相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

静かな祈りと歳末の喜び

正月の初参詣も終え松の明ける頃、泉区からHさんが参詣されました。Hさんは年に数回、時間がとれた時に参詣にみえ、いつもお一人で1時間以上法華経を読誦され、じっくりとお題目をお唱えされるご婦人です。日蓮大聖人の教えにご縁を結ばれて久しく、自らご本尊に詣でて読経・唱題申し上げることが心の安らぎと仰る方ですが、家庭の事情でご本尊様を御安置して信仰ができる環境にはありません。当山とは約6年ほどのご縁になるかと思いますが、いつもご自分のペースで気持ちの良い読経唱題をなさっています。
娘さんの出産の折りにも当山に御祈念を願い出られ、ご一緒に法華経の御宝前に読経・唱題を申し上げて祈念させて頂きました。いつもご家族の平安を心にかけられ、身じろぐことなく静かに御宝前に祈られる姿は尊く存じています。仏祖三宝尊は常にご照覧のことと存じますが、いつの日か、ご自宅にもご本尊様をお迎え申し上げ、心おきなくさわやかな信行に勤められるよう祈っております。

あらゆる人々と倶に仏道に精進したいと願う当山は、常にその門を開いておりますから、静かに法華経と読誦したい、じっくりとお題目をお唱えしたいと思われる方は、遠慮なく自由にご参詣頂きたいと存じます。檀信徒の方々や友の会の皆さまには、豊かな緑と四季折々の自然環境に恵まれ、仏祖三宝尊を荘厳申し上げる御宝前にて、自らをみつめられ、その信仰心を磨き上げて頂ければ実に幸いと存じます。

さて歳末には喜ばしいことがありました。
一昨年の秋に、当山の永代供養墓「久遠廟」に関心をもたれた緑区のIさんご夫妻。その後、説明を聞かれたご夫妻は久遠廟ご利用の申し込みをされましたが、年末には信仰の誓い(御授戒)を立てられて、ご自宅にご本尊様をお迎えになられました。はじめはご夫妻の「終活」を考えられてのご縁のようでしたが、二度三度とお話をさせて頂き、仏教と信仰の尊さについて申し上げてゆくうちに、仏道と信仰の大切さを少なからずご理解頂けたようで、ご夫妻共に法華経と日蓮大聖人の教えに帰依されることとなった次第です。ご主人は長く少年野球のコーチをされ、子供たちの育成に今でも深い関心を寄せられている方です。奥さんは病気療養中のご主人を大切に思い、ご家族皆さんが健やかであるように祈られる心優しい方です。
仏壇を新調したわけではありませんが、ご本尊様を迎えれるスペースを設けて荘厳し、新たに立派な仏具を新調してご入仏を申し上げました。
ご夫妻ことにご主人には、始めて読み上げられる法華経も唱えられるお題目も、当然のことぎこちないものですが、まじめで心のこもったお声は私の心にも響いてきました。信仰はご縁を大切に思い、生涯かけて磨き上げてゆくものですから、ご夫妻には折にふれて仏道を学んで頂き、その教えを人生の道しるべとして、限りある人生をより良く歩んで頂きたいものと願っております。

昨年はその他にも日曜法話会や諸仏事を通して幾人かの方々と新たなご縁を結ばせて頂きました。我が国では宗教や信仰の大切さについて教えられることが少なく、また冠婚葬祭の儀式などに偏重しているため、その意義に気づきにくいばかりか、カルト的で強引な宗教団体もどきもあることから、宗教や信仰について偏見や誤解をもつ方が多いのも事実です。そのような世相ですが当山は仏教本来の道を護り伝える法華の道場として、今年も仏道の種をまくことに精進してまいります。

相武山 山主

2014年01月14日

健やかな成長を祈りました

七五三のお祝いに緑区の颯太君と中区の葵さんが当山にお参りになりました。古今東西、幼い子どもたちが無事に大人に成長することはそう容易いことではありませんでした。災害や争乱という事態に遭遇することもあるでしょうし、そのような事態に出会うことがなくても、栄養状態が十分ではなく、医療も未発達で薬や施術に恵まれていない時代には、大人でも健康を維持して生活することは難しいことです。まして幼い子どもが健やかに成長することは難しいことでした。
そのようなことから、3歳・5歳・7歳を迎えた子どもの成育に感謝し、さらに心身共に健やかに成長することを仏神に祈念するのが「七五三祝詣り」です。子どもの成長に感謝したり祈ったりすることは昔から各地で行われていたようで、その在り方は地域や家庭で異なるようですが、子どもを授かった親の願いはひとしく「健やかな我が子の成長」です。多くの方々が実感しているように人生は平坦な道ではありません。法華経の御宝前にお参りになった幼子にもこれからいろいろなことが起こることでしょう。でも仏教は「如意宝珠(にょいほうじゅ)」でありますから、仏縁をしっかりと握って、辛いときや苦しいとき、楽しいときや嬉しいとき、いつでも仏さまの教えを燈として、悠々と己れの人生と向き合って、明るく歩みを進めて頂きたいとご祈念申し上げました。

相武山 山主

2013年11月30日

初秋の風に

初秋の風がそよぎはじめ、みどり豊かな当山の周囲では朝夕すっかり秋の気配となりました。暑さを増すような蝉の声も静かになり、夜には虫の音が涼しさを伝えています。楽しみにしていた参道脇のリンドウは、鮮やかな紫色の花を咲かせてあっという間に散ってゆきました。もっとゆっくりと願っていましたが、代わりに今度は駐車場からの参道のハギが風に舞うように咲いています。
四季の彩りに恵まれた我が国では、それぞれの季節に風情があって、一人ひとりの生活や人生に大きな影響を与えています。季節ごとに趣きが異なりますから、忙しさに追われたり、心配ごとで心が落ち着かないことの多い私たちですが、ちょっと心の窓を開いてみれば、自然のはたらきの奥深さを知り、心の切り替えもできることでしょう。

秋もそこかしこにその情緒を楽しむことができます。秋といえば月というのが古来からの季語ですが、来週の19日は中秋の名月です。月の満ち欠けによって暦としていた旧暦(太陰暦)では、7・8・9月を「秋」としていました。その秋の真ん中の旧暦8月15日を「中秋」といいます。しかし、中秋の名月は満月と思いこんでいる方もおられるようですが、必ずしも満月とはかぎりません。
昔から月は太陽とともに人々に崇められていましたから、作物の豊作や家族・親族・友人の平安を祈って、月を愛でることが行われてきました。月の宴「お月見」です。澄み渡る秋の夜、天空にかかる月を楽しむお月見では、月見台がこしらえられたり、縁側を利用したり工夫をこらし、三宝やお供台に月見団子、お神酒、サトイモ、枝豆、秋に収穫される果物。そして秋の七草「萩(はぎ)、薄(すすき)、撫子(なでしこ)、葛、女郎花(おみなえし)、藤袴、桔梗」などの花がお供えされます。ベランダやバルコニー、窓辺でも楽しむことができるお月見ですから、それぞれに秋の一興とされてはいかがでしょうか。

今週月曜日の9日、港北区におられた川脇志津子さんの七回忌法要が執り行われました。川脇さんは昭和57年頃に当山の信徒になられた方で、平成19年に逝去されるまで一緒に法華経と日蓮大聖人の教えを学ばれた方です。ご信心に篤くお寺の護持にも心を尽くされた方でした。長く講中の会計も担当していただきましたが、お寺の行事などにはいつも積極的に参加され、多くの方々の信心を励ましていらっしゃいました。50歳を過ぎる頃から7年間ほど病と向き合う事となりましたが、悩みながらもその病を信心の糧として、一層信仰を深めてゆかれた姿には今に敬意を表するばかりです。

30数年前、川脇さんに手を引かれて保土ケ谷の正信寮に上ってきたのが息子さんのN君でした。まだ幼稚園に上がる前でしたでしょうか。とても可愛い利発な男の子でした。N君はその後もお母さんの信仰を継いで、仕事の忙しい中、折々に当山に参詣していますが、先年賢く優しい奥さんを迎えて新たな家庭をつくられました。川脇さんもきっと霊山で喜び見守られていることと思います。
ご主人の川脇さんは、奥さんと一緒に旧寺院でも境内の整備などに尽力いただいていましたが、新たな寺院でも植栽など境内整備の中心となってご支援いただいています。先日も参道からの門扉が危ない状況でしたが、しっかりと固定していただきました。信仰を本当に大事に考えておられた奥さんが、まるでがその身に入られているかのようで、私はいつも二人三脚のようにお見受けしています。

七回忌法要にはご主人やN君ご夫妻、妹のWさん、娘さんのHさんと8ヶ月になるひ孫さん、ご主人のご兄弟に参列いただきました。精霊壇にお塔婆を建立、供物をおそなえし、皆んなで法華経を読誦申し上げ、宗祖御証得のお題目をお唱えして懇ろに追善ご回向を申し上げました。本堂での法要が終わると川脇家の墓所に移り、自我偈を読誦・唱題のうちにお香を手向けて追善供養のまことをささげました。
天候にも恵まれ暑くも寒くもない、気持ちの良い七回忌法要でした。参詣された皆さんが異口同音に「善かったね~・・・」とおっしゃっていました。

残された方々も故人を思い、故人も厳しい人生を歩む縁者を見守っていることを感じることができるのも、法事を行う一つの意義であろうと思います。生者と死者の思いが交わる法事。川脇さんも仏さまの側から、ご主人や子どもさんお孫さんのことを温かく見守っておられることでしょう。

相武山 山主

2013年09月13日

お久しぶりです

去る4の日曜日、有働家の法事が当山で執り行われました。現在82歳になり鶴見区の伏見さん(娘さん)と一緒に生活されている有働さんが、ご主人の23回忌をお勤めになり、懐かしいお顔を拝見することができ嬉しい一時を頂きました。有働さんとは新寺院の起工式以来ですから5年ぶりでしょうか。お体の具合もあって落慶式も不参でしたから、初めての新寺参詣でした。長男の祐一さんや伏見家の皆さんとも17回忌以来でしたが、お孫さんの直也さんとは本当にお久しぶりでした。

すっかり立派になった直也さん。気立ての良さそうな奥さんと子どもさん3人とご一緒のお参りでした。私のおぼつかない記憶ですが、30年ほど前あるキッカケで直也さんのお父さんである祐一さんと知り合うこととなり、その後、法華経と日蓮大聖人の教えを倶に学ぶようになりました。そして、何回か洋光台のご自宅にお経参りにうかがっていたとき、小学校の低学年の元気の良い利発な子どもが二人の妹の面倒を見ていました。その男の子が直也さんでした。あたりまえの事ながら顔かたちは同じでは有りませんが、その輪郭と面影はまったく変わっていません。直にあ~あの時の子どもさんだということがわかりました。今は立派なお父さんになっておられました。

法事が終わりいつもながらに10分ほどの法話をさせて頂きました。「法事をする意味、法華経を読み上げる意味、お題目のこころ、現実社会で生きる難しさと信仰の大切さ」、を言葉足らずではありましたがお伝えしました。お孫さんやひ孫さんも大勢ご参詣でしたが、皆さんとても静かに法要に参列しておられました。その後、客殿で会食させて頂き、昔話から近況まで和やかに語り合い楽しい時間を頂戴しました。有働さん、伏見さん、直也さんからお帰りに、「立派なお寺で良い法事でした」と言って頂いてとても嬉しく思いました。こらからも皆さんがご縁を深められて仏様の教えを学ばれますよう願っています。

連日の猛暑が全国を襲った11日(日)は午前11時から今年8回目の日曜法話会でした。今月は「祈りを大切に」をテーマに約1時間お話をさせて頂きました。世相は「忘れてはならない8月15日」です。想像を絶するような猛暑でした。エアコンを設置していない本堂です。いつもなら森をわたる風が暑さをあまり感じさせないのですが、今年の夏はひと味違います。黙っていても額からは大粒の汗、体温よりも暑い気温なのですから、具合の悪くなる方が出てもおかしくありません。法話の途中に興厳房が小さなアイスを皆さんに配っていましたが、まさに一服の清涼といったところでした。一人も倒れることなく無事に法話を終了。私もほっとしました。参集ご聴聞頂いた方々の向学心と集中力に敬意を表します。

日曜法話会の後には午後1時からお盆の追善法要を執り行いましたが、ここでも大勢の方々とお久しぶりとなりました。皆さん公私ともにお忙しいようで、仏教を学ぶことの大切さや信仰の大切さはわかっていても、時間が思うようにならないようです。鶴見区からは佐伯(旧姓高)玉栄さんが大きくなった二人の息子さんと一緒にご参詣。お盆のお参りは数年ぶりということでしたが、皆んな元気に活躍されておられるようでうれしく思いました。やはりお顔を拝見して言葉を交わすことができるのは有り難く楽しいものです。あまりゆっくりお話はできませんでしたが、玉栄さんは「16歳の高校生の時に住職に出会い、あっという間にもう32年がたってしまいました。本当に時間が流れるのは早いですね~。ようやく少し落ち着いてきたので、これからは息子たちと一緒にできるだけお参りにきますね」と語って帰路につかれました。

皆それぞれにさまざまな都合がありますから、仏道の世界でもお久しぶりということは自然なことです。信仰は生涯かけて磨き上げて行くものですから、いろいろな人生の課題と向き合いながら、進んだり、止まったり、下がったり、また進んだりと一様ではなくても心配はいりません。最終的に仏様の教えを深く信受し、自身と他者の仏性に気がつくことができれば良いと思うのです。迷うのも悩むのもより良い人生を願うからに他なりません。お久しぶりからまた新たな出会いと縁(えにし)が生れることを願っています。

2013年08月17日

梅雨明けの猛暑の中で

今年の横浜の梅雨入りは早かったものの、長雨でも豪雨でもなく空梅雨気味と感じました。夏の水対策に一抹の不安もありますが、関東の他の1都5県とちがって、神奈川県単独で丹沢湖、相模湖、津久井湖、宮ヶ瀬湖という4つの水がめを持っており、また山梨県からの援軍まであるのですから、神奈川県は水に恵まれているということがいえるでしょう。渇水による近年の取水制限も一度か二度くらいではないでしょうか。世界中では水に困っている国や地域はたくさんあります。水はまさに生命活動の源泉ですから、改めて水への感謝を忘れてはならないと思っています。
いつも法話で申し上げていることですが、諸行は無常であって何ごともあたりまえなどという事はありませんから、恵まれている物・事の一つひとつに気がついて、感謝の心を起こすことが大切ではないでしょうか。

横浜の梅雨明けは例年よりもかなり早く、また、開けてからはご承知のような連日の猛暑です。全国各地で7月の上旬から30度を超える猛暑が続いています。近年の猛暑とゲリラ豪雨といわれる現象は、地球の環境の変化かもしれませんし、コンクリートに覆われた大都市特有の現象かもしれませんが、注意が必要に思います。熱中症への理解もかなり広がってきていますが、まだ注意が至らずに深刻な事態が報道されています。ことに年長者にその危険がありますので皆さまには十分にご注意を願います。暑い夏もやがて秋の風が吹いてくるのでしょうが、それまでは「暑い・暑い・本当に暑い」と言い合ってしのいで行きたいものです。

この暑さの中、先月末より連日神奈川区羽沢町旧寺院の最終整理を汗だくになって行いました。当山の歴史に不可欠な存在でしたので片付けをしながらも万感の思いがよぎりました。そこかしこに同志の皆さまとのさまざまな信仰の歩みが残っていました。資料もかなり残されていましたので、このささやかな足跡を2~3年のうちにはまとめてみたいと考えています。開創40周年では先が長いので35周年をめざして冊子化ををはかってまいります。

思いの外に忙しくなったこの時季、春から予定していた私たちの得度50年の集いを7月8日(月)に当山で行いました。得度とは僧侶となる儀式のことですが、私は50年前の昭和38年3月28日に僧道を歩むことを許され、日達上人の弟子として富士大石寺で得度させて頂きました。小学校5年生を終了し6年生の春を迎える頃のことで満11歳でした。一緒に得度した仲間は28人でした。  皆幼くして親元を離れて右も左もわからぬままお山に上ったのですが、確固たる僧道完遂の自覚があったのかと問われればどうでしょうか。子ども心に一所懸命に頑張らなければいけないとは思っていたでしょうが、それぞれの因縁に導かれて僧道に身を置く事になったというのが実態ではなかったでしょうか。
それでも今日までそれぞれに仏道・僧道と向き合ってきました。人生観や信仰への思いの違いもあって、7名は青年の頃に違う世界に活躍の場を求めて行きました。僧道を歩む覚悟に立った者も、間違ってはいても宗門の体制に従うべきと考える者と、組織や体制よりも信仰そのものを大切にして行きたいと願う者に分かれました。また、49歳で亡くなった福田寿道師、53歳で亡くなった中越習道師もおられますから、今回集ったのは私を含めてわずか6名です。あたりまえの事ながら時の流れの早さとあやに思いを馳せることになりました。

梅雨明けの猛暑の中、当山本堂において皆んなで汗を流しながら仏祖三宝尊に読経・唱題を申し上げ、今日まで僧道を歩ませて頂いたことへの報恩感謝を申し上げました。また御師範上人へのご報恩と同期生物故者精霊への追善供養を申し上げた次第です。
その後は互いの近況を語り合うやら子供の頃の悪戯話などに大いに花が咲きました。よく顔を会わせる方もいますが、久しぶりの方もおり、和やかな中に旧交を温めることができて大変うれしく思いました。
だれもがその人生は一様ではなく平坦な道でもありません。苦難や悲哀、喜楽のアップダウンであり、自信を失ったり、気持ちが高ぶったり、慢心におごったりしたことでしょう。私たちも幼い頃から仏門・僧道という世間から見ればかなり特殊な世界に身を置き、半世紀もの長い間その道を歩んできたのですから、この世界なりに語り尽くせないほどの苦労や喜楽がありました。ことにこの50年間は私たちの門流にとってはまさに激動の時代でしたから、集まった同期生みんなが「いろいろあったね~」という風情で、語る言葉にも経験がにじむようでした。これもそれなりに年を重ねてきたあかしでしょう。

皆昨年には還暦を過ぎたこともあり、最後はお互い健康に気をつけて、残された時間をしっかり精進して行こうと語り合いました。今までは5年ごとに集まってきましたが、これからはもう少し間隔を短くしないと霊山での再会になってしまいそうですから、早めに再会の機会をつくりたいと思っています。できれば立場の違いを越えてより多くの同期生に会いたいとも願っています。
遠慮なく童心に還ることができることは人生の一つの楽しみかもしれません。仏祖三宝尊はじめ、すべての存在に有り難く感謝を申し上げました。

相武山 山主

2013年07月20日

南雲家のご法要

去る2日(日)、南雲洋子さんの第17回忌法要が、ご主人をはじめご家族の志のもとに当山で営まれました。南雲さんは当山が開創した昭和56年にご縁を結んで頂いたご婦人で、長年ご家族と倶に当山で信仰に励まんでおられました。お仕事をもちながら明るく元気にお二人の娘さんを育てていらっしゃいましたが、平成2年から3年にかけて、小脳の萎縮という病を発病、身体機能に支障を来されました。その後、約7年ほど治療に努められましたが、平成9年6月2日に逝去され、本年17回忌を迎えられました。
病にかかられてから、ご主人や娘さんによる温かく心のこもった介護や看病にふれて、私は本当に感銘をうけました。ご家族が互いに協力し連携しあっての介護には、「家族ならこのように在りたいもの」と私の眼には映りました。あらゆる治療と介護を尽くされた後、洋子さんはご家族に見守られながら安らかに目を閉じられ霊山に旅立たれました。
その後、長女のエリ子さんには2人の娘さん、次女のさつきさんには3人の息子さんが授かり、ご主人の南雲さんと倶に皆さんとても元気にご生活です。きっと奥さんが仏さまのお側からご家族を見守って居られるお陰でしょう。ご主人はご信心に篤く講中の要として長くご奉公頂き、1日のお経日や13日の宗祖御講には欠かさず参詣しておられます。墓所を当山に定められたこともあって、娘さんのご家族もそれぞれの都合に合わせてよくお参りをされています。普段の生活や思いをお母様にご報告して居られるのでしょう。法要と墓参の後には皆さんご一緒に客殿で食事をとり、和やかに洋子さんの思い出話しなどを語り合い、貴重な時間を頂きました。

そういえば3月には熊木ハナさんの第23回忌も執り行われました。熊木さんも昭和56年開創当時からのご縁です。今は息子の真治さんや孫の文康さんが当山でおばあちゃんの信仰を継いでおられます。開創当時の厳しい時代に明るく元気な「熊木のばあちゃん」には本当にお世話になりました。何かと世知辛い世の中ですが、信仰を大切にされるご家族の方々が追善の法要を勤めて頂き、親族縁者の方々が集まって、おばあちゃんへの供養ができたことを私も嬉しく思いました。その後の会食で熊木のばあちゃんの生前の人となりや、苦労話などを話すことができたのも供養の一環かと思っています。

また、年明けの1月4日には戸塚の佐々木さんが逝去されました。佐々木さんも開創以来のご信徒のお一人です。近年は怪我やご病気などさまざまなことがあって、あまり参詣ができませんでしたが、以前は年中行事にはもちろん、奥さんとお二人で戸塚の宅御講などにも参加しておられました。昨年の暑い夏を過ぎた頃、ご主人がガンを患っていることがわかり、入院を余儀なくされました。奥さんの献身的な介護を受けながら秋から冬を乗り越えたご主人でしたが、正月明けの4日にご逝去されました。佐々木さんと奥さんの希望もあって当山で葬儀式を執り行いましたが、九十余歳のお母様がご健在で、妹さんご夫妻や奥さんのお身内が参列されて、心のこもった葬儀式をもって御仏の世界に御霊をお送り申し上げました。ご遺骨は当山の永代供養墓「久遠廟」に埋葬され、現在安らかにねむっておられますので、久遠廟へのお参りの折にはいつも心の中から声をかけさせて頂いています。
という文章をまとめていると、なんと佐々木さんが久遠廟にお参りにお出でになりました。今日は月は違っても4日のご命日、久遠廟を掃除されお香を供えてのお参りです。有り難いことと存じました。

法事はご縁の深い故人の冥福を祈る仏道の営みであり、知恩・報恩を大切にする日本仏教の教えを示しています。しかし、当山の檀信徒の方々にはあまりみかけませんが、近年は法事ばかりか葬儀までも粗末に扱う方がおられるのは残念なことです。それは葬儀や法事の意味が良く理解できていないことや、その大切さを教えてくれる人がいなくなってきているためでありますが、また、生と死をよく見つめること、眼には見えないけれども存在する御霊(みたま)とのつきあい方がわからなくなってきた為ではないでしょうか。

法事を営むときには故人と自らの深いご縁に思いを馳せることができることでしょう。また、故人の人生を偲ぶことは、人生の厳しさや険しさを学ぶことともなり、他方人生の喜びや楽しみを知ることにもなります。法事は人を集めて盛大に行うことが目的ではありませんから、もちろん参集人数の多寡を問うものではありません。故人への追善供養を第一に心がけ、親族縁者の信仰心が深められることが何よりも肝要なのではないでしょうか。

 

2013年06月05日

母を思う殊勝なこころ

先週の火曜日に横須賀市の女性から電話を頂きました。一昨年9月に亡くなったお母様の供養をして頂きたいという申し出のお電話です。親族の方から当山を紹介して頂いたということで、30歳代のご婦人がご主人と二人で土曜日にお参りに来られました。

「年忌でも命日でもないのですが、お母さんに供養をしたいと思い立ったので」ということでした。お母様のお塔婆を建立して法華経を読誦、唱題を申し上げて懇ろに追善ご回向をさせて頂きました。ご婦人は「おばあちゃんが法華経と日蓮大聖人の信仰をしていて、母と一緒に私も法華経も上げていました」ということで、お経も声に出して読誦され、ご主人もお経を眼で追って黙読しておられました。お題目は私の声に合わせてお二人ともお唱え頂き、とても有り難いことと思いました。

おばあちゃんやお母様の信仰心が時を経てご婦人の心に蘇ったようです。私も大変うれしく思いました。信仰を子どもや孫に伝えようと願っていても、中々思うようにはまいりませんが、信仰の大切さや供養の大切さ、家族の思いやりの大切さなどを、日頃から繰り返し語り、自分が実践しているとやがて時を得て花が咲くこととなるようです。ご婦人は「母も喜んでいるでしょうか」とお尋ねでしたが、仏さまのもとに居られるおばあちゃんやお母様もきっと喜ばれていることでしょう。有り難いことにこれからも参詣させて頂きますと仰って帰られました。

当山の檀信徒にはほとんどおられませんが、最近一般では、自分の親や家族が亡くなられても、葬儀を行うこともなく供養を捧げることもない、火葬にして終わりという素っ気ない事例を聞くことがあります。もちろん法事なども行うことはありません。
理屈の上からは、「宗教心や信仰心がないので葬儀や供養は行わない」というのも不思議なことではありませんが、人間的情緒を欠いているのではないかと残念に思います。
というのも仏教の教え以前に、動物と人間との大きな相違の一つに「死者を弔う」ということがあるからです。旧人類から新人類という数十万年の昔から、家族が亡くなるとその死を悲しんで葬るという遺跡が世界の各地にのこっています。古今東西の歴史をみても、死者を悼み葬儀を行って信ずる世界に旅立ってゆくことを願うのは、人としての振る舞いとなって伝わっています。

お母様を思って追善の供養を思い立ったご婦人の殊勝なこころにふれることができて、小雨で少し寒い土曜日の本堂にも暖かさが感じられました。

相武山 山主

2013年04月22日

健やかな成長を願って

11日の日曜日、9月9日に誕生したばかりの白濱琥太郎(こうたろう)君が初参りに来山されました。ご両親に抱かれ、祖父母と伯母さん夫婦もご一緒の参詣です。というのも、琥太郎君の姉の玲李(れい)ちゃんが3才のお祝いにあたり、弟琥太郎君の初参りと姉の玲李ちゃんの七五三のお祝いが一緒になったからです。秋の休日、家族皆んなで幼い子供たちの成長を祈る機会とされました。

仏祖三宝尊の御宝前に心を込めて法華経を読誦、お題目をお唱え申し上げ、琥太郎君と玲李ちゃんの健やかな成長を御祈念申し上げました。幼子が成人となるまでにはさまざまな出来事があることでしょう。仏天のご加護のもと、苦・楽を活かしてたくましく育ってほしいと念じております。

 

この秋は10月の27日(土)に片岡彩葉(いろは)ちゃん、11月4日(日)には菅野元稀(げんき)君がそれぞれご家族とともに七五三のお祝いに参詣されました。彩葉ちゃんは3才、元稀君は5才のお祝いです。ご家族とご一緒に御本尊様にこれまでのご加護に感謝を申し上げ、これからの健やかな成長を御祈念申し上げました。祈りの時には神妙で落ち着かない二人も、千歳飴を渡す頃には元気な顔をみせてくれました。これからもいろいろなことがあると思いますが、家族皆んなで信仰を支えに雄飛してほしいと念じております。

深いご縁を信じて法華経と日蓮大聖人への信仰を大切にされるご一家が、人生の節目節目に菩提寺に参詣して信仰をささげられることは、家族のきずなを深め、それぞれの人生に歴史を刻むことにもなり、尊く有り難いことと存じます。
どうぞ皆さまが日々健やかでありますように。

来たる18日(日)は今年最後の日曜法話会を開催します。テーマは「敬うこころ」です。仏神を敬い畏れるこころを喪失しがちな現代、善悪に染められる心からあらゆる行動がなされ、人生の禍福が織りなされて行きます。仏神とその教えを敬う功徳についてお話させて頂きます。
23日(金)には鎌倉歴史散策の会を開催します。参加は締め切られましたが皆さんと秋の鎌倉を楽しみたいと思います。

相武山 山主

2012年11月15日

樹菜ちゃん家族でお参り

日曜法話会も終わってお彼岸の準備をしている先週の火曜日、お母さんの仕事の定休日にお父さんの休みも重なって、1才になった樹菜ちゃんが家族でお参りにみえました。お母さんはご両親である重吉さんご夫妻の信仰を受け継ぎ、以前から月に一度は定休日の火曜日に当山にお参りされています。7月などは猛暑の中、樹菜ちゃんを抱いて汗びっしょりのお参りで大変でした。いつも変わらぬご信心には敬意を表するばかりです。
昨年秋に初参りされた樹菜ちゃんもすっかり大きくなり、つかまり立ちをするようになって可愛い盛りです。これからもご家族で信心を大切に、気軽に楽しく参詣を続けてほしいと思っています。

妹の内堀さんご夫妻も都合をつけてはお参りを大切にされています。先月のお参りにはお会いできませんでしたが、お彼岸の法要にはご夫婦でお参りされていました。ご苦労様でした。当山では22日と23日の両日にお彼岸の法要を執り行いました。22日はお天気に恵まれましたが、23日はかなり強い雨が降っていました。それでも多数の方々が足下の悪い中を、仏道の修行、ご先祖・有縁精霊への追善供養のために参詣され、一緒に法華経を読みお題目を唱え、香華を手向けて御供養申し上げました。仏道のため、人としての心の在り方として有り難いことと存じます。

彼岸会の法話では、8月と9月の日曜法話会でお話した「業(ごう)のはたらき」についてを紹介し、仏教の考え方を基本に、「誡(いまし)めと燈(ともしび)」・「認めることから蘇生(そせい)が」と、業のもつ意義を私たちの生活に引き寄せてお話させて頂きました。日曜法話会も今年で2年目、1月から9月まで9回の法話会を開催し、それぞれ25名~40名のご参加を頂いております。仏教本来の教えにふれて頂きたい、仏道へのご縁を結んで頂きたいとの一念でお話を申し上げてまいりましたが、今年も残すところ10月と11月の2回の開催となりました。1回1回を大切に伝道に資したいと精進を重ねております。すっかり涼しくなってきて、自身の心をみつめ、人生を考える良い時候となってまいりました。ひとりでも多くの方々と一緒に仏教に親しんで行きたいと願っています。

相武山 山主

2012年09月29日

これからもお元気で

お経参りの一環で先週小出さんのお宅におうかがいしました。当山から車で10分少々ですから近いのですが、ご主人とは正月以来のご対面です。お正月には二人の息子さん家族と一緒に賑やかにお参りされました。お経参りではご夫妻と一緒に読経・唱題をお勤めし、ご一家の信行増進と日々の平安を御祈念申し上げ、先祖有縁諸精霊の追善御回向を申し上げました。小出さんご御夫妻は妙法院草創の頃からのご信徒で、長く法華講の要職を務められるなど、30数年妙法院の外護にご尽力頂きました。
ご主人は体調の関係からここ数年思うようにお寺には参詣できない状態ですが、それまではご夫婦で年中行事はもちろん、月例の一日の「お経日」と十三日の「宗祖御講」に参詣しておられました。お経日には小出家と奥さんのご実家の岡村家の御塔婆を欠かすことなく建立されて今に至っています。奥さんはいつもの笑顔で変わらずに参詣され、ご主人の分まで祈りをささげ仏道の教えを学んでおられます。

お経参りを申し上げてからは、30数年前の話から今日までのことにご夫妻と話しが弾みました。妙法院にも小出さんのご家庭にも本当にいろいろなことがありました。辛かったこと、苦しかったこと、うれしかったこと、楽しかったこと、まさに人生そのもので、とても短い時間では語り尽くせません。大勢の信仰の友達の名前も飛び交いました。今もお元気な方々、体調を崩して居られる方、すでに霊鷲山に旅立たれた方々と。みんな法華経と日蓮大聖人の教えを中心にご縁を結ばせて頂いた方々です。失敗談もふくめておよそ思い出話は楽しいものばかりでした。

仏道に縁を結んで信仰の道を志す方は多いものですが、その発心を持続して生涯信仰を磨き続けられる方は、けっして多いわけではありません。宗祖が御書(ごしょ)に「うくるは易(やす)く持(たも)つは難(かた)し」と仰(おお)せのとおりです。
長い信仰の歴史を持つ小出さんは新池御書(にいいけごしょ)の「皆人の此(こ)の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよはく、僧(そう)をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢(じまん)して悪見(あっけん)をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終りまで弥(いよいよ)信心をいたすべし。さなくして後悔(こうかい)やあらんずらん。譬(たと)へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥(いよいよ)法の道理を聴聞(ちょうもん)して信心の歩みを運ぶべし」とのお言葉をいつも大事にしていると仰っていました。

久しぶりだったので話しはつきませんでしたが、お別れに「なにもできませんが最後まで信心を深めて、子どもや孫にも信心が伝えられるよう、これからも菩提寺妙法院をお護りしたいと思っています」と有り難いお言葉を頂きました。
小出さん、また、うかがいますのでどうぞお元気で。

相武山 山主

2012年08月12日