相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

佐々木秀明師ご逝去

2ヶ月ほど前から入院加療と聞いていた小田原弘道院主管(住職)佐々木秀明師が26日逝去されました。数え年77歳。師は昭和16年2月に大阪に出生、昭和24年、8歳にして大石寺理境坊落合慈仁師の弟子として出家得度し、後に大石寺64世水谷日昇上人の弟子となりました。大分県別府の寿福寺住職を経て、小田原教会弘道院の主管に就任されたのは昭和55年5月のことでした。

昭和52年春、日蓮正宗の信徒団体であった創価学会による謗法問題が惹起し、富士日興門流の法義と信仰に危機感を覚えた僧侶は、「宗風の刷新と祖道の恢復」を訴え正信覚醒運動を展開。佐々木師は覚醒運動の先駆者の一人として全国を奔走されました。約20年ほど前に正信会の副議長をお辞やめになってからは、表だった活動はされていませんでしたし、小田原における法燈相続のための布教所も用意されてはいませんので、今後の講中の方々の信行を少なからず案じています。

29日の御通夜、30日の葬儀には、全国から45名ほどの正信会僧侶が参列、猛暑の中、遺族親族檀信徒の方々と皆んなで佐々木師の霊山への旅立ちを祈り、今世でのお別れをしました。
運動全体にも貢献された佐々木師ですが、私は個人的にも大変お世話になりましたので、式中にいろいろな光景が思い出されました。佐々木師には特に二つのことがらで深く感謝していることがあります。

一つは、近年日興門流では僧侶による布教所の開設などありませんでしたから、妙法院の前身である正信寮の開設についても会内では賛否両論がありました。もちろん個々の道念を尊重するのが正信会であり、当時の状況で阿部宗門寺院に在勤する若手教師の対応は喫緊の課題でもありました。若手僧侶による布教所開設が最終的には認められて現在に至っているのですが、佐々木師に横浜での布教所開設をうったえると、気持ちよく応援してくださいました。今に有り難く感謝しています。

また、当山の青年信徒であった坂上昭人君が昭和63年に出家得度したいと申し出た時も、佐々木師に相談にうかがいましたが、私の意志を確認された上で当時の委員会に報告、審議了承頂くことができました。当時は覚醒運動の荒波が逆巻く情況でもありましたから、僧侶の関係者しか出家得度をしていませんでした。初めての信徒からの出家得度の申し出に、会内では『どう対応したら良いだろうか』という戸惑いがあったようですし、私もまだ35歳という若さでしたから心配の声もあったようです。このときの激励にも有り難く感謝しています。

その他にもいろいろとお世話になりました。心からの感謝を申し上げ読経唱題させて頂きました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

相武山 山主

 

2017年08月31日

与志子さん どうぞ安らかに

去る24日、中区滝之上の吉田与志子さんが数え年97歳を一期に逝去されました。息子さんの新一さんから連絡を受け葬儀の準備となりましたが、かねて入院されていた病院からの説明もあって、ご家族も最後を覚悟しておられたようでした。

新横浜の斎場を式場に27日の御通夜、28日の葬儀・告別式、初七日忌法要まで、当山の法式に則って厳かに執り行い、与志子さんを深く信じられていた法華経の世界にお送りしました。

先月のブログで義妹のみほ子さんが霊山に旅立ったことをおしらせしましたが、みほ子さんをお送りして2ヶ月。当山開創時からの信仰の同志がまた一人、日蓮大聖人さまのもとに向かわれました。

最後にお会いしたのは昨年9月のお経参りの時でした。耳が遠くなっておられましたが、一緒に勤行唱題をつとめ、2年ぶりでしたのでゆっくりと昔話を交わしました。与志子さんは記憶力の良い方で、保土ケ谷の開創当時から岸根の時代の頃を懐かしく語っておられました。また、来年もお会いしましょうといってお別れしたのが最後となりました。

私の与志子さんのイメージは、かつて人生のご苦労や日蓮大聖人へのまじめな信仰についてお話を伺っていたこともあり、聡明な上に非常に腹の据わった方というものです。頭の回転も速く弁も立つ方でした。教えを求める気持ちも強く、御書をよく拝読されて、私にもよく質問されていたのを覚えています。

岸根や羽沢でのバザーでは、お好み焼きや焼きそばをよく焼いてくださいました。苦労を表に出されず、皆さんに明るく声をかけておられた姿がまぶたに浮かびます。開創当時の仲間をまたお一人霊山にお送りし寂しく思いますが、送る私も必ず旅立つのですからしばしの別れに過ぎません。

与志子さんまたお会いしましょう。

相武山 山主

2017年08月29日

作務にご協力ありがとうございました

一昨日の27日(日)、午前10時から境内の草取り清掃作務を行いました。湿気と多少の気温の高さはあったものの、曇り空で草取りにはほどよい天気でした。一部参道の草取りもありましたが、大半は駐車場の草取りと駐車場の垣根となっているレッドロビンの剪定でした。

参加頂いたのは、新倉さんご兄弟、小原さん、落合さん夫妻、芦川さん夫妻、熊木さん、鈴木さん、阿部さん、中澤さん、森さん、辻本さん、山村さんの17名の方々でした。本当にありがとうございました。

作業の前と終了後を画像でご紹介すると、その内容がわかりやすいのですが、このところサボっていたこともあって、駐車場は結構荒れていました。レッドロビンも伸び放題で近隣宅にも迷惑をかけていたのではないかと思っています。2時間近い作業で見違えるようになり、駐車場も気持ちよく使っていただけるものになりました。

参加された皆さんはそれぞれに忙しい中、時間をつくって菩提寺妙法院のために汗を流してくださいました。ご信心がなければできないことですのでその志に御礼を申し上げます。
作業の後は、皆さんと一緒に暑気払いのバーベキューランチ。興厳房が前日からいろいろと準備をしていたので、スムースにバーベキューができ、皆んなで懇親のランチタイムを楽しみました。バーベキューを頂きあれこれと勝手な会話を交わしているうちに、午後1時半となり、各自片付けをしながら流れ解散となりました。

皆さんありがとうございました。

相武山 山主

2017年08月29日

戦没者法要と旧お盆

今年の8月の横浜は陽の光を感じることが本当にわずかでした。月初めからほとんど陽射しのない日が続き、月遅れのお盆の期間も雨模様でした。当山では檀信徒からの希望もあり7月と8月の二度盂蘭盆会を行っていますが、8月は開山以来「戦没者追善法要」と併せての執行です。

13日の前後から16日の開けまで、時には雨にもかかわらず、墓所や永代供養墓には三々五々家族でお参りされる方が続きました。思いを込めてお参りされる姿を見ていますと、『家族って良いな~、お盆は良いな~』という思いが涌き起こります。

13日は日曜法話会の後でもあり、本堂は多くの檀信徒でいっぱいでした。参詣の皆さまは日蓮大聖人の「知恩・報恩」の教えに導かれ、各自の有縁精霊やご先祖への追善供養のために、真心込めて法華経を読誦、南妙法蓮華経のお題目をお唱えして供養のまことを捧げられました。

法要後の法話は7月の盂蘭盆会と同様に「盂蘭盆御書」を拝読。目連尊者が餓鬼の世界に堕ちた母親青提女を救う盂蘭盆のいわれをお伝えしました。その上で、『我欲に執着することの愚かさに気づくのが仏道であり、日々の生活において、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に陥らぬよう、お互いに妙法信受の南妙法蓮華経のお題目を唱えてまいりましょう』と述べて法話としました。

15日はあいにくの雨模様のなか、午後1時から「戦没者追善法要並びに盂蘭盆会」を執り行いました。献膳、読経、唱題と如法に執り行い、読経中には各自の塔婆が建立された精霊壇に進み、有縁精霊やご先祖にお焼香を捧げ供養を申し上げました。

法要後の法話では御書を拝読。数百万という戦没者への供養の思いをこめて、太平洋戦争の悲惨さを解説し、平和の大切さを忘れてはいけないとお話しました。また、基本的人権をはじめ民主主義と主権在民を認める現在の日本は、戦争犠牲者の上に成り立っていることを自覚して、人権や民主主義が空気のように当たり前に思わずに、その素晴らしさを再認識することが必要であることをお伝えしました。結びには盂蘭盆法要に参詣された功徳を申し上げて法話といたしました。

8月15日の戦没者追善法要は大切な法要だと信じて当山開創以来続けてまいりましたが、私はやはりこの日は日本にとって特別な一日ではないかと思います。現在の日本はこの日から始まっていることを忘れてはいけないし、この一日に、我が国と私たちは「何を捨てて何を得たのか」をしっかりと考えなければならないと思うのです。

思いを新たにした一日でした。

相武山 山主

 

2017年08月28日

8月の法話会

【テーマは日本の仏教】 

8月の日曜法話会のテーマは前月に引き続き「日本の仏教」でした。仏教はおよそ2500年前、釈尊によって開かれた創唱宗教です。シャカ族の覚者である釈尊の教えは、開教以来インドはもちろんアジア全域に広がり現代に至っています。しかし、仏教は創造神を認めず、妙法という真理を一人ひとりが獲得して、覚者となることを求める宗教ですから、元来の寛容性もあって、広くその教えが伝播してゆくうちに多様性を帯びるようになりました。

原始仏教もしくは根本仏教というインドの仏教と、スリランカや東南アジア、中央アジアやシルクロード、チベットや中国、そして韓半島から日本、各国各地域に受容された仏教には異なりがあります。それぞれ、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静という三法印、苦・集・滅・道の四聖諦、十二因縁や六波羅密、そして八正道など基本的な思想は説かれるものの、各国各地域の受容と発展によって特色が有り一様ではないのです。 それは仏教が創造神への絶対帰依を求めるような宗教ではなく、妙法という普遍的真理を求める宗教であることによるのでしょう。またその持つ寛容性によるものかもしれません。いずれにせよ私たちが日常ふれる我が国も仏教は「日本の仏教」とことわりを入れる必要があるのではないかと私は考えています。

この考えに沿って我が国の仏教を今一度確認しようと考えてことしの法話会では「日本の仏教」というテーマを置きました。現在の日本の仏教を知るためには今までの仏教の歴史を学ばなければなりませんので、数ヶ月前から少しずつ日本仏教の歴史を概観しているところです。今月は奈良から平安に入ろうと考えていたのですが、世相のテーマに「マインドフルネス、瞑想ブーム再来?」を取り上げましたら、その話で今月の法話会はタイムオーバーとなってしまいました。

【マインドフルネス、瞑想ブーム再来?】

『マインドフルネス』数年前からマスコミにも取り上げられていますから、見たり聞いたりしたことがある方も多いのではないでしょうか。瞑想は仏教の開祖釈尊に覚りをもたらし、座禅をもっぱらとする禅宗が存在するように、仏教と極めて深い関係性を持つ修行法です。東洋の英知を求める欧米人によって、近世幾たびかブームが起きましたが、最近もNHKスペシャルで紹介されたり、その他のメディアに取り上げられ、さらにグーグル社をはじめIT関連会社の研修などに導入されていることが報じられて今再びのブームのようです。

報道の内容は宗教性を排除した瞑想であるマインドフルネスは、健康やビジネスに効果的ではないかというものでした。 ネットを開けば無数の人物や団体、会社や組織によって、おびただしい案内や書籍、講演会やセミナー、教室や合宿が紹介されています。少しのぞいて見ただけではまったくその善し悪しはわかりません。本来の目的である『病める人や精神の不安定な人の心の安定をはかり、その健康に寄与しよう』としているのか、ビジネスと金儲けの手段としてブームに便乗しているのか、自らの新たな信仰世界に関心を持つ者を信者にしようとしてるのか、私にも判断がつきかねます。

【注意が必要】

マインドフルネスはもちろん、ヨガや瞑想も宗教性を排除した「心と身体の健康法」としている教室や団体が多いのでしょうが、人生や世間がよく理解できていない若者や心霊現象を好む人々、そして精神の不安定な人々が闇雲に飛びつけば、『危険なものになる側面もあるな』と心配が脳裏をよぎりました。

飛躍しすぎといわれるかもしれませんが『オウム真理教』の事件をふと思い起こしたからです。多くの人々を苦悩と悲嘆の底に陥れたあの恐ろしい邪教も入り口は「ヨガ&瞑想」でした。教祖麻原はバラモン教とウパニシャッド、ヨガと仏教を混交させて「オウム・真理の教え」を創出し、自らを『超能力を有する聖者・尊師』と称して教団に君臨したのです。

その教祖麻原の導きに従った加害者は人生のすべてを失ったばかりでなく、多くの犠牲者を出すという罪障を背負いました。しかし、その加害者の大半は初めから犯罪者であったわけではなく、逆に人生や社会の不条理や矛盾を解決したい、人間存在の有り様や本来の自己を探求したいと願うまじめな若者だったのです。しかし、超自然現象、神秘体験、聖者尊師崇拝に翻弄され、教祖麻原の毒薬を飲んで悪業を積んでしまいました。実に不幸極まりないことです。

【マインドフルネスの周囲】

瞑想そのものは仏教の禅定にも通じるものですから私も否定することはありません。私も仏道修行の三学におさめられている「禅定」を大切に考えている一人です。そればかりか一般的には、南妙法蓮華経のお題目を唱える私たちの唱題行も瞑想修行の一つと認識されているようです。

また、宗教性が排除され医療的な活用を目的とした瞑想「マインドフルネス」であれば、科学的実証を経ていることもあり、その有効性は個々の資質と情況によるものであって、万能性を主張してもいませんから、健康法として活用することを否定する理由は乏しいと思います。もちろん私たち日蓮大聖人の教えを信ずる者は、南妙法蓮華経の御本尊を深く信じ、心を調えて静かにゆったりとお題目を唱えることによって、安心(あんじん)を得ることができますから積極的に用いることはありません。

「マインドフルネス」について案ずるのは、医療や精神の安定と集中として活用される瞑想の周囲には、「気功」や「サイキック」、「スピリチュアルの世界」や「アカシックレコード」、「ヘミシンク」など心霊や不思議体験の世界が海のように広がっているという現実です。

詳細をここで述べることはできませんが、それぞれに、心と身体の健康を取り戻すこと、迷いや悩み、苦しみからの解放をうたい、愛と安らぎの世界を約束しています。 これらは現実に不安や苦悩に脅かされていない人々には理解できないでしょうが、人生の苦悩にあえぐ人々や心霊現象を求める人々には、非常に魅力的で救いの道のように見えてしまうのです。

このような世界はビジネスとしても成り立つために、ネットでわかるように業界の裾野が広がっています。私にはここにも現代社会の人間性の劣化を見る思いがします。『これさえあれば何でも思いが叶う。私が探し求めていたものはこれだった』と単純に考えて飛びつくと、後にその間違いに気がついても、そのような傾向性のある人々は必ず彷徨うことになり、同じような世界をエンドレスであちらこちらと漂って、貴重な人生の時間を失ってしまうことになるのです。

【世相から学ぶ】

さて、法話会では初めに「マインドフルネス」についてマスメディアの報道を示し、続いてその定義についてお伝えしました。マインドフルネスとは『今、この瞬間』の自分の内的・外的体験に注意を集中させて、現実をありのままに受け入れること。『今、この瞬間』の自分に注意を向けて、自分の心と身体の状態に気づくこと、といえるようです。

人間を苦しめ悩ませているものは煩悩であり我執であることは、仏教の常の談義ですから、自分自身の心を見つめて、己がもつ我執や煩悩に気づくことは大いに意味があることです。

マインドフルネスの科学的・学術的発展、実践の有効性・安全性の向上を目的として設立された日本マインドフルネス学会ではマインドフルネスを次のように定義しています。

『本学会では、マインドフルネスを、“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する。 なお、“観る”は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味である』と。

最新の脳科学で『ストレス軽減、集中力アップ、自律神経回復』などの効果が実証されたとマスコミで取り上げられましたが、脳科学の進化と研究によって『瞑想によって脳も変化し心の安定がある。瞑想することによってストレスが軽減される。不安症、うつ病、パニック障害などに有効』であることがわかってきました。すでに述べたように、『マインドフルネスの特徴は、宗教性を排除した瞑想法であり、宗教性をもつ特定の教義やカルト的聖者を認めない』ということがポイントとなります。

「学ぶべきこと」では、宗教性を排除したマインドフルネスという瞑想健康法があるという事実を理解すること。その上で、瞑想を万能と信じ切ると現実生活の否定や逃避につながることがあるので注意が必要であること。のめり込むと瞑想ビジネスのえじきになったり、超能力者を自称する聖者によるカルト的教団に引き込まれる恐れがあること。マインドフルネス瞑想ブームを見て、私の感じている危惧を少々お伝えした8月の法話会でした。

相武山 山主


2017年08月27日

わらべ会夏のつどい

7月30日(日)は朝からあいにくの雨模様でしたが、午前10時から境内の草取り作業、そして10時50分頃からは「わらべ会 夏の集い」でした。夕方の3時頃まで子供たちの明るい声が本堂と境内に響き、とても幸せな一時を頂きました。

今年は11名の子供たちが集まってくれました。宇梶あおい、内堀まな、中里颯汰、中里あやの、白濱こうたろう、白濱れい、白濱ゆい、片岡わかな、片岡いろは、ユルドゥルム メルサ、ユルドゥルム ロビンちゃんたちです。

はじめは例年通りお経に親しむ「練経」です。私が一節ずつ声を出して読み上げ、子供たちについてきてもらいます。普段からお経を読んではいないようですし、お経を読むことの意味もわからないでしょうから、あまり面白く思えなかったようで、楽しい雰囲気ではありませんが、いつの日かお坊さんと一緒にお経を読んだことを思い出してくれたらいいなと思っています。

お経の練習の後は、私からのお話です。子供とはいえ皆それなりの人格ですから、今すぐに理解できなくても心の底においてほしいと考えてお話をしました。

お話の内容は五つでした。

はじめに『大きな声で挨拶をしよう』です。言葉は心の思いを伝える大切なもの。思っている、考えているだけでは伝わりませんから言葉に出すことが大切です。まずは家の中から家族に。「おはよう」「行ってきます」「ありがとう」「ただいま」「おやすみなさい」と折あるごとに声に出すことを勧めました。

次に『なぜだろう?どうしてだろう?を大切に』です。これは子供から大人にまで通じることですが、何ごともよく知りたいと思う心、関心を持つこと好奇心も持つことが大切です。日頃から「なぜだろう?どうしてだろう」と考え、求めて行くことが人生のおもしろさであり、成長のすがたといえるのですから、遠慮なく素直に尋ねることの大事さを伝えました。

三番目には『人は一人ひとりちがう、違いを認めよう』です。この世の中に同じ人は一人もいません。みな顔もちがえば考えもちがいます。それぞれの能力もちがえば家族などの環境もちがいます。好き嫌いもちがいますから、一人ひとりのちがいを認めることによって、自分が迷ったり、自信を失ったり、逆にいばって自慢をしたり、争うような愚かなこともなくなるのです。一人ひとりちがいがあると認めることを伝えました。

四番目には『チャレンジしよう』です。何ごとにもまちがったり、失敗したりということがあります。そこでがっかりしたり、人から笑われることがあるかも知れませんが、それでも何かにチャレンジしたことは事実で、チャレンジしたことだけでもすばらしいことです。失敗は悪いことではありません。何ごともうまくいくときもあれば、失敗するときもあるのです。一方的には言えませんが、やって失敗することは、やらないで格好をつけたり、失敗をこわがってやらないことよりも良いことです。何でもやりたいことにチャレンジするよう望みました。

最後は『家族を大切にしよう』です。一番身近でお世話になっているお父さんお母さんをはじめ、支えられている家族に感謝の気持ちをもち、それを伝えることの大事さを伝えました。あまりに身近に居るために、つい感謝の気持ちを忘れることがあること注意をしようということです。子供たちにどの程度理解できたかはわかりませんが、人としての基本に関わることがらなのでお話をした次第です。

ここで私の役目は終了です。

その後は興厳房の担当です。はじめに御香を御本尊様や有縁精霊やご先祖さまにお供えする意味についてわかりやすく説明した後、御本尊様にお供えするシキミから抹香を造る作業の実践です。現代では見ることも珍しくなった薬研(やげん)を取り出し、枯らしたシキミを入れてゴリゴリと押していくと、少しずつシキミ香ができてますが、できる前に強く清らかなかおりが出てきます。子供たちは薬研を押すことだけでもおもしろい体験ですから、皆な眼を輝かせて楽しんでいました。

その後は例年どおり太鼓の練習です。はじめに新聞紙のバチで妙法蓮華経の五字に合わせて五打のリズムをとります。音とリズムに敏感なのは子供たちの才能です。みんな良いリズムで五打うちをしていました。そして、本物の太鼓に向かって木のバチでチャレンジです。お母さんも一緒になって題目太鼓を楽しみました。そのうちにこの子供たちから、法要や行事の砌に太鼓を叩いてくれる子供が出てくることを心待ちにしています。

時間の経つのは早くすぐにお昼になってしまいました。楽しみのランチは朝から草取り作務をして頂いた世話人さんが準備をしてくださった「流しそうめん」です。興厳房の手配で前日に準備された青竹にそうめんが流されると、子供たちはそれぞれにテンションを上げてそうめんをすくっていました。隣ではバーベキューも準備され、子供たちと付き添い、そして世話人さんたちが一緒にランチを楽しく頂きました。

ランチの後はやはり恒例となった「スイカ割り」です。御宝前に供えられた緑区の落合さん手作りのスイカを境内に置き、子供たちに目隠しをして割ってもらいました。初めはちょっと戸惑っていた子供たちもすぐに楽しくなったのか、積極的に何回もチャレンジしていました。割れたスイカは皆でデザートとして美味しく頂戴しました。

スイカ割りの後は客殿でのレクリエーション。興厳房の案内で「巻物作りとオリジナルうちわ作り」です。思いおもいに絵を描いたりシールを貼ったり創作を楽しみました。また、副講頭の小原さんが用意したカードゲームでも遊びました。

予定の時間を迎え、皆で本堂に集合。私の唱導で南妙法蓮華経のお題目を三唱して、平成29年妙法院わらべ会夏の集いを終了しました。参加頂いた皆さまありがとうございました。子供たちの元気な声が法華経の道場に響いたことをとても幸せに感じました。
明年もより多くの子供たちに集まってほしいと願っています。

相武山 山主

 

2017年08月26日