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相武山 妙法寺 ブログ

コロナ禍に遭遇して

8月の日曜法話会は8日。前日までの天気予報では台風10号の接近が報じられていたため、どなたもお出でにならなければ自然に中止となるのですが、強い風雨にめげることなくなんと5名の方が参加されました。求める意志に敬意を払うばかりです。

 法話は7月の法話会「社会の安寧を願う立正安国論、 大乗仏教の精華 法華経の実践」の続きでした。前回はレジメの「立正安国論と日蓮の思想」までを解説。安国論の内容と奏上、当時の歴史書から具体的な自然災害などを調べ日蓮の主張を学びました。今月はレジメの続きとなる「大乗仏教の特徴とその実践。個人の平安は社会の安寧から。」についてのお話です。

【爆発的感染】
法話会ではいつも世相を取り上げて参加者の方と社会の有り様を一緒に考えていますが、今月の世相は「新型コロナの感染拡大とオリンピックの開催」でした。レジメに「はじめに」として話の要点を明示しておきましたので以下のながれで所見を述べた次第です。そのベースには我が家がコロナ禍に遭遇した現実がありました。

まず7月中旬頃より関東の一都三県を中心に全国的な感染爆発の様相にあることを確認。この日までに昨春からのコロナ禍による国内感染者はおよそ100万人、死者は15,000人。後遺症に悩む患者も少なくなく、社会的困窮者も急増しているのが現状です。頼みの綱のワクチン接種も5月中頃から漸く進んできましたが、7月中頃より提供も接種も政府の見通しどおりにはならず停滞気味。ワクチン接種を希望しながら受けられない方々の不安は丁寧な説明もないので増加しています。

8月に入ると東京都では4,000人~5,000人。神奈川県でも2,000人を超え、大阪や沖縄なども従来とは異なる急拡大ぶりで、全国の1日の感染者数は15,000人を超過。これまでの感染者の数とは比較にならず爆発的と表現できるものです。ワクチン接種も進められ、各地で緊急事態宣言やまん延防止措置も講じられているのに、どうして?と思わずにはいられません。
宣言や措置にも慣れてしまってあまり効き目はないのでしょう。現在の法的立て付けでは種々制約があるのでしょうが、緊急事態なのですから一時の欧米などのように、やはり強い規制をかけて一度封じ込めてから、社会経済活動を再開する方が懸命ではないかと考えるのは素人の浅知恵なのでしょうか。

【コロナ禍に遭遇して】
このような世相の中、我が家もコロナ禍に遭遇してしまいました。寺内の徹底消毒や関係者のPCR検査、その他感染防止の処置を確認。また、予定されていた法事を延期して頂くなど一部の方にご迷惑もおかけしました。幸いにも厳しい事態には至らず現在は落ち着いていますが、その対応を通じて実感したのは我が国のコロナ禍の現状がとても深刻だということです。

保険所もパンク状態のようで、首都圏では容易に相談したり連絡することができず、電話をかけてもなかなか通じません。症状が出ればPCR検査は受けられますが、不安を感じる人がすぐに受けられるという状況でもないようです。コロナ患者の隔離施設も十分確保できないため、政府は重症者以外は自宅療養という発表です。
医療施設やその関係者の方々も頑張っておられますが、病床も他国より多いといい、医療の水準も高いといわれる我が国で、入院ができずに不安に陥ったり、現実に入院できずに重篤化した方や亡くなられた方も出ています。また、一般医療にも影響が出ていますからふだんであれば入院治療ができる方も不安を覚えています。

中国を発生源として昨春から世界中に拡散した新型コロナウイルスは、まさにパンデミック。多数の人々の命を奪い、世界中を不安に陥れて経済社会活動を停滞させています。その発生からすでに1年と7ヶ月が経過しました。世界中でそれぞれの力量に応じて懸命に対応し今日に至っていますが、ワクチン接種が進んでも変異株が猛威をふるい今に収まる気配はありません。

他国のことはともかく、先進国といわれる我が国の現状に少なからずがっかりしているのは私ばかりではないでしょう。昨秋に少し感染が落ち着くと現政権はgo toトラベルなどで拙速に経済の活性化を急ぎ、そのためか意識の集中を欠いて歳末には緊急事態宣言を発出することになりました。その後も、感染拡防止や検査の充実、隔離施設の拡充や医療体制の整備、さらには緊急事態対応の法的整備など、市民の安全と健康をまもるべき事案が具体的に対応されることはなく現在に至っています。

人の命は無常ですから私もいたずらにコロナばかりを怖れているわけではありません。世の中では軽い風邪などが原因であっという間に命を落とす人もいます。コロナよりも他の病気で最後を迎える方が多いことも事実。怪我や事故など予期せぬ災害で突然落命することがあるのも人生です。しかし、突然大切な家族や友人を失えば愕然としてショックを受けるのは当然の人情というもの。
昨年来のコロナ禍を見ていると多くの罹患者が急変して逝去と報じられています。罹患しても手を尽くして死を迎えるなら、多くの方が諸行は無常、誰人も生老病死は免れないと理解できることです。家族がコロナに罹患してドキッとした私も同様です。いつも明るく物事に屈託のないいい加減な息子は、肺に既往症があったこともあり、高熱を出して苦しみましたが、検査の結果コロナと診断されました。かなり苦しかったのかいつも「大丈夫、大丈夫、・・・」という本人が「入院したい・・・」と叫んでいました。しかし、医師の詳細な診断を受けることもないまま「まだ、入院しなければならない症状ではありません」ということで、自宅待機からホテル隔離となりました。しばらくして日常を回復することはできましたが、私たち家族には「急変」の二字が脳裏をよぎりました。

何ごともそうですが当事者、体験者でなければわからないことがあるものです。未知のウイルスが突然感染拡大したのですから、どのようにすぐれたリーダーでも適切な対応を速やかにとることなどできません。また、国から地方まで行政や医療に関わる多くの方々が努力していることも承知しています。その上で、1年半以上もたってこの現状で良いのかと疑問をもっていることをお伝えし、緊急事態であるから与野党合力して法的整備と具体的対策を講じて、国民の安全と安心をはかってほしいと希望を述べました。

相武山 山主

2021年08月27日

社会の安寧を願う立正安国論(上)

蝉の初鳴きに夏の到来を覚える11日(日)は7月度の日曜法話会でした。コロナ禍の切り札といわれるワクチン接種は、5月から7月初旬までは予定どおりに進んでいたようですが、7月初旬過ぎからは少々混乱気味。東京オリンピックの開催をとにかく推し進めたいIOCと東京都&政府も気をもんでいるいるようですが、コロナ禍の速やかな収束を願う私たち国民も接種が進まぬ現状を心配しています。

 感染状況の様子によって緩急はありましたが、当山も昨春からの自粛がすでに16ヶ月に及んでいます。この間、檀信徒の参詣や集いを積極的に案内することができず、行事法要は寺内中心。檀信徒も各自の判断で感染予防対策をして静かに信仰を護持するばかりです。法華経と日蓮大聖人の教えを伝えるお寺としての機能はかなりそがれ、信仰の護持や啓蒙に資することが難しい状況が続いています。

【はじめに】
今月の法話会のテーマは「社会の安寧を願う立正安国論」。日蓮大聖人が時の為政者に安国論を奏進したのは文応元年(1260)7月16日。社会の安寧を願う日蓮大聖人の思いとコロナ禍の速やかな収束を願ってのテーマとなりました。
参加聴聞者は20数名で新来の方はいらっしゃいませんでしたが、いつものように初めにレジメの冒頭に示している法話会の趣旨「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しい理解を。法華経と日蓮大聖人の教えにふれよう」について解説。
続いて、釈尊の仏教では基本的姿勢として「現実を直視する」が説かれていることを述べ、現実から眼をそらしても課題が解決することはなく、現実をしっかりと見据えて対峙する姿勢の大切さを説明。仏教では修行と修学が求められますが、それはけっして平坦ではない人生を歩む私たちが、生きる力を涵養するためであることをお伝えしました。

仏教というと我が国では寺院や僧侶、葬儀や法事、歴史や観光など、現実の生活と密接な関係にあるものと観る方は多くありませんが、仏教を創始された釈尊はインド土着のバラモン教のような神秘主義や難行苦行を否定され、「限りある人生を如何に生きるべきか、苦しみや悩みを如何に乗り越えるべきか」という現実生活の課題と率直に向き合われたことを解説。

【立正安国論の奏上】
日蓮大聖人は大乗仏教の精華である法華経の教えを実践されました。その聖人の畢生の書といわれているのが『立正安国論』です。聖人自ら『撰時抄』には「外典に云く、未萌をしるを聖人という。内典に云く、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみやうあり。一には、去にし文応元年〈太歳庚申〉七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向かひて云く、禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ゐなきならば、此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給ふべし」と述べています。

日蓮大聖人の遺された御書は中世の文書としては他に類のないほど膨大で貴重なものですが、それらを拝読するとその主張と意見には一貫して経典と論書の裏付けがあります。思いつきや無断引用をすることなく、できる限り引用文を明らかにしているところに宗祖の学問と信仰への真摯な姿勢を拝することができることをお伝えしました。

レジメと一緒にお渡しした「立正安国論真蹟の冒頭画像」と「立正安国論の解題」から安国論の概要を説明。解題とは聖人の遺された御書についての学術的解説と当該御書の概要を示したもので、岡山県興風談所制作「御書システム」に在るものです。聴講者と一緒に解題を丁寧に読み進め、安国論は宗祖自ら「勘文」といわれるように、幕府の依頼によるものではないものの、勘文の意識をもって認められたもので、その大部分は経文の引用であること。客と主人の九番の問答と最後客の決意で構成されていることを学びました。

次に立正安国論を所蔵する法華経寺が所在する市川市のホームページを紹介。
そこには
「法華経寺が所蔵する二つの国宝のうちの一つです。日蓮48歳の時の著で、鎌倉幕府の前執権・北条時頼に建白した『立正安国論』の控えの真筆です。厚手の楮紙を36枚継ぎ、縦29センチメートル、全長は15.98メートルにも及び、各紙片の端に枚数を記しています。
原文は漢文で、「当今いろいろと国に災いが続くのは念仏の流行に原因がある。もし、これを禁じないでおけば、さらに内乱外寇が必ず起こるであろう」と経文をあげて予言し、これを防ぐためには法華唱題を広めるよりほかになく、またこれを用いない為政者は早死にするということを、主人と旅人の問答形式で書いています。
奥書には「文応元年(1260)太歳庚申勘之 従正嘉始之文応元年勘畢」と記し、ついで予見的中の諸箇条を追記したあと「文永六年(1269)太歳己巳十二月八日写之」と執筆の年次が明らかになっています。
これは日蓮が正面から堂々と幕府を諫めたものなので、字体も略字を用いず楷書で書き、厳しい調子が全体にあふれています。このため、以後日蓮は次々と迫害を受けることになるのです。
なお、第24紙目は紛失したため、これを慶長6年(1601)11月6日に日通が補写して挿入しています。また軸紙によると正保3年(1646)8月に本阿弥光甫が補修していることが分かります。」
とありました。

【大乗仏教の精神】
宗祖は大乗仏教の精神、ことに一仏乗と諸法実相を説く法華経の教えによって立正安国論を奏上されました。そこには「災難にあえぐ庶民の苦悩を取り除きたい。国や社会の安寧は一人ひとりの幸福に不可欠なものである。正法によって災厄を調伏し国家と庶民の平安をもたらしたい」という大乗菩薩道の実践がありました。

インドの原始仏教や初期仏教では元来個人の悟りや救済が主眼であり、国や社会の救済やその安寧ということは対象ではなかったようです。ここに初期仏教と大乗仏教との相違を見ることができます。法華経を最勝の教えと信受した日蓮大聖人は、積極的に庶民や国家の平安を願われて安国論を奏上されたことをお伝えしました。

有名な安国論の冒頭箇所
「旅客来たりて歎きて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之れを悲しまざるの族敢へて一人も無し」
を真蹟画像で皆さまと一緒に読み上げた後、レジメに示した当時の歴史書である『吾妻鏡』等から正嘉元年(1257)から弘長元年(1261)まで、4年間の大地震や風水害、干ばつなどの自然災害、飢饉や疫病の流行、大火事や悪党の蜂起などの記録を概観しました。

安国論では宗祖が「国の平安は庶民の安心安全の基盤であり、国の平安は正しい仏法の流布によること」をうったえたことを学び、そこには大乗仏教で説かれる「自らの悟りと平安を求めるばかりでなく、他者ともろともなる救済を願う大乗菩薩道」が存在していることを確認。さらに大乗仏教では個人の精神世界の充実と深化を大切にしながら、人生の現実生活におけるさまざまな課題と向き合い、それらに真摯に対応することが大乗仏教の在り方であると所見を述べました。

法話会の時間はここでタイムオーバー。レジメの後半の法話は来月に持ち越しとなりました。来月の法話会は8月8日(日)午前11時からです。
つづく

相武山 山主

2021年07月28日

学びを愉しむ(下)

「学びとは?」に続いては「学ぶ愉しみ」について、「学びということばには広く深い意味がある。学びは知識の習得のみを意味していない。知識にとどまらず心の動きや感情、意志や経験など人間の精神世界に大きな影響を持っている。学びの対象はすべての分野に及び、その対象は是非善悪を問わない。なぜ?どうして?という素朴な問いから学びは始まる」と解説。

 次に先月の法話会で語ったワクチン接種の問題を取り上げ、ワクチンとその接種について具体的に学びました。まず参考文献に沿って「ワクチンの基本的知識・予防接種・ワクチン接種」の3点について解説。続いて「ワクチン接種の現状」と「開催中のG7、各国との比較は?」について統計資料から、先進国7カ国といわれる国々のなかで日本が最も出遅れている現状を説明しました。

さらに「なぜ日本でワクチン開発ができなかったのか?」については、インターネット検索から、①石井健教授(東京大学医科学研究所)は「ワクチン開発予算、承認手続きなど、欧米は緊急時対応、日本は平常時対応であったことによる。ー略ーワクチンの緊急開発は安全保障と外交の意義を持つという意識が日本には足りなかった」と解説。
②坂元晴香特任研究員(東京大学大学院医学系研究科)は「国民の間に『ワクチン忌避』が根強くあり、メディアもそれをあおるような報道をしてきた。その結果、外国と比べてもワクチンに対してかなり慎重な体制が作られてきた」と解説。
③厚労省元幹部は「過去のワクチン接種の健康被害に対する批判もあって、この数十年間、国民のワクチン忌避が強まる傾向があった。訴訟のリスクが高い一方で手間がかかるなど、開発するインセンティブが下がり撤退した企業もある。海外に比べて、人材面でも技術面でも国内メーカーの体力は弱くなっている」との解説を紹介しました。

続いて、「なぜ接種予約が混乱したのか?」と「ワクチン接種にリスクは無いのか?」についての私見を述べ、結びに「今後同様の疫病流行に対応ができるか?」について、感染が収束した後に、偽りのない確かな検証が必要であることをお伝えしました。
学びを愉しむことの大切さと具体的な学びを述べた後は「学びを愉しむことば」を紹介。学びについては古今東西名言として数え切れないほどの言葉が残されています。今回は主に近現代のことばを中心にお伝えしました。

★私に特別な才能はありません。非常に強い好奇心を持っているだけです。
★学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば
気づくほど、より一層学びたくなる。 [アルベルト・アインシュタイン]
★私は何も学びとることがないほど、無知な人に出会ったことはありません。
[ガリレオ・ガリレイ]
★20歳であろうが80歳であろうが、学ぶことを止めてしまった人は年老いる。学び続
ける人はいつまでも若い。 [ヘンリー・フォード]
★真の学者となるコツを教えましょう。その秘密とは、出会う人すべてが何らかの点で私
の師であり、私はその人からその点を学んでいると考えることです。
[ラルフ・ワルド・エマーソン]アメリカの哲学者・作家
★大学とは、学習の場である。ビジネスも、学習の場である。人生そのものが、学習の場
なのだ。 [トーマス・エジソン]
★勉強するから、何をしたいか分かる。勉強しないから、何をしたいか分からない。
[ビートたけし]
★経験というのは、莫大なお金に匹敵する価値がある。ただ、ほとんどの人が、その経験
を学びに使わない。 [ベンジャミン・フランクリン]
★安楽な人生は何も教えない。長い目で見て重要なのは『学ぶこと』。
[リチャード・バック(作家)]
★学習の最大の敵は、すでに学んだこと。  [ジョン・マクスウェル]
★学んでいて楽しくないものは、本当の意味で身につかない、というのは私の実感でもあ
りますが、一方で、苦しさを伴わない学びもまた、ニセモノだと思うのです。 [河合隼雄]
★失敗するから強くなる。失敗から学びなさい。 [ウサイン・ボルト]
★成長を続けるためには、私たちは学び、決断し、実行し、そして、なおも学び、決意し、
実行しなければならない。 [スティーブン・R・コヴィー]
★やってみて『ダメだ』とわかったことと、はじめから『ダメだ』と言われたことは違い
ます。 [イチロー]
★熱心に学ぶ姿勢は、やがて習慣になる。  [オウィディウス]
★明日が命日のつもりで生きよ。永遠に生き続けるつもりで学べ。 [マハトマ・ガンジー]

法話会の結びは日蓮大聖人のことば。
大聖人の御書『日妙聖人御書』から「昔雪山童子と申す人ありき。雪山と申す山にして、外道の法を通達せしかども、いまだ仏法をきかず。時に大鬼神ありき。説いて云く『諸行無常 是生滅法』等云云 ー 略 ー 大鬼神、此の座について説いて云く『生滅々已 寂滅為楽』等云云」を紹介。その身を捧げて仏道を求めた雪山童子のいわれから、仏道とは求める心が肝要であることをお伝えして6月度の法話会は終了。

私は有縁の方々に、より良い人生を歩むために、老後を愉しむために、堅苦しく考えずに「学びを愉しんでほしい」と願っています。

相武山 山主

2021年06月29日

学びを愉しむ(上)

6月の日曜法話会は13日(日)。テーマは「学びを愉しむ」。サブタイトルは「学びは人生を豊かにするもの」でした。はじめにいつものように当山の法話会の趣旨を述べ、釈尊の十四無記の姿勢から仏教の目的が自然科学的な真理探究が主眼ではなく、「人間如何に生きるべきか」ということにあること。また、釈尊の覚りの中心にすえられているのは「縁起」の思想であることを略述しました。

 この日のテーマ「学びを愉しむ」は寿命が100歳に向かっているとさえいわれる長寿社会の日本。多くの人に定年を迎えてもなお30年以上の老後の時間が在ることになります。その時間は生育期間としての少年期から青年期、子育てや社会の担い手であった壮年期とは大きくちがい、自由な時間が相当長く続きます。また、その時間は日々老化して行くことを実感するもので、健康が損なわれがちになり、心身共に思うようにならぬことに不安や苛立ちを覚えるものでもあります。

そのような老後も貴重な人生の一コマ。法話会では「学ぶことの愉しさを知れば高齢者でも最後まで人生を豊かに生きることができる」こと。また、青年や壮年の方には人生のおもしろさや深さを知るためにも、「遇・不遇、喜怒哀楽の対象はすべてが学び」と受容し、学びの世界を広げて豊かな人生を歩んでほしいとお伝えしました。

自分には知らないことが多くあり、学ぶべきことが多くあると認めて、その真意を探求することは謙虚な心の基本です。また、人生の苦楽すべてが学びの対象であることを知って、辛いことや苦しいこと、悩むことや悲しいこと等も学びになると理解できれば、「知ること、学ぶことが愉しい、学びの中に真の愉しみがある」と実感することができます。そして、どのような境遇にあっても人生を楽しむことができるようになるのです。この姿勢は「人生如何に生きるべきか」をテーマとする仏教の基本思想にも通じるものといえましょう。

 法話会ではレジメに沿ってのお話。
はじめに「学びとは?」として、「勉強と学びは同義か? 教育と学びの関係? 勉強と教育のイメージ」を提示。勉強と教育には、「人生を歩むために必要な教育。身につけておかなければならない基礎的な知識や常識」を前提として、勉強には「勉め強いる、強いて勉める」という他者から強制されるイメージがあり、教育には「教え育む」という父母や教師などからのはたらきかけのイメージがあることを解説。

「学びのイメージ」として、「自主的、主体的というイメージ。自らの意志と直接につながっているイメージ。対象はすべての分野に及び、人生を歩むための手段ではなく、より良い人生を歩むための心得であり姿勢」であることを解説。その上で、「なぜ? どうして? 何のために?・・・という童子のような問いかけを忘れない。学びの心は好奇心と探究心そして愉しむ心から。学びは人生の愉しみと知る」との所見をお伝えしました。
(つづく)

相武山 山主

2021年06月28日

源を見つめる(下)

日曜法話会のレジメの続きは「オリンピック開催ありきでよいのか?」から。我が国のコロナ禍の現状からして、果たして開催は可能か?という疑問です。菅総理は開催の有無について質問されても明確に答えませんが、政権は開催の意向と報じられています。
近年の国政では政権や権力者にとって都合の悪いことは明確に回答しない、さらに説明しないことが多いように思えます。政権は国民のためのもの、市民のためのものという原点が忘れられているように思えるのは残念との所見を述べました。

オリンピックは7月23日開幕、残された時間は68日。海外のメディアも開催の是非を論じています。明確に中止・延期との声も上がっていますし、開催に関わる各県にオリンピック向けの医療提供を求めても拒否されているとの報道があります。世論調査でも開催賛成は少なく過半は中止か延期を希望しています。このような状況で果たして「コロナに打ち勝った証」などといって開催できるのでしょうか。オリンピック開催についてもその本来の意義(源)を問い直す必要があるように思います。

次にレジメでは「公文書改ざん事件(赤木ファイルの提出)」を取り上げました。
森友学園問題は未だにすっきりしていない問題ですが、昨年(2020年)、森友学園事件で財務省の佐川宣寿理財局長(当時)に決裁文書の改ざんを強要されて自死に追い込まれた近畿財務局職員、赤木俊夫さんの遺書と手記が公表されました。
公文書改ざん問題は安倍晋三前総理が国会で自身と昭恵夫人の関与を完全否定する答弁を行い。その答弁に合わせて佐川局長が部下に文書改ざんを命じたというものです。現場で対応を迫られた赤木さんは自死することで財務省の不正を告発したことになりました。赤木さんの自死を問われた安倍総理は、「ああいう結果になり、総理として大変申し訳ない」と謝罪。しかし、赤木さんの告発に応えて再調査することは否定しました。

2020年3月、赤木さんの自死から2年後、妻の赤木雅子さんが「自死は同省で改ざんを強いられたからだ」として、国や佐川宣寿・元財務省理財局長に、計約1億1200万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴。雅子さんは、夫の精神的苦痛を証明するために「赤木ファイル」の提出を命じる「文書提出命令」を出すよう地裁に申し立てていました。これを受け、国は、5月6日までにファイルの存否について文書で回答することになっていたのです。
国が赤木ファイルの存在を認め、条件つきながら開示することを回答したという事件です。内容が少し込み入っていることもあり、法話会では日経新聞を参照に解説しました。

テーマ「源を見つめる」に沿って、「公務員が仕えるとは!」として、ある国家公務員のことば『国家公務員のすべての原点は「人のために、国民のために、国益のために」、自分は何ができるか、自分はどのように国家公務員として仕事をしていくか、どのような政策を実現していくか、それを考えることが国家公務員としての使命であり、国家公務員として働くことの意義だと思います。』を紹介。
私の所見として「公務員は公平公正、原点と基本を忘れてはいけない」と述べ、「意識の対象は権力者ではなく、国民、市民であるべき。公文書は国民・市民の財産であり、改ざんを許してはならない」「この事件は大きな問題を内包してるので今後も注視したい」とお伝えしました。

次に天台大師のことば
摩訶止観から「流れを挹みて源を尋ね、香を聞きて根を討ぬ」を紹介。
『水の流れをくみとって、水源の様子を追求し、匂いを嗅いで根源の様子を調べる。末端に現れたものから本質を察知するたとえ』
同じく摩訶止観から「根露るれば条枯る、源乾けば流れ竭く」を紹介。
『植物の根がむき出しになれば枝は枯れてしまう。水源が干上がれば水の流れはつきる。根本になるものがだめになれば影響は末端まで及ぶことのたとえ』

結びに以下の日蓮のことばを紹介。
「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得可きか」  『観心本尊抄』
「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば、必ず天はまぼ(守)らせ給ふなり」 『四条金吾殿御返事』
「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり。」 『檀越某御返事』
《現代語訳》「主君に仕えることが、そのまま法華経の実践であるとお思いなされよ。天台大師の『あらゆる世間の生活と産業は、みな仏法の真実と相違しない』というお言葉はそういう意味である。

学ぶべきこととして「何ごとも謙虚に原点を意識して人生を歩もう。おかしなこと、納得できないことには拒む勇気を。人生の最後まで学ぶことを愉しもう。自らを支え育むすべての存在に感謝の思いを抱けるように精神の涵養をはかろう。」とお伝えして5月度の日曜法話会は終了。
次回は6月13日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年05月30日

源を見つめる(上)

5月の日曜法話会は16日(日)午前11時からでした。コロナ禍による緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が全国各地に出され、収束が見込めない上にワクチン接種もかけ声倒れでほとんど進んでいないという現状です。その上この日は天候も不安定でしたから参加者は16名ほどでした。参加者の多寡で法話の内容や私の意識が変化することは全くありませんから、いつものようにテーマ「源を見つめる」をレジメに沿ってのお話。

【雨の恵みに思う】
例月どおりに日曜法話会の趣旨をお伝えしてテーマに入る前に、「例年より早い梅雨入り」について一言。というのも北九州、中国地方、四国地方が例年より3週間ほど早く梅雨入りしたという報道があり、関東地方もいつもより早い梅雨入りが予想されているので、うっとうしい梅雨時の心の持ち方を参加者の皆さんと考えてみようと思った次第。

我が国では梅雨前線の活動が活発になる6月から7月にかけての時季を梅雨と呼ぶ。晴れ間が少なく曇天に降雨が続くと誰もが心も塞ぎがち。また、湿度が上がってムシムシしてきたらさらに不快指数が上昇。野外での作業も制約され、外出も面倒になり、洗濯物も乾かない、カビも生えれば食物も腐りやすくなる。少し考えただけでもため息が出てきそうな季節という方も少なくありません。

しかし、中国の俗諺に『春の雨は貴きこと油のごとし』とあるように、植物などの成育に雨は太陽とともに不可欠な存在。雨はあらゆる生命を支える水の源であり、水がなければ動物も植物もあらゆる生物は生きて行くことができません。自然界の営みでは雨はまさに恵みそのものなのです。また雨は塵や汚れを洗い流してもくれます。
時に豪雨となって深刻な水害をおこすこともありますから注意は必要ですが、暑い夏を乗り切るためにも梅雨は私たちにとって必要な時季なのです。愚痴ばかりに流されずに、うっとうしい梅雨のときこそ雨の恵みを学ぶ機会とし、梅雨ならではの愉しみを見つけたいものです。心の持ち方を工夫する好季であることをお伝えしました。

【源を見つめる(上)】
さて法話会のテーマの副題は「原点を意識して人生を歩む」です。俗諺にも「迷ったら原点にかえる」とあります。原点を意識しながら人生を歩むことが大切であることから「人生のすべてにおいてその源を意識する。目的を見失ってはならない。基本を疎かにしてはいけない。自らの存在と行動の原点を常に意識すること」をお伝えしました。また、「貴重な人生、家族、夫婦、学び舎、教師、友人、交友、就職、職責など」その存在と行動の理由を意識し、「何のために? なぜ? どうして?」という自身への問いかけを忘れてはいけないという所見を述べました。

次に先人のことばに学ぶでは、
論語の学而篇から「君子は本を務む。本立ちて道生ず。」を紹介。
『君子は何ごとにつけ根本のことに力を注ぐ。根本が確立されると。行くべき道がおのずとできてくるものである』(有若のことば)
孟子の言葉から「道は大路のごとく然り。豈に知り難からんや。人求めざるを病むのみ」を紹介。
『聖人の道は多きな道路のようなものである。どうしてわかりにくいことがあろうか。人が自ら求めようとしないことが問題なのである。』
荀子の君道篇から「源清めば則ち流れ清み、源濁れば則ち流れ濁る」を紹介。
『源泉が澄みとおっていれば下流も澄み、源泉が濁っていれば下流も濁る。物事はその根源にあるものの善し悪しに左右されやすいことをたとえる。』
後漢書から「涓流寡なしと雖も、浸く江河を成す」を紹介。
『ちょろちょろと流れる小川の水はごく少ない水だが、しだいに大河の流れとなる。大きなことも小さなことから始まることのたとえ』
説苑から「本傷めば枝槁れ、根深ければ末厚し」を紹介。
『木はその根元がいたんでいれば枝葉は枯れてしまい、深くしっかりしていれば、こんもりとよく繁るものである。何ごとも基本が大切であることを説くたとえ』
以上のことばから枝葉末節に振り回されず、源を常に意識することの大切さを学びました。
源流や大道、柱や幹を大切に対応することの反語にもなるのが、場当たり的、その場しのぎの対応。少し目をこらして現実を見ればそこかしこにその姿をみることとなります。

【コロナ禍の増大とワクチン接種の混乱】
5月16日現在、緊急事態宣言が出されているのは、北海道、東京都、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、岡山県、広島県 及び福岡県の計9都道府県。まん延防止等重点措置は千葉、神奈川、埼玉、岐阜、三重、愛媛、沖縄、群馬、石川、熊本の計10県。
合計19都道府県に宣言と措置が講じられていますから、心穏やかな品格の国民性といわれても世相を不安に思うのは当然です。国や地方の行政を司る方々も一所懸命取り組んでいるのでしょうが、今ひとつ合点がいかないのは感染拡大防止が最優先という徹底がなされないことだと思うのは私ばかりではないでしょう。

いわれるまでもなく経済活動や社会活動は私たちにとって大切なものですから、コロナ禍であってもそれなりの活動をすることは理解できます。しかし、感染防止が至上命題なのですからその徹底をはかられなければ成果は上がりません。二兎を追う者は一兎を得ずです。また、責任者が平時と緊急時の認識ができず、基本的判断がにぶればより良い成果も得られようはずがありません。
新型コロナウイルスによるパンデミックですから誰が責任者でも対応は厳しく難しいと思いますが、多くの国民が不安と困窮を来しているのですから、権力者としての責務をしっかりと果たしてほしいとの願いをお伝えしました。

ワクチン接種については「まだ医療従事者も25%の接種。高齢者の接種は各自治体でバラツキが。各地でワクチン接種予約の混乱。政府は7月末までに高齢者の接種完了を明言?ワクチンの確保が不明な上に接種の準備(会場、スタッフなど)ができていないのが現状では?行政への不信と不安?」という現状や疑問について解説。
さらに私のワクチン接種予約の顛末を報告しました。
高齢者の一人である私が、同居する94歳の高齢者のために、5/3、5/5、5/10、と3日間3回にわたって接種予約にチャレンジしましたが見事に空振り。イライラが募るとともに、サイトからの予約も電話での予約も機能しているようには思えなかったので、「横浜市は何を目的にして予約のチケットを送付したのかな?予約チケットへの対応をシュミレーションしていたのかな? 80歳以上の高齢者への予約も済まないうちになぜ70歳以上の高齢者にもワクチン接種通知を送付するのかな?・・・」と次から次に???でした。

不安解消のはずのワクチン接種予約が疑問とストレスになった顛末と、最後にはかかりつけクリニックで私も同居高齢者も一緒に予約がとれたことをお伝えしました。ワクチン接種のこぼれ話として、一部行政の首長や地域有力者などが抜け駆け接種問題を起こしている報道を紹介。人の道を踏み外すようなことはまことに残念。何ごとも源や基本を大切にしたいものです。

相武山 山主

2021年05月29日

今を生きる(下)

前に述べたように今を生きるためには過去との比較が欠かせませんから、「この時代、この社会、この地域、この環境・・・・・・」について参加者の皆さんと考えてみました。

過去の時代(昭和や大正・明治、さらには江戸時代や戦国時代、鎌倉時代や平安時代~)とは違う現代。想像できない未来とも違う現代。今は令和の時代。日本という国、生活する地域、日本の自然環境。世界中の国や地域とのつながりと影響。地球と宇宙のいとなみにも影響されます。

生活のスタイルや社会のシステムも「今」のもの。過去の時代とはちがいます。昭和の時代と比較してみるとよくわかります。「住宅、電気、水道、トイレ、電話、ガス、電気製品、洋服、食事、お菓子、商業施設、車、・・・和風から洋風へ、学校の教育内容、新旧の産業の興廃、企業の興廃、病院やクリニック、医療や治療など・・・」。

「家父長制、夫婦関係、親子関係、師弟関係など。結婚式や葬儀などの儀式行事。礼儀や言葉遣いなど文化や習俗。社会のグローバル化(社会的・経済的に国や地域を超えて世界規模でその結びつきが深まること」等々。 少し振り返ってみればその変化には驚くばかり。意識するとしないとにかかわらずほとんどの人が変化を受容して今日に至っています。

次に「今を生きるため」には、自分自身の今を知らなければなりません。自分ことといえば多くの人がわかっていると思いこみがちですが、実はそうでもありません。自分自身を見つめ知ることはかなり難しいことなのです。 自分自身を見つめ、己れを知ることが大切として「年齢、体調、性格、これまでの歩み、育った環境、修学や就職、職種や経験、人生の歩みと置かれている環境は一人ひとりちがう・・・」ことなどについて説明。その上で、今の自分にできること、できないことを理解して心豊かに生活することをお勧めしました。

変化してやまない今を生きるとして「時代は日々刻々変化していることを知る。人は誰もが生・老・病・死をまぬがれない。仏教では四劫が説かれている(成劫・住劫・壊劫・空劫のこと。仏教では世界が成立し、変化・破滅を経て、空の状態に帰するまでを四つの期間に分ける)。真理である変化をおそれない心を涵養する」ことをお伝えしました。

変化についても「変えるべきもの、変えた方が良いもの、変えない方が良いもの、変え てはいけないものがある」ことを解説。「今までの考えやかたちを変えることには不安を伴うことが多い。変容(変化を受け入れる)にはできるだけ正確な情報と知識が必要。コロナ禍によって失ったもの、コロナ禍によって得たものを知る。「今」コロナ禍での人生を歩むということは、それ以前との変化を認めて新たな人生を歩むということ。置かれた環境を愚痴ることなく認め、一歩でも前を向いて与えられた人生を歩むことが大切。人生は出会いと選択であり、人生はすべてが学びである。」と所見を述べました。

 

変化をおそれずに生きる「諸行は無常&縁起として在る」では釈尊と弟子の問答『相応部 サンユッタ・ニカーヤ』から、

「大徳よこの世の色には、ほんの少しでも、なんぞ常恒・永住にして、いささかも変易することのないものはないでありましょうか」

「比丘よ、この世の色には、常恒・永住にして、変易することのないものはまったく存しない」

「比丘よ、もしこの爪の上の土ほどのものであっても、常恒・永住に して、変易することのないものが存するならば、わたしの説く清浄の 行によってよく苦を滅尽することはできないであろう。

しかし、比丘よ、この世にはこの土ほどのものといえども、常恒・永 住にして変易することのないものは存しない。故にわたくしの説くこ の清浄な行によって、よく苦を滅尽することができるのである」

「比丘たちよ、色は無常である。色を生起せしめる因も縁も無常であ る、比丘たちよ、無常なる因と縁によって生起せる色がどうして常恒 なることがあり得ようか」『雑阿含経 サンユッタ・ニカーヤ』から「縁起の 法は我が所作にあらず、亦余人の作にもあらず、然も彼の如来、世に出ずるも、未だ世に出でざるも法異常住なり。彼の如来は自らこの法を覚って等正覚を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発し顕示す。謂わゆる此れ有るが故に彼有り、此れ起こるが故に彼れ起こる」を紹介。

「諸行無常とはあらゆる存在が変化してやまないという真理。あらゆる事物事象は縁起によって成り立っている。釈尊の覚られた真理は縁起を基本としている。縁起であるがゆえに不変・絶対なるものは存在しない。」であり、諸行無常が仏教の基本思想であり縁起は真理であることをお伝えしました。

学ぶべき日蓮聖人の言葉では以下を紹介しました。

「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」 『可延定業御書』

「夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ひて後に他事を習ふべし」 『妙法尼御前御返事』

「流罪の事痛く歎かせ給ふべからず。勧持品に云く、不軽品に云く。命限り有り惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり」 『富木入道殿御返事』

「一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給ふべからず」 『四条金吾殿御返事』
今回のテーマ「今を生きる」から 「現実をしっかりと理解しよう。己れ自身を見つめよう。過去にとらわれず、未来をいたずらにおそれない。貴重な命であることを知り、また、その命が有限であることを知る。今日一日の命のいとなみを大切にしよう。学ぶことを愉しもう。臨終のそのときまで自分自身が成長することを願う」ことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年04月29日

今を生きる(上)

本年、第4回目となる日曜法話会は4月18日(日)午前11時の開催。今月のテーマは「今を生きる『諸行は無常、仏教は変化をおそれない』」でした。
初めて参加された方もおられましたから、当山の日曜法話会は「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解して頂きたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」を主旨として開催していることを述べ、仏教寺院の存在意義は冠婚葬祭のためばかりでなく「仏教を学び伝える、僧侶と信徒が修行・修学し仏道への信仰を磨く、心を浄め癒やしと安らぎを得る、伝統や文化などを護り伝える」ことにあることをお伝えしました。

法話会のテーマで「世相」を取り上げていることについて「仏教は現実を直視する立場。仏教は神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。起こる事象はすべて学びの対象。眼前の事物・事象を自分はどのように観ているかを認識し、どのように自らの人生に活かすかが大切」であることをお伝えしました。

今月のテーマは「今を生きる」。過去のしがらみなどによって目が曇ったり、知ることのできない未来に翻弄されることなく、今この時を真剣に、そして誠実に生きることが大切であるという仏教的視点の一つの表現です。

「今」を思索する時には、その今がどのような今であるかという現状の認識が不可欠。それは今の現状を的確に認識できているか否かで判断が大きく左右されるからです。その的確な認識のためには過去などとの比較が効果的となります。というのも物事は比較することによってかなり整理することができるからです。
そのためにも自分自身が生きているこの時代、この社会、この環境などを過ぎた時代と比較しなければなりません。できるだけ的確な認識に立った上で、諸行(あらゆる存在)は無常(常ではない)という仏教の真理を理解し、変化してやまない現実を怖れることなく、永久に通じる一日一日であることを自覚して大切に歩むことが、「今を生きる」仏教徒の姿勢だと思うのです。

法話は「今を考える」ことからスタート。昨年春から世界中が翻弄されている「コロナ禍による変化」を振り返ってみました。認知症になっているわけではありませんが、たった1年前のことでもすっかり忘れていることが多いものです。
まずは「コロナ禍の現状。」
「コロナ第4波か? 欧米諸国に比すると感染者数も死亡者も少ない日本。しかし、東アジアでは感染者が多い日本。2度の緊急事態宣言と新たな『蔓延防止等重点措置』の実施。」「見通し不明のワクチン接種と専門家の第4波憂慮発言。病床の逼迫や医療崩壊への危惧もささやかれる。我が国のコロナ対策の歩みを検証しなければ悪夢は繰り返す。」と所見を述べました。

次に「コロナ禍の歩み、思い起こしてみよう」
★ 新型コロナウイルス感染症報道
(2020年1月下旬、中国武漢を発生源とする感染症が発症と報道。
★ 1月23日、中国政府が武漢市を事実上封鎖
★ 1月28日、日本人初感染公表
(武漢市への渡航歴のないバス運転手の男性。武漢から来たツアー客を乗せて、東京・大阪間を往復。翌29日にはこのバスに同乗していた女性バスガイドの感染も確認。この頃からマスクや体温計、除菌剤などを中心に衛生用品が店頭から消える。)
★ 武漢からのチャーター便帰国
(1月29日、中国・武漢市などに滞在していた日本人がチャーター機で帰国。2月17日までに計5便が派遣。中国人配偶者や子どもを含む800人超が帰国した。)


★ ダイヤモンド・プリンセス(DP)号の集団感染
《クルーズ船「(DP)号」(乗客2666人、乗員1045人)。DP号は1月20日に横浜港を出発。鹿児島、香港、ベトナム、台湾、沖縄に立ち寄り2月3日に横浜に帰港。その途中、1月25日に香港で下船した乗客が新型コロナウイルスに感染していたことが2月1日に判明。日本政府はDP号からの下船を認めず、5日から洋上で2週間の検疫を行った。陽性者は神奈川県をはじめとする医療機関に搬送され、入院措置がとられた。その間、船内の感染症対策の不十分さが指摘された。2週間の健康観察期間を経て下船した乗客が陽性診断される事例が問題となった。最終的にDP号での感染者は計712人(うち死者は13人)》
★ クラスターの発生
(2月14日、前日に感染が確認されたタクシー運転手の男性が1月に開かれた屋形船での新年会に参加。都は「約100人が濃厚接触者にあたる」として検査を進め、初のクラスターとして報道された。この後、病院や高齢者施などでのクラスター発生が報じられた。)
★ 小中高等学校の休校
(3月2日から春休みまで臨時休校。)
★ 各種イベントの自粛と中止。
★ 緊急事態宣言発出
(4月7日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を発出、4月16日に対象を全国に拡大。)
★ その後については割愛。

以上、昨年1月下旬から初めての緊急事態宣言発出まで3ヶ月ほどの足取りをたどってみました。未知のウイルスによる不安と恐怖と混乱は我が国を覆い尽くしたことがわかります。それから1年という時間が経過しましたが、期待のワクチン接種も全く見通しがたたず、感染拡大が再度広がり3度目の緊急事態宣言さえ予想される現状についてお伝えしました。
続いて私が率直に疑問に思うこと・・・。
当然のことながら政治や行政も努力していることはわかっています。さらに医療従事者や介護従事者などのご苦労にも敬意を表します。しかし、腑に落ちないことやなぜ・どうしてと疑問に思うこともあります。
ポイントを絞って「パンデミックから1年4ヶ月。疑問に思うこと、なぜできない」として、「病床の逼迫と医療崩壊の解消。法律やシステムの不備があっても知恵をしぼって実行してほしい。平時と緊急時の対応は異なっていても良いのではないか? なぜワクチンの確保と接種が遅れているのか? なぜ日本でワクチンが創れないのか? 失敗や責任は忌避したいのが人情、しかし、有権者から選出されたた政治家には緊急事態との認識と覚悟が必要ではないのか? 日本ははたして先進国だろうか?・・・・・」と私見を述べました。

次にコロナ禍による大きな変化。
★ コロナの感染予防を中心とした生活と社会
日常の家庭生活、学校や会社、各種イベントや大会、宗教や文化、人的交流、儀式や行事、飲食など社会生活の在り方が大きく変化。
★ 感染の予防を中心とした生活
三密(密集、密接、密閉)を避ける生活スタイル。日々衛生管理を意識する生活。
★ リモートワーク&リモート学習
自宅での仕事や学習。
★ リモート会議
対面での会議ではなく、PCやタブレットなどを利用しての会議。
★ イベントや各種大会開催
人生の節目となる大切な行事でも中止となる。感染予防を徹底しての開催。スポーツ観戦などでは規模の縮小や内容の変更。
★ 職種によってコロナ禍の影響が異なる。
★ コロナ禍による経済的な被害は深刻。
★ 儀式や行事の変化
コロナ禍によって儀式や行事のかたちが変化することもある。
以上誰もが実感した社会の変化をお伝えしました。

(つづく)

相武山 山主

 

2021年04月28日

東日本大震災に想う

3月14日(日)は今年3回目の法話会。テーマは「東日本大震災に想う」でした。いまだ緊急事態宣言の延長下でしたが30名近くの方に参加聴聞頂きました。簡略に法話会の趣旨を説明すると倶に、10年前の第1回法話会が平成23年4月であったことを回顧してテーマに入りました。

はじめに東日本大震災を振り返り「10年の節目にしっかりと災害を検証し想いを深めることが大切」として「何ごとも正確な情報とその適切な分析が重要。複合災害(大地震、大津波、原子力発電所の事故など)であったことを認識すること。この大災害から何を学んだか?一人ひとりが考えること。これから発生するであろう自然災害にどのように向き合うか、一人ひとりが考え行動しなければならない。」と所見を述べました。

考えるべきこととしては「大地震と大津波の脅威」「大川小学校の悲劇と責任の検証」「災害は現在進行形、深刻な原子力発電所の事故」の3点を提示。
大地震と大津波では「2011年(平成23年)3月11日(金) 14時46分、東北地方太平洋沖を震源地とする大地震。地震、大津波、火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万2000人余の死者(震災関連死を含む)・行方不明者が発生した。明治以降の日本の地震被害としては明治三陸地震(死者・行方不明者2万1959人)を超えて関東大震災(死者・行方不明者推定10万5000人)に次ぐ2番目の規模の被害。

 

次に石巻市立大川小学校の悲劇と責任の検証
「東日本大震災に伴う津波が本震発生後約50分、15時36分頃、新北上川(追波川)を遡上。この結果、河口から約4kmにある大川小学校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と教職員13名中、10名が死亡。その他、学校に避難してきた地域住民や保護者のほか、スクールバスの運転手も死亡。学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては第二次世界大戦後最悪の惨事」である概要を説明。
地震後の学校の対応について「裏山への避難中止」「避難場所を巡っての議論」「校長不在による避難判断の問題」「集団パニック状態かそれに近い状態だった」ことなどを解説。数年前に私は現地に慰霊にお参りしましたが、そのときの体験と心情もお伝えしました。

続いて災害は現在進行形として「原子力発電所の深刻な事故」について。
事故の概要「地震発生当時、福島第一原子力発電所では1 – 3号機が運転中。4 – 6号機は定期検査中。1 – 3号機の各原子炉は地震で自動停止。地震による停電で外部電源を失った。地震の約50分後、遡上高14 m – 15 m の津波が襲来。、非常用ディーゼル発電機が海水により故障。さらに電気設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなど多数の設備が損傷するか、または流出したため、全電源喪失に陥った。
このため、ポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や使用済み核燃料プールへの注水が不可能となり核燃料の冷却不能となった。
1・2・3号機ともに、核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起き、溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開いたか、または制御棒挿入部の穴およびシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が圧力容器の外側にある原子炉格納容器に漏れ出した(メルトスルー)。

1 – 3号機ともメルトダウンの影響で、水素が大量発生。原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素ガスが充満。3月12日午後3時36分に1号機、14日11時1分に3号機、15日午前6時10分に4号機がガス爆発。原子炉建屋、タービン建屋および周辺施設が大破。大気中や土壌、海洋、地下水へ大量の放射性物質が放出。複数の原子炉(1,2,3号機)が連鎖的に炉心溶融、複数の原子炉建屋(1,3,4号機)の水素爆発が発生。大量に放射性物質を放出した史上例のない原発事故。」を説明。
原発廃炉への想像を超える長い道のりは災害が現在も進行中であることを示していると述べ、「国民全員が原子力発電所事故の深刻さを認識しなければならない。偽りのアンダーコントロール発言。廃炉への行程が見通せず、いつ何が起こるかわからない危険な現状。地球規模の災害(自然・人的)を引き起こした責任。廃炉へのスピードアップと原子力発電からの速やかな撤退を真剣に検討するべき」との所見をお伝えしました。
被災者の癒やしと救済について
被災から立ち上がるために「癒やされることのない悲哀を理解。祈りは力、犠牲者への真心からの追悼。全国民からの物心両面からの継続的な支援。被災者は祈りと覚悟から立ち上がる。犠牲者への慰霊が生きる力になっている。祈りにはカタチも必要。よみがえらせたい現当二世を救済する仏教への信仰」について所見を述べました。

目前に迫っている自然災害については「首都直下型地震。東南海の巨大地震。富士山の噴火。気候温暖化をはじめ地球規模の災害。宇宙空間の変動等々」一人ひとりが災害への心の備えと具体的準備が必要であることをお伝えしました。
結びに日蓮大聖人の立正安国論から「自然災害や疫病の流行に警鐘を鳴らした日蓮。庶民の現実的苦悩を共有した大乗仏教者日蓮。災厄の起源を仏典に求めた日蓮。日蓮に現代科学の知見があったならどのように語るであろうか。科学と人間の心の調和をとることが大切。」と所見を述べました。

学ぶべきこととして「一人ひとりが自身のこととして考え思案することが大切。やがて発生する自然災害を想像し日頃から用意と準備を怠らない。平穏な日々の生活がいかに貴重なものであるかをかみしめる。精神を涵養する信仰や祈りに想いをめぐらす。」をお伝えして3月度の法話会を終了。
4月の日曜法話会は18日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年03月30日

有り難いを知る(感謝のなかみ)

今月の日曜法話会は11日。前日まで台風14号の影響が心配されましたが、当日の関東上陸は避けられ伊豆諸島の方に南下したために青空も広がる天気になりました。当初は雨の予報でしたから参加者も少ないと思っていましたが、二十数名ほどの方に参加聴聞頂きました。法話会のテーマは「有り難いを知る」。サブタイトルは「幸せを感じる人生(仏教的な幸せとは)」でした。
私たちは今ある状況が好ましいと思えば幸せを感じ、好ましくない、つらい、苦しいと思えば不幸を感じます。いつも自分の思うようになるならば、誰もが幸せを感じられるのでしょうが、ほとんどの人が理解しているように、人生はさほど自分の思うようにはなりません。しかし、たとえ思うようにならない人生であっても日々幸せを感じながら歩みたいと私たちは願っています。


幸せを感じながら人生を歩むためには「すべてに感謝をすること」とは一般常識のように語られています。さまざまな宗教や信仰の世界、自己啓発のために語られる言葉にも最も多く多用されているのは「感謝のこころを持つ」であり、ビジネス書にさえ「感謝の心が道を切り拓き、あなたを成功へと導く」とあります。感謝とは「ありがたいと思う気持ち」のこと。ありがたいという気持ちが起こることによって私たちは幸せを感じることができるのは自明の理なのです。
今月の法話会ではこの感謝の心のなかみを求めて、私たちの存在にかかわるすべてのものごとが有り難いことであることを学びました。はじめに「幸せとは?」との問いです。一般的には熟慮することなくイメージが先行していて、置かれている環境や一時的条件などをもって遇・不遇を幸・不幸と誤解しやすいことを指摘。
一般的に「これがあれば、あれがあれば、こうなれば、こうだったら・・・」という「たら・れば」がよく語られますが、幸せと思われる環境や条件だけを語っても意味はありません。その例として、「お金があっても幸せではない人がいる。健康でも幸せではない人がいる。家族がいても幸せではない人がいる。学歴が高くても幸せではない人がいる。会社で出世しても幸せではない人がいる。容姿端麗でも幸せではない人がいる。事業が成功しても幸せではない人がいる。社会的地位があっても幸せではない人がいる。・・・」のが事実。同じ環境や条件であっても、ある人は幸せと考え、ある人は不幸と感じているのです。

幸せを感じるというのは感性そのものであり、それも刹那的・一時的・流動的なものではあまりに儚く、環境や条件などに左右されない普遍的価値に裏打ちされた感性でなければ残念です。また、幸せを得るためには正しい知見が必要(現実直視の仏教)であり、自分自身を知る(人間の心と身体についての知識、自身の資質や性格など)こと。置かれている環境を知る(いかなる出自、いかなる家族、いかなる時代、いかなる社会に生きているか等々)こと。人生と社会を知る(限りある人生と変遷してやまない社会)ことなどが大切であることをお伝えしました。
幸せとはゆるぎない安らぎと満足を意味しており、不幸とは不安と恐れ、不平と不満とみることができます。幸せが安らぎと満足ならば、そこには必然的に「今、貴重な有り難いことが現出しているという認識と感謝の思い」が存在しています。この認識と思いが幸せの基盤となっているのです。

次に有り難い(何ごともそのようにある〈状態〉ことは難しいのに、今、その状態にあるということ)を理解するために「人間存在の不思議と奇跡」について解説。
◆人間は超有機体
「人間はヒトの細胞と細菌から成る「超有機体」であり、人体を構成する細胞の数は約37兆程度。体内に生息する細菌の細胞数は100兆を超える。体内微生物が免疫系など人体の仕組みと密接な相互作用をしている。人間とはヒトの細胞と微生物とが高度に絡み合った集合的有機体である」
◆人間の細胞は入れ替わる
「人間の細胞は入れ替わる(入れ替わらない細胞もあるが…)。組織によって細胞の入れ替わる年数が違う。入れ替わる周期(赤血球120日、骨細胞90日、肌細胞28日、胃の細胞5日、小腸の細 胞2日等々)。細胞は儚く私たちが自覚できないうちに絶えず生まれては死んでいく。ただし、生まれ変わる周期は一時ではなく、見た目には分からないレベルで総入れ替えするのが約6~7年ほど。」
◆細胞が入れ替わるのになぜ病気は治らない?
病気の人でも細胞は新しく生まれ変わるが、病気が治らないのは遺伝子そのものが損傷しているから。遺伝子が損傷していると細胞に情報がきちんと伝わらない。未完成の細胞ができてしまう。そのためにうまく修復できなくなり病気が治らない。

レジメに沿って私たちの人体が極めて複雑精緻にできている事を説明し、「人間の身体は実に不思議で壮大なもの。複雑多岐にわたる人間の身体に、それを円滑に動かす脳や神経などのソフトが精緻に作用して人間が存在している。そのうちの一つでも障害を起こせば健康な生活はたちどころに失われてしまう。人間の生命存在そのものが実に貴重で有り難いものとの認識が大切。」であることをお伝えしました。
有り難いと理解して感謝の対象とするのは自身の身体ばかりではありません。この世に生命を与えてくれた両親はじめ数えきれぬ祖先たち。人生にとってかけがえのない存在である家族や友人たち。人生を歩むためにさまざまなことを教えてくれた教師や先達。そのどれもが有り難い存在なのです。
また、すべてを自分だけでまかない誰にもお世話になっていないという人は存在しません。生きるための衣食住の環境すべては他者による提供なのです。皆多くの人々のお世話になっているのですから、すべての人々への感謝を忘れてはいけないのです。

家族がいること、友人がいること、知人がいること、学べること、働くことができること、いずれも当たり前のことではありません。実に有り難いことなのです。
また、天地自然の恵みによって私たち一人ひとりは生かされています。地球のめぐみばかりでなく、月のめぐみ、太陽のめぐみ、宇宙のめぐみ、さらにはそれらのすべてが円滑にはこぶ妙法のはたらきによって生かされているのです。天地自然の運行や宇宙の営みが円滑さを失えば私たちの生命ははかなく絶えざるを得ないのです。そのように思いをはせることができれば一日一日の命がいかに貴重なものであるかがわかります。
むすびには釈尊のことば
「『われらはこの世において死ぬはずのものである』と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知れば争いはしずまる」[ダンマパダ]
日蓮聖人のことば
「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」[可延定業御書]を紹介し、10月度の日曜法話会は終了。
11月15日は今年最後の日曜法話会です。
皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2020年10月29日