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相武山 妙法寺 ブログ

我が身を省みるとき

令和7年も残すところひと月となりました。いつもの師走同様に『もう12月だ・・・』と自然に声が出てしまいます。年の瀬を迎えて過ぎた一年をじっくり振り返り、新年を迎える準備をしなければならないと思うのですが、俊敏さに欠ける怠惰な身としては時の流れの慌ただしさの中についついながされてしまい、毎年、気がつけば新たな年を迎えてしまいます。

これまで自らに語り、多くの方にも『何ごとも遅いということはありません・・・』とお伝えしてきましたので、このテーマにも有言実行。より良い人生のためにも、今まで満足にできなかったからと行って放り投げずに、一年のむすびには少し立ち止まって、自らの心と振る舞いを静かに省みる時間をもとうと思案しています。
同信の方々からは『自省というなら、仏教徒には朝夕の勤行というすばらしい時間があるじゃないですか・・・』といわれそうです。

そのとおり。仏教徒には一日に二度、朝夕のお勤めという信仰の基本があり、御本尊様の前に端座合掌。そこで沈思黙考することとなり、多くの方々はその厳かな時を自省の時間としているのかもしれません。私の場合はほとんど無心で法華経の要品読経・南無妙法蓮華経の唱題を勤めていますので、勤行中に自省はできませんが、その後、静かな時間をもってさまざまなことに思いを巡らし、その中で己の思考や言動を省みるようにしています。

勤行といえば、ご信徒の方からはよく『時間がなくて思うように朝夕の勤行ができません・・・』という声を聞きます。現役から離れた方々以外、思うように時間を自由に使えるという方は多くありませんから、そのとおり正直な声だと思います。まして、朝は床を離れて出かけるまで誰もが余裕がありません。朝の勤行がつとめにくい理由となります。しかし、思うように勤行を勤めることができなくても、仏教徒にとって朝夕御本尊の前に座し合掌することは信仰の証しです。

勤行に至らずとも朝と夕べに南無妙法蓮華経のお題目を三唱するだけで、仏法を尊重讃歎するという確かな仏道の功徳を積み、心の平安と活力を得ることができるのですから、とてもすばらしい振る舞いです。当然のこと、御本尊と日蓮大聖人を意識して、わずかな時間であっても自省の時間に通じることとなるでしょう。
我が国では「何らかの信仰を持っている・・・」という自覚のある方は強弱はありますが約3割ほどといわれています。信仰の有無や強弱は時代や地域によって異なりますが、現代社会では信仰を大切にして、その教えを人生に活かしている方は少数派といえるでしょう。

『皆と同じ・・・』が好まれ、『他者と異なることを心配する・・・』といわれる我が国の国民性からは、多数派を好まれる人が多いようです。しかし、百人百様、一人ひとり、姿形もちがえば性格や思考、感性も異なるのが事実。皆と同じというだけで安心するというのも一つの考えかもしれませんが、ものごとの多少にこだわることなく、自らの信念や見識を磨き信じて、自分らしい選択で人生を歩むのが佳いのではないかと私は考えます。
日蓮大聖人は自ら末法の法華経の行者は「爪の上の土」と仰せられ、少数派を自負されて仏道を切り拓かれました。
『妙法比丘尼御返事』には
「涅槃経には仏説き給はく、末法に入りて法華経を謗じて地獄に堕つる者は大地微塵よりも多く、信じて仏になる者は爪の上の土よりも少し、と説かれたり。」
現代語訳では
「仏は涅槃経に、「末法に入れば、法華経を誹謗して地獄に堕ちる者は、大地を砕いた微塵よりも多く、法華経を信じて仏になる者は、爪の上の土よりも少ない」と説かれました。」とご教示です。

妙法院では今年も年中行事予定に準じてさまざまな法要行事を執り行い、仏道の護持伝承に勤めてまいりました。12月14日の「おさめ御講(日蓮大聖人御報恩講)」では、新たな年を無事に迎えるためにも、同信の方々と倶に、一年の仏祖三宝尊のご加護に報恩感謝申し上げ、我が身の信行を省みる時にしたいと思います。

相武山 山主

 

2025年12月01日