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相武山 妙法寺 ブログ

雨の御報恩講

5月13日は月例の日蓮大聖人御報恩講でした。横浜は新緑を際立たせるような雨模様でしたが、翌日の14日には日曜法話会と伊豆御難会を執り行うことにもなっていましたから参詣者はほとんどいないのではないかと思っていました。しかし、毎月宗祖の御講に参詣しておられる14名ほどの檀信徒の方々がいつも通りにお参りになりました。

毎月のお参りを欠かすことなく努められるだけでも尊い信仰心ですが、雨が降って足下の悪い道を一歩一歩あゆんで来られる姿はきっと日蓮大聖人様のご照覧にあずかることでしょう。昔から『雨に降られながらの参詣は晴天に恵まれた日の参詣よりも功徳が積まれる』などといわれていますが、そのまじめな求道心には敬意を表するばかりです。

月例のように献膳・読経・唱題をもって宗祖への報恩謝徳を申し上げた後、「顕仏未来記」を拝読しての法話を申し上げました。私たち日蓮門下は宗祖の遺された御遺文「御書」を宗祖からのご教示と拝して信行に励むことを基本としています。したがって門下の寺院道場においては御書を拝読、宗祖の御心を伝えるべく法話をするのですが、法話では宗祖の教えをできるだけ正しく、また、わかりやすく、そして、聴聞される方々の日々の生活に少しでも活かされることを願ってお話をさせて頂いています。

当山ではこの春から「顕仏未来記」を親しく学んでいます。御書の御真筆は遺っていませんがたしかな御書であり、宗祖の覚悟とその教えがよく顕されています。3月にその概要を解説し、少し長い御書ですので数回に分けてお話することにしました。4月には第1回として冒頭部分のお話をし、5月は第2回目でした。

はじめに本文の 『疑って云く、正像の二時を末法に相対するに、時と機と共に正像は殊に勝るるなり。何ぞ其の時機を捨てて偏に当時を指すや。ーー 略 ーー末法に於ては大小の益共に之れ無し。 小乗には教のみ有りて行証無し。大乗には教行のみ有りて冥顕の証之れ無し。其の上正像の時の所立の権小の二宗、漸々末法に入りて執心弥強盛にして小を以て大を打ち、権を以て実を破り、国土に大体謗法の者充満するなり。仏教に依りて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少なし』を拝読。

この御文が『正法・像法の時代と末法の時代を比べてみると、時といい、人びとの能力といい、ともに正法・像法の時代の方が勝れている。どうして勝れている方を捨てて、法華経流布の時として劣っている末法が指定されたのであろうか』という問いを起こし『仏のお心は不可思議で、推しはかることが難しい。ー 略 ー 末法に入ると、権大乗も小乗も共に衆生に利益を与える力はない。小乗は教のみあって行も証もなく、権大乗は教えと修行はあっても、眼に見えるかたちでも見えないかたちでも証得する者はいない。しかも、正法および像法の時代に小乗と権大乗の教えによって建てられた諸宗が、末法に入っていよいよ自宗に執着する心を強め、小乗によって大乗を打倒し、権教によって実教を破折しようとするので、国中には謗法の者が満ちあふれてくる。そのため、仏教が原因で謗法の罪を犯し、悪道に堕ちる者が大地の微塵の数よりも多く、法華経を修行して仏道を得る者は、爪の上に乗る土ほども少ないというありさまである』旨を解説。
続いて『此の時に当たりて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有りて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時なり。爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨てて実大乗の法華経に帰せば、諸天善神並びに地涌千界等の菩薩、法華の行者を守護せん。 此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩「我深敬」等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と、其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり』を拝読。
この御文が『その時、正法を守護すべき諸天善神がその国を見捨ててしまい、残るのは邪悪な心をもった諸天や鬼神のみとなり、彼らが国王や臣下や僧尼などの身に入り心に取りついて、法華経の行者を悪口してはずかしめる時代となる。けれども、釈尊の滅後に法華経以前の方便の教えに対する間違った執着の心を捨てて、真実の大乗教である法華経に帰依すれば、必ずや諸天善神や地涌千界等の菩薩が、この法華経の行者を守護するだろう。すると、この法華経の行者はその守護の力に背中を押されて、法華経本門の本尊と肝要の妙法蓮華経の五字をこの世界に広く宣べて流布させるに違いない。

そのすがたは、過去の威音王仏の滅後像法の時に出現した不軽菩薩が、「私は深くあなた方を尊敬する。けっして軽蔑はしない。その理由は何か。あなた方はみな菩薩の道を行じて、仏に成るだろうから」という漢字二十四字と唱えてそれを広く流布させ、その結果として国中の人びとから杖木で打たれたり、瓦石を投げられるという迫害をこうむったのと同じである。不軽菩薩の二十四字の文と日蓮が弘通する妙法蓮華経の五字とは、言葉は違っていても、その意は同じである。不軽菩薩は像法の末、日蓮は末法の始めにそれぞれ生を受けたが、その世相は一致している。不軽菩薩は滅後五品の中の初随喜品の位、日蓮は六即の中の名字即の凡夫であり、階位も同等である』旨を解説。

拝読御書の全体を通して、宗祖の教えが末法という時代を基盤としていること、そして救済される衆生の実相と、救済の教えである南無妙法蓮華経、さらに救済者となるのは法華経の行者であることをお伝えしました。

宗祖の遺された御書は鎌倉時代の文体であり、難解な仏教用語が頻出することもあって、難しいことはいうまでもありませんが、仏教の根本思想であり末法の衆生救済の教えですから、これからもより多くの方々と倶に学んで行きたいと願っています。

相武山 山主

 

2017年06月03日