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相武山 妙法寺 ブログ

法事は心が交わる時

今月初旬、故合摩安次さんの第23回忌と故合摩トヨさんの第7回忌法要が当山で執り行われました。台風を迎える前、雨模様の中での法要でしたが、合摩家の親族の皆さんが参集され、ご夫妻のお塔婆を建立し、御宝前と精霊壇に供物をそなえて、法華経要品を読誦、お題目をお唱えして懇ろに追善供養を申し上げました。

ご夫妻は当山の開創の頃からのご信徒でした。今から約28年ほど前、昭和62年春に仮の道場を新横浜に建設した時には、工務店をされていたご主人を中心に子どもさん達皆んなが、非力な当山のために全力を傾注して造り上げて下さいました。建設地の抜根伐採から整地、基礎作りでは合摩さん、息子の清さん安男さんが頑張ってくださり、乏しい建設費でしたから、大工の光夫さんを中心にあれこれ工夫をしながら建設したことがつい昨日のことのように思い起こされます。
誰もが同様だと思いますが、辛い時、苦しい時、厳しい時に協力・支援を受けたことはけっして忘れることができないものです。私も30代半ば、当山も非力なばかりか運営にも活動にも不安定だった当時のことですから、本当に有り難いことでした。ご夫妻の葬儀をお勤めし霊山にお送りしてからも、毎月の命日忌には忘れることなく感謝の気持ちで勤行の砌りに供養を申し上げております。

法要ではご長男の武男さんや田村さんご夫妻など久しぶりに懐かしいお顔を拝見することができたのもうれしいことでした。家族親族であってもそれぞれが家庭を持つようになると、仕事や学校、子育てや地域のことなどで時間に余裕が無くなりますから、冠婚葬祭などがないと顔を合わせる機会も少なくなります。法事は大切な家族やご先祖の追善供養の仏事ですが、日頃疎遠になりがちな親族の皆さんを引き合わせる機縁の一つともなります。家族親族といっても関係は一様ではありませんが、さまざまな感情はともかく、親子、夫婦、兄弟姉妹、親族というのはまさにご縁というほかありませんから、人生のおもしろさと不思議さを受け止めて愉しむことも大切なことではないでしょうか。

仏教や信仰を否定される方はともかく、核家族化や信仰心の希薄化などもあって、葬儀や法事など仏事の大切さも見失われがちな現代です。しかし、ご先祖を敬い両親や祖父母、家族の慰霊に心を寄せる方は、時間をつくり労をいとわず、多少の経費を用意して仏事を大切にされており、有り難いことと思います。「心はかたちを求め、かたちは心を調える」といわれますが、想うことは言葉や振る舞いに現わしてはじめて伝わるものですから、仏事への向き合い方も各人の心の有り様を示すものといえましょう。仏事は人を集めたり華美さを追うようなものではありません。深い縁のある方、ご恩を感じる方への追善供養の志があれば、それを仏祖三宝尊への祈りのかたちに現わすだけのことです。

法事を営まれた故精霊からは、御礼の声を聞くことができないと思われる方が多いかも知れませんが、けっしてそうではないと思います。生死を異にし世界が隔たっているように思えても、祈りの心は必ず通じあっているものです。与えられた人生をおさめて来世に赴かれた故精霊は、縁者の優しい心にふれてどれほどか喜ばれていることでしょう。

現世に残されて人生を歩む私たちが故人を偲ぶ心と、仏さまのお側に居られて厳しい現世を生きる私たちを見守られる故精霊の心が交わる時が法事というものであろうかと思います。

秋雨が静かに境内を潤す合摩家の法事では、在りし日のご夫妻の姿を思い感謝の念いを新たにいたしました。

相武山 山主

2014年10月27日

優しく温かい祈り

5月に金沢区の久保さんから種を頂いて、玄関の北側に植えていた「スズメうり」が実をつけました。種をまく時期が遅かったのでまだ緑色ですが、これから赤くなって一層可愛くなります。去年も久保さんの心遣いで育て、赤くなってから受付やロビーのテーブルに置き、お参りの皆さんに楽しんで頂きました。今年もお会式の頃には皆さんに楽しんで頂けることと思います。

さて、2年前にご夫婦で久遠廟(永代供養墓)の使用を生前申し込みされた緑区の板倉さんのご主人が9月27日に逝去されました。板倉さんは当山周辺を自然散策で歩かれたこともあるといい、当山に永代供養墓があることを知ってご縁を結ばれたご夫婦です。その後も度々気軽にお寺に足を運んで頂き、すっかり親しくさせて頂きました。昨年の暮れには私からの勧めで信仰への誓いを立てられ、ご本尊様を自宅に迎えられました。信仰への道に入られてからは、ご夫婦で法華経を読誦されお題目をお唱えになり、ご主人も車を運転されて2回ほど仏華のシキミを求めにお見えになるなど、まじめに信仰に向き合われていました。

最後にお会いしたのは去る7月、緑区の落合さんをご紹介するためにうかがった時でした。板倉さんは体調が思わしくないのに、わざわざ病床から起き上がってこられました。そして、「娘の夫婦と一緒に東北に旅に行き楽しかった~」とうれしそうに話してくださいました。それから僅か2ヶ月、静かに霊山に旅立って行かれたのです。しかし、3年前に余命1年半と診断されてから倍の寿命を頂戴したことになります。板倉さんは竹を割ったようなさっぱりした人柄で、とても明るくまじめな方でした。長年少年野球のコーチもされるなどスポーツを愛し、子供たちを優しく見守る方でした。

ご本人と奥様の希望通り、当山の客殿において10名ほどのご家族が参列して葬儀を執り行いました。27日夕刻にご遺体を迎えて枕経。28日は供養の読経、29日には納棺の読経、30日には仮通夜、1日は御通夜、2日は葬儀式と告別式、横浜市北部斎場で荼毘にふした後、当山本堂でお骨上げのお経と初七日忌の法要を営みました。火葬場の都合とお寺の都合でゆったりした葬儀式となりましたが、奥様は「ゆっくりと送ることができて本当に良かった」と仰っていました。ご家族皆さんそれぞれに多忙のなか、すべての儀式に臨まれ、数珠をかけ法華経を黙読されてお父さんのご冥福を祈っておられました。その優しさと温かい心はきっと仏さまにはもちろん、板倉さんにもしっかりと伝わったことでしょう。

今年の6月中旬には戸塚区の田中篤子さんのご主人が逝去されました。田中さんは15年ほど前からのご縁で、信心を大切にされ当山の月例御講などにもよく参詣しておられます。ご主人は信仰を受持しておられませんでしたが、篤子さんのご信心とお二人の娘さんの理解によって、やはり当山客殿にて家族10名ほどで親しく葬儀式を執り行いました。飾られた遺影も普段の親しげな表情でしたが、葬儀式全般に家族としての絆が感じられる実に心のこもったものでした。ご主人もご本尊様に導かれ安心して法華経の世界へ旅立って行かれました。

また、同じ6月下旬には西宮市の正蓮院さんのご信徒である津嘉山さんが逝去され、葬儀式を依頼されました。津嘉山さんのお住まいは旭区の今宿西町ですので、ご近所という距離です。ご家族の皆さんで話し合われて当山の客殿での葬儀式となりました。三人の娘さんとそのご家族、親族約25名ほどが参列されての葬儀で、仏事にもあまりご縁のない方が多かったのですが、皆さん故人のためによくご協力頂き、つつがなく厳かに葬儀を執り行うことができました。ふだんお寺や僧侶、お経や仏事作法に縁がなければ戸惑うことも多いのですが、皆さん礼儀正しく数珠をかけ法華経を黙読、唱題にもご配慮頂き有り難く存じた次第です。津嘉山さんのご両親は西宮市の正蓮寺において熱心なご信徒であったとうかがっています。今頃は霊山にてご両親様と親しく過ごしておられることでしょう。

8月には緑区の阿部和子さんが逝去されました。ここ数年はお寺へのお参りはできませんでしたが、旧寺院の時はお母さんとご一緒に天女のような笑顔でよくお参りされていました。日頃もご両親とお兄さんの深い愛情に育まれていた和子さんですが、葬儀にあたってもご自宅でじっくりと家族に見守られながら過ごされました。葬儀までは毎日私と興厳房とお参りにうかがい、横浜市北部斎場での葬儀には、ご本人とご両親のお人柄によって大勢の施設の方が会葬されました。和子さんもご家族の愛情に感謝しながら仏さまの世界に向かわれたことでしょう。

当山では葬儀の折、通夜の席において「葬儀式の意味、法華経読誦とお題目をお唱えする意味、日蓮大聖人の教え、そしてお授けした法名(戒名)のいわれ」などについて10分から15分ほどの法話を必ず申し上げています。それは参列の方々に葬儀の執行や仏道の信仰を理解して頂きたいとの思いからであり、つたない法話ながら故人への追善として御霊前にお供えさせて頂くためです。板倉様、田中様、津嘉山様、阿部様、それぞれの葬儀式でも、ご家族の優しく温かな祈りと共に法話を申し上げご冥福を祈念した次第です。

相武山 山主

 

 

 

2014年10月12日

自然と共に生きる

本日、強い台風18号が静岡県浜松市近辺で本州に上陸、関東地方も台風の直撃を受けることになりました。横浜も昨日からかなりの降雨で、今日午前中までは断続的に激しい雨が降りましたが、思いの他の駆け足台風で強風は短い時間だけでした。しかし、県内各地では避難警報が発せられ、まだ詳しいことはわかりませんが、横浜の中区や緑区などでは被害者も出たようです。当山周辺では幸い被害はありませんでしたが、新倉さんはじめ数人のご信徒から心配のお電話を頂きました。温かい心遣いに御礼を申し上げます。

ただ、午前中には帷子川の水位が上がり、近くの川井本町では約100世帯に一時避難警報が出され、携帯電話からは突然に「横浜市からのエリア メール」から避難警報が流れてきました。初めての経験ですが、世の中ホントに便利になったものだと驚きました。

人智を越えた自然の営みとはいえ、それにしても私たちの国は、地震、津波、台風、土砂崩れ、水害、火山噴火、等々まことに自然災害の多い国といえるでしょう。夏の終わりには広島市の土砂災害で多くの方々が犠牲となり、その悲嘆の声が消える間もまなく、紅葉を楽しむ人々が登山していた御嶽山(おんたけさん)が噴火。また多数の犠牲者が出てしまいました。噴火からすでに10日目となりますが、まだ行方不明の方が居られますから、明日からも天候の回復を待って捜索が懸命に続けられることでしょう。早くすべての方々が救出されることを願ってやみません。

9月の27日(土)は爽やかな秋空が広がる絶好の登山日和でした。近年の登山ブームもあり、老若男女が各地で紅葉を楽しみに山に向かったようです。岐阜県と長野県にまたがる御嶽山にも多数の方々が登山していました。そこに突然噴火が起こりました。御嶽山が活火山と知ってはいても、まさか噴火するとは誰もが予想することができませんでした。突然の噴石と火山ガスの来襲です。身を護る安全な場所などなく、かわすことは不可能なことです。奇跡的に助かった方もおられますが、多くの尊い命が噴火の犠牲となりました。只々、ご冥福を申し上げるばかりです。私たちには何の力もありませんが、法華経の信仰者ですから御宝前に真心をこめて祈りを捧げました。

我が国は巡り来る四季の彩(いろど)りからもわかるとおり、自然に恵まれ河川も山も野もみずみずしく豊かな国です。しかし他方、自然は人智を越えた営みですから、私たちにとっては恵みと同時に畏(おそ)れの対象でもあります。何ごとも「いいとこ取り」はできません。自然も同様です。この国に生きる者として自然の営みに敬意をはらい、尊重して共生への思いを新たにしました。

相武山 山主

 

2014年10月06日

秋のお彼岸

当山周辺は帷子川の源流域で地下水が豊富な地域です。駐車場からすぐ裏手にある萩野さんの井戸は横浜市から優良な名水と認定され、新聞でも報じられましたから、知っている方はペットボトルなどで汲んで行かれます。水が豊富なのですから、下川井村や矢指村では昔から稲作が行われています。有り難いことに今も耕作が行われています。その田んぼではお彼岸の頃からは一昨日まで刈り入れ、稲干し、脱穀が行われていて、まさに実りの秋の風情です。市民の森の散策に来ている方々も足を止めて、都会では珍しくなった光景に見入っていました。

さて、9月20日から26日までは秋のお彼岸でした。当山の墓苑には21日(日)と23日(火)の法要の日以外にも、縁(ゆかり)の有る方々が自由にお参りをされ、香華が供えられない日はなく、境内には連日お線香の良い香りがながれていました。彼岸会(ひがんえ)は両日とも秋空に恵まれたお彼岸日和で、檀信徒の方々がご家族で参詣しておられました。7月と8月にはお盆の供養がありますから、例年、春のお彼岸やお盆ほどのご参詣ではありませんが、それでも。一年に春秋の彼岸とお盆の供養を大切にされる方は多く、その信仰心とご先祖や有縁(うえん)精霊への感謝と供養の志は尊いものです。
法要は仏祖三宝尊(ぶっそさんぽうそん)への献膳(けんぜん)、諸精霊(しょしょうりょう)への献膳、法華経要品の読誦、唱題と如法(にゅほう)に執り行われ、参詣者は寿量品(じゅりょうほん)長行(じょうごう)に入るとお塔婆が建立された精霊壇の前に進み心を込めてお焼香をされました。自我偈から唱題を修し、その後、御観念をなして申し出のあったお塔婆供養のご回向を懇ろに申し上げました。

法要後の法話は聖愚問答抄(しょうぐもんどうしょう)。『夫(そ)れ生を受けしより死を免(まぬが)れざる理(ことわり)は、賢き御門より卑しき民に至るまで、人ごとに是(こ)れを知るといへども、実に是れを大事とし是れを歎く者、千万人に一人も有りがたし。無常(むじょう)の現起するを見ては、疎(うと)きをば恐れ親(した)しきをば歎くといへども、先立つははかなく、留まるはかしこきやうに思ひて、昨日は彼のわざ今日は此の事とて、徒らに世間(せけん)の五欲(ごよく)にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空(むな)しく衣食の獄につながれ、徒(いたず)らに名利(みょうり)の穴にをち、三途(さんず)の旧里に帰り、六道のちまたに輪回(りんね)せん事、心有らん人誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん。嗚呼(ああ)老少不定(ろうしょうふじょう)は娑婆(しゃば)の習ひ、会者定離(えしゃじょうり)は浮世(うきよ)のことはり』を拝読。

この御書は宗祖の眞蹟は伝わらず真義未決(しんぎみけつ)の御書ですが、内容からは法華経への信仰に導くための手引き書のようなものです。法華経の行者である聖人(しょうにんと)と仏道の尊さに気がついた愚者(ぐしゃ)との問答体のかたちとなっており、簡潔でわかりやすい仏教の入門書といえましょう。拝読のご文は冒頭の箇所で、「人生の無常とはかなさは誰もが承知していることと思っているが、他人の上に現れた時は恐れたり歎いたりするけれども、先立つことがはかないように思うだけで、自らのこととは考えない。そのため、日々利害損得にばかり心をうばわれ、好き嫌いの感情の趣くまま五欲にまみれて、実に短い人生であるにもかかわらず、人としての徳を磨き上げる仏道の修行に心を向けることがないのは残念。仏さまは『得がたい人生を賜ったにもかかわらず、現世ばかりの利害損得と感情に流された人生では、六道輪廻をまぬがれることはできず、三途(地獄・餓鬼・畜生)の世界に堕ちてしまうことになる。人生は老少不定・会者定離の無常であることを理解して、永遠の理法である仏道に心を寄せ、その教えを学び行じて悔いの無い人生としなければならない』ことを教えておられる」ことをお伝えしました。

お彼岸には久しぶりに中区の坂上さんの奥さんがお参りされました。身体の都合もあって息子さんの政治さんのお世話にならなければ参詣ができませんので、なかなか思うように参詣ができません。とても信心深くまじめな方ですから、体調が悪くなる前は毎月一日のお経日や十三日の御講には必ず参詣しておられました。お参りできたことがとてもうれしそうで笑顔が印象的でした。

また、2カ月ぶりに東京日本橋から阪部さんもお参りになりました。80も半ばを迎える高齢であり遠路にもかかわらず、ほとんど毎月お参りになられる方で、自分がその歳で同じような信心修行ができるかなと、その変わらない信仰心には敬意を表しています。7月のお盆からお彼岸までは猛暑と体調の都合もあってお顔を見ることはできませんでしたが、お彼岸でお元気なお顔を拝見できうれしく思いました。これからも体調に留意してお参り頂きたいと思います。そういえば、高齢と体調不良のために参詣できなくなった方々も大勢いらっしゃいます。それぞれお手紙などを頂きますが、一緒に信仰を磨き合ってきましたから親しくお顔を見ることができないのは残念です。朝夕の勤行の砌り、皆さんが信仰を大切に健やかであることをお祈りしています。

なお、ご案内のとおり21日の彼岸会の後にはお会式のお花作りをしました。たくさんの方に参加ご協力を頂きましたので、お陰様ですべてのお花を作ることができ、23日の作業が不要となってしまいました。有り難い誤算で感謝しております。竹ひごにつける作業は本日のお経日の後と、13日の御講の後に行う予定です。

相武山 山主

2014年10月01日