相武山 妙法院のブログです。
未だ寒さが続きますが弥生3月、日の出の時間が早くなってきました。当山境内や市民の森はまだ冬枯れの風情ですが、足下には蕗のとうが顔を出し、河津サクラは例年より一月遅れですがほころび、これから春のお彼岸に向かって芽吹きの時を迎えます。
お彼岸は仏教の行事ですが今ではすっかり日本の習俗になっています。日頃仏縁を意識しない方々でもお彼岸にはご先祖や縁者の存在に想いを馳せながらお寺やお墓にお参りされます。ソメイヨシノも花開き穏やかな春を悦ぶ好季。自身を見つめ、自らの不思議なご縁に想いを馳せる好機となることでしょう。
《ご縁を大切に》
ご縁は「ゆかり。つながり。えにし」を意味しますが、仏教語の「縁起」に由来するともいわれています。仏教では縁起とは「因縁生起」の略であり、あらゆる物事は因縁によって起こり、存在している。また、すべての事物事象は個として存在しているのではなく、さまざまな条件が重なり合い繋がることによって存在していると考えます。
このような仏教の教えにふれるまでもなく、心静かに思惟すれば、自分自身が個として存在しているのではなく、先祖の生命を承け継いだ父母によって命を与えられ、人生では家族や友人、知人や多くの人々のご縁によって支えられていることに気づきます。また、この時代、この社会など、与えられた環境もすべてご縁であることが理解できることでしょう。
すべての存在は縁起によってあるため、仏教ではあらゆるご縁を大切にすることを教えていますが、ものごとのすべてに正と負、プラスとマイナスがあるように、縁にも善縁と悪縁があります。したがって善き縁は深めて味わい、悪しき縁は教訓として離別して人生に活かして行かねばなりません。もちろん、その見極めは容易なものばかりではありませんから、不断に自分自身の見識を高め判断力を磨いて行く必要があります。
日蓮大聖人は善縁を大切にして悪縁を退けることを教えています。
遺された『四信五品抄』には天台大師の玄義から「若し知識に値へば宿善還りて生ず。若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」を引用。
「善知識に値えば、前世で得たものを思い出すが、悪友に値えば、せっかく忘れなかったものを失ってしまう」と誡めておられます。
《春のお彼岸》
「血縁」は血のつながりを意味し、「地縁」は住む土地などの縁を指します。仏さまやその教えにふれることなどは「仏縁」といいます。ひと口に仏縁といっても「仏さまとのご縁」「仏教思想との出会い」「お寺とのご縁」「仏事でのご縁」「信仰者との出会い」「僧侶との出会い」などとさまざまです。
春のお彼岸も先祖や有縁精霊への想いを通して仏縁にふれる時季です。香華を手向けるとき、墓所を浄めるとき、合掌して故人の冥福を祈るとき、御本尊に読経・唱題をささげるとき、それらのすべてが仏縁となるのです。
私たちは自分にとって大切と思うものに、心や労力、時間やお金を費やします。何を大切にしているのか、何を大切にしようとしているのか、それらを価値観といいますが、価値観はひとそれぞれに異なります。さらに、人生を歩んでいるうちに価値観は変化して行きますから、人生は価値観を磨く旅といわれることを意識したいものです。
お彼岸を迎えますが「世事に追われて気づくことのできない方。お彼岸の言葉にご先祖や故人への想いをおこす方。常日頃の想いの延長に寺院や墓所にお参りされる方。仏法信仰者として家族で彼岸会に参詣される方・・・」と百人百様だと思います。
春のお彼岸は仏縁にふれる好季。妙法院では一人でも多くの方々に仏縁にふれていただき、より良い人生のよすがとなることを願っています。
相武山 山主
2025年03月01日