相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

法華講総会を開催

12日(日)、午前には日曜法話会を開催、午後1時からは当山の第33回法華講総会でした。法華講はその名のとおり法華経を信仰する講中(同志・仲間)ということで、法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝えようとする信仰組織のことです。その名称は宗祖の古えまで遡ると伝えられており、信仰を啓発しあい団結して菩提寺を護るためには意義深い講中です。

当山は日蓮大聖人の教えを門祖日興上人の心にしたがって学び信行する寺院ですので、檀信徒の方々はすべて法華講衆といえるのですが、意識には自ずと強弱があるようです。また、組織的なかたちに距離をおいて信行したいという方が居られるのも事実で、その意思も尊重されるべきですが、意識をもつことのできた方々が自主的に集い、正法の護持弘通に努める法華講が活躍して行くことは、令法久住のために尊いものだと思います。これからも皆さんの理解と協力を頂きながら妙法院の法華講が充実して行くことを願っています。

今年の総会には例年より多くの方が参加されました。はじめに勤行唱題、ご本尊様に報恩感謝を申し上げ講中の発展を御祈念いたしました。総会は港南区の中澤俊彦さんの司会進行で開始。はじめに講費会計担当高津区の阿部純子さんが平成27年度の収支報告書をもとに、講費会計を丁寧に報告され参加者に了承されました。続いて会計監査担当老川文枝さんが会計報告が正当である旨の監査報告を行い。、併せて講中活動のために毎月1,000円の講費納入にご協力をとのべました。次に中区の熊木真治さんが「東海正信連合会からの報告」。東海正信連合会は静岡・神奈川両県の同志が信行を深めるためのもので、大会や研修会、幹事会などを開催して覚醒運動の推進に寄与していることを説明された。その上で、研修会などはせっかくの信行研鑽の機会なので多くの方にご参加願いたいとうったえられた。

所感発表では3名の方が「全国大会参加の感想」をのべました。始めに静岡市の草ヶ谷珠代さんが『覚醒運動の当初から全国大会に参加しているが今年の山口大会が一番感動した大会だったと思う。ご住職の講演もとてもよかったし、大会後の萩の観光も良かった。私は妙法院に所属させて頂いてまだ3年ですが、気持ちよく楽しく信仰できることを喜んでいる。ご住職のお話や妙法院の活動が当たり前と思っている人もいるでしょうが、近くにあるすばらしいものは以外と理解できないもの。これからも大聖人様の教えを人生の柱として行きたい。法燈相続にも頑張りたいので皆さんよろしくお願いします』と元気に所感を発表。

次に緑区の落合美代子さんが『できるだけ全国大会には参加したいと願っており、今年も山口の大会に参加できて喜んでいる。主人の体調の都合もあって一人での参加だったことが残念。ご住職の講演もすばらしく、蓮興院さんのお祖母ちゃんとお孫さんの所感発表もとても印象的だった。大会後に、その本人と挨拶を交わすことができうれしかった。その他いろいろな同志の方々と交流ができて、やはり大会に参加してよかったと思えた。昨年は皮膚の病気から心が翻弄されることもあったが、信心第一、お題目第一でこれからの人生を大切にして行きたい』と所感を発表された。

続いて、戸塚区の南雲正久さんが『私は旅が好きなので全国各地を訪れているが、山口は初めてだった。大会での発表は皆すばらしく、また、妙法院講中の皆さん方と一緒に旅ができて楽しかった。全国大会でいつも感心するのは、韓国から参加される大韓寺の皆さんのこと。遠いところを信心のために参加される姿を尊敬している。自分も信心を磨いて行きたいと思った』と全国大会参加の所感を発表。

引き続いての所感発表では高津区の阿部一博さんが登壇。「今を大切に生きる」と題して『娘の病気についての事、そこから得た事をお話させていただこうと思います。 ー略ー 取り乱された心が、信心の事を考えた途端、すぅーっと落ち着いていくのが分かりました。 ー略ー 三世の命を信じ、あまりに今生に執着するのではなく、今、手が合わせられる、声も出る、南無妙法蓮華経とお題目が唱えられるのだから、有難く勤行させていただき、後は大聖人様にお任せするという潔い生き方をするべきだとの結論に至りました。 ー略ー 私たちは三世の命を信じることができます。今の命が尽きたら終わりだからと好き勝手なことをやるような刹那的な生き方をせず、来世に繋がるような生き方をしたいと思います』とのべ、最愛の娘さんを霊山に送られた深い悲しみを静かに語り、さらに信仰の尊さを発表されました。(相武山だより7/1号に全文を掲載します)

講頭挨拶では金沢区の新倉昇三さんが登壇。『法華講総会が無事に開催できることも菩提寺が存続できることも、ご住職や興厳師の尽力の賜、今までは何でもかんでもご住職にやってきて頂いたが、講中も活性化をはかり、これからは皆んなで協力し合って、菩提寺の発展、法華講の充実にがんばって行きたい。私も今年の全国大会に参加し感動をもらい、ました。大会の内容もすばらしかったんですが、大会の後に全国から参加した皆さんと言葉を交わすことができたこともうれしかった。今日は法華講の総会、一人ひとりが法華講衆としての認識を深めて信行に励もう』と挨拶をされました。

最後に住職挨拶『今年は開創35周年法要を無事に執り行うことができたことを喜んでいる。5年前の30周年は新寺院の建設が難しい局面であり、佳節ではあったがしっかりと法要を執り行うことができなかった。難事業であった新寺建立から5年が経過、ようやくその成果もそこかしこに見えるようになり、法会や仏事も厳かに奉修・執行できることが喜ばれ、法燈相続や布教なども着実な進展が感じられるようになってきた』とのべ、正信覚醒運動への経緯を昭和38年の得度から遡って語った後、『昭和56年2月、妙法院の前身である正信寮開所已来、最も難しかったことは、生れや育ちなどの環境が違い、さらに思いや考えの違うご信徒を、一人ひとりを尊重しまとめながら、一緒に仏道を歩むということ。妙法院もご多分に漏れず幾たびか離合集散があった。しかし、それらの経験が現在の妙法院をかたちづくっているのが事実。宗祖は自らを迫害した人々を善知識と呼ばれ、必ず救済したいと願われた。ここに法華経の精神がある。私たちもこの宗祖の御心を継いで行きたい』と所信を語った。

最後に『仏法の護持弘通のために妙法院の存在があると常々述べてきたが、幸いにも日曜法話会は6年目を迎え着実に広がりを見せ、仏事やホームページ、相武山だよりなどを中心に布教も展開することができるようになってきた。これからも油断することなく宗開両祖の御照覧を信じて仏道精進して行きたい。檀信徒の皆さんには仏法をよく聴聞され、妙法によって生かされていることに気づいて、悦びのある信仰を得て頂きたい』とのべて住職挨拶としました。

総会に参加された皆さまご苦労さまでした。明年はさらに充実した総会が開けるよう信行を磨いてまいりましょう。

相武山 山主

2016年06月30日

アジサイを楽しみながら

夏ツバキも花開き、アジサイも見頃を迎えた6月、12日(日)は日曜法話会でした。午後から法華講の総会があったこともあり、法話会には45名ほどの方が参加。今までの法話会では最も聴聞者が多い法話会となりました。内訳は檀信徒の方が30名ほど一般の方が15名ほどでした。タウンニュースでの法話会の案内は1月に年に1度(旭区&瀬谷区)だけで、その外はインターネットのホームページだけですから、まだまだ一般に法話会や当山の存在が知られているとはいえません。啓蒙のためには今年後半の案内も出さなければいけないかなと思っています。

法話会での世相のコーナーは「北海道での児童行方不明事件について」。6日間行方のわからなかった児童の無事を喜ぶとともに、子育てとしつけを中心にした親子の在り方、「親とはいえ子どもを育てるのは一日一日が初めての体験であり、とまどったり、迷ったり、問題が発るのは不思議ではないこと、完璧などは不可能なので安全と安心を第一に親子の健全な関係が築けるよう努力してほしい」と私の意見を述べました。

続く今月のテーマ「続・熟語に学ぶ仏教」では、日本の歴史や文化に大きな影響を与え、日本人の感情や思想、深層の心理にも大きく影響している仏教を、日常使われている熟語を通して学ぶという前回に続く内容です。

まず『縁起』について。一般的なイメージとしては『縁起が良い、悪い』との表現などから、『巡り合わせが良い、悪い』と吉凶を占う表現に受けとめられているが、本来の意味は『これが存在すれば、あれも存在する。これが生ずれば、あれも生ずる。これが存在しなければ、あれも存在しない。これが滅すれば、あれも滅する』ということであり、「あらゆるものは相互に依存し合って存在する、あるいは生起する、あるいは生滅するという関係」にあることを教えており、すべてはある条件のもとで(縁起)存在しているにすぎないという真理を顕しているのです。また、二元対立的に見える『自己と他者、生と死、男性と女性、老人と若人、夫と妻、親と子、愛情と憎悪、苦と楽、優と劣、新と旧、創造と破壊・・・』このような存在も、対立する相手を消してしまうと自身も存在しないということになり、対立するものの存在を見つめることによって自身の姿が理解されることがわかります。釈尊はあらゆる存在は縁起によるものと覚られたことをお伝えしました。

次に『無我』について。ある事にすっかり心を奪われて我を忘れてしまうさまを『無我夢中』といい、自我へのとらわれから解放され無心となるさまを『無我の境地』といいます。この無我は仏教思想からきたことばで、本来、不変でたしかな『我』という存在はないという真理のことです。前述の縁起の解説でお伝えしたように『すべての存在は、ある条件の下で存在(縁起)している』ということが真実であり、条件が変化すればその存在も変化するのですから、仏教では「不動の我」があると考えることを迷いの源と教えています。そして、「自我への執着を誡め、我利我利亡者への道を防ぎ、無我の存在であることを理解して、我執を離れたまことの安らぎと悦びを得ること」が仏道の目的であることを述べました。仏教の言葉や思考は人生をより豊かにしてくれるものですから、一人でも多くの方に仏教に親しんで頂きたいと願っています。

ささやかな当山の境内にも数種類のアジサイが梅雨空のもとに咲き、お参りされる方々をお迎えしています。来月の法話会では質疑応答の時間を設けて、参加者の皆さんと対話をしながら進めたいと考えています。来月は10日(日)11時からの開催です。皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

2016年06月28日

一周忌のお参り

法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝える当山では、倶にその信仰を求める方々とのご縁を大切にしています。ご縁を結んで頂く機縁は各人各様ですが、多くの方と長いご交誼を頂くことは法華の道場を護持する者の大きな喜びです。もちろん人間関係は複雑なものであり、人の心もさまざまに移り変わります。信仰への思いや意見の相違などもあり、感情の起伏もありますから、寺院でも僧俗ともに離合集散を避けることはできません。これはどこの寺院でも起こり得ることであり、宗開両祖の古でも起こったことです。

宗祖は『人の心は時によって移り』と述べておられますが、私たちは時と機縁によって見識も意思も変化することがあります。それは自らの価値観に立って人生を歩みたいと願う者にとっては当然のことであって不思議なことではありません。したがってどのような集団であっても離合集散があることは不思議ではないのです。そうであるからこそ、多少のことはあっても信頼し合い啓発し合って、倶に仏道を歩むことができることはすばらしいことです。当山も開創已来36年目を迎えましたが、多くの檀信徒の方々と長いおつき合いができていることを有り難いことと思っています。

去る11日の土曜日、南区の奥野香苗さんの一周忌法要をご自宅で執り行いました。親しいご家族が集われ倶にご本尊様に法華経を読誦申し上げ、南無妙法蓮華経の題目をお唱えして追善供養を申し上げました。奥野さんは92歳という長寿を全うされましたが、晩年は自宅にてご家族の温かな介護のなか静かに生活して居られました。

奥野さんは当山開創間もない頃からの信徒のお一人です。とてもまじめなご信心で、保土ケ谷の山の上の正信寮、岸根の妙法院にもお経日や御講には参詣しておられました。港南区の中澤さん宅での宅御講にもよくお見えで、御書を拝読しての講義に真剣なまなざしで聴聞しておられたのが印象的です。時折みせられる笑顔もチャーミングな方でした。その後、高齢となって認知症を患うことになってからは羽沢の妙法院への参詣もできなくなりましたが、夏のお経参りのおりには横になりながら、静かなお声でご一緒にお参りされていました。晩年は身体も不自由になり長く寝込まれていましたが、同居のご家族による優しく思いやりあふれる介護に恵まれ、昨年6月末に安らかにその生涯を閉じられ霊山に旅立たれました。

ご信心を大切にされた奥野さんの思いを継がれたご家族は、御会式やお正月、春秋のお彼岸やお盆などに欠かさず参詣されて久しくなりました。3人の子どもさんたちも今では皆立派な社会人となっています。奥野さんの一周忌のお参りにうかがい、故人を偲ぶとともに長いおつき合いに思いを馳せ感謝をいたしました。

相武山 山主

2016年06月27日