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相武山 妙法寺 ブログ

法華講総会を開催

6月11日(日)午前中の日曜法話会に引き続き、午後1時より当山法華講の第35回総会が開催されました。総会は港南区の中澤俊彦さんの司会進行で開会。始めに住職の導師のもと全員で読経・唱題、仏祖三宝尊への御報恩を申し上げ、法華講の発展と講中一同の信行増進を御本尊様に祈念申し上げました。

総会は始めに法華講会計係の阿部純子さんによる平成28年度講費(法華講活動費)会計報告。続いて老川文枝さんが会計監査報告を行い、講費(相武山だより制作費、妙風新聞紙代、恵日誌代、各分担金、通信費、法要供物費など講中活動経費、月額1,000円)は法華講の活動原資なので講員各位の理解とご協力をお願いしたいとうったえました。

続く所感発表では草ヶ谷珠代さん、落合美代子さん、芦川裕子さん、熊木真治さんの4名が、5/28に名古屋市で開催された法華講全国大会に参加しての所感を発表。一日がかりの参加でしたが、尾張法難を乗り越えられた先達の信仰心にふれることができた喜びや、阿部一博さんの所感発表に胸を打たれたこと、また、荻原昭謙師の講演から正信覚醒運動の原点と使命を学ぶことができたことなど、大会に参加したことで信行の励みになったことが発表されました。

所感発表の最後は「第二の人生を迎えて」と題して和光市の重吉稔さんが発表。海上保安庁勤務で全国をまわりながら二人の娘さんを育てられたこと、健康を損ねることになった奥さんへの温かく優しい思いなど、これまでの人生を振り返りながら言葉を飾ることなく率直に語られました。定年を迎えこれからの第二の人生は、苦労をかけてきた奥さんのことを第一に、娘さんたちご家族の幸せを祈りながら穏やかに過ごしてゆきたい。また、若いときから御縁のある日蓮大聖人への信仰を、妙法院を菩提寺と定めて生涯大切にしてゆきたい。と発表されました。

講頭挨拶では新倉昇三さんが登壇。『日蓮大聖人の仏法に巡り会えたこと、菩提寺妙法院がご住職や興厳さんによって護られ、講中の皆さんと一緒に信行に努められることに感謝し人生の喜びを頂いている。信仰を護り伝えることは難しいことだが大聖人様の門弟としてお互いに精進してゆこう』とのべられた。

結びとなる住職挨拶では『新寺院が建立されて7年目を迎え、さまざまな意味においてようやく建立の所願が見通せるようになってきたこと。これも信仰心篤い法華講衆一人ひとりの信行の功徳によること。法話会や仏事の執行を通じて新たに仏縁を結ばれる方々が広がっていることは現在の新寺建立の賜でもあること。菩提寺の外護と法燈相続、内外の弘教には法華講の充実が求められていること』をのべ、これからも自身の成仏と妙法流布のために仏道に精進して行こうと申し上げました。

相武山の檀信徒によって結成される妙法院法華講が彌々充実し興隆することを願ってやみません。

相武山 山主

2017年06月29日

名古屋で全国大会を開催

去る5月28日、名古屋市の吹上ホールを会場に(宗)正信会法華講全国大会が開催されました。近年大石寺門流では創価学会や阿部・早瀬宗門によって日興門流本来の法義と信仰が混乱し、残念なことに悪しき権威主義を基に排他独善が横行、迷信や妄信がはびこるようになってきました。その実態を憂いて約40年ほど前に「宗風の刷新と祖道の恢復」を願う正信覚醒運動が起こりました。

正信会はその運動を推進する団体で、当山もその運動に参画してすでに37年の歩みを刻んできました。全国大会は正信覚醒運動にはげむ僧俗が年に一度集い合い、運動の理念と信仰を確認する大会となっています。 今年の大会は静岡や中部の寺院講中が中心となっての運営、すばらしい天候に恵まれて、みな晴れやかな笑顔で参集しました。第一部では大会会場にゆかりの深い「尾張法難」を中心に、さまざまな厳しい環境にも負けることなく信仰に励まれた先達の尊い信仰の姿が映像で紹介されました。

第二部では地元信徒による「歓迎の言葉」、宗教法人代表役員川井泰円師の挨拶、そして信徒代表2名による信仰所感の発表。続いて荻原昭謙師による「正信覚醒運動の原点と我らの使命」と題しての講演。最後に運営会議議長の高橋恩道師が「法灯の継承に励もう」と訴えて大会は閉会。それぞれの挨拶や発表からは正しい信仰を求めてゆく熱い思いが伝わってきました。また、荻原師の講演では覚醒運動の原点と使命が明確にのべられ意義深い大会となりました。大会には当山からも代表15名が参加、所感発表には川崎市の阿部一博さんが立ちました。

大会の詳細は7月1日号の妙風新聞に掲載されますので楽しみにお待ちください。なお、明年の大会は京都市で開催の予定です。

相武山 山主

 

2017年06月21日

薫風の中でさわやかな法要

昨日、ゴールデンウィークも初日の4月29日(土)、午前11時より立教開宗会(りっきょうかいしゅうえ)と御虫払法要(おむしばらいほうよう)を執り行いました。境内の木々が新緑の柔らかい若芽を青空に伸ばし、当山周囲の市民の森も鮮やかな緑の装いとなり、さわやかな初夏の薫風が流れる中での法要には篤信の檀信徒が参集。共々に宗祖日蓮大聖人の立教開宗へ報恩謝徳申し上げ、妙法院所蔵曼荼羅本尊のお風入れとお虫払をいたし、先師先達の護法の志に思いを馳せました。

三日前から本堂内陣に曼荼羅本尊を御奉掲申し上げた法要では、始めに私から『立教開宗会と虫払い法要の意義』について簡略にお話し、式次第に準じて献膳(仏祖三宝尊へお膳をお供えする)、読経(法華経方便品・寿量品長行)、お焼香(ご本尊様への供養)、読経(自我偈の訓読)、唱題、ご本尊内拝(シキミを一葉加えて内陣に進み内拝)、などについての解説をいたしました。

法要のいわれと内容については檀信徒の皆様にはすでにご承知のことかもしれませんが、よく理解されていない方や新しい方のために、また、再度認識を新たにして頂くために申し上げた次第です。前述の次第にしたがって法会は厳かに執り行われましたが、自我偈の訓読は日頃あまり馴染みのないことですので、戸惑われるかと案じていました。しかし、皆さん落ち着いて私の先導についてきてくださり無事に読み上げることができました。仏道の荘厳のため有り難い限りです。

内拝は太鼓に合わせた唱題の裡(うち)に参詣の皆さんが内陣に進んで御奉掲の御本尊を参拝しました。ほとんどの御本尊が100年以上前の書写であり、その実相をご覧になっての思いは各人各様であったことでしょう。

住職挨拶では、再度、立教開宗会の意義について「宗祖の覚悟と衆生済度の慈悲」の思いを述べ、御虫払会の意義については「曼荼羅本尊こそ日蓮大聖人の法魂」「曼荼羅本尊を厳護伝承することは日蓮大聖人の教えを護持伝承すること」であるとお伝えしました。

法要後はランチタイムで一旦少憩。12時55分からはチターの演奏会でした。チターはヨーロッパのスイスからドイツ地方にかけての地域で愛されてきた弦楽器です。我が国では馴染みの薄い楽器ですが、川崎の芦川さんが東京の内藤先生に師事して居られたことから当山にもご縁を結んで頂きました。当山での演奏会も今回で4度目となりました。

 

内藤先生の穏やかな語りを交えての演奏会は聴衆のこころに響くものでした。先生作曲の作品を始め馴染み深い曲目を次々にご披露頂き、また、途中では紹介者の芦川さんも参加され、結びの時間には聴衆のために先生が「おぼろ月よ」と「ふるさと」を選曲され、みんなで心を込めて歌い印象深い演奏会となりました。

内藤先生は我が国に馴染みの薄い「チター」という楽器にヨーロッパで魅せられ、そのすばらしさを是非多くの人に伝えたいと一人で立ち上がられた方です。何ごとも挑戦する人には試練があるのですから、先生の今までの歩みにもきっと厳しく険しいことがあったことでしょう。しかし、そんなことを微塵も感じさせない静かで力強い演奏と語りでした。当山の法会に花を添えて頂きました。またの機会を楽しみにしたいと思っています。

演奏会の後には御本尊の御奉納。自我偈を読誦した後、唱題裡(しょうだいり)に信徒総代が内陣に進んで曼荼羅本尊をお巻き上げ、私と興厳房がお受けして桐箱に納め御宝前に安置。お題目を三唱して法要の一切は無事に終了。
今年も仏法護持の志篤い方々の参詣を得て厳かに法要を奉修できました。心より感謝を申し上げます。

相武山 山主

2017年04月30日

境内整備のご褒美・・・・・

横浜では今の春、サクラの開花が例年より遅く、当山本堂前のサクラも4月1日の御経日にはほとんど花開いていませんでした。この日は月例の御経日の後にペット墓で慰霊祭を行いましたが、樹上のサクラは数えるほどで少し残念でした。その後、2~3日して開花となりましたがすっきりしない天候もあって、「晴れ渡る青空に春のサクラ」を満喫するイメージを描けず、わがままにも『何か物足りないな~』という思いでした。

『自然はままならないな~』と思いながらも、晴天の日に三ツ境から当山までのバス通りのサクラのトンネルをカメラで切り抜きにゆきました。路の両側から張り出すようなサクラの並木はやはり春らしい光景です。サクラ並木は各地にありますが身近な生活の側に在るのはやはりうれしいもので、花をみていると心がウキウキしてくるのは私一人ではないでしょう。

当山では昨年境内西側の雑木林の樹木を伐採しましたので、昨年までとは境内の雰囲気がかなり変わってより明るくなったように思います。月参りに見えない方でも春のお彼岸などに見えた方は、本堂を背にして墓苑の方を見ると景色が広がったことがわかったのではないでしょうか。墓苑下段の雑木林を整備したので二本の大きなサクラも存在感を増し、谷戸(やと)の向こうの追分市民の森がすっきりと見えるようになったからです。雑木林のサクラも立派なものですし、谷戸の斜面のサクラの並木も見応えがあります。墓苑から谷戸の方面を見ていると緑の世界が広がって、やがて自分の心にもみずみずしさがもたらされる気がします。これも境内整備のご褒美かもしれません。

市民の森の斜面にサクラの苗木が植樹されたのは10年ほど前のことでした。植えたときにはひょろひょろと頼りなげな苗木でしたが、時を重ねて次第に幹を太くし枝をしっかりと伸ばしてきました。今では立派なサクラとなって訪れる人を喜ばせています。その姿に時の重みを思わずにはいられません。

人間も自然も社会も否あらゆる存在がはじめは頼りないような存在です。しかし、時の経過の中で育まれ磨かれやがて豊かに成長してゆくものです。振り返れば当山もさまざまな機縁によって法華経の道場として誕生し、現在、この下川井町にて仏道の護持に努め、仏様の教えを少しでも伝える存在になっていることは有り難いことだと感謝しています。これも仏道を倶に歩んで来られた檀信徒の皆さんの信仰心の賜です。当山にはわずか37年の歴史しかありませんが、一日一日の精進が重ねられて今日に至っていることを朝夕に銘肝しています。

サクラは冬枯れの中につぼみを膨らませ、やがて花が開いて春の訪れを告げ、風に舞って優美に散りゆき、葉桜となって新緑を楽しませてくれます。夏には木陰を提供し秋には紅葉し四季の移ろいを教えてくれます。サクラには『今年のサクラは・・・・・』などという私の不遜な思いを一蹴するような存在感があるような気がします。

相武山 山主

 

2017年04月29日

さわやかに全国大会を開催

今年の法華講全国大会は山口市の「健康づくりセンター」で開催されました。毎年開催される大会には全国の僧俗代表が集い、富士日興門流の法義と信仰を確認し、正信覚醒運動の推進がはかられています。

さわやかな晴天に恵まれた今年の大会には妙法院からも13名が参加。飛行機での参加者は午前7時に羽田空港に集合し空路で山口へ、新幹線での参加者は各自で新山口駅に向かいました。両者は山口市内の昼食会場で合流して正午過ぎには会場へ。会場では例年のように全国からの参加者にお隣韓国大韓寺の講中が合流して、なごやかに挨拶を交わしていました。

2部構成の大会は定刻に開催。第1部は「法燈相続と布教」をテーマとした映像。覚醒運動の歩みをふり返ってその意義を確認し、今後の法燈相続と布教の大切さをうったえました。次に開催教区を代表して信敬寺法華講の國富將嗣さんが、開催地山口の維新での活躍などにふれ歓迎の挨拶。

第2部では壇上の緞帳が上がり出席僧侶が紹介され、まず川井泰円代表役員の唱導で、熊本地震犠牲者を悼み、復興を祈ってお題目三唱。続いて吉田輔道大会実行委員長の唱導で、日興上人の護法の精神を伝える「原殿御返事」を参加僧俗全員で奉唱。次に高橋恩道運営会議議長が覚醒運動の意義は護法にあることを述べて挨拶。

参加信徒の所感発表でははじめに韓国大韓寺講中のジョンヘウォンさん。次に高知県興教院講中の鎌田さん。最後に山口県蓮興院講中の大島さん(祖母)と西山さん(孫)の発表でした。それぞれご自身の信仰への思いを率直に述べられ、参加者から激励の拍手が送られていました。海外の同志からの祝電披露に続いて川井代表役員が挨拶。結びに私が『法華経の行者は冬のごとし』と題して講演をさせて頂きました。

(大会の詳細は6月1日号の妙風新聞に掲載、私の講演は7月1日号の掲載)

遠路にもかかわらず大会に参加された皆さんは信仰心を啓発され、会場退出の折には同志が互いに声を掛け合い、今後の信行増進を期していました。
大会後、妙法院講中は山口市内の正信会寺院蓮興院様に参詣。勤行唱題をさせて頂き、ご本尊様に大会の無事成功を感謝申し上げ各自の信行増進を祈念申し上げました。蓮興院様で茶菓の温かな接待を頂いて、初夏の長州路を約1時間20分ほどレンタカーで走り萩市に宿をとりました。

翌日は維新の立役者吉田松陰の旧跡、松下村塾(現在は松陰神社)を見学、萩城跡から萩博物館を見学して皆んなで明治維新の息吹にふれました。昼食後、新幹線組は新山口駅へ、飛行機組は宇部山口空港へと向かい帰路につきました。

参加の皆さまご苦労様でした。

相武山 山主

2016年05月30日

護り伝える使命

新緑にさわやかな風がわたる4月29日、当山では立宗会と御虫払法要を執り行いました。立宗会は日蓮大聖人が建長5年4月28日に立教開宗を明らかにされ、一切衆生の救済を願って妙法弘通の第一歩をしるされたことを報恩謝徳申し上げる法会です。また、御虫払会は当山に所蔵される妙法曼荼羅本尊のお風入れと虫払を執り行う法会です。例年初夏の連休のおりに執り行っています。また、秋の御会式から本堂に敷かれていたカーペットは御虫払会を前に収納して畳敷きとなり私と興厳房の法衣も夏用となりました。

当山所蔵の十幅の曼荼羅本尊は江戸末期から明治にかけてのご本尊。宗開両祖の御影画は明治初期のもので、それぞれ2日前から御宝前にご奉掲。午前11時からの法要では、はじめに私から立宗会と御虫払会の意義について簡略に説明。仏祖三宝尊への献膳から法華経を読誦、寿量品の自我偈は訓読でゆっくりと奉読させて頂きました。お題目は興厳房の太鼓に合わせて皆んなで唱題。唱題の裡に参詣者は御宝前に奉掲されている妙法曼荼羅と宗開両祖の御影画の前に進んで内拝。通常は外陣から礼拝している本堂のご本尊様と宗祖の御影様も間近で拝むことができました。

法要後の法話では立教開宗の意義について解説。また、御虫払会は先師先達の護法の志に感謝し、現代に生きる私たちも仏弟子としての自覚を新たに「仏法を護り伝える使命」を確認しようと述べました。さらに人生では「出会いとその選択が最も重要」であり、日蓮大聖人の教えとの出会いを終生大切にして、悔いのないよう信行に励むことをお伝えしました。法話の後には昼食タイム。それぞれロビーや客殿、回廊や寂静庵などで昼食を摂りました。午後1時20分からはおさめの法要。方便品と自我偈の読経から唱題となり、唱題のなかで興厳房と総代さんによってご奉掲のご本尊さまが奉納されました。

今年も新緑にさわやかな薫風がわたるなか、ご信心の篤い方々の参詣を得て、無事に立宗会と御虫払会を執り行うことができ有り難いことと存じています。

相武山 山主

2016年05月21日

開創35周年記念法要を奉修(下)

真心をこめて報恩謝徳と今後の精進をお誓いした記念法要。その後は本堂と客殿(子どもさんグループ)を会場に、約100名の方々にご参加頂いて祝賀の懇親会を催しました。予定より少し時間は押しましたが、午後〇時30分に開式。司会は小原巧さん。はじめに私から参集への御礼を申し上げました。続いて酒井俊克さんが開創当時を振り返って一言コメントを述べ、乾杯の音頭をとりました。

お弁当は十分吟味したつもり、豚汁も前日の夜3時間ほどをかけて私が作ったものです。漬け物も、飲み物も用意しましたが、皆さんのお口にあえば幸いと思っています。和気藹々に会話が弾んだ懇親会も半ばにさしかかった頃、寄せられたお祝いの言葉を司会の小原さんが披露されました。はじめに伊東市在住の樺山公一さんからの言葉。樺山さんは当山開創当時の檀徒のお一人で、法華講が結成された時には初代の講頭を務めて頂きました。15年ほど前に伊東市に転居されましたが、現在も当山に所属されまじめに信行に励んで居られます。奥様の体調不良にて今回の法要には参詣できませんでしたが、娘さんの敦子さんがご家族を代表して参詣されました。記念法要にあたり心温まるお祝いの言葉を頂きましたので小原さんに代読して頂きました。次に同じく開創当時からの檀徒で川崎市の下条優里子さんからお祝いの手紙を頂きました。信仰への思いと妙法院への思いを小原さんが代読されました。

続いて参列者からお祝いの言葉を頂きました。始めに今年数え年90歳を迎えた吉次昭治さん。自らの体験などを披露され、現在は一日のお経日・十三日の御講を中心に、妙法院への参詣と仏法の聴聞を楽しみにしており、妙法院の益々の発展を祈っていますと述べられました。次に妙法院の開基由来となっている今井静子さんのご長男、今井均さんが「人生はやはり出会いだと思います。両親との出会い、そして妙法院住職との出会い、貴重なものだと思っています。これからも妙法院の発展を祈り、皆さまのご健勝をお祈りします」と述べて祝いの言葉とされました。続いて臨席の坂上純興師がお祝いの言葉。30年前の活動状況や自らの得度の経緯などを回顧し、今後の発展を祈り祝いの言葉としました。

祝いのことばの後は、司会進行の小原さんが即興のパフォーマンス。ユーモラスな語りからマジックまがいの芸に皆んな驚き、どっと笑いが巻き起こりました。いつも皆んなを楽しませてくれる小原さん、妙法院の佳節に華を添えてくださりありがとうございました。楽しい時間も瞬く間に過ぎ去り、結びに執事の興厳房が挨拶とご案内。記念法要では自身の信行精進を誓ったことを披露し、「35周年記念文集は5月15日が最終〆切なので寄稿頂きたい。5月22日の全国大会は住職の講演もあるので、参加できる方は4月17日までにお申し込み願いたい」と案内しました。

和やかな歓談を楽しんだ懇親会も午後2時、司会による閉会の言葉でお開きとなりました。会場の設営片付けは参加者皆んなで行ったのでとてもスピーディでした。これからは何ごとも皆んなで声をかけあい、力を合わせて執り行って行きたいと考えていますので、ご協力よろしくお願いいたします。

僅か35年の当山の歩みですがそれなりに山あり谷ありで、離合集散や混乱・混迷もありました。法華の道場とはいえ人の集まりですからそれもやむを得ないことなのでしょう。しかし、当山もようやく礎を築くことができたのですから、この度の記念法要をもって一つの区切りにしたいと思っています。これからは雑音に惑わされることなく、真っ直ぐに未来を見据えて、志を同じくする僧俗と手を携えて仏法を護り伝えて行く所存です。  皆んなで仏道と信仰を愉しんでまいりましょう。

相武山 山主

2016年04月16日

開創35周年記念法要を奉修(上)

去る4月3日(日)当山開創35周年記念法要を執り行いました。境内を荘厳する本堂前の桜も此の時を待っていたかのように満開で迎えてくれました。前日は午後2時から世話人有志の皆さんと一緒に本堂と回廊、三師塔はじめ境内の清掃を行い、その後、諸役の打合せを行いました。記念法要に懇親会などが重なると準備することが多いので、皆さんのご協力は大いに助かります。もちろんいつものことですが、手際が悪いのか寺内の準備は深夜にまで及びました。
当日は朝から小雨が降っていましたが、諸役集合の前にはあがり、境内は静かに浄められていました。諸役は10時前に集合。それぞれ担当を確認し10時20分には参詣者を迎える状況が調いました。

定刻の11時前には約110名の参詣者が本堂に着席、司会の中澤俊彦さんによる開式の案内があり、続いて私から「仏祖三宝尊へのお焼香、妙法院有縁精霊へのお焼香、自我偈の訓読」についての説明。司会の開式の言葉によってお題目が唱和される中、仏祖三宝尊への献膳を行いました。精霊壇には35年に及ぶ歩みの中で霊山に旅立たれた同志の方々の塔婆を建立し、供物をそなえさせて頂きました。

法華経の方便品、寿量品がゆっくりと読誦されるなか、はじめに私が御宝前と有縁精霊へのお焼香、引き続いて参詣者全員に角香炉が回され、それぞれ仏祖三宝尊へのご報恩と妙法院有縁物故者諸霊への追善の思いをこめてお焼香をささげました。寿量品の長行が読誦され、自我偈は訓読で読誦いたしました。当山では信行増進の意味も込めて折々に自我偈の訓読をしていますから、皆さん導師の声に合わせてリズム良く唱和されていました。音読では解りずらい御経も訓読しますと少し身近かに感じることができ、厳かさも深まるように思えます。

南無妙法蓮華経のお題目を太鼓の音に合わせて唱えていますと、35年間のいろいろな出来事やご信徒の顔が走馬燈のように思い起こされてきました。住職挨拶で胸が詰まってしまったゆえんです。御観念では今日までの当山の歩みに仏祖三宝尊より賜ったご加護に報恩謝徳申し上げ、ご縁を頂いたすべての方々に感謝を申し上げました。その上で、今日までの歩みを礎として、未来に向かって妙法の護持と弘通に精進することをお誓いした次第です。また、一緒に信行に励まれ、すでに霊山に旅立たれた方々に謹んで追善を申し上げました。最後に参詣僧俗一同でお題目を三唱して法要の部は終了。

引き続いて、式の部にうつり、始めに熊木真治さんによる経過報告。昭和56年2月の当山開創の縁由から今日までの困難な歩みが丁寧に報告されました。続いて臨席された神栖市願生寺住職高橋恩道師より、「『艱難汝を玉と成す』との古諺どおり、35年間、ひたすら精進してきた妙法院僧俗が信行を磨き上げて今日を迎えた。宗祖は『地涌の菩薩にあらざれば唱えがたき題目』と仰せであるから、その信仰を意識して彌々の信行増進と寺運の興隆を祈る」と祝辞を頂戴しました。次に法華講を代表して新倉講頭が「開創以来の道程は厳しく険しかったが、住職のご指導と檀信徒皆んなの信心で今日を迎えることができた。現在の菩提寺妙法院は宗祖が身延から池上に向かわれる折りに通られた街道に在り、自然環境といい、交通環境といい、護法と弘通を願うとき、こんな素晴らしい環境はありません。誰もがこのような菩提寺を得られるとは想像できなかったと思います。ご本尊様に深く感謝を申し上げ、これからも皆んなで菩提寺妙法院をお護りすることをお誓いしたい」と述べて祝辞とされました。

住職挨拶では「僅か35年の歩みでしたがいろいろなことがあり、法要にて読経・唱題を勤めておりましたら、さまざまな光景が思い浮かび本当に胸が熱くなってしまいました。辛いこと、苦しいこと、厳しいこと、嬉しいこと、楽しいこと、今、そのすべてに対して感謝をしています。私は人生では出会いが最も大事だと思っています。選べる出会い・選べない出会いがありますが、どのような出会いを大切にするかで人生が決まるといっても過言ではないでしょう。本日ご参集の皆さまはもちろんのこと、、妙法院にご縁を結ばれている方は、仏教・法華経・日蓮大聖人の教え、との出会いを大切に思われている方々です。出会いを大切に思われた方々と懸命な努力でここまで妙法院を築き上げてきたのは、ひとえに仏道を護り伝えたいという熱い思いからです。未来の人々の礎となりたいと願ってのことです。西洋の古諺に『よき農夫は自分がその果実を見ることのない樹を植える』という言葉があります。繰り返し読んで頂ければその意味はよくわかることでしょう。日蓮大聖人・日興上人の門流では『下種の仏法』が説かれるように、南無妙法蓮華経は末法の衆生に下種された仏法、末法の衆生に下種すべき仏法であります。門弟である私たちも種を植えることを大切にしなければなりません。この妙法院も現当二世にご縁を結ばれた方々に喜んで頂くために建立されたものです。今日まで法燈を35年間灯してこられたことに心からの感謝を申し上げ、これからは共々に仏道を護り伝えて信仰を愉しみにしてまいりたい」と述べて挨拶としました。

(つづく)

相武山 山主

2016年04月15日

開創の志に導かれて

2月7日は富士日興門流の開祖日興上人の祥月命日忌。

門流では「興師会(こうしえ)」と称して御報恩の法要を執り行います。当山は昭和56年の興師会を開創の日としますから格別にゆかりの深さを覚えます。日興上人は日蓮大聖人が後事を託された「六老僧(ろくろうそう)」のお一人。末法の法華経の行者である日蓮大聖人には数多の弟子が居られましたが、入滅にあたって六名(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)の高弟を選抜されました。宗祖の教えを信行し伝持するという現在の日蓮法華宗系の寺院の淵源を尋ねれば、必ずこの六老僧の系譜に至るといっても過言ではありません(近世の新興宗教は除く)。当山も日蓮大聖人・日興上人の教えを求める日興門流の寺院です。しかし、阿部日顕師が相承を偽装し支配する現在の日蓮正宗や大石寺とは一線を画しています。

宗祖入滅後、その門下では「日蓮の教え」をめぐって論争が起こりました。その時に日興上人は『宗祖の教えは遺された御書に求めるべき。信行の対象であるご本尊は仏像を用いず、宗祖所顕の十界互具の妙法曼荼羅。末法思想に立脚すれば法華本門の教えが肝要。末法では法華経の行者を本仏とする』とのべ、今日に至る日興門流の礎を築かれました。近世、日興門流は日蓮正宗と理解されていますが、中世では「法華宗、日蓮法華宗、富士門流」と称していました。また、日蓮正宗(大石寺門流)だけが日興門流というわけではなく、現在「富士五山、興門八ケ本山」が存在しています。

興師会を迎えると当山は開創からの歴史をまた一つ刻むことになります。当山の興師会は今年で36回目となりました。『近代日蓮正宗(大石寺門流)の在り方に疑問を持ち、日興門流本来の法義と信仰を求めよう』という正信覚醒運動の展開が機縁となって誕生したのが当山の前身である正信寮でした。まさに徒手空拳でのスタートでしたが、宗祖大聖人の信仰に思いを寄せる方々、新たに仏道にご縁を結ばれる方々が集い、今日の相武山妙法院に至っています。

35年といえば幼子が壮年となるほどの時間です。ふりかえってみればあっという間のできごとでしたが、けっして短いものではなく、この間、「仏法の護持弘通」という妙法院の理念は不変ですが、さまざまな人間模様が展開されました。また、覚醒運動も長期化するに及び信仰への姿勢や意見の相違も見られることになり、関係僧俗の足並みが乱れたことも事実です。しかし、混乱や紛議もけっして一方的に否定されるべきものではなく、それらを通して本来の目的や意義が問い直され、怠惰と退廃への道を遮ることにもなることを知らねばなりません。そのような視点に立てば「艱難汝を玉と成す」という故事にも思いが至り、真実を求めて行く者にとって混乱も善知識となることが理解されることでしょう。

檀信徒の皆さんと同心して興師会を執り行い、御開山日興上人にご報恩謝徳申し上げながら、いろいろな思いが脳裏をよぎりましたが、35年の歳月を乗り越えてこられたのは、ひとえに「開創の志」を見失うことのない真摯な檀信徒のお陰であると、改めて御本尊様に感謝を申し上げました。法要後の法話は「日興上人の御生涯」。御書システムを引用して日興上人の御一生についてじっくりと解説いたしました。

相武山 山主

2016年02月25日

節分会と豆まき

年末から正月にかけてお寺は何かと忙しい日々が続きますが、忙しさに追われているうちに早2月も中旬を迎えてしまいました。忙しいのはお寺ばかりではありませんから同様の方も多いのではないでしょうか。忙しいとは心を亡くすともいわれますから、忙しすぎて心の在り方を見失わないように注意したいものです。

2月の3日は節分会でした。節分は「鬼は外、福は内」という豆まきが一般的なイメージですが、最近は恵方巻を食べることも節分のイメージの一つになってきているようです。習俗や風習は時代や地域によって異なりますが、関西の一部で行われていたという「節分には恵方巻を食べる」ということも、商業ベースに乗って全国に定着してきたようです。コンビニの影響も大きいかもしれませんが、その歴史はわずかに20年~30年といったところでしょうか。文化や伝統というと永く歴史を刻んで人々の生活に浸透したものと考えやすいものですが、恵方巻を例に出すまでもなく、文化や伝統ばかりでなく習俗や風習といわれているものにも意外に歴史の浅いものや、根拠の定かでないものが多いものです。少し例を上げれば、結婚式をキリスト教式で挙げるのは40年ほど前からのこと。天皇家の葬儀もかつては仏式。葬儀の喪服は昔は黒ではなく白であった。葬儀屋さんはここ半世紀ほどの商売。クリスマスの一般化は戦後から。等々、昔からのようにイメージしていたものがそうではないことに気がつきます。

物事のいわれや歴史を知ることは知識の基であり、自らの判断の基礎ともなりますから、ときにはいわれを訪ねることも大切なことだと思います。幸いにも現代は、パソコンやスマホで「検索」という便利極まりない機能が身近にあります。実に重宝な機能ですから活用したいものですが、提供される情報が本当に正しいものか否かは自身の判断によりますから注意も必要です。

さて節分ですが、元来,季節の移り変る時をさし,立春,立夏,立秋,立冬のそれぞれの前日を節分とよんでいました。立春は太陰太陽暦では年の初めとなりますから、その前日は大晦日と同様に大切な日とみなされ、江戸時代頃から節分は立春の前日をさすようになったようです。寒く厳しい冬を乗り越え暖かな春を迎える時期を一年の境と考え、新しい年を無事に過ごすことができるようにと仏神に祈りをささげたのでしょう。

古来、大晦日には中国から伝わった「追儺(ついな)」という厄払いの行事が行われていたようです。追儺は、俗に「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」、「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」などと呼ばれ、疫病や災厄などをもたらす悪い鬼を追い払う行事のことです。
この追儺では、「鬼の姿を疫病や災害などの災いに見立て、豆を撒いて悪魔悪鬼を追い払う」と仕立てたので、ここに「豆うち」「豆まき」というかたちができたようです。この豆まきの風習は室町時代には庶民の間にも広がったといわれています。豆をまくということには、「鬼の目(魔の目=魔目(まめ)に、豆を投げつけて、鬼を退治(魔を滅=魔滅(まめ))する」という解釈があり、無病息災を祈るという意味をもっています。

節分会は仏教儀式というよりも世間的な習俗の一つとして当山でも執り行っています。今年も2月3日(水)13時から参詣の皆さんと共々にご本尊に読経・唱題申し上げ、参詣者からお申し出のあった厄払い御祈念と無病息災を祈念申し上げました。読経中には私が御宝前に豆をまき、興厳房が本堂の四隅と客殿、受付に「福は内、福は内」と豆をまきました。当山では鬼は外とはいわず、福は内といって豆をまきます。鬼をも救おうというのが仏教の慈悲の精神であり、法華経と宗祖の教えでは、自らに課せられたさまざまな問題は一方的に忌避すべきものではなく、それらを善知識と受けとめ、克服して行くことが自身の仏道を開くことになると考えます。変毒為薬(毒をもって薬となす)とは法華経の教えですが、あらゆる存在が仏道の因縁であるとする信仰では「福は内」となるのです。

寒中にお参りされた皆さまご苦労様でした。
相武山 山主

 

2016年02月11日