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相武山 妙法寺 ブログ

2021年ノーベル賞雑感

《10月度の日曜法話会》
10日(日)は今年10回目の日曜法話会。テーマは「大乗仏教のふるさとを想う『アフガニスタンは大乗仏教ゆかりの地』」でした。
8月中旬よりアフガニスタンからの駐留米軍撤退の模様が連日報道されました。中東に位置する彼の国の混乱は世界中の人々の耳目を集め、多くの人が今に胸を痛めて心配しています。私もその一人です。

 というのも、今ではすっかりイスラム教の世界となっていますが、古のアフガニスタンは東西文化の交流の地として、西からはギリシャ文明、東からはインド文明が流入。インド発祥の仏教も部派仏教の時代から大乗仏教の興立発展期にかけて大きな足跡を遺した仏教縁の地であるからです。
また、アフガニスタンの復興に生涯をささげながら2年前に凶弾に倒れた中村哲医師の存在は実に鮮明です。私は中村氏の志と行動をすなおに尊敬する一人であり、中村氏もきっと御仏の世界から彼の国の人々の平安を祈り見守っておられるだろうと思っています。法話会でも一度アフガニスタンについてふれてみたいと考えていました。

《真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞》
法話会の前半は毎回「世相」についての所感を述べています。今回の世相のテーマは「2021年ノーベル賞雑感」です。
ノーベル賞はご承知のとおり、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞です。医学生理学、物理学、化学、文学、平和および経済学の分野で顕著な功績を残した人物に贈られます。
例年10月になると受賞を想定される方々ばかりでなく世界中から関心が寄せられます。法話会では今までも受賞者の声を紹介しながら所感をお伝えしてきましたが、受賞者の声はいつも新鮮でそこにはたしかな学びがあります。

今年も米国籍の日本人真鍋淑郎氏が物理学賞を受賞されました。受賞の理由は「地球温暖化の予測のための気候変動モデルの開発」。真鍋氏は、シミュレーションを使って地球に関する物理モデルを開発し、気候の成り立ちと変動を解明。また二酸化炭素(CO2)の増加に伴う地球温暖化につながる基礎を確立。大気中のCO2の濃度上昇が地球表面の温度上昇につながることを実証した」ということです。

真鍋氏は人間活動が地球に及ぼす影響を早くから予見し、1960年代から気候変動の先駆的な研究を続けてきました。デジタルが今よりも普及していなかった時代にコンピューターを駆使し、地球の大気全体の流れをシミュレートする気候数値モデルを開発したのです。地球温暖化の予測モデルを切り開き、二酸化炭素濃度の上昇が地球の表面温度の上昇にどうつながるのかを示した功績は大きく、スウェーデン王立科学アカデミーは『彼の研究は現在の気候モデルの開発の基礎を築きました』と称えています。

海洋研究開発機構の河宮未知生環境変動予測研究センター長の「真鍋先生は気候予測という学問を創出した研究者だ。物理の原理原則を積み上げれば、地球環境を再現し予測できると示した。世界的な脱炭素の流れの中での受賞はこの分野への期待を表している。未来を予測する研究として責任を果たしていきたい」という言葉も紹介しました。

 真鍋氏のプロフィールについて「1931年(昭和6年)、愛媛県宇摩郡新立村(現:四国中央市新宮町)に誕生。旧制中学校の愛媛県立三島中学校(現:愛媛県立三島高等学校)を卒業。1953年(昭和28年)に東京大学理学部の地球物理学科を卒業。東京大学大学院では「数値予報」を専攻。1958年(昭和33年)に博士課程を修了。「凝結現象の綜観的研究」で理学博士号を取得」という日本での履歴を紹介。

続いて「真鍋氏の大学院での数値予報の研究がアメリカ国立気象局(現:アメリカ海洋大気庁)のジョセフ・スマゴリンスキーの目に留まり研究所に招請された。1958年、アメリカ国立気象局に入り後に主任研究員になる。米国ではIBM製の最新コンピューターを自由に使うことができた。米国のコンピューターは同時代の日本のものより30倍以上も処理性能が高く、気象の研究のためには非常に有利であった。さらに給料を日本の25倍も与えられたことで研究に没頭できた。地球科学者(気象学)としてアメリカを中心に研究生活をおくったが、一時日本に還って研究生活を送る。その後、再びアメリカにもどり、現在、アメリカのプリンストン大で上級研究員を務める」という米国での履歴を紹介。

《受賞記者会見での発言》
真鍋氏は受賞発表直後の記者会見で「研究で大切なことは『好奇心』と回答。アメリカ国籍を取得し、日本を離れたことについては『日本の他人の目を気にしすぎる風潮が合わなかったこと』を理由に挙げた」ことなどを紹介しました。

記者と真鍋氏のやりとり。
【記者】研究を始めた1960年代、気候変動が世界でこのような深刻な問題になると思っ
ていましたか?
【真鍋】研究当初、こんなに重大なものになるとはまったく想像していませんでした。私
は単に自分の好奇心から研究を始めただけなのですが、私の考えるところでは、科
学において、時間がかなりたってから社会に大きなインパクトを与える大発見の多
くは、研究当初、研究者たちはのちにどんなに大きな貢献になるかは想像してなか

ったと思います。
最も興味深い研究とは、社会にとって重要だからといって行う研究ではなく、好奇
心に突き動かされて行う研究だと思います。
【記者】日本からアメリカに国籍を変えた主な理由は?
【真鍋】日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。
彼らはとても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由
です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。日本で「は
い」「いいえ」と答える形の質問があるとき、「はい」は必ずしも「はい」を意味

しません。「いいえ」の可能性もあります。(会場から笑い)
なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから
他人を邪魔するようなことをしたくないのです。
アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要が
ありません。実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察した
くもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。私のような研究者
にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。
ー略ー
それが日本に帰りたくない一つの理由です。なぜなら、私は他の人と調和的に生活
することができないからです。(会場から笑い)

真鍋氏の発言をどのように受け止めるかは一人ひとりの問題ですが、明快で示唆に富むものだと私は思いました。

《平和賞は強権批判の報道関係者が受賞》
平和賞は「報道の自由を掲げ政権の強権的な姿勢を批判」してきたフィリピンのインターネットメディア、「ラップラー」のマリア・レッサ代表と、ロシアの新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のドミトリー・ムラートフ編集長の2人が選ばれました。
選考委員会のベーリット・ライスアンネシェン委員長は、授賞理由の中で「自由で独立し、事実に基づいたジャーナリズムは、権力の乱用と戦争への扇動から人々を守ることができる」と指摘した上で、「2人は民主主義と恒久的な平和の前提となる、表現の自由を守るために、勇気を出して闘っている。民主主義と報道の自由が、逆境に直面する世界で、理想の実現のために立ち上がるすべてのジャーナリストの代表だ」と評価したことを紹介。

マリア・レッサ氏(フィリピン)は「フィリピンで、権力の乱用や暴力の横行、それに強まる専制主義の実態を自由な表現で暴いた」とした上で「ドゥテルテ政権の暴力的な麻薬撲滅キャンペーンに社会の注目を集めたほか、ソーシャルメディアがどのようにフェイクニュースを広め、嫌がらせや世論操作に使われているかを伝えた」と述べたことを紹介。

ドミトリー・ムラートフ氏(ロシア)は「メディアをめぐる状況が厳しくなるなか、何十年にもわたってロシアの言論の自由を守り、汚職や警察当局の暴力、それに選挙不正などに関する批判的な記事を発行してきた」と評価されました。
「ムラートフ氏が編集長を務めるノーバヤ・ガゼータ紙は、これまでにアンナ・ポリトコフスカヤ記者を含む6人のジャーナリストが殺害されるなど、脅迫や暴力を受けてきた。こうした脅しにもかかわらず、ムラートフ氏は、編集長として新聞の独立性を放棄せず、ジャーナリストが書きたいことを書く権利を守り続けてきた」ことを紹介。

ノーベル賞授与には受賞理由という大きなテーマが存在しています。多くの人々は受賞理由から選考委員会の意志をくみ取るからです。今回の平和賞の授与についても選考委員会は「今回の授賞によって、人々の基本的な権利を守ることの重要性を強調したい」と述べ、「表現の自由、報道の自由があってこそ、国同士は友好関係を築き、武力を放棄し、よりよい世界秩序をつくることができる」と結んでいることをお伝えしました。

関連事項として基本的人権と民主主義について、「民主主義が機能するためには、市民が自由にものを考え、自分の意見を自由に言えるという基本的人権が必要」であり、「人権が保障されているにもかかわらず、民主主義が実践されていない社会では、たとえ自由にものが言えたとしても、国家運営は一部の人びとによって一方的に行われる」という実態について解説しました。
学ぶべきこととして「・ノーベル賞授与の意義を知る。・受賞理由を認識する。・現代社会の有り様を考える好機とする。・受賞者の発言などから人生の教訓を得る。」をお伝えして世相のコーナーを終了。

相武山 山主

2021年10月29日

萩が涼風にそよぎ金木犀が香る秋彼岸

 妙法院では中秋の名月(9月21日)を楽しむことができました。横浜市北西部の里山にある当山では周囲に街灯があまりないため、大都市としてはめずらしくかなり闇が深くなります。前日も煌々と輝く月を見上げましたが当日もすばらしい観月を楽しみました。天空にかかる月を観るだけですが、なぜか想いが深くなり小さな自分も広大な宇宙の一部であることに気づきます。
富士日興門流の寺院でも秋に観月会を執り行うお寺がありますから、当山でも準備ができたら観月会を執り行いたいと思っています。夜の妙法院もとても趣がありますので楽しみにしていてください。

秋のお彼岸は20日(月)が入りで、23日(木)がお中日、26日(日)が明けでした。妙法院ではそれぞれ午後1時から法要を執り行いました。9月初旬からコロナ禍が少しずつ落ち着いてきたこともあり、青空に涼風がわたる中、7月・8月のお盆よりも多くの方々がお参りにみえました。

入りの20日には午前中に永代供養墓の久遠廟と樹木葬墓地に参詣。三日間の各法要では参詣の皆さまと一緒に法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、門流先師への御報恩、ご先祖有縁精霊への追善供養を申し上げました。法要後の法話は「法華初心成仏抄」を拝読。末法の成仏道は南無妙法蓮華経の唱題行にあることをお伝えいたしました。
 萩が涼風にそよぎ金木犀の香りが境内にながれる秋らしい風情のなか、弟子の坂上純興師(四日市市慧光院住職)にもお手伝いを頂き、コロナ禍の沈静化を祈りながらの穏やかなお彼岸でした。

相武山 山主

 

2021年09月30日

龍口法難会を奉修

9月12日(日)午後1時から龍口法難会を執り行い、参詣の皆さまと倶に勤行・唱題、御報恩謝徳を申し上げました。文永8年9月12日の龍口法難は法難重畳のご生涯であった日蓮大聖人にとっても、時の為政者によって斬首されようとした最大の法難です。この法難は末法の法華経の行者を自任される宗祖にとって、崇高な宗教的体験であり、末法下種の地涌の菩薩、上首上行菩薩との自覚に至る貴重な法難でした。

 宗祖はこの法難について後に遺された御書においてさまざまに述懐されています。門弟である私たちはその御書を拝読して宗祖の胸中を推し量りますが、この法難は宗祖が末法の法華経の行者であることを明示し、法華経と宗祖が一体となったことを証明していることを知るのです。
法難の後、宗祖は佐渡に流罪されますが、佐渡では開目抄、観心本尊抄等の重要法門を著述され、さらに末法の衆生のために妙法曼荼羅本尊を図顕されます。龍口法難から佐渡流罪の時代は宗祖にとって大きな宗教的転換点でありました。

法要後には三沢抄を拝読しての法話。
「法門の事は、さど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。ー 略 ー 而るに此の法門出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光、巧匠の後に拙きを知るなるべし。此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きへうせて、但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候。各々はかかる法門にちぎり有る人なれば、たのもしとをぼすべし」を拝読。

 始めに三沢抄について「御書システムの解題」からの解説。御書の解題とは当該御書についての説明で、宗祖の直筆が残っているか否か、真書か偽書か真偽未決の書か、いつどこでだれに宛てた御書かなどが解説されています。
その後、龍口法難から佐渡流罪について略述し、拝読本文についての解説。「法門の事は、さど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」という宗祖のお言葉の重要性をお伝えしました。
また、富士日興門流では龍口法難を宗祖の発迹顕本と拝していることを併せてお伝えしました。

相武山 山主

2021年09月30日

法華経は現当二世の安らぎ

法話会は世相に思うからメインテーマ「秋のお彼岸 ー法華経は現当二世の安らぎ-」へ。
【お彼岸について】
お彼岸はすでに年中の行事となって久しいために、改めて聞かれると説明に戸惑うこともある日本の仏教的習俗です。秋のお彼岸の前なので今回の法話会のテーマとしました。お彼岸の法要は春秋の二度、春分の日、秋分の日を中日とした前後3日間、計7日間ずつを期間として執り行われます。

お彼岸の中日にあたる春分の日、秋分の日は国民の祝日。昭和23年に公布された「国民の祝日に関する法律」の第2条にある祝日の主旨によれば、春分の日(春分日)は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」祝日、秋分の日(秋分日)は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」祝日とされています。
お彼岸には菩提寺や墓所に参詣してご先祖や有縁精霊に供養をささげることが常とされますが、古来、日本人にとって自然や動植物は、ともに生き倶に生かされている存在。お彼岸では先祖のみならず、自然や動植物に対しても感謝と敬意、慈しみのこころを確認したいものです。

【仏教における彼岸の意味】
彼岸というのはサンスクリット 語pāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳です。彼岸(此岸に対する言葉)は「かなたのきし」ということで川の対岸をさす言葉。
仏教ではこの彼岸を仏さまの悟りの世界に喩え、私たち凡夫が住む「こちらのきし」すなわち此岸を迷いの世界に喩えます。仏道では迷いと苦しみからの解放を求め、偽りのない安らぎの世界に生きることを説くところから、彼岸とは自らが川を渡って理想の世界に到る行為をあらわしたものです。

仏道では自分が此の岸に居るという自覚が大切だと教えています。自我の真実存在を見つめる者にしてはじめて彼岸を求めるからです。自我はおよそ五欲を追求するもので、5つの感覚器官に対する5つの対象,すなわち形体のある物質 (色)、音声 (声)、香り (香)、味、触れてわかるもの (触) をいい、これらは,欲望を引起す原因となるものです。また、財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲を五欲という場合もあります。
仏道は彼の岸(仏の世界)をめざすものであり、道心を発すとは、欲望と感情の世界(此岸)を離れて真実の幸福(彼岸)を求める心であり、人生の遇不遇(幸不幸)の意味を探り、普遍の真理を尋ねるものです。仏道では人生は有限であるからこそ意義深く歩むべきだと教えています。

仏道では此岸から彼岸に行くため河を渡らなければなりません。この渡河することこそ仏道修行の実践です。その実践は「・布施波羅蜜(布施を実践すること)・持戒波羅蜜(戒律を守ること)・忍辱波羅蜜(修行を堪え忍ぶこと)・精進波羅蜜(努力を惜しまないこと)・禅定波羅蜜(精神の統一をはかること)・般若波羅蜜(真実の智慧を得ること)」の六種の修行「六波羅蜜」です。
お彼岸は「先祖や有縁精霊への報恩感謝と追善供養、静かに自己の人生を考えて省みるとき、来世に思いを馳せ仏道に心を寄せる・・・」そのすべてが仏道の功徳を積む行為といえます。
以上を述べて仏教的な彼岸の解説としました。

【法華経は現当二世の安らぎ】
最後に大乗仏教の精華である法華経では、此岸対彼岸という二元的な思考を越えて、娑婆即寂光という一元的な思想を説き、現当二世(現在と未来)の安らぎを得ることをお伝えしました。
すなわち、輪廻思想を主張するヒンドゥー教の影響もあって、出家者や特定の修行者を中心とする初期仏教では、カルマからの解脱によって輪廻を断ち切り、迷いと苦悩に覆われたこの世に再生しないことが望まれました。しかし、大乗仏教では現実の娑婆世界で生活しながら仏道を求める人々を肯定し、一切衆生の救済こそ仏教思想の根幹であり目的であると説いて、輪廻思想を捉え直し、願って現世・悪世に生じ、現世を菩薩道を実践する世界と観たのです。

 ことに法華経では娑婆世界での菩薩道実践が説かれ、末法に南無妙法蓮華経のお題目を下種された日蓮大聖人は、「此岸に在りながら彼岸を感得する仏国土建設を求められ、その菩薩道の実践こそが、そのまま来世の安心を得る道であると教えている」ことをお伝えしました。

秋のお彼岸を迎えるにあたり「法華信仰者・日蓮が門弟としての心得」をお伝えした次第です。来月の日曜法話会は10月10日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年09月29日

パラリンピック大会の開催

9月12日(日)は9月度の日曜法話会。
法話会のテーマは「秋のお彼岸 ー法華経は現当二世の安らぎー」でしたが、世相に思うのテーマは「東京2020パラリンピック大会開催」。オリンピックに引き続いて8月24日から9月5日まで開催されたパラリンピックについて皆さんと一緒に考えました。

 期間中、障害をものともせずに力強く競技されるアスリートの躍動がメディアを通じて連日報じられました。心身の障害を乗り越えてチャレンジする姿にはふれた方のすべてが感動を覚えたことでしょう。私もその一人です。オリンピックの躍動のすばらしさとはひと味違う感動でした。各アスリートの背景や努力を知るとさらに感動が深まります。

法話会でははじめに日本パラリンピック委員会の公式HPを参照してパラリンピックを解説。そこでは「パラリンピックが重視する4つの価値」として、《勇気》マイナスの感情に向き合い、乗り越えようと思う精神力。《強い意志》困難があっても、諦めず限界を突破しようとする力。《インスピレーション》人の心を揺さぶり、駆り立てる力。《公平》多様性を認め、創意工夫をすれば誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力
。を紹介しました。

大会開催の意義についても「さまざまな障がいのあるアスリートたちが創意工夫を凝らして限界に挑むパラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場です。すなわち、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会です。また、社会の中にあるバリアを減らしていくことの必要性や、発想の転換が必要であることにも気づかせてくれます。」と紹介しました。

パラリンピックからの学びについては「障害者とは?」との問いから、障害には身体障害、知的障害、精神障害の三種あることを学び、次に、障害を正しく理解するためには「もし自分が突然目が見えなくなったら・・・。もし自分が突然耳が聞こえなくなったら・・・。もし突然自分の手足が自由に動かなくなったら・・・。もし突然自分の精神が不安定になったら・・・。」と自分の身の上に置き換えて考えることが大切であることをお伝えしました。

続いて「すばらしいチャレンジ精神」と「多様性を認める社会の実現に努めよう」と述べ、結びに仏教では「あらゆるものは縁起として在る」と観ることを教えていることから、「障害者も縁起の理法によって障害者となっている。縁起によれば今日の健常者も明日健常者であることはまったく保証されていない。すべての人は障害者予備軍といえる。今健常者であるといっておごる心を持つことは実に愚か。明日は我が身と心得て障害者の方々に慈愛の心で接する」ことが大切と申し上げました。

相武山 山主

2021年09月28日

現代語の法華経要品を拝読(下)

妙法蓮華経要品「現代語訳」の拝読は前回拝読(3頁~19頁)の続きです。
「三昧から出られた釈尊が声聞衆の代表である舎利弗を相手に語り出します。『諸仏の智慧は甚深無量にして、其の智慧の門は解しがたく入りがたし。一切の声聞、辟支仏の知ること能わざる所なり。 ー略ー  われ、成仏してより已来、種種の因縁、種種の譬喩をもって広く言教を演べ、無数の方便をもって衆生を引導して、諸の著を離れしむ。 ー略ー 唯だ仏と仏のみ乃ち能く諸法の実相を究尽す』と述べ、十如是が説かれます。舎利弗は三度釈尊に説法を請い、釈尊が応えようとしたところ、五千人の増上慢の者が退座してしまいます。」を確認。

 此処では仏の広大深遠な智慧を「四無量心・四無礙弁(四無礙智・四無礙解ともいう)・十力・無所畏・禅定・解脱・三昧」と明らかにし、諸法の実相として示された十如是が説かれます。この十如是は法華経の梵本には「五つの間接疑問文」として存在しますが、鳩摩羅什は仏のみが覚られるという諸法の実相を大智度論を参考として十如是に表現されたといわれています。

それは「是くの如き相、是くの如き性、是くの如き体、是くの如き力、是くの如き作、是くの如き因、是くの如き縁、是かくの如き果、是くの如き報、是くの如き本末究竟等なり」です。しかし、その内容については詳細に語られてはいません。そのため、天台大師はこの法華経の「仏の覚られた諸法の実相」を円融三諦説や一念三千説として表現されたことをお伝えしました。

【一大事因縁のゆえに出現】
夏季研修会の拝読は『法華経要品現代語訳』の20頁から。「未だ得ざるを得たりと謂(おも)い、未だ証せざるを証せりと謂う」。増上慢の五千人が退座し、釈尊はいよいよ仏がこの世に出現した目的「一大事因縁」について語られます。その目的とは「四仏知見(開仏知見、示仏知見、悟仏知見、入仏知見)」です。
方便品では「諸仏世尊は、ただ一大事の因縁をもっての故に、世に出現したもう ー 略ー 諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得しめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏の知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏の知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏の知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。」と説かれます。

この経文はとても大切な言葉です。釈尊は「稀にしか仏の体得した妙法を説くことはない」とことわり、仏は唯一の大事な仕事である「衆生に仏知見を開き、示し、悟らせ、入らせる」ためにこの世に出現されたことを表明されたのです。
釈尊はここで「仏はすべての衆生を成仏させるためにこの世に出現した」ことを明らかにされました。法華経が出世の本懐といわれるゆえんです。

【開三顕一】
法華経の中心思想は方便品にあるといわれますが、それは仏の一大事の因縁が「すべての衆生に成仏への道を開くこと」であり、声聞や縁覚、菩薩としての教えと修行、さらにはその果得を説いた三乗の教えは方便であったと表明したことによります。

方便品では「仏、舎利弗に告げたまわく、「諸仏如来は、ただ、菩薩を教化したもう。諸の作す所あるは、常に一事のためなり。ただ仏の知見をもって、衆生に示し悟らせたまわんとなり。舎利弗。如来はただ、一仏乗をもっての故に、衆生のために法を説きたもう。余乗のもしは二、もしは三あることなし」 と説かれました。

三乗(声聞・縁覚・菩薩)の教え(方便)を開いて一仏乗の教え(真実)を顕したことから、古来この教えを「開三顕一」と呼んでいます。成仏への道に差別があるかのような三乗の教えは仮の教えであり、仏の真実の教えはすべての衆生が差別なく成仏を認める一仏乗であることを宣言されたものです。

続いて方便品では
「舎利弗。諸仏は、五濁の悪世に出でたもう。いわゆる劫濁と煩悩濁と衆生濁と見濁と命濁となり。かくのごとし。舎利弗。劫の濁乱の時には、衆生は垢重く、慳貪(けんどん)・嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏は方便力をもって、一仏乗において分別して三と説きたもう。舎利弗。もし、わが弟子にして、自ら阿羅漢・辟支仏(びゃくしぶつ)なりといわん者が、諸仏如来は、ただ菩薩のみを教化したもう事を聞かず、知らずんば、これ仏弟子に非ず、阿羅漢にも非ず、辟支仏にも非ず。」と三乗の教えに執着する弟子を誡めています。

五濁悪世に出現した仏はさまざまな方便をもって衆生を仏道に導きますが、真実は菩薩だけを導く一仏乗を説くことが目的であったことを述べ、仏弟子に一仏乗(法華経)を信受することを求めていることをお伝えしました。

結びは「舎利弗よ。そなたたちは心を一つにして信じ、理解して、仏の言葉をよく受持せよ。多くの仏たちの言葉には決して偽りはなく、それ以外に真実の教えなどは存在しない。ただ一仏乗の教えだけが真実である」と。を読み上げて今季の研修会の拝読は終了。

今回の研修会では『法華経要品(方便品)現代語訳』から「仏は諸法実相を如実知見」「仏は一大事因縁のゆえに出現」「一大事因縁とは四仏知見」「三乗方便一乗真実」「二乗作仏は一切衆生の成仏」などの大切な御法門を詳細にわたることはできませんでしたが学ぶことができました。改めてことわるまでもなく日蓮の門下として法華経を学ぶことは意義深いことです。参加聴講された方々も信行増進されたことでしょう。
富士日興門流では古来方便品世雄偈を勤行でも読誦していました。近年は時間に追われる世相にまぎれて読誦される方も少ないようです。しかし、内容はとても深いので私も毎日ではありませんが折節に読誦しています。

研修会は小憩をはさんで1時間40分の講義とその後30分の質疑応答で終了。10月31日の秋の研修会では続きを拝読の予定です。コロナ禍が収まり少しでも多くの方と法華経に親しみたいと願っています。

相武山 山主

2021年09月27日

現代語の法華経要品を拝読(上)

 8月最後の日曜日29日、未だコロナ禍は収まりませんが、草取り作務と夏季法門研修会を開催しました。午前10時半からの草取り作務には、奥田さん、熊木さん、阿部さん、安西さん、辻本さん、落合さん夫妻の7名の方にご協力頂きました。今回は本堂前から三師塔までの境内、駐車場と参道の草取りです。草取りには有り難い曇り空でしたがやはり仏道荘厳の汗がながれました。皆さんありがとうございました。

小憩の後、午後1時から夏季法門研修会。コロナ禍の自粛体制下ですから参加者は6名でした。はじめに仏道増進を祈念して皆さんと一緒に勤行・唱題。その後、4月に開催された春季法門研修会に続いて「法華経要品・現代語訳」(日蓮大聖人御生誕800年記念発刊)を拝読。
要品の拝読の前には法華経と仏典についての解説。私たち富士日興門流の信仰は「法華経と日蓮大聖人の教えを受持する」こと。日蓮大聖人・日興上人のご教示では、末法の衆生は下根下機の愚人であり、上根上機の賢人・聖人のように観念観法を修して仏道を成ずるのではなく、法華経の要法である南無妙法蓮華経のお題目を受持し、唱題行に励むことによって仏道を成ずることになります。

したがって信行の中心はあくまで「南無妙法蓮華経への揺るぎない信」の確立にありますが、その仏道は日蓮大聖人の遺された御書(御遺文)を学んで理解して行くことが常道です。御書は文書伝道や法要行事の折々に親しむことが多く、信仰の長い方であればたくさんのお言葉を覚えていらっしゃることでしょう。

しかし、日興門流では題目受持の一行に成道を見いだすことから、意外に法華経については学ぶ機会が少なく、その結構や概要を理解している信徒も少ないように思います。現代は宗開両祖の時代とは異なり法華経そのものを学ぶことが容易になっていますから、私は折にふれて法華経の概要を一緒に学んで行きたいと考えています。
法華経を語る時には大乗仏教についても言及しなければなりませんし、経典の成立やその展開についても説明が必要です。日頃から日曜法話会などでは仏教学の基礎としてそれらについて略述していますが、今回の研修会でも前回に続いて復習のかたちでお伝えしました。

インドで創作された経典はその伝播にしたがって各地の言語に翻訳され、我が国には漢訳(中国語訳)の経典となって伝わりました。当然、各宗派の依経もインドの経典から直接日本語に訳したものではなくすべて漢訳によるものです。漢訳経典はすでに長い歴史の上に宗教・思想・哲学を有する中国の人々に沿った経典ですから、格義仏教などといわれる場合もあり、必ずしもインド経典の原典直訳といえるものでもありません。

日本仏教の各宗派はこのような漢訳経典と中国仏教の展開の上に構築されているもので、これらのことは少し歴史を学べば誰もが知りうることです。また、明治時代になると我が国にも各宗派の教学とは異なるインド仏教を直接学ぶ「インド仏教学」が各大学などで研究されることになりました。この仏教学はアジアの植民地化をはかったヨーロッパ各国が、考古学、文献学、書誌学、宗教学、民俗学などの広範なフィールドから先行していましたが、現在、我が国でも各宗派独自の教学とは異なるかたちで仏教学が発展しています。

以上を略述し、現在、中国新疆ウイグル自治区に在る亀茲国の仏僧「鳩摩羅什(344~413)」は法華経を「妙法蓮華経」と27章立て(後に28章となる)で翻訳したこと。中国隋代の天台大師智顗(538~597)はこの妙法蓮華経を円教の中心にすえて釈尊仏教を判釈したこと。日蓮大聖人の仏法も妙法蓮華経と天台教学の上に展開されていることをお伝えしました。(つづく)

相武山 山主

2021年09月27日

降り続く雨のお盆

14日はご案内のとおり午後1時より盂蘭盆会を執り行いました。前日13日の宗祖御講と翌日の15日の戦没者追善法要もありますので3日間にわたるお盆となります。昨年から「コロナ禍で参詣できませんので・・・」として、郵便による御供養や塔婆供養も多くなりました。檀信徒の方々にお参り頂けないのは実に残念なことで、早くコロナ禍が収束することを願うばかりです。

それでも15日の戦没者追善法要と盂蘭盆会を中心とした一週間ほどは、三々五々墓地や永代供養墓の樹木葬や久遠廟にお参りされる方も多く、さほど広くない境内も朝方から夕刻まで参詣者が居られて、ささげられた御香が雨の中でも境内の外にまで薫じていました。
御宝前と精霊檀に供物をおそなえした盂蘭盆会では参詣の方々と心をこめて読経・唱題。読経中には塔婆を建立した精霊壇に進み、各家有縁精霊への追善のため御焼香しました。

 法要後には7月の盂蘭盆会同様『盂蘭盆御書』の冒頭を拝読。
「盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて智恵第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉懺師子と申し、母をば青提女と申す。其の母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。 ー 略 ー
仏説いて云く、汝が母はつみふかし。汝一人が力及ぶべからず。又多人なりとも天神・地神・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず。七月十五日に十方の聖僧をあつめて、百味をんじきをととのへて、母のくはすくうべしと云云。目連、仏の仰せのごとく行ひしかば、其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給ひきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候。其れによて滅後末代の人々は七月十五日に此の法を行ひ候なり。此れは常のごとし」について解説。目連尊者の優しさとその母青提女の餓鬼の姿から、人としての生き方を考えることが仏道であることをお伝えし盂蘭盆会の法話としました。

法話の中ではコロナ禍の感染拡大と対応についての所見を述べ、また、翌日が終戦記念日であることから戦争犠牲者への追善供養の大切さ、戦争と平和、基本的人権と自由、民主主義について皆で考える一日としようとお伝えしました。

 

相武山 山主

 

2021年08月31日

池上兄弟のご信心

8月のお盆の入りは13日、明けはいつものように16日でした。今年の横浜はお盆の前から天気がぐずついていましたが、12日から17日までは雨が降り続き、夏らしい青空を見ることがありませんでした。この時季、雨が降ることは珍しいことではありませんし、稀に台風も来ますが、6日間も降り続くことは近年記憶にありません。今年は雨のお盆という印象でした。

 行事予定では13日(金)午前10時から久遠廟、11時からは樹木葬墓地での盂蘭盆供養を執り行う旨、ご案内しました。朝からの強い雨でしたから、参詣者がいなければ小雨になってから、午後の法要の後にでもお参りしようと考えていましたが、佐藤さんと柴さんが豪雨の中態々お参りになられたので、塔婆を建立した久遠廟にてご一緒にお参りしました。香華を捧げわずか15分ほどのお参りでしたが記憶に残るお参りとなりました。

13日はお盆の入りですが、日蓮門下僧俗にとっては月例の宗祖への御報恩講の日。御宝前にて仏祖三宝尊への献膳を申し上げ、如法に読経・唱題。参詣者と倶に日蓮大聖人への御報恩を申し上げました。お盆の入りでもありますので、塔婆を建立した精霊壇にもお膳と供物をお供えし、各家有縁精霊への追善御回向を申し上げた次第。

法要後には池上兄弟に与えられた『兄弟抄』の末文を拝読。
「其の上、摩訶止観の第五の巻の一念三千は、今一重立ち入りたる法門ぞかし。此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。
第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる。乃至、随ふべからず畏るべからず。之れに随へば将に人をして悪道に向はしむ。之れを畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。
ー 略 ー
始めは信じてありしかども、世間のをそろしさにすつる人々かずをしらず。其の中に返りて本より謗ずる人々よりも強盛にそしる人々又あまたあり。在世にも善星比丘等は始めは信じてありしかども、後にすつるのみならず、返りて仏をぼうじ奉りしゆへに、仏も叶ひ給はず、無間地獄にをちにき。此の御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候。又太夫志殿の女房・兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給ふべし。きかせさせ給ふべし」

兄弟抄の概要を『御書システム』の解題から
「本書は池上兄弟の兄大夫志が父親から勘当された折、弟兵衛志が兄に従って法華信仰を貫いたことに対する称賛と激励の書である。長文であり且つ「夫れ」で始まるところ重要書たることを示しているが、その形式はあくまで書状である」と紹介。

拝読の御文については
「儒家の小事においてすら是の如くであるから、『法華経』の信仰を成就するのが困難であることは当然のことであるとして『止観』の「三障四魔紛然競起」の文が示され、各々二人も穏士・烈士の如く頑張るよう激励されている。また、それぞれの女房に対しても、夫婦一体となり、たとえ夫が信仰を捨てようとしたとしてもそれを命に代えて諫め、信仰を成就して竜女の跡をつぎ、末代悪世の女人の成仏の手本を示すよう激励されている」
と紹介。

池上宗仲・宗長兄弟は宗祖御在世の強盛な壇越。兄の宗仲は法華経信仰のために父より勘当を受けますが、兄弟・夫婦が合力して法華経信仰を貫徹。やがて父からの勘当も許され、その後、両親や一族を法華経への信仰に導かれました。
宗祖は弘安5年(1282)9月、湯治のために身延山から常陸の湯に向われましたが、その途次、10月13日池上邸においてご入滅されました。現在の大田区池上の池上本門寺は宗仲が開基檀越。池上家の子孫は兄弟の信仰を承継して750年後の現在も池上本門寺をお護りしていることをお伝えしました。
仏教の信仰を貫くことはさまざまな仏典や宗祖の御書に明示されているようにけっして容易なことではありません。仏教に発心する人は多くても生涯かけてその道を歩み、現当二世に仏法の功徳を積むことは難しいことです。宗祖は「受くる(発心)はやすく、持つは難し、さる間成仏は持つにあり」とご教示です。私たちも池上兄弟とその子孫の信仰を手本に仏法の受持と法燈相続に努めて行きたいものです。

 

相武山 山主

 

2021年08月30日

個人の平安は社会の安寧と倶に

8日の法話会は前半の世相「コロナ禍に遭遇、オリンピック雑感」に少し時間をとられましたが、前月の「立正安国論と日蓮の思想」に続いて「大乗仏教の特徴とその実践・個人の平安は社会の安寧から」。我が国の仏教は大乗仏教といわれています。また、日蓮大聖人は法華経こそ釈尊の教えの根本であり大乗仏教の精華であると述べ、自らの仏法が法華経を基盤としていることを明らかにしています。


日本仏教の各宗各派はそれぞれの宗学の中で大乗仏教の意義付けをしていますが、大学などを中心に印度学仏教学の研究者によって大乗仏教が学術的に探求されています。そのよう現状をふまえ一般概念としての大乗仏教を理解して頂くために、日本大百科全書(三枝充悳述)と国史大事典(中村元述)の「大乗仏教」を紹介しました。

日本大百科全書
「大乗はサンスクリット語のマハーヤーナの訳語で、『「多数の人々を乗せる広大な乗り物』の意。すなわち一切衆生の済度を目ざす仏教という趣旨。
仏滅後数百年(紀元前後ごろ)インドにおこった新しい仏教運動は、それまでの諸部派に分かれて各自の教理体系を固めていたあり方を鋭く批判しつつ、幅広い諸活動を展開し、やがて新しい諸経典が成立するなかで、『般若経』以来この自称が確定した。
従来の出家者中心の仏教を一般民衆に開放し、在家信者を主とする進歩的な考えの仏教徒の間からこの運動はおこり、異民族に支配されて混乱していた、当時の悲惨な社会状勢や、仏教遺跡のストゥーパ崇拝などとも関連が深い。」
ことなどを解説。

国史大事典
「インドで西暦紀元後に興起した新しい形態の仏教。サンスクリットでマハーヤーナという。マハーとは「大きい」の意、ヤーナとは「乗物」を意味する。それ以前からあった保守的な仏教(いわゆる小乗仏教)では修行僧が独善的になる傾きがあったのに対して、ひろく民衆のための仏教であることをめざす。「大乗」の「大」には、大・多・勝の三義があるという。それは(一)偉大な教えであり、(二)多くの人々を救い、(三)勝れた教えであることを標榜する。大乗仏教は、民衆の宗教であり、諸仏・諸菩薩を信仰する。みずからは救われなくてもまず他人を救うという菩薩の精神が強調された。
諸仏・諸菩薩を熱心に信仰して念ずることを強調するために、多数の仏像が製作された。その製作の中心地は、ガンダーラ(パキスタン北部)とマトゥラーとであった。
最初期の大乗仏教は、ストゥーパを崇拝していた一般民衆および修行僧のあいだから起ったと考えられるが、当時は荘園をもたなかった(当時荘園をもっていたのは、いわゆる小乗仏教だけである)。しかし民衆のあいだに根強かった呪術的要素をとりいれることによって、一般民衆のあいだにひろがった。」
ことなどを解説。

続いて「一切衆生の平等成仏を認める実大乗の教え」として、[・上座部(小乗)仏教の出家主義、権威主義からの解放。・大乗仏教の精華「法華経」は一仏乗の教え。すべての人々が差別無く等しく仏と成ることを認める。・法華経は一切の仏法を包摂した実大乗の教え。・現実社会での人生の営みがそのまま仏道の修行。・妙法(法華経)受持とは菩薩道の実践]であることをお伝えしました。

「天災人災の元凶を仏典に求めて著されたのが立正安国論」であり、[・大乗菩薩道(自他倶に救済)の実践に生きた日蓮。・末法という仏教史観を基盤にした日蓮の教え。・世相は迷乱、混濁、愚人劣機の自覚。・南無妙法蓮華経の唱題成仏。・仏法即世法の実践。・仏道と社会生活を分離することなく、仏法信仰によって個人の救済と社会の安寧を願った日蓮。]について解説しました。

 レジメの最後は「個人の平安は社会の安寧から」。
[・現代に生きる私たちは歴史的に恵まれた社会環境にある。・太平洋戦争の敗戦によって得た民主主義。・主権在民による自由と民主主義、基本的人権が憲法で保障されていることを自覚。・政治を軽視してはいけない、主権者としての義務と責任を果たそう。・個人の平安には社会の安寧が不可欠であることを認識し、一人一人が社会の安寧を願うことが大切。]であることをお伝えしました。
結びに「一昨日は広島に原爆が投下された日であり、明日は長崎に原爆が落とされた日です。15日には76回目の終戦記念日を迎えます。8月は戦争と平和、国民主権と自由と人権を皆で考える時ではないかと思います。」と述べて8月度の日曜法話会は終了。次回の日曜法話会は9月12日午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年08月29日