相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

雨の宗祖御講

お隣さんから立派なタケノコを頂戴しました。土をとって早速ご本尊様にお供えして、取れたてのやわらかい旬の味を頂きました。やはり季節の食物は美味で有り難いかぎりです。すっかり春だな~と思ってあらためて境内に目をやると、レッドロビンはその名の通りの赤みの葉を伸ばし、サクラはもちろん、もみじや金木犀、夏ツバキや椎の木もやわらかい新緑の若葉を伸ばしています。芽吹きを初夏とするなら、もう春も過ぎて初夏のたたずまいといえるのかもしれません。時のながれは相変わらず早く、うっかりすると四季の移ろいの愉しみを味わうことなく流されて行きそうですから気をつけなければなりません。

13日は宗祖のご報恩講

今月の初旬から中旬はすっきりしないお天気が続きました。13日の宗祖の御報恩御講もあいにくの冷たい雨が朝から降っていましたので、日頃から信心を大切に参詣を志しておられる篤信の方々も、足下が心配で遠慮されるかと思っていましたら、体調の悪い方からは不参の電話を頂きましたが、思いの外大勢(といっても約20名ほどですが)のご参詣を頂き、献膳・読経・唱題とご一緒に宗祖への御報恩をお勤めすることができ大変有り難く思いました。

日蓮門下ではいずれの門流も毎月13日の日蓮大聖人の御命日忌には御講(御報恩講)を奉修しているように、13日は私たち門弟僧俗にとっては大切な日です。皆んなが意識をもって菩提寺に参詣し、御報恩を申し上げることができればすばらしいことですが、そうはいっても仕事や家庭の都合もあり、体調の都合もありますから、御報恩の思いがあっても参詣に至らぬこともあるでしょう。それは当然なことです。しかし仏道は行を修めて信を深めて行く道ですから、求道の心を起こして啓蒙しあい皆んなで参詣の和を広げて行きたいと思います。
さて、社会の高齢化が語られて久しくなりますが、現在は平均寿命は男性約80歳、女性約88歳といわれています。半世紀前と比べてみれば長寿社会になっていることがよくわかります。もちろんこれは平均寿命であって、それよりも短い人もいれば長い人がいるのは当然のことです。寿命は与えられたものですからまさに寿命で、明確に自分の最後の時を知る人は稀です。確かなことは仏教で明らかに示されるように、生者は必ず死を迎えるということをよく理解して、後悔のないよう一日一日の生活を大事にすることでしょう。
三世の生命を信じること

世界の宗教で来世を説かぬものはありませんが、仏教でも三世の生命が説かれます。「過去に命の営みが有り、今生、人間としての貴重な命を頂くことができた。与えられた人生の幕を閉じれば、その生きた善悪の業報によって来世の命が定まる」と。来世のことなどどうでも良いという考えではなく、来世に命の営みが続くのであるから、現在の生き方、日々の生活、心の持ち方に注意しようとなります。仏法への信仰も仏道の修行もこの一点が定まればぶれることはありません。

そのような境地に立たれているのでしょうか。毎月1日のお経日や13日の宗祖御講に参詣されるご信徒には、80歳を越えた方々が約10名ほど居られます。70歳以上の方を含めれば過半という現状です。遠路にもかかわらず高齢をおして法華経の御宝前に参詣される清らかな方々の姿には素直に敬意を表するばかりです。きっと宗祖日蓮大聖人の御照覧にあずかっていることでしょう。

かつて「眼の見えるうちに宗祖の御書を拝読しましょう。耳の聞こえるうちに御説法を聴聞しましょう。足の丈夫なうちに菩提寺に参詣しましょう」と繰り返しお伝えしてきました。篤信の方々は意のあるところをくまれて、「健康なことは当たり前ではない。仏法にご縁を結ばせて頂いたことも当たり前ではない。仏道修行の功徳を積むことができることも当たり前ではない」と理解されて精進をされているのかもしれません。今月の御講は冷たい雨の中での奉修となりましたから、いつにも増して参詣の皆さまのご信心が尊く感じられた次第です。

法要後の法話では、興厳房が『白米一俵御書』を拝読。前回の「善根(ぜんこん)」を積む話に続き小善成仏(しょうぜんじょうぶつ)と志の大切さを話ました。その後、私は前月に引き続いて『上野殿御返事』を拝読。前月は尹吉甫(いんきっぽ)・伯奇(はくき)父子の仲を裂いた継母の話、仏を恭う頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)を提婆達多(だいばだった)が王子阿闍世王(あじゃせおう)をたぼらかして殺させたことについてお話ししました。

今月は波瑠璃王(はるりおう)と阿闍世王と提婆達多による仏やその弟子達への迫害についてのお話、末法で法華経を受持弘通しようとする時には、釈尊の在世よりも悪知識が盛んで大難が競い起こることについて解説。宗祖は「凡夫が仏道修行に志を立てるときには、悪魔・悪友・悪知識が親近してきて、必ず修行への志を妨害して信心を捨てさせようとするから、注意しなければならない」と教えていることをお伝えいたしました。

13日の宗祖御報恩講への参詣を皆んなで大切にしたいと願っています。

相武山 山主

 

2015年04月25日

仏道の修行をご回向

3月18日は彼岸の入りでした。この日の午前中、相模原市から高橋さんと息子さんの将太郎さんが、ご両親やご先祖の供養のために早々と参詣されました。お二人とも仕事などに追われてなかなか思うように参詣できないということで、少し前から「お彼岸には時間をつくって参詣しよう」と相談していたそうです。ご信心の篤かった宮崎さんの意志を継がれているようで、とてもうれしく思い一緒に追善の供養を申し上げました。その後お二人で墓所を丁寧に清掃され、お塔婆を建立して香華を手向けていました。
檀信徒の皆さんは彼岸法要が執り行われる21日のお中日か22日に参詣される方が多いのですが、墓苑には彼岸の入りから明けまで皆さん自由にお参りにみえ、境内には思いのこもったお香の煙が流れていました。妙法院の墓苑でやすまれている諸精霊も、家族・親族・友人のお参りをうけて、如何ほどかお喜びのことでしょう。

先祖や故人への想いを馳せ、眼には見えない魂の世界との交流を感じることができるのもお彼岸の功徳ではないかと思います。各自の心があらゆるものを観て判断し、人生の帰趨を決しているのですが、眼には見えない心の世界を疎かにすることの多い現代、精神の荒廃を危惧するのは私だけでしょうか。五官の感覚を超えた世界が意識の世界であり、その存在を認めると共にその世界は荒れやすいために、良く耕して栄養を与え、瑞々しい状態を維持することに努めなければなりません。仏道で精進を求めるゆえんです。

お彼岸は仏道修行の功徳をご先祖や有縁精霊にご回向申し上げる法要です。仏道の修行をおさめると善き功徳が積まれますが、その功徳を自らが頂戴するのではなく、ご先祖や縁(ゆかり)深い方々へ回(まわ)り向かわしめることを回向と称します。報恩と追善の仏事は積んだ善根功徳のすべてを、命の源であるご先祖や有縁の精霊にお供えしているのです。そこにはご先祖への敬意、縁深い精霊への愛情が明らかです。

当山では21日と22日の両日、午後1時から法要を執り行いました。法要の前には境内と墓苑の清掃が欠かせませし、仏華であるシキミの用意もあります。もちろん申し込まれたお塔婆も書かねばなりませんし、お参りの方への対応にも追われます。いつもの事ながら興厳房とバタバタしながら法要を迎えました。参詣者のお題目唱和のなか、御宝前への献膳と諸精霊へのお膳供養をいたし、法華経の読誦、お焼香、唱題と如法(法の如く)に進められ、塔婆供養を願われた方々へのご回向を申し上げました。

その後の法話では聖愚問答抄『 夫れ生を受けしより死を免れざる理は、賢き御門より卑しき民に至るまで、人ごとに是れを知るといへども、実に是れを大事とし是れを歎く者、千万人に一人も有りがたし。 無常の現起するを見ては、疎きをば恐れ親しきをば歎くといへども、先立つははかなく、留まるはかしこきやうに思ひて、昨日は彼のわざ今日は此の事とて、徒らに世間の五欲にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空しく衣食の獄につながれ、徒らに名利の穴にをち、三途の旧里に帰り、六道のちまたに輪回せん事、心有らん人誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん』を拝読。
人生の無常を理解することができず、真実の安らぎを求めようともしないで、煩悩のおもむくままに六道輪廻を重ねやすい私たち凡夫の愚かさについて解説。せっかく仏縁を頂いのであるから、私たちはその愚かさに気づいて少しでも仏道を歩んで行こうと申し上げました。

併せて、お彼岸のいわれについても、日曜法話会のレジュメを抜粋して説明させて頂きました。お彼岸には、月例の行事にはなかなか参詣することができない方も参詣しておられ、また、子どもたちの元気な声が境内に響き、皆さんが少しでも仏教の教えにふれて頂いたことは有り難いことと思いました。法要後には三師塔への参詣と永代供養墓久遠廟への参詣を行いました。墓苑では各自墓所を浄めお塔婆を建立して香華を捧げられていました。

穏やかで心温まる春の彼岸会でした。

相武山 山主

2015年03月27日

興師会と熊木さんの23回忌供養

2月7日は富士日興門流の祖師「日興上人」の祥月命日忌です。

日興上人は宗祖がご入滅にあたって六老僧に補任された方で、日蓮大聖人の教えを厳格に承継され、今日に伝えられた高徳の僧侶です。日興門流では僧宝として尊崇申し上げています。上人は宗祖の佐渡流罪に随従され、宗祖身延入山にあたっても尽力されたことは史実に明らかです。また、日蓮門下がその教えをめぐってさまざまに論議がなされるなかで、日興上人はご本尊を宗祖所顕の十界互具の曼荼羅本尊とされ、教えを求める基本を御書(宗祖ご遺文)に定められました。さらに宗祖御影(みえい)を安置して朝夕給仕に勤め、唱題の在り方や法衣の化儀(けぎ)なども宗祖御在世の相(すがた)を護られました。今日私たちが宗祖の教えにふれることができるのも日興上人の護法伝持の賜です。門下僧俗はその恩徳に感謝申し上げ、毎年2月7日には興師会(こうしえ)を執り行っています。法会の御宝前には上人が好まれたという芹がお供えされることから、興師会は「せり御講」とも呼ばれています。

当山にとっても興師会は縁(ゆかり)深く、昭和56年のこの佳日を開創の日としており、今年は35年の歩みを踏み出すことになります。7日(土)の法会には意義をよく知られる檀信徒の方々が参詣され、みずみずしい芹をお供えして倶に読経・唱題、御報恩の誠をささげました。その後の法話では、ご誕生から御遷化まで上人のご一生についてお話を申し上げました。参詣の方々も上人への理解が深まったのではないでしょうか。

興師会を執り行った後、中区の熊木さんご夫妻の願い出による追善供養が執り行われました。熊木さんの父親、福太郎さんの23回忌追善のための法事です。諸般の事情から参詣はご夫妻だけでしたが、父親を想う優しい心は仏祖三宝尊のご照覧のもと、ご両親にたしかに通じたことと存じます。ご夫妻の孝養心にふれて福太郎さんもきっと喜んでおられることでしょう。

福太郎さんは当山開創当初からのご信徒で、当時すでに高齢であったことと、ご信心も古い方でしたから、講中の皆さんからは「熊木のじいさん」「熊木のじいさん」と親しまれていました。草創の頃をご存知の方はきっと覚えておられることでしょう。保土ケ谷の丘の上の布教所正信寮では熊木さんの姿をみない法会はありませんでした。いつもお寺の行事や法会には参詣され、お参りされる一人ひとりに声をかけて、その信心を励ましていらっしゃいました。

熊木のじいさんとの思い出はたくさんあります。二人だけで月例のお逮夜法要を勤めたことや、狭い裏庭で一斗缶をきったコンロを造り、お会式のお赤飯を福太郎さんご夫妻と一緒にふかしたこと、新横浜に仮りの堂宇を建立した時の大喜びの顔等々、人なつこい笑顔がすぐに思い浮かんできます。福太郎さんにはとても元気な奥さんがいつも一緒でした。下町によくおられる何かとお節介を焼いてくれる気の好いおばあちゃんでした。奥さんもご信心の篤い方で「熊木のばあさん」と皆んなに慕われていました。

息子の真治さん夫妻もご両親の思いを継がれた信仰心の篤い方です。23回忌を迎えてご一緒にご本尊様に読経唱題、追善供養の誠を申し上げました。法要を勤めていますと自然に在りし日のご夫妻の面影が浮かんでまいります。倶に日蓮大聖人の教えを学び信行に努めたこと、当山をよくお護りしてくださったことなど、感謝の気持ちをお供えいたしました。

相武山 山主

2015年02月20日

おめでたいこと & うれしいこと

立春が過ぎても寒さが続きますが、おめでたいこととうれしいことがありました。
先月の25日、泉区の高橋さんが旧宅を撤去して新居を建築することになり、その地鎮祭を執り行いました。地鎮祭は自宅など建設工事の無事を祈って執り行われる儀式です。儀式や行事が昔よりも大切にされなくなってきた現代でも、地鎮祭や起工式はよく見かける儀式ですが、一般的に仏式で行われるのは珍しがられます。というのも、我が国では自らの信仰を自覚している方が少数派であり、明治以降祝い事を神式(しんしき)で行い、葬祭法事などを仏式で行うことが一般的とみなされたきたからです。ちなみに結婚式は「にわかキリスト教徒」となって、キリスト教式によって行う人々が多いように見受けられます。当然、地鎮祭といえば一般的に神式と思われがちで、仏式で袈裟衣を着た僧侶が司祭することは珍しく思われるようです。

宗教的儀式には本来そこに教えと信仰が内在しています。古今東西の歴史を見てもわかるように、冠婚葬祭の儀式は自らの信ずる宗教によって執り行われてきました。我が国では現在、儀式や行事の多くがかなり形骸化しているようにみえますが、それは信仰心の希薄化や欠如によるものといえます。他方さまざまな儀式や行事が執り行われているのも事実で、形だけは調えておいた方が良いのではないかという潜在意識もあるのでしょう。そもそも神社が現在のような形になり、一村一社として祀られるようになったのは、「天皇中心の神国日本」を標榜した明治期からのことです。したがって地鎮祭や結婚式、初参りや七五三祝参りなどが、もっぱら神道(しんとう)式で執り行われるという認識の是非は問われてしかるべきものといえます。

日蓮大聖人の教えを信仰する当山のご信徒は、冠婚葬祭についても法華経の化儀化法に準じて行うよう努めています。高橋さんと息子の周作さんは、日頃から法華経と日蓮大聖人の教えを大切にしておられますから、居宅の新築にあたって、法華経の祈りをもって地鎮祭を行いたいと願われました。当日は建設地を整地し四隅に青竹をしつらえ祭壇を設け、法華本門のご本尊をご奉掲して、懇ろに地鎮祭と起工式の御祈念を申し上げました。法華経と日蓮大聖人に見守られて建設の所願もきっと成就することと信じております。おめでとうございました。

うれしいこと

今月1日のお経日は日曜日に執り行われました。お経日は毎月1日に行われる当山の月例行事です。月のはじめに菩提寺のご本尊様に参詣し、ひと月の信行を誓願し、先師先達へのご報恩を申し上げ、先祖有縁精霊への追善供養を営むのがお経日です。13日の宗祖御講(御報恩講)と並んで法華講衆の信行の功徳を積む一日となっています。

勤行唱題をつとめて法話を申し上げていると、お二人の方が遅れて本堂に入って来られました。6年ほど前に東京に転居されたTさんご夫妻でした。平成21年4月、当山本堂の起工式に奥さんがお参りにお見えになって以来お会いしておりませんでしたから、本当にお久しぶりでした。ご夫妻とは10年ほど前にお仕事の都合で横浜に来られてからのご縁です。旧寺院では折々に参詣になられてまじめに信行に努めておられました。その後、体調をくずされるなど心配することもありましたが、東京に転居されましたので疎遠になっていました。

時折、元気に過ごしておられるかなと想うことがありましたので、突然の参詣に少々驚きましたが、ご夫妻の元気なお顔を拝見してとてもうれしくなりました。お経日の後には近況についてゆっくりとお話をうかがうことができました。人生ですからいろいろなことがあったようですが、日蓮大聖人の教えを支えに夫婦が力を合わせてがんばってこられたことを知り感慨深いものがありました。また、ご夫妻からは当山の佇まいと環境についておほめの言葉を頂きましたが、これからも気軽に足を運んで信行の功徳を積んで頂きたいと思っています。

会者定離(えしゃじょうり)は世の常ですから、お寺でも当然のこと出会いや別れがあります。出会いはうれしいものですが別れは淋しく悲しいものです。ですから、もうお会いできないかも知れないと思って居た方と再会できることは人生の悦びの一つだと思います。

寒さの中にうれしいぬくもりをもたらしたご夫妻の来訪でした。

相武山 山主

2015年02月15日

ふれあいと啓発

松も開けた1月18日(日)、静岡県藤枝市の応身寺で東海正信連合会の大会が開催されました。当山からも私と興厳房そして10名のご信徒(新倉さんご兄弟3名、南雲さん、小原さん、熊木さん、落合さん、奥田さん、芦川さん、秋山さん)が参加しました。大会は日蓮大聖人の教えを人生の燈明とする神奈川・静岡両県の同志が集い、信行を啓発し合うものです。信仰は極めて個人的な精神の営みですが、同信の僧俗とふれあうことによって、学びを得たり信仰の深みやおもしろさを知ることができます。個人としての自立した信仰と法華経の講中とふれあう信仰は、ともに仏道を歩む上において大切なものだと思います。

当日は午前9時に妙法院を出発。2台の車に分乗して藤枝に向かいました。当山から東名の横浜町田のインターまでは約5分。すっかり晴れ渡った青空の下、快調に東名高速を走りました。富士川のサービスエリアで休憩し、雪化粧のきれいな富士山も堪能しました。車中ではいろいろな話で盛り上がり、昼食をすませて30分ほど前には応身寺に到着。

午後1時からの大会では、始めに応身寺ご住職の導師で勤行唱題。応身寺講中の司会進行で開式となり、静岡市専行寺講中の大石さんの開会の辞、専行寺住職による連合会幹事の認証、太田幹事長挨拶と次第。所感発表でははじめに応身寺講中の森さん。子どもの頃からの信仰体験から現在の子育中の現状まで、信仰によって導かれてきた人生を語り、これからも日蓮大聖人の教えを大切に豊かな人生を歩みたいと所感を発表されました。二人目の所感発表は当講中の芦川裕子さんです。芦川さんは「笑顔の日々でありたい」と題して発表されました。子どもの頃からのいろいろな体験と信仰との縁、ご家族の姿などを通して、これからも信仰を大切にして笑顔の人生を歩みたいと語りました。

大会講演では「悦びのある信仰を」と題して私がお話をさせて頂きました。講演の要旨は「仏道を歩むということは、仏様とその教えを尊崇し、人生の燈明・支柱として生活をすること」「出自や才能、地位や名誉、経済や家族などあらゆる面で恵まれていた釈尊が、なぜそれらをもって喜びとせず、捨て去って仏道を歩まれたのかを私たちはじっくりと考えなければならない」ことなどから、「仏道を求め護り弘通するために、法難に次ぐ法難の人生であった宗祖。仏法受持によって豊かで悦びの境地に遊ばれていた宗祖」について解説。続いて「苦悩からの解放が仏道の目的」「あらゆる問題は心だけが解決できる」「自身の心を修めることができるのは仏道」「修行の苦難を法悦に転換することができるのは信仰心」について説明し、信仰心は行学の二道に励んでこそ磨かれることを申し上げ、修行の一つひとつが悦びと思えるような境地を倶にめざすことを願って講演としました。
開催寺院住職挨拶では荻原昭謙師が、「聖人の御義に生きよう」との活動方針を意識して、日興門流の教えをしっかりと護り伝えて行こうと述べられました。閉会の辞は当講中の熊木さん。この大会を契機にいっそう信行に励んで行こうと結ばれました。

 

帰路は若干渋滞に遭遇しましたが午後6時過ぎには無事妙法院に到着。参加の皆さんには大変お疲れ様でした。これからも同信の皆さんとのふれあいと啓発を大切にして行きたいと思います。

相武山 山主

2015年01月28日

初御講を奉修

毎月13日は宗祖日蓮大聖人のご命日で、門下の寺院では御報恩の御講が執り行われます。宗祖御講は日蓮門下僧俗にとっては大切な月例行事ですから、ご信心の篤い信徒は菩提寺に参詣して報恩感謝の誠をささげることを常とします。御講では参詣者の唱題のなか、仏祖三宝尊に献膳を申し上げ、引き続いて法華経を読誦、唱題を勤めて御報恩を申し上げます。勤行の後には宗祖の御書を中心に法話がなされます。これまでは住職である私がほとんど法話を勤めてまいりましたが、今年からは執事の興厳房に法話をするよう指示しました。興厳房はこれまでも折々に法話をさせて頂いていましたが、今年からは毎月必ず法話を勤めることになります。

法話というのは僧侶にとって大切なお勤めです。ときにお話を軽々とされる僧侶もみかけますが、法話をするということは容易なことではありません。まず自身の信仰が問われます。次ぎに如何ほど仏教を学んでいるか修めているか、どれほどの修行を積んでいるかと、修学と修行が問われます。そして人間性まで問われることになるのですから、僧侶にとってはまさに真剣勝負です。また、聴聞されるご信徒は、貴重な時間をかけて菩提寺に参詣されますし、仏法護持のため御宝前にご供養もお供えになられます。そのような志に向き合うのですからプレッシャーは相当なものです。
反面、法話をさせて頂くことは有り難いことでもあります。自らが学んだこと、修行を通して会得したことなど、所信をお伝えして、参詣者のご信心に資することができるかもしれないからです。また、法話の積み重ねが自身の信行を磨くことにもなります。僧侶はその一生が修行ですから、興厳房もしっかりと勤めていってほしいと思います。

今月の御講は年の初めですから初御講と呼ばれています。ご参詣のご信徒と倶に宗祖への御報恩を申し上げた後、法話を勤める興厳房は妙風新聞の「御心を拝して」から新池御書を拝読。雪山の寒苦鳥の比喩を引いて仏道修行の大切さをお話していました。その後、私も諸法実相抄の一節を拝読して行学二道の大事について法話を申し上げました。興厳房が法話をするからといって私が免除されることにはならないようです。これからも互いに切磋琢磨してまいりますので、檀信徒の皆さまには本年も宗祖御講にご参詣くださるようご案内を申し上げます。

相武山 山主

2015年01月20日

新年明けましておめでとうございます。

旧年中はご縁を結んで頂いた多くの方々にお世話になり、お陰様で無事に一年のお務めを果たし、新たな春を迎えることができました。厚く御礼を申し上げます。本年も法華経と日蓮大聖人の教えを真摯に求め、仏法の護持と弘通に精進してまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

当山の新春は恒例の元朝勤行会(がんちょうごんぎょうえ)からのスタートです。1日午前零時より参詣の檀信徒の皆さまと心を合わせて読経・唱題、仏祖三宝尊への報恩謝徳を申し上げ、妙法の護持と弘通を誓い、併せて参詣者各位の信行増進・家内安全・心願満足・家運隆昌を祈念申し上げました。また、1日は午前11時と午後2時、2日~3日はそれぞれ午後2時から初勤行会(はつごんぎょうえ)を執り行いました。初勤行会では元朝勤行会同様に参詣の方々と倶に勤行、御報恩と新春の誓願を御宝前に申し上げた次第です。


1日の朝は青い空が広がっていましたが、午前10時頃より薄曇りとなり、11時の初勤行会を勤め終えたお昼頃からは小雪が舞い始めました。午後2時のお参りの頃には横なぐりの吹雪状態となり、横浜のお正月には珍しい雪模様でした。それでも大事に至るようなことはなく、初勤行会が終る頃には雪もおさまりました。舞う雪のお陰で今年の初参りは少し心に残るものになるかもしれません。

勤行後の御書拝読は例年通り「重須殿女房御返事(おもんすどのにょうぼうごへんじ)」を拝読。この御書は宗祖晩年のお手紙でシンプルに仏法のエッセンスが説かれているものです。正月に重須殿の女房から届けられたご供養への返信ですから、わかりやすい言葉で綴られていますが、拝読すればするほど内容に深みと奥行きがあることが理解できます。また、短いフレーズが重なってテンポ良く述べられており、声に出して音読をするとさらに宗祖の教えがひしひしと伝わってまいります。私が拝読をして参詣者の皆さまには黙読して頂いているのですが、ご自宅に帰られたら是非ご自身で音読をして頂きたいと思います。

新年の挨拶では

『仏教で常に説かれるように、諸行は無常であり、人生の時に流れの早さは驚くばかりです。貴重な人生を賜ったのですから、何をなしたかわからぬような人生では残念です。幸いにも私たちは日蓮大聖人の教えにご縁を結ぶことができたのですから、その教えを道しるべとして、ただ今法華経の御宝前に立てた新年の誓願を心に納め、新たな年を意義深いものにしてまいりましょう。私の今年の誓願は「仏法の大切さと祈りの大切さを、一人でも二人でも理解し実践して頂こう」というものです。正しい宗教や信仰は間違いなく人生を豊かにし、人生の真の意味を教えてくれるものです。また、人生の苦悩に灯りと救いを与えるものでもあります。しかし、仏教界の怠慢やカルト的な宗教団体などのために、現代日本では宗教や信仰に対して偏見や誤解が多いようにも思えます。そのような誤解や偏見を少しでも打破して、本当の仏教の教え、法華経と宗祖の教えを護り伝えて行きたいと願っています。今までも努力精進は重ねてきたつもりですが、宗祖の「命限り有り惜しむべからず、遂に願うべきは仏国なり」との御金言を拝し、今年は講中の皆さんと心を一つにして、その実を上げてゆきたいと願っています。ー 中略 ー 皆さんには今年は少しでも多く仏法を学ぶ機会を活かし、その信仰を深めて頂きたいと思います。さらに読経・唱題の実践はやはり仏道の基本となります。時間はだれもが限りが有りますから、十分にできないこともあるでしょうが、「祈りの時間を大切」にして頂きたいと思います。ー 中略 ー 初春に法華経の御宝前に参詣された皆さま方が、これよりたしかな仏道の功徳を積まれ、新たな年が幸多き年となりますよう祈念申し上げます』

と申し上げました。

挨拶の後には参詣の皆さまにお屠蘇(おとそ)を差し上げ、『旧年中はお世話になりました、本年もよろしくお願い申し上げます』と、お一人お一人と親しく新年の挨拶を交わすことができました。日頃なかなか参詣できない方もおられますから、短い時間ながら近況を伺うことができる好機ともなりました。
年末年始には、帰省された方や旅行に出かけられた方、体調をくずされた方やお仕事の方など、それぞれにご連絡を頂きました。細やかな心遣いに御礼を申し上げます。

今年の正月は当山にとって開創以来34回目のお正月でした。来る2月7日の日興上人会(にっこうしょうにんえ)からは開創35年目に入ることになります。一つの節目を迎えますから、より一層の仏道精進を誓願する年始めとなりました。

相武山 山主

2015年01月05日

おさめ御講と歳末大掃除

13日(土)と14日(日)の両日、今年最後の宗祖御報恩講を執り行いました。毎月13日の宗祖御講は日蓮門下僧俗が菩提寺に参詣して御報恩申し上げる大切な法会で、当山でも月例の中心行事となっています。ことに年末の御講は「おさめ御講」とよばれ、文字通りその年の信行の納めとなります。

法要後の法話は 両日ともに「種々御振舞御書」を拝読。日蓮大聖人は佐渡に流罪となった翌年、塚原三昧堂(つかはらさんまいどう)において諸宗僧俗との問答を行いました。その模様についてこの御書では簡略に説明をされていますが、その前段に『釈迦如来の御ためには提婆達多(だいばだった)こそ第一の善知識(ぜんちしき)なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり。 ー略ー 日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争(いか)でか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』とのお言葉があります。

このお言葉からは宗祖の信念がよく伝わってまいります。『人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』とは、読んで字の如しで、人を成長させるのは味方よりも強敵の存在であるということ。自らの存在を認めてくれる方々に囲まれるなど、種々の環境に恵まれ、心地よく自分のやりたいことをスムースに行えることよりも、恵まれない環境で、敵のような人に憎悪をもって臨まれることの方が、人間的には大きく成長することができるということを教えています。
仏道のための逆境には厭うことなく対峙され、その逆境を仏法を求める信仰のエネルギーに変えられた宗祖。そこには人生の貴重さとはかなさを知り、真の生きがいを求めてやまぬ宗祖の強い覚悟がうかがえます。また、同時に仏道を歩む者はその教えを燈として深く信受し、自らの人生における課題には目をそらすことなく向き合う勇気を持たなければならないことを教えています。

だれもが辛く厳しい環境は好まぬものです。逆境など御免蒙りたいと思うのが人情というものでしょう。そして優しく恵まれた環境を好み、自らに順調な環境を求めがちであるばかりか、そうならなければ不遇をこぼし、恵まれた人々をうらやましく思い患うことさえあります。しかし、人生は思うにまかせぬものであり、いつ何が起こるかわかりません。自らの生きる力を養い育てて行く姿勢を失えば、ことにあたって対峙することができず、乗り越えて行くことは不可能でありましょう。自心を磨き、鍛え、養うことのためには、逆境や敵はすばらしい存在でさえあるのです。人間は逆境に向き合い、乗り越えて大きく強く成長することができます。
法話では、「限りある人生において仏縁に恵まれ、法華経と宗祖の教えを信仰する果報に浴した私たちは、この言葉の意味をしっかりとくみ取り、勇気をもって自らの人生に活かして行こう」と参詣の皆さまに申し上げました。また14日(日)のおさめ御講の後には、客殿で世話人の皆さん方を中心に昼食を頂きながら懇親の一時を愉しみました。私も豚汁を作ったり皆んなで一品持ち寄ったりの気軽な会食でしたが、一年を振り返っていろいろと語り合い一年のおさめといたしました。

27日(土)は午前10時より1時間半ほど歳末の大掃除を行いました。歳末の多忙な時期にもかかわらず、多数の方が大掃除にご参加頂き、本堂や受付、ロビーや客殿のすす払いや窓ふき。さらに三師塔や寂静庵、境内の清掃からトイレ掃除、公道の雨水枡の清掃までしっかりと行うことができました。お陰様で気持ちよく新年をお迎えすることができます。ご参加頂いた皆さまに厚く御礼を申し上げます。

今年もご縁を結んで頂いたすべての皆さまのご支援ご協力を得て、ささやかに法燈(ほうとう)をお護りできたことに深く感謝を申し上げます。

相武山 山主

2014年12月30日

厳かにお会式を奉修

一昨年の秋に興厳房が掲示板の前に植えた「10月さくら」が今年も清楚に花開くなか、当山恒例の日蓮大聖人お会式(おえしき)を奉修申し上げました。お会式は宗祖の御入滅された弘安5年(1282)10月13日の御命日忌の前後に執り行われる法要で、日蓮門下では一年で最も重要な法要です。

お会式を迎えるために11月1日(土)には午前11時から御宝前のお飾り、法要を荘厳申し上げるために皆んなで作ってきた桜の花を台座にしつらえます。人数が少なかったために少し時間がかかりましたが、大和市の吉田さんと金沢区の久保さんにお手伝い頂き、午後1時のお経日の前には終了。例年通り御宝前をお飾りすることができました。

午後6時からはお逮夜法要。お会式は「お逮夜(おたいや)法要」と翌日の「御正当(ごしょうとう)法要」の2日にわたって執り行われます。お逮夜は一般的な前夜祭のようなもので、翌日の御正当法要を前に意義を確認し、法会が無事に奉修できることを祈念いたします。当山のお逮夜ではご信徒による申状の奉読も行われます。申状は日蓮大聖人をはじめ御先師が時の為政者に対して、法華本門の教えを受持信行し国家の安寧(あんねい)と衆生救済を訴えたものです。御正当会では参列の教区僧侶によって奉読されますが、お逮夜法要では参詣信徒が奉読、御先師の御心にふれて頂いています。今年は中区の熊木さん、大和市の吉田さん、磯子区の辻本さん、緑区の瀬口さんご夫妻に拝読頂きました。それぞれ、所作(しょさ)を学びしっかりと練習を重ねられてきたので、緊張感の中にもよく通る声で朗々と読み上げられました。各自の信仰への念いはたしかに仏祖三宝尊のご嘉納あそばされるものと存じます。

2日(日)の御正当会では事前の準備のために、講頭の新倉さんをはじめ講中世話人の方々が12時30分頃から参集。駐車場、場外、場内、受付と諸役を分担し、法要を無事に執り行うための準備を始めました。定刻の前には多数の檀信徒が堂内に着席。開式にあたり執事の興厳房が「お会式の意義について」参詣者に説明しました。お会式については十分理解して居いる方もおりますが、初信の方や若い方も居られ、また、改めて意義を知って頂くことを願ってのことです。

定刻の午後2時、参詣者の唱題のなか教区僧侶が出仕、はじめに住職による献膳の儀。引き続いて参詣僧俗が真心で法華経要品を読誦。読経の進むなか御報恩の焼香が捧げられ、自我偈の前で磬が打たれて、臨席の僧侶が申状を奉読し住職が立正安国論を厳かに奉読しました。一つひとつの申状奉読後に参詣僧俗全員がお題目を三唱するのは、奉読したのは一人の僧侶でありますが、その奉読の志は参詣者すべての心であることを顕わしています。
法要に引き続いての講演は当山執事の興厳房でした。「苦難を法悦にかえて」と題して、『末法の法華経の行者である宗祖は、生涯にわたり仏道を歩み弘通するために、さまざまな苦難に遭われましたが、求道者(ぐどうしゃ)として苦難そのものを法悦(ほうえつ)ととらえられました。誰もが嫌い厭う苦難をどのように乗り越え、そればかりかどうして仏法受持の悦びとされたのか、宗祖の真摯な情熱と気高い信仰心を述べました。また、仏道は「功徳と罰」と称される現世利益と恐怖を対象とするのではなく、人生の深く尊い意義に気づくことであり、仏道の本質を見失うことのないように信仰に励んで行こう』と語りお会式講演としました。

住職挨拶では、『お会式は門下僧俗にとって親の法事よりも大切な意義があるといわれており、妙法院も開創以来34回目のお会式を檀信徒の方々と倶に厳かに奉修できた事を慶びたい。妙法院は檀信徒の皆さんの信心で護られており、ご縁を結んで頂いているすべての方々に感謝している。法会のお供物として小冊子「祖道の恢復に思う」と「法華経要品」を用意したので、一読頂くと共に朝夕の勤行にご利用頂きたい。それぞれ何かと忙しい人生だが、せっかくの仏縁、信仰心を励まして仏道を学び行じて頂きたい。妙法院は自然環境に恵まれ、立派な本堂も建ったのですから、各行事への参詣ばかりでなく「自分のお寺」と考えて、いつでも気軽に足を運び参詣を楽しんで頂きたい』と申し上げました。

新倉講頭は『昨年のお会式から一年間、ご住職と興厳師には檀信徒一同お世話になり、感謝している。信仰が緩(ゆる)みがちになるのは私たち凡夫の常、互いに励まし合って信仰心を高めて行こう。寺院行事も参詣者が少なければ寂しくなってしまう、菩提寺をお護りするのは檀信徒の務(つと)め、声を掛け合って皆んなで菩提寺に参詣しよう』とうったえて講頭挨拶としました。

この後「お花くずし」、お題目が唱えられる裡(うち)に御宝前を荘厳していたお花が講中世話人によってくずされました。ここでお会式の一切が終了。くずされたお花や果物、もちや供物は帰路につく参詣者に分けられました。

平たくいえば「お会式は宗祖のおまつり」です。日頃さまざまな事情で参詣が難しい方や遠路のために参詣が容易でない方も多数お参り頂きました。また、当日お参りできないので事前にお参りされた方、お参りができないのでご供養をお届けになられた方、すべての方々の真心によって、今年も宗祖への御報恩を申し上げることができたことに心より御礼を申し上げます。

相武山 山主

2014年11月10日

秋のお彼岸

当山周辺は帷子川の源流域で地下水が豊富な地域です。駐車場からすぐ裏手にある萩野さんの井戸は横浜市から優良な名水と認定され、新聞でも報じられましたから、知っている方はペットボトルなどで汲んで行かれます。水が豊富なのですから、下川井村や矢指村では昔から稲作が行われています。有り難いことに今も耕作が行われています。その田んぼではお彼岸の頃からは一昨日まで刈り入れ、稲干し、脱穀が行われていて、まさに実りの秋の風情です。市民の森の散策に来ている方々も足を止めて、都会では珍しくなった光景に見入っていました。

さて、9月20日から26日までは秋のお彼岸でした。当山の墓苑には21日(日)と23日(火)の法要の日以外にも、縁(ゆかり)の有る方々が自由にお参りをされ、香華が供えられない日はなく、境内には連日お線香の良い香りがながれていました。彼岸会(ひがんえ)は両日とも秋空に恵まれたお彼岸日和で、檀信徒の方々がご家族で参詣しておられました。7月と8月にはお盆の供養がありますから、例年、春のお彼岸やお盆ほどのご参詣ではありませんが、それでも。一年に春秋の彼岸とお盆の供養を大切にされる方は多く、その信仰心とご先祖や有縁(うえん)精霊への感謝と供養の志は尊いものです。
法要は仏祖三宝尊(ぶっそさんぽうそん)への献膳(けんぜん)、諸精霊(しょしょうりょう)への献膳、法華経要品の読誦、唱題と如法(にゅほう)に執り行われ、参詣者は寿量品(じゅりょうほん)長行(じょうごう)に入るとお塔婆が建立された精霊壇の前に進み心を込めてお焼香をされました。自我偈から唱題を修し、その後、御観念をなして申し出のあったお塔婆供養のご回向を懇ろに申し上げました。

法要後の法話は聖愚問答抄(しょうぐもんどうしょう)。『夫(そ)れ生を受けしより死を免(まぬが)れざる理(ことわり)は、賢き御門より卑しき民に至るまで、人ごとに是(こ)れを知るといへども、実に是れを大事とし是れを歎く者、千万人に一人も有りがたし。無常(むじょう)の現起するを見ては、疎(うと)きをば恐れ親(した)しきをば歎くといへども、先立つははかなく、留まるはかしこきやうに思ひて、昨日は彼のわざ今日は此の事とて、徒らに世間(せけん)の五欲(ごよく)にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空(むな)しく衣食の獄につながれ、徒(いたず)らに名利(みょうり)の穴にをち、三途(さんず)の旧里に帰り、六道のちまたに輪回(りんね)せん事、心有らん人誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん。嗚呼(ああ)老少不定(ろうしょうふじょう)は娑婆(しゃば)の習ひ、会者定離(えしゃじょうり)は浮世(うきよ)のことはり』を拝読。

この御書は宗祖の眞蹟は伝わらず真義未決(しんぎみけつ)の御書ですが、内容からは法華経への信仰に導くための手引き書のようなものです。法華経の行者である聖人(しょうにんと)と仏道の尊さに気がついた愚者(ぐしゃ)との問答体のかたちとなっており、簡潔でわかりやすい仏教の入門書といえましょう。拝読のご文は冒頭の箇所で、「人生の無常とはかなさは誰もが承知していることと思っているが、他人の上に現れた時は恐れたり歎いたりするけれども、先立つことがはかないように思うだけで、自らのこととは考えない。そのため、日々利害損得にばかり心をうばわれ、好き嫌いの感情の趣くまま五欲にまみれて、実に短い人生であるにもかかわらず、人としての徳を磨き上げる仏道の修行に心を向けることがないのは残念。仏さまは『得がたい人生を賜ったにもかかわらず、現世ばかりの利害損得と感情に流された人生では、六道輪廻をまぬがれることはできず、三途(地獄・餓鬼・畜生)の世界に堕ちてしまうことになる。人生は老少不定・会者定離の無常であることを理解して、永遠の理法である仏道に心を寄せ、その教えを学び行じて悔いの無い人生としなければならない』ことを教えておられる」ことをお伝えしました。

お彼岸には久しぶりに中区の坂上さんの奥さんがお参りされました。身体の都合もあって息子さんの政治さんのお世話にならなければ参詣ができませんので、なかなか思うように参詣ができません。とても信心深くまじめな方ですから、体調が悪くなる前は毎月一日のお経日や十三日の御講には必ず参詣しておられました。お参りできたことがとてもうれしそうで笑顔が印象的でした。

また、2カ月ぶりに東京日本橋から阪部さんもお参りになりました。80も半ばを迎える高齢であり遠路にもかかわらず、ほとんど毎月お参りになられる方で、自分がその歳で同じような信心修行ができるかなと、その変わらない信仰心には敬意を表しています。7月のお盆からお彼岸までは猛暑と体調の都合もあってお顔を見ることはできませんでしたが、お彼岸でお元気なお顔を拝見できうれしく思いました。これからも体調に留意してお参り頂きたいと思います。そういえば、高齢と体調不良のために参詣できなくなった方々も大勢いらっしゃいます。それぞれお手紙などを頂きますが、一緒に信仰を磨き合ってきましたから親しくお顔を見ることができないのは残念です。朝夕の勤行の砌り、皆さんが信仰を大切に健やかであることをお祈りしています。

なお、ご案内のとおり21日の彼岸会の後にはお会式のお花作りをしました。たくさんの方に参加ご協力を頂きましたので、お陰様ですべてのお花を作ることができ、23日の作業が不要となってしまいました。有り難い誤算で感謝しております。竹ひごにつける作業は本日のお経日の後と、13日の御講の後に行う予定です。

相武山 山主

2014年10月01日