相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

新しい仲間

夏も盛り、当山隣接の「追分市民の森」では百日草とヒマワリが咲き始めました。市民の森の杉木立には一服の涼を求めて多くの方が散策に訪れています。うだるような暑さという言葉がピッタリの8月1日は月例の「お経日」。お経日は月始めに檀信徒皆さまの信行増進と御先師先達への御報恩、ご先祖有縁精霊への追善供養を申し上げる法会です。お経日には信仰を大切にされる方々が参詣されます。時間に余裕のある年配の方が多いのですが、その信仰への思いは、必ず仏祖三宝尊の御照覧にあずかって来世の果報をもたらすことでしょう。

それにしても連日の猛暑、1日はそのピークかと思うほどに各地から37度、38度、39度と高い気温が報じられました。じっとしていても流れる汗、当山の本堂には空調設備がありませんから暑さもひとしおですが、風があれば市民の森をわたって涼風がぬけてゆきます。しかし、その風も檀信徒の席までで、内陣の僧侶席にまでおよぶことはありませんから、扇風機をつけていても内陣はかなりの暑さです。元来、お寺は修行・修学の道場ですから、暑さも寒さも修行の一つのスパイスのようなものです。ちなみに私は空調の整備されていない時代に青少年期を過ごすことができた果報かと思って、一年中読経・唱題に勤めています。お経日の法話(妙風新聞の「御心を拝して」から『新尼御前御返事』について)が終ると興厳房が参詣の皆さんにアイスを配ってくれました。小さな可愛いアイスですが、一口ほうばると口の中に冷たさが広がり、一時の涼感を得ることができます。皆さん一息ついて帰路につかれました。

その後、私と興厳房は中澤俊彦さんと一緒に小さな池作りをしました。中澤さんは以前から境内に小さな池があったらいいな~と思っていたそうで、先月突然「ご住職、今、ホームセンターに来てるんだけど、プラスチックの池を買ってお寺に持って行っても良いですか」という電話がかかってきました。私と興厳房もかねて小さな池があったら良いね、といっていたので異論はありません。早速中澤さんは即決、少し大きめの池を届けてくれました。その後、水草や藻をお持ちになったり、川石を拾ってきたり、ということで、「では1日のお経日の後に作業をしよう」ということになった次第。

池は参道横のアジサイの群れの手前に設置することにしました。固い地面でしたから掘るのに少し難儀し、水平もとってはいませんが、1時間ほどで無事に設置ができました。その後、水を入れてポンプを作動、水の循環を確認して作業は終了です。昨日、長津田のホームセンターで睡蓮とメダカを求めてきました。メダカを飼うのは初めてなので成育が心配でしたが、思い切って買い求め、夕方にはできたばかりの池に放流しました。今朝心配して見に行きましたら、みんな元気一杯に泳いでいて、ほっと安心です。開山したばかりの妙法院では、うれしいことに花や草や鳥などいろいろな新参者がやってきて境内を賑わせてくれます。睡蓮もメダカも新しい仲間です。みんなで大切にしてゆきましょう。

相武山 山主

2015年08月04日

猛暑のなかで

連日の猛暑が続く26日の日曜日、当山では朝から世話人の皆さんと草取りをしました。午前10時からの予定でしたが午前9時過ぎから三々五々お集まりになり、それぞれのペースで11時過ぎまで作務に汗を流して頂きました。ご参加の皆さんは暑さ対策をされていましたが、それでも汗が吹き出すという表現がピッタリのような猛暑、本当にご苦労さまでした。草取りは5月頃から10月頃まで檀信徒の皆さんにご協力を頂いています。寺内でも普段から注意していますが、1日は24時間、1ヶ月は30日あまりしかありません。その他の作務や法務もあってなかなか思うようにならないというのが実状です。寺内の人力では追いつかないため、月に1度くらいの間隔で皆さんに随意でご協力頂いています。また、自由にお参りになって草を引かれたり、境内を清掃して行かれる方も居られます。それぞれの志はたいへん有り難く感謝をしています。


すべての寺院は仏教や信仰を大切に思う方々によって護られており、当山も諸寺院同様いろいろな方々にさまざまな形で外護(げご)を頂いています。僧侶も当然のこと懸命に仏道と道場を護るように努力をしていますが、檀信徒という護り手の存在がなければ、各寺院の存立は不可能となります。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や戦後の荒廃、さらに山村の過疎化などによって、厳しい環境にある寺院は現在少なくありません。当山も余裕はまったくありませんが、ご信心を大切にされる方々がご縁を結ばれ、倶に仏道を学びながら真心からの護持を頂戴し支えられています。護り方は一人ひとり違うかもしれませんが、その心底には「仏さまを敬い その教えを尊ぶ信仰の志」が等しく見受けられます。真夏に汗を流しながら、菩提寺の境内や駐車場の草をとられる志は、仏さまがご覧になられてきっと笑みを浮かべておられることでしょう。これからも無理をせず体調を考慮してご協力頂きたいと思います。

午前11時から草取りに平行して「わらべ会 夏のつどい」が始まりました。今年は子どもさんや親御さんの都合がつかないこともあって、4名の子どもたちを中心にしたわらべ会となりました。少し淋しい感じもありましたが、興厳房が企画した予定にそって皆んなで楽しみました。参加者がそろったところで興厳房からスケジュールの説明があり、初めは私と一緒に法華経方便品(ほけきょうほうべんぽん)と自我偈(じがげ)の「れんぎょう(お経の練習)」です。興厳房お手製のお経本を持って、みんなで大きな声でゆったりとお経を誦しました。続いて私からのお話。「大きな声で元気に挨拶をして、メリハリをつけよう。人は誰もが姿も違えば考えも違うので、互いに違いがあることを認めよう」という事を中心にお話をしました。その後は興厳房と太鼓の練習です。紙で作ったバチで練習した後、太鼓の前に進んで興厳房のお題目の声に合わせて実際に太鼓を叩きました。

そうこうするうちに時間はお昼を回り、お母さん方やお父さん方が準備していた「流しそうめん&バーベキュー」のランチタイムとなりました。草取りを終えた世話人の方も参加して皆んなでワイワイと愉しく頂きました。食事を頂いたら子どもたちによる「スイカ割り」です。子どもたちは目隠しをしながら一歩一歩足を進め、スイカの前で棒を大きく振りかざし、一気に振り下ろせばみごとにスイカが割れました。割られたスイカはとても甘く皆んなで美味しく頂きました。スイカ割りの後は、本堂にもどって小原さんの案内で「パターゴルフ」と「射的」を楽しみました。小原さんは高齢者の面倒を見られる仕事もして居られるので、そこからのアイデアのようです。この間、大人たちはテントや流しそうめん、バーベキューなどの片付けと清掃をしました。

子どもたちは本堂でのレクレーションを終えて客殿に移動、興厳房の指導で「ウチワ作り」と「ペン立て作り」に集中しました。それぞれ立派に作り上げ夏休みの作品になったようです。最後は本堂にもどって私と興厳房からの挨拶、お題目を三唱して「わらべ会夏のつどい」は午後2時30分に終了。来年はもっと早くから案内を出して、より多くの子どもたちに夏の相武山を楽しんでもらいたいと思っています。

皆さん猛暑の中ご苦労さまでした。

相武山 山主

 

2015年07月30日

うれしい電話

参道入り口の夏ツバキが咲き始めた先月末、練馬区の内堀さんから突然の電話を頂きました。『29日の午前中に主人とお参りしたいんですけど住職のご都合はいかがですか?』という問い合わせです。興厳房は勉強会で不在ですが私は居りますよとお答えすると、『実は安産のご祈念をしてほしい』ということでした。とてもうれしいお知らせでした。

お姉さんの重吉真美さんは二人のお子さんを授かって、現在お仕事をしながら子育ての真っ最中です。多忙の真美さんですから、お寺の行事などには参加できませんが、毎月一度自身の休日には子どもの手を引いて和光市からお参りになります。その信心には本当に感心します。ご主人と一緒に車で来られる時は心配しないのですが、幼子の手を引き、乳飲み子を抱えて汗を流しながら参詣されるときは、ハラハラ・ドキドキです。いつも尊敬とともに無事に帰られたかと案じています。

その真美さんの妹が内堀さん。信仰心の篤いご両親とのご縁から、私は幼い頃からの二人を知っていますが、高校生のころは二人ともサーフィンに夢中で真っ黒な顔をしていたのが印象的でした。その後、それぞれ人生の道を見定めてからはまさに一心不乱。意思の強さもあって、幸いなことに現在は二人とも目指した道の軌道に乗ることができました。さらに伴侶にも恵まれて現在は自分たちらしい家族作りをしているようです。真美さんに二人の子どもさんが授かったので、瑠美さんにもいつか・・・・・と思っていましたから、安産祈念の電話は私にとってもうれいしものでした。当日は交通事情が良かったようで、ご夫妻は約束の時間より早目にお出でになり、腹帯を御宝前にお供えしてご一緒に読経・唱題。子どもを授かったことに感謝を申し上げ、母子ともに健やかな生活であるように、安産であるようにと、ご加護を賜る祈念を申し上げました。

人生の節目にあたって、仏様に祈りを捧げるという神聖な儀式を行うことは、たいへんに意義深いことと思います。人生にはさまざまな儀式がありますが、ご承知のように儀式は思いや願いをかたちに顕し、認識と自覚をもたらせることに意味があります。華美に過ぎ虚飾に流れるような儀式では困りますが、仏道では己れの心の思いをかたちに明示する儀式を大切にしていますし、一つひとつの儀式や仏事を執り行うことは、信仰の功徳であり悦びであると教えています。

価値観の多様化がさけばれて久しい現代。人生観はもちろんのこと、一人で人生を楽しむのか、パートナーを求めて楽しむのか。夫婦だけの人生を望むのか、子どもとの生活を望むのか等々。家族観についても思いは多様です。もちろんほしいと願っても得られないこともあります。また、判断した結果がそのまま思い通りとならないのも人生。『禍福あざなえる縄の如し』ですから、与えられた人生の終焉に望まなければわからないことも多々あります。それでも立てた志や自らの真摯な思いに無駄などまったくありません。子どもを授かることにもきっと悦びと厳しさの両面があることでしょう。しかし、たった一度の人生ですから悔いの残らぬように前向きに歩んでほしいと願っています。

暑い夏をしのげばやがて涼しい秋がやって来ます。その頃にはご夫妻から悦びの声が届くのを楽しみにしています。

相武山 山主

 

2015年06月29日

瑞々しいそら豆

宗祖御講の前々日に讃岐の大西さんからたくさんのそら豆をお届け頂きました。早速ご本尊様にお供えしてご供養の志をご奉告を申し上げ、湯がいて頂きましたら、新鮮そのものでとても味の良いそら豆でした。大西さんのお心遣いに感謝した次第です。

大西さんは私が讃岐の本山本門寺大坊に執事として在勤していた時にご縁を頂きました。もう37年前になる昭和53年のことです。日蓮大聖人の教えを真摯に求めようという正信覚醒運動がその機縁でした。讃岐では大野原町での宅御講などでご一緒に宗祖の教えを学び合ったことを昨日のことのように思い起こします。その後、昭和56年2月に私が横浜に妙法院の前身である布教所正信寮を開くことになり、讃岐の地を離れることになりました。所属寺院は異なることになりましたが時折連絡は頂いておりました。しかし約十年ほど前、信仰上の関係からお尋ねを頂くようになり、ご本人の希望によって再び当山の檀徒として所属されることになり現在に至っています。

そのむかし、機関誌としていた「不染」で大西さんをご紹介したことがありますから、古くからのご信徒にはご記憶のある方も居られることでしょう。もう33年ほど前のことになります。その時も「そら豆」と題してのもので、今回のブログの題名に通じるものでした。大西さんはお会いした当時から、法華経と宗祖への信仰が微動だにされない方で、その一途さには驚くばかりです。誰もが「信仰は大切」といいますが、宗祖の御在世でも信仰を持続して貫くことの難しさが語られるように、この現代に仏法信仰への情熱と真剣さを不断に継続できる方は稀有な存在といっても過言ではないと思います。

当山にはそのような貴重な方々が多数集われています。毎月の月例法会に参詣される方々、寺院外護のご供養や護持会費、建設ご供養等に志を寄せられる方々、春秋の彼岸やお盆、お会式や年中行事に参詣される方々、草取りや境内整備に協力される方々、遠方からお手紙で激励されるかたがた、思いやかたちには違いがあるかもしれませんが、宗祖が仰せの「爪の上の土」でありたいと願う人々が集う相武山妙法院。

大西さんもまさに同志のお一人です。ご縁を結び直してから今日まで、仏法を護るためのご供養を讃岐からお届けになり、ご両親の命日忌には塔婆供養を願われ欠かすことがありません。農家をしておられることから、四季折々の新鮮な野菜も御本尊様にお供えになります。また、頂く手紙はチラシなどの白紙などを利用され、飾らない言葉と御供養への気負いのなさが伝わってきます。そこにはさっぱりとした性格とまっすぐにご本尊を見据えておられる信心がうかがえ、その信仰心に敬意を表するばかりです。二人のご子息も関東にお住まいで大西さんの導きで当山にご縁を結ばれています。丁度人生の一番忙しい年代にかかっていますから、参詣も思うようにならないようですが、いつの日かお母様の信仰を承け継ぎ、人生をより豊かなものにしてほしいと願っています。

相武山 山主

2015年05月22日

風薫る好季に

風薫る好季を迎えた4月29日(水)午前11時から立宗会並びに御虫払会を執り行いました。法要に先立ち、はじめに「立宗会」の意義と御虫払会の次第について私より説明。日蓮大聖人は建長5年(1253)4月28日、得度の霊地房州清澄寺において立教開宗を宣言されました。その後は末法における法華経の行者としての生涯を歩まれ、衆生成仏の道をお示しになられました。弘通の一歩はこの日から踏み出されたのです。次に「御虫払会」は当山に護持する曼荼羅本尊10幅と宗開両祖の御影画を御宝前にご奉掲し、お風入れと虫払を申し上げる法会であることをあらかじめ説明しました。

法要は献膳・読経・焼香・唱題と執り行われ、唱題の裡(うち)に参詣者は一人ひとり内陣(ないじん)に進んでご本尊様を内拝しました。200年前から100年ほど前のご本尊様が多く、約35年ほど前に丁寧に再表具しましたが、すべての傷みを修復することはできませんでした。諸行は無常ですから傷みや劣化はやむを得ませんが、できるだけ心を込めてお護り申し上げることを念じた次第です。

法要後には重ねて立宗会についてその意義を解説。「清澄寺大衆中」には『此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、建長五年四月二十八日、安房国東条郷清澄寺道善の房の持仏堂の南面にして、浄円房と申す者並びに少々の大衆にこれを申しはじめて、其の後二十余年が間退転なく申す。或は所を追ひ出だされ、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を、今は見る日蓮が刀剣に当たる事を』と述べられていることを紹介。「末法の衆生は南無妙法蓮華経の教えによって救われると宣言すれば、法難が重なり日蓮の命にも及ぶであろうが、虚空蔵菩薩の御恩を報ずるために立教を宣言した。その後一度も退転することなく、南無妙法蓮華経の教えを弘通してきたのである。法華経には法華弘通に励むと住居を追われたり、流罪になると説かれている。不軽品には不軽菩薩が杖木の難を蒙ったと説かれているが、末法では日蓮が刀剣の難を蒙った」との意義について述べました。
さらに当山に護持申し上げているご本尊様については、「現代とはさまざまに異なる社会環境のなか、信ずる仏道を護り求めることさえ難儀であった時代に、日蓮大聖人の教えを真摯に求められた先師先達のご信心の賜である」ことをお伝えしました。この時代に仏縁を頂戴した私たちも、人生には限りがあることを理解し、悔いのないように信行に励んで行きたいものです。

私のあいさつで法要は小憩となり、午後の部に参加される方々は客殿やロビー、寂静庵などで自由に昼食を摂りました。午後0時45分、法要に供える意味もこめてチターの演奏会が開かれました。演奏は日本チター協会会長である内藤敏子先生です。新寺院落成の翌年に芦川さんのご紹介で内藤先生に演奏会を開いて頂き、昨年もお出で頂き、先生の演奏会は今年で3回目となります。
演奏会は芦川さんの開会の言葉に引き続いて、内藤先生が妙法院での演奏会は「新緑の瑞々しい好季に、清らかな相武山妙法院の法要にお参りでき、チターの演奏を皆さんとともに楽しむことができるのはとてもうれしい」と感慨をのべられました。先生ははじめにオリジナル曲の「しだれ桜」を弾かれ、「美しき青きドナウ」は芦川さんと連弾。エンガディーン古謡からは「心のよろこび」を演奏され、続いて団塊の世代には懐かしい映画音楽から「ひまわり・シェルブールの雨傘・第三の男」を演奏されました。映画音楽の3曲はそれぞれ戦争が背景となっていることも説明いただきました。

その後、スイス留学当時の愉しいお話を交えながら、乙女の祈り、川ベブの想いで、雪山のレントラーを演奏頂きました。皆んながよく知っている曲も弾いてみましょうと仰って、「津軽のふるさと」と「北の国から」も弾いて頂きました。結びは先生のチター演奏にあわせて皆んなで「富士の山」と「ふるさと」の合掌。子どもの頃から耳になじんでいる曲と、それぞれが故郷を思い、幼い頃を回想できる曲を口ずさみながら、演奏を聴くだけでなく自分も参加したという悦びを味わいながら演奏会は閉幕。閉会にあたっては私から、お忙しい中、遠路にもかかわらず、法要に花を添えて頂く演奏会を今年も開催して頂いた先生に厚く御礼を申し上げました。法要に引き続いて演奏会に参加された檀信徒の皆さんも愉しまれたのではないでしょうか。

その後、檀信徒の皆さんと法華経寿量品自我偈を読経、唱題のうちに御奉掲の曼荼羅ご本尊様を奉納申し上げました。初夏の風が新緑の境内をわたる好季に、大切な法要を無事厳かに執り行うことができ皆さんに感謝しています。

相武山 山主

2015年05月10日

春のひと時

四季にめぐまれた我が国、春3月下旬から4月上旬にかけては各地でサクラを愛で、「つぼみで良し、咲いて良し、舞って良し」と、濃淡ピンクのサクラが楽しい話題となります。当山でも本堂前のサクラや墓苑雑木林のサクラが例年よりも美しく咲き誇りました。

周囲の市民の森のあちらこちらで、緑の木々の間から薄ピンクのほころびを観るのも風情があります。8年ほど前、当山西側の追分市民の森の斜面にサクラの苗木が植えられました。そのサクラが年ごとに年輪を重ねてみごとに成長し、最近は谷戸の景観に彩りをそえるまでになりました。植樹の当時から気にしていましたから、毎年春になると近くまで足を運んで、幹が太くなり枝が伸びる様子を楽しんできましたが、今年はすっかり谷戸の主人公のようでした。
3月下旬からほころび始めた当山のサクラは、暖かさに誘われてあっという間に1日のお経日には満開。1日のお経日には、毎月ご信心を大切に思われる方々が参詣しておられますが、今月は小学校に上がる颯太君が、お母さんと妹そして祖父母の皆さんと一緒にお参りされました。「小学校に無事に通えるように、事故などがないように」と、信仰心篤い家族の皆さんが颯太君を気遣う優しさが伝わってきます。私も法華経を読誦しお題目をお唱えして通学の無事を祈念申し上げました。
読経唱題の後には日蓮大聖人の御書を拝読して法話をさせて頂き、引き続いて、昨年初夏に開設したペット墓「慈愛」での慰霊祭を執り行いました。ご承知のように現代はペットが家族の一員としての存在となっています。可愛がっていたペットにも悲しいことに寿命があり、その命を全うした後もどうか安らかであってほしいと願うのは、一緒に生活していた人々の自然な人情です。当山でもかなり前からペット墓の設置を要望されていました。新寺院建設など厳しい状況が続いていて設置に余裕がありませんでしたが、昨年ようやくペット墓「慈愛」を境内に設けることができました。希望していた方々が「慈愛」にペットの遺骨を納められ、開眼供養と慰霊供養を執り行ってから約1年を迎えます。春サクラの咲く頃には毎年慰霊祭を行う予定としていましたから、関係者の皆さんにご案内の上慰霊祭を執り行いました。

ペット墓「慈愛」の前に慰霊供養の塔婆を建て、参列者一同にて読経唱題をいたし、心を込めてお線香を手向けました。ご縁を結ばれた皆さんは在りし日の可愛いペットに想いを馳せられたことでしょう。その後、小雨がぱらついてきたので、本堂と回廊に長机を出して参詣者の皆さんと茶菓を頂き、サクラを観ながら春のひと時を愉しみました。

相武山 山主

 

2015年04月14日

うれしい春のたより

自然の豊かな相武山の周囲では、梅もほころび墓苑西側の雑木林の河津桜もきれいなピンクの花を咲かせ始めました。足下では蕗のとうが顔をのぞかせ春の訪れを伝えています。また、受験を乗り越えた若者とそのご家族からもうれしい春のたよりを頂きました。

例年1月から2月、3月にかけては受験のシーズンを迎えます。当山でも縁り(ゆかり)深い檀信徒の皆さまより受験の御祈念をお受けいたします。中学の受験から高校・大学・専門学校と受験もさまざまですが、それぞれ人生の大きな岐路であり、いろいろな意味で一人ひとりの人生に大きな影響を与えるものです。本人ばかりではなく家族や親族、友人にも影響を与えることでしょう。関係者の皆さんには緊張するシーズンといっても過言ではありません。御祈念を依頼された住職の私も関係者の一人に仲間入りさせて頂きますから、私もしばらくの間緊張感に覆われます。

受験の御祈念ですからご本尊に合格を祈念するのは当然のことですが、ただひたすら合格することばかりを祈っているのではありません。まず、「健康な体調で受験に臨めるように」「事故や事件に巻き込まれることなく受験に臨めるように」「本人の持てる力が遺憾なく発揮されるように」「そして希望が叶えられるように」と祈念させて頂きます。さらに、望み通りの結果が得られない時にも、努力したことはけっして無駄になることはありませんから、「受験という貴重な体験を通して、現実の厳しさを受け容れる勇気と強さを見いだすことができるように」と祈念をさせて頂いています。

私は「幸不幸を問わず人生に起こるすべての事象には意味がある」と考えています。それは仏教が眼前の問題を直視し、あるがままを受容した上で、その超克をはかることによって、まことの幸いを得る道だと考えるからです。あまり深く考えずとも、人を鍛えて成長させることが「艱難辛苦」であることは古今東西のことわりであり、小説を読んでもドラマを見ても私たちが感動するのは、厳しい環境や険しい事態を必死に乗り越えてチャレンジする姿ではないでしょうか。

いささかでも思いを発(おこ)し実践するならば、そこには何らかの結果が現出します。それらは求めた良い結果か、求めたくない悪しき結果に分れますが、いずれにせよ結果が示され、それによって果報がもたらされるのです。結果は変えようがありませんが、果報は本人の心の持ち方で如何様にも変化が可能です。同じ結果であっても悲観し意気消沈して前進をあきらめるのか、悔しさをバネに発奮してさらにチャレンジするのか、当事者の心持ち如何(いかん)ということです。いずれにせよ、結果の如何を問わず、思索し行動したことは、何もしないで人情や世相の流れに身をまかせ、評論家然として御託を並べるより尊いことです。

我が国の春は若者には一つの試練のときですが、結果の如何ばかりにとらわれず、持てる力のすべてを発揮して自身の課題と向き合ってほしいと思います。心を発(おこ)し行動をなすならば、タイミングの差はあっても必ずや良き果報を得ることになるでしょう。

幸いなことに今年は御祈念申し上げたすべての方々に花開くたよりがもたらされ、私も心から喜んで仏祖三宝尊にご報告を申し上げました。しかし、ここも人生の一里塚、良き結果を得られた皆さんが、ご家族や周囲の方々への感謝を忘れることなく、いよいよ精進され活躍されることを祈っています。

相武山 山主

 

2015年03月09日

おさめ御講と歳末大掃除

13日(土)と14日(日)の両日、今年最後の宗祖御報恩講を執り行いました。毎月13日の宗祖御講は日蓮門下僧俗が菩提寺に参詣して御報恩申し上げる大切な法会で、当山でも月例の中心行事となっています。ことに年末の御講は「おさめ御講」とよばれ、文字通りその年の信行の納めとなります。

法要後の法話は 両日ともに「種々御振舞御書」を拝読。日蓮大聖人は佐渡に流罪となった翌年、塚原三昧堂(つかはらさんまいどう)において諸宗僧俗との問答を行いました。その模様についてこの御書では簡略に説明をされていますが、その前段に『釈迦如来の御ためには提婆達多(だいばだった)こそ第一の善知識(ぜんちしき)なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり。 ー略ー 日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争(いか)でか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』とのお言葉があります。

このお言葉からは宗祖の信念がよく伝わってまいります。『人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』とは、読んで字の如しで、人を成長させるのは味方よりも強敵の存在であるということ。自らの存在を認めてくれる方々に囲まれるなど、種々の環境に恵まれ、心地よく自分のやりたいことをスムースに行えることよりも、恵まれない環境で、敵のような人に憎悪をもって臨まれることの方が、人間的には大きく成長することができるということを教えています。
仏道のための逆境には厭うことなく対峙され、その逆境を仏法を求める信仰のエネルギーに変えられた宗祖。そこには人生の貴重さとはかなさを知り、真の生きがいを求めてやまぬ宗祖の強い覚悟がうかがえます。また、同時に仏道を歩む者はその教えを燈として深く信受し、自らの人生における課題には目をそらすことなく向き合う勇気を持たなければならないことを教えています。

だれもが辛く厳しい環境は好まぬものです。逆境など御免蒙りたいと思うのが人情というものでしょう。そして優しく恵まれた環境を好み、自らに順調な環境を求めがちであるばかりか、そうならなければ不遇をこぼし、恵まれた人々をうらやましく思い患うことさえあります。しかし、人生は思うにまかせぬものであり、いつ何が起こるかわかりません。自らの生きる力を養い育てて行く姿勢を失えば、ことにあたって対峙することができず、乗り越えて行くことは不可能でありましょう。自心を磨き、鍛え、養うことのためには、逆境や敵はすばらしい存在でさえあるのです。人間は逆境に向き合い、乗り越えて大きく強く成長することができます。
法話では、「限りある人生において仏縁に恵まれ、法華経と宗祖の教えを信仰する果報に浴した私たちは、この言葉の意味をしっかりとくみ取り、勇気をもって自らの人生に活かして行こう」と参詣の皆さまに申し上げました。また14日(日)のおさめ御講の後には、客殿で世話人の皆さん方を中心に昼食を頂きながら懇親の一時を愉しみました。私も豚汁を作ったり皆んなで一品持ち寄ったりの気軽な会食でしたが、一年を振り返っていろいろと語り合い一年のおさめといたしました。

27日(土)は午前10時より1時間半ほど歳末の大掃除を行いました。歳末の多忙な時期にもかかわらず、多数の方が大掃除にご参加頂き、本堂や受付、ロビーや客殿のすす払いや窓ふき。さらに三師塔や寂静庵、境内の清掃からトイレ掃除、公道の雨水枡の清掃までしっかりと行うことができました。お陰様で気持ちよく新年をお迎えすることができます。ご参加頂いた皆さまに厚く御礼を申し上げます。

今年もご縁を結んで頂いたすべての皆さまのご支援ご協力を得て、ささやかに法燈(ほうとう)をお護りできたことに深く感謝を申し上げます。

相武山 山主

2014年12月30日

思いやりのこころ

お会式が終わりほっとしていると上大岡の中澤さんから電話を頂きました。戸塚区の小林文江さんのお宅にお会式の桜の花と供物をお届けして来たとのこと。小林さんは当山の開創当時からのご信徒で、法華経と日蓮大聖人の教えを大切にしておられる方です。今年たしか94歳になるかと思います。お元気な頃はお経日や御講にもよく参詣しておられました。また御書をよく学ばれる方で、信仰そのものを愉しんでおられましたが、高齢の上に自宅からの外出も思うにまかせぬ体調となり、現在は参詣することはできない状態です。それでも不自由な中から、お正月やお彼岸お盆などには必ずご本尊様にご供養をお届けになり、ご主人やご先祖への供養も忘れることはありません。お手紙にはいつも「相武山だよりが何よりの愉しみです」とあり、たよりを発刊している私や興厳房のやる気を奮い立たせてもくれます。

小林さんはお会式に参詣はできませんでしが、折り鶴をたくさん作って上大岡の中澤さんにお届けになり、当山のお会式に供えてほしいとのことでした。するとその話を聞いた草ケ谷さんが折り鶴をデコレーションして、法会の受付に飾ってくれました。折り鶴を大切なお会式のお供えしたいという小林さんの想い、その気持ちを何とか活かして上げたいというお二人の思いやり、それらが一つのかたちとなってお会式の意義を深めて頂いたような気がしています。

中澤順子さんは息子さんの俊彦さんとご一緒に当山にご縁を結んで頂いておよそ31年となります。一般的に信仰への道に志を立てたとしても、その道は人生同様けっして平坦なものではなく起伏があるのが普通です。しかし、中澤さんは体調の思わしくない時以外に寺院行事を休まれたことのない求道心の篤いご信徒で、その志が揺らぐような様子をうかがうことは一度もありませんでした。いつも真摯に教えを求められ、日々に信仰を深めておらるれることには敬意を表するばかりです。
中澤さんは常にご自身の信行を磨かれるばかりか、講中同志の方々のことを気にかけておられる方です。もとより信仰は個人的な世界といって過言ではありませんが、同信の方と啓発し合い、励まし合うことによって、信仰世界が広がったり深まったりすることも事実です。法華講という信仰組織が宗祖御在世の時代から存在するといわれるのも、仏道と法華の道場を護るばかりではなく、講中という信仰組織が個々の信仰をまもり育てる意義があるからではないでしょうか。
他者との交わりを煩わしく感じる人も多い現代、何ごとも「大きなお世話」といって他者の存在を受け容れがたい時代でもありますが、それでも人は人間といわれるように、人と人との交わりの中から人生の多くを学んで行くのですから、ご縁を大切にしてゆきたいものです。

思いやりの心は仏道の慈悲の精神に通じるものです。世間でも「情けは人のためならず」と教えていますが、他者の悩みや苦しみを理解すること、悲しみや嘆きに同調すること、喜びや愉しみを共有することは、人間性を豊かにすることはまちがいありません。お会式をきっかけに一つの思いやりの心にふれて私のこころも温かくなりました。

ありがとうございました。

相武山 山主

 

2014年11月18日

初秋の花ばたけ

秋らしい風のなか、久しぶりに追分市民の森のお花ばたけを愉しんできました。花ばたけまでは当山から南西に歩いて5~6分ほどですが、当山の境内の北側がすでに市民の森です。また墓苑脇の階段を下りて行けば目の前の休耕田や田んぼも市民の森エリアとなっています。街中から見える方が異口同音に「此処が横浜ですか・・・、まるで里山ですよね・・・」と当山の環境を愛でられますが、都市では得がたい自然には感謝をしています。
花畑に向かって歩いていると田んぼの稲がすっかり黄金色、刈り入れを待つばかりでした。そういえばスーパーにはもう新米が並んでいます。田んぼのあぜ道には色鮮やかな彼岸花がもう咲いていました。お花ばたけに行くと先月まで花ばたけ一面に「夏・夏・夏・・・」と表現していたヒマワリは刈り取られていましたが、百日草はまだ咲き誇っていました。百日草はその名の通り長く私たちを楽しませてくれる花です。その花に黒揚羽が留まっているのを見つけ、運良くシャッターチャンスを得ました。

そしてコスモスが準備万端。そこかしこでチラホラと咲き始めていますが、あと1週間もすればコスモスがお花ばたけの主役です。秋らしい風情で散策にみえる人々を喜ばせることでしょう。秋のお彼岸も間近です。彼岸会にお参りされる方は、時間に余裕を持ってお花ばたけを楽しまれてはいかがでしょう。

さて、今年も宗祖日蓮大聖人のお会式(おえしき)を迎えます。当山では11月1日(土)午後6時からお逮夜法要、翌11月2日(日)午後2時からご正当法要を奉修いたします。お会式は弘安5年10月13日、日蓮大聖人のご入滅を拝して、日蓮門下すべての寺院で執り行われます。ことに法華経の行者である日蓮大聖人を末法の仏と拝する本宗では、御仏(みほとけ)大聖人さまが常にこの世におられて妙法を説かれ、私たち衆生を導いてくださることに報恩感謝申し上げる最も大切な法要です。お会式では参詣僧俗が昨年からの自らの信行を振り返り、本宗の教えを確認すると倶に信行精進を誓願いたします。大切な法要ですのでご家族法友誘い合わせてご参詣ください。

そのお会式では御宝前を桜の花で荘厳申し上げます。いつも有志の方々でお花を作っていますが、今年も13日(土)月例のご報恩御講の前後に作業を行いました。来る秋季彼岸法要(9/21&9/23)の後にもお花作りをいたしますので、参加できる方はご協力をお願いします。
相武山 山主

2014年09月16日