相武山 妙法院のブログです。
1月の日蓮大聖人御報恩講は新年初めての御講なので「初御講」と呼ばれています。今年は19日(日)午後1時からの奉修でした。御講は昨年から13日の御命日ではなく第2日曜日か第3日曜日に執り行っています。
当日は午前11時から日曜法話会を開催。初御講の参詣者の大半は法話会から引き続いてのご参詣。休日に信行を磨く一日となったようです。
初御講は唱題の裡に御宝前にて下種三宝尊への献膳がなされ、引き続いて法華経要品読誦、献香、唱題と修されました。参詣僧俗一同に宗祖への御報恩謝徳を申し上げた次第です。法要後は本尊問答抄を拝読しての法話。
宗祖報恩講では御遺文御書と法華経を中心に法話を申し上げています。今年は一年を通して「本尊問答抄」を拝読し、同書にご教示された日蓮大聖人の教えを学んで行く予定です。
初御講では冒頭より「問云、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定へきや。答云、法華経の題目を以て本尊とすへし。~ 中略 ~仏は所生・法華経は能生、仏は身也、法華経は神也。然則木像画像の開眼供養は唯法華経にかきるへし。而今木画の二像をまうけて、大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすは、尤も逆なり。」
までを拝読。
この御書は弘安元年9月、清澄寺の浄顕房に宛てた書状といわれています。問答体の様式で末法悪世の凡夫の本尊を明らかにされた御遺文で、日蓮教学における重要な指南書です。
御書システムの解題には
「本抄は、宗祖初等教育時の師である浄顕房に曼荼羅本尊を送られるとともに、その妙法曼荼羅本尊の勝れたるゆえんを書き送られたものである。冒頭末代悪世の凡夫は『法華経』の題目をもって本尊とすることが示され、その理由として『法華経』の題目は釈尊始め諸仏能生の根源である故とされている。ここに「釈迦をもって本尊とせずして法華経の題目を本尊とする」(趣意)と述べられていることに注意。」
とあります。
法話では始めに御書システムの「解題」を紹介。宗祖が遺された御書の真偽や概要を知るためには、一昨年12月に発刊された「日蓮遺文解題集成」(山上弘道師著)が現在の指針となりますが、御書システムの「解題」はそのネット版。妙法院では私も執事の興厳房も御書の解説では基本的参考としています。少し専門に渉りますが本尊問答抄についても解題は貴重な手引きとなります。
当山では法要に参詣した方が帰宅されてからも学べるように、参詣者に「解題」「御書原文」「現代語訳」を配布。法話は原文を読み下しでお伝えしています。
初御講の拝読御書の現代語訳は以下のとおりです。
「問うて云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。
答へて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。
問うて云く、何れの経文、何れの人師の釈にか出でたるや。
答ふ、法華経の第四法師品に云く「薬王、在々処々に、若しは説き若しは読み、若しは誦し若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安んずることを須ゐじ。所以は何ん。此の中には已に如来の全身有す」等云云。涅槃経の第四如来性品に云く「復次に迦葉、諸仏の師とする所は所謂法なり。是の故に如来恭敬供養す。法常なるを以ての故に、諸仏も亦常なり」云云。天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て、好き高座を敷き、法華経一部を安置し、亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安んずべからず、唯法華経を置け」等云云。
疑って云く、天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり。不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦・多宝を以て法華経の本尊とせり。汝何ぞ此等の義に相違するや。
答へて云く、是れ私の義にあらず。上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり。但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは、彼れは常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり。文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による。是れは爾前の諸経の内未顕真実の経なり。半行半坐三昧には二あり。
一には方等経の七仏八菩薩等を本尊とす。彼の経による。
二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども、法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし。不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり。此れは法華経の教主を本尊とす。法華経の正意にはあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。
問うて云く、日本国に十宗あり。所謂 倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・浄土・禅・法華宗なり。此の宗は皆本尊まちまちなり。
所謂 倶舎・成実・律の三宗は劣応身の小釈迦なり。法相・三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす。華厳宗は台上のるさな(盧遮那)報身の釈迦如来、真言宗は大日如来、浄土宗には阿弥陀仏、禅宗にも釈迦を用ゐたり。何ぞ天台宗に法華経を本尊とするや。
答ふ、彼等は仏を本尊とするに、是れは経を本尊とす。其の義あるべし。
問ふ、其の義 如何。仏と経といづれか勝れたるや。
答へて云く、本尊とは勝れたるを用ゐるべし。例せば儒家には三皇五帝を用ゐて本尊とするが如く、仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。
問うて云く、然らば、汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして、法華経の題目を本尊とするや。
答ふ、上に挙ぐるところの経釈を見給へ。私の義にはあらず。釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とするなり。其の故は、法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に今能生を以て本尊とするなり。
問ふ、其の証拠 如何。
答ふ、普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」等云云。又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏是れに因りて五眼を具することを得たまへり。仏の三種の身は方等より生ず。是れ大法印にして涅槃海を印す。此の如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。此の三種の身は人天の福田、応供の中の最なり」等云云。
此等の経文、仏は所生、法華経は能生。仏は身なり、法華経は神(たましい)なり。然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし。而るに今木画の二像をまうけて、大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすは、尤も逆なり。」
※詳細は相武山だよりのウエヴ動画をご参照ください。
毎月の宗祖御報恩講は門弟僧俗の報恩感謝の志によって執り行われます。檀信徒の皆さまには信行錬磨と法門修学のためにご参詣ください。
相武山 山主
2025年01月30日