相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

一日違えば・・・・・

関東の今年の冬は暖冬で年末年始も暖かい日が続き、このまま冬を味わうことなく春を迎えるのかと一抹の不安を覚えていましたが、初御講の13日頃からは寒気が入ってきて朝方は氷が張るまでになり、18日早朝からは横浜も雪化粧となりました。いろいろな考え方があるでしょうが、やはり冬は寒く、夏は暑いのが有り難いように思います。

17日の日曜日は東海正信連合会の大会が当山で開催されました。大会を迎えることもあって、以前から気になっていた寂静庵東側の資材と物置を移動し、その跡をささやかな緑地にすることにしました。あまり広い空間ではないのでそんなに時間はかからないだろうと高をくくっていましたが、頭で考えるのと現実にやってみるのでははやはりギャップがあります。興厳房と一緒に資財などを移動しながら、跡地のガラを取り除き、竹垣を手作り、土を入れて植栽、集中して時間がとれなかったこともあって、4日ほどかかってしまいました。植栽は境内にあった「黒竹」、川脇さんから頂いた「龍のひげ」、川崎の鈴木さんから頂いた「万両」を入れました。まだ、へたっとなっていますが、やがてそれなりのかたちになることでしょう。待つのも愉しみの一つだと思っています。

大会は朝まで準備に追われましたが、世話人の方々のご協力も頂き無事に開催されました。寒い中、車の誘導に当たられた方々、寒風のテントで受付を担当して頂いた方々、帰路参加者に「しいたけ・しょうが湯」をふるまって下さった方々、皆さん本当にありがとうございました。

大会には静岡・神奈川の同志僧俗約120名が集い、当山からも24名が参加して覚醒運動の意義を確認し合いました。はじめに全員で勤行唱題。当山の中澤俊彦さんの司会進行で開会となり、連合会副幹事長の熊木真治さんによる開会の辞、続いて太田年太郎幹事長の挨拶、所感発表は御殿場妙報院の佐藤之則さんと当山の新倉講頭でした。

大会の講演は磐田市本妙院の奥興正師、「利他のこころ」と題し、「死を見つめることによってはじめて生の意義が明らかになること、見返りを求めぬ心、他者を思いやる心こそ仏道の功徳」等々について述べられました。住職挨拶では私から「連合会の意義を確認しながら大会や研修会を充実させて行こう」、年末に藤枝市の応身寺講中が長年の念願であった新菩提寺建設の用地が定まったことを知ったことから、「富士日興門流の法義と信仰を護持伝承するための浄業であることに思いをいたし、ご住職の指導を中心に皆んなでご精進頂きたい」と激励を申し上げた。最後に大石壽太郎副幹事長が閉会の辞をのべて大会は終了。詳細は2月1日号の妙風新聞をご覧ください。

参加者が帰路につく頃は空模様が少し怪しくなってきましたが、皆さん「しいたけ・しょうが湯」を頂きながらしばしの歓談。互いにこの一年の精進を誓いながら散会しました。

横浜はその深夜から雨が雪に変わり翌朝には積雪でしたから、一日違えば大会の開催は不可能だったと思います。あらためて仏天のご加護に感謝をしています。

相武山 山主

2016年01月30日

お経日と初御講

年が明けて当山の始めての行事は7日のお経日(おきょうび)でした。お経日は毎月1日に執り行っている月例行事で、門流先師上人への御報恩、大石寺の開基檀那(かいきだんな)である大行尊霊(南条時光殿)、並びに当山檀信徒諸精霊への追善供養、その他の追善供養のために営まれています。一月は3ケ日にお参りできなかった方の参詣と七草を意識して7日に行っていますが、今年も参詣の方々と勤行・唱題、懇ろに御報恩と追善供養を申し上げました。その後の法話では、正月に拝読した重須殿女房御返事の前半部分について、「正月を祝う意味、もの事は枝葉末節にこだわるのではなく、源流、根幹を大事にしなければならないこと、仏さまの智慧と凡夫の愚かさの比較、・・・」等について私が解説。今年も一年しっかりと仏道に精進しようと申し上げました。法要後には春の七草を入れた七草がゆを参詣者に振る舞いご一緒に頂きました。

この日はお経日の前に新倉さんご兄弟が駐車場入り口の柏の樹の枝を切りに来院。日が短いこともあり、お経日には参詣されず直に作業に取り組んでいました。江戸時代末に植えられたという柏の樹はなかなか立派で枝振りもよいのですが、大型の車が入る時には傷をつけてしまうのでばっさりと枝を落とすことにしたものです。ちなみに柏は新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、「継続、家系が絶えない」になぞらえ「子孫繁栄」の縁起の良い樹といわれています。12時過ぎから枝を切り落とすのに約3時間半ほど。その後の片付けには私と興厳房も参加、約1時間半ほどかけてゴミに出せる状態にしました。一般の寺院と比べて格別境内が広いわけではありませんが、境内樹木の整備はやはり手間がかかります。来月には本堂東側擁壁の余分な土をかきだす作業を予定しています。ゆとりのない当山ですから境内の整備は自力でコツコツとやるほかありませんから、木々が芽吹く前の冬枯れの間にできるだけ多くの作業をしたいと思っています。協力頂ける方は今後ともよろしくお願いいたします。

13日(水)は「初御講」、今年最初の日蓮大聖人御報恩講でした。毎月13日の御講は宗祖への報恩感謝の心で執り行われています。始めに仏祖三宝尊の御宝前にお膳が供えられ「献膳」が行われます。その後、僧俗同心して法華経を読誦、お題目を唱えて宗祖への御報恩を申し上げます。法会後には宗祖の遺された御書を拝読しての法話。今月は興厳房が妙風1月号6面に執筆した「御心を拝して」から『白米一俵御書』を拝読して法話。御書全般の解説をした上で「凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候」から、志ざし立てて仏道をあゆむ大切さを述べて法話としました。私も『上野尼御前御返事』を拝読して少しお話を申し上げようと思いましたが、興厳房の話が長くなったので次回にさせて頂くことにし初御講は終了。

日蓮門下にとって13日の宗祖御講は毎月の信行の中心となる日ですから、一人でも多くの檀信徒に参詣頂いて、仏道の功徳を積んで頂きたいと私は願っています。とはいえ、体調の不良や多忙、平日では参詣が難しいということがあるのも事実です。しかし、啓蒙しなければ意識頂くこともできませんから、現在、必ず参詣しようと志を立てておられる方々とご一緒に、今年は御講参詣の大切さをお伝えして行きたいと思っています。

やがて、「13日の日蓮さんの御講の日は、妙法院はにぎやかだね」と地域の方からいわれるようになりたいなと願っています。

相武山 山主

2016年01月29日

新年明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

横浜のお正月は青空に恵まれた穏やかな三ケ日でした。相武山の初春は元朝の勤行会(ごんぎょうえ)からスタートです。日にちが替わった早朝に新年初の勤行、参詣の皆さまと倶に法華経要品を読誦し、日蓮大聖人のお題目を唱えてのお勤めです。約50分ほどのお勤めですから、信仰と新年への思いがなければ少し厳しく感じられる勤行ですが、参詣の方々は十分ご承知で、清々しく御本尊様に祈りを捧げ新年の誓願を供えられました。勤行の後は、私が「重須殿女房御返事」を拝読して年頭の挨拶を申し上げ、その後お屠蘇を差し上げ、お一人おひとりと新年の挨拶を交わしました。

お正月には玄関に門松を飾りますが、当山では当初より私の手作りの門松です。青竹を中心に若松を飾り、梅やシキミ、センリョウを入れての門松ですが、3年ほど前から興厳房にまかせることにして私が助手になっています。また、園芸をされている川脇さんにはコモの調達などいつもお世話になっています。門松は新年を慶び迎えるためのものですが、地域や時代、各家や宗教の違いなどもあるものです。興厳房は参詣者はもとより法界に慶賀を伝えるために、いろいろと工夫しているようで私よりも少し華美な門松になっていますが愉しんで頂ければ幸いです。

一日は11時と14時、二日と三日は14時に「初勤行会(はつごんぎょうえ)」を執り行いました。お正月のお参りはご家族皆さんでお出でになる方が多く、25分ほどの読経・唱題をつとめて、それぞれ新年の誓願を立て一年の無事を祈念されました。

初勤行後には元朝と同じく「重須殿女房御返事」を拝読。「拝読した御書は宗祖晩年のお手紙。法華経と宗祖の教えのエッセンスが説かれているもので、繰り返し熟読して日々の信仰と生活に活かしていきたい。冒頭の『新たな年を迎えたことに慶賀の思いを持つことは、人生の源や基本となることを大切にする心を表し、そのような人は人徳もまさり、他者からも敬愛の思いを寄せられる』と説かれており、正月に法華経の御宝前に参詣できたことを悦びとしよう。

また、『わざわいは口より出でて身を破り、幸いは心より出でて自らを飾る』と教えられている。好きや嫌い、ねたみや怒りの感情を超え、目先の利害や損得を越えて、道理を大切にするように心がけるならば、幸いをまねくことができることをお伝えしました。さらに、一年の計は元旦にありといわれるように、年頭に新年の誓願を立てることが大切。目的や目標を立てることがなければ、思いも漂流してしまいがちになり、充実した一年とすることも難しい。参詣の皆さんには今年もご本尊に立てた誓願に向かって精進して頂きたい。また、仏縁を深く結ばれていることに想いを馳せ、今年は一つでも二つでも仏道と信仰への理解を深め、人生をより豊かにして頂きたい。今年は妙法院も開創35周年を迎える。記念文集の発刊も準備し、4月3日には法要を予定しているのでご協力願いたい。」と申し上げて新年の挨拶としました。

正月三ケ日の勤行会にはバランス良くそれぞれ30名から60名ほどが参詣。家族連れでの参詣も多く、平素の行事よりもにぎやかな感じです。また、仕事や学業など時間に余裕がなかったり、遠方で参詣がままならなかったりと、一年に一度しかお会いできない方も居り、久しぶりに元気なお顔を拝見できるのは私の新年の悦びです。

相武山は今年もご縁の深い方々とご一緒に仏道を護持してまいりたいと願っています。

相武山 山主

2016年01月11日

おさめ御講と懇親会

おさめ御講前のアクシデントに少々翻弄されながらも、13日(日)は午前11時よりおさめ御講を奉修。平成27年最後の宗祖ご報恩講には、信仰心篤い約50名ほどの檀信徒が参詣。はじめに仏祖三宝尊への献膳、法華経方便品・寿量品の読経、お題目をお唱えして御報恩のまことをお供え申し上げました。読経・唱題を申し上げながら私も今年一年の妙法院の有り様をふり返りましたが、参詣者もこの一年の自身の信行をふり返られたことでしょう。

法要後には「聖人知三世事」を拝読しての法話。この御書は建治元年(1275年)に日蓮大聖人が檀越の富木常忍に与えられたもので、真蹟五紙が中山法華経寺に蔵されています。蒙古の来襲を「立正安国論」に示した他国侵逼難の適中として、自身を三世を知る一閻浮提第一の聖人と位置づけられた御書です。当時の北条一門の施政から、仏教界が念仏・禅・真言の教義と信仰に翻弄されていることを解説、宗祖が仏教の根本の教えである法華経をもって人々の心と生活の救済あたるべきと説かれた意義をお伝えしました。

また、末文の『我が弟子等之れを存知せよ。日蓮は是れ法華経の行者なり。不軽(ふきょう)の跡(あと)を紹継(しょうけい)するの故に。軽毀(きょうき)する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん。 ー略ー 設ひ万祈(ばんき)を作(な)すとも日蓮を用ゐざれば、必ず此の国今の壱岐・対馬の如くならん。我が弟子仰ぎて之れを見よ。此れ偏(ひとえ)に日蓮が尊貴なるに非ず、法華経の御力の殊勝(しゅしょう)なるに依るなり。身を挙ぐれば慢ずと想ひ、身を下せば経を蔑(あなず)る。松高ければ藤長く、源深ければ流れ遠し。幸ひなるかな楽しきかな、穢土(えど)に於て喜楽(きらく)を受くるは但日蓮一人なるのみ』から、日蓮大聖人が不軽菩薩の跡を紹継され、法華経の行者としての自覚に立たれ、法難はもとより艱難辛苦のすべてを深い喜楽に転じて居られたことをのべました。さらに「仏道を歩むということは、仏さまの説かれた教えを実践し、その実践を悦びと感じてゆくこと」であるから、私たちも義務として身構えて信行に勤めるのではなく、一つ一つの信行を心から悦びと感じられるように、信心を深めて行くことの大切さを述べて今年最後の法話としました。

その後は場所を客殿に移し、歳末の懇親会を皆んなで愉しみました。改めてお伝えするまでもなく「お寺は仏さまとその教えを護り伝える存在」です。そのお寺は「菩提寺として認識する檀信徒によって護り維持」されます。仏教的にも世法的にもお寺は仏さまと檀信徒の所有といっても過言ではないでしょう。住職や僧侶はお寺を護り管理・運営する責任はありますが、檀信徒の存在は寺院の存在意義となるものです。もちろん仏法護持という使命がありますから、檀信徒がいなくても存在価値は認められますが。

鎮護国家の飛鳥の昔から聖徳太子の例を引くまでもなく寺院には外護者が不可欠でした。寺院が存在すればそこには護持する信仰者が存在していたのです。その外護者は国家であったり時の権力者や地域の権力者であったりさまざまです。そのような姿は我が国ばかりでなく、遡れば仏教を創唱された釈尊の時代でも多くの信仰者が外護者となって仏法僧を護持されたことが仏典に記され、アジア全域の仏教伝播の歴史を見ても明瞭な事実です。我が国では後に、徳川幕府の治世の方途として、「すべての国民が菩提寺を持つ」ように指示されました。ここに現代に続く「菩提寺と檀家意識」の源があります。本来の菩提寺とは「菩提を求めて修行修学する道場」のことであり、また、檀家は「仏教を信仰し布施をもって仏法僧の三宝を外護する檀徒の家」となります。しかし、徳川幕府の治世下では仏教と寺院が国民を支配する手段に用いられ、信仰が有ろうが無かろうが国民すべてに仏教が強制され、必ずどこかの寺院を菩提寺と定めなければ生活が出来ないようにされてしまったのです。当然菩提寺を変えたり宗旨を変えることなど至難のことでした。個人の信仰心の前に家の宗旨が問答無用で存在していたのです。菩提寺となって安定した立場を得た仏教寺院でしたが、やがてこのシステムが仏教の退廃と混乱の大きな原因となり現代に及んでいます。詳細については法話会などで解説しましたが、機会を得て再度お伝えしようと思います。

さて、懇親会のために2~3日前から興厳房が客殿での配置(座卓では会食しにくい方への用意)や食器等の準備をし、私も前日から飲み物や漬け物を用意したり、特性の豚汁を大鍋に二つ作らせてもらいました。おにぎりや唐揚げやシュウマイは当日朝の調達でしたから少々バタバタしましたが、老川さんが海苔巻きを三皿提供され、落合さんにも漬け物を頂き、おさめ御講が終る頃には会食の準備もすっかり調いました。懇親会は参加者から「1コイン(500円)」を頂きました。何をするにも経費は必ずかかりますので、皆んなで負担できればそれにこしたことはありません。皆さんが思い思いの席に着いたところで、新倉講頭が皆さんの信心で菩提寺妙法院をこの一年護れたことへの御礼の挨拶。続いて私が一年の感謝と講中の発展、檀信徒皆さんのご健勝を祈念して乾杯の発声。1時間半ほど皆んなで楽しい歓談の時を得て講中の今年のおさめとなりました。皆さん一年間ご苦労様でした。

相武山 山主

 

2015年12月29日

かぶ御講と七五三祝詣り

11月15日(日)は第三祖日目上人の祥月のご命日忌。午前中はあいにくの雨模様ながら今年最後の日曜法話会を開催しました。その後、午後1時から法話会に聴聞された方にも参詣頂いて目師会(もくしえ)を執り行いました。御宝前には「かぶ御講」にちなんで前日にかぶをお供えいたしましたが、参詣された落合さんご夫妻が丹精された見事なかぶをたくさん御供養されましたので、ご一緒にお供えさせて頂きました。法会では参詣のみなさんと真心込めて読経・唱題、日目上人への御報恩を申し上げました。

折しも七五三祝詣りの時季、緑区から中里さん御一家が綾乃さんの三歳のお祝いに参詣されましたので、誕生から三歳に至るまで無事に成育できたことを仏祖三宝尊に感謝申し上げ、これからも身心ともに健やかに成長することに厚いご加護を賜りますよう御祈念を申し上げました。綾乃ちゃんは少し緊張気味でしたが、長い勤行にも我慢をして、御本尊様を頭に頂戴し、千歳飴を頂いたらにっこりと笑みを浮かべていました。

法要後には執事の興厳房が法話を担当。日目上人の御生涯と逸話についてわかりやすく解説をして法話としました。当門流では宗開三祖と称して、宗祖日蓮大聖人、門祖日興上人、そして宗開両祖の仏法を護持伝承された第三祖日目上人を信仰の導師と仰ぎますが、宗開両祖に比すれば日目上人への理解は乏しいように思います。現在私たちが日蓮大聖人の教えを受持信行できるのは、日興上人・日目上人の信行と研鑽、令法久住(りょうぼうくじゅう)の信念のお陰でありますから、興目両上人の御事跡を正しく学ばなければならないと思います。

法要後には落合さんのかぶを参詣の皆さんにお分けし喜んで頂きました。

相武山 山主

 

2015年11月23日

日蓮大聖人御会式を奉修

今年も宗祖の御会式(おえしき)を無事に奉修でき大変有り難く思っています。御会式は毎年秋に執り行われる恒例の行事ですが、私はいつも緊張して迎え、無事に終わると心からほっとします。宗祖の末弟として仏道に入った子どもの頃から、私にとって御会式は特別な法会(ほうえ)でした。得度を許された大石寺では、11月下旬に御会式が奉修されますが、この御会式から小僧にも足袋をはくことが許されますし、下着や白衣なども支給されました。季節は秋から冬に向かう頃で、標高約300mの大石寺では寒さも少しずつ厳しくなってゆきます。

すでに50年以上も前のことですから、記憶も定かというわけではありませんが、境内・堂宇が浄められ、御影堂(みえいどう)が華やかに荘厳され、一山が宗祖へのご報恩の思いで包まれてゆくような気配でした。子供心に「御会式は特別な儀式なんだな~」と感じていました。

私にとって御会式は宗祖の存在を深く意識する法会であり、その年の妙法院の信行を総括する法会となります。今年は妙法院の前身である正信寮を開創してから35回目の御会式でした。35年の歩みは法主を簒奪した阿部師による現大石寺宗門と訣別し、宗開両祖本来の仏道を求めて行く志の道程でしたが、けっして平坦な道ではなく、山あり谷ありの難儀なものでした。ですから開創当時からのそれぞれの御会式をふり返ると感慨深いものがあります。

1日(日)は月例の「お経日(おきょうび)」でした。今月も参詣された落合さん、久保さん、松浦さん、中澤さん、小原さんとご一緒に仏祖三宝尊をはじめ、先師先達への御報恩と有縁精霊への追善を申し上げ、併せて新月の信行精進をお誓いしました。例月と異なり妙風新聞の「御心(みこころ)を拝して」を引用しての法話の後には、参詣者の皆さんと御会式のお飾りをしました。御宝前の前机の両側に飾り台を置き、はじめに竿餅や飾り棒、柿やミカンで胴を飾り、その上に夏の終わりから皆んなで準備してきた桜の花を飾りました。年に一度のお飾りですから、飾り方を思い出しながら、バランスに注意しながらと、少し時間はかかりましたが例年のように御宝前を荘厳申し上げることができ、御宝前も華やかさが増しました。

2日(月)は午後6時から御会式御逮夜(おたいや)法要。近年お逮夜と正当会(しょうとうえ)の両日参詣する方は少なくなってきていましたが、今年は雨模様である上、平日の6時ということもあって参詣者は僅かでした。参詣者が多いと法要は賑々しく感じますが、参詣者の多寡で法要の意義が変わるわけではありませんから、参詣者の皆さまとご一緒に読経・唱題、御報恩の誠を申し上げました。例年に準じてお逮夜ではご信徒の方に御先師の申状を奉読して頂きました。寿量品自我偈の前で読経を止め、執事の興厳房が日有上人の申状を奉読、続いて住職による立正安国論、日蓮大聖人申状を新倉さん、日興上人申状を中澤さん、日目上人申状を大山さん、日道上人申状を落合さん、日行上人申状を熊木さん、とそれぞれが心を込めて奉読されました。申状には日興門流の信仰と精神がこめられています。正当会には臨席の僧侶が奉読されますが、ご信徒の方も経験されれば信仰を深める機会になると思い、開創間もない頃から前日のお逮夜法要で行ってきたものです。これからも多くの方に経験してほしいと思っています。

3日(火)は澄んだ秋空が広がる御会式日より。朝から前日の雨などで境内やバス停からの参道の清掃が気になっていました。10時半頃から境内を掃き始めていると、磯子区の辻本さんが「早く来すぎたので、お手伝いしましょうか」と声をかけてくれました。とても有り難かったです。お寺の行事や各家庭の法要を迎える時には、当たり前のことながら清掃には注意しています。しかし、前日にしておいてもやはり当日も気になって再度ということもあり、時には行事や法要の前に掃除でくたびれてしまうことさえあります。今回はお陰様で12時頃には参道も境内も掃き清めることができました。12時半頃には阿部さん、新倉さん、奥田さん、熊木さん、芦川さんなど事前準備のために多くの方がお集まりになり、受付や客殿、駐車場や本堂の整理にあたって頂きました。午後2時の定刻の前には司会進行の小原さんが参詣者に案内と注意事項、引き続いて中澤さんが御会式の意義について説明をされました。その後、太鼓に合わせて唱題の裡に臨席の僧侶が入堂、住職の導師により献膳・読経・焼香と如法に進められました。

法華経寿量品自我偈の前で読経を止め、臨席僧侶の申状と住職による立正安国論の奉読がなされ、参詣者もそれぞれ末文のお題目に唱和されました。自我偈の読経と御報恩の唱題がなされて法要は厳かに終了。その後、執事の興厳房による「仏道の功徳について」と題しての講演があり、住職挨拶、講頭挨拶と続いてお花くずしとなりました。お花くずしは新倉講頭をはじめ講中世話人によって御宝前のお飾りがくずされることです。お供物とお飾りは担当者によって受付に運ばれ、参詣者は受付で供物と桜のお花を頂き、笑顔で帰路についていました。

今年の御会式もご信心の篤い檀信徒多数の参詣を得て、相武山妙法院として厳かに日蓮大聖人への御報恩を申し上げることができました。有り難いことと心より感謝を申し上げ明年の御会式に向けて信行増進をお誓いいたしました。

相武山 山主

2015年11月16日

秋晴れの彼岸会

秋のお彼岸が近くなると各地から田んぼや畑の畦などに咲く彼岸花の報せが届きます。彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ)ともいいますが、華麗な姿をしていますからファンの方も多いようです。お彼岸にバスで当山に参詣された方は階段を上り、フェンスから顔をのぞかせていた一輪の彼岸花と対面されたことでしょう。3年ほど前から咲き始めた彼岸花です。墓苑入り口にある吉次さんの墓所の後ろにも3年前に植えた彼岸花が今年も花を咲かせました。今年は川脇さんの奥さんが鉢で育てていたという彼岸花を三師塔の裏手に植え替えましたし、興厳房が取り寄せた球根をあちらこちらに植えましたから明年の秋が楽しみです。

秋のお彼岸は7月と8月のお盆の後ですから一般的に菩提寺への参詣は少ないといわれますが、当山ではそうでもなくお盆同様にお参りされる方が多いようでした。20日と23日の法要には約130名ほどの参詣を頂きましたし、18日頃から今日まで連日、墓所や久遠廟へのお参りが多数ありました。顔や名前を存じ上げない親族や友人の方もお見えになって居られるようで有り難いことと思っています。信仰心が薄くなっているといわれる現代ですが、ご先祖や有縁精霊への供養には自然に足を運ばれるようです。お彼岸が特別意識されることのない習俗の一つとなって根づいているんだな~と感じました。

ズーラシア渋滞彼岸会は丁度シルバーウィークと重なります。今年は5連休となりましたが、すべての日が秋晴れというお彼岸と行楽にはもってこいの天候でした。当山の近くには「よこはま動物園 ズーラシア」があり、横浜市内はもとより東京や近県から多数の来園者があります。連休ともなれば最寄りのインターとなる「下川井インター」は大混雑。保土ヶ谷バイパスの上りは東名の横浜町田インターからつながり、バイパスの下りは本村インターを過ぎたあたりからの混雑です。当然中原街道も渋滞でした。連休や夏休みなどでは渋滞覚悟で行楽に向かう方がいますが、皆さん限られた休日を家族や友だちと楽しみたいということで、気持ちはよ~くわかります。渋滞を覚悟しているのなら渋滞もそんなに問題にはなりません。慣れた人は渋滞を楽しむ工夫をしながら目的地に向かう余裕さえあるようです。他方、渋滞を想定していない人は一向に進まない車のハンドルを握りながら、イライラして愚癡と不満の言葉が出てしまうかもしれません。時にはせっかくの行楽なのに車内の雰囲気が暗~くなることもあるでしょう。やはり何ごとにおいても「遇・不遇」「順境・逆境」など物事の両面を想像することが大事なようです。さらに不遇と逆境への心構えがあれば、それらをも楽しむことができるのではないでしょうか。彼岸会に参詣の方々でも渋滞にぶつかって難儀した方が居られるかもしれません。しかし、あせって苛ついてもどうにもなりませんし、事故などを起こしては困ります。渋滞の中、信心をもってお寺に向かっていることは、仏さまも故精霊もご照覧ですから、多少の遅れなど気にせず安心してお出で頂きたいと思います。

菩提寺への参詣といっても時間がかかり、電車賃やガソリン代もかかります。ご供養の用意などもありますから、信仰心や故人精霊への思いがなければできることではありません。20日・23日両日の彼岸会には、お盆同様遠方からの参詣者も多数居られました。横須賀からは本多さんご一家、平塚からは郡司さんご一家、市川からは松浦さん 和光市からは重吉さん、日本橋からは阪部さん等々、そして間もなく出産を迎える内堀さんも大きなお腹でお参りされていました。息子さんの送迎がなければ参詣できない坂上さんもお見えでした。何かと忙しい中参詣されたすべての皆さまのご信心に敬意を表するばかりです。

法要はいつものように執り行われました。唱題のうちに仏祖三宝尊へ献膳を申し上げ、法華経方便品・寿量品の読経、読経中には皆さん精霊壇に進んでご焼香をされ、唱題の後には懇ろにご回向を申し上げました。法要後の法話では『弥源太殿御返事』を拝読。はじめに彼岸のいわれについて、「仏教では私たちが住む世界を此岸(しがん)と呼び、仏さまの住む世界を彼岸(ひがん)と呼ぶ。此岸から彼岸には川が流れており、私たち凡夫は仏縁をたよりにこの川を渡って彼岸をめざします。この川を渡るということが仏道の修行ということですから、己れの煩悩と向き合い、娑婆世界の苦悩の荒波を乗り越えて行かねばなりません。まだ彼岸に至ったわけではありませんが、仏道修行をおさめ功徳善根を積むのがお彼岸の意義です。積んだ功徳は私たちが頂戴するのではなく、ご先祖や故精霊に回向されることを願うのです」と解説。

拝読した御書からは「法華経は三世諸仏発心の杖であり、法華経の行者である宗祖を杖・柱と頼み、仏道の志を積むならば、現世は安穏であり、後生は必ず善処たる霊山(りょうぜん)に至ると私たちは信をとること。他宗他門では仏菩薩の像を信仰の対象とするが、日蓮大聖人の教えを正直に受持する日興門流では、三世十方の仏は法華経から誕生した存在であり、法華経は諸仏の母である。宗祖はその魂魄を十界互具の曼荼羅として御図顕遊ばされ、信仰対象の本尊として一切衆生に授与された。私たち門弟は曼荼羅ご本尊に込められた尊い教えを信行の力で自らのものとして行きたい」と述べて法話としました。法話の趣旨を心に頂いた参詣者は、精霊壇に建立されていた塔婆をお持ちになり、それぞれの墓所に向かわれました。

すっきりとした秋晴れのお彼岸。参詣された方々は相武山周辺の緑豊かな自然にふれ、秋の草花をめで、トンボやアゲハチョウの乱舞を見て、菩提寺のご本尊様に心をこめて読経・唱題、法話を聴聞して仏道の教えにうなずかれていたようです。その一つひとつが仏道の功徳であり愉しみといえるものです。仏道とその信仰は偏った難行苦行を求めるものではなく、仏の教えにふれることによって心が開かれ、その営みが悦びとも楽しみとも感じられる世界ではないかと思うのです。

相武山 山主

 

2015年09月28日

大切な一日

8月のお盆に川脇伸和さんが奥さん・お父さんと共に参詣されました。子どもが授かったといううれしいお知らせとご一緒です。9月には出産ということですから奥さんのお腹も立派になっていました。お父さんもとてもうれしそうです。お母さんの追善供養のために塔婆を建立し、読経・焼香・唱題とお勤めになりましたが、無事の出産もご本尊様に祈念されたことでしょう。法話聴聞の後には皆さんで墓所に塔婆を建立し香華を手向けていました。当然、子どもを授かったこともお母さんに報告されたでしょう。

伸和さんがお母さんに手を引かれて初めて当山のご本尊様に参詣されたのはまだ幼稚園に上がる前のことでした。それから30数年が経ちました。檀信徒の方々にはご承知の方も多いと思いますが、お母様はとても信心深い方で、お寺の各法要や諸行事にはいつもお参りされていました。また法華講の会計係を担当されたりご主人と一緒に境内整備などにもご尽力頂きました。その信仰心には心からの敬意を表しています。7年におよぶ闘病生活の後にお母さんが逝去されたのは平成19年9月のことでした。もう8年の歳月がながれます。伸和さんご夫妻とご主人からお孫さんを迎える報告をうけたお母さんは、温かいまなざしで霊山から出産を見守っておられることでしょう。

さて、8月のお盆は例年暑いと相場はきまっていますが今年の暑さはひとしおでした。当山では13日に宗祖月例御講と旧盆供養、15日に戦没者の追善法要と旧盆供養、16日に旧盆の供養というかたちで、それぞれ法要を執り行いました。各法要には毎月参詣の方々はもちろん、お盆ということで、いつもは多忙や遠路の都合で参詣が難しい方も参詣されていました。当山は周囲を市民の森に囲まれていますから街場より1~2度は涼しいのですが、エアコン設備のない本堂は涼風は入るもののやはり暑く、お参りの方は汗を流しながらの読経・唱題、法話の聴聞までハンカチやタオルを手放すことはできません。

仏道ではご先祖や有縁精霊に追善の供養をささげることは功徳を積むことであり、我が国ではお盆やお彼岸は伝統や文化・習俗として、多くの方の生活に溶け込み大切にされているものです。暑い最中、菩提寺や墓所に参詣し、読経・唱題・焼香・塔婆供養などその信行のすべてが功徳を積む行いですが、流す汗もまた尊い功徳を顕しているのではないでしょうか。かたちは心の表れですから、ご先祖や縁深い精霊への思いがなければ供養も思い至りません。参詣者の流す汗は真心からの思いそのものですから実に有り難いことと思います。追善供養の志を向けられたご先祖や諸精霊は、きっとその志を喜び感謝しておられることでしょう。流れる汗に仏道の功徳をみるお盆でした。

ところで、15日と16日の法要では前の大戦についてのお話をいたしました。

当山では開創已来毎年8月15日には戦没者追善法要を営んでいますが、これは前の大戦で犠牲となられたすべての方々への慰霊と追善を願っての法要です。犠牲者とは戦陣に散った方ばかりでなく、戦争に反対して処刑された方々までも含むものです。今年は戦後70年という一つの節目を迎えました。時あたかも国会では安保法案が議論されているところから、戦前戦中の厳しく険しい我が国の姿について説明し、戦争が如何に悲惨なもので在るかをお伝えしました。また、私たちが現在、民主主義や基本的人権を基盤に平和な社会を享受できるのは、前の大戦で犠牲となられた方々のお陰であることを確認しました。

私が開創已来戦没者法要を執り行っているのは上記の理由によるのですが、さらには当時の仏教界の責任を強く思うからです。冷静に当時の仏教界や僧侶の言動を検証すれば、大きな責任があることがわかります。しかし、一部の仏教者以外その責任を認めて反省を明確に表明してはいません。私もその時代に身を置いていたらどのような姿勢であったかはわかりませんが、現代に仏道を歩む者の一人として、その歴史を反省し心から犠牲となられたすべての方々への慰霊と追善を心がけたいと願っています。8月15日は月遅れのお盆であるとともに私にとってはとても大切な一日なのです。

相武山 山主

 

2015年08月22日

法華講の総会

先月24日(日)福島県郡山市で開催された法華講全国大会には、講中の方々約20名が参加されました。その模様は緑区の秋山さんが相武山だよりに報告してくださったので割愛しますが、今月は14日に当山の法華講総会が開催されました。

信仰は極めて個人的な精神の営みですが、仏教では釈尊の昔からサンガ(僧団)が構成されてきました。仏さまの教えを信じ志を同じくする者が集い、互いに啓発し合って信行を深め、仏教を護り伝えてきたのです。今日、日本をはじめアジア全域に仏教教団が存在するゆえんです。

末法の衆生は南無妙法蓮華経によって救済されると説かれた日蓮大聖人も、弟子や檀信徒に異体同心(いたいどうしん)して信行に励むことを求められました。その組織は法華経を信仰する講中(グループ)であることから、「法華講(ほっけこう)」と称されるようになり今日に至っています。日蓮門下各寺院ではそれぞれ講中を結成し、手を携えて教えを学び信行に努め、菩提寺を護りながら寺院行事や法要を支えています。当山も開創から2年後の昭和58年に法華講を結成しましたから、14日の総会は32回目を迎えるものでした。
前日13日が宗祖の月例御講だったこともあり当日は約30名ほどの参集でした。日曜法話会に引き続いての総会では、開式にあたり皆んなでご本尊様に読経・唱題を申し上げ、仏祖三宝尊への御報恩と講員の信行増進を祈り、講中物故者諸霊の追善供養を申し上げました。

総会は熊木真治さんの司会で開式。はじめに講頭の新倉昇三さんが挨拶。『新寺院建設以来、住職の懸命な努力によって菩提寺は一年一年充実してきているが、私たち法華講も皆んなで声をかけあってしっかりと支えて行こう。また、法華講への意識があまり高くないためか総会への参加者も少ないので、開創35周年を迎える明年の総会にはより多くの講員に参加して頂けるようにしよう』と述べられました。

次に会計係の阿部純子さんが講費会計報告。平成26年度の講費収支について、納められた講費は「相武山だよりの制作費や妙風新聞・恵日の誌代。郵送費や事務費、お会式やお正月の供物、全国大会や東海連合会の分担金」などに支出されたことを説明、多くの方々の協力を得て単年度としての黒字を確保したと報告とされた。続いて会計監査係の老川文枝さんが会計監査報告。監査の結果会計が正当なものであったことを報告されました。

所感発表では、はじめに今年の春、お父様を霊山に送られた金沢区の新倉美津江さんが「父を霊山にお送りして」と題して発表。お父様の介護から葬儀に至るまでの経過について話をされ、お父様と家族とのきずな、事前準備の大切さ、わからないことが多くて度々住職に指導をうけたこと等々。葬儀を通していろいろなことを学ばせて頂いたとのべられました。「日蓮大聖人の教えに則り、心を込めて葬儀を執り行うことができたので、父も必ず霊山に居られることと信じている」と所感を発表されました。続いて緑区の秋山宣彦さんが「道を求めて」と題して所感発表。幼少の頃からの人生をざっくばらんにふり返り、「厳しい家庭環境に負けることなく、一所懸命に人生を歩んできたこと。日蓮大聖人の信仰に巡り会ったことが人生の宝であり、正しい信仰を求めて現在は妙法院で信行に励んでいること。これからも真っ直ぐに大聖人様の教えを求めて行きたい」との心境をのべました。

次に執事の興厳房が開創35周年を記念して発刊予定の記念文集について説明。すでに相武山だよりで案内している記念文集ですが、「妙法院に集い合った方々の言葉をその足跡として次の時代に伝えたい」という趣旨と要項について解説し、できるだけ多くの方々にご寄稿頂きたいと案内しました。

最後は私が「信心を深めよう」と題しての挨拶。はじめに行学二道の御聖訓を皆んなで拝読しました。その後、開創已来35年におよぶ妙法院の歩みにふれ、妙法院の存在意義は法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝えることにあり、ご縁を結んで頂いた方々の依怙依託(えこえたく)としての役目を果たすことにあることを伝えました。また、その意義は尊いものですが、持続して行くことは容易いものではないことと、持続を可能にするためには法華講の充実をはかる必要性をのべました。一人でも多くの方が信仰者としての自覚、仏弟子の自覚に立たれ、日々仏道の功徳を積むことを願って挨拶としました。

一人ひとりの力は小さくても合力すれば大きな力となります。この理りは仏道においても変わりません。仏法を護持伝承するためには講中のはたらきが重要ですので、明年の総会までに少しでも充実をはかって行きたいと願っています。

相武山 山主

2015年06月27日

風薫る好季に

風薫る好季を迎えた4月29日(水)午前11時から立宗会並びに御虫払会を執り行いました。法要に先立ち、はじめに「立宗会」の意義と御虫払会の次第について私より説明。日蓮大聖人は建長5年(1253)4月28日、得度の霊地房州清澄寺において立教開宗を宣言されました。その後は末法における法華経の行者としての生涯を歩まれ、衆生成仏の道をお示しになられました。弘通の一歩はこの日から踏み出されたのです。次に「御虫払会」は当山に護持する曼荼羅本尊10幅と宗開両祖の御影画を御宝前にご奉掲し、お風入れと虫払を申し上げる法会であることをあらかじめ説明しました。

法要は献膳・読経・焼香・唱題と執り行われ、唱題の裡(うち)に参詣者は一人ひとり内陣(ないじん)に進んでご本尊様を内拝しました。200年前から100年ほど前のご本尊様が多く、約35年ほど前に丁寧に再表具しましたが、すべての傷みを修復することはできませんでした。諸行は無常ですから傷みや劣化はやむを得ませんが、できるだけ心を込めてお護り申し上げることを念じた次第です。

法要後には重ねて立宗会についてその意義を解説。「清澄寺大衆中」には『此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、建長五年四月二十八日、安房国東条郷清澄寺道善の房の持仏堂の南面にして、浄円房と申す者並びに少々の大衆にこれを申しはじめて、其の後二十余年が間退転なく申す。或は所を追ひ出だされ、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を、今は見る日蓮が刀剣に当たる事を』と述べられていることを紹介。「末法の衆生は南無妙法蓮華経の教えによって救われると宣言すれば、法難が重なり日蓮の命にも及ぶであろうが、虚空蔵菩薩の御恩を報ずるために立教を宣言した。その後一度も退転することなく、南無妙法蓮華経の教えを弘通してきたのである。法華経には法華弘通に励むと住居を追われたり、流罪になると説かれている。不軽品には不軽菩薩が杖木の難を蒙ったと説かれているが、末法では日蓮が刀剣の難を蒙った」との意義について述べました。
さらに当山に護持申し上げているご本尊様については、「現代とはさまざまに異なる社会環境のなか、信ずる仏道を護り求めることさえ難儀であった時代に、日蓮大聖人の教えを真摯に求められた先師先達のご信心の賜である」ことをお伝えしました。この時代に仏縁を頂戴した私たちも、人生には限りがあることを理解し、悔いのないように信行に励んで行きたいものです。

私のあいさつで法要は小憩となり、午後の部に参加される方々は客殿やロビー、寂静庵などで自由に昼食を摂りました。午後0時45分、法要に供える意味もこめてチターの演奏会が開かれました。演奏は日本チター協会会長である内藤敏子先生です。新寺院落成の翌年に芦川さんのご紹介で内藤先生に演奏会を開いて頂き、昨年もお出で頂き、先生の演奏会は今年で3回目となります。
演奏会は芦川さんの開会の言葉に引き続いて、内藤先生が妙法院での演奏会は「新緑の瑞々しい好季に、清らかな相武山妙法院の法要にお参りでき、チターの演奏を皆さんとともに楽しむことができるのはとてもうれしい」と感慨をのべられました。先生ははじめにオリジナル曲の「しだれ桜」を弾かれ、「美しき青きドナウ」は芦川さんと連弾。エンガディーン古謡からは「心のよろこび」を演奏され、続いて団塊の世代には懐かしい映画音楽から「ひまわり・シェルブールの雨傘・第三の男」を演奏されました。映画音楽の3曲はそれぞれ戦争が背景となっていることも説明いただきました。

その後、スイス留学当時の愉しいお話を交えながら、乙女の祈り、川ベブの想いで、雪山のレントラーを演奏頂きました。皆んながよく知っている曲も弾いてみましょうと仰って、「津軽のふるさと」と「北の国から」も弾いて頂きました。結びは先生のチター演奏にあわせて皆んなで「富士の山」と「ふるさと」の合掌。子どもの頃から耳になじんでいる曲と、それぞれが故郷を思い、幼い頃を回想できる曲を口ずさみながら、演奏を聴くだけでなく自分も参加したという悦びを味わいながら演奏会は閉幕。閉会にあたっては私から、お忙しい中、遠路にもかかわらず、法要に花を添えて頂く演奏会を今年も開催して頂いた先生に厚く御礼を申し上げました。法要に引き続いて演奏会に参加された檀信徒の皆さんも愉しまれたのではないでしょうか。

その後、檀信徒の皆さんと法華経寿量品自我偈を読経、唱題のうちに御奉掲の曼荼羅ご本尊様を奉納申し上げました。初夏の風が新緑の境内をわたる好季に、大切な法要を無事厳かに執り行うことができ皆さんに感謝しています。

相武山 山主

2015年05月10日