相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

7月の盂蘭盆会

横浜や東京などでは7月にお盆の法要が執り行われます。月遅れで8月にされる方もおられますから、当山では7月と8月の2回、盂蘭盆法要を営むことになります。去る13日(日)は午前11時の日曜法話会に続いて午後1時より月例の宗祖ご報恩講を執り行い、併せて盂蘭盆の法要も行いました。

今年7回目となる日曜法話のテーマは「仏事の意義」でした。お寺で執り行われる仏事と個人や家庭で執り行われる仏事、それぞれのかたちと内容についての法話です。さまざまな仏事にふれることはもちろん、自ら仏事を営むこともある人生、その意義が理解されてこそ、仏事に臨む悦びや愉しみが得られ、心をこめて執り行うこともできるというものです。知っているようでよくわかっていない仏事についてのお話でした。テーマに入る前の「今月の世相」では野々村元兵庫県会議員の政務調査費などの不正事件をとりあげ、「号泣会見など笑える事件との一面もあるが、古今東西、すべての人々の思考や行動には品性や品格といわれるものが現れている。どのような人生を歩んできたのか、どのような人生を歩んでいるのか、それらはその人の品性・品格として現れ、その人となりを明らかにする。野々村元議員を他山の石として、自らの品格を高めて行きたい」と意見を申し上げた。

テーマの仏事の意義については、「仏事とは仏教の儀式や行事や作法のこと。寺院の荘厳やお給仕、執り行われる日々の勤行や年中行事と法会を中心に、個人や家庭での仏壇の飾り方やお給仕とその作法、朝夕のお勤めや法事や葬儀式、そして初参りや七五三参り等に及ぶ。寺院は教えを護り伝えるために、信仰者は教えを確認しそこに自らの信仰を明らかにするために仏事が作(な)されている。心はかたちを求め、かたちは心を調えるという相乗作用により、荘厳や儀式作法のすべてに仏教の教えと、信仰者の思いが込められている。仏事は仏さまの道を敬い教えを現わすものである」と解説いたしました。最後に仏事でありながら、すでに我が国の習俗とも伝統とも文化ともなっている「お盆」のいわれを、日蓮大聖人の盂蘭盆御書を拝読して説明。仏事の意義を理解して仏の道を大切にされることをお勧めしました。

50分ほどの昼食タイムをはさんで午後1時からは宗祖ご報恩講と盂蘭盆会を執り行いました。はじめに御宝前にて仏祖三宝尊への献膳を申し上げ、参詣者の申し込まれたお塔婆が建立されている精霊壇にもお膳を供えて供養の志をささげました。その後、参詣の方々と読経・焼香・唱題とお勤めをいたし、宗祖への御報恩を申し上げると倶に、盂蘭盆会にあたってご先祖と有縁精霊への追善供養を申し上げました。

法要後の法話では、初心者の方々も居られることから盂蘭盆御書を拝読し、お盆のいわれを説明し、「目連尊者の親を思う心と慈悲心、青提女の貪ぼりとエゴイズムを他者のものとせず、自身に引き当てて考えることこそ、お盆の意義を深めることになる」と申し上げました。

法話の後には、各自建立ご回向されたお塔婆をもって墓所に向かわれました。当山の墓苑に墓所をお持ちの方も塔婆を建立し香華を手向けておられました。ご先祖や有縁精霊に追善供養の思いを捧げられた皆さまの志に敬意を表する次第です。
相武山 山主

 

2014年07月20日

笑顔の初参り

梅雨の晴れ間に和光市に転居された重吉さんご一家がお参りにみえました。重吉さんご夫妻の長女真美さんに次女が誕生。その初参り(誕生した子どもが初めてご本尊さまにお参りすること)にご家族そろってのお参りです。二人の孫娘のお祖母ちゃんになったAさんも2年ぶりのお参りでした。Aさんはここ数年体調を崩しておられましたから、信心深いにもかかわらずお参りができずに残念がっておられました。お孫さんを授かったことと久しぶりにご本尊さまにお参りができたことで、自然に笑みがこぼれていました。

重吉さんご夫妻に初孫の樹奈ちゃんが授かって2年半、元気いっぱいの樹奈(じゅな)ちゃんは、お母さんの真美さんに手を引かれて、遠路にもかかわらず折々に当山に参詣していますが、この春、愛情深い大樹さんと真美さんご夫妻に新しい命が授けられました。お名前は「樹莉(じゅり)」ちゃんと名付けられました。二人の娘さんともにお父さんの一字を頂いたということです。法華本門のご本尊様に法華経を読誦しお題目をお唱え申し上げて、樹莉ちゃんが心身共に健やかに成長することができますようご祈念を申し上げました。また、いついかなる時に何が起きても不思議ではない人生ですから、ご一家が法華経への信仰を大切に、日々安らかな心で生活が送れますよう併せてご祈念を申し上げました。

子育ては「旬そのもの」だと思います。子どもはあっという間に成長して行ってしまいますから、「教えたり、見守ったり、ほめたり、しかったり、・・・・・そして、子どもから学んだり」と一日一日の関わりを大切にして、子育てを通して自らの人生の奥行きを広げて頂きたいと思います。子どもを授かることによって親という世界がはじめて与えられるのですから、疲れてしんどいときもあると思いますが、子育てには楽しみがてんこ盛りですから、ご夫妻には大いに子育てを愉しんでくださるよう願っています。

相武山 山主

2014年07月19日

雨の中に集う

このところ、パソコンとブログアップのシステムの不具合で前回も今回もアップがおくれてしまいました。楽しみにして居られる方から「どうされましたか?」という心配のお声を頂き申し訳なく思っております。来週からはスムースにアップできるよう現在努力しているところです。今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて、当相武山では現在結縁(結縁)のかたちから三者三様の方々とご縁を結ばせて頂いています。まず、法華経と日蓮大聖人の教えを信受し、当山の護持(ごじ)を大切に思われて護持会費を納められ、護り手となって居られる「檀徒(だんと)」の方々、檀徒という意識はお持ちではないけれども、自宅にご本尊を安置して日蓮大聖人の教えを信行され、毎月1,000円の講費を納められている「信徒」の方々、さらにさまざまな機縁から当山とご縁を結ばれ、ご自分のスタイルで自由にご交誼を頂いている「友の会」の方々となります。当山としてはそれぞれが自身のお考えのもとに結縁されている「かたち」なので、これからもその意思を尊重してまいります。

信仰はもとより自らと仏神の関係ですから、他者より強制されたり、組織化されなければならないというものではなく、最終的には極めて個人的なもので、内なる心の世界が尊重されるべきものです。もちろん自分勝手の我流のままで良いということではありませんから、信ずる仏神の教えを尊重することが第一義となることは当然です。その基本を踏まえた上で、私たちは自らの意思によって信仰のかたちを選択することになります。

仏教では釈尊の在世から僧伽(そうぎゃ・サンガ)とよばれる僧団が構成されていました。その意図するところは、仏弟子(僧俗にわたる)の修行と仏法を護り伝えることにあります。仏さまへの道も本来は個人の発心から精進によって成し遂げられるものですが、仏道の成就のために古来、釈尊によって僧伽の大切な役割が説かれ、仏・法・僧の三宝の一つとして尊重されてきたのです。これが今日の仏教各教団の原型となっています。

末法の法華経の行者である日蓮大聖人は、法華経の文底に秘された南無妙法蓮華経こそ仏法の根本であり、機根の低い愚かな末法の衆生を救済する教えであると覚知され、その護持と弘通のために弟子・檀越(だんのつ)を教化育成されました。宗祖在世にすでに教団としての姿をみることができますが、その教団は法華経を信行するグループ(講中)として「法華講」もしくは「法華講衆」と呼ばれていました。現在は一部の門下の呼称とされているようですが、およそ日蓮門下は宗祖在世や上代では、広く「日蓮党」とか「法華宗」とか「法華衆」と同様に「法華講衆」とよばれていたようです。

当山は宗祖の嫡流を自任された富士日興上人の末流を伝持することを願う法華の寺院ですから、開創間もない昭和58年に法華講を結成しました。その願いはサンガの存在とひとしく「法華経信仰の修行とその教えを護り伝えること」にありました。それから31年、檀信徒の方々を中心に志のある方々が参画されて講中活動を推進してきました。年中の行事や主要法会はもちろん、世話人会を中心として日頃の信仰活動の担い手として、当山の護持と発展にも大きな貢献を果たしてきました。

その妙法院法華講の総会が梅雨空のもと、6/22(日)午後1時から開催されました。はじめに法華経読誦と唱題、懇ろに法華講へのご加護を仏祖三宝尊に感謝申し上げると倶に、これからの講中の興隆を祈念申し上げました。

総会の司会進行は副講頭として世話人会をまとめて頂いている小原さん。はじめに講頭の新倉さんが挨拶、新倉さんは北海道札幌市で開催された全国大会の模様について報告した後、日頃の講中活動についての理解を求め、皆んなで信行に励んで菩提寺を護り、法華講としての使命を果たして行こうとうったえられました。

続いて会計係の松本さんが昨年度の法華講活動費(相武山だよりや妙風新聞購読経費、複合機の維持や通信費など講中活動の経費)の収支会計について丁寧に報告され、その結びに会計係の交代を伝えられました。松本さんは十数年にわたって会計係を担当、公私ともに忙しい中、毎月一日のお経日や13日の御講など月例の行事にはいつも参詣され、参列の講員さんからの講費を預かり、講中活動のさまざまな会計を調整処理してこられました。講中皆んながお世話になりました。これからは松浦さん、金澤さん、阿部さんが会計を担当して頂くことになり、松本さんより参加者に紹介されました。参加者からは松本さんに拍手が送られ、長いお務めへの感謝が伝えられました。次に老川文枝さんが会計監査の報告。会計の正当なことを報告され、講中活動のためには講費の納入は大切なことなので、皆さんのご協力をお願いしたいとのべられました。

続いて東海正信連合会からの報告では、連合会副幹事長の熊木さんから、静岡・神奈川の同志が研鑽し合う連合会の意義と、春の大会、初夏の研修会の活動が報告され、理解と協力がうったえられました。次に昨年入講された草ヶ谷さんが信仰所感を発表。幼い頃からご両親の信仰を受け継ぎ、今日に至るまでの足跡をふまえて、限りある人生で日蓮大聖人の教えに巡り会ったことに深く感謝の思いを抱いていること、これからもその教えをまじめに求め、学んで行きたいとの想いを素直に語られました。

執事挨拶では興厳房が「法燈相続」の大切さについて語りました。「宗教心や信仰心が薄くなりがちな現代、仏法の教えや心得、作法を伝えていくことは難しいものです。仏法の尊さを信ずる一人ひとりが努力して行きましょう。妙法院に結縁した子供たちがお寺に親しみをもてるよう、わらべ会の集いや青少年の集いを充実してゆきたい」とうったえ挨拶としました。

最後に私から「妙法院の歩みをふりかえって、宗開三祖の教えを護り伝えることの大切さ、そのために妙法院にも法華講という信仰組織を設けていることを説明。次で現在妙法院に結縁して頂いている方々には『檀徒・信徒・友の会』と三者三様の姿があることを解説。その上で講中活動の現状はけっして活発とはいえないものの、心有る方々が自主的に参画しており、強制や押しつけが無いのは健全な姿といえる。仏道を踏み外している教団などでは、悪しき権威主義のもと、ノルマや押しつけを強(し)いる姿がみられる。妙法院は今後とも結縁された方々一人ひとりの意思を尊重しつつ、互いに啓発しあい協力し合って仏法の護持に努めて行きたい」とお話を申し上げました。

組織的な活動は難しい時代を迎えているようですが、活動の趣旨を明確にして、強制されない自主的な法華講をめざしてまいりますので、より多くの方々のご理解とご協力をお願いいたします。

相武山 山主

2014年07月13日

この時季の恵み

6月の22日(日)は第6回日曜法話会でした。

梅雨時らしい空模様のなかでの法話会のテーマは「仏教とは その3」(仏の道を歩む)でした。これは今年の1月の法話会が「仏教とはその1」として仏教の多様性についてお話させていただき、3月の法話会では「仏教とはその2」として仏教の多様性の核となる基本思想についてお話ししたのに続いて、仏教にとって大切なことは、その道を歩むことですので、仏さまの道を歩むことに話を絞っての法話会でした。

世相は「中東イラクの内戦」でした。2003年3月のイラク戦争開戦から2011年12月米軍撤退、オバマ大統領の終結宣言までの流れを振り返り、現在起こっているイスラム過激派ISIS(イラク・シリアのイスラム国)の台頭による内戦情況について説明。
世界の現実として「貧困や飢餓、争乱や人権抑圧、病や災害にあえぐ民衆」「法による統治、生命の安全や基本的人権が無視される多数の国や地域。その原因は民族・宗教・歴史・文化など多種多様」それらを原因としてテロ事件が頻発、戦乱はそこかしこに展開されていることをお伝えしました。
その上で、「現代はグローバルな世界となり、国や地域の閉鎖はできず互いに影響し合う」ことを理解。世界の現実を知って、恵まれている国「日本」を認識しよう。また、平和と救済を祈り自らにできる支援を考えようと意見を述べました。

続いて、テーマである「仏の道を歩む」について、はじめに「仏法」と「仏教」と「仏道」の違いについて、仏法というのは仏さまが覚られた永遠普遍の真理(妙法)であり、仏教とは仏の覚られた真理を一切衆生に教えることであり、仏道とは仏の歩まれた道、仏と成るために開かれた道、歩めば仏と成る道であることを解説。
妙法は真理として存在しているものであり、教えは因縁や比喩などを交えて説かれており、肝心なことはその道を歩むこと、実践ということです。人生は何かと忙しく、目先の利害や損得ばかりを追いやすく、好きや嫌いといった感情に振り回されたり、楽しい趣味や遊びに時間も心もうばわれがちです。それはある面当然なことですから、仏さまの教えや信仰にふれることも稀なことかもしれません。また、たとえふれたとしても、発心して仏の道に志を立てる方は、さらに稀有(けう)な存在といえるでしょう。しかし、仏の道ではその発菩提心(ほつぼだいしん)が尊いこと、信を起こすことが大切なことを、華厳経(けごんぎょう)や法華経、聖徳太子の勝鬘経義疏(しょうまんぎょうぎしょ)などを引いて説明しました。

古来、仏の教えを仏道とも称していたことは、仏教が単なる学術宗教ではなく、観念論やおまじないや祈祷でもなく、仏縁を結んだ者が仏の歩まれた道を自らも歩むことによって、真(まこと)の人生を得ることを意味しています。その功徳については「無知と不安と嘆きを越えて、安らぎと喜びと生きがいを得ること。世俗的な利害や感情を越えて、仏の知恵を人生に活かすこと。人生折々の苦楽に仏の教えを照らしてみること」ということになります。

結びに仏の道を歩むという姿を当山の信仰をもって具体的に示すならば、「仏さまを自宅に安置し日々に御仏(みほとけ)の教えを意識する。仏法僧の三宝(さんぽう)への給仕を心がけ、朝夕に法華経読誦・唱題に勤める。仏の教えを学ぶ機会を大切にする。自らと家族の幸せを祈り他者の幸せも祈る。一言でも二言でも仏道の尊さを語れるように努力する」となることをお伝えして6月度の法話としました。
この時季の恵みでしょうか、本堂の外では時折雨が強く降っていましたが、雨のお陰で法話会に参加聴聞の方々の集中力が切れることはありませんでした。つたない法話でしたが皆さんの心の中にしみいったようで有り難く思いました。

相武山 山主

2014年07月05日