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相武山 妙法寺 ブログ

寿陵の開眼法要

去る1月13日、吉田家の墓石建立開眼法要(かいげんほうよう)が執り行われました。一昨年、当山の墓苑に墓所を定められた中区の吉田満さんご夫妻が、昨年の秋に墓石を建立されたために行われたものです。「開眼法要」というのは眼を開く法要と書きますが、一般には「魂入れ」といった方がイメージしやすいかもしれません。開眼法要・開眼供養は仏教各宗派においてさまざまな仏事で執り行われますが、およそ「信仰の対象としての意義付けがなされる儀式」といえるでしょう。本宗でもお墓ばかりでなく、ご本尊様を表装直ししたときや、自宅にご本尊さま(仏さま)を迎えたり、念珠や仏壇を新調したときなどにも行われます。ときに「入仏式」と称する場合もあります。

新たに墓石が建立されて執り行われる墓石の開眼法要は、建立の趣旨が円成(つつがなく成就)するようにと仏祖三宝尊に祈念する法要です。納められるご遺骨がある場合には、その納骨式も併せて行われますが、吉田家の場合は納めるご遺骨はありませんでしたので「寿陵墓(じゅりょうぼ)」としての開眼法要となりました。寿陵墓というのは自らのお墓を生前にあらかじめ建立することをいいます。生前にお墓を用意することを「縁起でもない」といわれる方もいますが、生前に自分と大切な家族のために永久(とわ)の住まいであるお墓を用意することは不思議なことではありません。
中国では皇帝のための陵墓が生前から造営されるのが常でした。秦の始皇帝陵が特に有名ですが、始皇帝は13歳の即位から50歳で死去するまで37年間にわたって自らの陵墓を修築したといわれています。その他、渭水(いすい)北方の前漢の帝陵,洛陽(らくよう)付近の後漢の帝陵をはじめ、歴史に沿って多くの陵墓が遺されています。日本でも古墳時代の王家等の墓に見られるように生前に準備がなされていたようです。日本書紀や聖徳太子伝歴などには、およそ1400年ほど前に聖徳太子や蘇我入鹿が生前にお墓を建てたことが伝えられています。

歴史からもそのいわれがわかりますが、一般的にも自分の意思で墓所を定められ、思いをこめて墓石を建立できる寿陵墓はめでたく縁起の良いことといわれています。また、その開眼法要はお祝いとされています。吉田さんのお母さんは当山開創当初からのご信徒で、皆さんに「みほちゃん」とよばれて親しまれている方です。いつも明るく元気でご信心の篤い方でしたが、ここ数年は身体の不調で当山への参詣も思うにまかせません。そのみほちゃんが前日に電話をかけてこられて、ご長男のMさんが寿陵墓を建立されたことをとても喜んでおられました。旭区にお住まいの次男Kさんも2年半ほど前に当墓苑に墓所を求められ、墓石を建立して岳父のご遺骨を納められました。それ以来毎月ご夫婦でお参りにお出でです。お彼岸やお盆にはご家族・親族の方もお参りになり、お墓が家族の一つのより処となっているのがわかります。
Mさんご夫妻に長女のAさんが参列された13日の開眼法要は、日が陰って少々寒さはありましたが、風もなく穏やかな中で厳かにお勤めさせて頂きました。

相武山 山主

2014年01月28日

初のご報恩講

13日は宗祖日蓮大聖人の御命日忌、当山では毎月ご報恩謝徳(教え導いてくださった御恩に感謝の意を捧げ報いること)のために報恩講(ほうおんこう)が営まれています。ことに1月の御報恩講は、新年初の御講であるところから「初御講」といわれて大切にされています。
月例の宗祖の御講を執り行うことは門弟・信徒としての志を現わすこととなりますから、宗祖御入滅の昔から先師先達はこの報恩講を意識し大事にして信行を深めてきました。それぞれの菩提寺ではご本尊様と宗開三祖へのお膳が供えられ、僧俗心を一つにして法華経を読誦申し上げ、お題目を唱えて宗祖への報恩感謝を申し上げます。法要の後には宗祖の遺された「御書」を拝読して、その教えを学ぶのを常といたします。
菩提寺に参詣してこのように信行を修めることができればベストですが、なかなか思うようにはまいらぬもの。ご報恩の志はあっても仕事や学校などをはじめさまざまな事情によって勤められない場合もあります。また、高齢や遠路のために参詣できなかったり、体調がすぐれずに参詣できない場合があるのも当然です。
宗祖が説かれる法華経の信仰では、発心と志を何よりも重んじますから、何ごともあるがままの状況を認め、その上で今の自分にできる最善を尽くすことが大切です。したがって、法華経と宗祖にご縁をむすばれた一人ひとりが毎月の13日を大切にされ、菩提寺に参詣できなくても、自宅のご本尊様に季節の果物やお菓子を供えて勤行申し上げるなど、自らの環境のなかで可能なご報恩を申し上げたいものです。
今年の初御講は成人式のための休日でしたので、例年よりも多くの方々がご参詣になり、報恩行の後には正月拝読の「重須殿女房御返事」について法話を申し上げました。

2014年01月26日

静かな祈りと歳末の喜び

正月の初参詣も終え松の明ける頃、泉区からHさんが参詣されました。Hさんは年に数回、時間がとれた時に参詣にみえ、いつもお一人で1時間以上法華経を読誦され、じっくりとお題目をお唱えされるご婦人です。日蓮大聖人の教えにご縁を結ばれて久しく、自らご本尊に詣でて読経・唱題申し上げることが心の安らぎと仰る方ですが、家庭の事情でご本尊様を御安置して信仰ができる環境にはありません。当山とは約6年ほどのご縁になるかと思いますが、いつもご自分のペースで気持ちの良い読経唱題をなさっています。
娘さんの出産の折りにも当山に御祈念を願い出られ、ご一緒に法華経の御宝前に読経・唱題を申し上げて祈念させて頂きました。いつもご家族の平安を心にかけられ、身じろぐことなく静かに御宝前に祈られる姿は尊く存じています。仏祖三宝尊は常にご照覧のことと存じますが、いつの日か、ご自宅にもご本尊様をお迎え申し上げ、心おきなくさわやかな信行に勤められるよう祈っております。

あらゆる人々と倶に仏道に精進したいと願う当山は、常にその門を開いておりますから、静かに法華経と読誦したい、じっくりとお題目をお唱えしたいと思われる方は、遠慮なく自由にご参詣頂きたいと存じます。檀信徒の方々や友の会の皆さまには、豊かな緑と四季折々の自然環境に恵まれ、仏祖三宝尊を荘厳申し上げる御宝前にて、自らをみつめられ、その信仰心を磨き上げて頂ければ実に幸いと存じます。

さて歳末には喜ばしいことがありました。
一昨年の秋に、当山の永代供養墓「久遠廟」に関心をもたれた緑区のIさんご夫妻。その後、説明を聞かれたご夫妻は久遠廟ご利用の申し込みをされましたが、年末には信仰の誓い(御授戒)を立てられて、ご自宅にご本尊様をお迎えになられました。はじめはご夫妻の「終活」を考えられてのご縁のようでしたが、二度三度とお話をさせて頂き、仏教と信仰の尊さについて申し上げてゆくうちに、仏道と信仰の大切さを少なからずご理解頂けたようで、ご夫妻共に法華経と日蓮大聖人の教えに帰依されることとなった次第です。ご主人は長く少年野球のコーチをされ、子供たちの育成に今でも深い関心を寄せられている方です。奥さんは病気療養中のご主人を大切に思い、ご家族皆さんが健やかであるように祈られる心優しい方です。
仏壇を新調したわけではありませんが、ご本尊様を迎えれるスペースを設けて荘厳し、新たに立派な仏具を新調してご入仏を申し上げました。
ご夫妻ことにご主人には、始めて読み上げられる法華経も唱えられるお題目も、当然のことぎこちないものですが、まじめで心のこもったお声は私の心にも響いてきました。信仰はご縁を大切に思い、生涯かけて磨き上げてゆくものですから、ご夫妻には折にふれて仏道を学んで頂き、その教えを人生の道しるべとして、限りある人生をより良く歩んで頂きたいものと願っております。

昨年はその他にも日曜法話会や諸仏事を通して幾人かの方々と新たなご縁を結ばせて頂きました。我が国では宗教や信仰の大切さについて教えられることが少なく、また冠婚葬祭の儀式などに偏重しているため、その意義に気づきにくいばかりか、カルト的で強引な宗教団体もどきもあることから、宗教や信仰について偏見や誤解をもつ方が多いのも事実です。そのような世相ですが当山は仏教本来の道を護り伝える法華の道場として、今年も仏道の種をまくことに精進してまいります。

相武山 山主

2014年01月14日

新春に仏道の修行を

新年あけましておめでとうございます

当山檀信徒の皆さま並びに友の会の皆さまには、旧年中当山護持のためにご尽力を頂き真にありがとうございました。お陰様で無事に新たな年を迎えることができました。法華経と日蓮大聖人の教えを学び信行する当山は、今年も志を同じくされる方々と倶に求道(ぐどう)をテーマに精進してまいりたいと願っています。

正月の午前零時からは恒例の元朝勤行会(がんちょうごんぎょうえ)を執り行い、三ケ日には11時と14時に初勤行会(はつごんぎょうえ)を執り行いました。それぞれ40名~60名のバランス良いご参詣を頂き、下種三宝尊(げしゅさんぽうそん)の御宝前に心を込めて法華経を読誦、唱題を申し上げ、参詣者それぞれに新たな年を迎えての誓願をお供えになりました。

新春の勤行と御祈念の後には、日蓮大聖人が弘安4年正月に認め(したため)られた「重須殿女房御返事(おもんすどのにょうぼうごへんじ)」を拝読。新春にこの御書を拝読するのは当山の恒例。宗祖ご入滅2年ほど前のお手紙ですが、大乗仏教ことに法華経のエッセンスがこめられており、奥深い宗祖の教えもポイントがしぼられて説かれています。さらに手紙であるために一般の方々にも人生の指針となる言葉がわかりやすくつづられています。

この御書において宗祖は、「年頭にあたって法華経の御宝前に参詣されることは、徳も勝り人にも愛される」と説かれていますが、それは正月の初参りを物事の源と意識されてのお言葉です。何ごとも源を大切にすること、物事の本筋や基本を大事にすることが人徳を磨くことになり、他者から信頼されることになると教えられています。
私たちはややもすれば枝や葉や花などの目に映りやすいものに心を向けがちですが、物事には根っこや幹があって成り立っているのですから、それらの大切さを見極めることできる見識を持たねばなりません。
また、仏と地獄はいずこにあるのかという問いを設けられ、仏道の目的である仏の世界と、苦しみ悩みの絶え間ない地獄のありかについて、それらは自らの外にあるのではなく、心の内にあると端的に教えられています。私たちは環境に生かされている存在であることは間違いありませんが、「仏も地獄も自分自身の心を離れて存在するものではない」という仏道の基本が明確に示されています。一般的には、仏を幸せ、地獄を不幸とみなすこともできますから、己れの心の持ち方で幸も不幸も定まるということに気がつかなければならないと思います。

この他さまざまな教えが込められている御書ですから、折にふれひもといて人生の指針にして頂くよう申し上げました。また、「人生には思うように行くときもあれば、思うように行かないときがあることを冷静に理解しよう」「禍福(かふく)は人智を越えたものであるから、眼前のことに一喜一憂することなく、自らを磨き上げて行こう」「人生において自らに起こることは、必ず意味のあることであるから、目をそらすことなく相対峙(たいじ)し、仏教の知恵と力を頂いて乗り越えて行こう、その姿勢こそが自分を強く大きく豊かにして行くことを信じよう」と申し上げ、宗祖の「苦を苦とさとり、楽を楽と開いて、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経」とのお言葉をこの一年、じっくりと拝してまりましょうとお伝えしました。
新年の御書拝読の後には、参詣者の方々に手づくりの「お屠蘇」を差し上げ、年頭の挨拶を交わすことができ、めでたい年明けとさせて頂きました。

正月にはほとんどの人が寺社に参詣したり、景勝地に立って一年の誓願を行うことが我が国の習いとなっています。年の初めには誰もが自らが一人で生きているのではなく、天地自然の力に支えられ、あまたの人々のお世話になっていることに気がつくのでしょう。そしてそれらへの感謝と共に今年一年の誓いと願いを明らかにするのだと思います。一般的には祈念を向ける対象にお賽銭を投げて願いごとをするのが常ですが、当山に参詣された方々は年頭にあたって、御宝前にご供養をお供えして、法華経を読誦しお題目を唱えて誓願を立てられます。そこには仏道の修行がこめられています。

仏教は仏の教えということですが、釈尊の古えから仏の教えを信じ敬う者は、心で思惟(しゆい)するばかりではなく、その道を歩む実践が求められています。仏教への思いが修行を導き、その修行がいっそう思惟を深めてゆくことになるからです。年の初めに自らの信仰を確認し、仏道の修行をおさめて功徳善根を積むことは真に尊いことと存じます。また、諸々の事情から菩提寺に参詣できない場合もあり、自宅のご本尊様に読経・唱題申し上げる方も居られたことでしょうが、すべては仏さまが御照覧(ごしょうらん)でありますから、新春に修行の功徳を積むことができたことを喜び合いたいと存じます。

一年のスタートを切ったばかりですが、有縁檀信徒方々や友の会の皆さまには、年を納める頃には良い一年であった。この一年の歩みは有り難いものだった。と思えるような一年でありますようお祈りを申し上げます。

来る13日(月)は日蓮大聖人の初ご報恩講、19日(日)は今年初の日曜法話会です。今年も相武山妙法院は仏法の護持伝道に精進してまいります。

相武山 山主

2014年01月11日