相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

秋のお彼岸

当山周辺の今年の彼岸花は例年より開花が早く、9月中旬には華麗な姿をみせはじめ、境内の彼岸花も参詣者を温かく迎えていました。今年の彼岸の入りは20日、その前後から墓苑や久遠廟には三々五々ご家族でお参りされる方の姿が一週間ほど続きました。

9月23日と24日の両日には午後1時より秋季彼岸法要を執り行いました。檀信徒多数の参列を得て、ともどもに献膳、読経、焼香、唱題と如法に勤め、先師先達への御報恩と追善供養を申し上げた次第です。

法要後には「持妙法華問答抄」を拝読して住職の法話。『人間としての貴重ないのちを賜ったことに気づくこと。仏縁を大切にして信仰を深めてゆくこと。仏道の中でも法華経をもって成仏をめざすこと。人生刹那の快楽や名聞名利に心を奪われることなく、仏道修行の中に真の楽しみと喜びを見出すこと』などをお伝えしました。法要後墓参に向かう参詣者は建立ご回向されたお塔婆をもってそれぞれ帰路につかれました。

また、両日の法要後には客殿で宗祖お会式の御宝前を荘厳申し上げるサクラの花作りをしました。参詣後に時間の都合がつく方々にご協力を頂き、お陰様で花はすべて調いました。葉っぱも高橋さんが造って調っていますので後は竹ひごに結わえるだけとなります。仕上げの作業は10月の1日のお経日後、13日の宗祖御講後、15日の日曜法話後に行います。皆んなで報恩感謝の気持ちもってお会式を迎えましょう。

相武山 山主

2017年09月29日

心のオアシスをめざして

お彼岸前の16日、東京からTさん夫妻がお参りに見えました。当山の永代供養墓「久遠廟」にやすまれているお姉様の祥月命日忌のお参りです。事前に塔婆の供養を申し込まれていました。幼い頃から信心深い家庭に育ったTさんは、奥さんと一緒に本堂で姿勢を調えて静かに法華経を読み上げられ、お題目もゆっくりとした調子で唱えていました。ご夫妻の読経・唱題のバランスはとてもよく、御本尊様のご照覧にあずかっているのがわかるようでした。

私は近年、檀信徒の方々にできるだけ丁寧に、心にゆとりをもって読経・唱題することを勧めています。私たち法華経の信仰者にとって読経・唱題は仏道修行の基本ですが、勤行は本来義務でもなければ数を求めるものでもなく、日蓮大聖人の教えを信じ尊ぶ信行であり、その修行を通じて内観(自身の心を観る)することになるのですから、静かに落ち着いて読誦・唱題することが理にかなっていると思うのです。

ご夫妻は遠方ということもあって月例の法要や行事には参詣が難しいようですが、時間の都合がついたときにはお参りされます。そのようなご信徒は結構居られて、皆さん自分のペースで無理なく参詣されています。毎月お参りされる方、お彼岸やお盆の前にお参りされる方、個人的な相談や御祈念があってお参りされる方とまさに各人各様です。

翌17日には和光市の重吉大樹さんが奥さんの真美さん、娘の樹菜ちゃん樹莉ちゃんとご家族で参詣されました。重吉さんご家族も月例行事や法要には思うようにお参りできないようですが、ほとんど毎月ご家族でお参りされ御本尊様に祈りをささげられていて尊いことと思います。

8月の末にはイギリスからサンリーさんの子息リチャード君が奥様と授かった娘さんと一緒にお参りされました。私が始めてリック(リチャード)にあったのは20年ほど前ですから、日本的には中高生の頃になります。とても性格が素直で爽やかな青年で、お母様の勧めるままに羽沢の妙法院では読経・唱題を修めていました。その後、イギリスの大学に進学してからは日本に里帰りすることも少ないのですが、帰国された時には必ず当山にお参りされており有り難いことと思っています。

すっかりたくましくなりお父さんになったリチャード君から美しくて品格のある優しい奥さんをご紹介頂き、可愛いという言葉しか思いつかない赤子を拝見して、私もうれしくなって生きる力を頂戴したような気がしました。サンリー家の皆さまに御本尊さまの深いご加護があることを願ってお題目をお唱えしました。これからも機会があれば是非お参りください。

当山(相武山妙法院)への参詣は誰でもいつでも自由です。当山を菩提寺と定めて頂いた檀信徒の皆さんはもちろんのこと、法話会や仏事などで御縁を結ばれた方々も大歓迎です。
法華の道場に老若男女の明るい声が響くのは仏法の繁盛に通じてすばらしいことです。どのようなかたちでも結構ですから、お寺や仏教や信仰に親しみ愉しんで頂くことを願っています。当山は法華経と日蓮大聖人の教えに御縁を結ばれる人々の心のオアシスになることをめざしてこれからもなお一層精進してまいります。

相武山 山主

2017年09月28日

龍ノ口法難会を奉修

9月10日(日)午後1時、日曜法話会から引き続いてご参詣の方々と倶に龍ノ口法難会を奉修しました。常の法難会では御宝前におはぎをお供えするのですが、今年は都合により団子にさせて頂きました。参詣の檀信徒の皆さんとご一緒に読経・唱題を勤め、宗祖の龍口法難にご報恩謝徳申し上げました。

この法難は宗祖の御生涯において宗教上最も意義深いものです。法難を乗り越えられた宗祖はその後佐渡に流罪となりましたが、佐渡において開目抄・観心本尊抄の重要法門書を著され、末法衆生救済の妙法曼荼羅本尊をご図顕されて、ご自身の宗教的意義と衆生教化の道筋を明らかにされたのです。後に「佐渡以前の法門は仏の彌前経と思し召せ」と述べられるゆえんです。

法要後の法話は「下山御消息」を拝読。
はじめに下山御消息の解説をした後、竜口法難に至る宗祖の法華経弘通の道程を説明。宗祖があらゆる仏道・仏教の中から法華経を選び取られ、法華経の真義を身読されたこと、その崇高な覚悟と末法の下根下機を救う慈悲心について詳述しました。

その上で『私たちは多くの宗教さまざまな信仰がある中で、日蓮大聖人の教えを日興上人の心をもって信仰することが出来ました。そこには出会いと選択がありました。仏道の根本は南無妙法蓮華経のお題目と堅く信じ、その信仰を深めながら、生きることのまことの悦びを得るために、お互いに仏道に精進してまいりましょう』と法話を結びました。
法要終了後、御宝前に供えられた団子とお茶を皆さんと一緒に頂きました。

相武山 山主

2017年09月27日

9月の日曜法話会

9月の日曜法話会は10日でした。今月の参加聴聞の方々は壇信徒の方々と一般の方々がほぼ同数で、初めての方も3名居られました。少しずつ仏縁を結ぶ法話会が広がっている気がしています。

今月の「世相」のテーマは『自己啓発について』でした。
一般的に自己啓発は『本人の意思で自分自身の能力向上や精神的な成長を目指すこと』とされています。誰もが自分自身の能力向上や成長を望み、また、悩みや迷いや苦しみがあれば何とか解決しようと自己の啓発に思いが至るのは当然といえるでしょう。この姿勢は古今東西変わることはありませんから、そのための広汎で雑多な書籍がいつも書店などに積まれています。ほとんどの人が人生の中で手に取ったことがあると思います。

初めに「自己啓発の実態」として、自己啓発は昔から行われていたことであり、より良い人生のため、より自分の能力を開発したい、より良い業績を上げたいという個人の思い。また、各企業や各組織などでも活用されていることを解説。

その媒体としては『各種のぼうだいな書籍。インターネットによる広告と勧誘、宗教団体などによる啓蒙。セミナーや教室や合宿など』が、自己啓発をビジネスとする個人や会社などによって提供されている事実を説明。

学ぶべきこととしては、『自己啓発は「より良い人生を求めて自己を高める」という意味において必要な姿勢。自己啓発の情報は玉石混淆、よく検討し信用できるものを取り入れること。ビジネスの対象とされたり、カルト教団(宗教や信仰と無関係を装っている場合が多い)の「洗脳」に陥らぬよう注意すること。何ごとにもプラスとマイナスがあるので、自己啓発のことばに踊らされずに、その内容と目的を見据えて人生に活かすこと』をお話しました。その上で『仏道の修行は究極の自己啓発』であることをお伝えしました。

「世相」の話でかなり時間をとりましたが、今月は本テーマである「日本の仏教」を学ぶ時間は残っていました。改めて釈尊によって創始された仏教が、その普遍性と寛容性によって世界各地域に受容・展開されたこと。我が国の仏教は『日本の仏教』という視点で考えなければならないことを述べ、「仏教へのいざない ー青少年のための仏教入門ー 」を参考にしながら「奈良時代の鎮護国家のための仏教」について皆さんとご一緒に学びました。

10月は15日(日)午前11時から法話会を開催します。来月もご家族友人誘い合わせてのご参加ください。なお、11月12日開催予定の第11回日曜法話会は法務のためにお休みにさせて頂きます。

相武山 山主

2017年09月26日

穏やかな旅立ち

月初めの4日深夜、多摩区の芦川さんから義母(石井光子)様逝去の報せを頂きました。芦川さんの奥さんのお母様です。数え年92歳の御生涯でした。当日まででお元気に生活をされていたようですが突然に具合が悪くなり亡くなられたというお話でした。

芦川さんご夫妻より家族だけの葬儀を当山で執り行いたいという申し出がありましたので、当山での葬儀の次第を説明した上で準備を調え、9月8日の通夜式、9日の葬儀告別式を客殿で営みました。

光子さんのことは詳しく存じ上げませんが、戦前戦後の大変な時代を乗り越え、その後、結婚されて二人の娘さんを授かりましたが、事情があって一人で娘さんを育て上げられました。人生は誰もが山あり谷ありですから、光子さんもご苦労が多かったと芦川さんからうかがいましたが、二人の娘さんにはそれぞれに子供を授かり、お孫さんとひ孫まで見ることができましたし、晩年は芦川さん夫妻に見守られ、姉妹三人で仲良く生活を楽しんで居られました。

長く川崎区で芦川さんたちと一緒に生活されていましたが、4年ほど前に多摩区に転居されました。光子さんが健康を損なわれたお話をうかがったことはありませんから、100歳の大台も迎えられるのではと思っていましたが突然の旅立ちとなってしまいました。

当山の客殿に安置された棺の中のお顔はとても穏やかで、自身に与えられた人生を精一杯歩みきったさわやかなお相(すがた)と拝見しました。通夜式・葬儀告別式では故人のために設えられたささやかな祭壇に、法華本門の本尊を御奉掲申し上げ、光子さんの成仏を願って法華経を読誦、法華本門のお題目をお唱え申し上げ引導御回向を申し上げました。

光子さんを思うご家族の方々の優しい心とご信心によって、無事厳かに初七日忌法要まで葬儀一切を執り行うことができました。人生の最後を締めくくる葬儀などの仏事を粗末に考える世相も見受けられる時代ですから、日蓮大聖人の教えのままに法華経とお題目の功徳をもって祈念を申し上げ、霊山にお送りできたことを有り難く思います。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

相武山 山主

 

2017年09月25日

佐渡宗祖御聖跡研修

今月の6日は新潟市で運営会議が開かれ、その後、(宗)正信会学林研修会で佐渡御聖跡研修に参加しました。そぼ降る雨の中、6日夕方に新潟港から佐渡の両津港にわたりました。日蓮大聖人ゆかりの佐渡ケ嶋にはその御聖跡にふれたくて30年ほど前から10数回にわたって訪れていますが、ここ10年ほどはご無沙汰でしたから、今回の研修をとても楽しみにしていました。

7日は朝からあいにくの雨でしたが、佐渡在島の大黒喜道師の案内のもと、はじめに宗祖佐渡上陸の地と伝える松ヶ崎の本行寺を訪ねました。ご住職からは現在、宗祖が松ヶ崎から国仲平野に入られた古道を整備中というお話をうかがいました。宗祖を尊崇する門下はそれぞれに宗祖の顕彰に努めていますが、地道で有り難いことだと思いました。次に塚原三昧堂跡と伝える根本寺を見学。さらに塚原跡のいわれをたずねて妙満寺と日蓮正宗宗門が建立した塚原碑を見学しました。真野御陵を訪ねた後に昼食を摂り、そして激しい雨の中、阿仏坊妙宣寺を研修しました。

その後、国府入道夫妻の遺徳を伝える日興門流の世尊寺を研修。本堂をお借りして「佐渡・世尊寺・佐渡国法華講衆」と題する大黒喜道師の講義を受講。大黒師ははじめに奈良の時代から佐渡が流罪の地であったことや、中世から徳川時代までの嶋のエピソードを紹介。

次に世尊寺のいわれと日興上人の佐渡教化について解説されました。次に日興上人の述作と伝える佐渡国法華講衆御返事を詳述され、日蓮大聖人の師弟観には「互い師弟たらんか」という横の師弟観と六老僧選定にみられる縦の師弟観があり、日蓮門下上代には門流形成という事情もあり、縦の師弟観が強調されたと解説されました。また、同御返事から日蓮門下殊に日興門流と修験道についても言及。佐渡においても修験者であった日蓮の門弟の活躍が見られることを述べられるなど、興味深い講義を頂戴しました。

8日は昨日までの雨も上がり、宗祖が塚原から移られた一の谷の地を訪ね、ゆかりの地に立つ妙照寺を見学。境内の周囲は宗祖御在世の頃と変わらぬ風光であり、稲穂が揺れる田畑を感慨深く拝見しました。その後、近くの実相寺を見学して、世尊寺の末寺、泉の本光寺へ。本光寺では大幅の日興上人の真筆曼荼羅御本尊二幅を拝観させて頂き、ご住職のお話をうかがいました。

この本光寺で佐渡の研修は終了。泉のバス停でご案内頂いた大黒喜道師とお別れして我々は両津港へ。帰路はフェリーではなく佐渡汽船自慢のジェットフォイルで新潟港へ戻りました。
十数年ぶりに佐渡を訪ね、日蓮大聖人と日興上人、門下僧俗の信仰の息吹にふれることができ、とても幸せな二泊三日の研修会でした。

相武山 山主

 

2017年09月19日

長岡市・興信寺に参詣

今月5日、佐渡研修に向かう折りに10年ぶりに長岡市の法遊寺様に参詣しました。長岡法遊寺住職高橋信行師は覚醒運動の興起から運動に参画。長岡市ばかりでなく積極的に新潟県内を走られて、富士日興門流の法義と信仰をうったえてきた方です。私は高校生の頃に御縁を頂いて今にご厚誼を頂いています。

 
高橋信行師は法燈相続と正信の継承のため、新たな菩提寺「興信寺」を建立、宗教法人を設立して現在本堂を建設中です。長男の信光君を弟子としたのはもう30ほど前のことになります。思い起こせば当山の青年部有志を佐渡に案内する途中、法遊寺様に参詣した折り、本堂の壁には「得度 信修」という張り紙があったのを記憶しています。

 
あれからかなりの歳月が流れました。法遊寺さんは声が大きく、少しがさつで乱暴に見られることもありますが、私にとっては心優しい信仰心を大切にする先輩です。これまでも大変お世話になっています。弟子の信修師が結婚されその披露宴に長岡に伺ったのが最後ですから、長岡に寄らせて頂くのはもう10年ぶりになるのではないでしょうか。
法遊寺様は数年前に法燈相続と覚醒運動のために興信寺を建立すると語り、用地の取得と仮本堂の建設までは指揮をとっていましたが、その後、興信寺の一切を弟子の信修師に任せました。宗教法人設立後は信修師が先頭に立って新寺建設に邁進しています。建設経費のめどを立てて建設に入ったのは今年の初夏。地盤が軟弱であったためその地盤の改良などで上棟式は8月の下旬となりました。

 
建設施工は当山と同様、千葉県匝瑳市の斎藤建設です。庫裡はすでに建設済みで、本堂と客間など寺院機能を備えた建物は約70坪という堂々としたものでした。寺院の建設は仏法の護持と弘通に篤い志しがあったとしても厳しく険しいものです。開基住職となる高橋信行師、初代住職となる信修師、そして檀信徒の皆様も日蓮大聖人への熱い信仰に導かれての仏道精進です。如何なる障魔が惹起しようとも志を貫徹して大願を成就して頂きたいと願って興信寺を後にしました。

相武山 山主

2017年09月18日

たましいの交流の時

日本の仏教は葬式仏教などと揶揄されることもありますが、その教えと信仰の上から死者を弔う葬儀と追善のための法事を大切にしていることは事実です。釈尊仏教の原型に死者や祖先への追善供養という概念があったかどうかは不明ですが、日本仏教では古へからの祖先崇拝を受容し、中国の孝養の道の影響もあり、知恩(恩を知る)・報恩(恩に報いる)は仏道における重要な教えとされてきました。葬儀や法事ばかりでなく春秋の彼岸や盂蘭盆会が執り行われているゆえんです。

 

葬儀や法事を営むということは、仏道の功徳を積みその功徳を縁(ゆかり)の故人やご先祖に回向(回り向かう)するということを意味しています。当山の檀信徒はそう多くはありませんが、仏道への信仰心が篤い方が多く、皆さん葬儀や法事を大切に考えておられます。葬儀や法事などは強制できるものではありませんが、葬儀はほとんどの方が当山の法式に則って丁寧に執り行われますし、法事も年忌ともなれば8割ほどの方が何らかのかたちで営まれています。したがって当山では人数の多少にかかわらず毎月2件~3件の法事を執り行っています。
世相を見れば葬儀や法事も虚礼廃止とばかりに粗末にされる方も多く、生きている者の生活ファースト(優先)として死者への追善供養に思いが至らない方も多いようですから、当山の檀信徒の方々は家族を思い信仰を大切にされていることがよくわかります。ことに法事は1周忌から33回忌、ときに50回忌まで営まれますが、年忌にあたらなくても年に一度の祥月命日忌に塔婆を建立して御回向をされる方も少なくありません。
法事は仏道の功徳を積みながら、現実世界に生きる生者がゆかりの深い死者を心から追慕し、死者が冥界から生者を見守っていることを感じる「たましいの交流の時」ということがいえます。そこには仏道を信仰する者の豊かな生死観と優しい人間性を見ることができると思います。法事の導師を務めさせて頂く私には、それぞれのご家族の実相を知るちからは到底ありませんが、故人とご家族の御縁と絆に思いをいたし、心を込めて御本尊に読経・唱題、御祈念をいたし懇ろにご回向を申し上げています。

生者と死者のたましいの交流を信じながら。
【清志さん13回忌法要】

先月の下旬、東久留米市の阿南家においてご子息阿南清志様の第13回忌法要が営まれました。阿南清志さんは当山開創時からの信徒である樺山敦子さんのご主人。平成17年11月12日、心臓疾患のため川崎市幸区の自宅で急逝されました。まだ数え年40歳の若さでした。

二人は共通の趣味である鉄道同好会をきっかけに大学時代から交際されていたようです。結婚がきまって敦子さんから清志さんをご紹介頂きましたが、年齢以上に落ち着きのある方で、折り目正しく清潔で知的な好青年という第一印象でした。さすがに敦子さんが人生をかけるにふさわしい方だと感心したことを思い出します。お二人が結婚されたのは平成5年のことでしたからもう24年も前のことになります。まだ当山が新横浜の岸根町の時代でした。

清志さんは逝去される9日前の当山(神奈川区羽沢町)のお会式に敦子さんと一緒に参詣されていましたから、12日深夜の訃報には私も本当に驚きました。日付の変わる頃、病院にうかがって安らかなお顔を拝見して事の次第を無理矢理飲み込むばかりでした。その後、敦子さんはもちろんのこと、ご両親様や二人の妹さん、さらに親族の方々の深い悲しみのなか、清志さんの葬儀を川崎市南部斎場で執り行ったのがつい昨日のように思い起こされます。

清志さんのお父様は仕事でも優秀であったようですが、世相についても見識が高く、またユーモアのセンスもある方です。お母様は物静かで優しさがにじみ出て来るようなお人柄。清志さんはお二人の人柄を受け継がれていました。何ごとにもまじめで優しい心遣いのできる方でしたから、ご家族はもとより彼を知る人々はその前途を楽しみにしていたことでしょう。私もそのうちの一人です。

悲しいかな諸行は無常、会者定離(えしゃじょうり)は世の習いといわれるように清志さんは人生を駆け抜けて行かれました。突然に最愛の人を失った敦子さんとご家族の悲しみは実に深く、皆さんに元気な笑顔が戻るのには数年の時間が必要でした。それでも6年前の7回忌の頃からは少しずつ立ち直られたように思えましたが、この度の13回忌の法要では『悲しみが癒えることはありませんが、故人への思いを常に忘れることなく、ゆかり深い一人ひとりが元気に意義ある人生を歩むことこそ清志さんへのまことの供養』と理解されたのではないでしょうか。法事の後の御斎(おとき・会食)では皆さん清志さんを偲んで親しくお話をすることができとても良い法事となりました。清志さんもきっと安心されていることと拝察します。

 

【金子さん第1周忌法要】

今月の3日、緑区北八朔にお住まいだった金子孝一さんの第一周忌法要が当山で営まれました。金子さんが当山の信徒となられてもう二十年以上の歳月が流れました。七五三のお祝いにお参りされた二人の孫娘さんも結婚され、お一人はお母さんになられましたから、時の流れは本当に早いなと思います。

金子さんは昨年9月13日、数え年86歳で逝去されました。金子さんは匠と呼びたくなるようなとても腕の良い建具職人さんでしたが、腕が良いのは建具ばかりでなく、庭づくりや野菜作りなど、多方面に器用な方でした。お寺への参詣はそう多い方ではありませんでしたが、毎年夏のお経参りにはご家族の皆さんがそろって読経・唱題されていました。その後、金子さんご夫妻と子息の孝司さん夫妻と親しくお話をさせて頂くのが常でした。

金子さんは物知りな方であると倶に職人さんらしく仕事へのこだわりのある方でした。また、奥さんや家族をとても大切にされる方で、温かい愛情が伝わってくるような人柄でした。いつも奥様とご一緒でご近所でも仲睦まじい夫婦と呼ばれていたようですが、孝司さん夫妻と二人のお孫さんの三世代での生活も仲の良い生活でした。
昨年の葬儀のときにも挨拶に立たれた孝司さんが、我が家の力は「家族愛」と述べておられととおりです。ですから長寿を頂いた孝一さんが亡くなられた時には、年齢には納得していたものの愛情故に別れの悲しみは深いものがありました。

昨年は葬儀を横浜市北部斎場で執り行い、四十九日忌の法要と納骨は霊園で営みました。今年は8月に新盆の供養を行って間もなくの一周忌でしたが、思いのある家族・親族の皆さんが当山に集い本堂で法要を営み、その後、客殿で御斎を頂き故人を偲びました。

それぞれにゆかり深い故人を偲ぶ法事のかたちはあろうかと思いますが、生者と死者のたましいの交流の時を大切にしたいものです。

相武山 山主

2017年09月18日