相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

夏の風景(わらべ会から 1)

お母さんとたたく太鼓

はじめは紙のバチで練習

流しそうめんは涼味満点

2012年07月31日

「わらべ会」お寺で夏を楽しむ

夏空ににぎやかな子どもたちの声が響きました。
陽にあたると痛いような暑さの29日(日)、11時からひさしぶりに「わらべ会」を開きました。わらべ会は妙法院檀信徒の小学生を中心とする子供たちに、「お寺に親しみ仏さまの教えに縁を結ぶ」ことを願って開かれているものです。妙法院としてはしばらく活動停止状態でしたが、すばらしい自然環境に新たな寺院もできて、子どもたちが遠慮なく家族と仏縁を深める環境が調いましたので、この夏から執事の興厳師を中心に活動再開となりました。
事前の準備に戸惑い案内も遅くなったこともあって、この夏の参加者は7名でしたが、そのご家族とサポートに熊木さん、菅野さん、金澤さん、山村さんが参加して頂き、皆んなで楽しい夏の一時を過ごしました。

午前11時にはそれぞれ集合。わらべ会の前にこの6月に誕生された中里彩乃さんの初参りが行われ、参加者も一緒にお参りをしてみんなで健やかな成長をお祈りしました。わらべ会は始めに皆んなでお経の練習です。興厳師お手製の子供用お経本(方便品・自我偈のみ)を手に、法華経の方便品と寿量品の自我偈を一緒にゆっくりと読み上げました。「仏さまに向ってお経を読むということは、仏さまとその教えを信じるということを意味しており、心が落ち着いて安心して生活ができるようになります」と説明しました。お経の後には私から「挨拶のできる子どもになろう」「お父さんやお母さん、家族や友達に感謝できる子どもになろう」とお話をしました。
続いて興厳師による太鼓の練習です。子供たちにはまず興厳師の作った新聞紙のバチが手渡され、妙(右)・法(左)・蓮(右)・華(左)・経(右)とお題目を五打のリズムで打つ練習です。はじめはなかなかリズムがつかめないようでしたが、身体を動かすことと音には敏感な子供たちですから、間もなくそれなりのかたちとなり、本物の太鼓の前に進んみ五打のリズムで楽しそうに太鼓を叩いていました。

お昼も過ぎる頃、本堂の前に張られたテントの中では「流しそうめん」の準備ができました。子供たちも興味津々でした。お母さん方に湯がいてもらったそうめんを竹の水路にながすと、竹の水路の両側に陣取った子供たちが声を上げながら、早速箸をのばして上手にすくってうれしそうに食べていました。副食におにぎりや焼き鳥なども出されて、子供たちばかりではなく大人にも楽しい昼食となりました。
流しそうめんが終わると子供たちはしばし甲斐犬の「リョウマ」とコミュニケーション。そして、スイカ割りに移っていきました。はじめにお姉ちゃんの若菜ちゃんが重い木刀を上段に構えてみごとに一撃、しかし、割り切れずにその後はみんなで割っていました。われたスイカは参加者みんなで美味しく頂きました。

スイカ割りが終わると子供たちは客殿に移動してうちわ作り、サポートの方々はテントなどの後片付けに取りかかりました。客殿はエアコンが設置されたばかりで炎天下の境内とはうってかわった涼しさです。興厳師が用意したうちわの部材とクレヨン・色鉛筆が長机に並べられ、子どもたちは思い思いに絵を描きはじめました。幼い子もお兄ちゃんやお姉ちゃんに負けずに楽しそうにクレヨンを使って遊んでいました。やがて絵が出来上がりうちわに貼り付けて完成です。出来上がったうちわには私が子供たちの名前を筆で書かせてもらいました。笑顔で出来上がったうちわを中心に皆んなで記念の写真を撮り、本堂にお参りして興厳師の終了の言葉をもって今年の夏のわらべ会は閉会となりました。
参加者は異口同音に「楽しかった~、おもしろかった~、よかった~」と語りあい、来年も友だちを誘いあって参加しようと話しがはずんでいました。境内や周囲では蝉も鳴きだし、トンボも飛び、アゲハチョウも飛び交う夏本番ですから、帰路につこうとしても親の言葉が耳に入らない子供たちは雑木林に虫を追いかけて行きました。

暑い中でのわらべ会でしたがとても楽しい一日でした。子供たちの声は大人たちや周囲に元気を与えてくれる貴重なものです。わらべ会は現在年末のお餅つきを検討中ですが、秋と春にもお寺で楽しく遊べる工夫をしてまいりますので、多くの方々のご参加をお待ちしています。参加希望の方は遠慮なく妙法院までお申し出下さい。

相武山 山主

 

2012年07月30日

心に響きました

お盆の14日、当院の墓苑に一基の墓石が建立され開眼供養と納骨式が執り行われました。建立されたのは中区の林さん。法要には祖母と二人で参詣されました。開眼の前には本堂で祖父の塔婆を建立して懇ろに追善供養を申し上げました。

林さんから突然の電話を頂いたのは菜種梅雨の頃、祖父と祖母のためにお墓を建立したいので見に行きたいということでした。間もなく小雨の中を訪ねてこられました。お出でになったのはまだ30代半ばの若い男性でしたから、どうしてお墓を求めているのかお尋ねしたら、「事情があって私は祖父と祖母に育てられたんです。祖父と祖母は大変苦労しながら私を育ててくれました。その祖父が十数年前に亡くなり、祖母もすっかり年を取ったので、恩返しに良いお墓を建てて上げたいと思ってここ数年考えていました。ようやく準備ができたので、あちこちの霊園を見に行っていたのですが、妙法院さんにも墓苑があることを知ったので見に来ました」ということでした。
すでにいくつかの霊園を見てきているので、環境や交通事情や墓所の価格などにも詳しく、あまり説明を必要としませんでした。「あらゆる面で理想的な墓所です」と言って頂いて求めて頂きました。また「おばあちゃんが日蓮聖人と法華経の信心を大切にしているので、きっと喜んでもらえると思う」という言葉を聞いてこちらもうれしくなりました。
「祖父の命日が7月ですので、その時に法要をして納骨させて頂きたい」という申し出でした。

梅雨明け間近を思わせる青空が広がる14日のお昼過ぎ、林さんはおばあちゃんの手を引いて参詣になり、本堂の精霊台に優しいお顔でおじいちゃんのお骨を安置されました。追善の供養は心を込めて御本尊様への読経・唱題。林さんとおばあちゃんも私と一緒にお勤めをされました。その後、お骨をもって建立された墓所に移り、お骨を納めて開眼供養と納骨式を執り行いました。法要後の語らいではおばあちゃんが笑顔で「本当にうれしい」と話され、林さんも「おじいちゃんも喜んでくれると思います。これで安心できました。これからは信心も大切にして行きます」と語られ、私も心からうれしく思いました。しばしの四方山話でお別れしましたがさわやかな開眼法要と納骨式でした。

せちがらくなったといわれる現代。自分のことしか考えようとしない場面に出くわすことも多く、家族や親族、縁者との関係も疎遠になりがちです。親や家族の逝去という場面を迎えても葬儀や法事さえ大切にしないこともあるようです。親孝行などという言葉もあまり聞かれなくなりました。お世話になったことも直に忘れてしまう人も多く、「恩返し」という言葉も身近で聞くことが稀になっていたためか、今回の林さんの素直でいつわりのない「恩返しがしたい」という言葉がとても新鮮に私の心に響きました。

相武山 山主

2012年07月19日

梅雨が明けました

九州中北部のすさまじい豪雨に大きな被害が出ました。梅雨の長雨で地盤がゆるんでいた所に豪雨による土砂崩れ、猛烈な降雨に河川もいっきに氾濫しました。気象庁では激しい豪雨に「これまで経験したことのないような大雨」という表現をもって注意をうながしていました。ニュースでリアルに伝えられる映像には驚きと嘆きで、私たちにはなすすべもありません。只々御本尊様に豪雨の犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げ、災害に遭われた方々の復旧復興をお祈り申し上げるばかりです。
こころよりお見舞いを申しげます。

さて、昨日の熱い日射しにもうすぐ「梅雨明け」ではと思っていたら、今日は朝から昨日以上の熱い日射しで気象庁から「梅雨明け」の宣言がありました。じっとしていても汗がにじんできます。少しでも動けば汗は止まりません。熱中症は屋外屋内を問わぬようですから十分に注意が必要です。皆さんご用心ください。
当山では一昨日、新暦7月15日に盂蘭盆(うらぼん)の法要を執り行いました。檀信徒の中には月遅れの8月に供養される方もおられますが、横浜・川崎などに長くお住まいの方には新暦でお盆を行う方が多いようです。割合は当山では五分五分といったところでしょうか。曇り空から晴天となり暑さも少し厳しくなる中、法要の前に「三師塔」(さんしとう)に参詣し、ご報恩の読経・唱題を申し上げました。続いて永代供養墓「久遠廟」(くおんびょう)に参詣、御奉安の精霊(しょうりょう)に懇(ねんご)ろに追善供養を申し上げました。
本堂での盂蘭盆法要は、始めに仏祖三宝尊(ぶっそさんぽうそん)と各家有縁精霊への献膳(けんぜん)を行い、参詣の檀信徒の皆さんと心を込めて法華経を読誦、お題目をお唱えいたしました。寿量品長行では参詣者がお塔婆(とうば)の建立された精霊台の前に進み、各家有縁精霊に追善供養のお焼香を捧げました。法会(ほうえ)の御観念では参詣者の仏道の功徳を物故者諸精霊に御回向(ごえこう)申し上げた次第です。
法要の後の法話では宗祖(しゅうそ)の御書(ごしょ)より「四条金吾殿御書」(しじょうきんごどのごしょ)を拝読。お盆のいわれと歴史、餓鬼の世界に墜ちた青提女(しょうだいにょ)からの教え、仏道を信ずる者は憎悪(ぞうお)や怨嫉(おんしつ)の念(おも)いを離れて、他者を思いやる慈しみの心を養って行くことが肝要であることなどをお伝えしました。
法要の後には各自お塔婆を墓所に建てるためにお持ち帰りになり、妙法院墓苑に墓所のある方は、お墓の清掃をしてお塔婆を建て、家族でお参りをしておられました。15日は日曜日でもあったので子供たちのお参りもありにぎやかなお盆の法会となりました。

相武山 山主

2012年07月17日

7月のお盆

まだ梅雨は明けていませんが、横浜では新暦のお盆を迎えます。すっかり我が国の伝統と習俗になっているお盆の歴史は古く、『日本書紀』には推古天皇時代(606)に「この年より初めて寺ごとに4月8日、7月15日に設斎(おがみ)す」と記されています。4月8日は釈尊の誕生を祝う潅仏会(かんぶつえ)のことで、7月15日はお盆のことのようです。お盆は盂蘭盆経に由来する仏教行事ですが、古神道などの先祖崇拝信仰と集合しての行事ともいわれ、地域や宗派によっても違いがあるようです。

お盆は釈尊のお弟子の目連(もくれん)尊者が、餓鬼(がき)の世界に堕(お)ちた母親青提女(しょうだいにょ)を救うというお話から「施餓鬼会(せがきえ)」ともよばれていますが、仏道修行の功徳を縁者に回向する行事です。しかし、一般的には亡くなった家族や親族、ご先祖の精霊(しょうりょう)を迎えて供養を捧げる行事とされ、お盆には菩提寺に参詣したりお墓に詣でて清掃して供養したり、家族・親族が集まって先祖をもてなし、そのきずなを確かめあう場ともなっています。

このお盆は元来旧暦の7月15日を中心に行われていましたが、明治6年、グレゴリオ暦(新暦)が採用されたことにより、現在では新暦の7月15日に行うところ、旧暦の7月15日に行うところ、新暦の8月15日(月遅れのお盆・旧盆とも)に行うところ等と区々となっています。

東京や横浜など新政府のお膝元であったためか、関東の一部、静岡や函館や金沢などでは新暦の7月にお盆が行われますから、旧暦に比べれば1ケ月ほど早くお盆を勤めることになります。全国的には月遅れのお盆となる8月が多く、およそお盆といえば8月の旧盆を意識することになります。お盆は13日のお迎えから16日の送りまで行われるのを常としますが、その儀式作法は宗派や地域で異なります。しかしかたちは違っていても、ご先祖有縁(うえん)精霊にを供養をささげ、法界縁起(ほうかいえんぎ)に思いをいたし、仏さまの教えや信仰と向き合い、自らの生き方、家族の在り方等々、大切な生と死をみつめる時に変わりはありません。
当山でも15日(日)午後1時より盂蘭盆法要を執り行います。檀信徒の皆さんはもちろん縁者の方々もご参詣ください。

相武山 山主

2012年07月10日

こころの草とり

昨日から7月、今年も早6ヶ月が過ぎ平成24年も後半に入りました。昨日は午後1時から月例の「お経日」ですが、その前に午前10時から境内の草とりと清掃を行いました。平日にも草は取っていますが、この時期伸びるのは早いものです。
10数名の御信者の方々と日頃手が届きにくい駐車場まで草とりと清掃を行いました。7月のお盆に向けて境内が浄められることは実に有り難いことです。ぽつりぽつりと小雨はありましたが、降雨はさけられ、夏の日差しも強くない中での草取りは、時候から考えますと恵まれた作業日だったと感謝しています。

草取りといえば、ある作家が庭に草がはえてきたとき娘に、「草は小さいときにとっておきなさい」というと、娘は「もう少し大きくなってから取るよ」と答えました。するとその作家は「大きくなるととるのが大変になるから小さいときが楽だよ」と諭したという話しを思い出します。これは庭に生えてくる雑草に心の持ち方を喩えた言葉ともいわれています。人間は本来正善と邪悪の心をもっています。それぞれ善縁、悪縁にふれることによって、言動も善悪のはたらきを展開して行くものです。もちろん単純に善悪に峻別できないものもありますが。
作家は雑草の伸びゆく様を心に芽生える邪悪な思いに譬えたのでしょうか。

悪と言えば仏教では十悪が説かれています。
十悪とは身の三悪、口の四悪、意(こころ)の三悪のことですが、心と言葉と行動のはたらきに十の悪業があるということです。簡単に注釈すれば、身の三悪とは「殺生(せっしょう)」衆生やその他の命を奪うこと。「偸盗(ちゅうとう)」他人の財産を:盗むこと。「邪淫(じゃいん)」不淫らな異性交遊のことです。
口の四悪とは「妄語(もうご)」嘘をつくこと。「綺語(きご)」奇麗事を言って誤魔化すこと。「両舌(りょうぜつ)」二枚舌を使うこと。「悪口(あっく)」他人の悪口を言うことです。意(こころ)の三悪とは「貪欲(とんよく)」我執・我欲の深いこと。「瞋恚(しんに)」自分の心に逆らうものに対して怒ること。「愚癡(ぐち)」心性が愚かで、道理にくらく、他者を妬んだり恨んだりすることです。

身の三悪も口の四悪もそれらはすべて意(こころ)の三悪が現れたすがたです。この三悪は煩悩の源であり、仏道の修行もこの三悪と向き合いその超克をめざすものといえましょう。雑草が時と環境を得て生い茂るように、心の中の煩悩も悪縁にふれて増長しついには暴れだすこともあります。仏道では自らの心にもこの三悪が存在していることを認め、この三悪を仏の教えによって能(よ)く修めて行く事が求められています。しかし、己れの心に三悪が存在していることを理解し、その克服を願う方はそう多くはありません。時に当たり心の草とりの大切さに思いをいたしたいものです。

相武山 山主

 

2012年07月02日