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相武山 妙法寺 ブログ

志が感動をよぶ

新年明けましておめでとうございます
妙法院有縁の皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。新たな年もご縁の有る方々と倶に人生の貴重さと尊さを学ぶ一年でありたいと願っています。

多くの方々同様、私は物心がつくころから、心が揺すぶられるような人物や出来事に感動を覚えるようになり、やがて「感動することが人生では大切」と思い、「感動するべきものを知識し、そのような人物・事象に巡り会いたい」と想うようになって今日に至っています。
それは只単純に感情が高まるという意味ではなく、「すばらしい人、尊敬できる人、尊いおこない、高い見識、優れた人間性、人生はこのようにありたいもの・・・」などに心からうなずき、それらとふれあったことにより、自らの意識や見識が高まって、より良く生きるエネルギーになると考えるからです。

感動とは心が揺さぶられること。感性が鈍ければ心が揺さぶられることはありませんし、何に感動するかは各人各様さまざまで、そこには各自の価値観・人生観が反映されています。感動は人間の本能とも呼ぶべきすばらしい心のはたらきですが、その感動が人生の真のエネルギーとなるためには、自らの価値観を磨き高めて行かねばなりません。終生学びが必要なゆえんです。

感動するというとその対象は特別な人であったり事象だと思いがちですが、私はそうではないと思っています。対象は特別な能力や資質に恵まれた方々ばかりでなく、平凡な資質であっても障害をお持ちの方でもその対象であり、事象(できごと)も特別である必要はまったくありません。日々のささやかな生活の中でも感動の種はたくさんあるのです。ただその感動の対象に自分自身が気づくかどうかが問題です。ここが個々の価値観・人生観が問われるところです。感動の対象は外部にあるものかもしれませんが、心が揺すぶられなければ感動を味わうことはできないのですから、感動を受け止める心が養われていなければならないのです。

誰も見ていないところで社会を支えている人。災害に遭遇しながら心を折らずに前を向く人。恵まれない環境であっても投げやりにならずに人生を歩む人。事故や病気に遭遇しても志を失うことのない人。自分の利害ばかりに執着するのではなく他者のために想いを馳せることができる人等々。その存在を知れば、心を揺すぶられる人や事象が身近にたくさんあります。春を伝えるスイセンや一輪の梅にも感動のこころは生じてきます。感動は幸せに通じているのですから、自身の知性や感性を磨いて行きたいものです。

去る、12月6日(土)午後8時から NHK総合の「新プロジェクトX」で、『75万人の命救った用水路~医師・中村哲 希望のアフガニスタン~』が放映されました。中村医師はすでに著名でその功績を称えられている方です。私も彼がペシャワール会現地代表として優れた活動をしていることを知っていたので、感動して日曜法話会などでご紹介したことがあります。
中村医師は、アフガニスタンとパキスタンで長年、医療支援と農業・水資源開発(用水路建設など)に取り組み、干ばつで苦しむ人々の生活を支え、砂漠化した大地に緑を蘇らせました。

医師としても多くの患者の治療に努めましたが、深刻な干ばつを経験した後、独学で土木技術を学び、井戸を掘り、全長25.5kmにも及ぶ用水路(マルワリード用水路など)を建設。水路によって農地を回復させ人々の食料自給と生活の安定に貢献。2019年12月4日、アフガニスタンのジャララーバードで銃撃され亡くなりましたが、その功績は高く評価されています。

優れた活動を展開され多くの方々に深い感動を与えた中村医師。その人格からにじみ出ることばには心が揺さぶられます。彼は自然体で『道で倒れている人がいたら手を差し伸べる――それは普通のことです。』と語り、NHKの報道の結びには『世界がどうだとか、国際貢献がどうだとかという問題に煩わされてはいけない。それよりも自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で人としての最善を尽くすことではないか』と述べています。
このような言葉の基には、中村医師が座右の銘とされていた伝教大師最澄の「一隅を照らす(今いる場所で最善を尽くすこと)」があるといわれており、中村医師の心の奥底に崇高な志のあることがわかります。

「人生は歩みながら自らの存在を確認し(真理の探究)、その人格の完成を目指す道(真理の実践)である」と仏教では説かれています。そのような姿勢の基礎には発心や志という意志が存在しているために、仏道では心を発す「発心」や志を立てる「立志」が重要。発心や志がなければ基礎を打たずに建物を立てるようなもので極めて不安定です。中村医師には一隅を照らすという志が確固として存在していたのです。

妙法院に集う私たちは日蓮の門弟ですが、日蓮大聖人は雪中の佐渡で開目抄を著され、その中で三大誓願を表白しておられます。『詮ずるところは、天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。 ー中略ー 大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ゐじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず』と。

末法下種の法主としてのまことに力強い求道と弘通の志です。
令和8年の年頭にあたり、貴重で有限な人生において仏縁を結ぶことができたことに感謝し、有縁信徒の方々と倶に信行増進して、自他の人間性が深められる一年でありたいと願っています。

相武山 山主

2026年01月01日