の追善法要を執り行い、月末をもって退去し日蓮正宗宗門に明渡しとなります。

このブログは7月31日の記述です。

アップが遅れました。相武山 山主

 

2016年08月28日