相武山 妙法院のブログです。
我が国の2月は一年中でもっとも寒さが厳しくなる時季。近年は暖冬気味ですが朝などは温もりから離れがたいと思う方も少なくないことでしょう。関東の冬は寒さが厳しくても空気が澄んで青空が広がり気持ちの良ささえ感じます。しかし、極寒の北国や豪雪の雪国では眼の前にせまる災害や事故などでそんな楽観はあり得ません。寒さも降雪も各地で異なりますが、その自然現象は人生や生活に大きな影響を与えているのが事実です。深刻な場合も多いので穏やかな春を迎えるまで皆さまの無事を祈るばかりです。
冬には穏やかな晴天が続く関東に身を置く者としては、厳しい環境で生活されている方に比して恵まれていることに感謝しています。それでも寒さに諸事怠りがちになるときには日蓮大聖人と御先師の御振る舞いに想いを馳せて甘えを排するのが日蓮門下の矜持です。
仏教を信仰する者であれば教主釈尊のその教えと振る舞いが信仰の対象であり、平たくいえば人生の佳き手本となります。迷ったときには灯明として進むべき道を照らし出してくださる存在です。末法の法華経の行者である日蓮大聖人の教えを信仰する私にとっては、その教えと振る舞いこそが信仰の対象であり人生のすばらしいお手本です。
宗祖は末法の一切衆生救済を誓願され、南無妙法蓮華経のお題目を弘通される人生でした。そのご生涯は厳しいご生活が常でしたが、寒さに耐えながらの振る舞いも自ら語られています。
『法蓮抄(現代語訳)』には佐渡に流罪されたご生活について
「北国の習ひなれば冬は殊に風はげしく、雪ふかし。衣薄く、食ともし。根を移されし橘の自然にからたちとなりけるも、身の上につみしられたり。栖にはおばなかるかやおひしげれる野中の御三昧ばらに、おちやぶれたる草堂の上は雨もり壁は風もたまらぬ傍に、昼夜耳に聞く者はまくらにさゆる風の音、朝暮に眼に遮る者は、遠近の路を埋む雪なり。現身に餓鬼道を経、寒地獄に堕ちぬ。彼の蘇武が十九年の間胡国に留められて雪を食し、李陵が巌窟に入りて六年蓑をきてすごしけるも我が身の上なりき。」
とあります。
また、身延でのご生活については『秋元御書(現代語訳)』に
「去年の十一月より降り積もった雪が、今年の正月になっても、今なお消えずに残っています。庵室の高さが七尺なのに雪は一丈も積もっており、四方は氷で囲まれて自然の壁となり、軒のつららは道場を荘厳する瓔珞の玉に似ております。庵室の中は米が絶えて、雪が米の代わりに積まれているありさまです。このような深山であるから本より人も来ることもなく、雪が深く積もって道を塞いでいるので、問い来る人も無い処でありますので、未来の八寒地獄の業を現在の身に受けて償っているようであります。生きながら成仏出来なくて苦しんでいる様子は、雪山の寒苦鳥という鳥にも似ています。長い間頭の髪を剃っていないので頭はうずらのようであります。氷に閉じ込められいるので、衣は鴛鴦鳥が氷の中で羽を結ばれているようなありさまです。」
と仰せです。
日蓮大聖人の末弟の一人としては、寒中にこそ宗祖と御先師の道心と御振る舞いに想いを馳せたいと思います。人生にはさまざまな壁が立ちはだかりますから、ついつい愚痴と泣き言が出てしまう私たちですが、日蓮大聖人の教えと振る舞いをお手本として、自らの心を叱咤激励してより佳い人生を歩みたいものです。
相武山 山主
2025年02月01日